器物損壊福岡1

器物損壊福岡1

福岡地方裁判所小倉支部/平成11年(わ)第643号等

主文
被告人は無罪。

理由
1 本件公訴事実、弁護人及び被告人の主張並びに本件の争点
(一)本件公訴事実
ア 平成一一年一一月八日付け起訴状の第一の公訴事実
被告人は、平成一〇年三月一四日ころ、北九州市○○区○○×丁目××番××号付近路上において、同所に駐車中の有限会社A(代表取締役K尾S輔)所有の普通貨物自動車の左側前後輪タイヤ二本を鋭利な物で突き刺してパンクさせ(損害額二〇〇〇円相当)、もって、他人の器物を損壊した。(以下「第一公訴事実」という。)
イ 同起訴状の第二の公訴事実
被告人は、平成一一年二月二日ころ、同区○○×丁目××番××号付近路上において、同所に駐車中の株式会社B(代表取締役A達Y男)所有の普通乗用自動車の左側前後輪タイヤ二本を前同様の方法でパンクさせ(損害額一万円相当)、もって、他人の器物を損壊した。(以下「第二公訴事実」という。)
ウ 平成一一年九月一三日付け起訴状の公訴事実
被告人は、平成一一年八月二三日午前四時五〇分ころ、北九州市○○区○○×丁目××番××号T川T明方前路上において、同所に駐車中のT川T明所有の普通乗用自動車の右側前後輪タイヤ二本をパンクさせ(損害額二万円相当)、もって、他人の器物を損壊した。(以下「第三公訴事実」という。)
(二)弁護人及び被告人の主張並びに本件の争点
弁護人は、本件各公訴事実について、いずれも被告人が犯人ではなかった旨の主張をし、被告人も、当公判廷において、同主張に沿うような供述をしている。
したがって、本件の中心的争点は、被告人が本件各公訴事実の犯人であるか否かである。
そこで、以下、この点について検討、判断する。そして、検討の順序としては、まず、捜査の端緒及び経過の概要をみたうえで、第三公訴事実についての検討、判断を先に行い、しかるのちに、第一、第二公訴事実についての検討、判断を行うこととしたい。
なお、人物名、場所及び証拠等を再度掲記する場合などは、差し支えない限り、簡略に表示する。日付は、特に断らない限り、平成一一年である。証拠に甲、乙を付した数字は、証拠等関係カード記載の検察官請求番号を示す。
2 捜査の端緒及び経過の概要
現行犯人逮捕手続書(甲一)、被告人の警察官調書(乙二)、ノート一冊(平成一一年押第一一八号の四、甲三八)、任意提出書謄本(甲一五)、領置調書謄本(甲一六)、告訴状四通(甲五四、五五、六六、六八)によれば、争いがない事実として次の各事実が認められる。
被告人は、平成一一年八月二三日午前五時七分ころ、北九州市○○区○○×丁目×番×号Sマート○○店南側路上において、第三公訴事実の被害者であるT川T明によって、同人の自動車のタイヤをパンクさせた現行犯人として逮捕され、同日午前五時五五分司法警察員に引致され、勾留を経て、同年九月一三日に同事実につき公訴提起がされた。
被告人は、第三公訴事実の起訴前の勾留中、捜査機関に対し、被告人が違法駐車車両のナンバー等を記載したノートを作成している旨を告げ、そのノートが被告人の妻により任意に提出され、領置された。
捜査機関は、上記ノートの記載を基に、第一及び第二公訴事実の各被害者に対し、タイヤをパンクさせられる被害に遭ったかどうかを問合せ、各被害者は、第三公訴事実の公訴提起後に、それぞれ告訴をした(第一公訴事実については、自動車の使用者であったK尾E司が同年九月二一日、同車の所有者が同月二八日にそれぞれ告訴をした。第二公訴事実については、自動車の使用者であったS本K江が同月二八日、同車の所有者が同月二四日にそれぞれ告訴をした。)。そして、同年一一月八日に第一及び第二公訴事実の追起訴がされ、同月一〇日併合された。

3 第三公訴事実の検討、判断
(一)被告人の現行犯逮捕に至る経過、被害状況及び現場の位置関係等
第三回及び第五回ないし第七回公判調書中の被告人の供述部分、被告人の検察官調書(乙六)及び警察官調書五通(乙1ないし五)、第二回公判調書中の証人T川T明の供述部分、T川T明の検察官調書二通(甲一七、一八。以上のT川の供述を総称して以下「T川供述」ということがある。)、第四回及び第一五回公判調書中の証人N原Y二の各供述部分、第八回公判調書中の証人Y根H夫の供述部分、N淵Y子の検察官調書(甲二六)、U田C子の警察官調書(甲一九)、H田Y久の警察官調書(甲二〇)、現行犯人逮捕手続書(甲一)、被害届(甲三)、告訴権の確認及び被害程度に関する報告書(甲四)、任意提出書(甲三〇)、領置調書(甲三一)、所有権放棄書(甲三二)、写真撮影報告書(甲七)、遺留品発見報告書(甲五二)、領置調書謄本(甲一〇)、事件当日の気象状況に関する捜査報告書(甲一二)、捜査報告書(甲一三)、実況見分調書五通(甲八、一一、二八、八四、八五。甲八四、八五は採用部分のみ。)、写真撮影報告書三通(甲七、一四、二七)、鑑定人Y根H夫作成の鑑定書並びに押収してあるタイヤ二本(平成一一年押第一一八号の一、二。甲三三、三四)及び針金一本(同号の三。甲三五)を総合すれば、被告人の現行犯逮捕に至る経過、被害状況及び現場の位置関係等に関し、以下の各事実が明らかに認められる。
ア 被告人(昭和六年七月四日生)は、車の整備関係の仕事等に従事していたが、平成七年ころからは無職であり、年金生活を送っていた。
被告人は、昭和六〇年ころから現在の住所地で居住していたが、平成元年ころから、駐車禁止場所である同人方前道路に駐車車両が増えたため、警察に頻繁に通報するようになり、平成一一年六月一五日から同年八月六日までの間だけでも、自宅前路上に駐車車両がある旨の一一〇番通報又は交番に対する電話通報を合計六回行っていた。(以上につき,甲一三、乙一、二)
イ T川は、八月二三日午前四時五〇分ころ、同人所有の普通乗用自動車を、北九州市○○区○○×丁目××番××号の同人方前路上(以下「現場」ともいう。)に先頭を西側に向け、助手席側を同人方に接するように道路に平行して駐車していた(T川供述、甲八四)。
ウ 八月二三日の日の出時刻は、観測地下関で午前五時四三分、同じく福岡で午前五時四五分であり、同日午前四時五〇分ころの現場付近は、日の出前の薄明かりの状態であった(甲一二)。また、同日午前七時、無人観測地点(八幡)で三・五ミリメートルの雨量が観測されているため、同日の現場付近の天候は曇り又は雨量一ミリメートルに満たない雨が降っていた(甲一二)。 
