その他福岡9(盗品等関与)

その他福岡9(盗品等関与)

福岡高等裁判所/平成一二年(う)第四五六号

主文
本件控訴を棄却する。
当審における訴訟費用は、被告人の負担とする。

理由
 
本件控訴の趣意は、主任弁護人加藤達夫、弁護人上田國廣、同入屋秀夫が連名で提出した控訴趣意書及び同補充書に記載されているとおりであり、これに対する答弁は、検察官清水徹が提出した答弁書に記載されているとおりであるから、これらを引用する。
 
そこで、原審の記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討する。
第1 事実誤認をいう論旨について
 
論旨は、要するに、被告人は、甲野太郎(以下「甲野」という。)から盗品である美術品を受け取ったことはあるが、当時、これが盗品であることは知らず、甲野に対する貸付金の担保として預かったにすぎないから、被告人は無罪であるのに、その知情性を認めて、被告人を盗品の有償譲り受けにつき有罪とした原判決は、信用すべきでない甲野の供述を信用するなど、証拠の評価を誤ってなされたもので、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、というのである。
 
しかしながら、原判決の掲げる関係各証拠によれば、原判決の犯罪事実を優に認定することができ、当審における事実取調べの結果を検討しても、その結論は左右されない(以下において、「本件」とは、本件贓物故買被告事件を、「本件窃盗事件」とは、その本犯らが犯した窃盗事件、すなわち、「光徳寺事件」を、「関連窃盗事件」とは、被告人方などから発見された被告人の保管する盗品に関する各窃盗事件をそれぞれ指す。)。
1 本件窃盗事件及び関連窃盗事件の概要
 
原判示挙示の証拠を含む関係証拠を総合すれば、以下の事実が認められる。
(1)被告人の経歴、甲野との関係
 
被告人は、昭和五三年、ビデオ磁気ヘッドのキャプスタンという部品を開発して特許を取り、その当時毎月一〇〇〇万円程度の売り上げを記録し、その後も金型製作等の仕事を続けるとともに、アパートを建設所有して管理するなどの業務に従事し、「××」という商号で、これらの事業を営んでいるものである。
 
窃盗本犯者の甲野太郎は、以前、記念品、贈答品などの販売業を営んでいたが、昭和六一年に倒産し、その後は古物市の有資格者の名前を借りて古物などの販売に従事するようになったものであるが、被告人は、甲野が被告人の亡父の経営していた土産物店に商品を納入していた関係で、甲野と面識があり、被告人の事務所にも立ち寄っていた。被告人は、甲野が倒産した後、同人に二〇万、三〇万円という単位で金を貸していたが、昭和六一年ころ以降、貸付金の担保か、売買かの点はともかく、「××」事務所で、甲野から掛軸、絵画などの美術品や骨董品を受領するようになった。甲野は、当初は合法的な取引で仕入れた古物や美術品を被告人のもとに持って来たが、昭和六三年ころからは、盗品をも持ち込むようになり、被告人に美術年鑑を交付していた。
(2)別件窃盗事件(「すや別荘事件」)被疑者らの逮捕
 
乙川次郎(以下「乙川」という。)は、平成七年一一月三〇日、「すや別荘事件」(平成三年一一月一八日、岐阜県中津川市内の「すや別荘」から、武人像などが盗まれた事件)の容疑で、福岡県久留米警察署に逮捕され、同人の自供から、同事件の共犯として、甲野、丙山一郎(以下「丙山」という。)が、盗品の処分先として被告人の存在が明らかになった。そして、同事件の容疑で、甲野、丙山に対する逮捕状が発付され、両名は平成八年四月一〇日逮捕された。甲野は、岐阜県で逮捕された後、同日久留米警察署まで押送される途中、警察官が被告人の存在を把握していることを知り、さらに、同月一〇日から一一日にかけて被告人方などから盗品が多数押収されたことなどから、盗品を被告人に売却していたことを詳細に供述するに至った。
(3)被告人方の捜索及び盗品の発見、押収
 
平成八年四月一〇日、「すや別荘事件」及び「萬重事件」(平成二年一一月一五日から一六日にかけて、京都市の料亭「萬重」から、平山郁夫作の日本画「砂漠を行く」など一〇点が盗まれた事件)につき、被告人方などの捜索差押許可状が発付され、岐阜県各務原警察署及び久留米警察署の捜査員が、同日から一一日にかけて、被告人方、「××」事務所などを捜索した結果、「すや別荘事件」などの被害品は発見されなかったが、被告人方から、本件光徳寺事件の盗品である美術品などが発見され、任意提出のうえ、領置された。また、被告人は、同月一一日、捜査員を被告人が借りていた愛知県江南市内のマンション「○○江南一〇二号室」(以下「本件マンション」という。)に案内し、同所に保管していた関連窃盗事件の盗品である美術品などを任意提出し、領置された。これらの美術品などはすべて各務原警察署で一括保管された。
(4)関連窃盗事件と被告人方、本件マンションから発見された盗品
 
