殺人福岡6

殺人福岡6

福岡地方裁判所/平成16年(わ)第501号

主文
被告人を懲役1年6月に処する。
この裁判が確定した日から3年間その刑の執行を猶予する。
訴訟費用中証人Bに支給した分は被告人の負担とする。
本件公訴事実中殺人及び非現住建造物等放火の点につき,被告人は無罪。

理由
(犯罪事実)
 
被告人は,
第1 Aと共謀の上,Bが北九州市a区bc丁目d番e号において経営する学習塾「C教室」の業務を妨害することを企て,平成14年3月31日午前8時20分ころから同日午後零時30分ころまでの間,同所において,情を知らないDをして,10畳板の間の8畳板の間と便所に通じる廊下への出入口2か所にプラスターボードによる壁を設置させ,平成15年6月27日に同教室が閉鎖されるまでの間,10畳板の間の教室から8畳板の間の教室及び便所への出入りを不能ならしめ,もって,威力を用いて同塾の業務を妨害した。第2 実兄であるEが死亡し,その貯金が同人の妻子らの相続財産となっているにもかかわらず,上記Eから生前預かり保管中の同人名義の貯金通帳を使用して現金を引き出すことを企て,別表1《略》記載のとおり,平成16年3月25日午前9時59分ころから同日午後零時48分ころまでの間,前後5回にわたり,北九州市a区fg丁目h番i号F組合f支店ほか1か所において,同所に設置されている現金自動受払機に,上記E名義の貯金通帳を挿入して同機を作動させ,同機から当時の同支店支店長Gほか1名管理に係る現金合計500万円を引き出して窃取した。
(証拠の標目)
‐略‐
(有罪認定の補足説明)
判示第1(威力業務妨害)について
1 公訴棄却の申立てについて
 
弁護人は,本件威力業務妨害の起訴は違法な別件逮捕勾留に基づいてされたものであり,また,公訴事実自体軽微であるとして,公訴棄却すべきである旨主張している。
 
しかしながら,検察官は,公訴の提起について広範な裁量権を有し,捜査に違法があったとしてもその公訴提起が直ちに無効となるものではなく,また,その公訴提起が裁量権を逸脱し,無効となるのは,例えば公訴の提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合に限られるものと解されているのであって,本件威力業務妨害の公訴提起はそのような場合に当たらないことは明らかであるから,この点に関する弁護人の主張は採用できない。
2 違法性阻却事由に関する錯誤及び可罰的違法性について
・ 弁護人は,被告人は,本件壁の設置及び建物の一部明渡しについて,被害者であるBの承諾があったと誤信していたもので,違法性阻却事由の錯誤があるから威力業務妨害についての故意は阻却され,また,本件行為には可罰的違法性がないとして,威力業務妨害罪について無罪であると主張し,被告人もこれに沿う供述をしている。
・ 関係各証拠によれば,平成14年当時,Bが,夫E及び被告人の実家の離れの建物の10畳板の間及び8畳板の間を利用して学習塾を経営していたこと,被告人らは,平成14年3月31日,判示第1のとおり壁の設置行為に及び,Bや学習塾の生徒が,10畳板の間と8畳板の間との行き来や廊下の便所の利用ができなくなったことが認められる。
 
被告人は,壁の設置について,Bに上記8畳板の間の明渡しを申入れ,その際,壁の設置も承諾されたと理解したとか,被告人の叔父Aから,Bから承諾の確認が取れたとの電話を受けた等の供述をし,承諾があったと信じていた旨述べる。
 
しかしながら,Bに壁設置の了承を求めたことをうかがわせる事情や証拠は存しない上,Bは,明渡しを承諾したことも,壁の設置について承諾したこともない旨述べている。そして,本件当時,離れの10畳板の間も8畳板の間も現に学習塾に使用されており,判示第1のとおり壁を設置すると,8畳板の間と廊下の便所の利用ができなくなることは被告人も十分認識していたはずであり,学習塾の経営に多大な支障が生じる壁の設置についてBの同意があると理解するのが不自然であることはいうまでもない。この点について同意があると誤信する状況になどなかったことは明らかである。
 
さらに,被告人に頼まれて実際に壁の設置工事を施工した被告人の従兄弟のDの警察官調書によれば,同人が,壁の設置についてBに確認しなくても良いのか尋ねたのに対し,被告人は,教室は他の所でして,こっちは閉めるらしい,今は倉庫代わりになっているので,確認しなくていい等と返答したというのであり,これによれば,被告人は,Bの承諾の有無とは関わりなく壁の設置を強行しようとしていたことが認められる。
 
以上のとおり,本件壁の設置についてBの同意があったと誤信した等という被告人供述は信用できず,弁護人の主張は採用できない。
・ 現に学習塾に使用しているのに,無断でいきなり壁を設置するという悪質な犯行態様に照らせば,本件について,刑罰をもって臨むほどの違法性がないなどとは言えず,本件には可罰的違法性がないとする弁護人の主張も採用できない。
判示第2(窃盗)について
1 公訴棄却の申立てについて
 
弁護人は,本件窃盗の起訴は違法な別件逮捕勾留に基づいてされたものであり,また,公訴事実自体軽微なものであるとして,公訴棄却すべきである旨主張している。
 
しかしながら,検察官の公訴提起に関する裁量権の逸脱が公訴提起を無効ならしめるのは,例えば公訴の提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合に限られると解されているのであって,本件窃盗の公訴提起はそのような場合にあたらず,弁護人の主張は採用できない。
2 不法領得の意思及び可罰的違法性について
・ 弁護人は,被告人は,Eとの生前の話合いに基づき,同人死亡後,同人の娘の学費として200万円,母の将来の葬儀費用として100万円,土地の等価交換費用として被告人が立て替えた100万円,Eの葬儀費用100万円の合計500万円を払い戻して保管していたものであるから,被告人には不法領得の意思がなく,また,本件行為には可罰的違法性がないとして,窃盗について無罪を主張し,被告人もこれに沿う供述をしている。

・ 関係各証拠によれば,被告人は,Eの生前,F組合のE名義口座の通帳を預けられ,その貯金の管理を任されていたが,Eの死亡により,その帰属はEの相続人である同人の妻子に当然に相続移転したものと認められるところ,被告人は,これらEの相続人らに上記口座の存在を知らせることなく,また,上記組合に対しては,名義人Eの死亡を告知せずに,同口座から合計500万円を5回に分けて引き出したことが認められる。
 
弁護人は,本件は,委任者とは相反する意思を有する法定相続人がいる場合において,委任者が突然死亡した場合に受任者が生前の委任者の意思に沿って処理したものに過ぎず,被告人に不法領得の意思はない旨主張するが,Eの生前の意向がどのようなものであったのか金融機関側に明らかでない上,金融機関としては,そのような場合にこそ無用の混乱を防ぎ,正当な権利者の利益が害されないよう,相続開始後は相続人名義の口座の払戻しを停止するのであって,本件のように,Eの死亡により相続が開始したにもかかわらず,通帳を預かっていたことを奇貨として,金融機関が相続開始を知らない間に現金を引き出し,その占有を害した行為が正当化されるものではない。
 
したがって,不法領得の意思がないとの弁護人の主張は採用できない。
・ また,本件引出し額が500万円と多額であることに照らすと,違法性は顕著であり,刑罰をもって臨むほどの違法性がないなどとは到底いうことができず,可罰的違法性がないとする弁護人の主張も採用できない。
(法令の適用)
 
被告人の判示第1の所為は刑法60条,234条,233条に該当し,判示第2の所為は包括して,行為時においては平成18年法律第36号による改正前の刑法235条に,裁判時においてはその改正後の刑法235条に該当するが,これは犯罪後の法令によって刑の変更があったときに当たるから刑法6条,10条により軽い裁判時法の刑によることとし,各所定刑中懲役刑を選択し,以上は同法45条前段の併合罪であるから,同法47条本文,10条により重い判示第2の罪の刑に同法47条ただし書の制限内で法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役1年6月に処し,情状により同法25条1項を適用してこの裁判が確定した日から3年間その刑の執行を猶予することとし,訴訟費用中証人Bに支給した分は,刑事訴訟法181条1項本文により被告人に負担させることとする。
(一部無罪の理由)
第1 公訴事実及び争点の概要
1 公訴事実
 
平成16年10月25日付け起訴に係る殺人被告事件の公訴事実は,「被告人は,平成16年3月23日ころ,北九州市a区bc丁目d番e号E方において,同人(当時58年)に対し,殺意をもって,刃物でその右頸部付近を突き刺し,さらに,その左胸部を突き刺し,よって,そのころ,同所において,同人を右総頸動脈切損に基づく出血性ショックにより死亡させて殺害したものである。」というのであり,同年11月16日付け起訴に係る非現住建造物等放火被告事件の公訴事実は,「被告人は,平成16年3月24日午後5時12分ころから同日午後5時56分ころまでの間,北九州市a区bc丁目d番e号所在の現に人が住居に使用せず,かつ,現に人がいないH,E及び被告人所有に係る木造瓦葺平屋建建物(床面積約284.6平方メートル)に放火してこれを焼損しようと企て,同建物南側4.5畳間において,同所にあった灯油を畳に撒いた上,畳等に点火して火を放ち,その火を同建物の床面や壁面等に燃え移らせ,よって,同建物を全焼させて,これを焼損したものである。」というのである。
2 基本的事実関係
 