エ 同日午前四時五〇分ころ、T川方玄関灯は点灯しており、他に、同人方東側には○○公園西側に設置された街灯があり、同人方西側には○○大学○○住宅の街灯があったため、同人方前に駐車した車付近の路上の照度は、光の当たる部分で〇・八八ルクス、車の影になった部分で〇・四ルクスであり、車の右側前輪付近に立った人の上半身は視認可能な状態であった(甲八四)。
オ 被告人は、同日午前四時五〇分ころ、T川方より東にある○○公園の方からT川方前に通じる道路を西に向けて歩き、同人方前を通りかかった。
被告人は、同人方前路上を西の方向へ歩き、○○区○○×丁目××番×号M好N男方の北西角から左前方の道路に向けて横断し、同区○○×丁目××番○○大学○○住宅の南側の被告人方前に通じる道路を直進し、被告人方前を通過し、G藤M巳方北西角で左折して直進し、M野S男方南西角で左折して直進し、同人方南側の道路を直進し、その途中のK田S樹方前路上付近で新聞配達員の女性を追い抜き、K上A生方南東角で左折して直進し、A川M弥方北東角で左折し、再び○○大学○○住宅の南側の道路を直進し、再びG藤M巳方北西角で左折して直進し、今度はバスの通る大通りを横断してSマート○○店駐車場東側道路を南方に直進し、同区○○×丁目×番×号Sマート○○店に突き当たった所で右折した。
ところが、同日午前五時七分ころ、同店南側路上において、T川の自動車のタイヤをパンクさせた現行犯人として、同人から左腕をつかまれ、逮捕された(以上につき被告人供述、乙四、甲一、一九)。
被告人は、逮捕された当時、濃い灰色のポロシャツと黒っぽいスラックスを着用していた(甲一四)。
カ T川は、前記自宅前路上に駐車していた同人所有の自動車が通行人の男にパンクさせられたとして、男の行方を追ったものであるが、T川方前路上を男が立ち去った西の方に向けて、同人方から約二九メートル離れたM好N男方の北西角まで走っていったところ、左前方約一五メートルの所を黒っぽい服を着た中肉中背で短髪の男が歩いているのを見た。T川は、その男と約一五メートルの間隔を空けて追尾して、○○大学○○住宅の南側の被告人方前に通じる道路を直進し、被告人方前を通過し、G藤M巳方北西角で左折して直進し、M野S男方南西角で左折して直進し、同人方南側の道路を直進した。
その途中で「Oぎょうざ」北側路上において、新聞配達員のU田C子に対し、同人を追い抜いて歩いて行った男が車のタイヤをパンクさせた者である旨説明して一一〇番通報を依頼した。
T川はそのまま男を追尾し、K上A生方南東角で左折して直進し、A川M弥方北東角で左折し、再び○○大学○○住宅の南側の道路を直進し、再びG藤M巳方北西角で左折して南方に直進し、バスの通る大通りを横断してSマート○○店駐車場東側道路を南方に直進し、Sマート○○店に突き当たった所で右折した。
そして、T川は、前示のとおり、同日午前五時七分ころ、Sマート○○店南側路上において、被告人に対し、「ちょっと待て。」と言って呼び止め、「お前、パンクさせたろうが。みよったぞ。」と言ったところ、被告人は、「何もしとらん、散歩しよっただけ。」と言った。T川は、被告人の手をつかんで被告人を逮捕した上、付近に停車していたタクシーの所に行き、被告人を乗車させ、同車の運転手に警察への通報を依頼した上で、T川自らが一一〇番通報をした(以上につき甲一、二〇)。
キ T川は被告人を呼び止めた際、犯行用具を探そうとして被告人の着衣の上から触ったが、見付からなかった。逮捕後、警察官と追跡経路を歩いて犯行用具を探したところ、同日午前六時二〇分ころ、T川方から南西に約二〇〇メートル離れた北九州市○○区○○×丁目××番××号飲食店「C」(M野S男方から道路を挟んで向い側)北側側溝内において、直径二ミリメートル、長さ一五二ミリメートル、先端がとがり、他端(柄の部分)は円形に曲げられている針金(金属製の串ようの物)一本を発見した(甲一〇、二七、三五、五二。以下「本件針金」という。)。
ク T川の車の右側前輪(ブリヂストン社製、一七五・七〇R)の外側側面には四個の貫通孔が一箇所に集中して存在し、右側後輪(グッドイヤー社製、一七五・七〇R)の外側側面には六個の貫通孔が一箇所に集中して存在した。それらの貫通孔のタイヤ表側のこん跡については明確な形状を確認することができないが、タイヤ裏側には長さ約七ミリメートルから九ミリメートルのき裂が存在し、貫通孔の断面は、表側から裏側にかけてV字型(円すい状)のこん跡が見られ、その後裂けた状態が見られた(鑑定書)。
T川の車の右側前輪を捜査用車両の前輪に設置し、前輪に二kgf/平方センチメートルの空気を注入したところ、空気注入後一分経過した段階でタイヤの空気圧は約半分に減少し、二分経過した段階でほぼパンク状態に至り、四分経過した段階で完全にパンク状態になった(甲八)。
ケ なお、被告人方付近の道路、店舗や住宅の位置、状況については、別紙図面一、二に表示のとおりである(甲八四、五二)。
(二)T川の本件第三の犯行の目撃供述の要旨
被告人の第三公訴事実の犯行を目撃したとされるT川の公判廷における供述(第二回)及び検察官調書二通(甲一七、一八)の要旨は、次のとおりである。
T川は、本件パンク被害の四、五年前から三回程度T川方前路上に駐車していた車のタイヤをパンクさせられる被害に遭ったことがあり、また、本件事件前日の八月二二日には、近所の住人の車がパンクさせられたことを聞いていた。
T川は、八月二三日午前四時五〇分ころ、同人方前路上に面した二階の部屋の窓を開けて布団の上で横になっていたところ、路上から人の足音が聞こえたため、自己の車がまたパンクさせられるのではないかと思い、足音が聞こえてから約一〇秒後に、二階の窓から路上に駐車した同人所有の普通乗用自動車付近を見た。
すると、同車の右側前輪の横に、黒っぽい上着を着た短髪の男(以下単に「男」ということがある。)がT川方に相対して顔を下に向けて立っており、その男が右側前輪の横で突然しゃがみ込んだのが見えた。その男がしゃがみ込んだ瞬間、タイヤの空気の抜ける際発生する音のような「シュー」という音が一回(その趣旨と理解される。)、一、二秒間聞こえた。その後、その男は立ち上がり、T川方前から西の方に歩いて立ち去ったのが見えた。
