殺人福岡1

殺人福岡1

福岡高等裁判所/平成23年(う)第122号

主文
1審判決を破棄する。
被告人は無罪。

理由
 
本件控訴の理由は,主任弁護人和智凪子及び弁護人徳永響(以下,併せて「弁護人ら」という)連名作成の控訴趣意書及び「控訴趣意書の訂正」と題する書面のとおりであり,事実誤認の主張である。これに対する検察官の答弁は,弁護人らの主張には理由がないというものである。
 
そこで検討したところ,当裁判所は,弁護人らの主張には理由があり,1審判決には事実の誤認があって,破棄を免れないと判断したので,以下その理由を述べる。
第1 事案の概要等
1 本件公訴事実の要旨は,「被告人は,平成22年(以下,平成22年については年号の記載を省略することがある)1月27日午後6時ころ,大分県竹田市内にある被告人方において,殺意をもって,実母であるA(当時78歳。以下「A」又は「母」というほか,1審判決を引用するときは,「母親」「実母」「被害者」ということがある)の首及び左側胸部等を金属製の缶切り(全長約14.85センチメートル)及び金属製箸(全長約33.16センチメートル)で多数回突き刺すなどし,よって,そのころ,同所において,同人を心刺創などによる失血により死亡させて殺害した」というものであるところ,1審判決は,「罪となるべき事実」として,上記事実に加え,「被告人は,本件犯行当時,統合失調症の影響により心神耗弱の状態にあった」と認定した(以下「原判示事実」という)。
2 1審公判において,検察官は,本件犯行当時,被告人は統合失調症に罹患し,その事理弁識能力及び行動制御能力が著しく減退していたとはいえ,完全に失われていたわけではなく,心神耗弱の状態にあったと主張したのに対し,1審弁護人らは,被告人は重篤な統合失調症に罹患しており,心神喪失の状態にあったから,無罪であると主張した。
3 1審判決は,本件犯行当時,「被告人は慢性期の統合失調症に罹患しており,精神障害の程度は重いものであった」し,「本件犯行が被告人の本来の人格とは異質な行為であることに照らしても,統合失調症の影響のもとに行われたものであることは明らかである」が,「統合失調症による人格変化の程度は極めて大きいとまではいえないことや,動機の形成過程の一部に了解可能性を残していること,犯行前の行動を含めた一連の犯行態様は合目的的で一貫していること,犯行前後を通して被告人が状況を理解した上で自らの判断に基づいて行動していることなどを考慮すると,被告人は統合失調症の影響を著しく受けてはいるものの,なおもともとの人格に基づく判断によって犯したといえる部分が残っている」ので,「本件犯行は精神障害の影響を著しく受けてはいたものの,同障害に完全に支配されたものではなく,被告人は,本件犯行当時,自分の行っている行動が良いことか悪いことかを理解し,悪いことであれば行動に出ることを思いとどまることができる能力,すなわち,事理弁識能力及び行動制御能力を完全には失っておらず、これらの能力が著しく弱まった状態にあったといえる」から,「被告人が本件犯行当時心神耗弱の状態にあったと認めた」旨判示して,原判示事実を認定した上,被告人に対して有罪の判決を言い渡した。
4 これに対し,被告人が控訴した。 
第2 控訴趣意の要旨
 
被告人は,本件犯行当時,心神喪失の状態にあったから,被告人が心神耗弱の状態にあったとして,被告人に限定責任能力を認めた1審判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある。
第3 当裁判所の判断
 
