業務上過失致死福岡5

業務上過失致死福岡5

福岡高等裁判所那覇支部/平成23年(う)第38号

主文
原判決を破棄する。
被告人を禁錮1年に処する。
この裁判が確定した日から3年間その刑の執行を猶予する。
原審及び当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由
第1 論旨、公訴事実及び原判決の概要
1 論旨
 
本件控訴の趣意は検察官塩野谷高作成名義の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は弁護人新垣勉作成名義の答弁書記載のとおりである。論旨は、結果回避可能性がないとして自動車運転上の過失を否定し、被告人を無罪とした原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があるというのである。
2 本件公訴事実
 
本件公訴事実は「被告人は、平成22年××月××日午前6時35分ころ、普通貨物自動車を運転し、沖縄県沖縄市<以下略>先道路をα△丁目方面からβ方面に向かいハンドルを左に切りながら後退進行するに当たり、自車の後方左右の安全を確認しながら後退進行すべき自動車運転上の注意義務があるのにこれを怠り、道路左右の駐車車両や電柱の確認に気を取られ、自車の後方左右の安全確認不十分のまま漫然時速約5キロメートルで後退進行した過失により、折から自車後方を歩行中のB(当時90歳)に気付かず、同人に自車を衝突させて路上に転倒させ、自車左後輪で轢過(れきか)した上、方向転換のため自車を前進させて自車左後輪で同人を再度轢過し、よって、同人に肺内部損傷等の障害を負わせ、同日午前9時26分ころ、同市<以下略>所在の医療法人P病院において、同人を前記傷害により死亡させたものである」というにある。
3 原判決の概要
 
被告人が後方確認義務を怠ったことが認められるものの、自宅の車庫を出発してから被害者に衝突するまでの間に後方確認義務を十分に尽くしていたとしても被害者を発見することができなかった可能性があり、結果回避可能性があったと認めるには合理的な疑いが残るとして過失の存在を否定し、無罪とした。
(以下、略語・略称は原判決のそれに従う)
第2 当裁判所の判断
1 判断の骨子
 
本件において予見可能性及び結果回避可能性のいずれも肯定でき、被告人には後方の安全確認義務違反の過失があったものと認められる。したがって、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある。その理由は次のとおりである。
2 前提事実
 
本件事故の現場の状況、被告人運転車両の状況、被害者の状況、本件事故に至る経緯及び本件事故の状況等について原判決が「理由」の「第2 前提事実」1項ないし4項において説示するところは肯認することができる。
3 検討
(1)被害者がとったと思われる行動
 
