その他福岡12(所得税法)

その他福岡12(所得税法)

福岡高等裁判所/平成五年(う)第二四二号

主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役一年六月及び罰金一五〇〇万円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金五万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。
原審における訴訟費用の全部及び当審における訴訟費用中、証人B、同C、同Dに支給した分は、被告人の負担とする。

理由
 
本件控訴の趣意は、弁護人千場茂勝、同江越和信、同奥村惠一郎、同石川才顯連名提出の控訴趣意書及び同補充書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、検察官飼手義彦提出の答弁書に記載のとおりであるから、これらを引用する。
第一 訴訟手続の法令違反の主張
一 控訴趣意第八点(被告人方病院からのカルテ押収手続)について
1 論旨は、要するに、昭和五五年九月八日、熊本国税局(以下「国税局」という。)により、被告人経営の「甲野産婦人科病院」(以下「被告人方病院」という。)においてカルテの捜索差押がなされたが、右捜索差押は、〔1〕差押対象物の記載として「本件所得税法違反の事実を証明するに足りると認められる一切の帳簿書類、往復文書、メモ、預金通帳、同証書、有価証券及び印章等の文書ならびに物件」と広範囲な文書を意味する抽象的な表示がなされ、対象物の特定を欠いた違法な捜索差押許可状により、掲記されていないカルテを差し押えたものであるのみならず、〔2〕令状裁判官が、強制処分の必要性を欠くのにその判断を誤り発付した違法な同令状に基づいてなされたものであり、また〔3〕執行手続においても、刑訴法の規定によりカルテの押収を拒む権利があり、本件捜索差押の「処分を受ける者」(同法一一〇条参照)にもあたる被告人に対し、令状を呈示しなければならないのに、これを欠缺し国税犯則取締法(以下「国犯法」という。)六条一項の立会人の規定に違反して執行された違法があって、差し押さえたカルテに証拠能力が認められるべきではないのに、これが適法であるとして証拠能力を肯認した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反があり、加えて、右〔2〕に関連し、原判決は、カルテ差押の必要性が欠如しているとの原審弁護人らの主張に対し何らの判断を示していないから、理由不備の違法があるというべきであり、いずれの点からも破棄を免れない、というのである。
2 そこで、原審記録を調査し当審における事実取調べの結果を併せて検討するに、昭和五五年九月八日、国税局により被告人方病院に対し執行された捜索差押許可状(以下「本件差押許可状」という。)の記載やその執行状況は、原判決が「争点に対する判断」の第一で認定するとおりであり、右令状の記載に不備はなく、被告人に代えて事務長を立会人としてなした捜索差押が適法であると説示するところもおおむね正当として是認することができる。
 
すなわち、国犯法二条に基づき発付された本件差押許可状(原審・検一二二四)の差押対象物件の記載は、所論指摘のとおりであるところ、その記載文言の内容、及びその犯則事件名欄に所得税のほ脱罪・不正受還付罪を示す「所得税法違反(第二三八条)」との記載があることを併せ考慮すると、対象物件の特定を欠くものとはいえず、また対象物件の冒頭に掲げられている「帳簿書類」には、患者ごとに診療経過・状況を記載・編綴し、それをさらに適宜綴るなどして、医師法に従い秩序立てて保管されているカルテが含まれることもまた明らかであり、右令状の記載からみて、それ自体あるいはこれによるカルテの差押につき違法とすべき点はない。
 
所論は、本件差押許可状は、これと同一日付で、同一裁判官から、同一の執行場所に宛てて発付され、ともに執行された臨検許可状(原審・検一二二五)には、臨検すべき物件として「現金、有価証券、カルテ、在庫品などの物件」と記載され、カルテが明示されていることと対比し、対象物件にカルテを含まない趣旨に解すべきものと主張するが、これら令状は、執行内容を異にして各別に発せられたもので、同時に執行されるとは限らないものである以上、これが対象とする物件の範囲・特定は、各別にその記載に照らしてなされるべきものであって、これを一体として整合性をもって解さなければならない理由はない。
3 次に、カルテに対する強制処分の必要性については、昭和五五年九月八日の国税当局による本件強制捜査開始時において、被告人に診療収入の一部を除外したことによる相当多額の所得税ほ脱の嫌疑があったことは記録上明らかであるところ、カルテは医師の各患者に対する診療内容を証明するのに不可欠ともいえる書類であるから、収入を除外したとされる当該年度のカルテを差し押さえる必要性は肯定することができる。
 
所論は、医療機関が保管するカルテは、それが医師及び患者にとってきわめて重要性を有することにかんがみ、その差押は原則として許されない、あるいは刑訴法一〇五条により医師は当然差押を拒否できるとの立場を前提として、本件カルテ差押の必要性はなかったものと主張する。確かに医療機関が保管するカルテが医師及び患者にとってきわめて重要な書類であり、捜査機関の差押が慎重になされるべきことは所論のとおりと認められる。特に、現在診療継続中の患者のカルテが差し押さえられるときは、医師の医療措置の実施に著しい支障が生じ、当該患者の人命にもかかわることであるから、よほどのことがない限りその差押は許されるものではないと解される。また、既に診療が終了している患者についても、再度来院した場合に従前の身体の状況や診療の内容に応じて新たな診断や診療を行うためにカルテは必要であるのみならず、カルテの内容は、患者のプライバシーに深く関わり医師との信頼関係を保持する必要性も看過することができないのであるから、カルテの差押が慎重に行われるべきは当然である。ただ、反面、医療機関のほ脱事犯の捜査や公訴提起に、多くの場合客観的な証拠であるカルテが不可欠であることは、本件の原審以来の審理が、被告人方病院のカルテやカルテ類似の書面を中心に争われてきたことからも自明の理であり、これを他をもって代えることはできないと思われ、その差押の必要性は無視することができないのであって、常にカルテの差押ができないと解するときは、患者の保護の名の下に医療機関のほ脱事犯を野放しにすることにもなりかねず、そのような解釈はとり得ない。また、刑訴法一〇五条は、医師の場合秘密の主体である患者との信頼関係を保護するための規定であり、医師の業務を絶対的に保護するための規定でないことは、同条ただし書の明文に照らし明らかである(医師のほ脱事犯におけるカルテの捜索差押は、その事犯の態様、規模、当該事件におけるカルテの証拠としての重要性、差し押さえるカルテの種類等を考慮して、患者に対する影響を最小限にとどめるよう配慮のうえなされるべきものと考えられ、たとえ一旦差押がなされたときも、当該医療機関の要請に応じて捜査機関で仮還付、あるいはカルテの写しを交付することが望ましいし、捜査の過程で患者の事情聴取を行う必要がある場合でもそのプライバシーに配慮し、公判裁判所で証拠調べを行う場合にも同様な配慮が望まれる。)。以上の観点からすれば、所論にかかわらず本件カルテ差押の必要性は肯認でき、本件差押許可状の発付に違法の廉はない。
 
なお、所論が、原判決には、右カルテ差押に必要性が欠如しているとの原審弁護人らの主張に対し判断を示していないとする点については、刑訴法三三五条によれば、有罪判決をなす場合に、かかる判断を示すことは必要とされていないから、これを欠いても理由不備にあたらないというべきであるのみならず、原判決は、「争点に対する判断」の第一、二で引用する昭和六〇年四月二五日付け決定において、カルテ差押の必要性についてこれを肯定する判断を示している。
4 さらに、本件差押許可状の執行の点について考えるに、本件差押許可状の被告人への呈示については、国犯法二条による臨検、捜索差押許可状の執行には、明文の規定はないものの、その処分を受ける者に対しこれを示すことが必要であること、この処分を受ける者とは、差し押さえるべき物又は捜索すべき場所を現実に支配している者を指し、本件では被告人であることは、所論指摘のとおりであるが、処分を受ける者がその場に居合わせないときは、代理人ないし国犯法六条に規定する者に示せば足りることは、刑訴法における捜索差押に関し同様に解されていることからも肯定することができる。
 
そこで、本件差押許可状の執行状況について検討するに、昭和五五年九月八日午前八時過ぎころ、被告人方自宅棟及びこれに隣接する病院棟の二か所に対し、同時に、国税局による査察・調査がなされたこと、その際、自宅棟については、国税査察官であるBが、当時在宅していた被告人に対して被告人方自宅を執行場所とした臨検許可状と捜索差押許可状を呈示したこと、その際、被告人は、統括査察官Eから、病院棟の方に同様の強制捜査をするについて立会人を誰にするか尋ねられ、被告人方病院事務長のFにすることで了解したふしがあること(原審・弁九五のGの証人尋問調書及びBの当審第一〇回公判証言)、その旨の連絡を受けた査察官Gは、被告人方病院棟内でFに対して本件差押許可状及び臨検許可状を呈示するとともに、立会いを依頼したこと、Gは、別途、同日午前一〇時過ぎころ、病院の診察室で診療中の被告人に対し、「病院についても、自宅と同様に、所得税法違反の疑いで強制捜査する。」旨告げていること、Gらにおいて、問題のカルテ等の差押を現実に開始したのは、同日午後四時ころであったこと等の事実が認められる。そうすると、本件においては、本件差押許可状は、その執行にあたって被告人には呈示されてはいないが、被告人の了解を得て、被告人方病院事務を掌理する事務長に示され、かつ同人を立会人として(国犯法六条一項の「管理者」又は「事務員」に当たると解される。)捜索等がなされたのであって、何ら違法とすべき点はない。
 
ただ、本件においては、被告人が右の捜索等が始まった後病院棟で診察を開始していたのであるから、被告人に対し本件差押許可状を呈示するとともに、カルテの差押に関してもその重要性にかんがみ、その旨を告げた方が望ましかったということはできる。しかし、被告人に対しても病院棟の捜索差押を行う旨は告げていること、本件カルテの差押は、被告人の本件脱税事件を基礎づける資料として不可欠ともいえる重要性を有していること、当該カルテは前年の昭和五四年以前のもののみであり、診療にすぐ差し支えるおそれはなかったと思われること(被告人の原審第五七回公判供述)、その後弁護人らから捜査段階で不服申立てはなされず、押収拒絶権に基づくカルテの返還請求もなかったことに照らし、カルテの証拠能力には影響はないというべきである。
5 以上、被告人方病院からのカルテ押収手続に所論の違法はなく、論旨は理由がない。

二 控訴趣意第二点(被告人の自白調書及びカルテ選別作業の任意性)について
1 論旨は、要するに、被告人が脱税の事実を自白した内容の五通の被告人の検察官調書(原審・検七九ないし八三―以下「自白調書」という。)及び被告人において、公表収入から除外し脱税した人工妊娠中絶(以下「中絶」という。)のカルテであるとしてなした三六六七通のカルテの選別作業(それを編綴したものが原審・検六六二ないし六八六の二五冊のカルテ写し綴り)は、勾留中の被告人が検察官から「明日からお前が脱税したと思われる四〇〇〇人以上の患者を全部呼び出して取り調べるからそう思え。」と言われ、自殺を考える程に精神的圧力ないし心理的強制を加えられたことによるもので、任意性がなく証拠能力を欠いているから、これを有罪認定の証拠とした原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反がある、というのである(なお、併せて信用性もないと主張するが、これは証拠能力にかかわる事由ではないから、後記第二の一の事実誤認の主張に対する判断の中で触れることとする。)。
2 そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果を併せて検討するに、自白調書の作成やカルテ選別に至る経過及びその自白内容・選別状況、さらには原審公判での被告人の供述経過は、原判決が「争点に対する判断」の第二で認定するとおりであり、原判決が、これを総合して、被告人の自白調書やカルテ選別作業に任意性が認められると説示するところは正当として是認することができる。
 
