殺人福岡15

殺人福岡15

福岡地方裁判所/平成12年(わ)第930号,第1078号,第1216号

主文
被告人を死刑に処する。
押収してあるゴルフクラブシャフト1本(平成12年押第232号の1),ゴルフクラブグリップ1個(同号の2),散弾実包1個(同号の3)を没収する。

理由
第1
(犯行に至る経緯)
 
被告人は,昭和22年,福岡県田川郡において出生し,昭和37年同郡の中学校を卒業後,実家の農業を手伝っていたが,昭和40年ころから,暴力団員として活動するようになった。昭和41年12月最初の婚姻をし,女児をもうけたが,昭和45年1月離婚し,昭和47年9月,Iと婚姻し,女児をもうけたが,昭和60年8月に離婚した。昭和62年9月にHと婚姻し,女児をもうけたが,平成2年9月に離婚した。平成4年4月にはIと再度婚姻し現在に至っている。
 
被告人は昭和40年ころ,初代Z会甲組組長甲の舎弟となったが,その後,昭和48年に甲組長と喧嘩別れしたことから,同じZ会の初代F組組長Fの預かりとなり,初代F組若頭になった。その後,平成4年6月22日に銃砲刀剣類所持等取締法違反,火薬類取締法違反等により服役し,平成9年1月24日最終刑の服役を終えた。その間,Z会は代替わりし,3代目Z会会長はFになっており,被告人は,出所後3代目Z会会長秘書となり,同年4月1日A組を旗揚げして同組組長となり,福岡県××郡××町××所在の当時の自宅敷地内に同組事務所を構え,同年9月21日には,正式にA組の盃事を行い,組長として被告人,代貸(舎弟頭)としてC,若頭としてB,舎弟としてD外1名,組員としてY,E(後に,被告人との養子縁組によりEを名乗る。)外3名の総勢10名がA組構成員となった。
 
Z会においては,2代目Z会会長が死去した後,当時Z会若頭FとZ会二代目会長代行乙の間で3代目Z会会長の地位を巡って争いが生じ,Z会F組組長Fが3代目を承継することになったが,乙派の3代目丙組組長丁はこれに不満を持ち,平成6年11月24日,丁の配下の丙組組員がFを銃撃する殺人未遂事件(以下,「F会長襲撃事件」という。)が発生した。Z会は,初代丙組組長丙,2代目丙組組長Xを除籍処分とし,丁を絶縁処分にするなどして,丙一派をZ会から追放した。平成9年4月29日,愛知県内において3代目Z会2代目F組組員により,3代目丙組組長丁は射殺され,同年5月丙が自殺し,歴代丙組組長の中で生存しているのはXのみとなった。
 
被告人は,F会長襲撃事件が発生した当時は服役中であったが,前記のように平成9年1月服役を終えてZ会に復帰し,同会の会長秘書になるとともに,同年4月には,A組を結成しZ会会長Fの側近としての地位を確固たるものすべくその機会をうかがっていたところ,前記のとおり,歴代丙組組長唯一の生存者であるXを殺害することはF会長襲撃事件の報復を果たしたものと評価され,Z会内での自己の勢力拡大を図るための絶好の機会であると考え,A組を挙げて,Xの殺害を実行することを決意した。
 
その後,被告人は,平成9年9月中旬ころ,被告人方兼A組事務所に,A組代貸のC,若頭B,舎弟Dを呼びつけた上,Cらに対し,X殺害計画を打ち明け,Bに対し,「Xを殺れ。」と指示して実行役として選定し,Cらには,Bを援護して確実にXを殺害するように指示し,Bらはこれを結局承諾した。
 
その後,被告人は,同年9月末ころ,Bに対し,X殺害に使用する凶器としてけん銃及び実包を手渡し,同年10月3日ころには,Dを前記被告人方に呼びつけ,けん銃及び実包を手渡しながら,「Bを実行犯にするつもりやったけど,D(D),お前もBと一緒にやってくれ。」と指示した。被告人の指示を受けて,B,Cらは,Xの動向を探るなどし,また,変装用の作業服等を準備するなどし,その進捗状況を被告人に報告した。
 
被告人は,BらがいっこうにXを殺害しないことに業を煮やし,平成9年10月5日夜,B,C,Dを自宅兼A組事務所に呼び出し,いつまでもX殺害が実行されないことについてC,B,Dを怒鳴りつけた。その後,被告人は,Bらと共に福岡県田川郡方城町大字伊方1,541番地1付近路上(いわゆるロマンスヶ丘)において,けん銃の試射を行い,更に,Bらを伴って福岡県××郡××町××所在のX方東側裏の高台に赴き,同所から,同人方をのぞき,自宅で来客と話しているXの姿を確認した上,けん銃でXを撃つ仕草をするなどして,自己のX殺害の意思が強固であって,一刻も早く実行するように暗に指示した。その後,被告人はB,D,Cに対し,X方の駐車車両に意図的に自動車をぶつけて「物損事故を起こした。」旨嘘を言ってXをその自宅から誘い出した上で,Xが油断したところをけん銃で射殺するよう具体的に指示し,更に犯行に使用するための車両の準備ができ次第,直ちに行動するように告げた。ここにおいて,被告人とB,C,Dとの間にXをけん銃を使って殺害する旨の最終的な共謀が成立した。
 