本件において予見可能性及び結果回避可能性を判断するに当たり、被害者の本件事故前の動きを検討する必要がある。
ア 客観的状況
 
この点に関して、関係各証拠(原審公判調書中の証人C供述部分、甲2、当審検2等)によれば、次の事実が認められる。
あ 本件車両と被害者との衝突地点は別紙1図面(甲2添付の交通事故現場見取図)の〔×〕地点である(なお、別紙2ないし13図面の〔×〕地点も全て同じ地点を示す)。
い 本件事故後、同図面の「ゴミ入りゴミ袋」と指示された地点(以下、別紙3以下の図面の表記に従い「甲地点」という)にゴミ入りのゴミ袋(以下「本件ゴミ袋」という)が落ちていた。
う 被害者方の出入口は別紙2図面(当審検2添付の交通事故現場見取図)の〔ア〕部分にあり、被害者が本件事故前、ゴミを収集のために置いていた場所は同図面の〔イ〕地点である(以下、「〔イ〕地点」は別紙2図面の〔イ〕地点を示す)。なお、この認定は原審公判調書中の証人C供述部分及び実況見分調書(当審検2)に基づくところ、同証人は、本件事故前のゴミ出し場所が〔イ〕地点であるにもかかわらず本件ゴミ袋が甲地点に落ちていた理由等については曖昧な供述をするものの、本件事故前のゴミ出し場所については明確に供述しており、その供述の信用性は十分である。
イ 被害者の行動の目的ないし意図
あ 本件事故の時間及び状況に照らして、本件ゴミ袋は被害者がゴミ出しのため自宅から持ち出したゴミ袋であると判断される。また、その落ちていた甲地点は交差点の中央に近いから、収集のために置いたのではなく、被害者が不本意に落としたことが推認され、本件車両が近づいたことと本件ゴミ袋を落としたこととの間に有意の関連があると考えるのが合理的である。すなわち、被害者は、本件車両の接近により、これに気をとられて又は狼狽して若しくは転倒したために、手にしていた本件ゴミ袋を手離したと解される。
い ゴミ出しの場所は常に同じであるのが通常であって、本件においてこれに反する事実を認めるべき証拠はなく、被害者は〔イ〕地点に本件ゴミ袋を出そうとしていたものと推認される。また、外出時にゴミ出し以外の用事があったとしても、通常ゴミを持ったまま他の用事を済ませることはない。本件においてもこれに反する事実を認めるべき証拠はなく、被害者方の出入口と〔イ〕地点との位置が近いことに照らしても、被害者は本件ゴミ袋を持って被害者方の出入口を出て、直ちに〔イ〕地点に行こうとしたものと推認される。
 
もっとも、甲地点や〔×〕地点の位置は、上記の推認される被害者の行動に一見してそぐわないことから検討を加える。
 
関係各証拠(原審公判調書中の証人C供述部分、甲9等)によれば、被害者は当時90歳であったが、独り言を言いながら笑ったり怒ったりし、時々物忘れをすることを除いては痴呆を示す症状はなく、特に、意味もなく徘徊したり、自分の行動を後で忘れるようなことはなかったことが認められる。
 
また、〔イ〕地点は被害者方北側ブロック塀に沿い、その塀の西端から60cmの地点であるが、人が塀沿いに歩く場合はその塀から一定の間隔(数十cm)をおいて歩くのが通常である。他方で、本件事故の状況は原判決が認定するとおりであり、被害者方北側道路の幅員は4・2mであったものの、その道路の北側に沿って2台の自動車が駐車されていたため、本件車両は被害者方北側ブロック塀にほぼ沿って後退していた。
 
そして、関係各証拠(原審公判調書中の被告人供述部分、乙2等)によれば、被告人は本件車両を後退させてハンドルを左に切り、本件交差点の南北道路の北側に進入させる際、左折することについて何らかの方法による合図をしなかったことが認められる(なお、上記各証拠中にこの事実を明確に認めることができる供述はないものの、左折の合図をしたのであれば後退の一連の動作の1つとして供述されるべきであるのにその供述が欠落していること、「早朝であり、その時間に人が歩いているのもほとんど見ない状態だった」という原審公判調書中の被告人供述などから、上記事実を認めることができる)。
 
そうすると、本件車両を後方から見る者は、本件車両が真っ直ぐ後退すると判断するのが通常であって、左折しながら後退すると判断することを期待できない。
 
さらに、〔×〕地点は、仮に本件車両が左折することなく真っ直ぐ後退するとすれば、その進路から外れていて、本件車両と衝突しない位置である。
 
以上を総合すると、被害者は、〔イ〕地点に本件ゴミ袋を置こうとして本件交差点に出た時点(より正確には本件交差点中、被害者方北側道路の南端の延長線から北側に出た時点。換言すれば、本件車両の後方に現れた時点)又はそこから幾らか東方へ歩いたが〔イ〕地点には至らない時点において、後退する本件車両に気付き、衝突を避けるため北方へ退避し、〔×〕地点で本件車両と衝突し、その直前又は同時に甲地点で本件ゴミ袋を落としたものと推認される。
 