すなわち、被告人が勾留された昭和五六年二月一七日検察事務官Hを伴って、拘置所に出向き、被告人を取り調べた検察官Cは、右所論のような言辞に及んだことを原審において明確に否定するところであるうえ、〔1〕原判決認定のように、被告人は、同月一六日の逮捕当初はほ脱行為を否認していたものの、そのわずか二日後の同月一八日には自白に転じて、翌一九日から二一日にかけて、差押カルテのうち公表収入から除外した中絶の疑いがあるとして示された三九六六枚(写し)から、これに当たるとして三六六七枚を選別し、その余の二九九枚はそもそも中絶に当たらないとして除いたうえ、その後一日置いた同月二三日から自白調書が作成されていること、またカルテ選別や自白調書作成の前後に弁護人との接見もなされており、自白調書作成後の弁護人の接見では自白調書につき格別の相談もしていないこと等に照らすと、被告人が検察官から精神的圧力や心理的強制を加えられたような状況はうかがえない。また、被告人の原審第五八回公判供述によれば、被告人は、検察官が患者を呼び出さないという約束に反して患者を呼び出して中絶の確認をとっている気配を感じたというのに、検察官に抗議することも弁護人に訴えた形跡もなく、右約束自体疑わしい。〔2〕自白調書には、妊娠の判定方法や中絶方法、使用薬剤、ドイツ語で書かれたカルテの読み方等、医学の専門的事項の説明が、少なからず、丁寧、詳細になされていること、加えて今回のほ脱を始めた時期、ほ脱の動機にかかわる自身の健康状態、長女の大学受験等についても、具体的かつ詳細な供述内容が多く含まれていることにかんがみると、これらは、被告人の自発的な供述なしに、検察官の誘導により録取されたとはとうてい考えられない。〔3〕原審公判の経緯をみても、被告人側がほ脱の故意まで否認するようになったのは、起訴から二年以上も経過した昭和五八年六月八日の第三回準備手続からであって、当初第二回公判における被告人の罪状認否の内容は、所論にかかわらずほ脱の故意を認めるものとなっており、同期日で被告人側が、ほ脱の故意を否定するのであれば同意するはずのない複数の検察官請求書証に同意していること、第一〇回公判において、検察官から証拠請求された、ほ脱の事実を証明するための患者作成の五四一通の上申書について、うち二九通は同意し、残り五一二通を不同意としたものの、中絶の事実は認めるが、中絶料金額を争う趣旨である旨釈明し、右二九通は第一一回公判で取調べられ、右五一二通は一旦撤回のうえ、第一二回公判で五〇七通が中絶手術料金額の記載のある第二項を除いて証拠請求され、同意のうえ、取調べられていること(以上、原審取調べの五三六通の上申書につき、以下「本件上申書」という。)等に照らし、被告人が当初はほ脱額を争ってはいるが、ほ脱の故意及びほ脱行為は認めていたことが明らかであり、この事実は、捜査段階において、ほ脱の故意及びほ脱行為を認めた自白調書の任意性を裏付けるものであるということができる。以上によれば、被告人の自白調書及びカルテ選別に、十分、任意性を認めることができる。以下、所論にかんがみ補足して説明する。
3(一)被告人は、検察官から示された約四〇〇〇人分のカルテの選別に当たって、その中から、中絶のカルテではないとして一部を排除したが、真実これが中絶にかかわるものではないから排除したのではなく、検察官の前で真剣に選別していることを装うため、「お年寄り等、呼び出されても迷惑がかからないと思われる人」のカルテを排除したに過ぎない旨、原審公判において弁解するが、原判決説示のとおり、被告人が中絶ではないとして排除した二九九枚のカルテ(原審・検一二二九、一二三二、一二三五―当庁平成六年押第四号の符号八の一、二、符号一一の一、二、符号一四の一、二)と、脱税した中絶のカルテとして選別したものを、患者の年齢や既婚、未婚の別で、比較対照しても、そのような差があるとは認められず、被告人の右弁解は信用できない。
(二)所論は、被告人のカルテの選別作業に関し、示された三九六六枚の差押カルテのうち、二九九枚を排除して選別された三六六七枚の脱税にかかる中絶カルテの件数は、あらかじめ国税局が選別しておいた件数であり、これに被告人の選別作業を合わせ、あたかも被告人がこれをなしたかのように装っただけで、被告人自身、何枚のカルテを排除して何枚のカルテを選別したか、その結果を逐一確認していないところであって、かかる選別に任意性はなく、選別結果も被告人の意を呈したものとはいえないと主張し、その証左として、昭和五六年三月五日付けではあるが、国税局事務官作成の「脱税額計算書説明資料」(当審・検一)を挙げ、その表紙から二六丁、二七丁目には、脱税した中絶件数として合計三六六七件の数値が掲記されているところ、これを認定した根拠として、既に作成されていた被告人の自白調書や、被告人が前記カルテを選別した結果とされる二五冊のカルテ綴りについては何らの言及や記載はなく、ただ「各年の分の差押カルテと公表中絶カルテの記載を比較対照して、中絶カルテと判断されるカルテ件数を求め、それから公表中絶件数を差し引いてこれを求めた」旨の記載があるだけで、これら件数確定のために採用した具体的な証拠としては「昭和五五年九月八日差押No二三一ないし二三三、昭和五五年九月二四日T2子作成申述書」と掲記されているに過ぎないことから、国税局では、このような資料に基づく確定方法であれば、被告人のカルテ選別や自白を待つまでもなく、昭和五六年二月一六日国税局から熊本地方検察庁(以下「検察庁」という。)になされた本件の告発前に、脱税にかかる中絶件数を算定することは可能であり、右告発にあたりそれをなしていたものと考えるのが自然であるというのであり、当審における事実取調べ後の弁論における指摘では、当審証人Bもその旨認めているというのである。
 
しかしながら、専門的医学知識があるとはいえない検察官や国税局職員が、被告人に対する本格的取調べをなす前、あらかじめ求めたほ脱にかかる中絶件数なるものは、当然、後になされる被告人の本格的取調べの如何により修正が予想されるものであって、それを無視して、あらかじめ求めた件数を確定値として、これに被告人の自白なり、カルテの選別作業を合わせるがごときは、とうてい考えられることではなく、余りにも不自然なうがち過ぎた見方である。原審および当審におけるBの証言にあるように、同人は、告発にあたって、事前に右「脱税額計算書説明資料」と同様の資料を作成して検察庁に提出したが、その後の被告人の自白、カルテ選別作業の結果を受けて、これに合わせて数値を訂正し、あるいは丁ごと差し替えるなどして、本件起訴前日の昭和五六年三月五日に改めて作成しなおしており、それが当審・検一の書証である旨供述するところは,何ら不自然とすべきところはなく、右書証の記載状況とも符合し、優に信用することができる(弁護人が当審弁論で引用する証人Bの当審第八回公判における供述部分は、同人の後半の供述で訂正され、全体として弁論主張にかかるような趣旨でないことは明らかであり、同供述を正解したものではない。)。また、右改訂後の「脱税額計算書説明資料」に被告人の自白やカルテ選別に関する言及がないことについて、Bは、当審公判において、右書面につき検察官から裁判に証拠として提出するとまでは聞いておらず、脱税額の変更説明を主眼とするとの認識であったためと供述するところであり、不自然ではない。
(三)所論は、自白調書には、被告人は、ほ脱の動機につき、狭心症の持病があり、老後の安定のためという理由を挙げ、また昭和五一年二月から三月にかけて長女が医大を受験したが、不合格となり、翌年の医大入学に備えるため、昭和五一年から脱税を再開したとの供述(昭和五六年二月二三日付け、原審・検七九)や、長女の大学入学の口利き料として脱税した金から一〇〇〇万円支払ったとの供述(同月二七日付け、同八一)があるが、被告人は狭心症の持病はなく、最初脱税を始めたという昭和四四年当時、四三歳であって老後を考えるような年齢でもなく、また長女は昭和五一年二、三月当時高校二年生で、大学は受験していないし、大学入学にあたって口利き料を支払ってもいない等、右自白調書にある供述部分は事実に反するものであり、これは取調べ検察官の誤導があったことを示しており、任意性が認められないと主張する。 
 
しかしながら、被告人の原審第一九回公判での供述によれば、被告人は、検察官の取調べにおいて、自身の健康状態を尋ねられ、心臓が弱いと答えたところ、狭心症かと問われたので、はいと頷いたことから、前記自白調書の供述記載となったというのであり、これをもって取調官の誤導があったとはいえず、また、開業医である被告人が、四三歳時から老後のことを考えていたとしても不自然ではない。長女の受験年度も、被告人の当審第一九回公判での供述によれば、被告人自身、昭和五一年は長女の受験期でなかったことに最近になって気づいたと述べていることからすると、取調べ時に被告人がこのような誤解をしたまま述べたに過ぎず、かえって検察官に自主的に供述したことを裏付けているとさえいえる。また、長女は昭和五三年に大学医学部に入学しているが、被告人の妻I子のその年の日記帳(当審・検一一、前同押号の符号五三)の二月及び三月の頁には、長女の大学入学に関し、実際に入学した乙山大学に払い込んだ入学金、学費合計七四二万円余り以外に合計約二三一〇万円の支出をなした記載があり、口利き料かはともかく、相当高額の支出の事実がうかがえる(同頁欄外には、これに関連して「返金」との文字が見られるが、果たして全額の返金があったかは記載上、不明である。I子は、当審第二七回公判において、全部返ってきたと供述するが、これを裏付ける資料はない。)。
(四)弁護人は当審弁論において、被告人が選別したとされるカルテの中には、被告人が捜査段階や原審、当審公判で、選別の際に赤鉛筆の印を付けたと述べたことのない、氏名欄に赤鉛筆の印があるものが相当数ある一方、被告人が赤鉛筆の印を付けたはずの最終月経と子宮の大きさの箇所のいずれにも、その印のないものがあり、これらのカルテが真に被告人の選別によるものか、はなはだ疑問であり、被告人のカルテ選別に任意性がないと主張する。
 
そこで検討するに、被告人のカルテ選別に臨んだ検察官Cの原審及び当審における証言並びに検察事務官Hの原審証言では、被告人は、最終月経及び子宮の大きさのほかもう一箇所くらい赤線を引いていたというのであり、被告人がこれら二点に限定して赤線を付けたものではないと思われるうえ、被告人自身当審第一九回公判で、赤鉛筆による印付けは適当にやっていた旨述べていること、本件三六六七枚のカルテ綴りのほとんどに、最終月経と子宮の大きさの記載箇所の二点のほか、氏名欄も赤鉛筆で印が付されていること、また他方、最終月経、子宮の大きさの項の両方、さらには氏名欄を加えて赤鉛筆の印のないものが、三〇名余り弁護人の弁論で指摘されているが、被告人が選別したとされる全体の数である三六六七名に比して極めて僅少であること、選別は検察官及び検察事務官の面前でなされ、分けて箱に入れ、適宜束ねられたもので、昭和五六年二月二八日には短時間ではあるが被告人もこの綴りを確認し、格別異議を申し出ていないこと、また右三〇名のカルテの記載は、いずれも他の中絶に関するものとして選別されたカルテと、最終月経からの生理期間の延長、子宮の大きさ、診療日数、使用薬剤において、差異はみられないばかりか、本件上申書で裏付けられているものが四通あること(J子、K子、L子、M子であり、いずれも、右三点について印がない。)等にかんがみると、氏名欄にある赤鉛筆の印は被告人自らが付したものであり、右三〇名余りのカルテに印がないのは被告人が単に付け落としたに過ぎないものと考えるのが素直な見方であり、被告人のカルテ選別の任意性を揺るがすものではない。
4 その他、所論にかんがみ検討するも、被告人の自白調書及びカルテ選別作業につき、任意性に疑いを抱かせるような事由はうかがえない。論旨は理由がない。
三 控訴趣意第三点(I子の検察官調書の任意性・信用性)について
1 論旨は、要するに、被告人の脱税を裏付けるI子の検察官調書二通(原審・検一二二〇、一二二一)は、昭和五六年三月一日、被告人が危篤となった義母の面会に行くため勾留執行停止を得た折、I子において、担当の検察官から被告人とよく打ち合わせてくるよう事前に言われ、弁護人からは被告人に自殺の恐れがあることを告げられるなどされたこともあって、被告人の供述に合わせようと決意し、熊本から博多までの往復の自動車の中や、博多から岡山までの往復の列車内で、真実とは異なる被告人の供述内容を、メモを取りながら一所懸命覚えて右検察官調書作成に応じたもので、任意性・信用性がなく証拠能力を欠いているから、これをもって有罪認定の証拠とした原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反がある、というのである。
2(一)そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果を併せて検討するに、原判決が「争点に対する判断」の第三で説示するとおり、I子の原審公判における供述経過やその供述内容に照らし、同女の右検察官調書に任意性が認められるというべきであり、またI子の右検察官調書は、関係証拠とも良く照応して、信用性が十分認められる。
(二)すなわち、I子は、原審第四八回公判において、弁護人の主尋問に答え、右主張に沿う具体的・詳細な証言をしているが、それより四年半近く前の第一六回公判で、既に右検察官調書作成に至る経過を尋ねられ、その中で、検察官の尋問に対し、「担当検事から被告人の勾留執行停止に際し、被告人と話しを打ち合せておくようにいわれ、汽車の中で被告人から、事件についてどういう供述をしたかいろいろ聞いたが、母が危篤だったため、どう聞いたか覚えていない。」と述べる一方、弁護人からの「いろいろ打合せをしたことはなかったですか。」「覚えていませんか。」という重ねての尋問には、「……してはいないけど、言わないと出られないからというだけでした。」、「はい、主人の言うとおりに私が返事するように言いました。」と曖昧な供述にとどまっており、これら供述内容を対照すると、右第四八回公判供述は、先行する右供述にそぐわないもので、その現れ方自体があまりに不自然であり、かつかかる変遷がみられることになった合理的な説明もない。加えて右第四八回公判供述を受けての第四九回公判での検察官の反対尋問における同女の証言には、取調べ状況につき、かなりの誇張や、明らかに虚偽とみられる点があり、例えば、取調べ検事から「事実を法廷で言ったらお前をすぐとらえに行くから」と言われて怖かったとか、大蔵事務官に対する質問てん末書が七通もあるのに、国税査察官(大蔵事務官)に事情を聞かれたことはないとか、質問調書を作られた記憶もないと供述し、右質問てん末書のいずれにもI子の署名があるのに、無地の紙に二回印鑑を押しただけであると供述していること、また真に検察官から被告人の自白と合わせるように虚偽供述を強要されたのであるならば、当然弁護人に相談するはずであるが、その形跡がないことなどにかんがみると、右第四八回公判におけるI子の証言は信用できない。
 