本件犯行当時,被告人が事理弁識能力及び行動制御能力をいずれも失っていなかったと認めるには,なお合理的な疑いが残るといわざるを得ないから,「被告人が本件犯行当時心神耗弱の状態にあったと認めた」1審判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある。以下,補足して説明する。
1 関係各証拠によれば,1審判決が「罪となるべき事実」において判示するとおり,被告人がAを殺害したこと,本件犯行当時,被告人が統合失調症に罹患していたことを優に認定することができる。そして,統合失調症に罹患している者の責任能力の存否を判断するについては,統合失調症の種類・程度(病状),犯行の動機・原因(その了解可能性),犯行の手段・態様(計画性・作為性の有無のほか,犯行後の罪証隠滅工作を含む),犯行前後の行動(了解不可能な異常性の有無),犯行及びその前後についての記憶の有無・程度,犯行後の態度(反省の情の有無),統合失調症発症前の性格(犯罪傾向)と犯行との関連性の有無・程度といった事情を総合考慮すべきところ,1審判決もこれらの事情について検討を加えた上で,被告人の責任能力の有無・程度を判断していることに照らすと,その判断の手法に問題はない。
2 また,関係各証拠によれば,1審判決が「争点に対する判断」の第2項において,犯行の動機・原因,犯行の手段・態様,犯行前後の行動等について具体的に摘示する事実も,概ねそのとおりであったと認めることができる。すなわち,関係各証拠によれば,次の事実が認められる。被告人は,昭和35年5月に税理士をしていた父とAとの間に長男(戸籍上は二男)として出生し,昭和37年10月には弟B(以下「B」又は「弟」という)が誕生した。被告人は,昭和58年3月に大学を卒業した後,北九州市内の税理士事務所で働くようになり,昭和60年には税理士資格を取得したが,平成2年7月ころ福岡市内の公認会計士事務所に移った。ところが,被告人は,平成4年1月ころに同事務所を辞め,家に引きこもった生活をするようになり,平成5年8月ころには,迎えに来た父と共に大分県竹田市内の実家に戻って両親と3人で生活するようになったものの,時々バイクで外出する程度で,仕事はしないで,一日中テレビを見るなどして引きこもった生活を続けていた。そして,平成12年8月に父が亡くなってからは,Aと2人だけの生活を送るとともに,Aに頼まれたときに買い物に出る以外はほとんど外出せず,引きこもりの生活を送っていたところ,平成22年1月26日午前4時ころ,布団に入って横になっているとき,ふと「母親を殺そうか」と思い,さらに「弟も殺そう」と思った。そこで,被告人は,Bの家に何回か電話をかけ,同日午後9時ころ被告人方を訪ねて来たBがしばらくAや被告人と話をしてから,同日午後10時ころ帰宅しようとしたので,Bを殺すために台所に行って2本の包丁のうち切れ味の鋭い方を選んだが,Bが玄関から外に出た様子だったので,包丁を元に戻した。ところが,その後玄関から母親と戻ってきたBの声がしたので,もう1度包丁を取り出し右手に隠し持って玄関に行き,Bの心臓目がけて包丁を突き出したが,Bに包丁を取上げられ,Aからも制止された。そして,Bは,このまま被告人方にいるのは良くないと判断し,包丁を持って帰宅した。一方,被告人は,翌27日午前3時ころ,Aを殺そうと思って,台所からもう1本の包丁を取り出してAが寝ている部屋に行き,Aの布団をめくり,刺しやすいようにAの体を被告人の方に向け,その左脇腹に包丁を突きつけたところ,目を覚ましたAが「やめて」と言って泣きながら逃げ出したので,Aが泣き叫ぶのを止めさせるために包丁を布団の上に置いてその場を離れた。次いで,被告人は,同日午前8時ころ,Aが台所で朝食の準備をした後包丁をまな板の上に置いているのを見つけ,Aを殺そうと思って包丁を手に取り,台所に戻ってきたAに包丁を突きつけたが,Aは玄関の方に逃げて行った。被告人は,人目に付くのが嫌だったことからAを追いかけることなく,しばらく考えてから包丁をその場に置いて立ち去った。その後,被告人は,同日午後5時ころ台所に行って包丁を捜したが見つからず,居間のコタツに入ってぼーっとしていたところ,同日午後6時ころ,Aがコタツに入ってきたので,Aを手で殴って殺すことにし,Aの背後に回ってからその頭部を右手拳で叩くと,Aが「やめて」と言って頭を両手で守るようにしてぐったりとなって倒れ込んだので,何度も手拳で殴りつけたところ,Aは動かなくなった。しかし,被告人は,Aの心臓が動いているのを確認すると,殺すなら刃物を使うしかないと考え,台所から全長約14.85センチメートルの金属製の缶切り(以下,単に「缶切り」という)を持ってきて,その刃でAの頸動脈を何回も刺した後,Aの服をめくって心臓を狙って何回も刺し,さらに,缶切りの柄でAの頭を何回も叩くと血が飛び散った。それでも,被告人が確認すると,Aの心臓はまだ動いているようだったので,被告人は,台所に心臓を刺すものを取りに行き,全長約33.16センチメートルの金属製箸1本を持ってきて,Aの心臓を狙って何回も刺し,さらに,缶切りの刃でAの首を刺し,金属製箸でAの心臓を刺すなどした。被告人は,このような行為を約1時間にわたって繰り返した後,Aの心臓辺りに手を当てたところ,鼓動がしなくなっていた上,Aの手も冷たくなっていたことから,Aが死んだと思った。その後,被告人は,血が付いた服を着替えることもなく廊下で寝てしまい,翌28日午前6時ころ目を覚ますと,Aが死亡していることを確認した。そして,水を飲んだり,みかんを食べたりした後,午前10時4分ころ,警察に110番通報し,被告人方に臨場した警察官に緊急逮捕された。
3 1審判決も,概ね以上の事実を前提にして,「争点に対する判断」の第2項において,(1)「精神障害の程度(人格変化の程度)」,(2)「犯行の動機」,(3)「犯行前の行動について」,(4)「犯行の手段・態様について」,(5)「犯行後の行動について」の各項目について順次検討した上で,「被告人が本件犯行当時心神耗弱の状態にあったと認めた」と判示しているが,各項目における1審判決の事実の評価については,明らかに誤りといわざるを得ないものが多々含まれており,その結果,1審判決の上記判断には事実の誤認があるというべきである。以下,1審判決が掲げる各項目に沿って,順次検討する。
(1)「精神障害の程度(人格変化の程度)」について
 