もっとも、被害者が本件車両との衝突を避けるためには、本件車両を見付けた際に直ちに本件交差点の南方へ退避する方が簡明であると考えられる。しかし、被害者が被害者方北側道路に数十cm出た所で本件車両が被害者方北側ブロック塀に沿って後退するのを見ると、自分に向かって真っ直ぐ後退してくるように見えても無理からぬところである上、衝突の危険を感じて狼狽することも想像に難くないのであり、本件交差点の北方へ退避することが不合理であるとはいえない。かえって、衝突時に被害者が〔×〕地点に達していることからすれば、仮に、本件車両が被害者が予期したであろう真っ直ぐ西方への進路をたどって後退したとすると、被害者は本件車両との衝突を免れることができたはずであるから、被害者がとったと推認される上記の退避方法にもそれなりの合理性がある。
 
他方で、被害者が〔×〕地点の北方、東方又は西方から〔×〕地点に至った可能性はごく一般的・抽象的なものにすぎず、本件事故の状況に沿わないから想定し難い。
ウ 被害者の歩行速度
 
関係各証拠(当審検2等)によれば、被害者の本件事故当時の日常生活における歩行速度はおおむね秒速0・55mから0・63mであったことが認められる。
 
補足するに、上記認定の速度は、被害者と同居していた二男のCが被害者の歩行状況を再現し、これを基にして算出したものである。近親者といえども、他人の歩行速度に関する記憶や再現の正確性にはおのずから限界があると考えられるものの、上記の経緯で算出された速度は、身長141cmで90歳の女性の歩行速度として自然なものであり、多少の誤差を避けられないとしても、おおむね採用に足りる。
エ 歩行時の被害者の体高
 
原審証人Cは、身長が被害者とほぼ同じ142cmである女性の捜査協力者が何種類かの体勢をとった写真(甲10添付の写真。以下の写真番号は甲10の写真番号を表す)に基づき、被害者の歩行時の姿勢は捜査協力者の体高が約97cmとなる姿勢(写真12)に近いものの、重いゴミを持ったときの姿勢は捜査協力者の体高が約92cmとなる姿勢(写真9)に近いと供述する。他方で、写真撮影報告書(甲10)によれば、捜査協力者の体高が約92cmとなる姿勢においては同人の両手がすねに置かれており(写真9)、また、捜査協力者がいすに座り腰を十分に曲げた場合の体高が約89cmである(写真10)ことが認められるから、被害者がゴミを持った場合であっても写真9の姿勢より低い姿勢をとることは想定し難く、被害者の本件事故時の体高は低くても約92cmであったものと認められる。
オ 本件事故時における被告人の被害者発見可能性
あ 被害者の歩行速度ないし所要時間
 
上記のとおり、被害者は、〔イ〕地点に本件ゴミ袋を置こうとしたがこれを置く前に後退する本件車両を見付け、衝突を避けるため北方へ退避したものと推認される。被害者が退避を始めた正確な地点を特定することは困難であるが、東西方向にあっては〔イ〕地点の西方で被害者方西側道路の東端から数十cmを超えず、南北方向にあっては被害者方北側道路の南端から数十cmの地点であると推定される。そして、被害者の歩行速度は上記認定のとおりであるものの、本件車両を見付けた時あるいは退避する途中で、驚愕し、あるいは本件車両の進行方向を見極めるなどのために停止したりゆっくり歩いた可能性がある。また、逆に、本件車両にひかれそうになるという緊急状態において、日常生活における歩行速度よりも速く歩いた可能性もある。ただし、被害者の年齢からいえば速く歩くのにも限度がある。
 
実況見分調書(当審検2)によれば、〔イ〕地点と〔×〕地点との距離は5・1mであることが認められる。被害者が北方への退避を始めた地点は〔イ〕地点より西方であり、かつ被害者方北側道路の南端から数十cmの地点であると推定されるから、退避を始めた地点から〔×〕地点までの距離は5・1mよりやや短いこととなる。これを仮に約4・5mとし、被害者が日常生活における歩行速度で停止せずにこの距離を歩くとすれば、その時間はおおむね7・14秒から8・18秒である(4・5÷0・63、4・5÷0・55)。上記距離の誤差、停止や早歩きの可能性による誤差等を考慮しても、被害者が北方への退避を始めた地点から〔×〕地点までの移動時間は短くて5秒、長くて10秒程度であると考えられ、特に最短の時間がこれを下回ることは想定し難い。被害者は、この間に、上記の退避開始地点から甲地点を経て〔×〕地点に至ったものと推定される。
い 本件車両の速度ないし位置と視認可能範囲
 