関係証拠によれば,次の事実が認められる。
 
平成16年3月24日午後5時12分ころから午後5時56分までの間に,公訴事実記載のE方で火災が発生し,同家屋が全焼した。焼け跡から同人の焼死体が発見された。家屋火災跡の遺体周りなどから灯油成分が検出され,また,火元は遺体があった部屋であると認められた。遺体には胸部に心臓に達する刺し傷があり,遺体近くから凶器等は発見されなかった。この結果,遺体は他殺体であり,火災は放火によるものであると認められる。
 
遺体は司法解剖され,解剖鑑定による死因は,当初,心臓刺創による出血性ショックであり,ショック状態に陥ってから死亡までに2時間以上経過していると推定するとされたが,同年8月10日には,死因が右頚部の刺創によって生じた右総頚動脈切損に基づく出血性ショックと訂正され,平成17年2月20日付けの鑑定書でも,同様の診断とされた。なお,この鑑定書の死因,死亡推定時刻などについては,弁護人が争っている。 
3 争点の概要
 
検察官は,被告人が実兄である被害者を殺害した上,放火したものであると主張するのに対し,被告人は,捜査公判を通じて,身に覚えのないことであると供述し,弁護人も,被告人は犯人ではなく無罪であると主張している。
 
このように,本件殺人及び放火については,被告人の犯人性が深刻に争われているが,被告人と犯行を直接結びつける証拠としては,勾留中に被告人と同房であった者の,被告人から被害者を殺害し放火したと聞いたという犯行告白が存するのみであり,この被告人が述べ同房者が聞いたという犯行告白について,その証拠能力,信用性が厳しく争われている。
第2 立証構造及び争点
 
検察官は,ア.犯行現場の状況,被害者の生活状況及び殺害状況からすれば被告人が犯人である可能性が極めて高いこと,イ.被告人に犯行動機が認められること,ウ.犯行当日である3月23日及び同月24日に被告人が犯行に及ぶ機会があること,エ.犯行当日である3月23日及び同月24日の行動に関する被告人供述が不自然で,到底信用できないこと,これらの間接事実から被告人が犯人であることが推認されることに加え,オ.被告人が犯人であることを示す犯行告白が存在することによって,被告人が犯人であると主張する。
 
検察官の立証構造は,その主張及び立証活動からして,被告人と犯行とを直接結びつける証拠として,被告人と同房であった者(以下「同房者」ともいう。)の証人尋問によって,同人が被告人から聞いたと証言した被告人の犯行告白が存在し,その犯行告白の内容が客観的状況と合致していること,とりわけ,被害者の首を刺した後胸を刺したという犯行告白を得て,解剖鑑定医が再検討したところ,右総頚動脈に外傷が存することが明らかになったという事情が,いわゆる秘密の暴露として,犯行告白の信用性を支えているとするものと理解される。
 
これに対し,被告人は,同房者に犯行告白などしていないと供述し,弁護人も,同房者が犯行告白を聞いたという事実自体を虚偽であるとして争うとともに,検察官がその立証に用いる公判調書中の同房者証人の供述部分について,証拠能力及び信用性を強く争っている。
 
このように,本件においては,被告人の自白は存在せず,被告人と同房であった者が供述する被告人の犯行告白によって,被告人の犯人性を立証しようという点に特殊性があり,その証拠能力,信用性が中心的な争点である。
 
なお,以下,上記各公訴事実を総じて「本件事件」ともいい,月日については,特にことわりのない場合は平成16年のことを指す。
第3 検察官が主張する犯行告白の内容と犯行告白を同房者が聞いた経緯等
 
検察官が主張する犯行告白の内容とその状況は,次のとおりである。
1 犯行告白の内容
 
被告人は,3月23日の昼,被害者宅において,被告人が被害者名義の口座の預金を被害者に無断で別の被害者名義の口座に移したことで被害者と口論になり,かっとなって,被害者宅台所にあった包丁で,まず被害者の首を刺し,少し時間をおいて胸を刺した。被告人は,同日は帰宅し,翌3月24日の昼,いつものように弁当を買って被害者宅に赴き,玄関から声をかけるも,返事がなかったので,買った弁当を置いて帰宅し,夕方,再び被害者宅に赴いて,既に死亡している被害者の周り等に灯油を撒くなどして,火を放った。

 上記犯行告白内容は,同房者が被告人と同房であった間に,被告人から受けた犯行告白のうち,告白内容に基本的に変更がなく一貫した告白をするようになった以降に同房者が受けた被告人の犯行告白の概要であるとする。
2 犯行告白を聞いた経緯
 
検察官が主張する犯行告白は,被告人が同房者と同房であった間,継続して犯行についての話をしていたとするのであるが,そのうち,いくつかの重要な告白経緯は,以下のとおりと解される。
1)j署での告白
 
被告人は窃盗容疑で福岡県j警察署(以下「j署」という。)に勾留されていたが,同署在監中に被告人が犯行告白を始め,同署では,被告人が「ナイフ1本で人が死ぬって知ってる。」,「ライター1本であそこまで燃えるとは思わなかった。」,「殺すつもりで殺したわけじゃない。」と被害者の死に関係したことをほのめかす告白をした。
2)7月21日の犯行告白
 
被告人は,威力業務妨害容疑で再逮捕され福岡県a警察署(以下「a署」という。)に勾留されたが,j署で同房であった同房者が7月15日に覚せい剤取締法違反で再逮捕されて,a署で同人と同房となり,7月21日に「誰にも言っちゃだめだよ。殺してしまった。」,「胸を刺した」,被害者である実兄と,預金を移したことでトラブルとなった,「お兄さんの周りに灯油を撒いて火を付けた。」などと告白した。
3)7月26日,27日の犯行告白
 
被告人は,7月26日に「本当は2回刺したのよ。」と告白し,翌27日ころに胸の他に刺した場所について「首の辺りだったと思うけど。」と告白した。
第4 同房者供述中の「犯行告白」部分の証拠能力について
1 当事者の主張
1)弁護人
 
弁護人は,同房者の公判供述部分は,結局,被告人に対する捜査機関の違法な取調べ過程の中で同房者が得た知見に基づく違法収集証拠であるとして,その証拠能力を争う。
2)検察官
 
検察官は,同房者が被告人から犯行告白を受けた行為には,被告人に暴力,あるいは脅迫や偽計を行い,または利益を提示するなどして犯行告白を迫ったといった事情は一切認められず,あくまでも同房者は被告人からその自由意思により犯行告白を受けたものであって,任意性に疑いを差し挟む余地はないと主張する。
2 緒説
 
弁護人は,検察官が証人請求した同房者証人の証人尋問請求について,被告人の犯行告白は同房者と捜査機関がねつ造したもので,犯行告白自体が存在しないとしてその実体を争うとともに,違法収集証拠であるとして証人尋問に異議を唱え,さらに,公判手続更新の際にも,公判調書中の同証人の供述部分は違法収集証拠であるから証拠排除すべきであると主張した。当裁判所は,公判手続更新に際して,証拠能力についての最終的な判断は判決中で行うとした上で,その際に証拠排除することはせず,公判調書中の同房者証人の供述部分を取り調べた。被告人の犯行告白は,それを聞いたという同房者の公判調書中の証人尋問調書という形で,証拠として形式的に存在するので,ひとまず当該証拠を犯罪事実認定の資料として使用することができるか否かという証拠能力について検討する。犯行告白の存否については,これを聞いたとする同房者供述の信用性の問題として,後に検討する。
 
また,弁護人は,同房者供述の全てについて証拠排除されるべきとも主張する。しかし,本件についての検察官の立証構造は,前記によれば,a署で同房者が聞いたと供述する被告人の「犯行告白」によって,被告人と犯行との結びつきを立証しようとするものと解されるから,その「犯行告白」の証拠能力の有無を判断することとする。
 
ところで,同房者が公判廷で供述した被告人の「犯行告白」(公判調書中の同房者の供述部分中に存する)は,伝聞証拠ではあるが,被告人以外の者の公判期日における供述で被告人の供述をその内容とするものであるから,刑事訴訟法324条1項によって同法322条の規定に従うこととなる。そして,「犯行告白」は不利益な事実の承認であり,同条1項ただし書により,同法319条の規定に準じ任意にされたものでない疑があると認められるときには,これを証拠とすることができないこととなる。
 