1審公判廷における証人C(以下「C鑑定人」という)の供述(以下「C供述」という)によれば,1審判決が「争点に対する判断」の第2の2項で認定説示するとおり,「被告人には統合失調症の一般的な症状である幻覚や妄想はなく,著しい意欲の低下,自分と周囲の過去,現在,将来を適切に判断する現実検討能力の障害,喜怒哀楽の感情の乏しさといった陰性症状が認められる。また,母親を自分の手で殺害したことへの悲しみや苦悩を感じることができない感情障害,人間らしい道徳感情や共感性等の高等感情の乏しさ,自分や周囲への無関心,孤立,自閉などの陰性症状が著明に認められる」ところ,1審判決は,「統合失調症の病気としての重さは,幻覚妄想の有無や慢性期であることとは直接関係がなく,社会生活ができるかどうかによって軽症か重症か判断される」というC鑑定人の見解(C供述354項)に従いつつ,「被告人が母親に頼まれた買い物をしたり,買い物のお釣りで自分のためにたばこを買ったりしていたこと,庭の草取りや剪定をしていたこと,生活の中でゲームを楽しみにしていたと述べていることなどを考慮すると,被告人は限定的ではあるがある程度の社会生活ができていたといえる。とすれば,被告人の精神障害の程度は重いものであったといえるものの,最重症とまではいえず,1審弁護人が主張するように人格が荒廃していたといえるほど重篤なものであったとはいえない」旨判示している。しかしながら,被告人がゲームを楽しみにしていたのは,被告人が引きこもり生活を始めた初期のころであって,本件犯行当時も被告人が同様の楽しみを持っていたとまでは認めることができない(C供述349ないし351項)。加えて,被告人がAに頼まれて買い物をしていたといっても,その実態は,「メモに書いてもらったのを買う」(1審第2回被告人供述<以下,単に「被告人供述」という>324項)というものであり,そのほかは,余った金で自分のために煙草や菓子を購入するという程度のことであったこと(同326ないし329,1602ないし1606項),また,庭の草取りや庭木の剪定もAに頼まれて行っていたとはいえ,人の気配がしたら,会話を交わすのを嫌がって,作業を中断し,場所を変えていたというのであるから(同353ないし357項),このような被告人の行動から被告人が多少なりとも社会生活を営むことができたと評価することはできないと考えられる。さらに,C鑑定人が「最重症であるとすれば,Aに買い物に行ってくれるようにと頼まれても,そういう行動もできなくなります」旨供述していることからすると(C供述353項),同鑑定人のいう「最重症」の統合失調症とは,意欲を喪失し,コミュニケーション能力が完全に障害されたような極端な症例を指すものと解される。そして,同鑑定人が「統合失調症の病気としての程度は,幻覚妄想の有無とは直接の関係がなく,智・情・意のまとまりの悪さの程度で出現する様々な症状から判断される」と説明していること(C鑑定人の証人尋問調書添付のパワーポイントによるスライドをプリントアウトした書面7頁)からすると,被告人は,本件犯行当時,相当に重症の統合失調症に罹患していたというべきである。
 