他方で、関係各証拠(乙2等)によれば、本件車両は本件事故当時時速約5km(秒速約1・39m)で後退していたことが認められる(これより遅い可能性があることについては後に検討する)。
 
そうすると、本件車両は衝突の5秒前には〔×〕地点の東方約6・95mの地点に位置していたこととなる(1・39×5)。
 
ところで、実況見分調書(当審検4)によれば、本件車両の後方の視認可能範囲及び死角は別紙3ないし13図面のとおりであることが認められる(それぞれ当審検4添付の交通事故現場見取図2ないし12と同じである)。これらの図面の示すところは次のとおりである。すなわち、別紙3図面の〔1〕地点は別紙1図面の〔2〕地点とほぼ同じ地点を示し、別紙4図面以下の丸数字の地点は、別紙3図面の〔1〕地点から順次約1m後方に下がった地点を指す。また、別紙3ないし13図面の〔A〕ないし〔C〕は後方を直接目視することにより視認できる範囲を指し、〔A〕は地上約87cmから97cmの部分、〔B〕は地上約82cmから92cmの部分、〔C〕は地上約75cmから85cmの部分が視認できる範囲を指す。左右のサイドミラーによる視認可能範囲は図面に示されたとおりである。
う 被害者と本件車両との相互関係
 
被害者の移動時間が最も短かった場合すなわち被害者の歩行速度が最も速い場合、被害者は本件車両が〔×〕地点の東方約6・95mの地点に位置する時に本件車両の後方(退避開始地点)に現れたこととなる。被害者の移動時間がより長かった場合すなわち被害者の歩行速度がより遅い場合には、被害者が退避開始地点に至った時点では、本件車両は別紙7図面の〔5〕地点(〔×〕地点の6・69m東方)よりさらに東方にあることになる。実況見分調書(当審検4)によれば、同地点における右サイドミラーの視認可能範囲は被害者方北西角付近において南北方向に約60cmあることが認められ、被告人が本件事故時、同地点において右サイドミラーを介して後方を注視していれば被害者を発見できていたはずである。また、右サイドミラーを介する後方確認により被害者を発見できなかったとしても、次のとおり、後方を直接目視することにより、被害者が上記視認可能範囲を過ぎて〔×〕地点へ向かうのを発見できていたはずである。すなわち、実況見分調書(甲2、15)によれば、別紙1図面の〔3〕地点(〔×〕地点の6・1m東方。〔×〕地点の5・82m東方の別紙8図面〔6〕地点にほぼ相当する)において運転席から上体をやや伸ばした体勢で、甲地点につき約85cm以上の部分を視認できることが認められる。そうすると、これより東方の別紙7図面の〔5〕地点においてはより視認性が高く、本件車両の後方を直接目視した場合の左右の視認性が若干異なることを考慮しても、同地点から上体をやや伸ばした状態で後方を直接目視すれば、被害者が右サイドミラーの視認可能範囲を超えて北側に入った位置から甲地点までの範囲につき約85cm以上の部分を視認できるものと考えられる。そうすると、被告人が別紙7図面の〔5〕地点付近において右サイドミラーの視認可能範囲を通る被害者を見落としたとしても、同地点から別紙8図面の〔6〕地点に至るまでに上体をやや伸ばした状態で後方を直接目視すれば、左後方から右後方へ移動する被害者を発見できていたはずである。なお、被害者が、仮に本件車両が別紙8図面〔6〕地点付近に至るまでに甲地点を越えて北側に至っていたとすると、左サイドミラーの視認可能範囲に入っており、左サイドミラーを介して後方を注視することにより被害者を発見できていたはずである。
 