以下,本件について検討する。
3 被告人に対する捜査状況
 
本件捜査,同房者と被告人との同房状況等についての経緯は,関係証拠《略》及び本件一件記録によれば,以下のとおりと認められる。
 
被告人と同房者の身柄関係,同房時期の概略は,次のとおりである。(破線枠は逮捕・被疑者勾留を示し,実線枠は同房期間を示す。)
       
被告人 同房者
5月23日 逮捕(窃盗,k警察署留置)
5月25日 j署に勾留,接見等禁止
6月13日 被疑者勾留満了,起訴(窃盗),
      
起訴後の接見等禁止
6月18日 逮捕,j署留置
6月21日 j署に勾留,接見等禁止
6月24日 拘置支所へ移監
7月1日 逮捕(威力業務妨害),a署留置
7月3日 a署に勾留,接見等禁止
7月8日 起訴(窃盗)
7月9日 第1回公判,
     
第2回公判日まで接見等禁止
7月15日 逮捕(覚せい剤),a署留置
7月18日 a署に勾留
7月22日 被疑者勾留満了,起訴(威力業務妨害,起訴後の接見等禁止)
7月27日 起訴(覚せい剤)
8月13日 第2回公判,
      
第3回公判日まで接見等禁止
9月10日 第1回公判
9月24日 第3回公判,
      
第4回公判日まで接見等禁止
9月27日 拘置支所へ移監
9月30日 拘置支所へ移監
10月3日 逮捕(殺人,a署留置)
10月6日 a署に勾留,接見等禁止
10月6日 起訴(窃盗)
10月22日 第2回公判,結審
10月25日 被疑者勾留満了,起訴(殺人),
       
起訴後の接見等禁止
       
逮捕(放火,a署留置)
10月28日 a署に勾留,接見等禁止
11月12日 第3回公判,判決
11月16日 被疑者勾留満了,起訴(放火),
       
起訴後の接見等禁止
1)事件発生から被告人逮捕まで
〔1〕前記のとおり,3月24日夕刻に火災が発生し,Eが遺体で発見された。被告人は,火災の連絡を受けて現場に駆け付けていたが,同日,被害者の関係者として,被害者の生活状況などについて,警察官から事情聴取を受けた。
〔2〕福岡県警察は,3月25日,a署に,事実上の捜査本部として,特捜班を置いて本件の捜査に当たった。
 
その後,特捜班は,聞き込み捜査や,被害者の関係者,親族などからの事情聴取を進め,被告人に対して,本件事件に関与している嫌疑を抱いていったが,被告人を窃盗容疑で逮捕する時点で,被告人を犯人と決定づける証拠は収集できていない状態であった。
2)窃盗容疑での逮捕,j署在監
〔1〕被告人は,5月23日,被害者が遺体で発見された翌日である3月25日に被害者名義の貯金を引き出した窃盗(判示第2)の被疑事実で逮捕されて福岡県k警察署(以下「k署」という。)の留置場に留置され,5月25日j署代用監獄に勾留され,以後拘置支所に移監される6月24日まで同署に勾留された(なお,甲80号証の検察官作成の捜査報告書中に逮捕日が5月22日とあるのは,5月23日の誤記と認める。)。被疑者勾留に伴い,検察官の請求により接見等が禁止された。被告人は,勾留の被疑事実である窃盗について合計500万円を引き下ろしたことは間違いないが,実兄の遺志を実行したまでで,預かり持っていたものと理解しており,盗んだという気持ちはない旨述べていた。被告人は併せて本件事件についても取調べを受けたが,関与を全く否認していた。
〔2〕勾留に対しては,弁護人から5月28日勾留場所を代用監獄から拘置支所とするよう準抗告が申し立てられたが,同日棄却された。
 
6月3日被告人の夫が自殺し,勾留執行停止の職権発動を求める申立てがされたが,勾留の執行は停止されなかった。
 
6月6日,弁護人から「違法捜査中止要求書」が検察官宛に提出され,窃盗被疑事実での勾留なのに,殺人,放火事件について取調べがされ,自白が強要されているとして,検察官に善処を求めた。また,6月8日以降,勾留理由開示,勾留取消請求,勾留取消請求却下及び勾留延長に対する各準抗告(棄却)などを経て,6月13日被疑者勾留期間満了を迎えた。
〔3〕捜査官は,6月初めころ,被告人の同房者から被告人との房内での会話内容を聞くという捜査方針を立て,6月8日,被告人とj署で同房であった女性の事情聴取を行い,また,6月21日及び22日にも,同じく被告人と同房であった別の女性の事情聴取を行ったが,どちらからも,被告人の犯人性を基礎づけるような事情を聴取することはできなかった。
〔4〕被告人は,勾留期間満了日の6月13日窃盗の公訴事実で起訴された。起訴後間もなく拘置支所に移監されることはなく,j署に引き続き勾留された。起訴後も,検察官の請求により,第1回公判期日に至るまでの間接見等が禁止された。起訴後も被告人の取調べは続き,被告人は,6月14日は警察官から取調べを受け,15日は取調べを拒否し,16日は警察官の取調べは午前中は応じて午後は拒否したが検察官の取調べに応じ,17日は取調べを拒否し,18日は検察官の取調べを受けた。弁護人は,6月17日付けで,任意であるべき起訴後の取調べは被告人が拒否しているので中止を要請するとの内容証明を検察官,a署に出すなどして抗議した。被告人は,19日,20日,21日,22日,23日の取調べを拒否した。(甲95,154)
3)拘置支所への移監〔1〕
 
被告人は,6月24日,拘置支所へと移監された。拘置支所移監後も取調べが同月25日に行われたが,被告人は同日午前の取調べは拒否し,午後警察官の取調べに応じた。その後再逮捕までの間,拘置支所での取調べは行われなかった。
4)威力業務妨害容疑での逮捕,a署に移監〔1〕
〔1〕被告人は,7月1日,2年前の平成14年3月に実家離れで兄嫁が経営していた学習塾の教室に使用していた部屋を壁で塞いでその業務を妨害した威力業務妨害(判示第1)の被疑事実で再逮捕されてa署の留置場に留置され,7月3日から拘置支所に移監される9月27日まで引き続き同署に勾留された。被疑者勾留に伴い,威力業務妨害の被疑事実でも検察官の請求により接見等が禁止された。
〔2〕7月9日,窃盗被告事件の第1回公判が開かれ,弁護人は,窃盗の公訴は,違法な別件逮捕勾留によるものであり,公訴権濫用により公訴棄却すべきと主張した。窃盗について,第1回公判後も,検察官の請求により,第2回公判期日に至るまでの間接見等が禁止された。
〔3〕威力業務妨害の被疑者勾留に対する準抗告,7月15日勾留理由開示を経て,被告人は,被疑者勾留期間満了の7月22日,威力業務妨害の公訴事実で起訴された。起訴後も拘置支所に移監されることなく,引き続きa署に勾留された。起訴後も,検察官の請求により,威力業務妨害被告事件の第1回公判期日に至るまでの間接見等が禁止された。起訴後も7月23日から9月10日までの50日間のうち4日間を除いた46日間,被告人の取調べが続き,被告人は,そのうち8日間については取調べに応じることもあったが,それ以外のほとんどの取調べを拒否した。
〔4〕8月13日,第2回公判(窃盗,威力業務妨害被告事件),9月24日,第3回公判が行われ,それぞれ公判後も各事実につき検察官の請求により接見等が禁止された。
〔5〕なお,特捜班は,7月1日から17日まで被告人とa署で同房であった女性について,同女の取調官を通じ,房内での被告人との会話の内容を聴取したが,同女からは本件事件の罪体に関し有効な事情を聴取することはできなかった。
5)拘置支所への移監〔2〕
 
被告人は,9月27日,拘置支所へと移監された。
6)殺人容疑での逮捕,a署に移監〔2〕
〔1〕被告人は,10月3日,本件殺人容疑で三度逮捕されてa署に留置され,10月6日から引き続きa署に勾留された。被疑者勾留に伴い殺人の被疑事実でも検察官の請求により接見等が禁止された。被告人は取調べにおいて殺人容疑について否認し,検察官から,同房者に対して,Eさんを殺した旨の告白をしていないかとの問いに対しては,そのような話はしていない,と答えていた。
〔2〕被告人は,10月25日,否認のまま殺人の公訴事実で起訴された。起訴後も,検察官の請求により,本件殺人被告事件の第1回公判期日の午後10時までの間接見等が禁止された。
7)放火容疑での逮捕,a署在監
〔1〕被告人は,殺人で起訴された10月25日,非現住建造物等放火の容疑で逮捕されて引き続きa署に留置され,10月28日から同署に勾留された。被疑者勾留に伴い放火の被疑事実でも検察官の請求により接見等が禁止された。被告人は取調べにおいて放火容疑について否認し,検察官から,叔母や息子に,火災になる直前に被害者から頼まれて灯油を持って行ったと言っていないかと尋ねられて,被告人は,そのようには言っていないなどと述べていた。
〔2〕被告人は,11月16日,否認のまま非現住建造物等放火の公訴事実で起訴された。起訴後も検察官の請求により,本件非現住建造物等放火の第1回公判期日の午後10時までの間接見等が禁止された。
8)拘置支所への移監〔3〕
 