所論は、この点について、I子が原審第一六回公判で、同第四八回公判でのような詳細な供述をしなかったのは、検察官申請による尋問の段階では証言を拒否し、その後弁護人申請の段階で尋問に応じて証言するという弁護側の戦略戦術に従ったものである旨主張する。しかし、I子自身、第一六回公判で検察官からの問に対し証言を拒否した部分もあるが、三月一日の被告人との岡山までの往復の間の談話状況については、検察官及び弁護人のいずれからの尋問に対しても、証言を拒んでいないうえ、同公判での自己の供述が、弁護人主張のような戦略戦術に基づくものであると認識していなかったことは、第四九回公判での供述に徴して明らかであり、I子の供述変化が弁護人主張のような法廷技術による結果であるとみることはできない。
(三)被告人も、原審第五九回、第六〇回公判では、勾留執行停止になるにあたり、検事から、I子の供述を被告人の供述に合わせるように頼まれ、熊本から岡山までの往復の間、二月二七日と二八日付けの自白調書(脱税にかかる所得の費消ないし隠匿状況に関する供述)を重点に、I子に教え込んだと供述するところ、被告人からI子へなされた右働きかけの趣旨が、I子に、被告人が本件容疑を全面的に認め争わないこととした旨伝え、理解させ、記憶のおぼろげなところは、相互に確認し、喚起したとの趣旨であれば、その限度では格別、不自然ではないが、被告人の自白調書が、真実と異なる内容のものをただ単に検察官から問われるままに肯定した結果を記載したもので、これをI子に伝え、話しが合うよう覚えさせておく趣旨であったとするならば、原判決説示のとおり、具体的かつ詳細な内容を前後の矛盾なく逐一記憶したうえ、これらを余すところなく正確にI子に伝え、記憶させたことになり、不自然、不合理といわざるを得ない。
 
原判決の右説示を受けたと思われるが、被告人は、さらに当審第一九回公判になって、I子との打合せには、右自白調書のメモを持っていたから、それに基づきI子に一所懸命教え込んだと述べるに至っている。しかし、かかる供述の現れ方自体も不自然であるばかりか、I子自身、原審、当審公判を通じての供述では、かかるメモが存在したことには全く触れるところはなく、むしろそのようなメモはなかった趣旨に理解されるところであるうえ、仮にそのようなメモを持っていたのなら、これをI子に手渡して説明すれば済むことであり、熊本から岡山までの往復の際、長時間かけて一所懸命教え込んだり、あるいはI子が供述するようにメモを取りながら一所懸命覚える必要はないことからして、被告人のこの点の供述は、原審におけるものを含め信用できない。
(四)所論は、I子の右検察官調書(昭和五六年三月二日付け、原審・検一二二〇)では、被告人の自白調書と同様、昭和五一年二月から三月にかけて長女がいくつかの医大を受験したが、お金が足りず全部不合格になったとし、長女の受験時期を誤った供述となっているが、これは取調べ検察官の誤導があったことを示しており、任意性・信用性がないと主張する。しかしながら、I子自身、原審第一六回公判では、長女は昭和五一年二、三月に大学を受験したと供述しており、誤解していたことが認められ、取調べ時にもI子がこのような誤解に基づいて供述したものと考えられるところであり、かえって自主的に供述したことがうかがえる。
3 その他、所論にかんがみ検討するも、I子の右検察官調書の任意性・信用性に疑いを抱かせるような事由はうかがえず、刑訴法三二一条一項二号後段書面として事実認定の用に供した原審の訴訟手続に誤りはない。論旨は理由がない。
第二 事実誤認の主張
 
論旨は、要するに、原判決は、被告人が経営する産婦人科病院につき、昭和五二年ないし五四年の各年の所得税のほ脱の事実を認定しているが、そもそもほ脱にかかるような事業所得自体がなく(控訴趣意第一点、第五点)、財産増加による脱税の証明もなく(同第七点)、また被告人にはほ脱行為やほ脱の故意もないから(同第四点、第六点)、無罪であって、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな重大な事実の誤認がある、というのである。
一 控訴趣意第一点(収入除外の中絶件数)について
1 論旨は、原判決は「被告人が、昭和五二年分が一三九六件、昭和五三年分が一二〇一件、昭和五四年分が一〇一四件の、合計三六一一件の中絶の収入を除外して所得を免れた」と認定しているが、検察官提出の証拠を総合しても、中絶件数の立証が極めて杜撰かつ不十分であり、被告人が右件数分の中絶の収入を公表収入から除外した事実は認められない、というのである。
2 そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果を併せ検討するに、原判決が、被告人において中絶がなされたものとして選別した三六六七枚のカルテにつき、当該患者自身の中絶を認める原審証言や、中絶の事実を認めて作成した本件上申書に照らし、さらに右選別カルテと、公表収入に計上された中絶のカルテ(原審・検一二二八、一二三一、一二三四―昭和五二年分・前同押号の符号七の一、二、昭和五三年分・同一〇の一、二、昭和五四年分・同一三、以下「公表中絶カルテ」という。)の記載を比較対照するなどして、これらがごく一部を除いて公表収入から除外された中絶のカルテであると認定するところはおおむね正当として是認することができる(なお、被告人において、右に相応する年度に、相当件数の中絶料金が公表収入から除外されていたことは、認めるところであり、弁護人の主張では、これはI子の独断でなされ、応援医師謝礼等の簿外経費に充てていたというのである。)。
(一)すなわち、原判決認定のとおり、右三六六七枚のカルテのうち、U2子ら患者一三名は、原審公判に証人として出廷し、カルテに記載されたころに、被告人方病院で中絶を受けた旨、明確に供述し、内一名は二件の中絶、したがって二枚のカルテに記載された手術を裏付ける供述をするので、一四枚のカルテについて、中絶に関するカルテであることが裏付けられたことになり、また患者ら作成の中絶を受けたことを認める本件上申書によって、計五三四枚のカルテについても同様の裏付けがなされたことになり、重複分の六枚を除いて、証人及び本件上申書により五四二枚のカルテの裏付けができたことになる(以下「裏付け済み中絶カルテ」という。)。また上申書自体の信用性については、右のとおり、五四二枚のうち、六枚と数は少ないが現に証人により裏付けられており、原審で被告人側においてはいずれも中絶の事実は争わないと答弁するところのものであるうえ、中絶を受けてから月日が経過したとしても、患者本人がその事実を忘れることはないと思われ、わざわざ取調べ検察官に対し、中絶したと虚偽の事実を申し述べその旨記載した書面を提出するとは考えられず信用性は高い。被告人が選別した三六六七枚のカルテのうち五四二枚について、中絶に関するカルテであるとの裏付けができたこと自体、残りのカルテについても、同様のカルテであるとの強い推定が働くこととなる。
 
そして、原判決が、残りのカルテの記載内容と、公表中絶カルテ及び右裏付け済み中絶カルテのそれとを対比し、次項(二)で述べる五六枚を除いて、〔1〕患者が無月経やつわり症状を訴え、生理期間が延長し、子宮も大きくなっている旨の記載がある、〔2〕傷病名の記載が、「子宮頸内膜炎」「子宮内膜炎」「子宮体内膜炎」「膣炎」等である、〔3〕使用されている薬品の中に、カナマイシン、カネンドマイシン、ソルシリン、アモリン等の、妊娠を継続するのであれば、投与を躊躇すると考えられる抗生物質が含まれている、〔4〕診療が、二、三回で終了するものが多い等の点で、一致ないし極めて類似しており、同様に、中絶カルテであると認められると説示するところは正当として是認することができる。所論は、原判決が、被告人が選別に用いた〔1〕、〔2〕の基準だけでなく、右〔3〕、〔4〕を追加して類型化して、被告人の選別の正確性を判断していることに対し、その正確性を判断するには、被告人自身が用いた基準により検討されるべきであると主張するが、被告人のカルテ選別に臨んだ担当検事Cの原審及び当審での証言並びに検察事務官Hの原審証言に照らし、被告人は、〔1〕、〔2〕を中心に、他にカルテに記載された〔3〕、〔4〕も当然、専門家の立場から検討を加えたことが認められるところであり、これを考慮の外に置くとは考えられず、所論は前提を欠き理由がない。
(二)原審弁護人が、被告人作成の昭和六三年一一月一五日付け上申書(原審・弁九二)に従い、中絶に関するものではないと主張する五五枚のカルテについては、例えばリング除去というカルテの記載自体から、さらには生理期間の延長もないことから、中絶に関するものでないことが明らかなものが多数存在し、原審において当該患者を証人調べして中絶を受けていないことが明らかとなったものや、証人として出廷した、被告人方病院の勤務医師であるVが、中絶に関するものではない旨供述しているものもあるうえ、右五五枚のカルテは、弁護人がほ脱額のみを争っていた原審第一〇回公判という早期の段階で一括して当該患者を証人申請していることにかんがみ、原判決が、これらのカルテ及びその他にも記載の上からリングのみの処置が行われたことの明らかなN子の右五五枚中にあるのとは別のもう一枚のカルテ(原審・検一二三〇、前同押号の符号九の二)を合わせ、合計五六枚のカルテは、中絶に関するものではないと判断するところは正当である。
(三)(1)原審弁護人が、被告人作成の平成元年二月一日付け上申書(原審・弁九三)に従い、中絶に関するものではないと主張する二五枚のカルテ(被告人が選別した二五冊のカルテ綴りのそれぞれ一枚目のカルテ)について検討すると、このうちU子のカルテは、既に右(二)で中絶に関するカルテではないとしたものに含まれており、残りの二四枚のカルテを判断することになるが、これらについては現に当該患者が中絶を受けたことを認める上申書が提出され、あるいはV医師が、原審において、そのほとんどは中絶に関するものであるとし、中絶に関すると明言できない一部のカルテも、同手術に関するものであるとすることと矛盾はしない旨証言しているところであり、前記(一)で述べた事情を併せ考慮すると、原判決説示のとおり、やはり、中絶に関するカルテであると認めるのが相当であり、これに反する被告人の原審及び当審での供述は採用できない。
 
医師であるV2作成の鑑定書(原審・弁一〇一)及び同人の原審証人尋問調書の意味するところは、これら二五枚のカルテに中絶の表示等がないから中絶に関するものと断定できないというに過ぎず、右判断を左右するものではないばかりか、同人の尋問調書によれば、生理期間の延長と子宮の状態により大体妊娠の判断が可能であることを認めている。また、これらのカルテにある「子宮頸内膜炎」「子宮内膜炎」「子宮体内膜炎」「膣炎」等の病名については、被告人の原審での最終陳述書添付の「産婦人科の実際」と題する文献に、中絶により子宮頸管、子宮壁に損傷を及ぼすことがあるとの記載があること、右V2の証人尋問調書によれば、中絶をした場合抗生剤等炎症を止める薬を投与することがありうるとされていること、あるいはこれらの持病があり中絶に際しその治療も併せて受けることも考えられることに照らすと、既に罹患し、あるいは術後罹患することのありうる、これら症病の治療ないし予防のため、その病名を記載し薬を投与したとみて何ら不自然ではなく、中絶を認定することと矛盾するものではない。
(2)右二五枚のカルテについて、被告人が右上申書や原審公判で述べるところは、〔1〕
(O子)ルテスデポという流産防止のためのホルモン注射の措置を行っているものがあり、これは中絶をすることと矛盾しており、中絶のカルテではない、〔2〕(P子)初診日のみで診察を終了し、再診のなされていないものがあるが、初診日に中絶を行うことは皆無ではないが極めて稀であり、〔3〕(Q子)妊娠反応が陰性のものもあるが、このような患者に対し中絶を行うことはない、〔4〕(R子)生理の延長が三八日(五週と二日)であるところ、七週以前は原則として中絶を行うことはない、〔5〕(S子)妊娠第四か月の中旬のものがあるが、本件で問題となっているのは通院により掻爬がなされる早期妊娠中絶術であり、このように妊娠が進行した時期になってかかる中絶法が行われることはまず考えられないというものである。
(3)しかしながら、原判決説示のとおり、〔1〕前記収入の公表された中絶カルテや裏付け済みカルテを見ると、ルテスデポ注射や同様の効用を有する経口薬であるルテスの投与がなされてから数日後に中絶がなされている例が相当数みられることに照らせば、ルテスデポの処置やルテスの投与は、中絶を行ったことの認定の妨げとはならず(所論は、ルテスデポの処置は、出産を望む患者になされるもので、その後胎児が死亡したり、妊娠の継続によって母体に危険が及ぶ状態になった場合に中絶がなされたもので、これは保険適用となることから、公表中絶カルテになったもので、これ以外には患者の確実な中絶を認める上申書などの補強証拠がない限り中絶のカルテと認めるべきではないと主張するが、それ自体、ルテスデポの措置の後に中絶がなされることがあることを認めたものであり、原判決も指摘するように、現に保険適用になっていない裏付け済みカルテ《例えば丁子については、上申書がある。》にもルテスデポの措置記載が少なからず見られることに照らし、右認定を左右するものではない。)、〔2〕被告人が上申書(原審・弁九三)や原審公判で、初診のみで以後の診療がないことから、中絶ではないと指摘するP子(昭和五三年四月二八日処置分)については、同女作成の上申書(原審・検九〇七)が存在し、それによっても中絶を行ったと認められるばかりか、一般論として、このように初診で中絶のなされるケースは、原判決説示のとおり、各年公表中絶カルテ(入院分を除く)の約二〇~三〇パーセントにおよび、裏付け済みカルテにも少なからず見られるところであり(所論は、右P子作成の上申書によれば、八か月の内に三回も中絶していることになり、考えられないことであるとも主張するが、右上申書《原審・検八五五、九〇七、九五六》によれば、同女は昭和五三年の一月一七日ころ、四月二八日ころ、八月二九日ころの三回中絶を受けたことを認めており、これに照応するカルテ《原審・検一二三三、前同押号の符号一二の一》も存し、その間隔は三ないし四か月もあることからして、医学的には十分可能であり《被告人の当審二九回公判供述》、所論は採用できない。)、〔3〕被告人が、妊娠反応が陰性であったと指摘する患者は、原判決説示のとおり、そのカルテには妊娠反応が陽性である旨の検査票が添付されており、カルテ面の記載が誤りであると認められるうえ、公表中絶カルテや裏付け済みカルテを見ると、施した妊娠反応が陰性ないしプラスマイナス(±)であっても、新たな検査をすることなく、数日後に中絶が行われている例が相当数みられ、当初の妊娠反応が陰性又はプラスマイナスであることが、即、中絶を行ったことの認定の妨げとはならないと認めるのが相当であり、〔4〕七週以前は中絶を行うことがないというのは、あくまで原則であって、全面的に中絶を否定する事情になるわけではないうえ,本件上申書提出患者のカルテには、現に五週と数日で中絶がなされている例が散見されるところであり、〔5〕被告人が、妊娠第四か月中旬で早期中絶がなされることはないとして指摘する点について、被告人方病院で中絶の大部分を担当していた前記V医師は、原審公判廷で、そのような段階の患者に早期中絶を施すこともあった旨述べているところであり、被告人の右指摘は採用し難い。
(4)所論は、原判決が、右二五枚のカルテのうち、U子につき中絶の施術を認定したものとして論難するが、原判決は前記(二)で示した理由でこれが中絶に関するものではないとして排除しているのであって、所論は原判決を正解しないものとして採用できない。 