T川は、二階の窓から男を見る一〇分くらい前の午前四時四〇分ころ、同人方前を新聞配達員が通った際に二階の窓から自動車を確かめた、その際、車が傾くなどの異常はなかった。
T川は、前記の男に車のタイヤをパンクさせられたと思い、一階に降りてズボンをはき、玄関を飛び出して車のところに行き、タイヤを見たところ、右側前後輪のタイヤがパンクし、三割程度空気が残っているにすぎない状態だった。
T川は、同人方前路上を男が立ち去った西の方に向けて、同人方から約二九メートル離れたM好N男方の北西角まで走っていったところ、左前方約一五メートルの所を黒っぽい服を着た中肉中背で短髪の男が歩いているのを見付けたが、その男以外に人影はなかった。T川は、その男と約一五メートルの間隔を空けて追尾して、○○大学○○住宅の南側の被告人方前に通じる道路を直進し、被告人方前を通過し、G藤M巳方北西角で左折して直進し、M野S男方南西角で左折して直進し、同人方南側の道路を直進した。
その途中で「Oぎょうざ」北側路上において、新聞配達員のU田C子に対し、同人を追い抜いて歩いて行った男が車のタイヤをパンクさせた者である旨説明して一一〇番通報を依頼した。
T川はそのまま男を追尾し、K上A生方南東角で左折して直進し、A川M弥方北東角で左折し、再び○○大学○○住宅の南側の道路を直進し、再びG藤M巳方北西角で左折して南方に直進し、バスの通る大通りを横断してSマート○○店駐車場東側道路を南方に直進し、Sマート○○店に突き当たった所で右折し、同店南側路上において、その男の左腕をつかんだ。
T川が男(被告人)を逮捕した後、自車を確認したところ、右側前輪タイヤ及び右側後輪タイヤが完全にパンクしている状態であった。
(三)T川供述の重要性、証拠物及び各種実験結果との関係
T川は、第三公訴事実の事件発生の日である八月二三日午前四時五〇分ころ、同人方二階の窓から同人方前路上に駐車していた同人所有の普通乗用自動車付近にいた男を目撃したもので、しかもその内容は、男が右側前輪の横で突然しゃがみ込んだのが見えた、しゃがみ込んだ瞬間、タイヤの空気の抜ける際発生する音のような「シュー」という音が聞こえた、その後、その男は立ち上がり、立ち去った、すぐに自動車のところに行ってみたら、タイヤの空気がかなり抜けていた、男を追跡して捕まえたところ、被告人であったというものであり、犯行目撃供述としての実質を備えているから、第三公訴事実の犯行及び犯人を特定するうえで、極めて重要な証拠価値を有することは明らかである。
しかしながら、T川は二階の窓から偶然男の姿を目撃した後、いったん部屋の中に戻ってからその男を追跡しており、男をずっと見ていたわけではないし、窓から見た男がタイヤをパンクさせている状況を直接かつ逐一目撃したというものでもない。このような事情も考え併せると、被告人の犯人性を判断するに当たっては、その供述の信用性について、その基礎となる視認条件等の検討はもちろん、他の証拠との対比を行い、慎重に検討し、その証明力を吟味する必要がある。
この見地からみるとき、第三公訴事実を立証するために、検察官が請求し、当裁判所が取り調べた証拠のうち、本件針金(甲三五)は、タイヤに孔を開けた道具を立証するため請求されたもので(ただし、検察官はその道具を針金に限定していない。)、それ自体独立した重要な物的証拠であるが、T川供述に基づき、同人のパンク犯人追跡経路に位置する建物の側溝から発見されたものであり、同供述の信用性との関連にも留意すべきである。実況見分調書や鑑定等の証拠は、T川供述の信用性を裏付けるためなされた各種実験や計測等の結果を内容とするものである。
そこで、以下、T川供述の基礎的条件や上記のようなT川供述に関連する各証拠の証明力について順次考察して、T川供述の信用性について検討を行い、被告人の犯人性判断の基礎となる事情を明らかにしたい。
(四)T川供述の基礎的条件、漏出音及び証拠物等の検討
ア T川の視認条件の検討
前示のとおり、T川が自車付近に男を目撃したという八月二三日午前四時五〇分ころは、日の出前の薄明かりの状態ではあったものの、付近にある照明のため、車付近に立った人物の身体や挙動は一応視認可能であったと認められる。
したがって、T川の視認条件は、目撃の時刻や位置、距離関係からして、もとより十分なものではなかったが、さりとて格別の問題があったことも認め難い。
イ 「シュー」という空気の漏出音の聴取可能性の検討
鑑定書及びY根証言によれば、本件被害タイヤと同一規格のタイヤ(ブリヂストン社製一七五/七〇R)を用い、T川方前路上でアイスピックをタイヤに一回突き刺した場合、タイヤ付近では器具によって開けられた孔が一瞬開放された時に発生する「シュー」という摩擦音が器具を抜いた直後に約〇・四秒から〇・七秒間聞こえ、T川方二階窓際でかすかに同様の摩擦音が聞こえたこと、切り出しナイフでもT川方二階窓際で同様の摩擦音が聞こえたこと、精密ドライバーの音は「ポリッ」という音で、他の器具のように器具を抜く時ではなく、刺入時に発すること、しかし、本件針金によっては、タイヤに孔を穿孔することは可能であるものの、タイヤ付近でも「シュー」という摩擦音を聴取することはできなかったこと(二分経過後の空気圧にも変化がない。)、そして、千枚通し、錐の場合は、タイヤ付近では摩擦音が聞こえるが、T川方二階窓際で摩擦音を聴取することはできなかったことが認められる。
そうすると、器具にもよるが、例えばアイスピックなどを用いてタイヤに孔を穿孔するのであれば、タイヤ付近及びT川方二階窓際で「シュー」という摩擦音が、その継続時間や音の大小はともかく、聞こえることは確かであると認められる。このような事情は、条件付きではあるが、T川供述の信用性を支持する事情と一応いえる。
ウ T川の追跡条件の検討