被告人方及び本件マンションから発見された盗難被害品は、以下のとおりである。
ア「中山医院事件」
 
昭和六三年七月ころ、愛知県一宮市所在の中山医院から、福田平八郎作の掛軸「雪椿」などが盗まれたが、本件マンションから、その被害品のうち福田平八郎作の掛軸「雪椿」と松園題「美人納涼」の図の掛軸合計二本(時価合計二三五万円)が発見、押収された。
イ「冨所事件」
 
平成二年五月四日から五日にかけて、新潟県南魚沼郡塩沢町所在の冨所勇方から、速水御舟筆の掛軸(茶掛)「野花」、東山魁夷作「月出づ」など四七点が盗まれたが、本件マンションから、その被害品のうちの速水御舟筆の掛軸二本、東山魁夷作「月出づ」、川合玉堂筆の掛軸「林間焚葉図」の合計四点(時価合計約一一六〇万円)及び「冨所事件」の重要品触書(原庁平成八年押第47号の1、以下「本件触書」という。)が発見、押収された。本件触書は、被害者の冨所が、犯人が早く逮捕されるように、平成二年五月一一日付けで、被害品のうち特徴のある品一二点(速見御舟筆の掛軸(茶掛)「野花」を含む。)を選んでちらし文書を作成し、警察(新潟県六日町警察署)を通じて配布してもらったものの一枚であるが、一二点の品物の写真及び特徴とともに、「平成二年五月四日から翌五月五日の間発生の窃盗事件の被害品です。発見の際は、警察官にお知らせください。」との文言が記載されている。これが速水御舟筆の掛軸(茶掛)「野花」が納められていた桐箱の中に「野花」とともに入った状態で発見された。
 
なお、本件触書のみの平成八年四月一一日付け任意提出書(作成者被告人)及び領置調書(作成者川副英昭)が作成されている。
ウ「薬照寺事件」
 
平成二年八月一〇日から一一日にかけて、新潟県南魚沼郡塩沢町所在の薬照寺から上村松園作の水彩画「繍を刺す」(中国人女性を描いた美人画、偽作とされている。)など六点が盗まれたが、本件マンションから、その被害品のうちの上記「繍を刺す」など三点及び同事件を報じる「新潟日報」の平成二年八月一三日付け新聞紙片一枚(以下「本件新聞紙片」という。)が発見、押収された。本件新聞紙片は、額に入れられず筒状に丸められた状態の中国人美人画の中に入っていた。
エ「萬重事件」
 
平成二年一一月一五日から一六日にかけて、京都市の料亭「萬重」から平山郁夫作の日本画「砂漠を行く」など一〇点が盗まれたが、本件マンションからその被害品の一部の平山郁夫作の絵画上記「砂漠を行く」など四点(被害者の申告による時価の合計九〇五〇万円)が発見、押収された。
(5)本件窃盗事件(光徳寺事件)
ア 丙山、乙川及び甲野は、平成四年四月二三日夜明け前の深夜のうちに、富山県西砺波郡福光町所在の光徳寺から棟方志功作の倭画「赤御不動尊図」、その他版画など合計四五点(時価合計約一億七〇〇〇万円相当)を盗み出した。
 
丙山と乙川は、その一週間位前、棟方志功の絵などを展示していた「愛染苑」という展示館に窃盗の下見に行ったが、同所は防犯設備があり、盗みができないとしてあきらめたものの、前記光徳寺に棟方志功の作品などが展示されていることを知って同寺を訪れたところ、ここは防犯設備が十分でなく、棟方志功の版画、掛軸などの作品二〇点や他の作家の陶器などが無造作に展示されていたので、これなら盗み出せるものと判断した。光徳寺は、棟方志功が戦時中疎開した場所であって、本件版画は、当時世話になった礼として、棟方がその寺にちなんだ作品として制作し、贈られたもので、作品には光徳寺のために作ったと読める文や為書きが散見されるものである。丙山と乙川は、甲野を見張りとして、本件窃盗事件を実行し、陶器数点を自分が取得し、残り全部につき甲野に処分を任せた。

イ 被告人は、窃盗の当日の日中に、甲野から本件窃盗事件の被害品のうち、光徳寺の為書きがあった掛軸二、三点を除き、棟方志功作の倭画「赤御不動尊図」など三五点(茶器セットの全構成品を数えれば四〇点、時価合計約一億三六九五万二〇〇〇円相当)の交付を受けた。その後、被告人は、甲野に金銭を交付している(なお、金額については、被告人は二〇〇万円、甲野は五〇〇万円と供述していて食い違いが見られる)が、契約書、借用書などの書面は作成せず、被告人の帳簿等にも記載されていない。
ウ 棟方志功作の倭画「赤御不動尊図」などの被害品は、被告人方から発見、押収された。そのうちの被害品版画七枚は、光徳寺に展示されていた額から外され、被害品版画の一つの額装裏面に隠されようにまとめられて発見された。
エ「光徳寺事件」は、当日である平成四年四月二三日付け讀賣新聞夕刊など新聞の全国紙面で報道されていた。
2 被告人の供述の検討
 