被告人は,11月18日,拘置支所へと移監された。
4 同房者からの事情聴取状況
 
Mからの事情聴取の経緯,状況等は,関係証拠《略》によれば,以下のとおりと認められる。
1)j署における事情聴取状況
〔1〕同房状況
 
Mは,6月18日の夜,窃盗(車上狙い)の被疑者として福岡県k警察署(以下「k署」という。)警察官に現行犯逮捕されてj署に留置され,被告人と同房になった。Mは,同被疑事実で引き続き勾留され,7月15日までj署に留置された。被告人とMは,同人が逮捕された6月18日夜から被告人が拘置支所に移監された同月24日までの間,同房であり,その間,同じ房に他の者はいなかった。
〔2〕事情聴取に至る経緯
 
Mの容疑事実について取調べを担当していたk署の警察官は,6月19日の取調べの際,Mから,五十年輩の女性(被告人)と同房になったこと,被告人が取調べ担当官の悪口をいろいろ言っていることを聞いた。同警察官は,その後,同署の盗犯係長に対し,Mが被告人の話をしていたことを報告した。
 
本件捜査を担当していた特捜班の警察官は,6月24日ころ,房内での被告人との会話の内容を聴取するため,Mの事情聴取を指示され,k警察署に対し,被告人の関係でMの事情聴取を行いたいと打診し,この打診は,6月24日夕方ころ,Mの取調べを担当する警察官に伝えられた。
 
Mの取調べを担当していたk署警察官は,6月25日,取調べ終了後の雑談の中で,Mに対し,翌26日に被告人のことに関して事情聴取があると告げた。
〔3〕事情聴取状況,聴取内容
 
特捜班の警察官は,6月26日,j署において,Mから事情聴取を行った。M供述,N供述,O供述によれば,Mは,同事情聴取において,被告人が,j署で,兄を殺すつもりで殺したわけではないとか,ライター1本であそこまでになるとは思わなかったと言っていた旨を述べた。また,被告人が,銀行から800万円を引出した件で勾留されていると言っていたことや,被害者名義の口座間で現金を移動させた件については,X銀行の口座からY銀行の口座に移動させたと言っていたことも述べた。Mの事情聴取は,6月27日及び同月29日にも行われ,Mからの事情聴取内容について,6月27日及び同月29日付けで警察官調書が作成された。
2)a署における事情聴取状況
〔1〕同房依頼
 
特捜班は,7月7日の週に,k署に,Mの事情聴取をさせてもらったことへのお礼の電話をした際,Mが近々再逮捕されることを聞いた。特捜班は,Mがa署に勾留され,被告人と同房になれば,Mから被告人との房内での会話を聞き出し,裏付け捜査もできるような更に詳しい事実を聞き出せるかもしれないと期待し,電話を架けた一,二日後に,k署のMの捜査担当幹部に対し,7月15日ころはa署の留置場に空きがあること,Mを同署に勾留するということであれば,k署の取調べがない時間にMを事情聴取させてもらいたいことなどを伝えた。
〔2〕同房状況
 
Mは,7月15日,覚せい剤取締法違反の被疑事実でk署警察官に再逮捕され,a署に留置されて,再び被告人と同房となった。Mは,拘置支所に移監される9月30日まで同署に勾留された。被告人とMは,Mが再逮捕された7月15日から被告人が拘置支所に移監された9月27日まで同房であり,7月17日以降は同じ房内には被告人とMの2人のみで,同人ら以外の者は居なかった。
 
なお,a署の女子房の収容定員は2名であるが,7月15日の同所の女子房には既に2名が収容されており,Mの逮捕留置により定員超過の状態となった。他方,同日時点で,k署の女子房(収容定員2名)は収容0,l警察署の女子房(収容定員2名)は1名,Mが勾留されていたj署の女子房(収容定員10名)は7名であった。
〔3〕事情聴取に至る経緯,概要
 
特捜班は,7月15日,捜査本部の会議において,同日,Mが被告人と同房となることが報告されたことを受けて,会議終了後,先にMの事情聴取を行った警察官を今後事情聴取専従として,Mから事情聴取を行うこととし,7月16日から9月29日までの76日間中48日間,ほぼ連日,Mから房内での被告人との会話の内容を聴取した。特捜班は,同房者からの事情聴取に当たっては,捜査情報を一切与えないこと,Mの供述に客観的な事実に反する内容があったとしてもそれを訂正しないこと,質問事項の要望を決して言わないこと,何らかの便宜を図るような約束はしないことを事情聴取担当者に指示した。
 
事情聴取専従の警察官は,a署におけるMからの事情聴取初日である7月16日,Mに対し,被告人の件でMから事情聴取していることについて被告人に話さないように明示あるいは黙示で注意し,Mもそのことを了承した。
 
事情聴取専従の警察官は,7月20日,Mからの事情聴取を行い,その際,Mに対し,被告人が昼間取調べ担当の刑事から不倫関係のことについて取調べを受けたと話していなかったか,また,部屋に戻ってきたとき,何か落ち込んでいたとか,動揺しているとかいった様子は見受けられなかったかと尋ねた。
〔4〕7月22日の事情聴取状況
 
Mは,7月22日,自ら事情聴取を要請し,同日,事情聴取専従の警察官による事情聴取が行われた。Mは,その事情聴取の冒頭に「刑事さん,昨日の夜,I(被告人名)さんから重要なことを聞き出しましたよ,早く聞いてくれないから忘れるかと思いましたよ。」などと述べて,前日夜に被告人から犯行告白を聞いたと供述した。その内容は,M供述によれば,なんで殺人がつくんですかみたいなことを聞いたら,被告人が「だれにも言っちゃだめだよ」と言って,殺してしまった,お兄さんの通帳から通帳にお金を移したことでお兄さんとトラブルになり胸を刺した,という内容であった。このMの事情聴取内容について,同日付けの警察官調書が作成された。
〔5〕7月27日の事情聴取状況
 
Mは,7月27日の事情聴取において,7月26日のお昼に被告人から2回刺したということを聞いた旨述べた。その内容は,M供述によれば,トランプをしていて,Mが1回刺したんですかとかそういう話をしたら,被告人が「2回刺した」と言い,Mが2回ってどこを刺したんですかとかそういうことを聞いたときは,被告人が「ちょっと覚えていない」と言っていた,というのである。この日のMの事情聴取内容については,7月30日付けの警察官調書にまとめられた。
〔6〕7月28日の事情聴取状況
 
Mは,7月28日の事情聴取において,興奮ぎみに,「あのですね,刑事さん,I(被告人名)さんがお兄さんを刺したとき、どこを刺したか聞いてきましたよ,I(被告人名)さんは首を刺したと言っていましたよ。」などと述べて,首を刺した旨聞いたと供述した。その内容は,M供述によれば,トランプか何かをしていたときに事件の話になって,Mが2回刺したってどこを刺したんですかと聞いたら,被告人が「首だったと思う」と言っていた,というのである。この日のMの事情聴取内容については,上記7月30日付けの警察官調書にまとめられた。
〔7〕解剖鑑定医による被害者死因の変更
 
被害者を解剖した解剖鑑定医は,捜査機関に死因に関する報告書を6月12日付けで作成して提出していたところ,その時点では,死因は心臓刺傷に基づく出血性ショックとの結論であった。 
 
検察官,特捜班長ら本件捜査に当たっていた捜査幹部は,被告人が胸の他に首も刺したと言っているとのMからの事情聴取内容を踏まえて,8月2日,解剖鑑定医を訪ね,被害者の右頚部に刺し傷の痕があるかどうかを聞いた。これを受け,解剖鑑定医が,ホルマリン漬けにして保存していた被害者の右総頚動脈を持ち出し,その血管を切り開いて傷の有無を確かめたところ,長さ約0.5センチメートルの直線状の離開が一箇所認められ,その離開の創縁及び創面が整であり,離開の部分の内膜が黒色に変色していたと判断したことから,その部分について組織学的に観察することになった。
 
捜査官は,8月5日,解剖鑑定医から,被害者の右総頚動脈の組織片を確認したところ,右総頚動脈の傷口から生体反応の所見が認められたことを聞いた。解剖鑑定医は,被害者の死因を,刺創によって生じた右総頚動脈切創に基づく出血性ショックに変更し,8月10日付けでその旨の報告書を作成した。
〔8〕その後の事情聴取状況等
 