前示のとおり、T川は、男が自車付近から立ち去ったのを見て、直ちに一階に降りてズボンをはき、玄関に飛び出し、自車のタイヤの状態を確認したあと、追跡を開始したというのである。甲八五によれば、T川が二階の窓を離れてから門扉を出るまでの時間が二二・九六秒、T川方前から男を発見した場所であるT川方から約二九メートル西方のM好方前までは約八・一三秒、二階の窓からM好方までを連続して計測すると二九・九七秒であることが認められる。そうすると、T川がM好方前で男を再度発見するまでの時間(この間T川は男を見ていないわけである。)は約三〇秒であって、極めて短時間である。
男を発見したM好方までは一本の道路であり、同人方の角が三差路になっているとはいえ、午前四時五〇分という未明の時刻で、しかも付近は住宅街であり、人通りの極めて少ない時間帯であったこと(T川及び被告人とも、T川方前を過ぎた後、新聞配達員以外の人は見かけなかった旨供述している。)などを併せ考慮すれば、T川の追跡条件は問題が少なく、同人が逮捕した人物、すなわち被告人こそが、T川が自宅前で目撃した男であった可能性は高いというべきである。
エ 本件針金の穿孔可能性
被告人が逮捕された後、警察官とT川が、被告人が歩いた経路をたどって犯行用具を探したところ、前示のとおり、同日午前六時二〇分ころ、T川の追跡経路に位置する飲食店「C」(M野S男方から道路を挟んで向い側)北側側溝内において、本件針金が発見されたが、それ以外には本件の成傷器らしい物は発見されるに至らなかった(T川供述)。
甲二八及びN原証言(第四回公判)によれば、○○警察署車庫における実験の結果、本件針金によって、本件被害タイヤの一個と同一メーカーのタイヤ(ブリヂストンB七〇一八五/七〇R一三)に孔を穿孔することが可能であること、その場合風圧によるゴムの反発はあるが、針金を抜くと空気が漏出することが確かめられたことが認められる(しかし、一〇メートル以上先からも「シュー」という空気の漏出音が聞こえたとのN原証言は、前記鑑定書等に照らし信用し難い。)。
そうすると、本件針金が本件第三の犯行の成傷器たり得る可能性は一応認められるというべきであり(ただし、後記のとおり、疑問点もある。)、このことはその限度でT川供述の信用性を支持する事情ともなる。
オ このようにみる限り、T川供述の基礎的条件にこれといった問題は見当たらないばかりか、一定の限度でその信用性を支持するような事情もいくつか存在するといえる。
(五)本件針金の成傷器性に関する疑問
前示のとおり、鑑定書によれば、T川車の右側前輪(ブリヂストン社製、一七五/七〇R)の外側側面には四個の貫通孔が一箇所に集中して存在し、右側後輪(グッドイヤー社製、一七五/七〇R)の外側側面には六個の貫通孔が一箇所に集中して存在した。それらの貫通孔のタイヤ表側のこん跡については明確な形状を確認することができないが、タイヤ裏側には長さ約七ミリメートルから九ミリメートルのき裂が存在し、貫通孔の断面は、表側から裏側にかけてV字型(円すい状)のこん跡が見られ、その後裂けた状態が見られたというのである。そして、同鑑定書によれば、T川車のタイヤの貫通孔は、直径五ミリメートル以上の丸く棒状で先が鋭利にとがった器具によって形成されたと推定されるというのである。
ところが、同鑑定書によれば、本件針金を用いて、ブリヂストン社製のホイール付きタイヤ(一七五/七〇Rの規格のもの)に孔を穿孔したところ、表側には直径二ミリメートルのほぼ円形な痕跡ができ、裏側には最大一・五ミリメートルのL字型の亀裂ができたことが認められる。
これを本件被害タイヤの痕跡と比較すると、形状、大きさとも明らかに異なり、本件針金が本件第三の犯行に用いられた成傷器であることは明確に否定される。
のみならず、前示のとおり、本件針金ではそもそも「シュー」という音がしないのであるから、仮に自宅二階で「シュー」という空気の漏出音を聞いたとのT川供述を前提とすれば、この点でも本件針金が本件第三の犯行の成傷器であることは否定されるといわざるを得ない。
むしろ、同鑑定書によれば、貫通孔のこん跡が類似し、かつ「シュー」という音が聞こえるのはアイスピックであるというのである。しかし、前示のとおり、本件犯行現場や追跡経路付近で発見されたものは本件針金のみであり、アイスピックを含め、他の格別の器具は発見されていない。前示のとおり、T川は被告人の着衣を検査したが、その際も犯行用具らしき物は見付からなかった。
もっとも、犯人は逃走途中で捨てた、若しくは隠匿した可能性も考えなければならない。しかしながら、捜索すべき範囲は限定されているうえ、アイスピックは、本件針金よりももっと目に付きやすく、その捜索は困難なこととも思われない。加えて、被告人の逮捕後、警察官とT川は追跡経路を歩いて一通り犯行用具の捜索を行なっており、その結果見付かったのは本件針金のみであったのである。そうだとすれば、上記のように、犯人は逃走途中で捨てた、若しくは隠匿した、との推定をすることはいささか安易というべきであって、相当でない。
このように、本件針金が本件第三の犯行の成傷器であることが明確に否定され、他に犯行用具が見付からなかったとなれば、必然的に、むしろ、被告人は犯人ではなく、別の人物が別の器具を用いて本件第三の犯行を行ったのではないかとの疑いが出てくることを避け難い。
(六)T川供述の合理性に関する疑問点
ア 本件針金の成傷器性が否定されることに伴う問題
前示のとおり、本件針金は、T川の犯人追跡経路に沿った場所から発見されたものであり、目撃した男に何らかの道具を用いてパンクさせられたとの趣旨のT川供述を支える証拠の一つであるから、それが本件第三の犯行の成傷器であることが否定されると、翻ってT川の供述の信用性の評価にも慎重な考察が必要となってくることを否定できない。
イ 「シュー」という空気の漏出音を聞いたとの供述に関する疑問
「シュー」という空気の漏出音を聞いたとのT川供述は、客観的事実と明らかに矛盾する。すなわち、
(ア)前示のとおり、T川車両の前輪タイヤには四個、後輪タイヤには六個の貫通孔がそれぞれ一箇所に集中して存在し、それらの孔の特徴が、タイヤ表側のこん跡については明確な形状を確認することができず、裏側には長さ約七ミリメートルから九ミリメートルのき裂が存在する点であることにかんがみれば、これらの貫通孔は、同一機会に同一人物が刺入したことにより作出されたものと認められる。