被告人の供述内容は、捜査、公判を通じ、甲野から貸付金の担保として預かっていたにすぎず、甲野から受領した美術品が盗品であることは知らなかったと、一貫して供述している。これに対し、甲野、丙山ら本犯は、本件盗品を被告人に売却したものであって、担保に供して金を借りたものではない、本件についても、盗品であることは相手に告げており、これまでの美術品の数々も同様であって、本当に盗まれたものかどうかについては、新聞報道が全国的にされているものは被告人が自ら確認できるし、それのないものはこれを示す品触書や地方紙の記事を示すなどして確認させるなど、出所を明らかにして売却しており、本件についても光徳寺の展示品のパンフレットを示して売却している旨供述している。これらの点につき甲野らの供述に信用性が認められ、被告人の供述について信用性が認められないことについてはおおむね原判決の説示するとおりであるが、ここでは、まず、被告人の弁解を中心に検討する。
(1)甲野から貸付金の担保として預かったとの弁解について
ア 本件窃盗事件について、被告人は、おおむね次のとおり供述している。
 
被告人は、甲野が、平成四年四月二三日、「××」事務所に大きな黒いビニール製カバン、額縁三枚くらいを持ち込み、「価値のあるもんやで、五〇〇万円くらいこれで出してもらえんだろうか。」と言った。被告人は、当初、この申出を断っていたが、甲野は「実は脅されている。どうしても今日中に金を入れんと、俺がどうなるかわからん。」などと言っていた。来客があったので、その日は甲野に帰ってもらったが、甲野は品物を置いていった。この品物はしばらく事務所に置いていたが、来客が「置いてあるものは何だ。」と聞くため、嫌気がさして、自宅に移し、和室二部屋の押入にそのままの状態で保管した。その後連日のように甲野から「何とか五〇〇万円つくってくれ。」との電話連絡があった。甲野とは先代からの付き合いがあり、また、当時、私は会社倒産の危機に瀕しており、会社経営のことに専念したいという気持ちから、二〇〇万円程度であれば融通がつけられたため、結局、品物を担保に甲野に二〇〇万円を貸すことにした。甲野は「二〇〇万円でもいいから貸してくれ。」と承諾した。同月二八日事務所で甲野に金を渡したが契約書は作成しておらず、帳簿などにも載せていない。甲野は一銭も返済しなかった。以上のように供述している。
イ しかし、前記認定のとおり、甲野は、昭和六一年ころ、倒産しているのであって、その後、古物などの販売に従事していたとしても、その資産状況などから経済的な信用が回復していたとはいい難く、ひとまず被告人の述べるところを前提として検討しても、既に甲野には五〇〇〇万円の借用書を作成させており、××の元帳において甲野商会等に対する貸付金の累計が約九〇〇〇万円(元帳の記載によれば九二一〇万円)にも及んでいるというのに、その返済が全くなされておらず、その返済の見込み及びその計画も全くないということになるのであって、貸付金の形式を採っているからといって、返済が期待できるものではないから、実質は売買にほかならないことになる。もしも、被告人が甲野に貸し付けるのであれば、甲野に契約書(借用書)を作成させて、貸付金の返済の期限や利息などを明らかにしていたはずであるのにこれをしていないこと(なお、他の機会に受け取った美術品についても同様であることは、被告人も認めている。)、甲野から交付を受けた棟方志功作の倭画「赤御不動尊図」などを担保として受領したのであれば、その担保物件目録を作成しなければならないのにこれを作成していないこと(なお、他の場合も同様であることは被告人も認めている。貸付金と担保との関係を明確にしておかなければ、貸付金返済の際の担保の返還などで後に混乱を生ずることになることは明らかである。)、被告人において××の元帳などの帳簿にこれを貸付金として載せていないことなどを総合すると、被告人が甲野に二〇〇万円の貸付をし、その担保として棟方志功作の倭画「赤御不動尊図」などを預かったという前記弁解は、到底信用することができない。
 
なお、所論は、借用書や元帳の記載をもって、被告人が甲野に美術品を担保に貸付けを続けていた証拠であるというが、借用書の作成日、金額の不一致、利息、返済日等を定めていないことなどに照らし、これをもって、被告人と甲野との取引関係を明確にする証拠であるとはいえない。
 
