強盗福岡5

強盗福岡5

福岡地方裁判所/平成12年(わ)第1020号等

主文
被告人を無期懲役に処する。
未決勾留日数中700日をその刑に算入する。
押収してある払戻請求書3枚及び郵便貯金払戻金受領証2枚の各偽造部分並びに山刀1丁及びライター1個をいずれも没収する。

理由
(罪となるべき事実)
 
被告人は,
第1 金員強取の目的で,平成11年2月18日午後2時30分ころ,A1a1店店長B1看守にかかる熊本県鹿本郡a1町b1c1番地d1所在の同店事務所に南側出入口から侵入し,同事務所内において,同店従業員C1(当時36歳)に対し,真正散弾銃に見せかけた所携の散弾銃様の模擬銃を突き付けた上,「金を出せ。」などと金員の交付を要求し,もしこの要求に応じなければ,同人の生命,身体にいかなる危害をも加えかねない気勢を示して脅迫し,その反抗を抑圧して金員を強取しようとしたが,同女が「ここには,お金は無いです。」などと申し立てたため,犯行を断念して逃走し,その目的を遂げなかった。
第2 金員強取の目的で,同月23日午前11時ころ,D八代営業所長E(当時37歳)看守にかかる同県八代市e1町f1丁目g1番h1所在の同営業所に出入口から侵入し,同営業所内において,同人に対し,上記の模擬散弾銃を突き付けて脅迫しながら,その左大腿部に所携の注射器で麻酔薬を注射するなどの暴行を加えた上,「毒を注射した。」,「金を出せ。」などの趣旨のことを申し向けて金員の交付を要求し,もしこの要求に応じなければ,同人の生命,身体にいかなる危害をも加えかねない気勢を示して脅迫し,その反抗を抑圧した上,即時同所において,同人から前記会社所有の現金約29万8000円を強取し,その際,前記暴行により,同人に対し,全治2日間程度を要する針刺傷の傷害を負わせた。
第3 金員窃取の目的で,平成12年4月2日午前11時30分ころ,熊本市i1j1丁目k1番l1号のF方自宅兼同人が経営する古美術店「甲」に,浴室窓から屋内に侵入し,同所において,同人所有にかかる現金約68万円及び花瓶等46点(時価合計約180万4000円相当)を窃取した。
第4 金員窃取の目的で,同月15日午前零時ころ,同市m1n1丁目o1番p1号のG方に1階南側腰高窓から侵入し,同所において,同人所有にかかる伊万里焼大皿等107点(時価合計約520万円相当)を窃取した。
第5 骨董品店店主H(当時66歳)を殺害して金品を強取しようと企て,同年5月2日午前11時40分ころ,福岡市q1区r1s1丁目t1番u1号丙ビル1階の骨董品店「骨董屋乙」店内において,同人に対し,その顔面等に所携の動物撃退用スプレーを吹きかけるとともに,その胸部等を所携の山刀(刃体の長さ約22.9センチメートル)で多数回にわたって突き刺し,よって,そのころ,同所において,同人を胸部刺創による右肺動脈切断に伴う失血により死亡させて殺害した上,同人所有の現金約38万円及び染付網干泊舟山水菊花繋文中皿等38点(時価合計約293万300円相当)を強取した。
第6 業務その他正当な理由による場合でないのに,前記第5の日時場所において,刃体の長さ約22.9センチメートルの前記山刀1丁を携帯した。
第7 金員窃取の目的で,同年6月28日午後1時15分ころ,熊本県上益城郡v1町w1x1番地y1所在のI方に西側6畳間の出窓から侵入し,同所において,J所有にかかる指輪等2点(時価合計30万500円相当)を窃取した。
第8 前記Iらが現に住居に使用している前記第7の場所所在の木造セメント瓦葺2階建建物(床面積合計206.5平方メートル)に放火してこれを焼損しようと企て,同日午後1時30分ころ,同建物1階床及び和裁仕事室内のベッド上にガソリンを主成分とするホワイトガソリンをまき散らした上,付近にあった紙片に所携のライターで火をつけ,その紙片を上記ベッド上に置いて火を放ち,その火を壁,天井,床等に燃え移らせて同建物を全焼させ,もって,現に人が住居に使用している建造物を焼損した。
第9 金員窃取の目的で,平成12年8月3日午前1時ころ,熊本市z1a2丁目b2番c2号丁マンションd2号のK方に,台所勝手口から屋内に侵入し,同所において,同人所有又は管理にかかる指輪等33点(時価合計約109万4000円相当)を窃取した。

第10 預金通帳等の窃取の目的で,同日午前7時25分ころ,前記第9のK方に,台所勝手口から屋内に侵入し,同所において,同人所有又は管理にかかる印鑑4本(時価合計約3万6000円相当)及び預金通帳等10点を窃取した。
第11 前掲第10記載の犯行において窃取したK名義の総合口座通帳(L銀行,口座番号※※※※※※)及びM名義の普通預金通帳(L銀行,口座番号※※※※※※※)を利用し,金融機関を欺いて預金払戻金名下に金員を詐取しようと企て,同日午前9時ころ,熊本市d2e2丁目f2番g2号の熊本県庁駐車場に駐車中の普通乗用自動車内において,行使の目的をもって,ほしいままにボールペンを使用し,L銀行の払戻請求書用紙の日付欄に「12・8・3」,口座番号欄に「※※※※※※」,おなまえ欄に「K」,金額欄に「¥540000」と各冒書し,お届印欄に「O」と刻した印鑑を押捺し,もってK名義の額面54万円の払戻請求書1通を偽造し,別の払戻請求書用紙の日付欄に「12・8・3」,口座番号欄に「※※※※※※※」,おなまえ欄に「M」,金額欄に「¥300000」と各冒書し,お届印欄に「O」と刻した印鑑を押捺し,もってM名義の額面30万円の払戻請求書1通を偽造した上,同日午前9時45分ころ,熊本市h2i2丁目j2番k2号のL銀行l2支店において,同店係員N(当時28歳)に対し,前記Kになりすまし正当な払戻請求権者であるかのように装い,かつ,前記偽造にかかる払戻請求書2通をあたかも真正に作成されたもののように装って,前記K名義の総合口座通帳及び前記M名義の普通預金通帳と共に一括して提出行使して,現金合計84万円の払戻しを請求し,前記Nをして,それらの請求書が真正に作成されたものであり,被告人が正当な払戻請求権者である旨誤信させ,よって,そのころ,同所において,前記Nを欺いて前記預金払戻金名下に現金84万円を交付させた。
第12 前掲第10記載の犯行において窃取したK名義の普通預金通帳(L銀行,口座番号※※※※※※※)を利用し,金融機関を欺いて預金払戻金名下に金員を詐取しようと企て,同日午前10時ころ,熊本市m2n2丁目o2番p2号のL銀行q2支店駐車場に駐車中の普通乗用自動車内において,行使の目的をもって,ほしいままにボールペンを使用し,L銀行の払戻請求書用紙の日付欄に「12・8・3」,口座番号欄に「※※※※※※※」,おなまえ欄に「K」,金額欄に「¥330000」と各冒書し,お届印欄に「O」と刻した印鑑を押捺し,もってK名義の額面33万円の払戻請求書1通を偽造した上,そのころ,同支店において,同店係員P(当時28歳)に対し,Kになりすまし正当な払戻請求権者であるかのように装い,かつ,前記偽造にかかる払戻請求書1通をあたかも真正に作成されたもののように装って,前記K名義の普通預金通帳と共に提出行使して,現金33万円の払戻しを請求し,前記Pをして,その請求書が真正に作成されたものであり,被告人が正当な払戻請求権者である旨誤信させ,よって,そのころ,同所において,前記Pを欺いて前記預金払戻金名下に現金33万円を交付させた。
第13 前掲第10記載の犯行において窃取したK名義の郵便貯金総合通帳(番号※※※※※※※※)及びM名義の同通帳(番号※※※※※※※※)を利用し,金融機関を欺いて郵便貯金払戻金名下に金員を詐取しようと企て,同日午前9時ころ,前掲第11記載の熊本県庁駐車場に駐車中の普通乗用自動車内において,行使の目的をもって,ほしいままにボールペンを使用し,郵便貯金払戻金受領証用紙の払戻金額欄に「¥200000」,おところ欄に「※※※-※※※※ z1※-※※-※※ ※※※」,おなまえ欄に「K」と各冒書し,受領印欄に「O」と刻した印鑑を押捺し,もってK名義の額面20万円の郵便貯金払戻金受領証1通を偽造し,別の郵便貯金払戻金受領証用紙の払戻金額欄に「¥160000」,おところ欄に「※※※-※※※※ z1※-※※-※※ ※※※」,おなまえ欄に「M」と各冒書し,受領印欄に「O」と刻した印鑑を押捺し,もってM名義の額面16万円の郵便貯金払戻金受領証1通を偽造した上,同日午前10時30分ころ,熊本市r2町s2番t2号の戊前簡易郵便局において,同局員Q(当時63歳)に対し,前記Kになりすまし正当な払戻請求権者であるかのように装い,かつ,前記偽造にかかる郵便貯金払戻金受領証2通をあたかも真正に作成されたもののように装って,前記K名義の郵便貯金総合通帳及び前記M名義の郵便貯金総合通帳と共に一括して提出行使して,現金合計36万円の払戻しを請求し,前記Qをして,それらの受領証が真正に作成されたものであり,被告人が正当な払戻請求権者である旨誤信させ,よって,そのころ,同所において,前記Qを欺いて前記郵便貯金払戻金名下に現金36万円を交付させた。
(証拠の標目)〈略〉
(事実認定の補足説明及び弁護人の主張に対する判断)
第1 判示第2の事実について
1 争点
 
弁護人は,〔1〕麻酔薬を注射することは強盗罪の手段としての「暴行」に該当せず,〔2〕被害者に全治2日間の針刺傷を負わせただけでは,刑法240条前段の「人を負傷させたとき」には該当しないから,本件では強盗傷人罪は成立せず,建造物侵入罪と強盗罪が成立するに止まる旨主張するので,以下,検討する。
2 本件犯行態様について
 
関係各証拠によれば,以下の事実が認められる。
すなわち,被告人において,D八代営業所に出入口から侵入するや,Eに対し,所携の散弾銃様の模擬銃を突き付けるとともに,「動くな」,「後ろを向け」などと申し向け,後ろを向いたEに対し,その左大腿部に所携の注射矢筒及び注射矢針で麻酔薬を注射し,さらに,「毒を注射しました」,「動くと毒が早く回りますよ」などと申し向けながらポカリスエットの入った注射器を机の上に置いた上で,「私がここに解毒剤をおいていきます」,「全部注射してしまうと,心臓に負担がかかり死んでしまいます」,「少なすぎると効きません」,「私があと30分くらい後に電話しますので,その時使う量を指示します」などと申し向け,最後に,「金を出せ」と語気鋭く申し向けた,というものである。
3 争点〔1〕について
 
弁護人は,被告人がEに対して行った上記の一連の行為の中から,「麻酔薬を注射したこと」のみを捉えて,注射をされたことによって反抗が抑圧されたわけではないから,注射行為は強盗罪にいう「暴行」には当たらない旨主張するかのようである。
しかしながら,強盗罪における「暴行・脅迫」というには,個々の暴行・脅迫行為の抽象的な性質それ自体が,被害者の反抗を抑圧するに足りる程度のものであるまでの必要はないのであり,その該当性の判断は,一連の行為を全体として捉えた上で,これに事案ごとの具体的事情を合わせ考慮して,社会通念上一般に被害者の反抗を抑圧するに足りる程度のものであったといえるか否かにより決せられるものというべきである。
本件において,被告人がEに対して行った上記一連の行為は,全体として捉えれば,一般人をして被告人の言いなりにならなければ殺されると感じさせるに十分なものであり,その他の具体的事情を合わせ考慮しても,社会通念上一般に被害者の反抗を抑圧するに足りる程度のものであることは明らかである。そして,かかる一連の行為の中でも,「麻酔薬の注射行為」は針刺傷や生理的異常といった結果を必然的に発生せしめる行為であり,被害者においてかかる行為を受忍すべきいわれのないことは明らかなのであるから,これは人の身体に対する不法な有形力の行使に他ならない上,その後に続く被告人の「毒を注射しました」等の言葉に真実性・迫真性を持たせてEにその旨信じ込ませるための不可欠の前提行為であって,上記一連の行為の中でも重要な地位を占めるものであるから,強盗罪にいう「暴行」に該当することは明らかである。
4 争点〔2〕について
 
弁護人は,軽微な傷害は強盗傷人罪の「負傷」から除かれるべきであり,本件の全治2日間を要する針刺傷という傷害は極めて軽微なものであることから,刑法240条前段の「負傷」には該当しないものというべきである旨主張する。
しかしながら,まず,軽微な傷害は「負傷」から除かれるべきとする弁護人の上記主張は,政策的・立法的な独自の見解の域を出ないものといわざるを得ない。
また,関係証拠によれば,本件針刺傷は,被告人において当該結果の発生を予期しながらあえて注射矢針という凶器の鋭利な先端を1センチメートル以上突き刺したことによって生じたものであること,かかる針刺傷の生成に伴い,Eは思わず,「あ,痛てっ」と声を出し前のめりになる程度の痛みを覚えたこと,本件後,Eは医師の診断を受けたこと,本件針刺傷につき医師は軽度の腫脹を認め,消毒措置をした上で「傷」であると診断したこと,当該傷口から出血したことが窺われること,の各事実が認められ,これらの事実に照らせば,本件針刺傷は軽度とはいえ人の生活機能を毀損したものに他ならないといえるのであるから,強盗傷人罪にいう「負傷」に該当すると認めることができる。
なお,弁護人は,本件公訴事実では針刺傷の傷害をもって被告人を強盗傷人として起訴しているのであるから,麻酔薬による生理的異常(なお,Eに生理的異常が生じたことは優に認定できる。)を前提として「負傷」とするのは矛盾である旨主張するのであるが,本件公訴事実は,「麻酔薬を注射するなどの暴行を加えた上,前記暴行により,同人に対し,全治2日間を要する針刺傷の傷害を負わせた」というものであり,麻酔薬の注射行為と傷害結果との因果関係は明示してある上,麻酔薬を注射された者に生理的異常が生じ得るのは経験則上明らかといえるから,傷害の有無の判断の際,その生成の際に生じた「痛み」を考慮に入れることに何らの問題もないのと同様に,上記生理的異常を傷害の有無の判断において加味したからといって,一般的に被告人の防御に特段の不利益を生じるとは考えられないし,公訴事実にいう「傷害」と質的に異なる事実を認定したということにはならないと考えられる。そうすると,かかる生理的異常を伴い生じたものであるという点においても,上記「針刺傷」が,強盗傷人罪にいう「負傷」に該当することは明らかと判断される。
第2 判示第5の事実について(事実認定の補足と正当防衛の主張に対する判断)
1 争点
 
弁護人は,被告人が判示の山刀(以下「本件山刀」という。)でHを刺し,その結果として同人を死亡させた事実は認めるが,それは,刃物様のものと思われた凶器を持ってHが被告人に近付いてきたために,被告人が,自己の生命及び身体を防衛するための反撃として行った行為とその結果であるから,被告人には,強盗目的での殺意は存在せず,かつ,正当防衛が成立し,殺人罪については無罪であり,またその後H所有の現金約38万円及び皿等の骨董品複数点を持ち去り取得した事実も認めるが,それはH死亡後に初めて窃盗の犯意を生じて行ったものであるから,窃盗罪にとどまるものである旨主張し,被告人も,第3回公判以降,概ねこれに沿うような供述をするほか,Hに対する殺意自体の存在を否認すると共に,窃取した骨董品の内容及びその評価額も争うところであるので,以下,これらの点について検討する。
2 争点の前提となる認定事実
 
関係各証拠によれば,以下の各事実が認められる。
(1)本件当時の被告人の経済状況
ア 被告人は,高校卒業後の昭和54年4月以降,熊本県庁職員として稼働していたものであるが,やがてパチンコ遊技に興じるようになり,昭和58年ころからは遊興費目的で妻に隠れて消費者金融から借金を始め,次第に借金額がふくらんでいったにもかかわらず,平成7年には妻子の希望をかなえるべく,高額のローンを組んで熊本市内に自宅マンションを購入し,平成10年ころからは新たに骨董品収集にも興味を示してこれに没頭するようになって,借金額は多額に増大し,やがて月々の返済にも窮するようになっていった。しかし被告人は,それでもなお上記遊興を止めることができず,一方で住宅ローン以外にも多額の債務を負っている事実を誰にも相談せずに,むしろ妻子や職場の上司らには決して知られないようひた隠しにする中で,同年7月ころからは,住居侵入盗により借金の返済資金やさらなる遊興費などを調達するようになり,かかる状況下において,平成11年2月18日から同年4月15日にかけて,判示第1の建造物侵入,強盗未遂,第2の建造物侵入,強盗傷人並びに第3,第4の各住居侵入,窃盗事件を敢行した。
イ また,被告人は,金策のために,平成11年10月1日には,熊本市内の某業者との間で,自宅の家具一式を15万1000円で売却した上,これを1日あたり1502円(毎月1日払い)のリース代金を支払って借り受けるという契約をするまでに経済的に追い詰められ,以後その事実を妻子に絶対に知られないようにするために,この家財リース代金の支払いだけは決して期限に遅れることなく返済しなければならないと思い詰めるようになった。
ウ 平成12年5月1日当時,被告人は,総額約3934万円,月額分割返済金合計27万円を超える負債を抱え,そのうち住宅ローンや県職員互助会からの借入金を除いたカードローン,消費者金融等からの借入額だけで総額約707万円で,月々の分割返済金は20万円を超えていたほか,上記家財のリース代金月額約4万5000円余の支払義務を負っていた。
 
そのころには,その給与,賞与や妻のパート収入を加えても,被告人には到底その支払いが及ばない状況に陥っており,分割返済金の支払いはそれ以前から度々滞り,その都度多数の消費者金融会社から返済の督促を受けるようになっていた。
(2)本件前の被告人とHの接触状況等
ア 被告人は,平成12年4月7日,盗品を売って金員を得ようと考え,年次休暇を取り,自宅のある熊本市から福岡市まで出向いて骨董店を探していたところ、昼頃,Hが経営する「骨董屋乙」(以下,「被害店舗」という。)を見つけて入店した。同店内には,被告人には相当高価と思われた古伊万里焼の皿等がたくさん陳列してあった。
 
被告人は,この時初めてHと出会い,骨董品のことについて話し込むなどして1,2時間を被害店舗で過ごし,その間に盗品であるミジンなます皿5枚をHに買い取ってもらうこととしたが,代わりに猪口3点を購入してしまい,結局その差額代金をHに支払った。 

 その際,被告人は,Hがカップラーメンをすすりながら,「いつも一人なんよ。」と話していたことなどから,同人が独身の1人暮らしであると考えた。
イ 被告人は,同月26日ころ,その所持していたノートに,「作戦名ホワイト」と題して,「実行日 H12.4.26」「タイム ルート 場所 移動手段 行動内容」「0:00 高速 車 太宰府インター 車 己競技場 庚公園<P> 徒歩 乙 徒歩 庚公園<P> 車 太宰府インター 高速 車 熊本」「※ バンソウコウ,くつ,着替,バッグ」という内容のメモ書きを作成した。
 