その後Yは,被告人の指示により,翌6日午前2時ころ,犯行に使用するための普通乗用自動車三菱ディアマンテ(以下,「ディアマンテ」という。)を盗み,それを被告人方車庫に隠し置き,遅くともこの時点までに被告人らとYとの間でも前記共謀が成立した。その後,被告人は,Cに対し,自動車の段取りができたなどと伝え,Cは,Y所有の普通乗用自動車に乗車し,B及びDは前記盗難車(デイアマンテ)にそれぞれ乗車して,同日午後9時30分ころ,X方に向かった。 
(罪となるべき事実)
 
被告人は,C,D,B及びYと共謀の上,
1 平成9年10月6日午後10時ころ,福岡県××郡××町××所在のX方前路上において,Bが,Xの妻J所有の駐車車両に,前記犯行のために準備された盗難車両(ディアマンテ)をぶつけ,Jを呼び出した上,同女に「物損事故を起こした。」旨申し向けるなどして同女と面談しながら,Xがその自宅から出てくるのを待ち,妻を心配して自宅から出てきたX(当時54歳)に対し,同日午後10時15分ころ,前記X方前路上において,殺意を持って,D,Bが,こもごもX目がけて,それぞれ所携の回転弾倉式けん銃各1丁から実包合計約11発を発射し,そのうち8発を同人の背部等に命中させ,よって,同日午後11時45分ころ,同県飯塚市芳雄町3番83号麻生セメント株式会社飯塚病院において,Xを背部の射創によって生じた肺損傷及び腹大動脈損傷に基づく失血により死亡させて殺害すると共に,法定の除外事由がないのに,不特定若しくは多数の者の用に供される場所においてけん銃を発射した。 
2 法定の除外事由がないのに,同日午後10時15分ころ,前記X方前路上において,前記回転弾倉式けん銃2丁をこれに適合する実包約11発と共に携帯した。
第2
(犯行に至る経緯)
 
被告人は,平成9年10月7日,Yが,第1の犯行現場に遺留された前記盗難車両(ディアマンテ)にA組組員Tが使用していた車両のナンバープレートを取り付けたことから,警察は,Tを取り調べた結果それを持ち出すことができるのはYしかいない旨の情報を得て,YのX事件への関与を疑い,Yを覚せい剤取締法違反の容疑で逮捕しようとしているとの事実をつかんだ。そこで,被告人は,警察からの追及を免れさせるため,Yを佐賀県藤津郡嬉野町所在のアパート「P荘」に匿ったものの,その後Yが警察に逮捕されて取調べを受ければ,Yの供述から,被告人がX殺害に関与していることが発覚するのを恐れて警察に逮捕される前に口封じのためにY殺害を決意した。そこで,被告人は,同年10月8日,当時被告人が入院していた福岡県××郡××町××所在のK医院207号室にCを呼び寄せ,同人に対し,Yが逮捕された場合,X殺害を自供してしまう懸念を述べ,Y殺害を指示したが,Cは仲間を殺害することは外道の仕事なので「それだけはできません。」などと言って,そのY殺害の依頼を拒んだ。しかし,被告人は更に同月12日,C及びDを前記病室に呼び寄せ,同所において,C及びDに対し,「Yの件やけどもう一度考え直せ。」「D,Cには言っとったけどのう,Yを始末せい。」「あれはパクられたらペラペラいくぞ。Yがしゃべったら組がつぶれてしまう。」「おまえ,おれの気性を知っとろうが。」「おれが切れたら分かろうが。」「大(被告人・A組)を取るか,小(Y)を取るか。」「俺の目をつぶすんか。」「最終的にはおれに行かせるんか。」などと強く迫った。C及びDは,組長の指示とはいえ,身内であるYを口封じのために殺害することは「外道」のすることであるとして,土下座して被告人の翻意を促したが,被告人の決意は固く,結局被告人の指示に従ってYを殺害することを承諾した。Cは,Yを確実に殺害するため,平成9年10月12日午後9時21分ころEを電話で呼び出した上,Yを殺害することを伝え,更に同日午後10時17分にD方へ電話し,同人を迎えに行った。その後,C,D,Eは,佐世保市内でYを殺害するための場所を長崎県佐世保市心野町2,112番地28の畑に決めた上で,翌13日午前2時35分ころから同日午前9時35分ころまでの間,同市常磐町8番8号富士国際ホテルに宿泊し,翌13日同市心野町2,112番地においてYの死体を埋めるための穴を掘った上で,Cは佐賀県藤津郡嬉野町所在のアパート「P荘」に身を隠していたYを迎えに行き,同人を呼び出して自動車に乗せた上,同日午後3時30分ころ,同町大字下宿丙2,300番地の2所在のコンビニBig嬉野において,再び,D,Eと合流し,長崎県佐世保市心野町2,112番地28の畑へと赴いた。
(罪となるべき事実)
 