してみると、甲野が被告人に本件盗品を売り渡した旨の甲野の供述部分は、被告人の上記供述と対比して信用性があり、原判示のとおり被告人が甲野からこれを買い受けたものと認められる。
(2)被告人の盗品の知情性について
ア 関係各証拠によると、中山医院の事件を除き、甲野に交付した金額が美術品の価格に照らして極めて低いこと、また、被告人が甲野から交付を受けた美術品中には、「冨所事件」の速水御舟の掛軸「野花」、東山魁夷の「月出づ」、「薬照寺事件」の上村松園の水彩画、「萬重事件」の平山郁夫の「砂漠を行く」、本件の棟方志功の倭画「赤御不動尊図」など高名な画家による作品が多く含まれているところ、甲野は古物市の有資格者の名前を借りて古物などの販売に従事しているにすぎず、甲野のような画商でもない人物が高名な画家による作品を次々と持参したことが認められることからすれば、被告人は、通常、これらの物が盗品ではないか、何か事情があるのではないかと怪しむのが当然と考えられる。
まして、被告人のもとに持ち込まれた盗品は、風呂敷や新聞紙に包まれたものなど、正規に取り引きされている高額の美術品にはそぐわない体裁の物が多数存在していたというのであるからなおさらである。
イ 被告人自身も、甲野が本件被害品を持ち込んだ際、これらの美術品が盗品でないかと疑いを抱き、甲野に盗品ではないかと確かめたことがあることを供述している。すなわち、被告人は、甲野の持ち込む品物が多くなり、回数も増えたことから、もしかすると、甲野の持ってくる物は盗難品ではないかと疑問を抱くようになったので、何回となく甲野に、「お前泥棒はやっていないだろうな。世間に対して恥ずかしいことはやっていないだろうな。真面目にやっているだろうな。」などと聞いたところ、甲野は「俺は真面目にやっている。自分は仲介だけで、一割の手数料をもらっている。持ってきた物は市で仕入れたり、知り合いに頼まれたりした物で、盗品ではない。」(この弁解が事実であれば、貸付という被告人の弁解とも相容れないことになる。)と真剣に話すので、これを信用した旨を供述している。しかし、なぜ甲野の右説明だけで疑いを晴らし、それ以上の追及もせず信用したのか、了解し難いといわざるを得ない。また、一旦疑いを持ちながら簡単にこれを解消しているばかりか、その後同様の事態が続いているのに同様に疑いを解消しあるいは疑いを抱くことがなかったということは、不自然である。しかも、被告人がそのような問い掛けをしたということは、明らかに甲野の供述に反するものであって、にわかにこれを信用するわけにはいかない。
 
しかしながら、被告人がこのような供述をしていることからすると、被告人が、少なくとも、甲野の持ち込む美術品が盗品ではないかという疑いを強く持っていたことを自認するものということになり、その疑問が生じていながら解消しないで取引を続けていたことになるのであって、その意味において、被告人のこの弁解は盗品性の知情を裏付けるものと見ることができるものである。
ウ のみならず、甲野は、昭和六一年に倒産して以来、多額の負債を抱え、およそ高価な美術品を取り扱うことは考えにくい状況にあり、しかも、甲野が対価として被告人に提示した金額は、それら美術品が有するはずの高価な価値に比べ、はるかに低額であったことが証拠上明らかであるから、被告人としては、担保として預かるにせよ、これを買い取るにせよ、本来の価値に比べて極めて安価で取得することになることは理解していたということができる。特に、有名な美術品窃盗事件は、新聞紙面等で大々的に報道され、主な盗品の内容や、被害金額や時価なども記載されていることが少なくないから、現に美術品を継続的に受け取っている被告人としては、これらの記事が自ずと目に入っているはずである。そしてその後相当期間内に同種のものが持ち込まれるのであるから、先の疑問が再び頭を持ち上げるのは当然であるといえる。「萬重」の事件は特に大きく報道され、その中に平山郁夫画伯の「砂漠を行く」などが被害に遭っていることやその価値なども記載されているのに、その後程なくしてこれが持ち込まれているのであり、仮に被告人が知らなかったとすれば、それは極めて不自然といわざるを得ない。逆に、持ち込む甲野の側でも被告人が新聞記事を見ていればすぐ盗品と分かるようなものを持ち込むことになるから、被告人に気付かれるおそれが十分にあり、甲野は、被告人が盗品を購入してくれることが分かっていなければ、これを持ち込むことにより極めて大きな危険を冒すことになる。その点からしても、甲野において被告人が盗品であることが分かるものでも買い取ってくれるという十分な見通しをつけていなければならないことになり、そのことは反面で、被告人においても甲野が盗品を持ち込むことについて認識があったことを推認させる事情となる。
エ しかも、もしも、甲野が、被告人から、「お前泥棒はやっていないだろうな。」などと聞かれ、これを否定していたという事実があるというのであれば、重要品触書や新潟日報のような窃盗事件の盗品であることがわかってしまうものを被告人に渡すことはあり得ない(警察官が忍び込ませたとする所論に理由のないことは後記のとおりである。)。「冨所事件」と「薬照寺事件」の二件については、地方で起きた事件であり、新潟日報などの地方紙では報道されても、被告人の住居地では報道されなかったことがうかがわれる。したがって、報道されていないものについて特別にこのようなものを付する必要性があることが推測される。すなわち、実際に盗難事件が発生しているかどうかを確認する必要から、このようなものが上記二件については特に必要であったことがうかがわれる。すなわち、被告人は、甲野が持ってきた重要品触書や新潟日報(地方紙)のほか全国版の新聞記事等から美術品などの窃盗事件を把握し、甲野の持参する美術品などがその盗品であることを確認しながら、もし展示していたような美術品を盗んできたものであれば、高名な作家が制作した本物であり、高価な価値があると思って、甲野から買い受けていたのではないかという事情をうかがわせるものと見ることができるというべきである。そうすると、盗品であり出所を示しながら取り引きした旨を供述する甲野証言の大筋は、このような物的証拠の裏付けによりさらに信用性を増すものといえる。
オ さらに、被告人は、甲野から美術品を受領した際及びその後も、美術品には全く関心がなかったからよく見なかったとの供述を繰り返している。しかし、被告人の供述のとおり、本件盗品の授受が貸付金の担保のためであったとしても,被告人が受領した美術品が貸付金の担保としての相応の価値がなければ、結局、損失を被る危険があるから、美術品の価値を把握することなく、中身を全く見なかったとは考えられないし、盗品でないならば、かえって折角手に入れたものを一切中を見ることもなく放置していたということは通常考えられないことである。むしろ、盗品であれば、飾り付ければ人目に触れることになり他に知られるおそれがあるから、飾り付けないのが自然であり、人目に触れないようそれとなく隠し場所に隠匿することとなるのであって、本件一連の美術品についてもそのように理解した方が自然であるといえる。いずれにせよ、被告人は相当な大金を渡すのであるから、その際受け取る物の内容を確かめないで、本物であるかどうかについてすら最小限度の確認もしないまま、これを受け取って金を渡したとの供述はたやすく信用できない。
カ 本件窃盗事件の被害品のうち、掛軸二、三点を含め作品のかなりのものに、「為光徳寺」などという「為書き」があったこと、光徳寺は棟方志功が戦時中疎開した場所であり、これらの作品が、その折りに世話になったお礼として後に贈られたものであることが証拠上明らかである。ところで、甲野は、掛け軸二、三点については被告人から為書きを理由に返却されたと供述するばかりか、被告人が受領した棟方志功作品には光徳寺に縁のあることが作品自体からも分かるものがいくつもあること、そして、これらを受け取るに際し、その出所につき甲野から何の説明もなかったはずはなく、同寺に由来するものであることは容易に知り得たこと、甲野らは、盗んだその足で富山県から岐阜県に行き被告人に会ってこれらの作品を示し、為書きがあると言って受け取らなかった分を除いて、被告人に交付しており(甲野のこの供述は具体的かつ詳細であり、十分信用できる。)、ましてや、その日のうちに全国紙の紙面に光徳寺の盗難記事が大きく報道され、ほかならぬ棟方志功の作品多数が盗難被害に遭いその時価についてまで報道されていることがそれぞれ認められるのであるから、被告人の受け取ったものが盗品であることに気付いていないという供述は信用し難いといわざるを得ない。 
キ さらに、本件窃盗事件は平成四年四月の事件であるが、「冨所事件」、「薬照寺事件」及び「萬重事件」がいずれも平成二年であり、これら関連窃盗事件の被害品である美術品を含め長期にわたり甲野と美術品の取引をしていたという経過からしても、少なくとも平成四年四月の本件窃盗事件の被害品の取引において、被告人は、甲野の持ち込むものが盗品であることを知りながら、買受けたことをさらにうかがわせるものということができる。
 