被告人は,同月26日,年次休暇を取って被害店舗に赴いたが,同日,同店は閉まっていた。
ウ 被告人は,同年5月1日,その日が家財リース代金4万6562円の支払期限であったにもかかわらず,これを捻出するあてがなかったことから,熊本県内で盗んだ骨董品をHに高く買ってもらおうと考え,出張業務を装って職場を離れ,自己所有車を運転して,午前中に高速自動車道を使って福岡市内に向かい,昼前後には被害店舗に赴いた。しかし,高値がつくと自信を持っていたガレのガラス製品等は,贋作である等として買い取ってもらえず,結局被告人は,Hに対し,自分では二,三十万円の価値はあると思っていた古伊万里の深皿1枚となます皿5枚組を渡して,Hから5万円を受け取った。
 
銀行振込では上記リース代金の支払期限に間に合わないと考えた被告人は,Hから受領した5万円を手にするや,昼過ぎに高速自動車道を使って熊本市内に戻り,リース会社に赴いて直接リース代金を支払ったが,その後再び高速自動車道を使って福岡市内の被害店舗に赴き,その後夕方にはまた高速自動車道を使って熊本市内の自宅に戻るという行動に出た。
(3)本件当日の経過
ア 被告人は,平成12年5月2日の朝,職場に電話連絡をして急遽年次休暇を取得すると,自己所有車を運転し,午前8時41分ころには熊本インターチェンジから九州自動車道に入り,午前9時46分ころ太宰府インターチェンジを通過して被害店舗に赴いた。
イ 同日,Hは午前10時9分ころに被害店舗を開けており,午前11時ころまでは,その存命が確認されていた。
ウ 被告人は,同日午前11時40分ころ,ダンボール箱に入れて被害店舗内に持ち込んだ動物撃退用スプレー(唐辛子の1成分であるカプサイシンを含有するもの,以下,「本件スプレー」という。)を,左手に持って,Hに対して吹き掛けた。
エ その直後,被告人は,Hに対して,同様にダンボール箱に入れて被害店舗に持ち込んだ刃体の長さ約22.9センチメートルの本件山刀(付属の,ボタン2個が付いた革製ケースが外された状態のもの)を,利き腕である右手に持って振るい,Hは,その結果として,後記のとおりの多数の創傷を負い,これらの創傷による失血を原因として間もなく被害店舗内で死亡した。
オ その後被告人は,死亡したHのズボンのポケット内から現金約38万円が入った財布を取ると共に,被害店舗内にあった骨董品37点を,ナイロン製手提袋2つに詰め込むなどして,自己所有車内に運び入れ,逃走した。その際使用したナイロン製手提袋は,判示第3及び第4の各住居侵入,窃盗事件の際にも使用したものであった。そして,同日午後零時28分ころには,太宰府インターチェンジを通過して九州自動車道に入り,午後1時9分ころ,a1料金所で下りた。
カ その後,被告人は,借入金の返済分として,同日午後1時56分,熊本市q2町内の現金自動預払機で,「株式会社R」に対して期限に8日遅れて4万円の入金を,午後1時59分にその隣にあった「株式会社S」の現金自動預払機で,同社に対して期限に1日遅れて4万円の入金を,続けて別の現金自動預払機で,「T株式会社」に対して期限に8日遅れて3万6560円の入金を,午後2時39分に熊本市u2町内の銀行から「U株式会社」に対して期限に2か月以上遅れて2万8389円の振込送金を,それぞれ行い,借金の分割返済金を支払った。
(4)本件直後の被害店舗内の状況
 
Hの死体は,平成12年5月2日午後2時ころ発見され,同日午後2時45分から夜間の中断を挟んで翌3日午後1時5分までの間,被害店舗の実況見分が実施された結果,当時の被害店舗及びHの死体の状況等は,以下のとおりであった。
ア 被害店舗の間取り等
 
被害店舗は,間口約4.5メートル(ただし,出入口部から奥へ約4.5メートルまでの間は,間口約3.1メートル),奥行き11メートル弱の,南北に細長い,概ね長方形の造りであり,南側にあるショーウィンドウから1メートル弱奥まった位置に店舗出入口が,最奥部(北側)西側に便所があって,その隣である最奥部(北側)東側は,間口(東西)約3.5メートル,奥行き(南北)約3メートルの台所兼倉庫となっており,同室手前から出入口までの奥行き約7メートルの部分が店舗部分となっている。また,店舗部分奥(北側)の西側は,最奥部の便所や台所兼倉庫に通じるドアに向かうための長さ約1.2メートル,幅約0.9メートルの短い通路(以下「本件通路」という。)となっており,本件通路及び店舗部分と,台所兼倉庫とは,L字形の間仕切りで仕切られる形となっている。台所兼倉庫に通じる唯一通行可能なドアは,本件通路に入ってすぐ右手(東側)にあり,このドアは台所兼倉庫の西側南端に位置する。なお,同室の南側西端には,店舗部分に直接つながるドアもあるが,これは後記のとおり店舗部分前面に和箪笥等が置かれているため,事実上通行できない。
イ 被害店舗の家具配置等
 
店舗部分は,全体にいくつもの陳列台やテーブル等が置かれて,多数の皿,壺等の骨董品が陳列してあるが,その奥側の,間口約4.5メートル,奥行き約2.5メートルのスペースの中央東寄りに,接客用と思われる応接テーブルと4脚の椅子が置かれていて,この応接テーブルセットのさらに奥(北側)には,店舗部分と台所兼倉庫との間仕切りとなる壁及び前記通行不能のドアに接して,丈の低い和箪笥が2竿東西に並べて置かれ,その和箪笥上には,6枚折りの屏風が東西に長く広げて置かれているほか,敷布の上に人形等が展示されている。そして,前記間仕切り壁には,広げた屏風の上に出っ張るような形で,床から2メートルの位置に,大皿10枚を立てかけられる陳列棚が設置されている。また,応接テーブルセット西側には,西壁に接して南から北に,ガラスの陳列ケース等や本棚等が並べられている。
 
上記本棚の奥が本件通路にあたり,ここでは,西壁の少し奥まった部分に洗面台が設置されているほか,本棚から本件通路最奥まで,西側壁際に寄せて,複数の木箱や桐箱,陶器片の入った入れ物等がほぼ隙間無く並べられており,これらの品々や上記本棚の存在によって,本件通路への入口付近は少し狭くなっている。また,上記洗面台の左側(南側)の西壁には,幅33センチメートル,長さ100センチメートルの長方形状に,周囲より壁色が僅かに白く残っている部分があって,後記の割れた鏡が掛けられていた痕であると認められる。
 
本件通路に入ってすぐ右手(東側)のドアから,台所兼倉庫に入ると,同室内には,その北側壁に添って,西端から東に向かって,流し台,ガスコンロ台,食器入れとその下の新聞紙の入った紙袋等,さらにその隣に冷蔵庫等が順次配置されているが,これら炊事スペースの手前と,そこから西側南端ドアにまで通じる通路状のスペースを除いては,至るところに多数の桐箱やダンボール箱,ポリバケツや壺類,工具類等が山積みにされて置かれている。また,前記西側南端ドアを入って左手(北側)には,多数の桐箱が山積みされ,さらにその奥(北側)の流し台手前あたりに,西側壁に接して,肘掛け椅子1脚が置かれている。一方,前記通行不能の南側西端ドアの前面には,ブレザー1着が吊されている。

ウ Hの死体の状況及び犯跡等
(ア)Hの死体は,台所兼倉庫の中で,体幹をうつぶせにし,腰から「く」の字形に屈曲する姿勢で,両足を西側南端ドアの方に向け,頭部が同室奥側の冷蔵庫近くに寄った形で倒れており,西側南端ドアから数歩室内に入ったあたりで倒れた様子が認められた。その左足は,カジュアルシューズを突っかけていたが,その右足には靴を履いていなかった。

 死体が位置していた床上及びその周辺には,刃物,ガラス片,その他鋭利な刃物様の物品の存在は認められなかった。
また,同室北側の,前記流し台下の収納庫扉の片側の包丁刺しには包丁1本が,前記食器入れ上の北側壁に接して置かれた箸入れにはナイフ1本が,それぞれ差入れられていたが,これらにも血痕の付着その他の異変は認められなかった。
 
同室の西側南端ドアは,室の内側にほぼ全開に開かれた状態にあった。
 
また,流し台手前にある前記肘掛け椅子上には,複数のビニール袋や黒色バッグ等が置かれており,その黒色バッグの中に入っていた茶色ショルダーバッグ内には,不透明な水色ビニール袋に輪ゴムを止めたものの中に,現金280万円が入っていた。この黒色バッグには,血痕様のものの付着その他の異変は認められなかった。
(イ)本件通路の床上には,Hが履いていたと認められる右足用のカジュアルシューズがひっくり返って落ちていたほか,タオル掛けとタオル,新聞紙,また前述のとおり,本件前までは洗面台左横(南側)の西壁に吊されていた幅約30センチメートル,長さ100センチメートル前後の鏡が割れて,大きな二つの塊の他,複数の破片の固まりとなって落ち,これらの品々が散乱していた。
 
また,台所兼倉庫と,本件通路及び店舗部分とのL字形の間仕切り壁の南西端(本件通路入口にあたる壁の曲がり角)には,床から132センチメートルの位置に,長さ約2センチメートルの直線状の損傷痕があって,同部分は壁紙表面が破れ,内側の白色石膏ボードが露出し,その損傷部位やその付近に血痕様のものが付着していた。
(ウ)台所兼倉庫では,その床に敷かれていたカーペット表面の,Hの死体の頭部及び胸部が位置していた部分を中心としたその周辺に,多量の未乾燥のヒトのO型血液が付着していた。また,前記通行不能の南側西端ドアには,吊されていたブレザーの左袖端近くに当たる,ドア中央付近(床から110センチメートルの位置)や,全開にされた西側南端ドアの内外の各ドアノブ周辺,またこのドアの外側(本件通路側)のドア枠北側に,いずれもヒトのO型血液を払拭した痕があった。
 
また,本件通路上では,その床面や,床上に落ちているタオル,タオル掛け,鏡片,さらに本件通路と台所兼倉庫の間仕切り壁のうち,本件通路入口付近の壁面(床から105センチメートルの位置)等に,いずれも点々とO型のヒト血液の飛沫が付着していた。
 
また,店舗部分では,本件通路につながる北西奥に置かれた前記本棚の前面に掛けられた絵の額,さらにその手前の床上に置かれた広告紙やダンボール片,前記ガラスの陳列ケース手前に置かれたコインケース,店舗部分と台所兼倉庫との間仕切り壁の西端辺り(床から87センチメートルの位置),この壁に接して東西に並べ置かれた前記2竿の和箪笥のうち西側和箪笥上の敷布西端辺り等に,いずれも点々とO型のヒト血液の飛沫が付着していた。
 
なお,H及び被告人は,いずれもその血液型がO型である。
 
また,被害店舗の南側出入口近くの店舗部分通路の床面上には,栗粒大から示指頭面大の滴下状の血痕が10数点付着していて,少なくともその内3か所から採取した血液は,いずれも被告人のDNAと同一のDNA型のものであることが後に確認された。
(エ)一方,店舗部分の前記応接テーブルセット奥の,店舗部分と台所兼倉庫との間仕切り壁には,その上部に設けられた大皿10枚用の陳列棚中央部の下辺りからから幅約80センチメートルの範囲にわたって,未乾燥の黄色調の液体様のものの滴が付着しており,その前面屏風の手前に置かれた人形等にも,同様の液体様のものが付着していて,これらを採取した液からは,後に唐辛子の辛味成分であるカプサイシンの含有が認められた。店舗部分の前記応接テーブルセット付近では,H死亡当日から2日間にわたって実施された実況見分の開始から終了まで,長時間にわたって,鼻を刺す辛子様の強い刺激臭がただよっていた。
 
また,本件通路最奥にある便所の黒色ドアには,床から高さ152センチメートルの位置に,拳大の血液ではない色調不明の液体様のものが付着して,液が7条下方へ流下しているのが認められ,さらに床から高さ128センチメートルの位置にも,40×40センチメートルの範囲で,同様に血液ではない色調不明の液体様のものが付着し,液が下方へ流下していたほか,本件通路と台所兼倉庫との間仕切り壁で,同室西側南端ドアの左横(北側)にある台所兼倉庫の電灯スイッチパネルにも,前記応接テーブルセット奥の間仕切り壁に付着したものと同様の未乾燥の黄色調の液体様のものが付着していたし,さらに,洗面台に付着した液体様のものからも,後にカプサイシンが検出された。また,実況見分に際しては,本件通路でも,辛子様の強い刺激臭が漂っていた。
 
さらに,台所兼倉庫に倒れていたHの死体の左顔面,鼻部,口部,頚部及び後頭部にも黄色調の未乾燥の液体様のものが付着し,これは後に,カプサイシンを含有するものであることが確認された。また,倒れたHの頭部の上辺りに位置する前記冷蔵庫の前面下部と,肩部の真上辺りに位置する床上に置かれた新聞紙の入った紙袋にも,前記応接テーブルセット奥の間仕切り壁に付着していたと同様の未乾燥の黄色調の液体様のものの付着が認められた。そして,実況見分の際には,台所兼倉庫内でも強い刺激臭が漂っていた。
 
H死亡当日の実況見分に立ち会った同人の妻は,その刺激臭を避けるために,マスクを着用していた。
(5)本件に際してH及び被告人が負った各創傷の部位・程度
ア 死亡したHの身体のうち,胸部には次の(ア)から(ク)までの8か所の創傷があり,いずれも刃体の長さが20センチメートルかそれ以上ある鋭利な刃器の刺入によって生じた刺創であると認められた。
(ア)前胸部上縁正中のすぐ右の右鎖骨右端すぐ下方に,ほぼ左右に長さ3.7センチメートルの創をもって入り,前胸壁右上縁右第1肋間の高さの軟部組織に長さ約3.5センチメートルの創を作り,右第2肋間筋筋肉内に血腫を作って終わる,創口からの深さ約9.5センチメートルの創傷
(イ)前胸部上半正中のすぐ右で上記(ア)の創傷の左創端下3.5センチメートルの所から下右に走る長さ3.4センチメートルの創をもって入り,前胸壁正中のすぐ右側の軟部組織に長さ約2.5センチメートルの創を作り,胸骨右縁表面に微かな血腫を作って終わる,創口からの深さ約3センチメートルの創傷
(ウ)前胸部左上端で左脇窩前縁のすぐ前方に上微か左から下微か右に走る長さ3.4センチメートルの創をもって入り,前胸壁左縁の軟部組織にほぼ上下に走る長さ約4センチメートルの創を作り,正中左約7.5センチメートルの所で左第2肋間筋から第3肋骨硬骨部,第3肋間筋にかけてほぼ上下に約5.5センチメートル切断して胸腔に入り,前縦隔の脂肪組織内に微かな血腫を作って終わる,創口からの深さ約12センチメートルの創傷
(エ)前胸部中央左側で左乳頭の右約3.5センチメートルの所に上やや右から下やや左に走る長さ2.7センチメートルの創をもって入り,前胸壁正中第5肋骨の高さの筋肉にほぼ上下に走る長さ約2.2センチメートルの創を作り,直下の胸骨正中部に上右から下左に走る長さ約1.5センチメートルの骨の創を作って終わる,創口からの深さ約4.5センチメートルの創傷
(オ)左側胸部中央左側に前微か上から後微か下に走る長さ4.5センチメートルの創をもって入り,左側胸壁後縁の筋肉内に僅かな血腫を作って終わる,創口からの深さ約12センチメートルの創傷
(カ)前胸部中央右側で右乳頭の上左約1センチメートルの所に上右から下左に走る長さ4.2センチメートルの創をもって入り,前胸壁正中の右約8センチメートルの第3肋骨に相当する部の軟部組織,筋肉に長さ約5センチメートルの創を作り,その直下の右第3肋間筋から第4肋骨硬骨部の一部にかけて上やや右から下やや左にかけて3.9センチメートル切断して右胸腔内に入り,さらに右肺中葉前面やや外側から肺内に至り,右中葉深部に血腫を作って終わり,この間右中葉内で右肺動脈の枝を切断する,創口からの深さ約15.5センチメートルの創傷
(キ)前胸部下半右側で上記(カ)の創傷の左創端の左約2.4センチメートルのほぼ左右の乳頭を結ぶ線上で右乳頭の左約5.5センチメートルの所から下左に走る長さ5センチメートルの創をもって入り,前胸壁正中の右約4センチメートルの第4肋骨に相当する部の軟部組織,筋肉に長さ約6.5センチメートルの創を作り,その直下の右第4ないし第6肋骨軟骨部を上微か右から下微か左に約8センチメートル切断して右胸腔内に入り,さらに右肺中葉前面やや内側から肺内に至り,右肺中葉深部に血腫を作って終わり,この間右中葉内で右肺動脈の枝を切断する,創口からの深さ約16センチメートルの創傷
(ク)前胸部下縁正中のすぐ右で上記(キ)の創傷の下創端の下約1.5センチメートルの所から下左に走る長さ2.2センチメートルの創をもって入り,前胸壁下縁正中のすぐ右側の軟部組織に長さ約3センチメートルの創を作り,右第7,8肋骨胸骨付着部付近の肋軟骨を上微か右から下微か左にかけて約1.8センチメートル切断して胸腔内に入り,右肺下葉底面(横隔膜)の肺胸膜下に血腫を作って終わり,創口からの深さ約5センチメートルの創傷
イ また,Hの身体には,その背部にも,右上縁の右肩胛骨内側下半部分に,創の長さ1.9センチメートル,深さ約3.5センチメートルの,軟部組織内で終わる,出血がほとんどない創傷があって,前同様の刃器の刺入によって生じた刺創であると認められた。
ウ さらに,Hの身体には,〔1〕その左前腕伸側下3分の1から左手関節小指側にかけてほぼ上下に走る長さ12.5センチメートルの創で,創口に長さ5.5センチメートルにわたって骨が露出し,創底部で尺骨が上下に長さ9センチメートル,幅1ないし0.5センチメートルにわたって面状に切断されるなどし,この創の上創端すぐ屈側にある長さ1.2センチメートルの創と連絡(貫通)する刺創や,〔2〕その左前腕尺側上3分の1の所でほぼ上下に走る長さ5センチメートルの創で,左前腕橈側に上下に走る長さ7センチメートルの創と完全に連絡(貫通)する刺創を始め,他にその左前腕部,左上腕部に,深さ約6センチメートル,約3.5センチメートル,約3センチメートルの刺創がそれぞれ認められ,その左手指にも,指の筋肉や腱を切断して骨に至ったり,創底が腱に至って一部が露出しているような複数の刺切創が認められ,これらの刺創はいずれも前同様の刃器の刺入によって生じたいわゆる防御創である(ただし,切創については上記同様の刃器以外の鋭利な成傷器によって生じたとしても矛盾しない。)と認められた。
エ なお,これらの刺切創のほかにも,Hの顔面には,左外眼角の外側から左頬部上半にかけての小手拳大の範囲に,一部が連続する示指頭面大から栗粒大の皮内・皮下出血があったほか,この範囲で左外眼角のすぐ外側に小指頭面大の圧痕があって,下縁に長さ0.6センチメートルの表皮剥脱を伴っていた。
 
また,左手掌面や左手関節橈側には,長さ2ないし0.4センチメートルの皮膚の創数条が認められた。
オ 一方,被告人は,Hと対峙した際に,左環指中節部尺側ほぼ中央部に,平成12年8月10日時点において,左環指末梢側凸の一辺が1センチメートル,幅が上辺2ミリメートル,下縁1ミリメートルのV字形の疵痕を残す創傷を負い,出血するに至ったが,これに対しては特段医師にかかるなどの手当をすることなく治癒するに至り,それ以外の創傷は負わなかった。
3 被告人の捜査段階における供述の要旨
 