Mは,8月4日の事情聴取において,取調室に入るなり,事情聴取専従の警察官に対し,「M頑張りましたよ,昨日8月3日の夜,寝る前にI(被告人名)さんから重要な話を聞きましたよ,忘れるといけないから,今日の朝メモに書いてきました。」などと言って,被告人から聞き出したという被告人の行動を記載したメモ紙を渡した。同事情聴取において,Mが,被告人は3月23日の昼に弁当を買って兄の家に行く際,夫はスポーツクラブに行って家にいなかった,夫はスポーツクラブに月,水,金と通っていたと話していると述べたのに対して,事情聴取専従の警察官は,3月23日は火曜日であるが,被告人が弁当を買って兄の家に行ったとき夫が外出中でいなかったと,本当にそのように話したのかと確認した。
 
Mは,8月9日の事情聴取において,最初に取調室に入るなり,事情聴取専従の警察官に対し,「またM頑張りましたよ,一昨日の夜と昨日,I(被告人名)さんから聞いた話を忘れるといけないから,メモに書いてきてます。」などと言って,『M「もし,殺人で逮捕されたらどうするんですか?」姫「完全黙秘して否認するよ」』などと,被告人との会話のやりとりの形式でその内容をA4用紙表裏にびっしりと記載したメモ紙を渡した。

 Mは,9月15日,窃盗の被疑事実(追起訴事件)で取調べを受けた際,Mの取調べを担当している警察官に対して,事情聴取専従の警察官に渡してほしいと言付けて,『殺した事実はまちがいありまんせんI(被告人名)』『殺害したことを認めますI(被告人名)』と被告人に記載させたメモ紙を渡し,さらに,大事なことがあるので,その刑事を呼んで欲しいと頼んで,被告人に関する事情聴取を受けた。
 
Mからの事情聴取内容については,検察官と協議の上,最終的には検察官がまとめて事情聴取するので,その都度警察官調書を作成する必要はないということになり,7月30日付け警察官調書を最後に,警察官に対する供述調書は作成されず,警察官の捜査報告書という形でまとめられた。
 
以上のようなMからの事情聴取を踏まえ,9月29日,検察官がMから事情聴取を行い,検察官調書を作成した。
5 同房者自身の容疑事実に対する捜査,公判の状況
 
関係証拠《略》によれば,M自身の容疑事実に対する捜査,公判の状況は,次のとおりと認められる。
1)j署在監中の捜査状況
 
Mは,前記のとおり6月18日に窃盗容疑で逮捕されてj署に留置され,6月21日から同署に勾留された。勾留に伴い検察官の請求により接見等が禁止された。Mは,7月8日,同窃盗の公訴事実で起訴された。
 
Mは,同起訴後の7月12日までには余罪について自供書を書き,翌13日に盗品を捨てた場所への引き当て捜査が実施された。
2)a署被疑者勾留中の捜査状況
 
Mは,7月15日,覚せい剤取締法違反容疑で再逮捕され,a署に留置され,7月18日から同署に勾留された。接見等禁止請求はされなかった。
 
Mは,7月15日,M自身の被疑事実について取調べを受け,2通の警察官調書が作成された。7月17日午前中,検察官への事件送致に伴い検察官の弁解録取,7月18日午前中勾留質問,7月21日,M自身の被疑事実についての取調べを受けて警察官調書が作成され,7月26日,M自身の被疑事実について検察官の取調べを受けて,検察官調書が作成された。そして,7月27日覚せい剤取締法違反の公訴事実で起訴された。
3)起訴後のa署在監中の捜査状況等
 
Mは,上記起訴後も拘置支所に移監されることなく,9月30日までa署に引き続き勾留された。このa署の起訴後勾留中,Mは余罪についても取調べを受けたが,証拠として提出されている取調べ状況記録等制度関係書類綴り,同人の捜査公判経過の報告書によれば,上記7月27日の起訴後9月30日までの66日間に,Mを同人自身の被疑事実や余罪で取り調べたのは,9月3日及び9月15日に警察官による取調べ,9月21日及び9月28日に検察官による取調べの4日間が認められるのみである。
 
なお,留置場出入簿に基づく出入場の捜査報告書の連行者の記載からすると,M自身の被疑事実や余罪取調べを担当する警察官が,Mを出入場させたのは,上記に加え,7月30日,8月2日,8月3日,8月5日,8月6日,8月9日,8月10日,8月11日,8月12日,8月16日,8月17日,8月20日,9月2日である。しかし,Mは,起訴後余罪の取調べもなく,被告人のことばかり事情聴取されていたと述べている上,これらの出入簿に基づく留置場からの出場時間は1時間程度のものも少なくなく,取調べ状況報告書の作成がされてもいないことからすると,これら留置場からの出場は,M自身の被疑事実や余罪捜査のためのものとは認められない。
4)拘置支所への移監
 
Mは,9月30日拘置支所へと移監された。
5)公判の状況等
 
Mの第1回公判は9月10日に開かれ,7月9日付け起訴に係る窃盗,7月27日付け起訴に係る覚せい剤取締法違反被告事件が審理されたが,追起訴予定により次回続行となった。
 
10月6日,窃盗の公訴事実で追起訴された。
 
第2回公判が10月23日に開かれ,同日結審し,判決期日が指定された。
 
11月12日,第3回公判において判決が宣告された。懲役2年6月,4年間執行猶予の有罪判決であった。
6 a署における同房者の事情聴取,取調べ状況のまとめ
 
Mがa署に勾留されていた間の,同人に対する事情聴取,余罪等の取調べ状況は,別表2「7月15日から9月30日までの,同房者の取調べ状況等」のとおりである。同表中,「取調べ」は,M自身の被疑事実,余罪についての取調べ,「事情聴取」は,被告人に関する事情聴取,「その他」は,Mの被疑事実等の捜査を担当していた警察官による出場であるが,取調べとは認められないものを示す。
7 同房者が供述するa署での「犯行告白」獲得過程の問題点
 
以上の事実から,本件について,犯行告白の証拠能力を検討するに,同房者がa署でその「犯行告白」を聞いたという捜査過程には,以下のような問題点が指摘できる。
1)身柄拘束の捜査への利用
 
前記3ないし6の認定事実によれば,捜査機関は,j署における同房者からの事情聴取の結果をふまえ,房内での被告人の会話内容をその同房者を通じて聴取する目的で,同房者が再逮捕される機会を利用して,同人を,被告人が勾留されており,また,その収容定員から2人が必然的に同房になるa署に留置勾留するように依頼し,その同房者を,当時弁護人以外の者との接見等が禁止された状態で勾留中であった被告人と意図的に同房にした。
 
さらに,起訴後も拘置支所に移監することなく,代用監獄への勾留を続け,意図的に同房状態を継続した。すなわち,被告人については,7月22日勾留被疑事実であった威力業務妨害の公訴事実で起訴し,被告人が取調べをほとんど拒否していた状況にあるのに,起訴後ほどなく拘置支所に移監することなく,上記威力業務妨害での起訴後も2か月以上の間,a署での勾留を続けた。また,同房者については,7月27日勾留被疑事実であった覚せい剤取締法違反の公訴事実で起訴した後も被告人と同房状態を続け,ほぼ連日同房者から事情聴取を続けるとともに,被告人の殺人,放火事件の捜査を担当する検察官が事情聴取し検察官調書作成をすませるまで,同房者を拘置支所に移監せず,a署での勾留を続けた。
 
検察官は,同房者をa署に移監し,その後も留置し続けたのは,余罪捜査の必要性からであった旨を主張するが,前記認定の同房者に対する同人自身の容疑事実についての捜査状況からは,余罪取調べの必要があるとしても拘置支所において取り調べることでも支障ないものと考えられ,a署の方が捜査に便宜であったことは否定できないにしろ,その必要性は明確ではないのに対し,同房者自身の余罪に対する取調べ以上に,被告人に関する事情聴取をほぼ連日行っている状況からすれば,同房者をa署に勾留し続けたのは,被告人との同房状態を継続し,同房者を通じて被告人に関する捜査情報を得るためであったことは否定できないと認められる。
 
以上のとおり,同房者を通じて捜査情報を得る目的で,意図的に2人を同房状態にするために代用監獄を利用したものということができ,代用監獄への身柄拘束を捜査に利用したとの誹りを免れない。
2)房内での身柄留置の捜査への利用
 
前記4認定によれば,a署における同房者の事情聴取に当たっては,7月16日の最初の事情聴取時に,同房者に対して被告人には内密にするように依頼し,同房者が了承した上で,以後ほぼ連日同房者から事情を聴取している。実際にも,同房者は被告人から聞いた内容を捜査官に伝えていることを被告人に知らせていない。
 