また,関係各証拠によれば,1審判決が説示するとおり,「被告人は,慢性期の統合失調症により著しい人格変化をきたして」おり,「被告人が統合失調症を発病する前の本来の人格は,まじめで責任感があり,仕事もでき,人当たりがよく,他者に対する思いやりがあり,感情的にも豊かであった」のに,「本件犯行は,約1時間にわたり,心臓が動いているかを確認しながら,実母に対し,執拗に攻撃を加えたというものであり,上記のような被告人の本来の人格とは異質な行為である」ことに照らすと,統合失調症発症前の被告人の性格(犯罪傾向)と本件犯行に関連性があるといえないことは明らかである。
 
以上によれば,「本件犯行が統合失調症の影響のもとに行われたことは明らかである」という1審判決の判断に誤りはないものの,他方において,精神障害の程度(人格変化の程度)に関する1審判決の評価には賛同できないものがあるといわざるを得ない。
(2)犯行動機について
 
本件犯行の動機については,1審判決が「争点に対する判断」の第2の3項で説示するとおり,「平成22年1月26日の明け方にふと母親を殺害するという考えが浮かんだというものであり,前後の脈絡なく突然にそのような考えが浮かぶこと自体は,一般的に理解不可能なものである」から,このことは,被告人の責任能力を否定する方向に作用する事情といえる。
 
他方,1審判決は,「被告人には,母親と二人きりでの,玄関のチャイムの電源を切り電話にも出ない,人目を避けた引きこもり生活に対する葛藤や不満が,潜在的に蓄積していたことがうかがわれる。こうした事情が動機の形成に影響した可能性は否定できず,そうすると,動機の形成過程の一部には了解可能性を残している」と判示するが,記録を精査して検討しても,1審判決が指摘するような事情が動機の形成に影響したことをうかがわせるような事実は見出せない。しかも,そのような事情が動機の形成に影響した可能性があるとはいっても,それは一般的抽象的な可能性に過ぎないものであることからすると,それとは逆に,そのような事情が動機の形成に影響しなかった可能性もないとはいえないから,1審判決のように,さしたる根拠もないのに,「動機の形成過程の一部には了解可能性を残している」と結論付けるのは,責任能力についての挙証責任を被告人に負わせたに等しい思考法というべきであって,相当とはいえない。
 
結局のところ,本件犯行については,了解可能な動機をうかがわせる事情は見当たらないから,動機については,了解不可能なものとして,責任能力の有無・程度を検討すべきである。
(3)犯行前の行動について
 