被告人は,捜査段階においては,本件の動機及び犯行状況等について,若干の変遷は見せるものの,概ね次のとおりの供述(以下「捜査段階供述」という。)をして,一貫して事実関係を認めていた。
(1)本件の経緯,動機形成過程について
 
平成12年4月当時,自分は大変な額の借金を抱え,サラ金からの返済督促に追われており,何とかして手っ取り早く金策をしなければならなかった。
 
同月上旬に初めて被害店舗に出向いた際,Hが独り住まいで他に家族はいないと考えたことや,現金商売である骨董店であればいつも財布に数十万円のお金を持っていると知っていたこと,福岡市内であれば,熊本出身の自分の顔を知っている者がいないこと,被害店舗に陳列してあるすばらしい古伊万里焼の皿等を奪えば高値で売却できると思ったこと等から,被害店舗に強盗に入ることを考え付いた。それで同月26日には,手持ちのノートにHの名前からイメージした「作戦名ホワイト」という表題を付して,被害店舗に強盗に入るための計画の概要をメモ書きした上,同日,下見のために年次休暇を取得して被害店舗に赴いたが,この日同店舗は閉まっていたので,被害店舗の隣にコイン式の有料駐車場があることを確認しただけで帰宅した。
 
このように一旦は強盗を計画したものの,空き巣泥棒の方が,強盗よりは確実性は劣っても安全性は高いことから,その後も空き巣泥棒を行っており,サラ金の督促電話がなくなる週末などには,強盗をしようという気持ちは薄れてきていた。ただ,このころには盗みに入った家に金目の物がほとんどなく,金策には成功していなかった。
 
平成12年5月1日は,家財リース代金の支払日であり,手っ取り早く金を作るため,判示第3のF方で窃取した深皿となます皿5枚等を,Hに高く買い取ってもらおうと考え,同年5月1日に出張を装って職場を抜け出し,被害店舗を訪ねた。深皿となます皿5枚は,少なくとも30万円位で売れるものと考えていたのに,Hからいろいろけちを付けられ,これらの皿を5万円に買い叩かれた。そんなに安価なはずはないと思っていたが,家財リース代金の支払期限が迫っていたので,Hとの交渉を余り長引かせるわけにはいかず,結局はHの言い値で売り渡すことになってしまった。
 
家財リース代金の支払期限に間に合わせるため,このお金を持って一旦熊本に戻り,これを支払った。しかし,熊本に戻る車の中で,「何であの深皿となます皿で5万円なんだ,そんなはずがないじゃないか」というショックと悔しさで一杯になり,Hに対する腹立ちを抑えきれなかった。残りの借金の返済方法を考えているうちに,こうなったら最初の計画通りにHから金を強盗するしかない,それも,より多くの現金や骨董品を奪い取るためにも,Hを殺してしまおうと考えるに至った。
 
そこで,被害店舗出入口の内鍵の位置,構造や,隣接する有料駐車場の防犯カメラの有無等,入念な下調べをするために,その足で再び被害店舗に行った。隣接する駐車場に防犯カメラがないことを見た上で,30分程被害店舗にいて,出入口内鍵の形や位置を確認し,あらかじめ奪い取る古伊万里焼の皿等の目星をつけてから,自宅に帰った。再度熊本に帰る車の中で,何回も「人のコレクションを馬鹿にするな」と心の中で叫び,わざとHに対する恨みを高めた。
 
自宅に戻ると,その日の夜にHを殺すための準備をした。殺害道具として,本件山刀を使い、Hを一撃で刺し殺すこと,そのためにも同人を怯ませ,動きを止める必要があるので,本件スプレーを使うことを思い付いた。これらは仕事で使うために以前に購入し,いつも車のトランクに入れてあった。さらに,Hを油断させるため,盃台を持って行って,売買交渉をするように見せかけることを考えついた。
 
その後,完全犯罪の方法を何度も頭の中で考え,あらゆる状況を想定して頭の中でのシミュレーションを繰り返した。 
 
翌5月2日,年次休暇を取って自己所有車で福岡に向かい,午前10時ころに被害店舗に着くと,まだ開店していなかったので,付近の本屋の駐車場に入って適当に時間をつぶしてから再度被害店舗に赴いた。その時には開店していたので,隣のコイン式有料駐車場に車を止め,背広から,濃紺の作業着の上下に着替えた。この段階で,本件山刀のボタンの2個ついた革製ケースを外し,本件スプレーの安全ピンを抜いておいた。そして,盃台のほかに,本件山刀,本件スプレー,返り血等を拭くためのタオル1枚,軍手,ナイロン製手提袋2つを入れたダンボール箱を両手に抱え,指紋が付かないようにハンカチを持った左手でドアを引き,ダンボール箱でドアを押さえながら体を回転させるようにして中に入ると,やはりハンカチを持った左手で内鍵を掛けた。その時,自分の背中が,出入口ドア付近に吊された竹細工に当たってカラカラと音が鳴ったので,Hから「気を付けてよ」と声をかけられた。
 
それから,店舗部分奥の応接テーブルセットにお互いが向かい合って腰掛け,ダンボール箱を自分の椅子の左側の床上に置いて,盃台を取り出してHに見せ,値段の交渉に入った。
 
指紋を残さないために,途中Hが勧めてくれたお茶も断り,盃台の値段のことや古伊万里焼の話をしたり,自分が前日売却した深皿やなます皿を取り返すために,これらが漂白剤に漬けてあることを聞き出すなどしながら,1時間程度,Hが隙を見せるのを待った。

(2)犯行状況について
 
午前11時40分ころ,何かの拍子にHが椅子を立って,後ろ姿を見せた。このときと思い,ダンボール箱のふたを開けて中から左手で本件スプレーを取り出し,Hの立っている方向に向けて噴射した。Hは,奥の部屋の方に逃げて行きながら,こちらを振り向き,「何するの」と叫んだ。
 
さらにダンボール箱から本件山刀を右手で取り出し,Hの顔に向けて本件スプレーを噴射させながら,Hの方に近付いた。一気に刺し殺そうと,本件山刀を右手に順手で持って,Hの心臓目掛けて思い切り突き刺した。最初は手応えを感じなかったが,夢中で何回か刺すうちに突き刺さった手応えを感じた。
 
Hは,そのまま後ろに引き下がり,本件通路の最奥の,黒い壁のような所にもたれかかって,足を前に投げ出して座り込み,「俺死ぬのか」とつぶやいた。その前後と思うが,Hはかなり大きなガラス片を持って抵抗してきたが,本件スプレー缶を持ったままの左手で払いのけたことがあった。
 
それからHは,奥の部屋へ逃げて行き,ドアを閉めようとしたので,これを追い掛けドアを押し開けると,Hは,その部屋の中で倒れていた。一撃で殺そうと考えていたのに,Hがなかなか死なないので,止めのつもりでHの背中を最後に刺したかもしれない。Hは,口から何回も血を吐き出して死んだ。
それから台所兼倉庫で,中にあった使い古されたタオルを取って,本件山刀に着いた血を拭き取り,店舗部分に戻ってダンボール箱に本件スプレーと本件山刀を入れ,軍手を取り出して両手にはめた。
 
台所兼倉庫で,死んだHのズボンを物色して,右後ろポケットから財布を取り出し,次いで近くに吊してあった背広も物色したが,金目のものはなかった。そこで再び店舗部分に戻り,店内に陳列してあった古伊万里の皿等を,用意していたナイロン製手提袋2つに詰め込んだ。奥の部屋には,前日自分がHに売った深皿やなます皿が漂白剤につけてあったので,証拠として残すことはできないと考え,これも取った。
 
軍手を外してダンボール箱にしまった時,自分の左手薬指に切り傷があって,出血しているのに気付いたので,持参したタオルを左手に巻いた。
 
人通りの少ないのを見計らって店を飛び出し,車の後部座席に上記皿等を詰め込んだナイロン製手提袋2つを置いた。再度被害店舗に戻って,残していたダンボール等を抱えて外に出ようとした際,出入口付近の床上に血痕が落ちているのに気付き,これらを拭き取って,車に戻った。
4 被告人の公判廷における否認供述の要旨
 
被告人は,平成12年11月28日の第1回公判においては,判示第5と同旨の公訴事実について,「全部間違いありません。」等と陳述したが,平成13年1月31日の第2回公判において,それまで陳述を留保していた弁護人が,強盗目的の点を否認し,殺人罪と窃盗罪が成立する旨の陳述をしたのに続いて,同年4月16日の第3回公判以降,被告人は,本件の経過等について,要旨次のとおりの供述(以下「第3回公判等供述」という。)をして,強盗殺人の事実を否認するに至った。
(1)本件に至る経緯等について
 
本件当時は,借金を抱えてはいたものの,窃盗の技術が向上しており,盗んだ骨董品も大量に持っていたので,返済金を捻出する手段は有しており,あえて強盗行為をしなければならない程金員に窮していたわけではない。平成12年4月26日に,「作戦名ホワイト」と題したメモ書きを作成したのは事実だが,これは単なる遊びのつもりで強盗した場合のシミュレーションの概要を書いてみただけで,何ら現実的なものではなかった。
 
平成12年5月1日に最初に被害店舗を訪ねた際,交渉の末,Hから古伊万里の深皿となます皿5枚組と引替えに5万円を受け取ったが,これは家財リース代金の支払時刻が迫っていたから取りあえず受け取ったに過ぎない。私としては最低20万円以上の値打ちのある品と考えており,5万円の評価に納得がいかなかったので,熊本で家財リース代金の支払いを済ませた後,その日のうちに再度被害店舗を訪れ,重ねて自分の言い分を主張したが,Hはその評価を変えようとしなかったので,簡単には引き下がれないと思い,「一晩鑑定をお願いします」,「自分も勉強してきます」,「明日また来ます」と言った。

 翌2日の本件当日,年休を取ってまた被害店舗を訪れたが,それは前日の約束どおり,売買価格の再交渉をするためであった。この時,盃台を持っていったのは,当時の所持金が5000円位しかなく,交渉が不調に終わった場合でも帰りの高速代を確保する必要があったからに過ぎない。午前10時ころ被害店舗前に差し掛かったが未だ開店していなかったため,近くの本屋の駐車場に車を停めて時間をつぶす間に,背広姿から薄手のスポーツウェアと作業ズボンに着替えたが,これは被害店舗を訪ねた後に,一日中近くの骨董店巡りをしようと考えていたことから,動き易く,汚れても平気な服装に着替えたものである。
 
着替えを済ませた後,被害店舗に向かうと既に開店していたので,隣の駐車場に自分の車を駐車すると,被害店舗に入店した。Hとは,最初に盃台の売却交渉をしたところ,これはすんなりと1万円で購入してもらうことで合意が成立した。しかし,前日交付した深皿となます皿5枚組については,再度の交渉にもかかわらず,Hは前日の評価を改めなかった。その際のHの鑑定態度に真剣さが感じられず,少しムッとした。さらに,前日,見せるだけという前提で評価してもらった,自分の最も気に入っていた古伊万里の深皿について,Hが,前日は5万円で買うと言っていたのを,この時突然10万円で売って欲しいと言い出したので,これを断った。すると,価格の再交渉を続けようとした自分を遮って,Hが,先に交付した盃台の縁を,10円玉で擦るようにして,チリチリチリという音をさせた。その段階で,Hが,自分の大事にしてきた骨董品を馬鹿にしているという強い感情に駆られ,怒り心頭に発した。
 
そこで,仕事用にいつも車の中に積んであった本件スプレーを噴射して,Hを驚かすことを考え付き,店を出て車までこれを取りに戻った。トランクの道具箱の中から本件スプレーを取り出した際,思わず一緒にあった本件山刀まで掴んでしまい,これらを前日深皿等の運搬に使ったダンボール箱の中に入れて,店内に戻った。本件山刀も,仕事で山林に立ち入る際に枝を払うための道具等として,仕事用に常時車に搭載していたものであるが,この時,なぜ本件山刀まで一緒に持ち出したのか,また本件山刀や本件スプレーをなぜダンボール箱の中に入れたのかは,自分でも分からない。
 
再び店に入るときは,両手でダンボール箱を持っていたので,入りながら体をひねって,後ろ向きになり,ドアを箱で押さえて閉める形になった。その時,自分の体が被害店舗入口付近につり下げてあった竹細工に当たってカラカラと音を立てた。すると,Hが,「気を付けてよ,それ,あなたの皿より高いんだから」と後ろから声を掛けてきた。少し興奮しながら被害店舗の奥まで進み,応接テーブルの横まで来ると,Hが立ち上がり,後ろの壁の方を向いて,高棚に並べてある安物の大皿1枚を指さし,「これと交換しない」と言った。この時点で完全にキレてしまい,「よりによって,安物の皿と比べるとは」と,頭に血が逆流したように感じた。
(2)犯行状況について
 
その直後,ダンボール箱を足下に置き,本件スプレーを取り出して左手に持ち,安全ピンを外した上で,Hの後方から噴射した。Hは驚いて「何するの」と叫びながら,本件通路の方に逃げて行ったので,2,3歩追うようにして,中身をほぼ出し尽くしてしまうまで,再度Hに向け本件スプレーを噴射した。それから取り返しのつかないことをしてしまったと考え,自分でも何がなんだか分からなくなりその場にうずくまった。
 
ふと気が付くと,Hが両手で刃物のように三角形のとがった形の,きらっと光るものを持ってそっと近付いてきたので,刃物だ,殺されると思って恐怖を感じた。体はすぐには動かず,左手につかんだ本件スプレー缶を放そうとしたが,指が思うように動かずに外せなかった。咄嗟に本件スプレー缶を掴んだままの左手で,近付いてきたHが持っていた物を,自分の体の前で,左側から右側に向けて横に振り払った。Hは2,3歩後ろに下がった。自分は,慌ててダンボール箱の中のケースに納まっていた本件山刀を,右手でケースのボタンを外して抜いた上でこれを掴み,無我夢中でHにぶつかっていった。Hの持っていた刃物をたたき落とすために,それを狙って何度か本件山刀を振り下ろし,Hに反撃を加えたと思うが,その具体的な態様は興奮していて覚えていない。気付くと,Hは脚を投げ出すようにして自分の前に座っており,「俺死ぬのか」とつぶやいた。さらに,Hは,立ち上がってふらふらと自分の方に向かってきて,自分にぶつかるようにして方向を変え,台所兼倉庫に入っていった。Hは,内側からドアを閉めようとした後,部屋の奥の方に行って倒れた。自分も続いて台所兼倉庫に入り,部屋の中ほどでぼーっとしばらく様子を見ていると,Hが血を吐いたので,思わずHに近付いた。次に気付いた時には,自分は台所兼倉庫の入口近くで,本件スプレーを持ったままの左手で雑巾のような布を持ち,本件山刀の血を拭いていた。
 
店舗部分に戻り,ダンボール箱に本件スプレーと本件山刀を入れた。この時自分の左手薬指に傷があり,めくれて血が出ていることに気付いた。本件山刀の血を拭いた布を左手薬指に巻き付けた上,すぐに被害店舗を出て,駐車場に戻り,ダンボール箱を運転席後部に置いた。一刻も早くその場を逃げようと思ったが,車内で被害店舗内の様子を思い描くうちに,誰もいない被害店舗内に陳列された骨董品のことを思い出し,「ああ,あの骨董品が欲しい」という感情にとらわれ,骨董品の窃取を決意し,助手席に置いてあったナイロン製手提袋2つと軍手を手にとって,被害店舗内に走り戻った。
 
再び被害店舗に入る時には,ハンカチを出して右手に持ち,ドアの取っ手を握って開けた。店内に入ってから左手に巻き付けた布を外し,軍手をはめて,次々と大皿等を取っていき,2つのナイロン製手提袋に詰めた。それから台所兼倉庫に入って,Hの遺体に手を合わせたところ,Hのズボンの後ろポケットが目に入り,とんでもないことだと思いながら,ポケットに入っていた財布を盗んでしまった。また,その室内に掛けられていた背広も物色した。次いで青いバケツの中に,自分が前日Hに交付した深皿となます皿5枚が漂白剤に漬けてあるのに気付いたので,これも取り出し,店舗部分に戻った。最後に店舗部分をもう一回りして,軍手を外し左手に布を巻くと,テーブル上にあった盃台と新聞紙を取り戻し,さらにすぐ横にあった徳利を盗み出して,ナイロン製手提袋2つを両手に下げて外に向かった。出入口で振り返って店内を見たとき,床上に血痕が点々と落ちているのに気付き,そのいくつかを拭き取って店外に出た。

5 判断
(1)Hに対する殺意の有無について
 
前示のとおり,Hは,被告人が振るった本件山刀によって,その前胸部に,合計8か所もの刺創を負い,これら多数の創傷からの失血により死亡するに至ったこと,しかも,その創傷の程度は,第4ないし第6肋骨軟骨部を切断して右肺に至り,右肺動脈を切断するなどした深さ約16センチメートルの刺創や,第3肋間筋から第4肋骨硬骨部の一部を切断して右肺に至り,右肺動脈を切断するなどした深さ約15.5センチメートルの刺創,その他深さ約12センチメートルの創傷2か所,深さ約9.5センチメートルの創傷1か所を含む,相当の深傷であったこと,のみならず,その左前腕部には,一部の皮膚が弁状に反転でき,骨が露出して,創底部では尺骨が面状に切断された創傷や,尺側の長さ5センチメートルの傷から橈側の長さ7センチメートルの傷まで貫通するほどの強度の創傷が生じているほかに,少なくとも3か所の刺切創があり,その左手指にも腱や筋肉を切断するほどの複数の切創があって,攻撃に対する必死の防御をしたことが窺えること,そしてそれにもかかわらず,Hが上記のような致命傷を負わされていること,また台所兼倉庫と,本件通路及び店舗部分とのL字形の間仕切りとなる壁の南西端(本件通路入口にあたる壁の曲がり角)にも,本件山刀によって生じたと思われる,壁紙表面が破れ,内側の石膏ボードが露出するほどの損傷があって,その付近には血痕様のものが付着した痕跡があること,さらにHは,その背部にも,ほとんど出血のない刺創を負っていることが認められるのであって,これらの事実に照らすと,被告人は,Hに対して,本件山刀により上記各深傷を負わせることができるような至近距離から,その胸部に向けて,相当強度かつ執拗な刺突行為を,多数回にわたって繰り返したうえ,既に傷を負って相当多量の出血をした後に,その背後から,背部を突き刺したことが推認されるのであって,かかる攻撃を加えた当時,被告人が,Hに対する明確な殺意を持っていたことは優に認められるというべきである。
(2)正当防衛の成否及び強盗目的の有無について
 
そこで,Hに対する被告人の殺害行為が,強盗目的であることを否定し,かつ,それが正当防衛行為であるとする弁護人及び被告人の主張について検討する。
ア Hの鏡片以外の刃物等による攻撃行動(侵害行為)の存否
 
被告人は,第3回公判等供述において,きらっと光る刃物様のものを持って近づいてきたHの手にあるものが刃物であり,殺されると思った旨供述するが,前示のとおり,死亡したHの死体の周辺,本件通路,店舗部分の応接テーブルセット付近のいずれの場所からも,包丁,ナイフその他の刃物は発見されていないこと,台所兼倉庫の炊事スペースに備え付けの包丁やナイフもまったく持ち出された形跡はないことを考えると,本件スプレーを吹きかけられたHが,被告人に対して,後記の割れた鏡片以外の刃物類を手に取って攻撃,もしくは向かって行ったと見ることは困難である。
 