そして、鑑定書によれば、タイヤにアイスピックを用いて貫通孔を一個開けた場合でも(前示のとおり、本件針金ではそもそも「シュー」という音がしない。成傷器として最も考えられるのはアイスピックであるというのであるから、以下専らこれについて考察する。)、器具を引き抜いてから約二分経過した時点でタイヤの空気圧がやや減るにすぎないことが認められることにかんがみれば、連続的に四個の貫通孔を開けた場合は、一個目の刺入時のみならず、それ以後の各刺入時に、それぞれ上記実験結果と同様の「シュー」という摩擦音がすると推測するのが相当である。
そうすると、本件前輪タイヤだけでも四回の「シュー」という摩擦音が発生していたと推測されるにもかかわらず、T川は、足音が聞こえてから男が立ち去るまでの間に一回しか「シュー」という音を聞いていないというのであるから、この点でまず、T川供述は客観的事実と矛盾している。
(イ)T川は足音が聞こえてから約一〇秒後に路上の男を見ており、男が座り込んでから立ち上がるまでの時間は約四・七八秒であり、その後男は立ち去った(甲八五)のであるから、T川供述を前提とすれば、犯人は前輪タイヤについては約一五秒間に四個の孔を開けたことになる。
しかし、Y根証言によれば、タイヤにアイスピックを一回突き刺してから抜くまでの間に一五、六秒の時間を要することが認められることにかんがみれば、約一五秒間に四個の穴を開けることはまず物理的に不可能であって、この点でもT川供述は客観的事実と矛盾する。
(ウ)T川は、公判廷(第二回)においては、澄んだ音色のかなり強い音を一、二秒程度聞いた(七七項)、「当然ですけれども、最初は空気圧が高いですから、最初はかなりというか、ある程度大きなシューッという音がしまして、そのあと空気圧が落ちてきますので、音がなくなってしまうという状態になると思います。」(一四項)などと供述し、「シューッという音のことを聞きますけれどもね、あなたが聞かれたのは、最初、かなりシューッという大きな音がして、それが徐々に小さくなっていく、その音ですか。」という主任弁護人の問いに対しては「そうです。」と答えている(一七五項)が、前示のとおり、アイスピックをタイヤに一回突き刺した場合、T川方二階窓際からは、〇・四秒から〇・七秒間の「シュー」という摩擦音がかすかに聞こえるにすぎないのである。このように非常に短時間のかすかな音の特徴を、上記公判供述のように理論的に説明していること自体不自然である。
そうすると、「シュー」という音が聞こえたとの供述は、先入観や暗示などに影響された観察であるとの疑いがあるといわざるを得ない。
(エ)以上のように、「シュー」という音が聞こえたとのT川供述は、真実そのような音が聞こえたとしても、その回数、穿孔された孔数、穿孔の所要時間等についての客観的状況と符合せず、また、音が聞こえた状況も不正確な点ないし誇張がある。
ウ 時間とタイヤの空気圧の変化の度合いに関する疑問
T川供述に基づいて被告人の目撃状況を計測した結果、被告人が前輪横で座り込んでから立ち上がるまでの時間は約四・七八秒、立ち上がってから立ち去るまでの時間が約三・三秒、その後二階窓付近からT川方門扉を出るまでの時間が二二・九六秒であったことが認められる(甲八五)から、被告人が前輪横でしゃがみ込んだ時点からT川が路上で車のタイヤの状況を確認した時点までの時間は三〇秒余り、長くとも一分以内であったものと認められる。
そして、T川は、路上でタイヤの状況を確認した結果、タイヤの空気圧が三割程度残っている状態になっていた旨供述している。
ところで、T川車の被害前輪タイヤに空気を注入した場合、空気注入後一分経過した段階で空気圧が約半分に減少し、2分経過した段階でほぼパンク状態に至り、四分経過した段階で完全なパンク状態になることが認められる(甲八)。
被告人がしゃがみ込んで孔を開けてから、長くとも一分以内にタイヤの空気圧が三割程度残っている状態になっていたというのは、目撃状況の時間的感覚に誤差があることをも考慮すれば,被害タイヤに空気を入れた場合の前記実験結果と矛盾しないようにも思われる。
しかしながら、この被害タイヤに空気を入れる実験は、前輪タイヤの四個の孔が既に開いた状態で行われているのであるから、一個ずつ順に四個の孔を開けていく場合(実際の犯行はそのように行われたというべきである。)に比べ、かなり短時間のうちに空気圧が減少するといわなければならない。 
そうすると、被害タイヤに一個ずつ順に孔が開けられた場合は、前記実験より空気圧の減少の速度は遅いといわざるを得ず、さらに孔を一個開けるにつき約一五秒かかることをも視野に入れれば、最初の孔を開けてから一分経過後にタイヤの空気圧が約半分に減少することはあり得ない。
したがって、タイヤに孔を開け始めてから長くとも一分以内にタイヤの空気圧の残りが約三〇パーセントになることも又、あり得ないことと考えられる。
エ まとめ
以上の検討によれば、被告人が本件第三の犯行を犯す場面を目撃したとのT川の供述は、その肝心な部分に誤認があるのではないかとの疑いが出てくるし、特に、上記ウの点からすれば、T川が被告人を目撃した時点より前に、被告人以外の者によって既に本件第三の犯行が行われていた可能性もあるというべきである。
(七)結論
被告人は、○○駅までボートの出走表を取りに行くために歩いていた旨供述しているにもかかわらず(第五回ないし第七回公判)、前示のとおり、被告人方前道路をG藤M巳方で左折して、いったん○○駅のある南方向に歩いた後、M野S男方で左折するなどして、再び○○大学○○住宅の南側の被告人方前に通じる道路に戻っている。このように、被告人の行動には矛盾、不可解な面がある。
また、被告人は、違法駐車車両をノートに記録したり、警察に頻繁に通報するなど、違法駐車が行われていた状況に強い憤りを感じていたことが認められる(被告人供述)。
しかしながら、前記(五)、(六)で検討したように、本件針金やT川の目撃供述には無視できない疑問があり、その証明力には限界があって、被告人以外の者によって本件第三の犯行が行われた疑いが生じ、かつこれは合理的なものといわざるを得ず、結局、被告人がその犯人であるとの確信を得るには至らないのである。
したがって、「疑わしきは被告人の利益に」の原則に従い、第三公訴事実については、犯罪の証明がないものとして、刑事訴訟法三三六条により、被告人に対し、無罪の言渡しをする。