以上のとおりであって、本件の盗品性の知情に関する被告人の供述については信用性に欠けるというべきであって、既に検討したところからしても、被告人には本件で買い受けた物につき盗品であることの知情を認定することができるというべきである。
3 甲野、丙山の各供述の信用性を争う所論について
(1)甲野及び丙山の供述が基本的に信用できるとする原判決の判断は正当と認められる。すなわち、甲野の供述内容は、「冨所事件」、「薬照寺事件」、「萬重事件」、「光徳寺事件」について、捜査段階、公判段階を通じ一貫し、細部はともかく根幹部分は変遷がなく、具体的かつ詳細であり、それらの窃盗事件の盗品を、各窃盗事件後程なくして被告人のもとに持ち込み買い取ってもらったという点や、被告人から受領した現金とその分配の状況、本件触書や「新潟日報」を丙山が入手して、甲野を通じて被告人に渡したことなど、本犯である丙山、乙川の供述内容と概ね一致している。そして、本件マンションから、本件触書及び新聞紙片がそれぞれの美術品の中から現実に発見され、その信用性を裏付けている(この点の所論については後に判断する。)。薬照寺事件で上村松園の絵を切り取って盗むに至った下りについて被告人に話して聞かせたことやその際の被告人の反応を述べている点などはまさに迫真的である。また、前記認定のとおり、乙川を逮捕し捜査を遂げた結果、共犯者として丙山や甲野の存在が明らかとなり、両名が逮捕された上、盗品の処分先として被告人が浮び上がり、警察が被告人の存在を既に把握していたため、甲野はもはや隠し通せないと思い、また、被告人方などから多数の盗品が押収されたことなどから、被告人に対して盗品を売却していたことを詳細に供述するに至ったものと解されるのであり、甲野や丙山の各供述経過に不自然さはない。本犯者としての立場や他の持ち込み先、共犯者らを隠匿する必要などから、一部事実に反することを述べていることがうかがわれるからといって、それだけでは、被告人との基本的な関係、ことに被告人の知情の点、出所を明らかにしながら売却したことについて虚偽を述べているということにはならない。なお、本件につき光徳寺の展示品のパンフレットを被告人に示して確認させた上取り引きしたと供述する点についても信用性が認められる。甲野及び丙山の供述が信用できることについて原判決が説示しているところは正当である。
(2)所論は、甲野証言は丙山の証言内容と異なる部分があることその他の点を挙げてその信用性を争っている。まず、「薬照寺事件」について主張するところは、「薬照寺事件」の記事が載った新潟日報を入手することはそれ自体困難なことではなく、たとえば、新潟方面に住む知人や仲間を通じて入手することが可能であり、丙山において共犯者らにもその入手先を隠そうとしていたとも推測できるのであって、現に本件マンションから美術品とともに本件新聞紙片が発見されていることからも、丙山が何らかの方法で「新潟日報」を入手して甲野に渡したことを認めるに十分であるから(なお、丙山が原審で入手方法につき証言しているところは信用できない。入手先に累が及ばないようこれを秘匿するために虚偽の供述をしたものと認められる。)、現時点で新聞の具体的な入手方法が不明であるからといって、甲野や丙山の供述の信用性に疑問があるとはいえない。次に、「萬重事件」について、所論は、平成二年一一月下旬に、被告人が甲野に五〇〇〇万円を渡した形跡はなく、かえって銀行口座から二〇〇〇万円が引き出されている旨当座勘定元帳に記載があるなど被告人の供述を裏付ける証拠があり、高価な物であるにもかかわらず被告人が盗難品のうち四点を甲野に返却した理由もないなど、甲野の供述は不自然であると主張するが、丙山と甲野は一致して分け前として一四〇〇万円程度を受け取ったと証言しており、窃盗本犯が分け前として受領した金額について、少な目に供述することはよくあるが過大に供述するとは考えにくいことであり、被告人が当時現金を保有していたことも考えられるなど資金を用意する方法が他になかったとはいえないから、当座勘定元帳の記載のみでは、被告人が甲野に支払った金額が二〇〇〇万円であったと限定的に考えることはできない(他の取引における金額もいずれも被告人の方が少なく、甲野らの取得額とは食い違っているが、甲野らの供述を信用すべきである。)。したがって、この点も甲野の証言の信用性を疑わせる事情とはならず、かえって信用性が高いことを示す事情といえる。被告人が甲野に萬重の盗品のうち四点を返却したことも、盗品の中でも平山郁夫作の「砂漠を行く」が極めて高い価値を有することからすると、格別不自然なことではなく、十分了解できることであって、このような細部にわたる特異な事項が含まれていることによって、かえって、甲野の供述に信用性が高いことが示されている。「冨所事件」について、被告人に見せるために本件触書を丙山から入手したとする甲野の供述内容は、丙山の供述とは抵触しているというが、ささいな点にすぎない。ただ、最初に持ち込んだ中山医院の盗品については、当初から盗まれたものであることを明確に告げていたかどうかについては疑問がないではなく、甲野らは、いわば、鞘当てをして被告人が売却先として大丈夫かどうか、市場に出されることにより足がつかないかどうかを確かめながら行動していたはずであって、最初から盗品であることを明かして取り引きしているかのような供述部分については信用性に疑問が残るというべきであるが、それにより被告人のその後の取引における知情に疑いが生ずるものでないことは、既に説示したところから明らかである。
 