なお,被告人自身の第3回公判等供述によっても,Hは,きらっと光る刃物様のものを持って近付いてきたというだけで,現実に刃物様のものを用いて攻撃してきたと述べているわけではないのだから,その限りにおいても,Hによる具体的な侵害行為があったとはいえないところである。
イ 被告人がHの刃物による攻撃行動(侵害行為)を誤想する可能性
 
次いで,Hが,実際には刃物を持ち出していないとしても,被告人にこれあるものと誤想させるような行動,すなわち,本件通路上に落ちて割れていた鏡の破片等を手にとって,被告人に近付いていくといった行動に出た可能性について検討するに,前示のとおり,当時のHは,まったく予想もつかないままに,突然本件スプレーの噴射を受けたものであり,現にその死体の左顔面,鼻部,口部,頚部及び後頭部には,唐辛子の辛み成分であるカプサイシンを含有する黄色調の未乾燥の液体が付着していた。そして少なくとも,H死亡後3時間近くが経過したと思われる当日午後2時45分に開始された被害店舗の実況見分においてさえ,なお応接テーブルセット付近,本件通路付近及び台所兼倉庫内には鼻を突く辛子様の強い刺激臭が残っていて,その立会人となったHの妻は,マスクを着用して指示説明に臨むほどであったことを考えると,本件スプレーをまともに浴びたHは,その当時,かなり強力な刺激臭のみならず,皮膚に付着した液体そのものによる相当程度の刺激痛を感じていたに違いないと思われる(本件スプレーをまともに浴びたわけでもない被告人も,その捜査段階供述のみならず,公判段階においても,被害店舗からの逃走後に,首の後ろの方がヒリヒリしてきて,濡れティッシュで首を拭いた旨述べているところである。)。しかも,本件前には洗面台左(南側)の西壁に掛けられていた鏡が,本件通路に落ちて割れており,Hの死体には,刃物による刺切創以外にも,その顔面に,左外眼角から左頬あたりに皮内・皮下出血や,下縁に小さな表皮剥脱を伴う圧痕があったことを考えると,Hは,本件スプレーの噴射に驚いて本件通路に逃げ出した際に,過って鏡が掛けられた壁にぶつかるなどして,鏡を落とし割ったことも窺えるのであって,Hにおいては,一層の混乱下に置かれたことが推認される。しかも,台所兼倉庫に通じるドアはすぐ近くにあって,同室に逃げて内側から扉を閉めれば,とりあえず本件スプレーの影響を緩和し,新たな攻撃を受ける恐れも回避することが可能であったろうし,備え付けの流し台で,浴びせられたスプレー液を洗い流すこともできた。またそこには,本物の包丁やナイフが備え置かれていたのであるから,真実積極的な攻撃行動に出るのであれば,より攻撃に適した道具を手に取ることも容易であったはずである。
 
このような状況下に置かれたHが,本件スプレーによる攻撃を逃れて,一旦は本件通路まで逃げ出したにもかかわらず,さらにその場から台所兼倉庫に逃げ込むことなく,強烈な刺激臭の残る中を,さほど攻撃に適するとも思えない鏡の破片を拾った上で,あえて被告人に攻撃をしかけるべく,しゃがみ込んでいる同人に対して近付いていくことがあろうとは,到底考え難いところである。
 
しかも,被告人は,平成12年8月9日,本件強盗殺人事件で逮捕される直前に,自ら作成した「私がHさんを殺しました」と題する申立書の中で,「Hさんは洗面台のところによろけて倒れたので洗面台の鏡が割れました。Hさんは割れたガラスの破片を持って抵抗してきました。」と記載しているのであって,被告人は,この時点で既に,Hが手に持っていたものが,「刃物のように三角形のとがった形の,きらっと光るもの」ではなく,実際には割れた鏡のガラス片であったことを明確に認識していたことが認められる。しかし,被告人が,第3回公判等供述のとおり,真実Hが刃物様のものを持って近付いて来たと恐怖を感じて反撃し,Hを死亡させてしまったのであれば,Hが持っていたものが本当は何であったのかを現場で確認する余裕はなかったと思われ,現に被告人もその点を確認したとは述べていないから,Hが実際に持っていたものが,鏡のガラス片であったことは知る由もなかったはずと思われるのに,実際には前記申立書において上記のとおりの記載をしていることに照らしても,被告人の第3回公判等供述の内容は不自然というほかない。
 
とすれば,きらっと光る刃物様のものを持って近付いて来るHを見て,それが刃物であり,殺されると思い込んだという被告人の第3回公判等供述は,その前提事実自体が容易には信用し難いところである。
ウ 本件犯行態様と正当防衛の意思の存否
 
さらに,被告人は,前示(1)のとおり,Hに対して,確定的殺意の下に,人を死亡させるに十分な威力を有する刃体の長さ約22.9センチメートルの本件山刀をもって,その胸部に向け,相当強度かつ執拗な刺突行為を多数回にわたり繰り返した上,傷を負って相当多量の出血をした後にもなお,その背後からその背部を突き刺すといった強力な攻撃を加えている。のみならず,台所兼倉庫内で倒れていたHの左顔面,鼻部,口部,頚部及び後頭部以外にも,その死体の頭部及び肩部の真上あたりに位置していた冷蔵庫や新聞紙の入った紙袋にも,応接テーブルセット背後の間仕切り壁に付着していたと同様の黄色調の未乾燥の液体が相当量付着していたことを考えると,被告人は,Hが倒れたその後にも,その頭部に向けて,なお本件スプレーを発射したことが推認される。
 
一方で,本件に際して被告人が負ったとする創傷は,左環指の切創だけでそれ以外には何ら傷害を負っておらず,その創傷の程度も,出血こそしたものの,格別の手当まで要するものではなかったのである。
 
これらの事情にかんがみると,本件当時,被告人において,Hに対する積極的な攻撃,加害の意図があったことは明らかというべきであって,かかる意思及びその攻撃の態様は,明らかに,自らの生命,身体の安全のためにやむを得ざるものとしてなされる防衛的行動とは全くそぐわないものというべきである。
エ 本件当時の被告人の経済状況等と強盗の動機の存否
 
前示のとおり,被告人は,本件犯行当時,多額の負債を負い,その分割返済金の捻出に苦慮しており,本件前日である平成12年5月1日に家財リース代金の支払いだけは済ませたものの,その他の複数の消費者金融会社からの分割返済金の支払期限も既に徒過しており,少なくとも連休が過ぎた時点で,またも度重なる督促を受けることは明らかな状況にあった。被告人は,その時点でもなお盗品である骨董品を相当数所持していたものの,少なくとも二,三十万円にはなると思っていた深皿となます皿5枚ですら,Hからは5万円としか評価してもらえず,贋作である等としてまったく買い取ってもらえなかった品物まであったのであり,多額の借金の分割返済金を速やかに捻出することは容易ではなかったものと認められる。現に被告人は,当公判廷において,「作戦名ホワイト」と記載した前示のメモ書きにつき,単なる遊びだったとしながらも,これを強盗行為のシミュレーションとして記載したものであることは認めているのであって,過去1年以上強盗行為には手を出していなかった被告人が,あえて強盗行為の可能性を考えてみるまでに経済的に困窮していたことは明らかである。
 
そして,現実に被告人は,Hを死亡させた直後,Hの死体のポケットから現金約38万円が入った財布を取り,また被害店舗内から合計37点の骨董品を取って逃亡している上,その直後に,奪った現金約38万円のうち15万円近くを,既に支払期限を徒過していた4社の消費者金融会社に対する分割返済金の支払いに宛てているのである。
 
被告人のかかる経済状況とその犯行後の行動は,本件当時の被告人に,強盗を企図するだけの十分な動機があったことを示すものと考えられる。
オ 捜査段階供述の信用性
 
そして被告人は,その捜査段階においては,前記3のとおり,Hに対する殺害行為が,事前の計画に基づく強盗目的の殺人であることを自白しているので、上記捜査段階供述の信用性について検討する。
(ア)捜査段階供述の自発性,一貫性等
 
被告人は,Hに対する強盗殺人容疑で,平成12年8月9日午後4時46分に逮捕されたものであるが,それより前の同日午前中には警察署への任意同行を求められ,任意の取調べに応じる中で,当初こそ本件犯行を否認し,被害店舗に出向いた時にはHは既に死亡していた等と弁解していたものの,取調べ担当者から,その説明では話が通らないことを指摘されたり,Hが独身ではなく,残された妻がいること等を教えられると,間もなく事実関係をすべて認めた。そして,自ら「サラ金会社などに五~六百万円の借金があり・・・その支払いに追われてどうすることもできずHさんを殺して財布をとろうと決心しました。Hさんを殺そうと決めて5月2日にHさんの店に行ったのです。Hさんを殺すつもりでしたから殺す道具として職務用に持っていた長さ30cm位の山刀と動物撃退用のスプレーを準備して車に積んで持って行きました。・・・抵抗するHさんの胸あたりを右手に持っていた山刀で五~六回以上刺しました。・・・Hさんを殺して財布や古伊万里をうばったことは間違いありません。」等と記載した申立書を作成した。被告人は,その後に強盗殺人罪で逮捕されたものであり,それ以降は,Hに本件スプレーを吹きかけた位置や,Hを襲った後に,ガラス片を持ったHが被告人に向かってきた時期など,細かい犯行態様に多少の変遷が見られるものの,本件が計画的な強盗殺人事件であり,ガラス片を持ち出したHの抵抗は,被告人が本件山刀による攻撃をした後に行われたものであるという犯行の主要な経過については,当初から変わることなく,一貫して事実関係を認めていたものであり,さらにその後の平成12年11月28日の第1回公判期日においても,弁護人が意見陳述を留保したのに対し,被告人は,前記のとおり,「事実は・・公訴事実記載のとおりで,全部間違いありません。」と,事実関係を認める陳述をしたものである。 
 
そして,かかる自白に至るまでに,取調べ担当の警察官,検察官を始め,捜査機関側において,被告人に自白を強要し,あるいは誤導,押し付け,理詰めの尋問その他の誤った自白を導くおそれのあるような言動はなかったものと認められる。
(イ)捜査段階供述と客観的事実との整合性
 
捜査段階供述に表れた具体的な犯行状況は,前示のとおりのHの死体及び本件犯行現場たる被害店舗の客観的状況と合致しており,少なくとも矛盾がない。
 
すなわち,捜査段階供述で,被告人は,Hの背後から本件スプレーを噴射し,本件通路方向に逃げ出したHを追い掛けて,その心臓目掛けて本件山刀を何回か突き刺したこと,一旦は本件通路最奥の黒い壁のような所にもたれたHが,その前後にガラス片を持って抵抗したので左手で払いのけたこと,その後Hは奥の部屋へ逃げ,ドアを閉めようとしたのでこれを押し開け追い掛けると,室内でHが倒れていたこと,それからさらに,Hの背部を刺したかもしれないこと,その後室内を物色する際には,吊されていた背広も物色したこと等を説明しているのであるが,これらの経過は,実際に,応接テーブルセットの後ろの間仕切り壁中央辺りや屏風前面に置かれた人形等に,カプサイシンを含有する黄色調の液体様のものが付着していたこと,血痕は,応接テーブルセットの北西側の本棚手前や,応接テーブルセットの奥(北側)に置かれた和箪笥西端辺りから始まって,本件通路の床面に散乱した物品上や間仕切り壁の壁面に飛び散り,Hの死体があった台所兼倉庫内の床面上に最も多量に認められたこと,本件通路上には割れた鏡の破片や落ちたタオル,Hの右足用カジュアルシューズ等が散乱していたこと,本件通路最奥の便所の黒色ドア外側表面には,Hの頭部や背部に付いていた本件スプレー液が押し付けられた痕と見ることのできる液体様のものが付着していたこと,台所兼倉庫に入るドア内外のドアノブ付近や,同室内に吊されていたブレザーの左袖端近くのドア中央付近にも血痕を拭き取った痕跡があったこと,そして台所兼倉庫には,本件通路から数歩室内に入った辺りで,前記のような胸部,左腕部の多数の刺切創に加え,背部にも1箇所刺創を負ったHの死体が倒れていたこと,倒れたHの左顔面,鼻部,口部,頚部及び後頭部にカプサイシンを含有する液体が付着していたこと,Hの死体の左手の掌には,長さ2ないし0.4センチメートルの皮膚の創数条も認められ,被告人は,本件に際して,左手環指中節部に切創を負い,被害店舗内から被告人の血痕も検出されたことといった客観的事実と,すべからく符合するのである。
 
また,捜査段階供述では,被告人は,本件犯行に至る経緯及び動機について,本件以前から,多額の借金の支払いに苦慮していたために,平成12年4月上旬に初めて被害店舗を訪れた後,ここで強盗を働くことを思い付いたこと,そこで同月26日には強盗計画の概要をメモ書きした上,被害店舗まで下見に行ったこと,一方で実際に強盗を実行するにはためらいもあったが,同年5月1日に,高価であると思っていた皿等をHに売却しようとした際,不当に安価に評価されたことで,自分のコレクションを馬鹿にされたと思い,やはりHを殺害して金品を強取しようという考えが定まって,その日の内に再度被害店舗を訪ね入念な下調べをしたこと,翌2日には,あらかじめダンボール内に革製ケースから外した本件山刀や本件スプレー,軍手やナイロン製手提袋2つ,盃台等を入れて被害店舗内に持ち込み,本件犯行に臨んだこと等を供述するのであるが,かかる経緯は,犯行動機及び実際に本件犯行を決意するまでの経過の点において十分了解可能で自然である上,当時の被告人が置かれていた客観的な経済状況や,被告人が,本件犯行前日に2度にわたって被害店舗を訪れ,その翌日の犯行当日にもまた被害店舗を訪れた理由,さらに被害店舗に本件山刀や本件スプレーをダンボール箱に入れて持ち込み,本件スプレーを吹きかけた後,速やかに本件山刀でHを攻撃できたという経過,平成12年4月26日付けで前記の「作戦名ホワイト」と題したメモ書きが存在すること等のいずれの事実に関しても,極めて合理的な説明を可能とするものであって,十分納得できるところである。
(ウ)第3回公判等供述の不合理性
 
これに対して,被告人の第3回公判等供述は,それ自体に,次に述べるような多くの矛盾ないしは不審な点が認められる。
 
まず,被告人が説明するHに対する攻撃状況については,前示ア,イのとおり,そもそも,その契機となったという,Hが刃物様のものを持って向かってきた事実自体が,真実あったこととは容易に信用し難く,また被告人が,Hのかかる攻撃行動を誤想したとも考え難いものである。それ以前の,Hの馬鹿にしたような言動に憤激して,本件スプレーを吹きかけてやろうとこれを車まで取りに戻った際に,なぜ本件山刀まで一緒に持ち出したのか,また本件スプレーを噴射してすぐ逃げるつもりだったというのに,なぜこれらの品をわざわざ蓋のついたダンボール箱にしまい込んで運び込んだのかという点についても,被告人自身,「自分でもはっきり分からないんです。」「一言で言えば分からないということですね。」等と述べるだけで,何ら合理的な説明ができていない(なお,この点については,被告人が,平成13年5月31日の第4回公判において提出した,自ら作成した文書「「H」事件の概要について」の中では,車のトランクから本件スプレーを取り出す際に,一緒に収めていた本件山刀が目に付き,「「よしよし,これも見せよう」とニンマリしました。私は舞い上がったいたのかもしれません。」と記載して,本件山刀を,Hに見せびらかすつもりで持ち出したかのようなことをも記述しているのであって,被告人の第3回公判等供述自体に変遷が見られるところである。)。また,Hをおどかそうと考えた被告人が,最初に本件スプレーを噴射する際に,利き腕ではない左手で本件スプレーを持って噴射したということ自体あまり一般的なこととは言い難いし,ダンボール箱を足下に置いて本件スプレーを噴射した後は,Hを追って2,3歩動いてからその場にうずくまったはずであるのに,Hが刃物様のものを持って近付いてきたと見て取った途端に,左手でその刃物様のものを払うと同時に,逃げ出そうという素振りを一切見せることなく,一方の右手では,何の気なしに運んできたはずの本件山刀を取り出すために,その片手だけでダンボール箱の蓋を開け,さらに2か所のボタン付きの革製ケースに収まっていた本件山刀のボタンを外してこれを取り出し,直ちに反撃に移ったというのも,決してありがちな対応であるとは言い難い。加えて,前示ウのとおり,本件犯行態様そのものが,単に刃物様のものを持って近付いてきたというHの態度に驚き,身の危険を感じた余りの反撃として行われた行為にしては,余りにも強力かつ執拗な攻撃であり,そこに明確かつ確定的な殺意があることは明らかであるから,被告人の第3回公判等供述に立って考えるとすると,被告人の本件犯行は極めて不自然で過剰な反応といわざるを得ないところである。
 
また,本件に至る経緯についてみれば,本件前日である平成12年5月1日に,1日に2度も被害店舗に赴いたり,本件当日も急遽朝から年次休暇を取得して,三度被害店舗を訪れたというのも,第5の犯行を企図していなかったものとすれば,相当に不可解な行動と感じられるものである。被告人は,5月1日に5万円で交付した深皿となます皿5枚の買取価格の再交渉のために出かけたものと主張するが,5月1日夕方に,2度目に出向いて交渉した時ですら,Hは自分の考えを変えず,買取代金の上乗せには応じなかったというのであるから,特段の根拠もなく,値段の再交渉に役立つような資料を持参することもなく,三度H方を訪ねても,最早追加代金を受け取れる可能性は極めて乏しかったことは理解できたはずであるし,実際にHが買取価格の再考をしてくれたか否かは,電話1本で確かめられることである。しかも被告人は,本件当日は所持金を5000円位しか持っておらず,帰りの高速道路代金を捻出するために,わざわざ盃台を用意してこれを売却しなければならなかったというのであるから,これほど経済的に逼迫していた被告人が,改めて高速道路代金やガソリン代を使ってまで,わざわざ被害店舗に赴き,買取価格の再々交渉に出向くということは,いかにも不自然であり,容易に納得し難いところといわざるを得ない。
(エ)虚偽の捜査段階供述をする動機及び供述変遷理由の不合理性
 
さらには,被告人が捜査段階において,あえて事実と異なる虚偽の自白をし,かつ第1回公判においても,公訴事実を認める虚偽の陳述をした理由について,被告人が説明するところは到底納得することができない。
 
すなわち,被告人は,独身者だとばかり思っていたHに,妻がいたことを聞くに及んで,強い罪責感にとらわれ,自分の行動によってHを死なせてしまった以上,潔くすべての罪を認めて,第1回公判において遺族に謝罪したいし,またその際には,決して自己の罪責を軽減するために,Hの名誉を傷つけるようなことは言うまいと決意したために,あえて本件が強盗目的の殺人であり,しかもそれがあらかじめ計画したものであったという虚偽の事実を,捜査の当初から第1回公判まで,一貫して認める供述をしたというのである。

 しかしながら,H及び遺族に対する謝罪の気持ちがあるならば,むしろ素直にそのままの真実を話すのが最も率直な反省の表れと解するのが通常と思われるのであって,反省と謝罪の気持ちがある故に,虚偽の事実を述べるということ自体が常識的には考えにくい。しかもHの名誉のためにかばおうとした事実というのは,本来なら高価なはずの骨董品を,Hが自分の言い値より不当に安価に評価したとか,Hに買い取ってもらった盃台の縁を,Hが10円玉でこするような動作をした等,骨董品の売買を職業とするものであれば,常識的な取引過程に属することと思われるのであって,特段Hにとって不名誉な出来事であるとも思われない。また,被告人としては,以前からの計画的な強盗殺人という,極めて自己に不利益な虚偽の事実を殊更に装わなくても,このようなHとのやり取りを隠したままで,なお本件が衝動的な殺人事件であり,少なくとも本件犯行当日以前から計画していたものではない旨を主張することは十分可能であったと考えられるのであって,結局,被告人が自己の捜査段階供述が虚偽であるというのであれば,いかなる理由によって,真実と異なる捜査段階供述をしたのかという点につき,了解可能な事情を見出すことはできないところといわざるを得ない。
 