4 第一、第二公訴事実の検討、判断
(一)はじめに
第一、第二の公訴事実を立証する証拠のなかで最も重要と目されるものは、「駐車違反書」と題するノート(平成一一年押第一一八号の四。以下「本件ノート」という。)である。
本件ノートには、年月日、車両番号や車種、「P」「L」「R」「2」「前」「後」等(以下『P』等」ということがある。)の記号や文字等が記載されているところ、検察官は、「P」は違法駐車車両をパンクさせたこと、「前」は前輪、「後」は後輪、「R」は右側車輪、「L」は左側車輪としてそれぞれパンクの部位を、「2」などの数字はパンクさせた車輪の個数を示しており、これらの記号が記載された項目は、被告人が当該年月日に当該違法駐車車両をパンクさせた事実を記録したメモであると主張する。
仮に、検察官主張のとおりであるとすれば、本件ノートは被告人が本件第一、第二の犯行を犯した犯人であることを推認させる有力な証拠になることは明らかである。
そこで、以下、本件ノートの押収経過、その記載の意義、証明力等について考察し、被告人の犯人性判断の基礎となる事情を明らかにしたい。
(二)本件ノート押収の経過
任意提出書の謄本(甲一五)、領置調書の謄本(甲一六)及び被告人の警察官調書(乙二)によれば、被告人は、八月二三日に現行犯人として逮捕された後、その勾留中の同月二八日に、警察官に対し、被告人が平成元年ころから違法駐車車両について記録したノートを作成している旨供述し、同月三〇日に、被告人の妻がそのノートを任意提出し、領置されたことが認められる。
(三)本件ノートの記載の意義
ア 本件ノートの「P」等の記載と被害届の状況との対応関係
本件ノートの「P」等の記載の意味を知る手掛かりを得るために、本件ノートの「P」等の記載と、第九回公判調書中の証人S本T士の供述部分、第一〇回公判調書中の証人S尾T司の供述部分、第一三回公判調書中の証人S藤H夫及び同H熊M美の各供述部分、第一二回及び第一四回公判調書中の証人K宮I朗の供述部分、器物損壊被害申立書一〇通(甲九六ないし甲一〇五)、裏付捜査報告書のうち金銭出納帳の写し部分(甲六二)、「捜査関係事項照会書の回答について」と題する書面(申込書写し等添付。甲九四)、ファックス受信に関する報告書抄本(甲九五)並びにオレンジページ一九九六クッキング家計簿謄本(甲一一〇)によって認められる被害届の状況との対応関係を調べてみると、その結果は次のとおりであることが認められる。
〔1〕本件ノートの記載のうち平成八年以後の「P」と記載のある一九件のうち、車両登録のなかった平成八年二月八日欄及び事情聴取できなかった平成九年一月一七日欄の二件を除き、一七件につきすべてパンク被害の申し立てがあった。
〔2〕他方、平成一一年度の「P」と記載のない一〇件のうち、車両登録がなかったものや関係者から事情聴取できなかったものの三件を除けば、残りの七件については、すべてパンクの被害に遭ったとの被害申告がされなかった。
〔3〕さらに、検察官主張のように、「前」は前輪、「後」は後輪、「R」は右側車輪、「L」は左側車輪としてそれぞれパンクの部位を、「2」などの数字はパンクさせた車輪の個数を示すと仮定した場合、
〔a〕本件ノートの記載とパンク被害時期並びにパンクの部位及び本数がすべて一致するものは、「平成八年一〇月二六日欄の北九州た××××」(甲一〇一、一一〇、H熊供述)、「同年一〇月二日欄の北九州五九ち××××」(甲九四、一〇〇、S藤供述)、「平成一〇年三月一四日欄の北九州四四り××××」(甲六二、一〇四、K尾E司供述)、「平成一一年二月二日欄の福井五八ち××××」(甲一〇五、S本T士供述)の四件である。
〔b〕パンクの部位及び本数の一致するものは「平成八年一月四日欄の北九州四〇ね××××」(甲九六)の一件である。
〔c〕パンクの本数のみ一致するものは「同年四月一五日欄の北九州五九ち××××(甲九九)の一件である。
〔d〕少なくともパンクの被害に遭ったことがあるという限度で一致しているものは、「平成八年三月二九日欄の北九州五八る×××(甲九七)」、「同年四月八日欄の北九州五八や××××(甲九八)」、「平成九年六月二二日欄の北九州四〇る××××(甲一〇二)」、「平成一一年七月一二日欄の北九州五〇は××××(甲一〇三)」、「平成八年七月二日欄の北九州三三に××××」、「同年七月三一日欄の福岡五三ゆ××××」、「同年九月一三日欄の北九州五八ほ××××」、「同年一〇月一五日欄の北九州五八つ××××」、「平成一〇年二月二四日欄の高知四五そ××××」「同月二七日欄の北九州ぬ××××」の一〇件である。
また、本件ノートの「平成九年四月二九日欄の練馬三三り××××」については、「L二R前」と記載があるのみで「P」との記載がないが、K宮供述によれば、少なくとも同車つきパンクの被害に遭ったことがあるという限度ではメモの内容と矛盾していないことが認められる。
イ その他の特徴的記載
その他、本件ノートの記載から読み取ることができる特徴的記載としては、次のようなものがある。
〔1〕平成六年一〇月八日欄に「P」という記号の記載があり、それ以後の日付欄に「P」の記号が見られるようになっている。
〔2〕本件ノートには、日付や車両番号のほか、違法駐車されていることを警察官に通報したことを記録するものと思われる「交番TEL」等の文字が記載されている。このような警察官に通報した旨の記載がされている項目については、「P」「L」「R」「2」「前」「後」等の記号や文字等が記載されていないものがほとんどであるが、「P」の文字が記載されているのも若干ある。
〔3〕「P」の記号が記載されている項目に、同時に「L」「R」「2」「前」「後」等の記号や文字等が記載されているものが二六件と多数存在する(「P」のみの記載がある項目は、平成六年一〇月八日欄、平成八年七月三一日欄の二件である。
〔4〕逆に、「L」「R」「2」「前」「後」等が記載されているが「P」の記載のないものは、平成七年三月一八日欄、同年四月一〇日、平成八年一月五日欄、平成九年四月二九日欄の四件である。
〔5〕平成六年一〇月三一日欄に、赤のボールペンで「やるぞ」という記載がある。
ウ 被告人の弁解