その他、所論が甲野、丙山証言に信用性がないと指摘する点につき逐一検討しても、その基本的な部分の信用できることに変わりはないから、所論は採用できない。
4 本件触書などの発見経緯等に関する所論について
 
所論は、本件触書及び新聞紙片の発見、押収の経緯については疑問があり、本件触書及び新聞紙片は、被告人にはその存在について全く認識のなかったものであって、捜査官が押収品の中に混入させた疑いがある、というのである。なお、所論は、この点につき甲野が口封じのためにわざと忍び込ませた可能性もあると指摘している。
 
しかしながら、所論指摘の点について、いずれも問題はないと認められる。
(1)本件触書などを捜査官が押収物に混入させることの困難性について
 
まず、捜査官が作為をする以上は、甲野や丙山の承諾を得て行わなければならないばかりか、そのようにしても、後になって、甲野や丙山からそのことを暴露されてしまえば、せっかくの捜査もすべて台無しにしてしまいかねないのであるから、その点のみからしても、捜査官が所論のような作為的な行為に及ぶことは、ほとんどあり得ないということができる。しかも、他の多くの事件が問題になっているのに、よりによって、地方で発生した盗難事件だけを選ぶかのように工作をすることになるという点でも、不自然である。他方、甲野が口封じのために本件触書などをわざと忍び込ませた可能性についても、被告人が甲野から受け取った美術品が盗品であることを知らないのに、甲野が本件触書などを忍び込ませたとすれば、被告人がこれに気付くことは当然予想されることであり、その結果、甲野に問いただし、美術品を盗品として突き返されることになりかねないことからしても、甲野が本件触書などをわざと密かに忍び込ませることはあり得ないと考えられる。
(2)本件新聞紙片の発見、押収の経緯について
 