そして,被告人は,その後それまでの自白を翻し,急遽真実であるという第3回公判等供述をするに至ったのであるが,そのように供述を翻した理由として説明するところは,当初平成12年10月12日に予定されていた本件の第1回公判期日で,潔くすべての公訴事実を認め,Hの遺族に謝罪し,その後は自殺するつもりであったので,自分に対する世間の評価も,多数の犯罪を犯したとはいえ,最後は潔く罪を認めて責任を取った奴であったといってもらえると期待していたのに,その期日が変更され,同年11月28日になったので,その予定が裏切られ,却ってその間に自分の余罪が熊本県内で五月雨式に追加報道されて,すべてを最初から正直に話したのではなく,警察の追及に屈してやむなく少しずつ余罪を告白した卑怯者であるかのような印象を世間に与えることとなってしまい,自分の家族が傷ついたので,このまま自殺することはできないと思い,真実を話すこととした,というのであるが,かかる事情をもって,捜査段階や公判段階の当初において虚偽の自白をしたことの理由とすることは常識に照らしても了解し難いことである上,そのような考えを第1回公判期日変更を機として持つに至ったといいながら,なお期日変更後の第1回公判においては,公訴事実を認める陳述をしていたことにかんがみても,その供述の変遷理由を,周囲をして納得せしめるように合理的に説明するものとは言い難い。
(オ)小括
 
これらの事情にかんがみれば,本件が計画的な強盗殺人であったことを自白した被告人の捜査段階供述は,十分信用することができるのであって,これに反する第3回公判等供述は到底信用できないものといわざるを得ない。
 
なお,被告人は,本件が計画的な強盗殺人事件であると考えるには,様々な不合理な点があるとして,例えば被告人が被害店舗のすぐ隣の駐車場に自己所有車を駐車していることや,多数の窃盗事件を起こした際にはあえて自分の足のサイズと異なる靴を履いていたのに,本件においてはそのような工作をしていないこと,被害店舗をろくに物色もしておらず,現にHが死亡したすぐ近くにあった280万円もの大金にも手を付けていないこと,本件犯行に用いたナイロン製手提袋も,壊れやすい骨董品を運搬する道具としては不向きであること,本件犯行に使用した当時の被告人所有車は,調子が悪く,応急措置をしてようやく走行出来ている状態にあり,ガソリンすら十分入っていなかったのであって,このような重大犯罪の逃走用として使用するには危険が大きすぎること等を指摘する。
 
しかしながら,被害店舗内から多くの骨董品等を運び出し,車まで往復する危険を考えれば,車自体を近くの駐車場に駐車するということもあながち不合理な行動とはいえないし,靴の点については,被告人が同様に建造物侵入,強盗傷人事件を引き起こした判示第2の事件に際しても,その時履いていた靴は,「今考えるとおかしいんですけど,普通の仕事用の革靴なんですよ。」と述べている位であるから,被告人自身,すべての犯行で普段と異なる靴を意図的に履いていたわけではないことを認めているところである。また,被告人は,初めての殺人事件を起こした直後でありながら,Hのズボンのポケット内の財布を奪っただけでなく,店舗部分から多くの骨董品を,しかも床から2メートルの位置に据え付けられた前記大皿10枚用の陳列棚に飾られていた大皿を始め,店内のあちこちの陳列場所から,点々と被害品を選んで奪い去っているのであって,決して何の検討もなく手当たり次第に奪ったものとは認められず,結局は自分の好みに合わせて選別した被害品を奪取したものということができる。Hの死体近くにあった大金に気付かなかったといっても,これだけの重大犯罪の直後に,十分な時間をかけて現場をくまなく物色することは,心理的にも相当困難であろうことや,この現金が,金庫などではなく,通常では予想もしない場所に厳重に包んで保管されていたこと等を考えると,被告人がこれに気付くことなく現場を立ち去ったことも何ら不思議とはいえない。また,本件犯行に使用したナイロン製手提袋は,判示第3及び第4の各住居侵入,窃盗の際にも骨董品を入れるために使用した袋であって,被告人は,計画的な窃盗事件の際にも,この袋を骨董品運搬用に使用していたことが窺われる。さらに,帰りの高速道路代金さえ支払えない経済状態にあった被告人としては,自己所有車を完全に修理したり,あえてレンタカーを調達するような金銭的余裕も時間的余裕もなかったと考えられ,被告人が,仮に万全とはいえない調子の自己所有車を利用して本件犯行を惹起したとしても,それをもってこれが計画的なものではなかったと断ずることはできない。
 
その他,本件が計画的犯行とはいえない証左として,被告人が種々指摘する点も,要は被告人が計画した強盗殺人事件にも,少なからず不十分な点があったということを示す程度の疑問点に過ぎず,第5の事実認定に際して合理的疑いとして取上げなければならないものとは到底考えられないものであって,これらの事実をもって,被告人の捜査段階供述の信用性を揺るがし得るものではないと判断される。
カ 以上のアないしオの事実を総合考慮すれば,被告人には,計画的に,Hを殺した上で金銭や骨董品等を奪取しようとした強盗目的での殺人の故意があったと認められるところであって,Hの急迫不正の侵害行為があったことを前提に,これが正当防衛であり,あるいは偶発的な単なる殺人罪であるとする弁護人及び被告人の主張は,到底採用することができない。
(3)奪取した盗品の内容及びその評価額について
ア 被告人が被害店舗から奪取した品物の具体的内容については,検察官が,被害届等の関係証拠に照らして,第8回公判期日において,別紙第1「被害品の特定及びその処分状況に関するチャート」(以下,「別紙第1」という。)記載の「被害届に基づく被害品一覧表」(以下,「一覧表1」という。)のとおり,財布1点の他37点の骨董品である旨釈明したところであり,これに対して被告人は,38点という奪取品の総数についても,大皿,中皿,小皿といった品目毎の点数についても,一覧表1のとおりで間違いないと供述する一方で,被告人の主張に基づく被害品の一覧表は,別紙第1記載の「被疑者自供に基づく被害品一覧表」(以下,「一覧表2」という。)のとおりであって,一覧表1には自分が強取していない骨董品が含まれている旨供述する。
しかしながら,一覧表1と2に掲げられたそれぞれの特徴等には,互いに必ずしも符合しない点が含まれているものの,もとより本件では,被害店舗の経営を一手に担っていたHが殺害されたことから,その詳細を容易に知ることができず,むしろ被告人自身が自白した奪取品の品目やその陳列場所等を前提として,同店の常連客らに具体的な被害品の記憶を喚起してもらった上で,その特定に至ったことが窺われるのであるから,被害対象たる骨董品自体は,まさしく被告人が認識するところと一致すべきものといえるところである。そして,被告人自身,各特徴欄記載の不一致部分については,「見る人の着目点によって表現が変わることもあるから矛盾とまでは言えない」等と供述しているように,骨董品を特定するための表現は,各人の主観や着眼点によって相当程度異なることはあり得ることであるから,それ故に一覧表1と2に掲げられた具体的被害品の内容が一致しないということもできない。
とすれば,一覧表1と2は,別紙第2「H事件被害品の特定」に記載のとおり,互いに対応していると認められるから,本件において,被告人が,一覧表1記載の被害品を奪取したことは十分認めることができる。
なお,被告人は,一覧表1の番号33ないし38は,自分が平成12年5月1日にHに交付した深皿となます皿5枚で,これについては未だ売買代金の内金5万円をもらったに過ぎないから自分の所有物である旨主張するが,代金5万円が単なる内金に過ぎない旨の第3回公判等供述が到底信用し得ないことは前示のとおりであり,犯行当日にそれらの皿が被害店舗の台所兼倉庫で漂白剤に漬けられていたことや,Hの買い入れ帳にもこれらを購入した旨の記載があること等にかんがみても,その所有権が既にHに移っていたことは優に認定することができる。
イ また,被害品の評価については,その被害届に一覧表1の時価額欄記載のとおり申告されているところ,関係証拠によれば,骨董品の中でも被害品となった古伊万里には,共通の一定した相場があること,ただし,その相場の幅には,個人の主観やこれを売却する店舗の格や信用等によって,1,2割程度の範囲で格差が生じ得ること,しかしながら,本件被害品については,これらの事情を考慮した上で,押収された現存する被害品17点と,そのうち3枚の染付皿と本来は5枚組セットで販売されるべきであった未押収の残り2枚の染付皿を加えた19点については,長年の骨董品売買歴のある証人2人が,その合計評価額を少なくとも約255万円と述べているところであって,これを特段不当とする理由は認められないこと,その他の未発見の被害品については,被告人自身の主張や現実の転売価格を基にしても,最低48万9000円以上に上るところであり,これにHが所持していた財布の価格300円を加算すれば,被害品の総評価額は303万9300円と認め得るところであり,公訴事実記載の評価額293万300円を優に超えることが明らかであるから,公訴事実の限度でこれを認定することとしたものである。
第3 判示第7及び第8の事実について
1 争点
 
弁護人は,判示第7の住居侵入,窃盗のうち,被告人が判示の建物に住居侵入した事実は認めるものの,窃盗の起訴対象となっている指輪及び指輪ケースを窃取したのは被告人以外の氏名不詳の男であり,被告人はその男から指輪等2点を無償で譲り受けたに過ぎないとして,窃盗犯人との同一性を争い,また判示第8の現住建造物放火についても,判示の建物が放火によって焼損したことは認めるものの,当該放火行為を行ったのは前記氏名不詳の男であるとして,犯人との同一性を争っており,被告人も,当公判廷において,これに沿う供述をするので,以下,この点につき検討する。
2 争点の前提となる認定事実
(1)関係各証拠によれば,以下の各事実が認められる。
ア 判示第7,第8の各事実の犯行現場となったI方は,木造瓦葺2階建て住宅であり,1階は,床面積が約137.5平方メートルで,南側ほぼ中央に玄関,これを入ると玄関ホールとなっていて,その左手である西側には,北西に8畳和室が,南西に6畳和室と広縁がある。玄関ホールの北側で,建物のほぼ中央には2階に続く階段があり,階段横を通りすぎた北側廊下の突き当たりは納戸であり,そこから東に向かって便所,浴室,洗面脱衣室が並んでいる。一方,玄関ホールすぐ右手となる東側には居間があって,さらにその東隣には北東にダイニングキッチン,南東に和裁仕事室がある。
 
なお,和裁仕事室の北東隅には,畳製のベッドが置いてあり,後記の火災が出火した当時,このベッド上には木綿の敷き布団2枚,木炭を加工したベッドパット1枚,タオル地のシーツ1枚,綿のタオルケット1枚,羽毛又は真綿の掛け布団、更紗のこたつ掛け,着替えた衣服が載せられていた。また,同室西側の収納棚には,袋に入った現金約30万円や掛け軸,宝石等が保管されていたが,後記の火災の後も,現金についてはそのまま発見された。
 
また,1階中央の階段を上がった2階は,床面積が約69平方メートルで,概ね1階の南側半分に2階部分がある造りとなっており,1階南西の6畳和室と広縁の上部にあたる2階南西に,パーソナルコンピューターやステレオ等の置かれた洋室が,1階北西の8畳和室(一部)の上部にあたる2階北西に,小さな書庫と便所が,1階玄関と玄関ホールの上部にあたる2階南に勉強机,本棚等の置かれた洋室が,1階居間の上部にあたる2階東に2段ベッド,洋服ダンス,テレビ,5段引き出し付整理箱等の置かれた洋室が,それぞれ位置していた。 
 
なお,2階東側洋室には,その北側に2階で唯一のベッドである2段ベッドを置いており,その入口近くには女の子の中学校の制服である冬用のセーラー服が掛けてあり,判示第7の窃盗の被害品となった指輪とそのケースは,同室南東隅近くに置かれた5段引き出し付き整理箱にしまわれていた。
イ 平成12年6月28日午後1時かそれより少し前の時点で,被告人は別室にいる旨口実を設けて職場である熊本県庁を抜け出し,自己所有車を運転して,かねてより空き巣のための侵入先として目を付けていたI宅に向かった。I宅は,熊本県庁から車で15分位の距離に位置している。
 
被告人は,I宅から1本東側の道路上にある駐車スペースに車を駐車すると,徒歩でI宅に向かい,南西6畳和室の西側の施錠された窓ガラスを一部割って施錠を外し,同窓から室内に侵入した。
ウ 同日午後1時30分過ぎころ,I宅の東側道路を車で通りかかったガス検針員のVは,I宅建物の1階東側の真ん中辺りから煙が上がっているのを見つけた。Vは,「Iさん」等と声をかけながらI宅玄関へ向かい,玄関で呼び鈴を押し,「Iさん」と呼びかけたが応答はなかった。その際,玄関の取っ手を引いてみたが,開かなかった。それからVは,I宅南東の1階和裁仕事室の南側窓前まで移動し,同窓より室内をのぞき見ると,部屋の奥のソファーかベッドのような物から,天井までは届いていないものの,わりに大きな炎が上がっているのを確認した。
 
その後,地元の消防団長をしていたVは,I宅より500メートル位離れた辺りにある消防団のポンプ小屋にポンプ車を取りに行き,呼び出した団員1人が来るのを待った後,一緒にポンプ車を運んでI宅に戻り,I宅の北方にあった川から水を引き,ホースを引いて,午後1時43分ころ,前記1階和裁仕事室の南側窓側から放水を始めた。その時点では,室内は既に炎に包まれ,熱のために窓ガラスも割れていた。Vと他の団員1名が消火作業に従事している間に,消防車やパトカーが次々に到着したことから,Vは消火作業を交代して後ろに下がった。
エ 同日午後1時30分過ぎころ,I宅付近をオートバイで通り掛かった郵便局員Wも,I宅から黒煙が上り,窓から赤い炎が出ていることを現認し,近所にあるX酒店まで出向いて火事を知らせた。
オ 同日午後1時38分直前,I宅のすぐ南側に位置する建物に居住しているYは,I宅の方角からパチパチという音がするのに気付いて確認したところ,I宅1階和裁仕事室の軒下から真っ赤な炎が吹き出しているのを現認した。この時点では火はまだ屋根の上には移っていなかったが,それからすぐに110番通報をし,外に出て消防車が来るのを待っている間に,あっという間に炎が和裁仕事室から居間,玄関まで燃え移っていくのを見た。なお,110番通報の受理時刻は午後1時38分であった。
カ 一方,WからI宅の火災(以下,「本件火災」という。)を知らされたX酒店に在宅していたZは,すぐに119番通報し,その受理時刻は午後1時41分であった。
キ 上記119番通報を受けた消防署長A2は,他の職員らとともにI宅へ到着し,午後1時50分ころ,放水を開始した。その際,A2は,現場において,I宅の東側付近及び1階北西8畳和室付近がよく燃えている状態であることを確認した。
 
その後,A2は家屋内部からの消火活動をするためI宅玄関ドアを開けたが,この時点では玄関に鍵がかかっておらず,ドアはすぐに開いた。なお,玄関ドアを開ける前に,家屋内に入って消火作業をした者はいなかった。
ク 本件火災は,同日午後2時5分ころ鎮圧され,午後2時13分ころ鎮火した。
 
同日午後2時30分ころから午後5時ころにかけては消防署員によって,また同日午後3時30分ころから午後5時30分ころにかけては警察官によって,それぞれI宅の実況見分が行われた結果,次の事実が認められた。
 
まず,建物外部からは,全体に建物東側に焼燬が強く認められた。
 
建物内部では,1階居間の上部に位置する2階東側の,2段ベッド等が置かれた洋室が最も焼燬状態が強く,特に入口に近い部分は床板が焼け落ち,根太にも焼け切れ,焼け細りが見られた。西壁一部に焼き残りがあるのを除いて,その内壁もほとんどすべてが焼け落ち,柱,間柱,貫等の焼け細り,焼け切れが見られた。
 
1階玄関,玄関ホール上部にあたる2階南側の洋室は,焼きが弱く,下部は焼けていないが,天井は焼き抜けており,梁,束等の焼燬,炭化が見分できた。
 
1階北西側8畳和室の上部にあたる2階北西側の書庫は,下方は焼燬がないが,上方に進むに連れて焼燬が強くなり,屋根は焼き抜けていた。
 
1階南西側6畳和室の上部に位置する2階南西側洋室は焼燬していなかった。
 
最も焼きの強かった2階東側洋室の下に位置する1階居間は,内部全体に弱い焼きが見られ,天井板はすべて焼け落ち,野縁,野縁受の焼きも見られ,床上には焼け落ちによる散乱物が認められた。但し,これら収容物を取り除いた床面や,そこに置かれていた応接椅子,応接台,ピアノ等については焼きは見られず,原形を保っていた。内壁もほとんどが原形を保っていたが,居間北側の壁は焼け落ちていた。
 
その東隣である1階南東に位置する和裁仕事室は,天井が焼け落ち,屋根材,瓦等が落下堆積し,焼き抜けた天井部から見える柱,間柱には焼け細りや炭化亀裂が認められた。畳も焼燬していたが,残存はしていた。同室西側(居間側)の収納棚の前面は全て焼け落ち,内容物が焼燬,露出していた。さらに柱,間柱等の焼燬が見られ,特に上部からの焼きが強く下部に進むに連れて弱くなっていたことから,上部から焼き進んだものと見分された。また,北東隅には,ベッドマットが残存していた。
 
和裁仕事室の北で,1階北東に位置するダイニングキッチンも,床面には上部からの焼け落ちによる天井材,垂木,屋根材等が堆積し,台所全体が焼燬していたが,詳細に見ると,流し台,冷蔵庫,テーブル等の高さの低いものは焼燬しておらず,茶棚の高い方に焼燬が強く認められた。
 
1階北西側の和室8畳は,天井が焼け落ち,床面には屋根瓦,垂木等の焼き落下が認められ,下部の焼燬は弱く,上部の焼燬が強かった。内壁や床柱は焼燬していなかった。
 
1階南側の玄関,南西側の和室6畳,広縁は全体として焼燬は認められなかった。
ケ 以上のような建物の焼燬状況に加えて,消防署員のYに対する質問調書では,変な音で火事に気付き,I宅を見ると,その東側の部屋の軒や2階の窓付近からすごい勢いで火が吹き出しているのを見た旨回答があったことや,Wに対する質問調書では,最初に黒煙に気付き,I宅近くに行くと建物東側に赤い炎が見えたと回答があったことに照らして,消防署員は,その火災原因判定において,出火場所は2階東側の洋室入口付近であると判定した。
 
ただし,当時のI宅には,煙草の不始末や漏電等の,失火や自然発火の原因となり得る事情が存在せず,出火当時は家人も全員外出していたことから,出火原因については不明とされた。
コ 被告人は,本件火災に巻き込まれることなく,I宅を逃げ出した。
 
そして被告人は,同日,熊本市内の質店において,出火前のI宅に置いてあった判示第7の窃盗被害品である指輪1点を1万5000円で売却した。
 
また,被告人は,いずれも出火前のI宅にあったものであるとして,平成12年8月31日に,九谷焼の湯冷まし1個を,また同年9月4日に,判示第7の窃盗被害品である薄茶色の宝石ケース1個を,福岡県警に任意提出し,それらがI宅にあったものであることは,その後家人によって確認された。
サ また,被告人は,平成12年8月26日,I宅への放火の際に用いた燃料と発火道具である旨述べて,ホワイトガソリンの1リットル用空き缶1個とライター1個を福岡県警に任意提出した。
(2)I宅の出火時刻及び出火場所の特定
 