関係各証拠によれば,本件犯行に及ぶ前の被告人の言動は上述したとおりであるところ,1審判決は「これらの犯行前の行動は本件犯行と一連のものとみるべきであって,凶器を選択して相手に見えないようにして近づいていることや,逃げられれば追わず,制止されればやめていること,人に邪魔されないよう人目を気にしていることから,被告人は状況を理解し,その判断に基づいて,母や弟の殺害という目的に向けて一貫した行動をとっているといえる」と説示しているところ,その評価自体が誤りであるとまではいえない。
 
しかしながら,本件においては,被告人がある日唐突にBやAの殺害を決意するに至ったという経緯にも照らすと,被告人の責任能力の有無・程度について判断するに当たっては,被告人が,BやAを殺害するために合目的的で合理的な行動をとっていたかどうかというよりは,被告人に,BやAの殺害を思い止まる可能性が認められたかどうかについて検討すべきであると考えられる。そして,本件犯行前,被告人はBやAを殺そうとしたものの,その実行を思い止まったのは,憐憫の情があったり,犯行の発覚を恐れたからではなく,むしろ,先に検討したように,被告人が人との交流を極度に嫌っており,騒ぎを聞きつけた者の来訪を受けるなどして,人との接触を強いられる事態を避けるためであったとみる余地が大いにあるというべきである。そうすると,被告人の犯行前の行動がBやAを殺害する目的からすれば合目的的で合理的なものであったとしても,被告人がその殺害行為を止めた理由を加味して考えると,被告人の犯行前の行動にも不可解なところがあるといわざるを得ない。
(4)犯行の手段・態様について
 
関係各証拠によれば,本件犯行の態様は上述したとおりであるところ,1審判決は,「被告人は,約1時間にわたり執拗に殺害行為を実行しており,その間は我を忘れた状態であったとはいうものの,無差別に攻撃するのではなく,心臓や頸部といった急所だけを狙ったものであり,心臓の動きで被害者が死亡したかを何度も確認し,確認後は攻撃をやめていることから,一貫して被害者の殺害という犯行目的に向けられた合理的かつ合目的的な行動をとっているということができる。金属製の缶切りや箸を使用したことは,一見すると残虐かつ不可解ではあるが,被告人自身,千枚通しのようなものを探したが見つからなかったと述べていることや,包丁を取り上げられた状況下で刃物を探して見つけたということから,その選択はある程度合理的といえる。また,被告人の犯行前の行動に照らせば,我を忘れて殺害行為を行っていたことが,すなわち,自身の行動を全く制御できなかったということに結びつくわけではない」旨説示する。
 
確かに,1審判決のように,被告人がAを殺害するという目的に沿って心臓や頸部という急所だけを狙っていることに着目すれば,被告人は合目的的で合理的な行動をとっていたということができるが,被告人の責任能力の有無・程度を判断するに当たっては,むしろ,被告人においてAの殺害を思い止まる可能性があったかどうかが重要であり,被告人が約1時間にもわたって執拗にAを攻撃していたことからすれば,被告人にはAの殺害を思い止まるという選択肢はなく,自己の行動を制御する能力が完全に欠けていたといわざるを得ない。のみならず,被告人とAの体力差を考えると,被告人がAの殺害を最優先するのであれば,上記のような凶器を用いるまでもなく,絞殺等の手段を用いて容易にAを殺害することができたと考えられるのに,被告人は,Aの心臓を刺突することや頸部から出血させることに執着する余り,缶切りや金属製箸という,通常であれば人を殺害するために用いることが想定し難い道具を用いて,約1時間にもわたって執拗にAに攻撃を加え続けていることからすると,その犯行の態様は,相当に奇妙なものであったといわざるを得ない。したがって,被告人が本件犯行において「合理的かつ合目的的な行動」をとっていたとする1審判決の判断は,事実の評価を誤ったものというほかない。
(5)犯行後の行動について
 