捜査側は,同房者からの事情聴取にあたって,同房者に対して質問依頼をしたり,捜査情報を与えたりしないよう配慮しているが,同房者は,その供述によれば,同房者自ら被告人に質問して被告人の犯行告白を聞き出したというのであり,その供述する会話の状況からは,日ごとに積極的に被告人に働きかけ,時には自ら聞き出した内容のメモを作成し,被告人に「殺した事実はまちがいありません」等の文章をメモに記載させるなど,同房者の事情聴取に当たった警察官をしても,被告人に対して何らかの働きかけをしていくことは余り望ましくないとの感想を持つ程に,積極的に捜査に協力したと評価できる。
 
このような同房者の態度は,偶々同房になった者が吐露した犯行告白を聞いたというような状況とは異なり,捜査側の意を酌んで,聞き出した内容を捜査側に伝えることをあらかじめ意図して,しかも,被告人にはその意図を秘したまま,積極的に質問して被告人の「犯行告白」を得たものといえる。しかも,先に指摘したとおり,同じ房に留置して強制的に二人切りとなる状況を作出した上,その状態を相当な期間継続して,いわば必然的に会話を交わすようにしむけた状況の下で,同房者を捜査側に協力させて,被告人から話を聞き出させたということができる。そして,同房者からの事情聴取を担当する専従班を作り,事情聴取する態勢を取ってほぼ連日事情聴取を行い,同房者を介して,被告人の房内での様子を詳細に把握した。
 
逮捕勾留が被疑者の取調べのために存するとの立場によっても,身柄拘束を不当に犯罪捜査に利用することを許容するものでないと考えられるが,本件では,上記に指摘したとおりの状況にあり,被告人は房内での留置時においても自らはそれと知らされないまま,同房者を介して捜査機関による取調べを受けさせられていたのと同様の状況に置かれていたということができ,本来取調べとは区別されるべき房内での身柄留置が犯罪捜査のために濫用されていたといわざるを得ない。
3)被告人の供述拒否権への配慮不足
 
前記同房者は,捜査側の意図を酌んで,房内において被告人に発問するなどし,その結果,被告人から犯行告白を含む自己に不利益な事実を聞き出し,その内容は,同房者を介して調書化され,同房者が公判廷で供述する事態となった。
 
被告人の側からすれば,房内で同房者を信じて話をするにあたり,その話した内容が将来犯罪事実認定の証拠となり得ることなど全く想定しておらず,むしろ,捜査側には伝わらないことが前提となっていて,自己に有利か不利益かを考慮した上で話すような状況になく,当然のことながら,話をする際に黙秘権や供述拒否権を告知されるようなことはない。
4)虚偽供述が入る危険性
 
上記のとおり,捜査官にそのまま伝達するという意図を隠して同房者により聞き出された犯行告白に果たして供述の任意性があるのか疑問である上,同房者を捜査協力者とし,同人を介して,当該被疑者の房内での犯行告白を得るという捜査手法によって得られた供述には虚偽が入り込む危険が高いと言わざるを得ない。すなわち,犯行告白を聴取する同房者は一私人であって,捜査官のような事情聴取能力や聴取した事情を把握する能力に裏付けがあるわけではなく,同房者も逮捕あるいは勾留によって身柄を留置され,捜査機関の捜査を受け,捜査機関に自らの処分を委ねている立場にあるから,無意識的にであれ,捜査機関に迎合するおそれが内在していることは否定できない。本件についてみても,同房者は,窃盗及び覚せい剤取締法違反の被疑事実で勾留され,余罪がどれくらい立件されるか等について捜査機関に委ねられている状況にあったが,先の認定事実によれば,同房者は,捜査側から質問要望を受けたり,捜査情報の提供を与えられたことはなかったにしろ,同房者自ら捜査側の意を酌んで積極的に捜査に協力する姿勢をみせており,弁護人指摘のとおり,その全体的な供述は捜査機関が客観的な証拠を有している部分についてのみ不自然に詳細であるようにも見え,同房者が公判廷で述べる被告人の不利益供述が全てそのとおりされたものであるか否かには疑いが残る。
 
したがって,被告人の犯行告白には供述の真実性を担保する情況的な保障がなく,むしろ虚偽が入り込む危険性が指摘できる。
8 検察官主張の検討
 
検察官は,同房者が被告人から犯行告白を受けた行為には,被告人に暴力,あるいは脅迫や偽計を行い,または利益を提示するなどして犯行告白を迫ったといった事情は一切認められず,あくまでも同房者は被告人との私人間の会話の中で,被告人からその自由意思により犯行告白を受けたものに過ぎず,私人間の会話であれば,供述の強制の排除を目的とする黙秘権の保障や自白法則は問題とならない旨主張する。
 
しかし,検察官の主張は,形式的に同房者は捜査官ではないといっているに等しく,先に指摘したとおり,本件では,捜査機関が身柄拘束を利用して2人を同房にし,捜査側から要望したり捜査情報を提供したことはないにしろ,捜査側の意を酌んだ同房者が,捜査側に伝える意図を被告人には隠して,被告人から自白に相当する犯行告白を得ているといえるのであって,捜査機関が身柄拘束を利用して私人間の会話に名を借りて被告人の自白を獲得したと評価でき,本件を私人間の会話と同視することはできない。
9 犯行告白の証拠能力に関する結論
 
当裁判所も,同房となった者から,その者が体験した容疑者との会話内容など,容疑者に関する事情を参考聴取すること自体は,任意捜査として許されるものであると考えるし,その有用性を否定するものでもない。しかし,本件のそれは同房者からの参考聴取といえるものではなく,被告人の告白を直接同房者を通じて得ようとする捜査手法であり,先に指摘した諸点に照らすと,被告人の告白が真実であることの情況的保障がなく,虚偽自白を誘発しかねない不当な方法であって,その結果得られた犯行告白に任意性を認めることはできない。のみならず,本件の捜査手法は,身柄留置を犯罪捜査に濫用するものであり,他の捜査手法を用いることが困難であったということもできないから,適正手続の観点からも捜査手法としての相当性を欠くといわざるを得ない。そもそも本件捜査においては,被告人と犯行を直接結びつけるような客観的な証拠がなく,いきおい被告人の自白がほとんど唯一の証拠となりうる事案であり,その任意性の担保について捜査上特段の留意を払うべき事案であると考えられ,現に,被告人が窃盗容疑で逮捕されて以来,弁護人から別件逮捕であるとの主張や,余罪取調べの違法など種々の申立がされており,検察官は捜査指揮に当たって慎重な配慮を要する事案であったと考えられるのに,本件のような捜査手法を選択し,被告人の犯行告白を得て,同房者供述によってそれを立証しようというのであって,その証拠能力を認めることは,将来における適正手続確保の見地からしても相当でないと考える。
 
以上のとおり,同房者供述のうちa署で被告人から聞いたとする犯行告白部分については,任意性に疑いがあり,その証拠能力を認めることはできない。
第5 被告人の犯行告白の信用性について
1 緒説
 
以上のとおり,被告人の犯行告白を内容とする同房者の公判供述部分には証拠能力が認められず,被告人の犯人性は,その余の証拠から検討していくことになるが,検察官は,犯行告白の根幹部分は,告白に至る経緯が自然で,告白内容が一貫性があるものと評価でき,加えて,同告白を契機として右頚部刺創の存在が告白後に客観的に裏付けられた経緯があることから,高度の信用性が認められると主張するものの,当裁判所は,犯行告白には,被告人が犯人であると認定するに足りる程の信用性は認めがたいとの心証に達しているので,念のため,この点についても説明する。
2 犯行告白を聞いたとする同房者供述の信用性
 
弁護人は,被告人が房内で同房者に犯行告白をしたことはなく,犯行告白は同房者と捜査機関が連日の事情聴取を通じてねつ造したものであると主張し,被告人も同房者に犯行告白を述べたことはない旨の供述をする。
 
そこで,被告人から犯行告白を聞いたという同房者の供述が信用できて,被告人が「犯行告白」を述べたと認められるか否かについての判断を示す。
1)同房者供述の内在的問題点
 
まず前提として,同房者が供述する被告人が話したという内容は,同房者の公判供述から,被告人との会話において交わした事柄を,同房者が記憶した範囲で供述しているものと認めることができ,同房者,あるいは同房者と捜査機関とで,被告人の犯行告白なるもの一切を仕立て上げたものとは見られない。弁護人の指摘にかかわらず,同房者は,被告人から実際に何らかの話を聞き,その内容を警察官に申告していたことが認められる。このことは,被告人が房内で作成していたノートに同房者に信頼を寄せていたと見られる記載があることなどにも裏付けられている。
 
しかしながら,前記第4の4の2)〔8〕認定のとおり,8月4日の事情聴取において,警察官が同房者に,日付と曜日とが一致しないとして,被告人が話した内容を確認しており,内容自体に矛盾がないか確認しつつ,事情聴取がされている。また,同房者は,被告人から聞いた話として,被告人が3月23日に弁当店で購入したのは「親子丼」であると述べ,同房者作成のメモにも「親子丼」との記載があるが,被告人が取調べにおいて「豚丼」と供述し,他方,捜査機関が5月30日に「親子丼」のレシートの任意提出を受けていることは,弁護人指摘のとおりである。
 