前示(1)ア,エ,オ,クのとおり,I宅付近を通り掛かったVが,平成14年6月28日午後1時30分過ぎころ,I宅南東の和裁仕事室の奥に置かれたベッドかソファーのような物から,天井までは届かないものの,わりに大きな炎があがっているのを現認していること(なお,Vは本件には何の関係もない第三者であって,この点について虚偽の供述をする謂われは何もなく,また通常人にとっては特異な経験に属し,印象的な事柄と思われる事実について,誤った認識や記憶違いをすることも考えにくいことからすると,その供述には十分な信用性があると認められる。),現実に和裁仕事室の北東隅には,畳製のベッドが置かれていたこと,I宅南側隣人であるYも,I宅南東の和裁仕事室の軒下から炎が吹き出し,これが後に居間や玄関にまで燃え移っていくのを見ていること(なお,Yも,本件とは直接の利害関係を有しない第三者で,しかもその供述調書は,火災のあった平成12年6月28日当日に作成されたものであるから,その信用性も極めて高いと認められる。),同人が110番通報をしたのは午後1時38分であること,そして和裁仕事室の焼燬状態は,I宅の各室中最も強かったわけではないが,やはり天井が焼け落ち,畳も焼燬し,西側の収納棚の前面が全て焼け落ち,柱,間柱等の焼燬も見られるなど,相当激しいものであったことを合わせ考慮すれば,I宅の火災が発生したのは,平成14年6月28日午後1時30分ころであり,その最初の出火場所は,1階南東の和裁仕事室内の北東隅に置かれた畳製ベッドであったことが認められる。
 
この点,前示(1)ケのとおり,消防署員の火災原因判定では,出火元は2階の東側洋室の入口部分であろうとの判断が示されているところであるが,その根拠は,同室入口部分が最も強く焼燬していたことと,Y及びWからの聞き取り調査結果が,I宅東側の部屋から炎があがっているのを確認したという程度に過ぎなかったことによるものである。しかし,前示(1)ウのとおり,本件火災の第1発見者であるVは,発見後すぐに自らポンプ車を稼動させて,消防車が到着する8分前の午後1時43分には,和裁仕事室の南側窓側から放水を始めていることに照らすと,同室の炎の勢いは相当程度弱まったと考えて不自然ではないこと,一方で,和裁仕事室の軒下や焼け落ちた屋根等から上に立ち上った炎が,同室西隣の居間上部2階の東側洋室に燃え移り,同室をより強く焼燬した上で,むしろ2階側から下面及び西面に向けて炎が燃え広がっていくということもあながち不合理とはいえないことを考えると,上記客観的な焼燬状況は,火元を1階南東の和裁仕事室北東隅のベッド上と認定するにあたっての障害にはならないというべきである。
(3)本件火災原因の検討等
 
前示(2),(1)ア,ケのとおり,本件出火場所は1階南東の和裁仕事室北東隅のベッド上と認められるが,同ベッド上には,布団類と衣服が置いてあっただけで,発火原因となるようなものはなく,他に煙草の不始末や漏電等の失火や自然発火の原因となる事情も特段認められず,同ベッド上からの出火原因としては,人為的な放火行為の可能性が考えられるところである。
 
そして,出火時刻である午後1時30分ころのI宅には,家人はいずれも在宅していなかった。
 
一方,被告人は,午後1時かその少し前には車で県庁を出発して,車で約15分の距離にあるI宅に向かい,窃盗目的でこれに侵入し,室内を物色していたのであり,現に同日中に,I宅に置いてあった指輪を質店に売却し,同様にI宅に置いてあった指輪ケースと湯冷ましをその後警察署に任意提出しているのであるから,本件火災の出火時刻当時,あるいは少なくともこれに極めて近接した時刻に,被告人がI宅に在室していたことは明らかである。被告人も,当公判廷で,少なくとも本件火災の出火直前まで,自分がI宅に在室していたことは自認している。
3 被告人の捜査段階における供述要旨
 
ところで,被告人は,その捜査段階においては,要旨次のとおり供述(以下「捜査段階供述」という。)して,自らがI宅への住居侵入及び指輪等の窃盗と,I宅への放火を実行したことを認める供述をしていたところである。
(1)平成12年6月28日ころは,サラ金会社への返済に追われ,自宅や勤務先にまで督促の電話がかかってくる状況にあった。妻には,返しきれない程多額の借金があることは知られたくないと思っていたため,同日は出勤するときから,できればその日のうちに盗みをして借金の返済をしようと考えていた。
 
同日は午後から,職場を抜け出しても周囲に気付かれないよう,1時間程度で行って帰って来られる場所に盗みに行こうと思い,I宅に出向くことを決めた。I宅は,それ以前から,その1階東側の窓のところに皿が飾ってあるのを知っていて,相当高価な皿であろうと予想していたし,家自体がかなり大きく造りもしゃれていたので,裕福な家であろうと思い,侵入盗の対象として目を付けていた家だった。仕事の行き帰りに近くを通った際,5回から7回位下見をしていたほどだった。
 
朝のNHK連続テレビ番組の冒頭部分を見逃してしまったので,午後零時45分からの再放送の冒頭部分だけを見た後,午後零時50分ころ上司に嘘を言って職場を離れ,午後零時55分ころ県庁を出発して,I宅へ向かった。
(2)I宅には,出発して15分くらいで着いたと思う。当時は,雨が降っており薄暗かった。I宅前の北側道路を西から東に通過しながら,I宅に明かりがついていないことを確認し,I宅から1本東側の道路で,竹藪を挟んで50メートル位離れたI宅からは見えない位置にある駐車スペースに車を駐車した。
 
作業着のズボンに作業着の上をはおって帽子をかぶると,傘を差してI宅に向かい,南側の玄関ブザーを押したが,人が出てくる気配がなく,留守を確信した。I宅西側の南の窓を割って施錠を外し,その場に傘を残して,そこからI宅の6畳和室へ侵入した。その部屋には窓側の棚に茶道具があったが,興味はなかったので,次いで北隣の8畳和室に入り,窓際の棚上にあった壺や仏壇等を見たが,価値のあるものはなかった。さらに東側の部屋に移り,テーブル,ソファー等が置かれた居間を物色したが,やはり金目の物はなかった。その東隣の和裁仕事室にも入ってみたが,床に雑然と物が散らかり,金目のものはありそうにないと思われたので,少し見回した程度で現金を探そうともせずその部屋を出た。北東側の台所に行って,かねて目を付けていた窓際の皿を確認すると,それは本当の安物であり,大きく失望すると共に,自分の見込み違いに腹が立った。
(3)一応2階も探してみようと考え,2階へ上がって様子を確認したが,そこは子供部屋と寝室であった。寝室と思われた部屋の隅に置かれた机の上の,宝石箱のような箱から,エメラルドの指輪をケースごと盗んだが,やはり他に大した金目のものはなさそうだった。2階を見たとき,いずれかの部屋に女の子の学生服が掛けられていたのが目に付いた。
(4)I宅にはもう現金や高価な品物はないと思い,侵入口とした6畳和室の窓から外へ出て,傘を差し,当てが外れたことに腹を立てながら,乗ってきた車まで戻った。そのまま発進させようと運転席に座ったが,サラ金からの督促電話に対処することを考えると県庁に戻るのも嫌な気持ちになった。その一方では,早く金を作って返済しない限りサラ金からの督促も更に激しくなるのに,職場の者に不審がられないよう早く県庁に戻らなければならず,別のところに盗みに入る余裕もないから,結局この日は金を用意できそうもないと思うと,絶望的な気持ちになった。この時,「余計な手間を取らせやがって」,とI宅の家人に八つ当たりしたい気持ちに囚われた。「ここに金さえあればなあ」という思いがふくらむと,一層「なんでないんだ,こん畜生」,という気持ちが募り,ついには腹立たしさを抑えきれずに,「あんな家は燃やしてやる」という気持ちが生じた。
(5)そのころ,車のトランクには,仕事用に使おうと思って買ったホワイトガソリンの1リットル缶を載せていた。これは,判示第5の強盗殺人事件の際,血が付いてしまった作業服を燃やすために少量使っただけで,缶の中には,ホワイトガソリンがかなり残っていた。
 
車の運転席側のドアポケットには,ライターを入れていた。盗みをするときに,窓ガラスをライターで焼いて溶かして鍵を開けようと思いつき,特に火力が強いものを使おうと思って買ったものだった。 
(6)ホワイトガソリン缶とライターを持って,傘を差し,先の侵入口から再度I宅の6畳和室に入った。同じ侵入口から逃げるために,すぐには火が回らないよう,6畳和室にはガソリンを撒かず,1階北西の8畳和室へ行って,ホワイトガソリンの1リットル缶の蓋を開け,これを片手に持って,中身を畳の上にこぼした。続いて缶を水平方向に傾け,パシャパシャと揺さ振り,中身を撒き散らしながら,廊下,居間を通って南東の部屋へと進んでいった。その南東の部屋の北東隅に置かれていた,膝下位の高さのベッドの布団の上に,多めにホワイトガソリンを撒いた。雑然とした部屋の中にあった広告紙様の紙を丸めてライターで火を点け,布団の上に投げた。火の点いた紙が落ちた瞬間,ボワッとオレンジ色の火が広がり,50センチメートル以上位の火柱が立った。想像以上の火に驚き,逃げ遅れたら自分まで焼け死ぬと考え,急いで逃げ出そうと侵入口へ向かった。その途中,居間の棚に置かれていた九谷焼の湯冷まし1個が目に入り,大切そうに飾っているその様子からして,瞬間的に先祖伝来の大切なものかも知れないと思い,これを持ち出した。それからより早く逃げるために玄関に向かったが,ドアの鍵を開けた瞬間に,玄関越しに外から男性の声で何か呼びかけられ,ドア脇の磨りガラスに人影が見えた。驚いて玄関から離れた後,焦ったのか北西の8畳和室に入ってしまい,その窓から外に出て,立てかけてあった傘を取って車まで戻り,逃げ出した。その後I宅の様子を見に戻ったが,消防車がたくさん来ており,全焼のようだった。
 
盗んできた指輪は,その日の内に質屋で売却した。
(7)I宅で使用した後,少し残っていたホワイトガソリンは,その後の窃盗で盗んできたファイル等を燃やすのに使用しており,逮捕時に警察署に任意提出したものは,その空き缶である。
 
前後の使用量からして,I宅で使用したホワイトガソリンの量は,合計で600シーシー位ではないかと思う。
4 被告人の公判供述の要旨
 
しかし,被告人は,判示第7,第8と同旨の各公訴事実について,平成13年1月31日の第2回公判でその罪状認否を留保した後,平成13年4月16日の第3回公判においては,I宅に放火をしたのも,I宅から指輪とそのケースを盗み出したのも,自分ではない氏名不詳の男であるとして,事実を否認する供述をし,当時の状況について,最終的には平成14年5月2日の第15回公判以降,要旨次のとおりの供述(以下「最終的公判供述」という。)をした。
(1)平成12年6月28日は,二日後がボーナス日であったため,金銭的に困窮していたわけではないが,当日が侵入盗には好都合な雨天であったため,近場で盗みができればもうけもの,という考えで,午後1時になってから別室に出向く振りをして上司に断り,県庁を抜け出して車でI宅に向かった。
(2)I宅の東側道路を通ってI宅に電灯がついていないのを確認し,I宅から80メートルか100メートル位離れて,1本東側にある道路の駐車スペースに車を止めた。そこで白い作業服の上下に着替え,白い帽子とサイズの違う運動靴を身に着け,窃盗道具を持ち出して,傘を差して徒歩でI宅に向かった。
 
南側玄関のインターホンを時間をおいて3回押したが反応がなく,家人の不在を確信すると,玄関ドアには鍵がかかっていたので,1階南西の部屋の西側に回り,窓の一部を割って6畳和室に侵入した。同室及びその北側の8畳和室を物色したが,めぼしいものはなく,玄関を通り過ぎて東側に向かい,居間の左側ガラス棚にあった九谷焼の湯冷まし1個を取った。それから居間の戸棚を物色したが,現金も金目のものも見付けられず,南東角の部屋に行った。南側の机かタンス,次いで押入内を物色したが,何もなかった。さらに台所に入ると,窓際に飾っている皿が安物であることが一目で分かった。台所棚を簡単に物色したがやはり現金は無かった。
(3)次いで2階に上がったところ,部屋に入ろうとしたところで,帽子をかぶり,白いマスクをした氏名不詳の男に遭遇した。その態度風体から,I宅の家人でないことはすぐに分かったが,驚いて,慌てて1階に下り,台所に行った。男も1階に下りてきたが,和室の方に行った後,戻ってきて南東の部屋に入った。そこで自分はすぐに,北西の8畳和室の窓から逃げ出し,2,3分間やぶの中に隠れて人がいないのを確認した後,1,2分かけて歩いて自分の車に戻った。
 
すると,3,4分経ってから男が車のところまでやってきて,助手席に乗り込んだ。男は,「ガラスを割る腕が見事ですね。チャイムが鳴ったのは知っていたけど,ガラスが割れるのは全然気付かなかった」「家に火をつけて来た」と言い,持っていた袋から指輪入りの指輪ケースを取り出して自分にくれた。それからすぐに車から降り,男は,その男の車の方に行った。このとき男は,何らかの液体燃料の入った缶を助手席足元に置き忘れて行った。
(4)本件火災に家人が巻き込まれていないかと心配になり,その後1時間近く経ってからI宅近くに戻ると,数台の消防車が来て消火活動をしており,近づけなかった。
 
男にもらった指輪は,その日のうちに質屋で売却した。
 
翌日の新聞で,I宅の火災の記事を見た際,I方が4人家族であることを知った。
(5)本件火災の3,4日後,自宅近くのコンビニエンスストア駐車場で男とばったり出会った。最初自分は気付かなかったが,男の方から近づいてきて,「パチンコ屋でよく見かけて顔は知っていましたよ」「あなたのガラスを割る腕は見事ですね」「ガラスの割り方を教えてください」などと話しかけてきた。その翌日,自分の上司の家に男と一緒に泥棒に入った。男とは,I宅への放火の件についても断片的な話をした。その時に,台所の横の部屋に火をつけた話や,その後玄関から逃げようとしたら,外に人がいるのが分かってびっくりしたという話を聞いた。その後は,その男とは会っていない。
(6)なお,男が助手席に置き忘れていった缶は,その後車のトランクに入れていたが,平成12年7月23日に,判示第5の強盗殺人事件に関して任意の事情聴取を受けた後に,逮捕されるのは時間の問題だと考えたことから,この缶についても,熊本市内の西部の川に投棄した。
 
自分が平成12年8月26日に福岡県警に任意提出したホワイトガソリン缶は,別の機会に自分が購入して所持していたものであり,本件火災とは無関係である。
 
男が残していった缶と,自分が購入したホワイトガソリン缶とでは,その缶のデザインが違うので,中に入っていた液体燃料の成分は内容が異なるものだと思う。
(7)自分では火をつけていないので,実際にI宅に撒かれたものがガソリンなのか、撒いた場所はどこなのか,撒いた量がどの位なのか等は分からないし,I宅2階にも上がっていないので,2階の間取りや,指輪とそのケースがあった場所や,女の子の制服のあった場所及びその形状等についても分からない。
 
撒いたガソリンの量やI宅2階の間取り,指輪のあった場所等についての捜査段階での供述は,当初想像や推測で述べていたものを,後に取調べや実況見分の際などに,立ち会っていた警察官から正確なことを教えてもらって,その通りに訂正するなどしたものである。 
5 捜査段階供述の信用性
 
そこで,被告人の捜査段階供述の信用性について検討する。
(1)捜査段階供述の経緯等
 
被告人が,捜査段階において,判示第7,第8の各犯行を自白するに至った経緯及びその供述内容の変遷経過は,以下のとおりであった。
ア 本件火災は,原因不明の出火として処理され,被害届も出されなかったので,熊本県警も特に刑事事件としての捜査はしていなかった。また,盗難の事実についても,被害者であるJ自身が,当初被害事実を認識しておらず,被害届を作成,提出したのも,被告人の自供が契機になったものである。
イ 被告人は,判示第5の強盗殺人事件の被疑者として平成12年8月9日に福岡県警で逮捕され,引き続き勾留されていたところ,同月26日,担当取調官であった警察官(B2)に対し,自ら,「実は,窃盗以外も大変なことをしております。人間として,やってはいけないことをやってます。」と切り出して,涙ながらに判示第7,第8の各犯行を自供した。そこで取調官(B2)が,覚えている範囲で申立書を書くよう促すと,被告人は,「私が火をつけて燃やしたIさん方の位置」と題した,I宅及びその周辺と,自らが車を駐車した位置等を示した図面,また「Iさん宅の様子とガソリンをまいた位置」と題して,I宅1階の間取り図を示したものに,北西の8畳和室真ん中と南東の和裁仕事室北側,さらにその間を結ぶように,玄関ホールと居間の一部について,それぞれガソリンを撒いた旨位置を特定する図面を作成した上で,「私は人の家に火をつけて燃やしました」で始まる,I宅への住居侵入,窃盗と,放火の事実を認める内容の申立書を作成した。同申立書において,被告人は,平成12年6月下旬か7月の上旬頃の午後1時か2時頃,I宅に侵入したこと,しかし現金はなく,2階の寝室のテーブルにあった小箱からエメラルドの指輪を,1階リビングのガラス棚から九谷焼の茶碗をそれぞれ盗んだこと,現金がなかったことでイライラし,近くに止めてあった車に戻ったが,I宅に火を点け,燃やしてしまおうと思ったこと,車のトランクからホワイトガソリンを取出してI宅に戻り,和室やリビングにガソリンを撒いて,室内にあった紙にライターで火を点け,ガソリンを撒いた場所に投げ込んだら燃え上がったこと,急いで玄関から逃げ出そうとしたら来客の声がしたので,びっくりして和室の窓から逃げ出したこと等を記載した。
 
なお,これに先立って,被告人は,同日午前11時27分から47分にかけての作成日付時刻を表示して,判示第2の建造物侵入,強盗傷人事件を自供する内容の申立書と,同事件の被害店舗及び犯行に使用した注射器等の様子を示した図面2枚を作成し,同日午後1時40分及び50分の各作成日付時刻を表示して,判示第1の建造物侵入,強盗未遂事件を自供する内容の申立書と,同事件の被害店舗の様子等を示した図面を作成し,これに引き続く午後2時7分から39分にかけての作成日付時刻をもって,I宅へ住居侵入,窃盗及び放火にかかる上記申立書と2枚の図面を作成して,その後はさらに,同日午後2時55分の作成日付時刻で,判示第1,第2の各事件で使用した散弾銃様の模擬銃の投棄場所を説明する図面を作成しているところであって,I宅へ住居侵入,窃盗及び放火にかかる上記申立書等は,相当短時間の間に,次々と記載されていったものであることが認められる。
ウ その後,被告人は,熊本県警に移送され,熊本で実行した判示のその余の各犯行について取調べがなされ,判示第7,第8の各犯行については,一番最後に取調べが行われた。
エ 同年11月6日付け警察官調書において,被告人は職場からI宅に向かった時間,I宅への侵入態様,物色の順序及び程度,放火を決意するに至った動機,放火の態様,放火後の経緯等について,事実経過を詳述した。その中で,I宅2階についてはザッと見ただけなので記憶が薄くはっきりした場所が分からない旨述べた上で,指輪を窃取した場所については,2階にあった4部屋のうち,寝室と思われた部屋の奥の隅に置かれた机の上の宝石箱の中である旨説明して,自ら作図した「田」の字に近い4部屋の配置図のうち,南東の部屋の南東隅に上記机があった旨の表示をした。また2階のいずれかの部屋に女の子の学生服があったことも供述した。
 