(四)所論は、その他、前記三六六七枚のカルテ中、四五歳以上の患者の中絶は極めて稀であるとして、当時四五ないし四六歳の患者三名の中絶を争うが、右年齢においても閉経前であれば妊娠可能であることは明らかであり、右年齢のみから妊娠、さらに中絶を否定することはできない。
(五)ただ、原審弁護人が、被告人作成の平成元年八月三〇日付け上申書に従い、その収入は公表されていると主張する患者二名のカルテについてであるが、内一名(W子)は本件上申書を作成してもいるが、そもそも前記三六六七枚の選別カルテには存在せず、原判決が「争点に対する判断」の第一一、三で説示のとおり判断の要はないというべきであるが、X子(昭和一四年八月七日生)については、同人の前記二五冊のカルテ綴り中にあるカルテ写し(原審・検六七五)及び公表中絶カルテの原本(原審・検一二三一、前同押号の符号一〇の二)を見分するに、昭和五三年七月二四日初診であるものの、カルテ原本添付の入院記録には同年九月一九日に入院し、中絶を受けていることが明記され、その保険点数の記載もあること、同月二五日退院しており、被告人の当審における供述では、その退院の日に入院治療費の支払がなされているはずであるとし、同年の金銭出納帳(原審・検七一〇、前同押号の符号五)の同日の欄に、入院患者からの支払受領を示す六三万二二〇〇円の記載もあること等に徴すると、この分は公表収入に計上されているものと認められる。
(六)弁護人は当審弁論において、被告人が選別した三六六七枚の中絶カルテ中には、一年の間に二ないし三回も中絶を受けたことになるものがあるとして合計二〇一名(年単位の延べ人数)の患者名を掲げているが、この中には本件上申書によって複数回の中絶が裏付けられているものがあり、昭和五二年はY子、Z子、A1子、B1子、C1子の五名、昭和五三年がD1子、E1子、F1子、前記P子、G1子、H1子、I1子、Z2子の八名、昭和五四年はJ1子、K1子、L1子、M1子、N1子、O1子、P1子、Q1子、R1子、S1子の一〇名にのぼっており、また弁護人ら指摘のものは次に述べるT1子を除いて他は全て次の中絶までの期間が二か月以上空いており、医学的に、妊娠・中絶のありうることは、被告人が当審公判で述べるところである。ただ、その指摘のうち、T1子については、昭和五二年中に三回中絶を受けていることになっているが、第一回目初診の昭和五二年一月一〇日分のカルテ(原審・検六七〇)を見るに、最終月経が前年一一月一二日で生理期間の延長が見られ、また子宮が大きくなっているとの記載があるものの、「傷病名」欄に「トリコモナス膣炎、急性膀胱炎」とあり、裏面には大腸菌やトリコモナスの膣分泌検査を受けた検査票が添付されていることからすると、先に示した被告人の選別基準に照らし、中絶とするには疑問がもたれ、排除されるべきであり、また第二回目の昭和五二年六月二日初診分のカルテ(同)の傷病名欄に「子宮内体膜炎」、最終月経欄に「四月二〇日」と、第三回目の同年七月七日初診分のカルテ(同)にはそれが「子宮頸内膜炎」、「五月二五日」とあるのに続けて括弧し「ピルを止めたあとに来る」と読める記載があり、右いずれのカルテ裏面にも妊娠反応検査陽性の検査票が添付されているが、これらカルテの記載自体は、被告人が選別した基準に沿うことになるものの、一か月の間隔で中絶を重ねること自体、専門的知識によらなくても、不自然と言えるほか、カルテの記載も最終月経の日が前後で齟齬しており、可能性としては、いずれも中絶がなされていないか、先に中絶がなされて、後のは記載どおりの傷病治療を受けたか、先に記載どおりの傷病治療を受けていたものの後に中絶に至ったかのいずれかになるが(先に、出産を予定して治療を受けていたものの、結局中絶をなすことになり、医師が患者により正確に問診、検査をなし、患者も先の誤りに気づいて訂正した結果、前と異なる最終月経の記載がなされたと解するのが自然といえなくもない。)、そのいずれであるか断定するまでの資料がないので、これらも排除することとする。
(七)以上によれば、被告人が公表収入から除外した中絶カルテであるとして選別した三六六七件のうち、そのとおりの中絶カルテとして認定されるのは、以上のとおり中絶のものとは認められないカルテ五九枚及び公表されている中絶のカルテ一枚の計六〇枚を除いて、昭和五二年が一三九三件、昭和五三年が一二〇〇件、昭和五四年が一〇一四件の三年間合計三六〇七件となる(原判決認定数からは、昭和五二年分が三件、昭和五三年分が一件の計四件の減少となる。)。
3 所論は、前記第一、二、3、(二)のとおり、〔1〕本件で被告人がほ脱した三六六七件なる中絶件数は、あらかじめ国税局が告発前に予定していた件数であり、これに被告人の選別作業を合わせただけのものであって、被告人自身、何枚のカルテを排除して何枚のカルテを選別したのか、その結果を逐一確認していないところであるから、正確性に欠け、件数算定の根拠とすることはできない、〔2〕自白調書は、そこでほ脱の動機とするところが虚偽であり、信用性がないと主張するが、右所論の前提とするところが採用できないものであることは、既に説示したとおりであり、理由がない。また、弁護人は当審弁論において、被告人が選別したとされるカルテの中には、被告人が捜査段階や原審、当審公判で、選別の際赤鉛筆の印を付けたと述べたことのない、氏名欄に赤鉛筆の印があるものが相当数ある一方、被告人が赤鉛筆の印を付けたはずの最終月経と子宮の大きさの箇所のいずれにも、その印のないものがあり、これらのカルテが真に被告人の選別によるものか、はなはだ疑問であり、被告人のカルテ選別に信用性がないとも主張するが、右選別が被告人によるものとするのが素直な見方であることは前認定のとおりであり、被告人のカルテ選別の信用性を揺るがすものではない。
 
所論は、被告人が、原審証人Hが供述するように「二月一九日から二三日までの三日間で合計一八時間」(第一四回公判)、あるいは原審証人Cが供述するように「二月一九日から三ないし四日かけて、大体一日二ないし三時間」(第二四回公判)という短時間で、約四〇〇〇枚からのカルテの選別を正確になすことは不可能であるというのである。しかしながら、被告人が、一枚一枚のカルテの選別に充てた時間は、右H証言あるいはC証言によれば、所論指摘のとおりわずかな時間となるが、それでも、被告人が点検した項目自体、最終月経初日と初診日との期間や子宮の大きさが中心で、後は傷病名、使用薬剤(それも数点)、治療日数を見る程度であり、その数も数箇所にとどまるから、被告人が産婦人科の臨床医としての専門家の立場からこれを選別するのに、さほど時間を要するとはいえず、右HやCの証言によれば、被告人は検察官から、中絶にあたるかどうか迷うものは、中絶でないとする区分に入れるように言われ、そのようにしていたことが認められることにかんがみても、選別に使用した時間から、選別そのものの正確性を否定することにはならない。ただ、多数のカルテを短時間に選んだことから、全てが正確とはいいきれないが、その内から前記のとおり六〇枚を排除した結果、残りの三六〇七枚をもって公表収入から除外された中絶カルテと認定して差し支えない程度までは正確性が確保されているものということができる。
 
所論は、原判決は本件における中絶件数の認定に、〔1〕V医師及び看護婦の一日当たりの中絶件数についての供述、〔2〕被告人が選別したとされるカルテ、〔3〕中絶に使用されたラボナールの消費量からの推計、〔4〕被告人の資産の増加状況、〔5〕本件上申書、〔6〕被告人の自白調書、〔7〕I子の検察官調書等の七点が用いられているとの前提で、これらの信用性を論難するが、右〔2〕、〔5〕については既に検討したとおり、基本的に信用性が認められるものであり、その余は中絶件数の認定には用いられていないのであって、所論は原判決を正解せずその前提を欠く失当なものである。
二 控訴趣意第五点(応援医師への謝礼等、簿外経費の存在)について
1 論旨は、公表収入から除外した中絶料金は、すべて応援医師等への謝礼や苦情処理費あるいは看護婦の求人関係費、時間外勤務の看護婦へのお礼や交通費に使用していたもので、そのことは、I子の原審・当審証言及び同女がこれをメモした昭和五一年用の手帳(原審・弁六九、前同押号の符号三一、以下「B手帳」という。)の記載により明らかであり、ほ脱所得はない、というものである(弁護人の当審弁論での主張では、その簿外経費額は昭和五二年が計一一八七万円、昭和五三年が計一三九八万円、昭和五四年が計一一八三万円で、三か年合計三七六八万円―内当直医を含む応援医師への謝礼は三四一五万円というものである。)。
 
I子は、原審及び当審公判において、右論旨に沿う供述をなし、応援医師への謝礼の支払いや、B手帳への記載等について、次のとおり供述する。
 
すなわち、
(一)被告人方病院においては、昭和五〇年ごろまでは甲田大学病院から定期的に医師が手術の応援や宿直等に来てくれていたが、昭和五一年ころからはこのような協力が得られなくなる一方、同年から患者が急増したため、個人的なつてで、これらの応援医師を依頼せざるを得なくなったところ、これら医師に対する謝礼は、領収証がもらえないので公表できないことから、会計を担当していたI子が、被告人に無断で、診療収入の一部を公表収入から除外し、それから簿外経費として出費していた。そこで、その額を決める一つの資料として、また税務署の調査があったときに説明する資料として付けておくようにという税理士のアドバイスもあって、同年一月から謝礼の額を手帳に記載し、病院受付の戸棚の中の金庫のところに置いていた。
(二)手帳へは、アルファベット一文字を用いて、応援医師を表し、応援医師の派遣が必要となった患者名、必要処置及び支払った謝礼額を記載したほか、日常業務に伴う苦情処理に要した費用、看護婦の求人関係費、時間外勤務の看護婦へのお礼や交通費も、適宜記録した。手帳への記載は一旦他にメモしておき、手の空いたときに書き写していた。
 