前述のとおり、被害者の移動時間が5秒より長い場合には、被害者が退避開始地点に至った時点では、本件車両は別紙7図面の〔5〕地点より東方に位置する。実況見分調書(当審検4)によれば、上記〔5〕地点より手前においては右サイドミラーの視認可能範囲が若干狭まるものの、後方を直接目視した場合の視認性が高くなることが認められるから、被害者を発見する可能性は高まる。
え 補論―本件車両の速度がより遅かった場合の検討
 
実況見分調書(甲2、15)によれば、本件車両後方の視認状況を明らかにするため行われた実況見分において、被告人が運転する本件車両が18・8m後退するに当たり28秒を要したことが認められ、このことからすると、本件車両の後退時の速度は時速約5kmより遅く、時速約2・42km(秒速約0・67m。18・8÷28)であった可能性がある。
 
上記と同様の計算により、被害者の位置と本件車両の位置との関係を検討すると、被害者が最も早く本件車両の後方に現れた時の本件車両の位置は〔×〕地点の東方3・35mとなる(0・67×5)。これは別紙11図面の〔9〕地点(〔×〕地点の手前2・91m)にほぼ相当する。この場合、他方で同地点において本件車両は既に左折を始めており、左折を始めた本件車両の後方へ向かって、日常生活におけるよりも早足で歩くことは自ら危難に接近することとなるから、上記のとおり痴呆が特に進んでいたわけではない被害者がそのような行動をとることは想定し難い。したがって、被害者が本件車両の後方に現れたのはそのような早い時期ではなく、本件車両が別紙8図面の〔6〕地点(上記のとおり、別紙1図面の〔3〕地点にほぼ相当し、同地点は被告人が左折を開始した地点である)より東方に位置する時であると推認するのが相当である。上記速度を前提として本件車両が上記〔6〕地点に位置する時間は、衝突の8・69秒前である(5・82÷0・67)。そして、その時点に被害者が本件車両の後方へ現れたとしても、上記の推定される被害者の歩行速度に照らして矛盾はない。
 
この場合には、実況見分調書(当審検4)によれば右サイドミラーの視認可能範囲は南北方向に約70cm確保されていたことが認められるから、被告人は右サイドミラーを介して後方を注視していれば被害者を発見できたはずである。他方で、上記〔6〕地点においては上体をやや伸ばした状態で甲地点の85cm以上の部分が視認できるものの、甲地点のさらに南方の視認状況は明らかではない(甲15)。そうすると、被害者が右サイドミラーの視認可能範囲を超えて北側に入った後、〔×〕地点において衝突するまで、終始本件車両後方の死角に入っていた可能性を排除することができない。
お まとめ
 
本件車両の後退時の速度が時速約5kmから時速約2・42kmの範囲を超えることは想定し難いところ、その間のいずれの速さであっても、少なくとも、被害者が一旦右サイドミラーの視認可能範囲に入るため,被告人がその時に右サイドミラーを介して後方を注視していれば被害者を発見できていたはずである(なお、右サイドミラーを介して本件交差点付近が視認可能となる前から被害者がその視認可能範囲を超えて北側に入り込んでいたという事態は想定し難いものの、その場合には後方を直接目視し、又は左サイドミラーを介して後方を注視することにより発見が容易である)。そして、被害者が右サイドミラーの視認可能範囲を超えて北側に入った後においては、後方を直接目視すれば発見が可能であった場合と後方を直接目視しても発見が可能ではなかった場合とが想定される。
(2)自動車の運転者が車両を後退させる際の注意義務
 
この点については、原判決が「理由」の第3の1(1)において説示するところを肯認することができる。すなわち、本来、自動車は前進させることを前提として製造されており、後退させることは特殊な動作であって、後退時には死角が増え、事故の可能性が高まる。そのため、自動車運転者は、車両を後退させる際、ミラーを使用するだけではなく、後方を直接目視するなどして、前進時にまして後方の安全を確認すべき自動車運転上の注意義務を負う。 
 