その後,同年11月13日付け警察官調書では,I宅に出向く途中で,あらかじめ調べてあった電話番号に基づいてI宅に電話をかけ,応答がない旨確認したと供述を付け加え,同月15日付け警察官調書では,当時の服装について,白っぽいジャンパーと作業着であるズボンを身に着けていたこと等を説明すると共に,I宅の実際の間取りを確認した際に,2階の間取りに関する自己の説明に誤りがあり,自分が記憶していた物置や部屋の配置が入れ替わっていることが分かった等と供述した。
 
次いで,同月18日付け警察官調書では,それまでの自己の供述内容に7つの訂正がある旨申し立て,〔1〕県庁からの出発時間を午後1時過ぎと述べていたが,実際には午後零時55分であったこと,〔2〕I宅に電話をかけて不在確認をしたと述べていたが,それは別の機会のことで,本件時には電話をかけていないこと,〔3〕I宅台所の灯りが消えているのを確認した場所を東側道路と述べていたが,実際には北側道路であったこと,〔4〕服装はもともと作業着を着ていたので,車を降りる際にはジャンパーと帽子を身に着けただけで,着替えはしていないこと,〔5〕降車してI宅に徒歩で向かう途中,郵便局員と出会った旨述べていたが,それも別の機会のことであり,本件時には出会っていないこと,〔6〕九谷焼の湯冷ましを盗んだ時期は,1回目に侵入した時と述べていたが,実際には放火をして逃げ出す際であったこと,〔7〕2階の間取りについて従前述べていたのは,別の窃盗現場での間取りと勘違いしていたものと思われ,現時点では2階の間取りも思い出した旨をそれぞれ述べて,これらの点を訂正した。
さらに,同月20日付け検察官調書においては,ほぼ正確な2階の配置図を自ら記載した上で,指輪を盗んだ場所については,南西にあるベッドのあった寝室内の,机の上の箱の中であると説明したが,検察官から重ねてその正確性について尋ねられると,東側の部屋であったかもしれない旨供述し,この東側の部屋については,学習机や女子用の学生服があったので,子供部屋であると思い,現金等は探さなかった等と説明した。
 
そして最後に,同月21日付け検察官調書においては,改めて指輪を窃取した場所について供述を変え,これを窃取したのがベッドのあった部屋であることは確かなので,ベッドのあった部屋が2階東側の部屋だけなのであれば,これを窃取した場所も東側の部屋であったことで間違いなく,その南東隅に置かれた机の上の宝石箱から盗んだものだが,I宅の家人が,その収納場所が南東隅付近にあった引出付きの棚であったというのであれば,その引出を宝石箱と間違えた可能性もある旨供述した。
(2)捜査段階供述の自発性
 
まず,被告人の自白に至った契機を見るに,前示のとおり,被告人は,何ら捜査活動が開始されてもいなかった判示第7,第8の各犯行について,自ら進んで警察官にそれが自己の犯罪である旨申し立て,それを告白するに至った心情についても,それまでやってきた罪の償いをしたいという非常に真剣で理解できる動機に基づいて行われたことが窺われ,一方で,その当時もその後の取調べにおいても,捜査官からの威迫,押し付け,無理な誘導等といったその信用性に疑問を抱かせるような事情は一切なかったことが認められる。(被告人自身も,当時の取調官との関係が非常に良好なものであり,申立書の作成が自らの発意によるものであったことは,度々認めているところである。)。現に,同一日に,時間も近接して作成された他の2通の申立書にかかる判示第1,第2の建造物侵入,強盗未遂,強盗傷人事件については,その後継続して捜査,起訴されたが,被告人も,その事実関係自体については争っていない。これらの経過にかんがみれば,被告人が捜査段階で行った自白供述の,自発性及び真摯性には十二分なものがあるというべきである。
(3)捜査段階供述の一貫性
 
また,前示(1)イないしエのとおり,その供述経過については,細かなところで内容の変遷があると認められるものの,被告人自らがI宅に火をつけ,指輪等を盗んだというその犯人性や,犯行動機,手段・方法等の,自白の根幹部分に関しては,平成12年8月26日の申立書作成当初から捜査終結までを通じて,何ら揺らぐことなく一貫しているものである。前示供述の変遷部分についても,自ら訂正したい点がある等と申し出た上で,例えばI宅台所の灯りの有無を確認した場所や,九谷焼の湯冷ましを盗んだ時期など,各犯行の成否自体には直接関係もなく,捜査官においても真相をまったく知り得ないし,客観的事実に合わせるべく誘導する必要性もその可能性もないような事柄についてまで,事細かに供述をし直しているところであって,むしろ当時の被告人の記憶に基づいて,誠実かつ率直な供述をしていたことが窺われるところである。
 
他方,確かにI宅2階の間取りや,指輪等を窃取した場所に関する被告人の供述は,必ずしも明確ではなく,それ自体に変遷が見られるが,被告人にとって住居侵入,窃盗行為は常習的なものであり,しかもI宅では,その1階を物色した時点で既に被告人が興味を惹かれるような現金,骨董品その他の金目の物を見つけることができずに気落ちした状態にあったというのである一方で,被告人としては勤務先の熊本県庁を午後1時ころから1時間程度抜け出すつもりで本件第7の犯行に及んだものとみられることからも,2階を物色する時点では既にさほどの期待も持てずにおざなりに見て回る程度にとどまったことは十分考えられるところである。とすれば,特にI宅2階の状況については被告人の記憶が明確でなく,あるいは他の窃盗事件の現場と混同するといった可能性もあり得るところであって,その点の供述内容が明確性を欠き,あるいは変遷していることをもって,捜査段階供述全体の信用性を損なうものとはならないというべきである。
(4)捜査段階供述と客観的事実との整合性等
ア 次いで,捜査段階供述の表現内容を見るに,そこでは,I宅への侵入盗を決意した動機,I宅への侵入状況,物色の経過とその結果,放火を決意するに至る経緯とその心情,放火に用いた燃料や着火道具の入手経過とその所持理由,放火の態様の詳細,逃走に際して九谷焼湯冷ましを手に取った理由や逃走経路の選択等に至るまで,判示第7,第8の各犯行の態様・動機や,その前後の状況が,具体的かつ了解可能な自然な流れとして表現されている。特に,ベッドに火を放った際の状況については臨場感が溢れており,実際に体験した者でなければ表現し難いような迫真性を帯びた内容となっているところである(この点,I宅放火事件の被告人取調べを担当していた警察官C2は,本件以前は窃盗事犯を専門的に扱っており,放火事件の取調べを担当したのは初めてだったので,着火状況についての被告人の供述が正しいものか否か判断が付かなかったが,燃焼実験の結果,被告人の供述どおりであったので安心した旨述べているところである。)。
イ そして,その具体的供述内容は,着火場所が,I宅1階南東の和裁仕事室の北東隅に置かれたベッド上であることや,着火後にその場を逃げ出した被告人が,一旦は玄関から外に出ようと考えてその鍵を開けたところ,その時点で外から男性の声で何か呼び掛けられ,人影に気付いたので慌てて8畳和室の窓から逃げ出したこと,置き場所こそ判然とはしなかったものの,窃盗被害品である指輪とそのケースや女の子用の学生服が,実際に2階に置かれていたこと,そしてI宅にあった指輪とそのケース及び九谷焼の湯冷ましを,被告人が盗み出して本件火災前に外に持ち出したことは,いちいち前示2(1)ア,ウ,コ,キ,2(2)の客観的事実と合致するところであり,さらに被告人が,平成12年8月26日に,I宅の放火に使用したとして福岡県警に任意提出したホワイトガソリン1リットル缶の空き缶とライターは,その捜査段階供述のとおりの方法で使用することによって,その供述態様どおりに引火し,十分本件火災を引き起こすに足り得ることが,その火災実験によっても裏付けられているところである。
特に,着火場所が,I宅1階南東の和裁仕事室の北東隅に置かれたベッド上であることや,被告人が供述する2階のいずれかの部屋に掛けられていた女の子用の制服の存在,玄関から逃げようとした際に閉まっていた鍵を開け,丁度その際に外の男性から声を掛けられた経過等は,平成12年11月6日付けの最初の警察官調書作成の時点で被告人が最初に指摘し,その供述に基づいてその後に裏付け捜査をした警察官が,同月9日付けVの警察官調書,同月10日付けA2の警察官調書,同月11日付けJの警察官調書を得るに及んで,それらが事実であることが確認された事柄とみられ,これらの点は被告人が真相を明らかにしたことを裏付けていると考えられるところである。
ウ この点,被告人は,放火の場所や状況を1階南東の和裁仕事室であるとして詳しく説明したのも,玄関から逃げ出そうとして鍵を開けた際に外の男から声を掛けられて驚いた旨説明したのも,その後I宅で出会った氏名不詳の男と,偶然再会し,一緒に窃盗事件を引き起こした際に,I宅への放火事件について断片的に聞いた話を基に,想像して述べたものに過ぎないとか,I宅2階に女の子の制服があった話を自ら持ち出したのは,本件火災後の新聞報道で,I方が4人暮らしであったことを知った際,夫婦と子供二人の家庭であると思い込み,庭にも室内にも子供用のおもちゃがなかったから,子供は中学生か高校生位であろうと想像した上で,外観から見たI宅の様子を考慮して,取調べの警察官にI宅2階の間取りを子供部屋二つと寝室と物置だったと説明し始め,その過程で2階には女の子の制服があったと述べたもので,女の子というのが結果的に当たっていたのは,偶然である等と説明する。
 
しかし,被告人が主張するこのような経緯で,先に指摘したような詳細で,かつ客観的事実に合致した供述が可能になるとは考えがたいところである。
 
特に,指輪が2階に置いてあったことや,火勢に驚いて一旦は玄関から逃げだそうとした際に,来客の声がしたこと,ガソリンを撒いた場所などについては,被告人が,平成12年8月26日に自ら作成した申立書と図面2枚の中で既に指摘しているところであり,しかもこれら申立書等は,相当短時間のうちに次々と作成されたことが認められるのであるから,このような短時間内に,あえて氏名不詳の男の真偽も不明な発言内容等を基に,自らが体験もしていない事柄を想像した上で,事件の概要ともいうべき申立書等を作成する必然性も合理性もないといえる。
 
加えるに,そもそも,被告人が本件火災後にも偶然男と再会した上,I宅への放火事件の話を聞いた等という供述は,第15回公判期日における被告人質問の際に初めて,しかも突然に主張されるに至ったもので,むしろそれ以前には,後述する(5)イで述べるとおり,その男との遭遇状況や会話内容については,まったく別のことを述べていたところであるから,かかる説明内容自体が,容易に信用することができないというべきである。

エ なお,弁護人及び被告人は,午後零時55分又は午後1時ころに県庁を出発して,I宅に侵入し,1階,2階を物色した上で,再度駐車車両の所まで戻り,放火の道具を持ち出して再度侵入して,午後1時30分ころにI宅に放火することは,物理的に不可能である旨主張する。しかしながら,県庁から当時被告人が車を駐車した場所までは,距離にして約7キロメートル,自動車での所要時間にして約15分であるうえ,当日は被告人自身も,職場から1時間程度で行き帰りができることを予定して,特に近場のI宅を侵入対象に選んだというのであるから,もとより侵入行為や物色及び窃盗行為にかけられる時間的余裕が十分あったものではなく,最初から急いで見て回ろうという気持ちが働いたであろうことは容易に推測し得るし,加えて現に物色を始めたところが,最初の6畳和室に置かれていた茶道具には被告人は興味が無く,8畳和室にあった壺等も一瞥しただけで価値がないことが分かり,居間で唯一盗んだ九谷焼の湯冷ましにしたところで,価値的にはそれほど高価なものではないと思っており,台所の窓際に飾られていた皿に至ってはまったくの安物で,本当に落胆した旨述べているのであるから,周囲を見て回るうちに次第に物色行為そのものに対する熱意が冷め,おざなりなものとなっていったことは十分あり得るところであるし,現に前示2(1)アのとおり,被告人がI宅1階和裁仕事室の西側収納棚に置かれていた袋入りの現金30万円や宝石等には気付いていなかったことを見ても,その物色の程度はもとより浅いものであったことが窺われること,その一方で被告人は,自らも認めるとおり,この当時には,多数の住居侵入盗を重ねることによって,住居侵入及び窃盗行為の技術自体は相当高度に熟練しており,十分迅速な行動を取ることが可能であったと思われること等を考慮すれば,わずか30分から35分といった短い時間であったとしても,その時間内に,被告人の捜査段階供述どおりの行動を取ることは,十分可能であったというべきであって,その供述内容は何ら客観的事実に反するものとはいえない。

オ また,弁護人及び被告人は,捜査段階供述でホワイトガソリンを撒いた場所として指摘している1階の北西8畳和室,及びそこから南西和裁仕事室に向かう間の玄関ホールから居間に至るまでの通行路が,前示2(1)クのとおり,客観的に燃えずに残っていることを考えれば,捜査段階供述には事実との矛盾があると指摘する。
 
しかしながら,被告人が最終的に和裁仕事室のベッド上に撒くまでの途中に,ホワイトガソリンを振り撒いた量は,結局のところ正確な量は把握されておらず,前示2(2),2(1)クにあるとおり,I宅に火が点けられた後,比較的短時間のうちに本件火災が発見され,最も早い地元の消防団員は午後1時30分ころの着火時間から十数分ほど後の午後1時43分ころにはI宅1階南東の和裁仕事室南側窓側から放水を始め,その後の午後1時50分ころからは本格的に消防車が放水活動を始めており,それゆえに火元となった同室の火勢も相当程度弱まったものと考えられ,むしろその焼燬状態を考えると,確かに2階東側洋室に燃え移った火は,全体として建物上部から焼き進むような形で燃え広がっていった経緯が窺えることを考えると,1階北西8畳和室から玄関ホール,居間までの間の床面に,ある程度のホワイトガソリンが振り撒かれていてもなお,1階のこれら散布箇所の床面が焼燬することなく残存することもあり得ないことではないと考えられるから,必ずしもこの点が客観的事実と矛盾するとは断じ難いと考えられる。
(5)最終的公判供述の不合理性
 
一方,被告人の最終的公判供述は,以下に述べるような点で,到底信用することができないものである。
ア 供述内容自体の不自然性
 
まず,被告人の最終的公判供述は,被告人とほぼ同一の時刻に,同一の場所であるI宅に,被告人と同様の窃盗目的を持った氏名不詳の男が居合わせたことを前提とするものであるが,そもそも,かかる偶然自体が,余りにも一般的には起こり難いことと思われ,容易に信用し難いところといわざるを得ない。
 
しかもその男は,被告人と偶然はち合わせたことで,男自身も相当驚愕して当然であるところ,それにもかかわらず,被告人が慌ててI宅を逃げ出した直後にI宅に放火をしたというのであるが,その犯行の重大な目撃証人となるかもしれない人物すなわち被告人がその場を逃げ去ったすぐ後に,その男が何故敢えて放火のような重大犯罪を引き起こさなければならなかったのかについても,その疑問に答えるような事情は本件において一切浮かび上がって来ないところである。
 
仮にこれらの点を措くとしても,I宅への放火を終えた男が,I宅から1本東側に離れた道路上で,少なくともI宅からは直接見ることのできない所にある駐車スペースに止めてあった自己使用車内にいた被告人の下に,数分遅れでやって来るということ自体が,まったく不合理である。しかもその男が,いきなり被告人使用車の助手席に乗り込んできて,被告人のガラスを割る方法を褒めたり,ましてやI宅に火を点けてきたことを告白したり,さらには指輪入りの指輪ケースを被告人に無償で交付するなどということは,極めて不自然なことというほかない事柄であって,到底信用することができない。
 
しかもその3,4日後に,自宅近くのコンビニエンスストア駐車場で,またも偶然にその男と再会し,その男が以前からパチンコ店で被告人を見知っていたことが分かり,さらにガラスを割る技術を教示してもらいたい旨依頼されたので,一度だけ男と一緒に,被告人の上司宅への住居侵入,窃盗事件を引き起こし,かつ,その後は一切男と会うことなく,その住所はもちろん氏名も何も知らないというに至っては,その内容自体がいかにも荒唐無稽なことと言わざるを得ない。
イ 否認供述内容の変遷とその不合理性
 
加えて,被告人は,全23回,2年を越える審理となった本件裁判の中で,少なくともその平成13年5月31日第4回公判から同年12月20日第11回公判までの審理前半の場面では,明らかに前記4にまとめた最終的公判供述とは異なる供述(以下「当初の公判供述」という。)をしていたものである(平成13年5月31日第4回公判期日における被告人質問,同期日提出の「「I」事件の概要について」と題する書面(弁2),同年10月25日第9回公判期日提出の「「I」事件における私の主張」と題する書面別紙2,同年12月6日第10回公判期日における被告人質問,同年同月20日第11回公判期日提出の「「I」事件供述調書の真実と異なる具体的な内容」と題する書面)。
 
その最も大きな相違点は,被告人が,当初の公判供述では,I宅で偶然出会った氏名不詳の男が,被告人の面前で,1階南東の和裁仕事室の北東隅ベッドに,ホワイトガソリンを撒いてライターで火をつけたのを見た旨述べていることである。特にその弁2号証では,男が放火した際の具体的態様を極めて詳細に,例えば男が右手に四角い缶を持って,ベッドにガソリンを振りかけたこと,左手にはビニール袋を持っていたこと,男が缶の蓋を閉めて左手に持ち替えたこと,右手をポケットに入れてライターを取出したこと,近くにあった紙を拾ってまるめて,これにライターで火をつけてベッドに放り投げたこと,たちまち炎が立ち上がったこと,びっくりして逃げ出したこと,といった経緯が,実に事細かに記載されているのであって,これは明らかに,男に出会った後すぐ逃げ出したので,放火の場面は見ていない,したがって,男がどこにどんな燃料を撒いてどのように火を点けたのかは実際には分からない,とする最終的公判供述と矛盾するものである。
 
しかも,当初の公判供述では,被告人は,男が放火した後びっくりして逃げ出す際に,玄関から逃げようとして鍵を開けると,丁度その時来客があり,ドアのガラス越しに人が見えたので,更に混乱したということや,男から「こっち」と叫ばれたので,男の後を追って、1階北西8畳和室から外に逃げたこと,そして,もし本当に自分が放火をしてI宅から脱出したのであれば,玄関から最も近く,かつ,自分の侵入口でもあった南西6畳和室の窓から脱出するはずだが,氏名不詳の男から呼ばれたからこそ,侵入口とは別の窓である北西の8畳和室から脱出したのであり,その際には男が撒いたガソリンの痕を避けるようにして窓際までたどり着いたことを覚えている,といった主張までしていたのである。しかしながら,最終的公判供述では,かかる事実や主張すらあっさりと覆して,自分は男と出会ったことにびっくりしたので,慌てて男より先に,8畳和室の窓から逃げ出したのである旨主張する結果となっている。
 