昭和五一年用のB手帳には、同年から昭和五四年末までの右記載をなし、昭和五五年以降は別の手帳に付けていた。
(三)応援医師への謝礼支払い用に、公表収入から除外した中絶料金を、常時五〇ないし六〇万円になるよう別途保管しておき、適宜そのなかから支払いに充てていたが、時に不足が生じたときは、その分を病院管理の現金から支出し、現金出納帳に記載したこともある。
(四)被告人方病院での入院を要しない早期中絶の場合のカルテの基本的な流れは、被告人が中絶を決定し、それが保険適用の場合は、被告人が「人工妊娠中絶」と手書きし、それ以外はその点なにも表示せずに(とはいっても、患者が作成した中絶の同意書が添付されているので、中絶の指示がなされていることは分かる。)、カルテは事務室に一旦戻り、患者からの中絶料金の支払いがなされた後、もっぱらV医師により中絶がなされていた。その後、受付にカルテが戻ってくるが、I子は一般診療のうち公表収入から除外するカルテは、その料金を先に述べたとおり別途保管すると同様、別扱いにし、一連の診療が終わり大分後になってから、公表収入に計上するものには「人工妊娠中絶術」とのゴム印を押し、公表収入に計上しないものは右同意書を外し、別保管にし、これらのカルテはまとめて病院地下のカルテ保管場所に移していた。
(五)昭和五五年、被告人方病院の大改築のために、B手帳を病院にあった他の物品とともに、別の場所である熊本市保田窪の倉庫に移しておいたところ、同年七月三〇日、集中豪雨に見舞われ水害に遭った。同年九月の国税局による査察の際には、このような理由で病院になかった。同女は、この必要経費の存在を税務署の人に分かってもらおうとしてこの手帳を探し、自宅に持ち帰っていた。昭和五六年二月一六日の検察庁による被告人方自宅の捜索があった際、検察事務官が被告人の机の引出しからこの手帳を発見し、その場にいた検察官Dにページをパラパラと示して見せたが、同検察官は首を横に振り、いらないという素振りを示したので、押収されなかった。というものであり、原審では応援医師の氏名は本人に迷惑がかかるとして明かさなかったものが、当審になって全部ではないがこれを明らかにしている。
2 そこで、原審記録及び当審における事実取調べの結果を併せて検討するに、〔1〕B手帳が原審に提出された経緯については、原審第一回公判から四年以上経過した第二七回公判における弁護人側の冒頭陳述において、応援医師への謝礼等の簿外経費の主張がなされるのと併せてB手帳の証拠請求がなされ、その後第三〇回公判で証人I子にB手帳が示されて尋問がなされたうえ、第三九回公判で取り調べられたもので、第二七回公判までに裁判所からの明確な求釈明がなかったとしても、第二回公判における意見陳述及びそれまでの弁護人の訴訟活動、特に本件では準備手続も行われ争点整理がなされたことからすると、検察官が冒頭陳述で主張した各費目の額を争うのならともかく、それ以外の経費の主張はないことを前提にして手続は進行していたものと考えられ、右段階での弁護人のかかる主張は、唐突であり、弁護人の弁護方針の下に片付けられる問題とは考えられない。〔2〕捜査段階での経過をみても、I子の原審公判供述によれば、応援医師に対する謝礼が経費であることは知っており、B手帳は、税務署の調査のときに見せて経費として認めてもらおうという気持ちもあって記載したものであるというところ、同人にとって被告人が逮捕勾留されてからは、被告人を釈放させ起訴を阻止することが最大の願いであったはずであるのに、何故既に選任されていた弁護人と相談して捜査官にB手帳を提出し経費の主張をしなかったのか説明がない。〔3〕被告人及びI子の原審及び当審供述によれば、被告人方病院に対し、昭和五五年九月八日国税局の強制捜査がなされ、その後も事情聴取が続けられ、またその後昭和五六年二月一六日被告人が逮捕され勾留となっているのに、I子が被告人に対し応援医師に簿外で謝礼を支払っていた事実やこれを記帳したB手帳のことを話したのは、その間被告人の勾留の執行が一時停止され話し合う機会があったにもかかわらず、昭和五六年三月六日被告人が保釈になってからとされているが(被告人原審第六〇回公判、I子当審第二七回公判等)、何故、応援医師への謝礼支払いにつき、被告人に事前に相談しなかったのか、また査察が行われて被告人が脱税の嫌疑を受けているのに、何故に当然なされるべき被告人への打ち明けや説明が、遅延したかの説明がない。〔4〕応援医師の派遣要請の開始時期自体についても、I子の原審及び当審での供述では、その原因となった被告人の恩師である甲田大学医学部の教授の退官時期について供述が理由もなく変転し、曖昧である。〔5〕B手帳の記載を見るだけでも、アルファベットや人名(患者名)、金額が羅列され、本件脱税関係資料として当然押収されるべきものと判断できるから、I子が原審及び当審で供述するような、被告人方自宅捜索の際これを発見した検察官が押収しないなどということは考えられない。〔6〕B手帳に記載されたアルファベットは、当審でのI子の供述によれば、同一の医師でも複数の表示法があったり、逆に一つのアルファベットに複数の医師が当てられているほか、なお氏名不詳のものがあるとされるなど、その記載は氏名特定の体をなしておらず、あまりにも不自然である。〔7〕B手帳に記載の応援医師などへの謝礼支払いのほとんどは、被告人方病院の相応年度の金銭出納帳(原審・検七一〇、七一一、一二六九―前同押号の符号五、六、三三)に記載はないが、中には対応の記載と認められるものもあるところ、その応援医師数が一致しないことはともかく、両方の記載額が不揃いであることについて、I子は原審及び当審において、帳簿上の謝礼額等の記載が一件一〇万円以上になると税務署の追跡調査が入るおそれがあったので、一〇万円にならないよう、これをB手帳と金銭出納帳に分散して書き分けた旨供述するが、金銭出納帳にある応援医師に対する謝礼額は一〇万円の半額である五万円に留まっているうえ、そもそもB手帳を付け始めた動機が、応援医師に対する謝礼等の額を決める一資料とするためと供述していることからすると、実際の謝礼額と異なる額を手帳に記載するのは無意味なことであり、I子の右説明は矛盾し、了解できない。〔8〕I子は、昭和五二年九月から同年一一月まで東京都内の病院に入院していたと認められるところ(原審・検七八の被告人の検察官調書及びこれを裏付けるI子自身の当該年度の日記帳の記載《当審・検一〇、前同押号の符号五二》。母が入院していたとするI子の当審第二七回公判証言は信用できない。)、約三か月も不在であったその間の応援医師への支払いや、B手帳の記載について、I子を初め、関係者の供述が全くない。
 
以上〔1〕ないし〔8〕の事実にかんがみると、原判決が「争点に対する判断」の第七、
三、4で説示のとおり、B手帳は、医師や看護婦が記録した手術記事や手術記録等の仮還付(原審・検一二四七、一二五二)が被告人に対してなされた昭和五六年八月四日以降に、これを参照しながら、作出された可能性もなくはない。
3 ただ、当審で取り調べたW2作成の鑑定結果報告書(弁一八)及び同人の当審証言によれば、B手帳付着の土壌粒子は、水害の濁流水に遭って付着した可能性が高いと認められるとともに、当審で取り調べた証拠(当審・弁二〇のり災証明書写し、同弁二一のり災証明書、同弁二二の熊本都市圏の航空写真、同二三の「昭和五五年版防災・消防・保安年報」抜粋写し)によれば、I子がB手帳等を保管していたという倉庫は、昭和五五年七月三〇日の水害に遭い床上浸水の被害に遭っていることが認められる。また、B手帳の記載を子細に観察すると、ある期間のまとまり毎に筆記具、筆勢、筆圧が異なり、手術記事、手術記録にある患者名を誤記しているものもあって、後に意図的に一気に作出するのは困難であると思われる。また、当審で取り調べた医師U1、同V1の各証人尋問調書、同W1の供述を録画した八ミリビデオテープ(当審・弁六、前同押号の符号五〇)によれば、同人らがいずれも被告人と個人的に親しい間柄にあり供述の証明力を割り引いて考えなければならないとはいえ、金銭出納帳で公表された以外にも応援医師がいたのではないかとの疑いを否定することができない。
4 そこで、以下B手帳が後で作出されたものではなく、記載の日付からそう離れていないうちにI子によって書かれたものであることを前提にして、公表外の応援医師への謝礼等の経費の額を検討することにするが、〔1〕B手帳の記載の体裁やI子の供述によれば、何日間かまとめてB手帳が記載されたことが明らかであること、〔2〕前述のように記載内容自体アルファベット等きわめて不明確な杜撰なものであること、〔3〕手術担当医ないし立ち会った看護婦が手術中あるいは手術後記憶が新しいうちに手術の経過を詳細に記録するものであることが、その内容から明らかな手術記事(原審・検一二五三ないし一二五五)はもとより、看護婦が手術内容を簡単に記載した手術記録(原審・弁八二―前同押号の符号二五)によっても、B手帳に沿う応援医師の存在がほとんど感じられないこと(V医師の原審第六九回公判証言によれば、同医師は、自己が手術記事を書いたときは、応援医師があればその旨を記載したと供述している。)、〔4〕後記のとおり右の手術の多くを担当したV医師が、手術記事を見ながら明確に応援医師を否定するものが相当数にのぼること(同医師の証言におおむね信用性が認められることは後述)等からすれば、B手帳には応援医師の数や謝礼の額に相当の架空・水増しがあることが強くうかがわれ、右手帳の証明力は低いといわざるを得ず、これを重視して右謝礼額等を計算するのは相当でない。
 
そして、その他応援医師等の存在及び謝礼の額を認定する資料としては、公表の謝礼の額について記載した前記金銭出納帳があるほか、昭和五二年度を中心とした被告人作成の意見書(原審最終陳述書添付―以下「陳述書」という。)、並びにV医師及びI子の各原審証言が存在するに過ぎず、右供述等をもとにしても、専門的な知識が不足している裁判所としては、B手帳に記載された各患者につき、手術記事等に記載された手術内容から、はたして客観的に応援医師が必要な手術であり、現実に応援医師が関与したかを判断することはきわめて困難といわざるを得ない。
 
そこで、以上の資料をもとにして最大限被告人に有利に(多めに)公表外の応援医師への謝礼等の経費の額を認定することとする。
5 昭和五二年については、手術を担当したV医師及び被告人の供述等を尊重して、応援医師数の認定にあたることとし(なお、B手帳にある応援医師のあったのべ日数は七七日となる)、別紙2の「昭和五二年応援医師数認定一覧」に記載のとおり、〔1〕V医師担当の手術については、明確に応援医師の存在を否定している分は、そのとおり否定する一方、否定がないかあっても不明確なものについては(否定していても、金銭出納帳に応援医師の存在を示す記載がある場合は不明確とし)、被告人に有利に応援医師の存在を認め、〔2〕被告人(V医師との共同を含む)担当分については、被告人の陳述書に記載のないものはまず除外し、記載のあるものはB手帳に符合する内容となっていることから、被告人に有利に、陳述書や手術記事の内容から著しく疑問のもの(昭和五二年一月二六日分)を除き、そのとおり認定し、〔3〕加えて、手術記事・手術記録ないし金銭出納帳の記載から、〔1〕〔2〕と重複しない応援医師数(同年八月二五日分)を認定し、〔4〕以上を合計して同年度の応援医師の総数(一〇六人)を算定し、これより金銭出納帳で公表されている応援医師の数(過剰分を含め三九人)を控除して(被告人らは、B手帳記載以外の手術については、応援医師の存在を供述していないところであるので、これを控除するのは当然である。)同年度の簿外応援医師数六七人を求めた。
 
なお、V医師は、原審公判で関係のカルテである手術記事を示されて尋問され、担当した医師の立場から個々明確に供述できるところは明確に供述しており、かかる供述部分につきその信用性を妨げる事情は認められず、これによりB手帳にある昭和五二年中の応援医師の存在を否定したものは、別紙2のとおり、日単位では一九日分となる。三月三一日分は金銭出納帳の記載と齟齬するため、供述不明確と扱った。
 
この結果、被告人とV医師担当の手術の応援医師の有無には、不均衡を生じることとなるが、被告人に最大限有利に認定したためでありやむを得ず、また、V医師にはできるだけ簡単な手術のみやらせたとの被告人の原審第七四回公判供述にも沿うものである。以上に対し、I子は、原審において、B手帳記載の個々の応援医師の必要性について、逐一詳細な供述をなしているところであるが、同人は医師ではないうえ、当該手術に立ち会ったわけでもなく,医師Vの原審証言に反する点や、B手帳に明らかに架空・水増の記載をなしていたと認められるところもあり、考慮の外においた。
6 昭和五三年と五四年の応援医師については、B手帳記載の各患者の手術内容及び応援医師の必要性につき被告人ら手術担当者の確たる説明がない。そこで、やむを得ず、別紙3のとおり、昭和五二年について、手術記録に表われた手術患者総数に対する前記認定した応援医師数の割合を出し、そのうちで数値が後述のとおり信頼度の高い同年五月から一二月のものを用いて、昭和五三年、五四年の各手術患者数にこれを乗じて応援医師の数を計算し(別紙4)、その算出人数から、各年度の金銭出納帳に表われている応援医師の数を差し引いた残りをもって、各年の簿外応援医師数と認定した。 
 
別紙3によれば、昭和五二年一月から次第に応援医師数の対患者数比率が規則性をもって上昇し、五月以降ほぼ一定の比率になっていること(一月から二月は六八パーセント増、二月から三月は六七パーセント増となっており、三月、四月は数値が丁度一致し、両月は一定の応援態勢となったことを示し、以後五月から一二月は〇・五の数値を前後し、その平均値は〇・五四となっている。)が認められ、これも被告人に有利に、五月以降の安定した数値を基準にした応援医師数の対患者数比率をもって、昭和五三年、五四年の応援医師数を計算することにしたものである。
 
以上の方法は、多分に推定を活用し厳密な認定とはいえないものの、他に確たる証拠がないためのやむを得ない措置であるのみならず、幾重にも被告人に有利な認定をしたうえでの計算であるから、被告人のため不利益になることはないと考える。
7 次に、応援医師一人あたりの謝礼額については、B手帳の記載額は、その額自体および木場広一の当審証言に徴しあまりにも高額であり(例えば、I子の原審第六七回公判証言によれば、昭和五二年一二月一日には、一人の患者に応援医師三名の派遣を求め、二名の医師に計二四万円支払ったほか、当時被告人方に止宿していた大学院生のX1医師にまで七万円を支払ったという。)、これを認定の基礎とするのは相当でないと考えられるので、B手帳に記載はないが、金銭出納帳に記載があるもの、したがって正規に支出され格別B手帳から併せて支出されていないと考えられるものを基準にして、被告人に有利に、その最高額である五万円と認定するのが相当と考える。
 