1審判決は,被告人の犯行後の行動について,「被告人が犯行後に110番通報をしており,その中で母親を蹴ったことは明確に否定するなどしていることに照らせば,被告人は自分が母親を殺害したことやそれが警察に通報すべきことがらであることについては十分に理解していた」と説示している。
 
確かに,被告人は,本件犯行から半日以上も経過した1月28日午前10時過ぎに110番通報し,臨場した警察官に対して,Aを殺害した旨申告しているところ,その際,被告人は,警察官が被告人方に臨場すれば,自分が逮捕され,処罰される結果を招くことを知っていたと認めることができる(被告人供述960ないし962項)とはいえ,他方において,被告人は,「あのまんまの状態で外に出たりできんなとかいうふうに思った」とか(同963項),「自首よりも,遺体の処分というか,処置をしてもらいたかったのが強かった」と供述している(同1808項)ことにも照らすと,被告人が自首をするつもりで110番通報したとは認め難く,犯行後の行動にも不可解なところがあるといわざるを得ない。
 
さらに,本件犯行後の被告人の言動をみると,被告人は,罪証隠滅工作を一切していなかったばかりか,1審公判廷での供述態度も含め,母親であるAを殺害したことに対する反省や悲しみなどの態度が一切見られず,被告人には罪障感の乏しさがうかがわれることは,被告人の統合失調症の症状が相当に重篤であることを示唆しているということができる。
(6)1審判決が指摘していないその他の事情について
 
以上のほか,本件犯行時及びその前後の出来事についての被告人の記憶は,ほぼ清明に保たれていることが認められるが,統合失調症の患者には,記憶に障害をきたしていない場合が多いことに照らすと,被告人が本件犯行当時の記憶を清明に保っているからといって,そのことが被告人の責任能力を肯定する決定的な要素になるとは解されない。
4 結論
 
そこで,以上に検討したところを踏まえて,被告人の責任能力の有無・程度を判断するに,被告人は,1審判決が「争点に対する判断」の第2の7項で説示するように,「慢性期の統合失調症に罹患しており,精神障害の程度は重いものであった。そして,本件犯行が被告人の本来の人格とは異質な行為であることに照らしても,統合失調症の影響のもとに行われたものであることは明らかである」上,その動機は了解不可能なものであること,犯行態様は相当に奇妙なものであること,犯行前後の行動にも不可解なところがあることなどからすると,本件犯行当時,被告人が,事理弁識能力及び行動制御能力のいずれも失っていなかったと認めるにはいまだ合理的な疑いが残るというべきである。そうすると,「被告人が本件犯行当時心神耗弱の状態にあった」として,被告人に,限定的ながらも責任能力を認めた1審判決は,証拠の評価を誤り,事実を誤認したものといわざるを得ず,これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから,破棄を免れない。
 
弁護人らの事実誤認の主張は理由がある。
第4 破棄自判
 
よって,刑事訴訟法397条1項,382条により1審判決を破棄した上,同法400条ただし書を適用して,被告事件について更に判決する。
 
本件公訴事実は,「被告人は,平成22年1月27日午後6時ころ,大分県竹田市大字ab番地c所在の被告人方において,殺意をもって,実母であるA(当時78歳)の首及び左側胸部等を金属製の缶切り(全長約14.85センチメートル)及び金属製箸(全長約33.16センチメートル)で多数回突き刺すなどし,よって,そのころ,同所において,同人を心刺創などによる失血により死亡させて殺害したものである」というものであるが,以上述べたとおり,本件公訴事実については、犯罪の証明がないことに帰するから,同法404条,336条により被告人に対し無罪の言渡しをすることとし,主文のとおり判決する。 
平成23年10月18日
福岡高等裁判所第一刑事部
裁判長裁判官 川口宰護 裁判官 松藤和博 裁判官 山野幸雄

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