さらに,被告人は,当初の公判供述では,男が着火するのに先立って,左手に持っていた缶を被告人に渡して持たせたこと,それで自分はI宅を逃げ出す際に,男から渡された缶を上着のポケットに入れてそのまま持って逃げたこと,そしてその缶が,平成12年8月26日に福岡県警に任意提出した1リットル缶の空き缶であること,その缶の中身がホワイトガソリンであったことも後で分かったこと,したがって,判示第8の事実の証拠として当公判廷で取り調べられたホワイトガソリン1リットル缶の空き缶は,自分が購入したものではないこと等を述べているのであって,これらの点も明らかに最終的公判供述と異なる内容となっている。すなわち,前記4のとおり,被告人は,最終的公判供述では,I宅から逃亡した後,被告人使用車に勝手に乗り込んできた男が,液体燃料の缶を置き忘れていったことがあったが,その缶は後に投棄してしまったし,それ故その成分も不明であり,福岡県警に任意提出したホワイトガソリン1リットル缶の空き缶は,本件火災とは無関係な,自分が購入した缶である等と説明しているのである。 
 
また,被告人が,氏名不詳の男と一緒に別件窃盗事件を起こしたという供述はともかくとして,本件火災の後にも,当該男と,自宅近くのコンビニエンスストア駐車場で偶然再会した事実を,当初の公判供述においてはまったく触れておらず,第15回公判期日以降になって突然主張し出しているのも不自然であるし,男と交わした具体的会話の内容については,当初の公判供述と最終的公判供述とではまったく違ったものとなっている。
 
そして,上記のような公判供述内容の変遷自体が,なぜ生じたのかについて,被告人は何ら合理的な理由を説明していない。被告人は,氏名不詳の男との関係を詳しく供述すれば,別件である上司宅への住居侵入,窃盗事件についても話さなければならなくなるので,これを避けたかったからである等と述べているが,そのような理由が,I宅内で,男が実際に放火するのを見たか否かというような,最も重要かつ単純な事実を偽るだけの合理的説明に全くなっていないのは明らかである。しかも,被告人は,この別件窃盗事件についても,既に捜査段階でこれを自白する供述をしていたことからすれば,かかる説明はにわかには信用し難いといわざるを得ない。
(6)虚偽の捜査段階供述をする動機及び供述変遷理由の不合理性
 
そして,捜査段階供述が真実でないとした場合の最大の疑問は,被告人が,前示(1)のとおり,取調官から何らの圧力も追及も受けたわけでもないのに,なぜ自ら進んで,やってもいない犯罪を自ら犯したという,虚偽の自白をしなければならないのか,という点である。
 
この点について,被告人は,I宅での住居侵入窃盗と放火を認める内容の捜査段階供述をしたのは,当時,判示第5の強盗殺人事件で遺族に早急に謝罪するため,初公判を1日でも早く開いて欲しいという強い思いがあり,早急に他の事件の取調べを完結させたいと考えていたし,自分の目の前で家が燃え,これを止めることができなかったということで,自分が放火をしたのと同じくらい強い罪責感を抱いていたからである旨主張する。
 
しかしながら,当時の被告人がこのような心境にあったことが事実だとしても,なぜそれゆえに未だ捜査機関にも判明していない他人の犯罪事実をわざわざ明らかにし,しかも当該他人の存在を隠して,自分こそが犯人であるとしてその罪責を負わなければならないのか,という疑問に対して,聞く者をして納得せしめるような合理的理由になるとは到底思われないし,また,自分の目の前で家が燃えるのを止められなかったという罪責感を,「人間として,やってはいけないことをやってます。」という峻烈な言葉で表現することになるのかという点でも,理解し難いところであって,かかる説明にはまったく説得力がないというほかはない。
 
そもそも,被告人の余罪についての自白経過を見ると,平成12年8月9日に判示第5の強盗殺人事件で逮捕された被告人は,多数の窃盗余罪についても,早い段階から積極的に自白をし,自ら申立書も作成する一方で,判示第1,第2の建造物侵入,強盗未遂,強盗傷人と,判示第7,第8の住居侵入,窃盗,放火という重大事件に関してだけは,勾留延長後の平成12年8月26日になって初めて,その罪を申告するに至っているのであって,これらの事件を自白するまでには,被告人の中でも,相当の迷いやためらいがあったことが窺われる。そして,判示第5の強盗殺人事件の捜査がほぼ終わろうとしているこの段階で,他人が犯した現住建造物放火という重大事件について,実際にはやってもいないのに自らの犯行であるかのような虚偽の自白をすれば,新たな事件の捜査に時間がかかり,却って判示第5の強盗殺人事件の公判審理も,先延ばしになる可能性があることは自明のことであって,被告人の上記説明には,それ自体に矛盾があるといわざるを得ない。
 
しかも,かかる自白を翻して,公判廷において初めてその真相を話そうと思った理由については,被告人は,前出のとおり,判示第5の強盗殺人事件の第1回公判期日予定日が延びたことがきっかけで,家族のために,事件の真相を話そうという気持ちになったが,一方で,判示第7,第8の事実に関する限りは,取調べを担当した警察官C2に捜査段階から非常に親しみを感じ,被告人の家族らに対する気遣いの点などでも大変恩義を感じていたため,迷惑を掛けたくないので,むしろ虚偽の事実を認めたまま審理を受けようかと迷い,最初の公判期日でも罪状認否を保留していたところ,この取調べの期間中に,1点だけ,担当警察官が,被告人に黙って,判示第2の建造物侵入,強盗傷人事件の被害者による面通しをさせたのではないかという不信感を持っており,最初の公判期日の後に,取調べ当時の担当警察官に対して,その点の嘘を指摘する手紙を送付し,担当警察官が事実関係を認めて謝ってくれるなら,判示第7,第8の事実もそのまま認めようと思っていたところ,この手紙に対して何の返事もなかったことから,やはりこれについては真実を話そうという気持ちになった,というのである。
 
しかしながら,判示第5の強盗殺人事件については真実を話そうと決意した後でありながら,さらに自己が現住建造物放火という重大事件の罪責を問われるか否かという大変重要な局面において,直ちに真相を話すわけでもなく,既に捜査活動も終了して久しい取調べ担当警察官の極めて些細な事柄に対する反応を契機として,最終的に真実を話す気になったということ自体,一般常識に照らしても理解し難い説明といわなければならず,容易に信用することができない。
(7)小括
 
以上の(2)ないし(6)の事由のとおり,結局,被告人の捜査段階供述は,その契機及び取調べ状況において十分な自発性,任意性が認められ,その自白の根幹部分において,供述の当初から捜査終結まで一貫性があり,その内容自体も具体性,迫真性に富み,自然且つ合理的であって,客観的事実とも整合性があり,一方で被告人の最終的公判供述は到底信用することができないものである上,被告人には,捜査段階において,あえて虚偽の自白をしなければならないような合理的ないしはやむを得ない事情があったとも認められないのであるから,その捜査段階供述は,十分信用することができるというべきである。

6 結論
 
以上の次第で,関係証拠により認められる客観的状況からすれば,I宅からの指輪及びそのケースの窃盗行為並びにI宅に対する放火行為は,出火直前までI宅にいたことや,本件火災の当日に当該指輪を売却したことが明らかな被告人によるものである可能性が十分推認されるところ,その犯行を自白した被告人の捜査段階供述は,十分に信用することができるから,結局被告人が,判示第7の住居侵入,窃盗及び判示第8の現住建造物放火を行ったことは明らかであって,これに合理的疑いを差し挟む余地はなく,これに反する被告人の供述は措信できず,第7のうちの窃盗及び第8の放火につき被告人が無罪である旨の弁護人の主張は採用することができない。
(法令の適用)
罰条
第1の行為中
 
建造物侵入の点 刑法130条前段
 
強盗未遂の点 刑法243条,236条1項
第2の行為中
 
建造物侵入の点 刑法130条前段
 
強盗傷人の点 刑法240条前段
第3,第4,第7,第9及び第10の各行為中
 
住居侵入の点 いずれも刑法130条前段
 
窃盗の点 いずれも刑法235条
 
第5の行為 刑法240条後段
 
第6の行為 銃砲刀剣類所持等取締法32条4号,22条
 
第8の行為 刑法108条
第11,第12及び第13の各行為中
 
有印私文書偽造の点 いずれも刑法159条1項
 
偽造有印私文書行使の点 いずれも刑法161条1項,159条1項
 
詐欺の点 いずれも刑法246条1項
科刑上一罪の処理
 
第1 刑法54条1項後段,10条(一罪として重い強盗未遂罪の刑で処断)
 
第2 刑法54条1項後段,10条(一罪として重い強盗傷人罪の刑で処断)
 
第3,第4,第7,第9及び第10 いずれも刑法54条1項後段,10条(いずれも一罪として重い窃盗罪の刑で処断)
 
第11及び第13 いずれも刑法54条1項前段,後段,10条(いずれも一罪として最も重い詐欺罪の刑(ただし,短期は偽造有印私文書行使罪の刑のそれによる)で処断)

 第12 刑法54条1項後段,10条(一罪として最も重い詐欺罪の刑(ただし,短期は偽造有印私文書行使罪の刑のそれによる)で処断)
刑種の選択
 
第2 有期懲役刑を選択
 
第5 無期懲役刑を選択
 
第6 懲役刑を選択
 
第8 有期懲役刑を選択
併合罪の処理 刑法45条前段,46条2項本文
未決勾留日数の算入 刑法21条
没収 刑法19条1項1号(文書の偽造部分),2号(山刀とライター),2項本文
訴訟費用の不負担 刑事訴訟法181条1項ただし書
(量刑の理由)
1 本件は,判示のとおり,平成11年2月から平成12年8月に逮捕されるまでの間に被告人が敢行した,建造物侵入,強盗未遂1件(第1),建造物侵入,強盗傷人1件(第2),住居侵入,窃盗5件(第3,4,7,9,10),強盗殺人1件(第5),銃刀法違反1件(第6),現住建造物放火1件(第8),有印私文書偽造・同行使,詐欺3件(第11,12,13)の事案である。
2 被告人は,パチンコや骨董品収集などに興じつつ消費者金融などからの借金を重ねるという生活の中,遊興費や借金の返済金などを得たり,自己の気に入った骨董品を得るために判示の各財産犯の犯行に及び,また判示第8の現住建造物放火に関しては,企図した金品を得られなかった腹いせ等から犯行に及んだというものであって,その動機及び背景事情は,いずれも無計画かつ刹那的な浪費生活の行き着いた結果として,自ら招いた経済的困窮を脱すると共に,自己が欲する骨董品を手元に置きたいという,ひたすら利欲的かつ身勝手な考えの下に,その欲望を無軌道に追求したものとしか言いようがなく,そこに酌量の余地は全くない。
 
ことに,判示第5の強盗殺人に至っては,自らの利得のためには他者の生命すらも犠牲にして顧みないという,余りにも酷薄かつ非道な犯行というほかないものであって,そこには人の生命に対する尊重の念や,人の苦しみ,悲しみに対する配慮の気持ちの一片も感じ取ることができない。この強盗殺人の被害者にしても,また判示第3の住居侵入,窃盗の被害者にしても,いずれも被告人の顔見知りであったもので,このように身近な人達であってさえ,ためらいもなく己の欲望の餌食にしてしまった被告人の心情には,肝胆寒からしめるものがある。
 
次いでその犯行態様・結果を見るに,判示第5の強盗殺人事件は,犯行前日の骨董品買取交渉をめぐる被害者の態度に腹を立て,強盗殺人を決意するやその日のうちに下見に行き,犯行当日も,山刀や動物撃退用スプレー等をあらかじめ準備して,被害店舗に赴き,被害者の隙をついて,同スプレーを噴射し,怯んで逃げ出した被害者を追い掛け,その胸部等を刃体の長さ約22.9センチメートルもある前記山刀で多数回に渡って突き刺し,必死の防衛もかなわず多量の出血をして倒れた被害者の背後から,さらにその背部を刺したり,同スプレーを吹きかけるといった執拗な攻撃を加え,ついに死に至らしめた被害者を目の当たりにしながら,その着衣を探って現金入りの財布を強取したほか,思いのままに自分の好みの骨董品多数を持ち出したというものであり,甚だ卑劣にして残忍,且つ計画的で巧妙極まる真に悪質な犯行であって,人を人とも思わず被害者を前記山刀で殺害して金品を奪ったその行為からは,人間としての良心の影を見出すことも難しいといわざるを得ない。何の落ち度もない被害者は,当時未だ66歳であり,残りの人生を十分に謳歌することができる年齢にあって,妻にも日頃,「70歳になったら隠居するので,一緒に温泉旅行にでも行こう」などと語っていた矢先に,かかる凶行に見舞われ,「俺,死ぬのか」とつぶやいた後,なお被告人の下を逃れようと別室に赴いたところで力尽き,その掛け替えのない尊い一命を奪われているのである。その間,非常な肉体的苦痛と,迫り来る死の恐怖にさらされていたであろう被害者が感じた,言葉に尽くせぬほどの苦しみと悲嘆,そして,子宝に恵まれないながらも,長年の間共に連れ添い,これからの二人の老後を楽しみにしていた妻を,別れの言葉一つ交わせないまま,1人残していくことを余儀なくされた無念の思いには,察するに余りあるところがある。同時に強奪された現金,骨董品も,被害総額にして300万円を超えるもので,被害結果は極めて重大である。
 
また,判示第7の住居侵入,窃盗及び第8の現住建造物放火事件は,かねて侵入盗を働こうと狙い定めていた住宅に,白昼堂々侵入して金品を物色し,指輪等を窃取した上,思いの外収穫が少なかったことに腹を立てるなどして,自己使用車内からガソリン缶とライターを持ち出して当該住宅に戻り,燃料をまき散らしてから火を点けたというもので,放火行為自体には事前の計画性はなかったとはいえ,その実行の時点では,放火の点でも積極的な意図があったと認められることに加えて,同宅の北側を除く周辺には,住宅が建ち並んでいたことも合わせ考慮すれば,本件火災の発見がわずかでも遅れていた場合には,近隣家屋にも延焼し,人的,物的に多大な損害を与えていた可能性もあったとみられるところであって,これまた極めて悪質な犯行というべきである。その結果,被害住宅は全焼に至り,その家人らは,突然に住居を失ったのみならず,先代から譲り受けた著名人の手になる掛け軸や,その他の貴重品,多くの家財等と共に,長年の家族の歴史と思い出のつまった大切な品々をも猛火の中に失ったのであって,その結果もまた重大である。
 
判示第1,第2の建造物侵入,強盗未遂,強盗傷人事件は,いずれも被告人が犯行当時の熊本県職員としての職務を悪用して,県の施設から勝手に持ち出した散弾銃様模擬銃を使って,商売柄多額の現金を置いていそうな中古車販売店に狙いを付け,従業員が1人でいるのを見計らって,その散弾銃様模擬銃を突き付け,また判示第2の犯行においては,これもかねて用意していた麻酔薬入りの注射器の針を,背後から被害者の大腿部に刺し,毒物を注射したように思い込ませてその抵抗を封じたものであって,いずれも計画的で悪質な犯行である。各被害にあった店舗の従業員は,いずれもその間,身体,生命の安全を脅かされたと感じて,強い恐怖心に襲われていたもので,やはり悪質重大な犯行といわざるを得ない。
 
その余の住居侵入,窃盗事件も,いずれも綿密周到に計画した上で敢行されたものであり,その手口・頻度等からしても,常習的で,手慣れた犯行であり,被害金品の総額も多額にのぼっている。また,判示第11ないし13の有印私文書偽造・同行使,詐欺事件については,盗み出した男性名義の通帳のみならず,女性名義の通帳まで利用して,預貯金の払戻しを請求しながら,金融機関の担当者にもその点の不信感を抱かせないほどの冷静沈着な態度で各犯行を実行し,これまた連続的に相当多額の預貯金を騙し取っているのであって,実に大胆不敵な犯行である。
 
当然のことながら,本件各犯行の被害者らの処罰感情にはいずれも峻烈なものがあり,特に判示第5の強盗殺人事件の被害者の妻は,深い悲しみに打ちひしがれ,「身勝手な理由で主人の命が奪われたことが,悔しくて,悔しくて仕方ありません。かけがえのない主人の命を奪ったことに見合うだけの処罰を与えてください。」と悲痛な心境と憤りの気持ちを吐露しているところである。
3 これに対して被告人は、判示第9ないし第13の各事件の実質的被害者に対し,引出した預貯金のうち手元に残っていた50万円を返還し,他にも多数の窃盗被害品のうち,手元に残っていた限りのものは,各被害者らに還付されることが見込まれるほか,上記強盗殺人事件の被害者の妻との間では,別途提起された損害賠償訴訟の中で,3300万円を弁済する旨の和解を成立させたものの,現在及び将来にわたって,実際にこれを支払えるだけの見通しは立っておらず,結局のところ,本件一連の犯行の被害者らに対しては,見るべき慰藉の措置を講じるに至ってはいないというほかない。 
 
そればかりか,被告人は,当公判廷において,判示第5の強盗殺人につき,その強盗目的及び殺意を否認したばかりか,被害者が刃物様のものを持って襲いかかって来ようとしたので反撃したもので,正当防衛であるなどと,極めて不合理な主張をして自己の行為の正当化を図り,判示第7の住居侵入,窃盗及び第8の現住建造物放火についても,荒唐無稽ともいうべき不自然な弁解に終始して,その犯人性を争うなどしているもので,各犯行に対する真摯な反省の念も感じられないところであり,各犯行の動機,態様,その常習性及び悪質性に鑑みても,被告人には規範意識の欠如が顕著に認められる。
 
また,被告人が,各犯行当時現役の地方公務員として,愛情深く,真面目な良き家庭人,職業人を装う一方で,判示第5の強盗殺人事件で逮捕されるまでの間,かくも多数,悪質な犯行を繰り返してきたことは,被告人への愛情と信頼の気持ちを寄せていたその家族,同僚,上司らの心情をも,裏切ってはばからない卑劣な行動というべきものであって,その点においても厳しい非難に値する上,その社会的な立場と犯行が,世間一般に与えた深刻な衝撃と不安感も,無視し得ないところである。
4 以上のような諸般の情状を考慮すれば,被告人の刑事責任は極めて重大であるというほかはなく,この重大性にかんがみれば,被告人が,判示第5の強盗殺人によって逮捕された後,余罪については自ら積極的に申告していること,判示第8の現住建造物放火については,幸い家人が火災保険に加入していたために,自宅の再建は可能であると見られること,前示のように,一部の窃盗被害品等は各被害者らへの還付が見込まれ,判示第5の強盗殺人被害者の妻との間でも,まがりなりにも損害賠償の和解が成立したこと,被告人に前科前歴はないこと,その他記録上認められる被告人のために酌むことのできる諸事情を最大限に考慮しても,なお被告人に対しては,人間の生命の尊さ,そして,これを奪ったことを始めとする数々の自己の罪業を真摯に考えぬき,永く贖罪の生活を送らせることが必要と認められるところであって,そこに酌量減軽に値する事情は何ら見出せず,被告人に対し,主文のとおりの無期懲役刑をもって臨むことはやむを得ないと判断した。
(検察官長田守弘,国選弁護人吉田保徳(主任),同池田耕一郎各出席)
(求刑-無期懲役,山刀及びライターの没収)
平成15年6月2日
福岡地方裁判所第1刑事部
裁判長裁判官 谷敏行 裁判官 荻原弘子 裁判官 石井義規

LINEアカウントでお得な無料相談を受ける!上記の記事でよく分からない部分を無料で弁護士に相談することができます

「LINE無料相談」での実際の相談例をご紹介します

お客様の感謝の声はこちらをクリック。アトム法律事務所は1人1人のお客様を大切にしています。 横浜・川崎で刑事事件に強い弁護士をお探しなら 刑事弁護ホットライン 0120-631-276 法律相談のご予約は日本全国24時間受付無料 すぐに弁護士が警察署に向かいます。まずはお電話ください。 親身で頼りになる刑事弁護士とすぐに相談できます。