川副証人は、「薬照寺事件」の被害品の一部である中国人美人画を本件マンションで発見し、押収した当時から、その中に本件新聞紙片があったが、事件とは関連性がないと思い、中国人美人画の領置調書などに記載しなかったと供述しているが、捜索に係る容疑は別件の「すや別荘事件」などであったこと、新聞紙片の記事は盗難事件(「薬照寺事件」)発生を報じているのみで、中国人美人画がその盗難記事に係る盗品であるとは一べつして即座に判断することはできないことからすると、盗難記事と中国人美人画との関連性に気付かなかったとの同証人の供述は不自然ではなく、その信用性は十分である。なお、弁護人らが原審段階で福岡地検久留米支部において検察官から開示を受けたものが、新聞紙片ではなく新聞一部数(一冊)であったとは考えにくいが、もし仮にそうであるとすれば、両者は別物ということになる。しかしながら、それによって証拠管理や開示上の問題は生じ得ても、中国人美人画の中から本件新聞紙片が発見された事実自体が否定されるものでないことは、改めていうまでもない(原審で取り調べた写真撮影報告書(検甲八80、99)に撮影されている新聞紙と当審において押収したものとはその破断線の位置、形状等から同一と認められる。)。
 
また、新聞紙片は、捜査官が差押えなどにより一方的に押収したものではなく、いずれも被告人による任意提出の手続をとって領置されており、任意提出書に被告人の自署、押印を得てなされたものである。もっとも、川副証言、山本証言によれば、本件捜査上、任意提出書、領置調書を日付をさかのぼらせて後日作り替えたかもしれないというのである。しかしながら、任意提出書、領置調書などの捜査書類は、捜査の初期に、当初事件との具体的な関連性が明らかでないまま、作成されることはあり得ることであり、後に他事件のものが混入していたり、記載漏れなどの不備があることが判明した場合、あるいは捜査の局面の展開によって、これを整理、補正する必要が生じることは起り得ることであり、これを訂正すること自体が許されないとする理由はない。訂正の書面によるのが相当であるが、本件のように作り直したからといって、もとより、そのために任意提出した事実自体がなかったことになるものではない。したがって、本件新聞紙片の発見、押収経緯についても、所論のいうような問題はないというべきである。
(3)本件触書の発見、押収の経緯について
 
押収品目録交付書(弁11)は、押収者が被押収者に交付する書面で、本件マンションから発見された美術品などの押収品目録であり、領置調書を引用する形式で作成されているところ、これには、本件触書が掛軸「野花」の桐箱の中に入った状態で発見、押収されたことが明記されている。そして、引用された領置調書は、久留米警察署から各務原警察署へ平成八年四月二二日にファックス送信された領置調書(検甲128)と一致している。
さらに、本件触書や本件新聞紙片を示しての取調べが同年五月下旬になってようやく開始されているという点についても、そもそも甲野及び丙山の最初の逮捕容疑は「すや別荘事件」であり、本件は余罪に当たること、本件についての取調べがそのころから本格化していることは供述調書の作成日などから明らかであること、本件押収品は各務原警察署で保管されていたが、甲野は久留米警察署に留置されており、押収品の確認をさせるには身柄を各務原警察署に移監させる必要があり、同署に身柄を移監したのが五月半ばころであったことなどの点に照らすと、触書や新潟日報の新聞紙片を示した取調べが五月下旬ころになって行われていることが、所論のように不自然であるとはいえない。「冨所事件」の被害者冨所の供述調書が同月一六日に作成されている点についても、不合理な点はない。したがって、本件触書の発見、押収経緯についても、所論のような問題はないというべきである。
(4)本件触書の指紋検出と紙質について
 