そもそも,同房者は,被告人から,房内の日常生活の中で機会をうかがって,何げない素振りをして話を聞いていたもので,聞いた内容をその場でまとめて書き留めるなどという状況にはなかったこと,そうした状況下において同房者が被告人から聞いたと供述する内容が多岐にわたること等をも併せ考えると,同房者の述べる内容は,被告人の実際の発言内容に,捜査機関から確認されたり,同房者なりの理解を加えて整理している部分がある疑いは払拭できず,全てが被告人により発言された内容とみることはできない。
2)犯行告白の存在について
 
以上を踏まえて,同房者の供述する被告人の犯行告白等は,被告人が告白しそれを同房者が聞いたものであると認められるか否かについて検討する。
〔1〕j署における告白
 
j署において,被告人が同房者に,ナイフ1本で人が死ぬって知ってるとか,ライター1本であそこまで燃えるとは思わなかった等と告げたという点についてみる。同房者がこれらの内容を聞いたと述べたのは,a署で捜査への協力を依頼されてほぼ連日事情聴取を受ける前であり,被告人が拘置支所に移監された後の6月26日以後に,被告人とj署で同房であった他の者らと同様に,被告人と同房であった6月24日までの出来事を過去の体験事実として聴取された中で述べたものである。同房者は,被告人の話を,犯行に関する告白とは理解してもいなかったものと認められる。また,同房者は,これらの告白を聞いた経緯や状況について,同人の好きなミステリー小説に関する雑談をしていた模様や,同人が被告人に小説を勧めたのに対し,被告人が,今は重過ぎる等と答えた様子など,具体的で自然な供述をしており,一貫もしている。これらの事情から,j署における被告人の告白を聞いた旨述べる同房者供述は信用できる。このような話はしていないとする被告人の供述は信用できず,弁護人の主張は採用できない。
〔2〕a署における犯行告白
 
a署における被告人の犯行告白について,弁護人は,同房者の述べる告白内容が,捜査機関が客観的な証拠を有している事項に関する部分のみが不自然に詳しいと指摘し,結局,同房者が被告人から犯行告白を受けたとして述べる内容は,同房者の事情聴取において,捜査官が,同房者に捜査情報を明示黙示に示し,同房者が,それに応えるような内容の話を,被告人から聞いてもいないのに聞いたとして述べるという作業を重ねることによってねつ造されたものであるという。
 
しかしながら,同房者が7月27日の事情聴取で供述した「胸ともう1か所刺した」旨の犯行告白及び7月28日の事情聴取で供述した「胸と首のあたりを刺した」旨の犯行告白については,被告人が首を刺したと言っているとの内容を同房者から聴取したことを契機として,8月2日に,捜査幹部らが被害者の解剖医を訪れ,首の傷の有無について確認をした結果,死因に関する解剖医の診断が変更されたという経緯であったと認められ,既に解剖時から判明している左胸部の刺創のほか,被害者の右頚部にも刺創があるということは,同房者が被告人から犯行告白を受けたと供述した当時,捜査機関で把握していなかった事柄と認められる。
 
弁護人は,遺体の右頚部から肩にかけて熱凝固した血腫があること,したがって右頚部に損傷の可能性があることは,解剖当初から明らかであったと指摘するが,解剖医によれば,解剖時に首から肩にかけて熱凝固した血腫は存在したが,これは死後の熱変化により血管が破裂したことによるものである可能性が高く,その確認をする必要があるため右総頚動脈を切り取りホルマリン固定する旨を警察官に対し説明したというのであり,6月12日には,死因を心臓刺創による出血性ショックとする報告書も作成されていたのであって,上記血腫から捜査官において首に刺し傷がある可能性もあるという認識があったとはいえない。さらに、弁護人は,警察官の作成する捜査報告書の日付を遡らせることは容易であるとして,再鑑定後に同房者の供述が聴取された可能性を指摘するが,解剖医が死因を再検討したのは,捜査官らが訪ねてきたことが契機となっていることは,解剖医の供述によっても裏付けられている。
 
そうすると,同房者が被告人から上記犯行告白を聞き,これを捜査官に伝えたことから,本件事件の捜査が大きく進展を見せたことはまちがいなく,このように捜査を大きく進展させた犯行告白である「被害者を刺し殺したこと,被害者の胸と首の2か所を刺したこと」については,その存在が認められ,これを聞いたとする同房者の供述が信用でき,犯行告白の根幹内容は,被告人が同房者に話していたと認めることができる。 
3 被告人の犯行告白自体の信用性
 
そこで,犯行告白自体の信用性について検討する。犯行告白は,同房者が公判廷で供述するものではあるが,被告人が同房者に述べた被告人と犯行を直接結びつける証拠であり,自白に準じるものであるから,自白の信用性判断手法に従って,その信用性を検討する。
1)犯行告白の経緯
 
前記認定によれば,被告人は,j署での同房者に,犯行をほのめかしたとも理解できる告白をし,後にa署で同人と同房となった数日後に,自己が殺害したことを告白し,さらに首と胸の2か所を刺したことを告白したものであり,同房者に対して次第に信頼を寄せて犯行告白をしたものとみることができ,その経緯は自然ともいえる。また,内密の話として被告人が同房者に打ち明けたことは,その真実性を高める事情であるともいえる。
 
しかし,a署で同房者が聞いたとする犯行告白には,捜査協力を約した同房者が発問して得られた告白であるという証拠能力の判断で指摘した問題点がある上,同房者は,トランプゲームをしながら等,房内の日常生活における雑談として被告人から話を聞いていたものであり,その具体的な状況は明らかではないが,少なくとも取調室における捜査官による取調べと異なり,そもそも被告人にとっては,自己が体験した事実を話すべきであるという心理的規制とは無縁な状況であったことを併せ考えると,被告人の発言内容は,雑談として,その場の思い付きで,虚構も織り交ぜながらなされている疑いがある。
2)内容の変動,合理性
 
内容の変遷については,検察官が指摘するように,被告人の告白の根幹部分では,確かに変遷があまりないようにも見えるが,8月22日ころの事情聴取では,放火に食用油を使用したかのような内容もみられるほか,9月7日ころの事情聴取においては,同房者は,被告人が本当は1回刺した旨述べていたと供述しており,この点は,検察官が犯行告白の根幹部分とする内容を変更するものとなっている。このことに加え,検察官指摘の根幹部分以外のものではあるが,殺害日時について8月23日までは3月23日夜,8月27日と31日には3月23日昼と変遷し,首を刺したときに被害者が立っていた,寝ていた,座っていた,凶器について果物ナイフ,出刃包丁,包丁など等,変遷がみられる。さらに,凶器がフランスやイタリアで買ってきたアーミーナイフやサバイバルナイフであるとか,犯行態様について,ナイフで刺す,ナイフを引いた,もう一度刺したら血が止まった等と,突飛ともいえる内容も含まれている。
3)告白内容に客観的裏付けが存するか(秘密の暴露の存否)
 
検察官は,首を刺したとする犯行告白を受けて,解剖鑑定医が改めて被害者の遺体を調べたところ,遺体の右総頚動脈に外傷性の生前に生じた切損があることが明らかになったとして,告白内容には客観的な裏付けがあり,かつ秘密の暴露として高度の信用性があると主張する。(なお,弁護人は,同解剖鑑定医による鑑定書の証拠能力を争うが,同鑑定書が毒樹の果実にあたるとは解されない。)
 
そこで,頚部の創傷の有無について検討する。
〔1〕解剖鑑定結果の要旨
 
被害者の遺体を解剖した医師J作成の鑑定書3通及び第6回・7回・24回J供述(以下これらを「J鑑定」ともいう。)によれば,J鑑定の要旨は,次のとおりである。
 
被害者の遺体には,左胸部刺創に加え,右総頚動脈の下部の起始部から上方約3センチメートルの部位に長さ約0.5センチメートルの離開1個が認められ,この離開は,生前に受傷した刺創による切損であって,離開の長さ及び形状から有刃器によって生じたと考えられる。右総頚動脈の切損は,創傷治癒機転が生じたと認められ,生命活動が十分な状態で生じたものと認められるのに対し,左胸部刺創は,生命活動が極めて減弱した状態で生じたものと推認されるから,右総頚動脈の切損を生じた後に左胸部刺創を生じたと考えられる。
 