これにより各年の応援医師簿外経費を計算すると、別紙4のとおり、昭和五二年が三三五万円、昭和五三年が一四五万円、昭和五四年が三五五万円となり、被告人の主張は右認定の限度で理由がある。
8 その他、論旨に掲げる看護婦の時間外勤務のお礼や交通費の簿外支払いについては、超過勤務手当として正規の扱いをなし給与支給するに何らの差し支えはないはずであり、また交通費の手渡しについても領収書を作成することも容易であってみれば、全て架空記載と認定せざるを得ない。当直医への謝礼は、当時の金銭出納帳に記帳されているところであり、同様に計上することに支障があるとは認められない。また、苦情処理費や看護婦の求人関係費についても、これを裏付ける客観的資料が全くないことから、架空と認定した。B手帳では昭和五二年九月二五日に、陳述書では同月二三日にある超音波診断装置による診断技法習得のための指導料等も同様に客観的資料が全くなく、経費として認定することはできない。
三 控訴趣意第四点、第六点(被告人のほ脱行為及びほ脱の故意)について
1 論旨は、被告人は、所得税法二三八条一項にいう所得税のほ脱に当たるような行為に及んだことはなく、またその故意の成立に必要な、〔1〕納税義務の認識すなわち課税対象となる所得の認識、〔2〕不正行為の認識すなわち税のほ脱のための当該不正行為を行うことの認識、〔3〕ほ脱結果の認識すなわち税を免れることの認識がなく、原判決が、被告人において、公表計上分の中絶と収入除外分の中絶のカルテを意図的に書き分けし、公表収入に計上する中絶カルテには自ら「人工妊娠中絶」と手書きするかその記載のゴム印(以下「ゴム印」という。)を押し、あるいは事務の者にゴム印を押させ、他方収入除外分の中絶カルテには中絶を示すような表示を一切しなかったと認定しているのは誤りである、というのである。
 
すなわち、被告人は、被告人方病院の開業前に医長として勤務していた丙川病院産婦人科でのカルテの記載方法をそのまま踏襲していたもので、中絶をなす患者について、疾患があり保険適用となる場合にのみ、被告人自らカルテに中絶と手書きをし、それ以外の場合には、保険請求の必要がないのでカルテ上に中絶の記載を行わなかったところ、中絶手術の大分後になって、I子が、前記応援医師への謝礼等簿外経費捻出のため、被告人に無断で、公表収入から除外するものはそのままとし、保険適用外で公表収入に計上するもののみに、主に自ら、あるいは事務員のY1子をして中絶の手書きをするなり、ゴム印を押すなり(昭和五二年当時は、後記のとおりゴム印がなかったので手書きのみ)していたものであると主張する。
2 そこで、検討するに、ことから実際の所得より過少な所得を申告することが所得税法二三八条一項の所得税のほ脱行為に当たることは明らかであり、原判決認定のとおり、被告人にはほ脱の故意も十分認めることができる。
 
本件では、中絶の患者について、所論も認めるように、公表計上分と収入除外分とでカルテの記載方法が変えられていたことは明らかである。ところで、医師法二四条一項によれば、医師は、診療をしたときは診療に関する事項を診療録(カルテ)に記載しなければならないとされているところ、被告人は、収入除外した中絶について、カルテに中絶の事実や中絶手術に必要な薬品名を記載しておらず、中絶は重要な医療行為というべきであるから、その事実の記載がないことだけでも被告人に何らかの意図があったのではないかと疑われてもやむを得ない。被告人の原審第七六回公判供述によっても、他の手術では手術をしたことや手術に使用した薬品名を記載したことが多いとのことであり、V2の原審証人尋問調書では、通常中絶の事実や麻酔、子宮収縮剤の投与のような重要なことはカルテに記載するとの趣旨の供述がある。後記のとおり患者のプライバシーを守るとの説明は、カルテの性質上、とうてい納得することができず、被告人自身当審第二九回公判では、プライバシー保護の点は格別配慮するまでの要はなかった旨供述するところである。保険請求の有無で分けていたとの説明は、その旨をカルテ上に明らかにすれば足りるのであるから、これも説明にはならない。
 
その上、所論によれば、右のように収入から除外した中絶は、カルテにその旨の記載をしないばかりか、後から中絶をしたかどうかも判断することもできないというのである。しかし、中絶の経験の有無は、後刻妊娠や病気で再来した際の対処の方法にも影響を及ぼすことがあると思われ、また、後でトラブルが生じたらどうするかの問題もあり、それなのに中絶をしたかどうか分からないというのは無責任というほかない。所論は、中絶患者の同意書があるから困ることはないというが、本件では、本件収入除外分の患者の同意書はなくなっている。これについて所論は、I子が被告人に無断で外したというのであるが、I子がのちに問題になりかねない措置を被告人に独断でやったとはとうてい考えられず、被告人自ら焼却したという被告人の検察官調書(原審・検七九)中の供述どおりであるかはともかく、いずれにしても被告人の故意を裏付けるといわざるを得ない。
3(一)ところで、原判決は、「争点に対する判断」の第四、二において、原審弁護人が主張する中絶に関するカルテの書き分け方について、〔1〕昭和五二年のカルテにゴム印のあるものが全くないのは不自然ではないか、〔2〕中絶の手書きがあり保険適用がされるはずであるのにそうなっていない、〔3〕ゴム印があり一般診療となるはずなのに保険適用となっている、〔4〕中絶の手書きとゴム印の両方が表示されているカルテがある等弁護人の主張に矛盾するカルテが散見され、この点のI子や被告人の各供述は信用できない旨説示した。
(二)この点につき所論は、〔1〕昭和五二年のカルテにゴム印がないのは、それが昭和五三年三月ころ入手されたもので、それまでは、一般診療で公表収入に計上する中絶カルテには、I子が自ら、あるいはY1子をして中絶の手書きをさせていたものであること、〔2〕手書きであって保険適用となっていないものは、そもそも、その手書きが被告人のものではなく、I子なりY1子のものであり、これが保険不適用と扱われても不自然ではないこと、あるいは被告人が中絶の手書きをしたものであっても、本人が保険証を持参せず、又は後に会計の段階で本人が保険適用ではない一般診療を望んだため、保険適用にならなかったものであること、〔3〕ゴム印があるのに保険適用になったものは、被告人の中絶の手書きがなく一般診療とされていたものに、I子が一旦ゴム印を押したが、後に患者の便宜を考えて保険適用にすることに変更し、被告人において、右ゴム印の脇に「進行性」などと補記したものであること、〔4〕中絶の手書きとゴム印とが重複してなされているものはそれが読みにくかったためで、被告人の手書きがあってゴム印を押したものは保険適用になっており、I子の手書きがあってゴム印が押されたものは一般診療となっていること、と主張し、I子は、当審において右主張に沿う証言をしている。
(三)しかしながら、仮にI子の右説明が納得でき、所論のカルテ記載方法と矛盾するところがないとしても、直ちに本件の被告人の故意を認める妨げにはならないというべきである。のみならず、確かに、カルテの記載及びI子の右証言に照らすと、所論指摘のとおり、昭和五二年のカルテにゴム印はなかったことが認められ、被告人の手書きがあって保険適用になっていないものには、会計の段階で本人が一般診療を望んだためであると理解することができるものがあるが、その他はその供述どおり了解することができない。
(四)いずれも公表中絶カルテであるが、そのうちZ1子(原審・検一二三四、前同押号の符号一三)は、初診日に保険適用の中絶をしているのに、中絶のゴム印があり、そのゴム印の下に「(進行性)」との被告人の手書きが見られる。I子の当審での説明では、一旦診療後、出血があって、即日中絶することになったので、I子がゴム印を押し、その後、被告人が「進行性」と記入したということになるが、手術がなされている以上、被告人がその前に中絶と診断したはずであり、その際に何故、手書きしなかったのか、また一連の診療が終了していないのに、何故I子が初診直後にゴム印を押したのか、その説明がなく、不自然といわざるを得ない。同様のものに、初診の次の診察日に中絶がなされ、その日のカルテ記載にゴム印が押され、被告人の手書きにより「(進行性)」と付記されているA2子(原審・検一二三一、前同押号の符号一〇の一)分があるが、これらについては、被告人が中絶と診断した時にゴム印を押したことが強く推認されるところである。これは、被告人においてゴム印の使用を強く否定していることと明らかに矛盾する。
(五)手書きとゴム印の重複カルテについて、I子は、当審において、B2子(原審・検一二三一、前同押号の符号一、二)は、被告人が保険適用の意味で手書きしたものの、本人から保険を辞退したいという申出があり、「一般」扱いにする意味で、手書きの上にゴム印を押したとしながら、C2子(同証拠請求番号・押収番号)、D2子(同)、E2子(同)、F2子(同)、G2子(原審・検一二三四、前同押号の符号一三)等の分については、ただ被告人の(保険適用の)手書きが読みにくかったので、その上にゴム印を押したというが、これでは、後に一般診療であったか、保険適用であったかの区別が困難になり、場当たり的な供述と言わざるを得ない。このような矛盾が生ずるのは、そもそも手書きとゴム印には保険適用にするか否かの意味はなかったからではないかと考えざるを得ない。
(六)また、H2子(原審・検一二二八、前同押号の符号七の一)、I2子(同)、J2子(原審・検一二三一、同符号一〇の一、二)は、保険証を持参せず、一般診療となることが明らかであるのに、被告人の手書きがなされている。被告人は、原審において、手書きの意味を、事務や会計に保険適用であることを伝えるためと明確に説明していたものが、当審において、その点を追及され、手書きの意味は「保険適用」というのではなく、保険適用とされうる病的状態の場合に記載していたと、従前の供述を訂正しているが、右三名のカルテの傷病名欄が白紙のままとなっているのは何故か、理解できないことになる。これも、被告人の手書きの意味が、必ずしもその全てが保険適用ないし保険適用可能な病的状態を意味するものではないからであると考えられる。
(七)被告人ないしV医師がカルテ記載をなしたK2子(原審・検一二三四、前同押号の符号一三)、L2子(同)、M2子(同)のカルテの処方欄にある、ゴム印の位置を見分するに、わざわざ、被告人なりの独特の項目立ての符号や、記号が記された後に整然と押されている体裁からすると、後で、I子らがカルテの余白を見つけて適宜押印したものではなく、被告人やVらが、カルテ記載の途中で、ゴム印を押していたことは間違いないといわざるを得ない。被告人は、当審第二九回公判において、右の部分は、事務・会計の判断に任せて空白としていたところを、後で事務の方でゴム印を押したものと考えられると供述するが、それでは何故事務の判断で中絶の記入がなしうるよう項目立てをして、空欄としておいたかの説明がなく、意味が理解できないことになる。
(八)以上によれば、被告人の手書きの意味が、保険適用ないし保険適用になる病的状態を意味するものとは認め難いうえ(被告人方病院の受付・会計の事務を担当し、保険請求にも従事しており、当然カルテ記載の意味を知っていたと思われるY1子でさえ、全体として被告人に有利な供述をしている原審証言において、被告人から回ってくるカルテには「人工妊娠中絶」と記載のあるものと、ないものとがあったが、その記載の有無にどのような差があるのか分からなかった旨、所論のシステムを知らなかった趣旨の供述をしているところである。)、被告人方病院でゴム印が用いられたと認められる昭和五三年三月ころ以降、その割合はともかく、被告人及びVもゴム印を使用していたものと認められる。しかも、被告人の当審第二九回公判供述によれば、当時、被告人方病院にゴム印があり、自己が中絶相当と判断した患者で、中絶の手書きをしなかったカルテに、後でI子ら事務の者が中絶のゴム印を押すことがあることを知っていたというのであるから、被告人の右手書きがなく一般診療とされたもののうち、どのような基準でゴム印が押されるかも知っていたものと思われ、少なくとも、その点の判断をI子らに任せていたと解するほかない。4(一)被告人は当審になって、カルテに中絶の記載があっても、病院内で適切に管理されているから、患者のプライバシー漏れが心配されるような状況はなかった旨供述しているが(第二九回公判)、それではプライバシー保護の観点から、以前勤務の病院のカルテ記載方法を踏襲していたと強調してきた、被告人やI子の従前の供述は、信用できないことになる。被告人が当審で述べるように、カルテに中絶と表示しても、プライバシー保護の観点からは、格別の差し支えはないというのなら、医師法二四条の定めるカルテ記載の本則に立って、中絶等の手術・措置は正確に記載されてしかるべきであり、中絶との記載や、それとわかる薬品の記載を、被告人がしなかったというのは、まさに所得税をほ脱するためといわざるを得ない。
(二)I子は、前述のとおり、被告人に無断で、簿外応援医師への謝礼捻出のために、一般診療となった中絶カルテのうちから一部を公表収入に計上しなかったとし、そのため被告人に無断でカルテにゴム印を押したり、あるいはカルテから中絶同意書を外したりしたと供述するが、このようなカルテの記載にかかわる行為を医師であり、夫である被告人に無断でなすとはとうてい信じ難いところである。
(三)被告人の自白調書や、I子の前記検察官調書中に、昭和五二年や昭和五三年の早い時期にゴム印の使用がなかったことを前提にした供述がみられないのは、捜査官の誤導によるのではなく、その後の原審における両名の供述に照らしても、両名がこれを失念していたためと認められ、その供述の信用性を揺るがすことにはならない。
(四)その他の病院関係者の供述の証明力については、Vの検察官調書(原審・検二七)中「中絶後外来の診察の際に、カルテに中絶の記載がないものにつき度々患者の同意書が外されていた」との供述は重要であり、I子の証言と真っ向から反するものである。所論は、V医師は被告人を恨んでおり、供述の証明力が乏しいと主張するが、所論のいうようにたとえ同人の素行が悪かったとしても、同医師の方から被告人を恨んでことさら虚偽の供述をする理由があるとは思われない。次に、Y1子、N2子、O2子の検察官調書が信用性あることは原判決説示のとおりであり、これに反する前二者の原審証言は、カルテに患者が通院していた当時にゴム印が押されているのを見たことがないと供述し、前記被告人の当審供述にも反しており、特にN2子については、その大蔵事務官に対する質問てん末書の内容とも反していて、いずれも信用し難い。
(五)以上の検討を基に、被告人、I子や病院関係者の供述を総合すると、おおむね原判決の認定に沿う事実、つまり、被告人は、意図的に、保険適用のため公表収入に計上せざるを得ない中絶カルテ及び一般診療のなかで公表相当と認めたものに、自ら中絶と手書きをするか、時にゴム印を押し(昭和五三年三月ころから)、またその他の一般診療分については、I子の判断に任せ、同女において、公表収入から除外するものはそのままとし、公表収入に計上するものについて昭和五三年三月までは手書きし、その後はゴム印を押していたものと考えられる(そして実際にはI子は自らだけでなく、事務員のY1子をして手書きさせあるいはゴム印を押させていたことになる。)。
 