(ア)被告人の警察官調書四通(乙五、九ないし一一)および検察官調書二通(乙六、一二)によれば、被告人は、ノートに記載された「P」その他の記号について、捜査段階において、次のとおり弁解していることが認められる。
〔1〕「P」は「parking(パーキング、駐車)」の頭文字であるが、そのうち、特に被告人方前や同人方に半分くらいかかって駐車していることを示し、「自前」も同じ意味である。
〔2〕「L」や「前」「後」は、いずれも、進行方向とは逆向きに止めている車を示したもの、「R」は「road(ロード、道路)」の頭文字であるが、進行方向に従っているものの道路の端に止めず、道路の中央付近に止めていることを示す。
〔3〕「2」等の数字は自動車の台数、電話の回数、あるいは進行方向とは逆向きに止めている車のことを意味する。ただし、これらの記号については意味が不明のものもある。
(イ)被告人は、公判廷においては、次のとおり弁解している。
〔1〕「P」は「parking(パーキング、駐車)」の頭文字であるが、「Pというのは、私側と家と両サイドの前に止まっとる車の意味」である。
〔2〕「L」は、進行方向とは逆向きに止まっている(逆駐車)で、車体左部分が中央線に寄っている車を、「前」「後」は車体の前後を意味し、「L前」「左前」は逆駐車で車体の左前部が中央線に寄っていること、「L前後」というのは逆駐車で車体の左の前部も後部も中央線に寄っていること、「R」は逆駐車で車体の右側が道路の側溝から離れていることを示している。
〔3〕「L前R後」という記載の「L前」と「R後」は同じ意味で、逆駐車で車体の左前部が中央線に寄っていることを示している。
〔4〕「L」などの記号は必ずしも逆駐車の場合に限らない。
〔5〕「L2」などの「2」は、自動車の台数、電話の回数、あるいは前輪を「1」、後輪を「2」と記号化したものとして、その時の思いつきでいろいろな意味で記載している。(以上第五回ないし第七回)
(ウ)被告人の弁解の検討
被告人の公判廷における供述についてみれば、「L前R後」のように、同じ意味を示す記号が複数あり、しかもそれらが一箇所に重複して記載されている反面、「2」が自動車の台数や電話の回数あるいはその他の意味を示すというように、一つの記号が多義的に用いられる場合があり、その供述内容は不合理であるといわざるを得ない。また、被告人は、公判廷において、自動車が中央線に寄っているかなどの自動車の停車状況を記録した意義について、「この車はこう止まったなということを、私が自分なりに判断するために書いた」と供述しているが(第六回)、日付、車両番号の特定や通報のために使った電話代の記録などのように、合理的で了解可能な意義を見いだすことが困難であり、その説明は不自然である。
そして、被告人は、上記のとおり、「前」「後」の記号につき、捜査段階においては「L」と同じ意味で進行方向とは逆向きに止めている車を示すと説明していたにもかかわらず、公判段階において初めて、中央線に寄って駐車されているかどうかという停車位置を示すものであると説明するに至っており、「R」についても、捜査段階においては、進行方向には従っているが道路の中央付近に止めている車を示すと説明していたにもかかわらず、公判段階においては、進行方向とは逆向きに止めていて、車体の右側が道路の側溝から離れていることを示すと説明するなど、記号の意味についての供述内容が著しく変遷している。
そもそも、ノートは被告人自身が記載したものであるから、記号の意味については、被告人が容易に説明し得るものであるにもかかわらず、供述が変遷しているばかりか、その変遷の理由についても何ら合理的な説明はなされていない。
そうすると、被告人がノートの記載内容について説明している内容は不自然、不合理であり、供述の変遷にも合理的な理由が認められず、むしろ虚偽の疑いが濃いものであるから、これを信用することは到底できない。
エ このようにみる限り、本件ノートの記載と被害届の状況との対応度は高いといわなければならない。本件ノートの「P」等の記載はタイヤのパンク状況を記録したもので、犯行メモであるとの検察官の主張も理由のないことではない。もっとも、「P」等の記載はタイヤのパンク状況を記録したものかどうかと、それが犯行メモといえるかどうかは別個であり、両者は区別して考える必要がある。
(四)本件ノートの証明力の限界
ア 前掲各被害届は、本件ノートの記載に基づき、捜査官が各自動車の所有者又は使用者に被害事実の有無を確認したところ、作成されたものであり、また、被害届の出されていないものについても、捜査官がノートの記載に基づいて各自動車の所有者又は使用者に被害事実の有無を電話で確認したものである(K宮供述)。
前示のように、少なくとも被害時期、パンクの部位及び本数が一致している四件については相当詳細に被害内容が明らかになっている。また、パンク被害の内容の詳細については年月の経過とともに記憶が薄れていると思われるものの、自動車のタイヤのパンク被害に遭ったということ自体は、それほど頻繁に起こることではないから、記憶に残りやすい出来事であるともいえる。そして、捜査官の誘導に基づいて虚偽ないし誇大な被害申告をしたと疑われる事情が具体的に認められるわけではない。
しかしながら、やはり、被害届作成に至る上記のような事情は無視し得ず、被害届の作成、提出が先行し、捜査の結果、犯人が逮捕され、その者が所持するメモに被害届と一致する記載があったというような事案とは同視できないうえ、相当過去の平成八年当時などの被害事実を確認した関係上、被害場所、被害時期、パンクの部位及びパンクされたタイヤの本数等の被害内容の詳細については、各被害者が覚えていないものや、覚えていたとしてもそれを裏付ける根拠のないものが多く、「L」「R」「前」「後」「2」などの記号や数字の意味と被害状況が一致しているかどうかについては、検討することができないものも少なくない。