もっとも、これに加えて、運転する車両の大きさや形状により注意義務の内容も変わることを指摘すべきである。すなわち、自動車の大きさや形状により死角も変わるから、ミラーを使用し、後方を直接目視するだけでは後方の安全確認として十分ではない場合がある。このことは、例えば、死角の極めて大きい大型貨物自動車を想定すれば明らかであり、場合によっては補助者に後方を確認させたり、適宜自動車から降りて後方を目視するなどの安全確認が義務付けられる。
 
関係各証拠(甲2等)によれば、本件車両は、車長4・89m、車幅1・82m、車高1・71mで、後部に荷台がある普通貨物自動車であることが認められ、普通乗用自動車と比べると後方の死角は大きい。その上、関係各証拠(甲2、乙2等)によれば、被告人は本件事故時、本件交差点の約25m東方にある被告人方の駐車場から本件交差点へ向けて後退し、本件交差点において一旦左後方へ左折して本件車両の向きを90度変えていたことが認められ、その距離の長さや方向転換があることに照らして運転の危険性は高い。そうすると、後方の安全確認に万全を期するためには、運転に際して補助者に後方を確認させ、あるいは左折前に自動車から降りて後方を目視することも考慮されるべきであり、これらの行為をしないのであれば、少なくとも、他の場合(例えば普通乗用自動車が駐車場内において駐車のため後退する場合)に比して一層の注意を払ってミラーを使用し、あるいは後方を直接目視し、その際に上体を伸ばすなどして、死角を可及的に小さくするとともに、死角に入る以前に人を発見するべく努める義務があったと解される。
(3)予見可能性ないし予見義務
 
本件道路は歩車道の区別のない私道であり、歩行者が通行することが当然に想定されるところ、被害者は本件交差点の南方から北方へ退避のため移動したにすぎず、その速度も通常想定される範囲のものである。そうすると、被告人は、被害者が本件交差点を通常の速度で通行すること、したがって、必要な注意を払わなければ歩行者と衝突して死傷の結果を招来することを予見することができ、かつ、予見する義務があったといえる。
(4)結果回避可能性及び結果回避義務
 
上記のとおり、被告人は少なくとも右サイドミラーを介して後方を確認していればその視認可能範囲を通る被害者の発見ができていた。そうでないとしても、上体をやや伸ばすなどして後方を直接目視していれば被害者を発見する可能性があった。また、時速約5kmの場合の車両の停止距離は約1・18m、時速約2・42kmの場合のそれは約0・54mであるところ(公知の事実)、本件車両が時速約5kmの場合は最も近くて〔×〕地点の前方約6・95mの地点において被害者が発見可能であり、本件車両が時速約2・42kmの場合は最も近くて〔×〕地点から前方約5・82mの地点において被害者が発見可能であったから、発見時に停止すれば被害者との衝突を避けられた。
 
さらに検討するに、先に検討したとおり、被害者が右サイドミラーの視認可能範囲を超えた後は被害者を発見できなかった場合があり得る。この場合に、それ以前の段階における被告人による被害者発見可能性の判断の前提として、別紙8の〔6〕地点における右サイドミラーの視認可能範囲である約70cmを被害者が何秒で歩いたかを検討する。
 
まず、〔1〕被害者の退避開始地点が同範囲を超えて北側に入っていた場合には、被害者は同範囲を日常生活における速度秒速0・55ないし0・63mで歩いたと推定される。
 
また、〔2〕同範囲に入る前に退避を開始していた場合についてみるに、既に検討したとおり、本件車両が時速約5kmであったとすれば(〔2〕―1)後方の直接目視による発見が可能であったからここでは検討しない。本件車両の時速が約2・42kmの場合には(〔2〕―2)右サイドミラーを介することによってしか視認できなかった可能性があるところ、被害者は約4・5mを約8・69秒で歩いたから、その速度は秒速約0・52mである(4・5÷8・69)。
 