その結果、公表せざるを得ない保険適用のカルテに被告人の手書きが集中するのは当然であり、結局手書きやゴム印のあるものは、公表収入に計上されるわけで、その点では、いずれにしても差がなく、区別する必要はないことになる。
(六)加えて、原判決が「争点に対する判断」の第五で説示のとおり、被告人が被告人の病院の建物を賃貸する会社や、薬品を仕入れる会社を、いわゆる節税対策として設立している事実、他人名義又は架空名義で銀行に多額の特別定期預金口座を開設し、あるいは証券会社から多額の株式ファンドを購入している事実、その際、自ら、名義を借りるため他人と交渉を行い、あるいは、本件による国税局の調査開始後、自ら、証券会社支店長に対し、仮名の取引であることを言わないように口止めする工作を行っている事実等は、被告人が経理、蓄財関係に強い関心を有し、自ら積極的に関与していたことを強力に示すものであり、被告人が脱税の故意を有していたことによく符合するといえる。なお、被告人が原審の途中まで、脱税の故意を認めていたことも前述のとおりである。
四 控訴趣意第七点(財産の増加からみた所得ほ脱の不存在)について
1 論旨は、原判決は、「争点に対する判断」第九において、昭和五二年から昭和五四年までの間に、被告人に合計約一億〇三六八万円の収入除外があったとし、現にうち八〇〇〇万円につきこれを裏付ける財産形成が認められると説示しているが、右資産は被告人の公表所得で十分資産形成が可能なものであり、ほ脱所得の裏付けとならないばかりか、残りの二三六八万円もの金員について使途が不明であるのに、大方の使途が証拠により認定された旨のとうてい首肯し難い判断を示しており、さらに、原判決が用いた損益計算法の計算結果は、財産増減法による計算結果と一致すべきところ、各年ともほ脱所得額と簿外資産の形成に数千万円の過不足を生じて一致しておらず、結局、原判決は、審理不尽の結果、財産増加の点から考察してほ脱所得が存在していないのに、これを認定した誤りがある、というのである。
2(一)そこで、検討するに、原判決が、「争点に対する判断」の第九で説示するところは、被告人が、検察官調書(原審・検八一、八二)において、当該年度の間に所得から除外した金員の使途先として大まかに供述したものが、他の証拠と合致しており、本件脱税の一つの裏付けになるとしているに過ぎず、各年度の期首、期末の財産額を認定しその増減額をもとに所得額を算定する財産増減法による計算を試みたものではない。したがって、右の財産化は、あくまでも被告人の供述を基に認定しているのであるから、所論が、右財産は、公表所得から財産化した可能性があると主張したり、残りの二三六八万円の使途が不明であるとの原判決の説示を非難しているのは、筋違いの議論といわなければならない。
 
そして、右検察官調書は、前述のとおり供述の任意性に疑いはないうえ、右供述にかかる公表除外分の所得の財産化のうちの多くの部分を占める、昭和五二年一一月から昭和五五年六月までの間における、新たな合計七〇〇〇口(原判決が七〇〇〇万口としているのは誤記)総額七二五〇万円の株式ファンドの購入が架空名義でなされていることや、国税局の捜索後被告人が隠匿工作を行ったことに照らし、右の資産が脱税額の財産化としての裏付けとなる旨説示しているのは正当と考えられる。一般に、公表している所得からあえて架空名義で預金等をする必要性があるとは考えられず、右株式ファンドの購入が、公表除外分の所得からの財産化と疑われてもやむを得ない。
 
所論は、原判決が各年ごとの所得によらず三年を通算して資産面における裏付けがあるとする点や、右七二五〇万円の株式ファンドには、昭和五五年になって取得したものも含まれている点などについて、会計年度を無視した著しく不合理なものであると主張するが、前記のとおり、原判決は、被告人の自白を前提にこれを裏付ける財産形成があるとの趣旨を認定・説示するものであって、財産増減法による裏付けがあるとするものではないから、
所論は、原判決を正解しないものである。
(二)本件は、損益計算法により被告人の所得及びほ脱額の認定をした事案であるところ、損益計算法は、税法の計算規定に従った本来の所得の計算方法である(所得税法三六条一項、三七条一項)のに対し、財産増減法は、損益計算法によって算出されたならば得られたであろう所得金額と同一の金額を情況証拠によって間接に立証する方法であるから、本件のように損益計算法によって所得額を直接算出できる以上、それを財産増減法によって検算する要はない。
 
もっとも、本件においては、本件公訴提起前に、国税当局において、財産増減法による計算を試みたようであり、Bの当審公判における証言及び同人作成の「脱税額計算書説明資料」(当審・検一)によれば、昭和五二年から昭和五四年までの各年度の修正損益計算書にみられる被告人の事業収益の増加額と、修正貸借対照表にみられる資産の増加額とを比較すると、昭和五二年が二四四二万七六七八円の、昭和五三年が二七七六万〇六〇一円の、昭和五四年が五三四〇万六六三三円の不突合金がみられるが(ただし、昭和五四年の修正貸借対照表の資産の部の当期増金額にある三三八七万八一七五円の株式購入資金は、P2子への簿外の預け金六〇〇〇万円のうちから支出されたものと認められるところ、右の預け金は、右修正貸借対照表には計上されていないことから、これを計算に入れて同年の不突合金額を求めると、差引き一九五二万八四五八円にとどまる。)、本件では、前述のとおり多額の中絶収入が公表されていないにもかかわらず(この点は被告人らも争っていない。),これに関する金銭の出納や同意書等の記録が残されていないばかりでなく、架空名義による株式や預金の取得、P2子への簿外預け金などがあり、被告人が関係者に隠蔽工作を行っていた形跡も認められるのであるから、証拠上被告人の資産について不確定の要素が多いため、被告人の各年度の期首、期末の全財産額を把握することがきわめて困難な事案であり、前記のとおりの不突合金が存在するからといって、損益計算法によって算出されたほ脱所得額の正確性を左右することにはならない。
3 所論は、税理士であるX2の当審証言及び同人作成の鑑定所見書(当審・弁七)を主な根拠にして、被告人の資産増は、公表所得から形成することが可能であると主張する。しかしながら、右の鑑定所見書等も被告人の各期の期首期末の正確な財産額をもとにその増減額を計算する厳密な意味の財産増減法による計算を行ったものではなく、限られた資料をもとに、毎期のおおよその医業外資産の増加とその資金源を挙げたものに過ぎず、損益計算法により原判決が算定したほ脱所得の正確性を左右するものではない。以下、所論にかんがみ補足して判断を加えるが、いずれにしても、損益計算法による計算結果を揺るがすものではない。 
(一)昭和五二年から昭和五四年までの三年間の公表所得金額から財産化が可能であるかの点については、所論は、申告所得金額から納税額(源泉徴収額控除前)を控除した、いわゆる税引き後の金額を可分所得とし、これをもって被告人の前記資産形成が可能であるとするが、被告人の当該年分の公表上の所得の内訳をみると、大半が事業所得であり、原則として事業所得の計算上、損益計算書による所得金額と貸借対照表の所得金額は一致することとされており、少なくとも公表されている損益計算書の所得金額と貸借対照表の所得金額は一致していることから、事業所得は他の資産に転化していることになり、所論主張のように、直ちに簿外資産の原資にはならない。公表されている事業主貸からは、前記のとおり通常架空名義の株式ファンド等購入の費用に充てることは考えられず、被告人の場合、多額の所得税・住民税の支払いや、生活費、子供の学校関係の費用等に充てられたものと思われる。所論には、検察官指摘のとおり誤りがある。
(二)所論は、熊本東税務署長の発した更正通知書と原判決別紙「ほ脱税額計算書」の比較から、昭和五三年は七五万二二〇八円の、昭和五四年は四三八万九五七〇円の不動産所得が欠落しているとして、計五一四万一七七八円を可分所得に加算しているが、右不動産所得の金額は資産合算課税を行うため更正通知書の記載上、合算世帯員の不動産所得の金額が計算上合計されたに過ぎず、現実に所得が合算されたことを意味するものではないから、前提の理解を誤っているというほかない。同様、所論は、昭和五三年分に二二万〇二八八円の税額の表示の誤りがあるとするが、これも資産合算課税の税額計算上の数値を、被告人の所得と混同したものと考えられる。
(三)所論及びこれに沿う右鑑定所見書は、被告人の前記株式ファンドから得た分配金を、国税局は何らの根拠を示すことなく、前記修正貸借対照表では、店主借として処理しているが、原判決は、この分配金が店主借として自然消滅したか否かを検討すべきであるのに、全く審理していないが、これは何らかの資産となったとみるべきであると主張し、前記X2証人はこれを補足して「店主借とは、個人事業でのお金を私的な個人用に消費した金額をいい、前記株式ファンドからの分配金は、右所論指摘のとおり消滅処理されている。」旨供述するが、そもそも、店主借(事業主借)とは正しくは、事業資金として事業主から受入れた金額や預金通帳につけ込まれている利息など事業所得以外の収入で事業に受け入れたものを指すのであり、X2証言が定義する店主借は、店主貸(事業主貸)のことであって、すなわち生活費その他の家事上の費用や所得税、住民税など事業所得の必要経費にならない租税公課、商品などの家事消費金額などをいうのであるから、右証言は、店主貸、店主借の基本的な意義を取り違えている。そのうえ、右修正貸借対照表では、右株式ファンドからの分配金は、店主借として適正に受入処理されており、消滅処理はされていない。
(四)所論は、医業外(簿外)資産の増加の資金源に、P2子への預け金六〇〇〇万円があるとし、これから昭和五四年に株式取得に充てた三三八七万八一七五円を除いて、残二六一二万一八二五円の「預け金戻り」があったとするところ、確かに株式の取得については事実と認められるが、預け金六〇〇〇万円と株式取得費との右差額は、昭和五四年末までは被告人に返還されておらず、昭和五五年に株式の一部の売却代金と合わせて国債を取得しているのであるから(P2子の検察官調書、原審・検五六)、これを簿外資産増加の資金源とすることはできない。
(五)所論は、被告人の所得に合わせて、被告人の妻I子には、有限会社丁原商事、有限会社戊田商事、甲野病院の三箇所から、昭和五二年ないし昭和五四年の三か年で、合計四一一六万六二四〇円の税引き後の給与収入があったとして、これを補完する主張をなしている。しかしながら、節税対策として設立した会社からの給与収入を、わざわざ架空名義での株式ファンド等の購入に充てることは一般に考えられないことであり、また、他人の所得を簿外資産の取得資金とする主張は論外といわざるを得ない。
(六)所論は、被告人には昭和五一年一二月三一日現在の資産として二億六一二三万円があり、この資産は昭和五二年度以降に繰り越され、投資信託受益証券等の配当金は当該年度の資産増となり、貸付金・未収金等は当該年度の別個の資産に転化していくものであり、原判決は、その転移に対する審理を放棄していると主張するが、これら昭和五一年一二月末の資産については、P2子への預け金六〇〇〇万円以外は、国税局の調査により全て把握され、修正貸借対照表上に記載されている(当審・検一)。P2子への預け金はこれには表現されていないが、右対象年度以前からの持ち込み資産から転化した簿外資産は、前述のとおり昭和五四年の株式取得分だけであり、これは昭和五二年以前からの資産の転化として、本件での昭和五二年ないし昭和五四年までのほ脱所得からの簿外資産形成の把握にあたっては除外されるところ、原判決は、右預け金を被告人の前記八〇〇〇万円にのぼる簿外資産形成には掲げておらず、その判断は正当であり、所論は失当である。
(七)ただ、所論が、被告人において、昭和五四年に山林や畑等の不動産を処分した代金二二六七万円から、既に申告済みの譲渡所得一六二一万七〇〇〇円を差し引いた六四五万三〇〇〇円を同年の公表可処分所得に加算している点については、考え方として誤りはないが、その金額は、同年の簿外資産形成のうち原資の明らかな株式取得分を除いた株式ファンド購入三一五〇万円、無記名定期預金預け入れ二一五〇万円(当審・検一)の合計五三〇〇万円に対し僅少であって、それ自体、これらの資金源であると説明するに足りるものではない。
(八)なお、前記鑑定所見書及びX2証言は、昭和五二年ないし昭和五四年の公表外の損益計算書、医師報酬一覧表、総勘定元帳を作成し、損益計算法によるほ脱所得の有無について検証を試みたとして、被告人にほ脱所得はなかったとするが、これは、右所見書の内容からみて明らかなように、B手帳が全面的に信用しうるものであることを前提に、日々の応援医師に対する報酬の額を確定して毎月の収入除外額を推定し、公表金銭出納帳の各年末の受入れ金を確認して、この額を除外収入残高として逆算して作成したものであり、結論が先に立った意味のない検証と断ぜざるを得ない。
4(一)加えて、弁護人らは当審における事実取調べ後の弁論において、被告人は、捜査段階で検察官に対し、「株式ファンドについて、そのうちの昭和五三年四月一〇日購入のS2名義の一七九五万五〇〇〇円分と、同年五月八日購入のQ2名義の一〇五八万二〇一三円分については、R2ないしS2名義の株式ファンドの買い換えであることが、検察庁の調査で判明したのでそれに違いない。」旨供述しているが(原審・検八二)、昭和五六年一月二六日付け査察官調査事績書(証券)(原審・検七)を見ると、昭和五三年四月一〇日R2名義の株式ファンドを解約して支払われた代金は手取り二九八万九九〇七円、同じように同年五月八日にY2名義の株式ファンドを解約して支払われた代金は手取り一五八万六六八七円にしか過ぎず(原審・検七)、とうてい買い換えに足りる金銭の支払いはなされていないことから、検察官が被告人に示したと思われる資料自体に国税当局が調査収集した資料とも齟齬をきたしており、これに誤導された被告人の供述には任意性・信用性がないことは明らかであるとも主張する。しかしながら、右査察官事績調査書及び日興証券株式会社熊本支店総務課長作成の証明書(原審・検七二)添付資料を精査するに、弁護人らが主張する手取り金は、株式ファンドの収益分配金のみをさしており、解約に際してはもとより元金も合わせて返還されており、これを合計した手取り額は、昭和五三年四月解約分は一七九八万九九〇七円、同年五月解約分が一〇五八万六六八七円であり、いずれも買い換えに足る金額であり、弁護人らの右主張は関係資料を見誤っての立論といわざるを得ない。
(二)また、弁護人らは、昭和五五年九月八日の国税局臨検てん末書(原審・検一六)によると、被告人方自宅を捜索した際に、現金八一三万一九七〇円(七一三万一九七〇円の誤記と認められる。)が発見されており、そのうちの四二四万円はゴルフボール箱の中にあったとされているのに、原判決が何故その一部の三五〇万円のみをほ脱所得よりの現金であると識別したか根拠は不可解であるとも非難するが、原判決は、被告人の検察官調書(原審・検八二)により三五〇万円を特定したものであり、誤りはない。
 