イ さらに、本件ノートの記載自体からは、被告人がタイヤをパンクさせる行為を行ったかどうかは、一義的に明らかでないことに注意を払うべきである。すなわち、前示のよに、本件ノートには「P」等の記号や数字が断片的に記載されているにすぎないから、その意味を解釈で補う必要があるところ、事柄の性質上、その作業は困難であり、限界がある。また、前示のとおり、平成六年一〇月三一日欄には、赤のボールペンで「やるぞ」との記載があるが、何を「やる」のかについては記載されておらず、またノートの他の項目と照らしても、何を「やる」のかは明らかでなく、この言葉の意味を駐車車両をパンクさせるとの犯行決意を表明したものと解するのは困難である。
また、前示のとおり、本件ノートには、警察に通報した旨の記載と「P」の文字が併記されている箇所が若干あるが、警察に違法駐車を通報しておきながらパンクさせるというのは、警察が取り締まってくれなかったなどの事情があればともかく、通常の場合は理解し難い行動であるから、この点は、検察官主張のように、「P」を駐車車両をパンクさせたとの意味に解することに少なくとも疑問を投げかける事情となる。
ウ したがって、検察官主張のように、本件ノートの記載と被害届の状況の対応関係等から、直ちに「P」などの記載が被告人の犯行メモであるとまで断定することはできず、被告人が駐車車両のタイヤの客観的なパンク状況を認識し、これを記録したものである可能性が相当高いといえるにとどまると解するのが相当である。
以下、そのような前提に立って、更に検討を進めることとする。
(五)被告人の犯人性の検討
ア 本件ノートの記載は、被告人が駐車車両のタイヤのパンク状況を客観的に記録したものである可能性が相当高いとすれば、その記載が多数回にわたるなどの記載状況に照らすと、被告人がメモに記載されているとおりの犯行を行ったことを推認させる有力な情況証拠であることは間違いない。
そして、これを用いて、さらには被害届の存在やその記載及び被害者の証言等を併せ総合して、被告人がノートに記載のとおりの犯行を犯したと推認することができるかどうかを検討しなければならない。
イ しかしながら、これについては、次のような問題点があることを考慮に入れなければならない。
すなわち、第一、第二公訴事実を含め、本件ノートに記載されている被害事実については、いずれも時間の経過等により証拠が散逸し、十分な証拠が収集されていない。被害品であるタイヤが全く押収されておらず、写真もない。犯行用具、遺留品、指紋など、犯人の手掛かりとなり得る客観的な証拠も存在しない。いずれについても、犯行の目撃者はいない。
その結果、タイヤに開けられた孔の個数や状況、各被害事実の類似性等、具体的な被害状況を明らかにすることができず、犯行手段や態様の詳細も不明である。被害日時が明確でないものもある。そればかりか、被害発生の事実そのものもすべてが確定的とはいえない。
通常の刑事事件の審理は、検察官によって、公訴事実に対応する被害の存在、被害状況はもちろん、犯行手段や態様も具体的に主張され、これに関する客観的な証拠や情況証拠が提出され、これに対し、被告人は防御を尽くし、犯行日時・場所が明確にされている場合はこれに対抗してアリバイを主張するなどし、これらの攻防の結果、真相が明らかにされ、裁判官の確固とした心証も形成されていくものである。
そして、このような審理の過程で、犯行手段や態様に関する証拠について重大な疑問が生じ、有罪の心証を採り得なくなることも十分あり得るのである。本件の第三の公訴事実はまさにその例である。
したがって,被害の存在、被害状況、犯行手段や態様等に関する立証を推定で補うことは、慎重でなければならず、これは特定の証拠の記載の解釈をする場合でも同じである。
ウ 加えて、本件においては、上記のような客観的証拠の不足を補うべき情況証拠も乏しく、むしろ、次のように、消極的な情況証拠が存在する。 
(ア)被告人による本件ノートの任意提出
前示のとおり、被告人は、八月二三日に現行犯人として逮捕された後、その勾留中の同月二八日には、警察官に対し、被告人が平成元年ころから違法駐車車両について記録したノートを作成している旨供述しており、同月三〇日に、被告人の妻がそのノートを任意提出し、領置されたが、ノートが任意に提出されるまでに、警察官が被告人に対して無理やり本件ノートの提出を求めたという状況も認められない(第五回及び第七回公判における被告人の供述、第一四回公判におけるK宮供述)。被告人が妻を通じて本件ノートを任意提出するに当たって、故意に記載内容を改変したような形跡は認め難い。のみならず、被告人は、逮捕以前にも本件ノートを警察官に見せていたとも供述している(第五回公判)。
被告人が一連の器物損壊事件の真犯人だとすれば、犯罪の有力な物的証拠となるノートの存在を取調官に自発的に教えたり、そのノートを妻を通じて任意に提出するなどというのは、いささか理解し難い行動である。
(イ)その他の消極的情況証拠
その他、本件で被害届を出したパンク被害の当事者らと被告人が駐車をめぐって揉めていたとか、被告人から何度も注意されていたなどの、犯行動機の形成に関わる事情がうかがわれない点も無視できない。さらには、被告人は、駐車違反を頻繁に警察に通報していたことにみられるように、駐車違反を警察の力で取り締ってもらうとの常識的態度をもって、実際にこれを実践していた点も、考慮に入れざるを得ない。
エ 以上の諸事情を総合的に考慮して判断すれば、本件ノートの記載と被害届の存在やその記載及び被害者の証言等をもってしても、被告人以外の者による犯行の可能性など、反対事実の合理的な可能性を排除するには足りず、被告人を犯人と断定するのは相当でない。
(六)結論
以上の検討によれば、被告人がかねて自宅付近の駐車違反に対し、強い憤りを感じていたこと、本件ノートの記載に関する被告人の弁解が不合理なものであり、虚偽の疑いが濃いなどの事情があるとしても、本件ノートの証明力には自ら限界があるというべきであり、被告人を犯人と断定するには、なお合理的な疑いがあるといわなければらない。
したがって、「疑わしきは被告人の利益に」の原則に従い、第一、第二公訴事実についても、犯罪の証明がないものとして、刑事訴訟法三三六条により、被告人に対し、無罪の言渡しをする。
(求刑懲役一年)

平成一三年一一月七日
福岡地方裁判所小倉支部第一刑事部
裁判長裁判官 若宮利信 裁判官 川野雅樹 裁判官 山田真依子

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