被害者が生前に首に損傷を受けたとする根拠は,離開部分につき,組織学的に観察すると,右総頚動脈の外膜に凝固した血液,すなわち血腫があり,その血腫の中にフィブリンが析出し好中球が軽度に出現していたことである。フィブリンは,生前に創傷が発生した場合,その血を止めるために出てくる物質であり,好中球は,白血球の一種であるが,抗菌作用があることから,炎症を止めるために創傷の部位に集まってくるものであり,これらの物質が出現して創傷の治癒に寄与するという働き(創傷治癒機転)は,生前に創傷が発生したことを示すものである,というのである。
〔2〕離開の形状について
 
検察官は,J鑑定を根拠に,離開の形状が直線的で,創縁及び創面の性状が整であることから,離開が鋭器損傷であると認められると主張する。しかし,検察官が離開として指摘する部分は,穴の形として確認されておらず,血管を切り開いた切開線から切り込みを入れたようなくさび形で,その創縁全体の形状が明確ではなく,創縁及び創面の性状についても,離開を撮影した写真からは,この点については一見して明らかではない。他方,医師である証人Kは,離開とされる部分は右総頚動脈の死後の破綻によって生じたものであるとの所見を述べているところである。K医師は写真を基に所見を述べるものにすぎず,総頚動脈そのものを観察した解剖鑑定医の所見が直ちに不合理とはいえないが,J鑑定も,その形状のみならず,生前の傷であったという組織学的な検討結果も踏まえて,外傷性の傷であると判断しているものと理解される。したがって,離開の形状のみから有刃器により生じた鋭器損傷であるとは,直ちには断定できない。
〔3〕創傷治癒機転を示すフィブリンの析出について
 
J鑑定は,右総頚動脈に存在した離開部の外膜周囲の血腫内部にフィブリンの析出及び好中球の軽度出現が認められ,これが被害者が生前に首に損傷を受けて創傷治癒機転の発生している所見であるとする。
 
これに対し,K医師は,その公判供述並びに鑑定書(以下,これらを「K鑑定」ともいう。)において,フィブリンは明瞭な繊維の形成を示す物質であり,繊維状あるいは網目状でなければならないが,右総頚動脈の外膜血腫の顕微鏡写真には繊維状網目構造は見られないので,フィブリンの析出は認められないとの所見を示している。このK鑑定は,医学書の写しの,「繊維状網目,ときには均一な凝固物質のように見える」との記載や,別の医学書の,フィブリンとは,血液の中の血漿成分に含まれるフィブリノーゲンから形成される繊維性蛋白である旨の記載にも沿うものである。また,医師であるLも,本件ではフィブリン析出は見られないと所見を述べている。
 
J鑑定は,ぼやっとなってる所見が,フィブリンが析出してるということである,鑑定書の添付写真には繊維状,網目状になっている部分は確認しにくく,映っている概ね全てが均一な凝固物からなるフィブリン塊であると説明するが,K医師らの指摘を踏まえると,J鑑定によって,明確にフィブリンの析出があるとは認定し難い点がある。
〔4〕創傷治癒機転を示す好中球の出現について
 
好中球の出現について,J鑑定は,好中球は白血球の40から60パーセントを占めるもので通常の血液内にも含まれるものではあるが,離開の外膜の血腫内に認められる好中球の出現頻度が通常の血液内に比較して高いとして,創傷治癒機転が生じたことを有意に示す程度に好中球が軽度に出現していると認められるとの所見を述べる。
 
これに対し,K鑑定は,J鑑定が指摘する顕微鏡写真について,好中球は見られるが,出現している好中球の数で創傷治癒機転が発生しているとはいえない所見であるとし,また,右総頚動脈の外膜血腫の中に好中球が見られたとしても,創傷治癒機転とは無関係である旨の意見を一貫して述べている。K医師は,その根拠として,創傷治癒機転は創傷の局所に生じるものであるから,そこから離れた外膜の血腫を検査しても意味がないこと及び血腫そのものは血液の凝固機転によって起こるもので,受傷後1時間くらいで起こるのに対し,創傷治癒機転は,その後に発生するものであるから,既に固まった血腫が創傷治癒機転の影響を受けることはあり得ないことを指摘する。医学書にも,創傷治癒機転として好中球が遊走,すなわち出現するのは,損傷部の局所であることを示す内容の記載があり,上記Kの説明に沿うものであるといえる。
 
好中球について,J鑑定自体,「軽度」に出現しているとの所見であり,K鑑定の指摘も踏まえると,好中球の所見から,離開が生前の傷であるとするには合理的な疑いが残るといわざるを得ない。
〔5〕その他の事情について
 
検察官は,右総頚動脈の離開は,右総頚動脈の外側方,頚部の外表側にあると主張し,J鑑定をその根拠として引用する。しかし,右総頚動脈を写した写真からは,肩の方に向かう動脈分岐部との位置関係などからは,むしろ離開は頚部の身体内側方にあるのではないかとも見られ,K医師,L医師の見解も内側であるとしており,離開が右総頚動脈の外側方に位置するという点についても疑問がある。
〔6〕離開に関する認定判断の結論
 
以上検討したとおり,被害者の右総頚動脈の離開が,生前に生じた外傷性のものであると認めるには,なお合理的な疑いが残り,したがって,被害者の頚部に生前に生じた外傷性の傷があると認めることはできない。
4 被告人の犯行告白の信用性についての結論
 
以上のとおり,被害者の首を刺した後に胸を刺したとの犯行告白には,首を刺したという枢要部分について,客観的証拠による裏付けがあるとするには疑問が残り,したがって,首を刺したと述べた点が秘密の暴露であるともいえない。その余の信用性に関する事情を考慮しても,被告人の犯行告白に,被告人の犯人性を認める程の信用性があるとは認めがたい。
第6 検察官が主張する間接事実等の検討
1 検察官が主張する間接事実の検討
 
検察官は,
・本件犯行現場の状況や被害者が自宅に引きこもって生活を送っていた状況,さらに被害者の殺害方法などに照らすと,自由に被害者方を訪問し,同人に容易に近づくことができた被告人が,その犯人である可能性が高いと考えられること
・実家の財産管理や被害者の妻への対応等をめぐり被害者に対する憤まんの情を募らせていたことがうかがわれるなど,被告人には,被害者に対する犯行動機が存すること
・犯行直前と目される3月23日被告人が被害者名義の預金を別の被害者名義の貯金口座に預け替えていること
・被告人が犯行に及ぶ機会があり,犯行が可能であること
・犯行日と目される3月23日,24日の行動に関する被告人の供述が不自然に変遷し,あいまいであること
などを挙げて,被告人が犯人であると主張するが,これらの事情が関係証拠により認められるとしても,そのいずれもが被告人が犯人かもしれないという嫌疑をうかがわせる事情に過ぎず,他方,被告人は,5月23日の逮捕以来4度逮捕勾留され本件についても取調べを受けたが,現在に至るまで,捜査公判を通じて本件殺人,放火に関与したことを否認している事情も存するのであるから,それら検察官主張の状況事実のみでは,被告人の犯人性を基礎付ける決定的なものとはなり得ないし,それらの事情を総合しても,被告人を犯人であると推認することはできない。
2 検察官からの証人尋問請求の却下について
 
なお,当裁判所は,被告人が火災直前に被害者宅に行ったことなどを立証趣旨とする証人Pを証拠採用せずに検察官の証人尋問請求を却下した。同証人は,弁護人が不同意とした供述調書の供述者であり,その供述調書の立証趣旨からすると,被告人が火災当日の午後5時過ぎに被害者宅に灯油を持って行ったと被告人から聞いた旨を立証するための証人であると解されるところ,仮に同人がそのように証言し,証言したとおりのことを被告人から聞いたという事実が認定できたとして,さらに上記状況事実を加味して総合しても,その事情から直ちに被告人が火災直前に被害者宅に行ったことを合理的な疑いなく推認することまではできないと考えられる。
第7 結論
 
以上のとおり,本件殺人,放火の各公訴事実については,被告人と犯行とを結びつける証拠に種々の疑問があり,被告人が真犯人であると断ずるだけの確たる心証を形成するには至らなかったものであって,結局,平成16年10月25日付け起訴状記載の公訴事実及び同年11月16日付け起訴状記載の公訴事実については,いずれもその証明がないことに帰着するから,刑事訴訟法336条により,被告人に対し,無罪の言渡しをすることとする。
平成20年3月5日
福岡地方裁判所小倉支部第2刑事部
裁判長裁判官 田口直樹 裁判官 野路正典 裁判官 諸岡亜衣子

LINEアカウントでお得な無料相談を受ける!上記の記事でよく分からない部分を無料で弁護士に相談することができます

「LINE無料相談」での実際の相談例をご紹介します

お客様の感謝の声はこちらをクリック。アトム法律事務所は1人1人のお客様を大切にしています。 横浜・川崎で刑事事件に強い弁護士をお探しなら 刑事弁護ホットライン 0120-631-276 法律相談のご予約は日本全国24時間受付無料 すぐに弁護士が警察署に向かいます。まずはお電話ください。 親身で頼りになる刑事弁護士とすぐに相談できます。