ところで、ゴルフボール箱内から発見された現金四二四万円のうち三〇〇万円については、銀行帯封の付された一〇〇万円三束であったこと、及びその帯封にはいずれも昭和五五年七月二一日の日付印のあることが認められるところであり(右臨検てん末書)、したがって、その三〇〇万円の札束は、同日以降に被告人の手に入ったことになる。しかも、ゴルフボール箱内には四二四万円しかなかったのであるから、右三〇〇万円はこれが被告人の自白する三五〇万円の一部と考えるほかない。そこで、弁護人らは、右三五〇万円の現金については、昭和五四年末までの本件所得ほ脱により得られたものとする原判決の結論は、論拠を欠いていると主張する。
 
しかし、被告人は、ほ脱にかかる右三五〇万円を所持していた経緯について、「昭和五五年四月ころ、ゴルフコーチをしてくれている人に貸してあげようと思い、紙袋に入れてダイニングキッチンのテレビの横の棚の上に置いておいたところ、妻に発見された。とっさにV医師へのボーナスであると嘘を言ってとりつくろった。その後、妻からV医師に現金が渡されたので、自分がV医師から返還を受けて、所持していた。」旨供述するところであってみれば(原審・検八二)、右の過程のどこかで従前被告人が所持していた現金が銀行の帯封のある札束になることは十分考えられるところであり、発見された札束の帯封日付印から、被告人の自白する右三五〇万円のほ脱所得を否定することにはならない。
5 その他、所論にかんがみ記録を調査、検討しても、財産増加の面からの考察において、原判決の認定に誤りはない。
五 まとめ
 
以上によれば、原判決は、被告人方病院における昭和五二年ないし昭和五四年の事業所得の認定において、一部ではあるが、過大に中絶件数を認定しており、他方相当額の簿外経費の認定をしなかった誤りがあることになる。
 
そこで、各年のほ脱にかかる事業所得額及びほ脱所得税額を改めて計算するに、〔1〕各年の早期中絶の単価は、原判決が「争点に対する判断」の第一一、一で、関係する昭和五二年現金収入レジ控帳(原審・検七〇七、前同押号の符号一)、昭和五二年分レシート三巻(原審・検七〇八、前同押号の符号二ないし四)、公表中絶カルテ綴り(昭和五二年ないし昭和五四年分)、金銭出納帳(昭和五三年、五四年分―原審・検七一〇、七一一、前同押号の符号五、六)等の関係資料を基に、昭和五二年が二万五〇〇〇円、昭和五三年が二万七〇〇〇円、昭和五四年が二万八〇〇〇円と認定するところは正当として是認することができる。また、〔2〕簿外で仕入れ使用した薬剤(麻酔薬「ラボナール」)の経費については、原判決が「争点に対する判断」の第八及び第一一、二、4で、O2子、N2子及び被告人の各検察官調書(原審・検二九、三〇、七九)、脱税額計算書説明資料(原審・検一二五一の同意部分)、請求書綴り(原審・検一二七一、一二七二―前同押号符号三五、三六)、仕入帳(原審・検一二七〇、一二七四―前同押号符号三四、三八)、前記手術記事等関係証拠により、中絶患者一人にラボナール一本(薬剤粉末と溶解液の組アンプル)が必要であるとし、右薬剤についての各年の期首・期末棚卸本数、仕入れ本数、中絶以外の一般手術への使用本数、公表中絶件数やこれに基づき計算される、収入除外の中絶に充てられた公表仕入れからの使用量は、検察官及び被告人側の主張とを対比して別紙「ラボナール使用状況対比表」(当判決では標記を一部改めて別紙1として添付)のとおりであると認定するところは正当であり(したがって、収入除外中絶の薬剤経費としては、各年の同件数を基にした使用量から、公表仕入れから充てられた使用量《同表中の最下段「除外件数」欄》を差し引いたものとなる。)、そのアンプル組一本の単価も、原判決が同第一一、二で、昭和五二年一六六円、昭和五三年一九〇円、昭和五四年一九〇円と認定するところも正当として是認することができる(なお、中絶に用いられた、ラボナール以外の薬品等はすべて公表で仕入れられ、経費として計上されており、これをラボナールと同様に簿外経費として扱うべき理由はない。)。
 
そこで、前記認定の公表収入から除外した中絶件数及び簿外経費を基に、ほ脱にかかる事業所得額及びほ脱額を求めると、別紙5ないし10の各年修正損益計算書及び税額計算書(ほ脱所得の内訳明細は別紙11)のとおりとなり(簿外の応援医師謝礼金は、公表分が雑費に含まれていると思われるので、雑費勘定に計上した。)、〔1〕昭和五二年の実際の所得額が七六六一万六六〇二円(原判決認定額八〇一三万八四九六円)、所得税額が三七三一万三九〇〇円(原判決認定額三九七七万九三〇〇円)、ほ脱税額が二二七八万四八〇〇円(原判決認定額二五二五万〇二〇〇円)、〔2〕昭和五三年の実際の所得額が八六八九万八九七三円(同八八四三万七一八三円)、所得税額が四四九六万二七〇〇円(同四六一一万六二〇〇円)、ほ脱税額が二四二〇万五八〇〇円(同二五三五万九三〇〇円)、〔3〕昭和五四年の実際所得額(分離課税の所得金額を含む。)が八九八一万六〇三三円(同九三三六万五六七六円)、所得税額が三八五三万四七〇〇円(同四〇九三万四〇〇〇円)、ほ脱税額が一八二三万一二〇〇円(同二〇六三万〇五〇〇円)となる。
 
してみると、原判決には、右各年度につき、主に応援医師に対する謝礼の事実について判断を誤り、経費を過少に認定した結果、実際の額を相当額超える過大な所得額及びほ脱税額を認定した事実の誤認があり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は右の限度で理由がある。
第三 その他の主張
一 控訴趣意第九点(公訴権濫用・法令適用の誤り)について
 
論旨は、要するに、原判決には、不法に公訴を受理した違法があって刑訴法三七八条二号によって破棄されるべきであり、かりに不法に公訴を受理した場合に該当しないとしても、同法三八〇条に所定の法令適用の誤りがあることが明らかで、その違法は判決に影響すべきものであるから、この点においても破棄を免れず、いずれにしても同法三三八条四号によって公訴棄却の判決を自判すべきであるとし、その理由として、第一に、本件公訴提起は、大型間接税導入に対する世論の批判的傾向を沈静化する方途としてなされたものであり、検察官がこのような特異意図の下に、不平等に訴追したものであるとし、第二に、本件のカルテの捜索差押手続は違法であり、公訴提起に至る一連の捜査過程でその枢軸部分にデュープロセスの要請に背馳するような違法がある場合に該当すると主張する。
 
しかしながら、第二については、カルテの捜索差押手続が違法でないことは、既に判断したとおりであり、第一については、本件は、昭和五二年から昭和五四年までの三年間に、計画的かつ継続的に、合計七〇〇〇万円余りの所得税をほ脱したとして起訴された事案であって、これが軽微な事案でないことは明らかであり、また、本件起訴当時、この事実を立証するに足りる証拠が存在していたことも認められ、記録上検察官の特定の意図に基づく起訴をうかがわせる事情は認められない。結局、本件公訴の提起自体を無効とするような事情は全く認められず、本件公訴提起が適法であることは明らかであって、弁護人の主張は、独自の見解であり採用できない。論旨は理由がない。
二 控訴趣意第一〇点(訴因不特定、審理不尽)について
 
論旨は、要するに、本件公訴は各起訴年度のほ脱税額の具体的特定を欠くだけでなく、原審判決も漫然これに追随したため審理不尽の違法をおかし、ひいては審判の請求を受けない事件(訴因逸脱)について判決したか、あるいは有罪判決の理由中の「罪となるべき事実」の特定を欠いたものであるから、刑訴法三七八条三号によって破棄されるべきである、というのである。
 
しかしながら、本件起訴状には各年の総所得金額、所得税額、ほ脱税額の記載(原審第一回公判において、これら金額の一部につき、訴因の一部訂正・変更がなされている。)があり、訴因の特定として欠けるところはなく、原判決の認定はこれらをわずか減じた額の認定となっており、訴因を逸脱していないことはもとより、犯罪事実の特定に欠けるところがないことは明らかであり、また、既に詳述したとおり、証拠上一部を除いて、その事実が認定できるのであるから、審理不尽とすべき点もなく、論旨は理由がない。
第四 結論
 
よって、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条ただし書によりさらに判決する。
(犯罪事実)
 
被告人は熊本市《番地略》において、産婦人科病院を経営しているものであるが、自己の所得税を免れようと企て、自由診療収入である人工妊娠中絶費用の一部を正規の帳簿に記載しないで除外するなどの不正手段により、所得の一部を秘匿したうえ、
一 昭和五二年分の実際所得金額が七六六一万六六〇二円で、これに対する所得税額は三七三一万三九〇〇円であるにかかわらず、昭和五三年三月一五日,熊本市東町三番地一五所在の熊本東税務署において、同税務署長に対し、総所得金額は四二七四万九三七〇円で、これに対する所得税額は一四五二万九一〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により、昭和五二年分の正規の所得税三七三一万三九〇〇円との差額二二七八万四八〇〇円を免れ、
二 昭和五三年分の実際所得金額が八六八九万八九七三円で、これに対する所得税額は四四九六万二七〇〇円であるにかかわらず、昭和五四年三月一五日、前記熊本東税務署において、同税務署長に対し、総所得金額は五二九三万六七五三円で、これに対する所得税額は二〇七五万六九〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により、昭和五三年分の正規の所得税額四四九六万二七〇〇円との差額二四二〇万五八〇〇円を免れ、
三 昭和五四年分の実際所得金額が八九八一万六〇三三円で、これに対する所得税額は三八五三万四七〇〇円であるにかかわらず、昭和五五年三月一五日、前記熊本東税務署において、同税務署長に対し、総所得金額は六二五六万六九九一円で、これに対する所得税額は二〇三〇万三五〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により、昭和五四年分の正規の所得税額三八五三万四七〇〇円との差額一八二三万一二〇〇円を免れたものである。
(証拠の標目)《略》
(法令の適用)
 
被告人の判示各所為は、いずれも、昭和五六年法律第五四号「脱税に係る罰則の整備等を図るための国税関係法律の一部を改正する法律」附則五条により、同法による改正前の所得税法二三八条一項に該当するところ、所定刑中いずれも懲役刑及び罰金刑を選択し、かつ、各罪について情状により同条二項を適用し、以上は平成七年法律第九一号附則二条一項本文により、同法による改正前の刑法四五条前段の併合罪であるから、懲役刑について同法四七条本文、一〇条により犯情の最も重い判示第三の罪の刑に法定の加重をし、罰金刑については同法四八条二項により判示各罪所定の罰金額を合算し、その刑期及び金額の範囲内で被告人を懲役一年六月及び罰金一五〇〇万円に処し、右罰金を完納することができないときは、同法一八条により金五万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、同法二五条一項によりこの裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予し、原審及び当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文により主文五項掲記のとおり被告人に負担させることとする。 
 
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 清田賢 裁判官 坂主勉 林田宗一)

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