そうすると、被害者は、別紙8の〔6〕地点における右サイドミラーの視認可能範囲である約70cmを秒速約0・52mから0・63mで歩いたこととなり、その時間は最も短い場合で約1・11秒である(0・7÷0・63)。車両の後退走行時の危険性に鑑み、運転者はミラーや直接目視等の手段を交互に用いて後方の安全を確認すべきこと、上記のとおり、本件車両の死角は大きく、後退距離が長いなどのため本件事故時の後退走行の危険性は特に高かったことからすれば、上記の約1・11秒間に右サイドミラーを介して後方を確認する義務があったと解すべきであり、このように解しても被告人にとって酷であるとはいえない。
(5)まとめ
 
被告人は被害者を発見できずに後退を続けて被害者と衝突したから、上記の予見義務及び結果回避義務の違反があったことが推認される。これに加え、本件車両の後退時、顔を左右に向けて駐車車両や電柱を確認しながら後退しており、後ろは全く確認しないで後退したという被告人の検察官調書(乙2)における供述を併せて考慮すると、被告人には後方の安全確認を怠った過失があったと判断される。
4 以上によれば、過失の存在を否定して被告人を無罪とした原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があり、原判決は破棄を免れない。
 
したがって、刑事訴訟法397条1項、382条により原判決を破棄し、同法400条但書により更に次のとおり判決をする。
第3 自判
(罪となるべき事実)
 
被告人は、平成22年××月××日午前6時35分ころ、普通貨物自動車を運転し、沖縄県沖縄市<以下略>先道路をα△丁目方面からβ方面に向かいハンドルを左に切りながら後退進行するに当たり、自車の後方左右の安全を確認しながら後退進行すべき自動車運転上の注意義務があるのにこれを怠り、道路左右の駐車車両や電柱の確認に気を取られ、自車の後方左右の安全確認不十分のまま漫然時速約2・42キロメートルないし5キロメートルで後退進行した過失により、折から自車後方を歩行中のB(当時90歳)に気付かず、同人に自車を衝突させて路上に転倒させ、自車左後輪で轢過した上、方向転換のため自車を前進させて自車左後輪で同人を再度轢過し、よって、同人に肺内部損傷等の傷害を負わせ、同日午前9時26分ころ、同市<以下略>所在の医療法人P病院において、同人を前記傷害により死亡させた。
(証拠の標目)《略》
(法令の適用)
 
判示行為は刑法211条2項に該当するところ、所定刑中禁錮刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を禁錮1年に処し、情状により同法25条1項を適用してこの裁判が確定した日から3年間その刑の執行を猶予し、原審及び当審における訴訟費用は刑事訴訟法181条1項本文を適用して被告人に負担させることとする。
(量刑の理由)
 
本件は、被告人が自動車を後退進行させる際、後方の安全確認義務違反の過失により自車を被害者に衝突させ、被害者を死亡させた事案である。
 
被告人の過失は上記のとおりであって小さくなく、被害者の死亡の結果が重大であることはいうまでもない。また、被害者は上記のとおり、本件車両が真っ直ぐ後退するとすれば衝突を避けられる位置に退避しようとしたのであり、本件事故に対する落ち度を見いだすことはできない。そうすると、被告人に対しては自由刑に処するほかない。
 
他方で、任意保険により被害者の遺族に対して損害賠償がされたこと,被害者の遺族も、本件訴訟における供述態度を除き、被告人の誠意を認めて厳罰を求めていないことなどの事情もある。これらを総合考慮すると、被告人に対しては主文の禁錮刑に処した上、その刑の執行を猶予するのが相当である。
平成24年1月19日
福岡高等裁判所那覇支部刑事部
裁判官 山崎威 裁判官 森鍵一
裁判長裁判官橋本良成は転補のため署名押印することができない。 
裁判官 山崎威

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