本件触書から甲野の指紋が検出されたことについて、原審古川証言によると、ニンヒドリン(液体法)で二〇年以上前の指紋が検出された報告事例があるというのであるから、「冨所事件」の発生から六年以上経過後に指紋が検出されたことに不合理な点はない。また、後日、作為的に甲野の指紋が付着されたことをうかがわせる事情は存しない。また、本件触書の紙質のいたみ方が不自然であるとの指摘についても、甲野は丙山から受け取った後、二つあるいは四つに折りたたんでポケットに入れていたと証言していることや、ニンヒドリンによる指紋検出作業も行われていることなどからすると、押収前及び押収後の保管の際に紙質がいたんだ可能性が十分にあり、不自然とはいえない。所論は、被告人がこの事実を知っているならば被告人の指紋がこれらに付着していなければならないというが、指紋の付着が検出されないからといって触れたことが全くないということにはならないし、手に取っていないが示されて確認しているだけにとどまることもあることを考えれば、指紋が検出されていないことをもって、それだけでこれらの存在につき知らされていなかったり気付いていなかったりしたことになるものではない。
(5)以上のとおりであって、本件触書及び新聞紙片の発見、押収の経緯に、所論のような疑いをさしはさむべき事情はなく、本件触書及び新聞紙片は、いずれも被告人が自ら捜査官を案内した本件マンションにおいて、平成八年四月一一日、「冨所事件」及び「薬照寺」の被害品とともに発見され、被告人の任意提出を経て、適法に押収されたものであることが認められる。そうすると、これらの物は、かえって、被告人が、本件以前に、すなわち、「冨所事件」や「薬照寺事件」の盗品を甲野から受領した際、それらが盗品であることを知りながら取引を行っていたことを推認させる有力な物的証拠ということができる。なお、これらの物的証拠がなかったからといって本件についての判断が左右されるものではないと認められるが、これらの存在は、本件についてもそれが盗品であるとの被告人の知情を推認させる重要な証拠であるのみならず、甲野らの証言の信用性を更に確実なものとし、被告人の供述の信用性を更に減殺するものとして、少なからぬ意味を有するものである。
5 被告人に盗品の認識がなかったことをうかがわせる事情に関するその他の所論について
(1)所論は、被告人は、平成八年四月一一日、警察官を本件マンションに案内し、同所に保管していた関連窃盗事件の盗品である美術品などを任意提出しているが、甲野から受け取った美術品が盗品であるという認識がなかったからこそ、警察がまだ知らなかった本件マンションに案内したものであると主張する。しかし、被告人は、平成八年四月一〇日、捜索を受けた際、警察官から、わざわざ、「らくだの絵(平山郁夫作「砂漠を行く」、「萬重」の被害品)を捜している、出してもらえないか。」と促され、その際は黙っていたが、翌朝任意出頭した際に、警察官から更に促されて、「分かりました。○○に置いている。」と言ったが、鍵は持参して来ておらず、妻に連絡し、しばらくして妻から自宅前でこれを受け取り本件マンションに案内するに至ったという経緯が認められるのであって(原審証人西山彰の供述)、前日らくだの絵を出すように言われながらその日は出していないことなどからすると、自ら案内したからといって、それだけで直ちに、所論のいうように甲野から受け取った美術品が盗品であるという認識がなかったということになるものとはいえない。
(2)所論は、被告人は、甲野から受け取った美術品などを××事務所に無造作に置いていたものであり、その後に本件マンションあるいは被告人方に盗品とそうでない品を区別せず保管していたのは、甲野から受け取った美術品が盗品であるという認識がなかったからであると主張するが、その保管方法の当否はともかく、そのような保管方法は、原判決の説示するとおり、盗品かどうかに関わりなく採られるものといえる上、かえってこのような保管方法は高価な美術品で盗品であるとは気付かれにくいものともいえるのであって、所論のいうほど不自然、不合理なものとはいい難く、これをもって、盗品の認識がなかったことをうかがわせる事情とはいえない。なお、所論は、高価な美術品であることを知りながら本件マンションに立てかけるようにして無造作に置いていたのは不自然であるから、高価なものとは知らなかったことを推認させるというが、高価なものとは知っていてもこの程度の方法により保管しているからといって、そのことが所論のように格別不自然であるとはいえない。
(3)丁田二郎証言について
 
所論は、甲野から盗品を購入していた他の者においても,その認識がなかったから、被告人についても同様であると主張する。そして、丁田二郎は、会社経営者として成功し資金的にゆとりがある人物であり、絵画に十分に目が利く者ではないが美術品を購入している点において、被告人と類似するところ、丁田は、当審において、甲野から盗品であることを知らされないでピカソやルノワールなどを買受けた旨を証言する。
 
しかし、丁田が甲野から盗品であるかどうかを告げられず事情を知らないまま購入していたとする同証言が信用できるかどうかはともかくとして、仮にこれを信用できるとしても、被告人には、以上に認定したような具体的な事情があれこれと認められるのであるから、少なくとも丁田の場合と同一に論ずることはできないというべきである。 
6 結論
 
その他、所論の指摘する点につき逐一検討しても、原判決には所論のような事実誤認はなく、原判決の認定は、当審における事実取調べの結果によっても左右されない。論旨は理由がない。
第2 訴訟手続の法令違反(審理不尽の違法)をいう論旨について
 
論旨は、要するに、原審は、「薬照寺事件」の被害品である中国人美人画の中から出たとされる新聞紙(「新潟日報」)を証拠物として調べないで、紙片ではなく、一部数であると認定し、同一性につき疑問を呈する弁護人の主張を排斥し、また、「冨所事件」の重要品触書を検証しないまま、指紋検査で痛んだと認定し、弁護人の疑問を排斥した点において、審理を尽くさなかった訴訟手続の法令違反があるというのである。
 
しかしながら、知情の有無という争点については原裁判所は多数の証拠調べをして十分な審理を遂げているのであって、弁護人指摘の証拠調べをしなくても争点についての判断を形成することが十分可能であったことは明らかである(なお、所論指摘の証拠調べをしなくてもこの点の判断が十分可能であることは、以上に説示したところから明らかである。
)から、所論のような訴訟手続の法令違反は認められない。論旨は理由がない。
 
よって、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、当審における訴訟費用については、同法一八一条一項本文を適用して、被告人に負担させることとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 小出錞一 裁判官 駒谷孝雄 裁判官 松藤和博)

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