被告人は,C,D及びEと共謀の上,Y(当時40歳)を殺害してその死体を遺棄しようと企て,
1 平成9年10月13日午後5時ころ,長崎県佐世保市心野町2,112番地28の畑において,C,D,Eが,所携の針金で,前記Yの頚部を強く締め付け,よって,そのころ,同所において,同人を頸部圧迫による窒息により死亡させて殺害した。
2 同日午後5時過ぎころ,C,D,Eが,Yの死体を同所から約25メートル離れた,前記畑北側奥にあらかじめ掘っていた穴まで運んで土中に埋没し,もって死体を遺棄した。第3 被告人は,平成11年8月12日午後6時25分ころ,福岡県京都郡豊津町大字国作210番地セブンイレブン福岡豊津店駐車場において
1 a(当時50歳)に対し,先端を斜めに切断して槍状に加工したゴルフクラブシャフト(平成12年押第232号の1及び同号の2)でその左大腿部を数回突き刺すなどの暴行を加え,よって,同人に対し,加療約14日間を要する左大腿刺創の傷害を負わせた。

2 b(当時59歳)に対し,前記ゴルフクラブシャフトでその左胸部を1回突き刺すなどの暴行を加え,よって,同人に対し,加療約14日間を要する左胸部刺創の傷害を負わせた。
第4 被告人は,法定の除外事由がないのに,平成11年9月22日ころ,福岡県嘉穂郡嘉穂町大字大隈11番地の33○○○方南方約50メートル先牛舎において,覚せい剤であるフエニルメチルアミノプロパンの塩類若干量を含有する水溶液を自己の左腕部に注射し,もって,覚せい剤を使用した。
第5 被告人は,
1 dが被告人に対して多額の賭博の借金を背負っているにもかかわらず,これを返済しようとせず,さらに,被告人の名前を利用して借金を重ねていたことに憤激して,d(当時50歳)の殺害を決意し,平成10年10月13日午前5時ころ,福岡県××郡××町××d方車庫北側ブロック塀付近通路において,同人方中庭に佇立していた同人目がけて,前記ブロック塀越しに,所携の自動装てん式散弾銃で散弾実包4発を発射し,同人の腰部等に全部命中させたが,同人に入院加療53日間を要する両腎臓損傷,脾損傷等の傷害を負わせたに止まり,殺害の目的を遂げなかった。
2 法定の除外事由がないのに,第5の1記載の日時ころ,前記d方車庫西側側溝の南側角付近路上において,前記自動装てん式散弾銃1丁及び火薬類である散弾実包5発(平成12年押第232号の3はこのうちの1発であり,鑑定のため,試射済みのもの)を所持した。
第6 被告人は,平成12年1月9日午前7時15分ころ,福岡県行橋市行事3丁目12番1号福岡県行橋警察署留置場内運動場において,e(当時40歳)に対し,その顔面を蹴り付けるなどの暴行を加え,よって,同人に全治約1週間を要する右眼結膜裂傷,角膜びらん,眼球打撲症,結膜下出血の傷害を負わせた。
(証拠の標目)
省略
(事実認定の補足説明)
第1部 判示第1,第2の各事実についての補足説明
(以下,年月日については,特に記載しない限り平成9年を意味する。)
第1 争点
1 主任弁護人の主張
 
主任弁護人は,次のとおり主張する。
 
被告人は,判示第1の各事実につき,B,C,Dらに対し,けん銃を使ったXの殺害(以下,この殺人,銃砲刀剣類所持等取締法違反事件を「X事件」という。)を指示したことはない。判示第2の各事実についても,C,Dらに対し,Yの殺害,死体遺棄(以下,この殺人,死体遺棄を「Y事件」という。)を指示したことはなく,X事件及びY事件のいずれの事件においても,共犯者とされる者との間に共謀はない。X事件は,3代目Z会会長FがQ,CにXの殺害を指示し,Q,CにD,Bが加わってXの殺害行為に及んだものである。Y事件は,Yの口からX事件への関与が発覚することを恐れたC,Dが,X事件を隠蔽するために自発的にYを殺害したのであり,被告人は,C,Dらに対し,Y殺害を指示したことはない。したがって,被告人はいずれの事件でも無罪である。
2 検察官の主張
 
検察官は次のとおり主張する。
 
被告人は,9月中旬ころ,B,C,Dに対して,Xを殺害するとの意思を伝えていたが,Bらがなかなか実行しないことにしびれを切らし,10月5日,C,B,DらをA組事務所に呼び出し,同人らがX殺害をなかなか実行に移さないことを叱咤し,ロマンスヶ丘に自動車で移動し,同所で,けん銃の試射をした上で,X方付近へ赴き,C,D,Bと共にX方裏手にある高台からX方をうかがった上,Xの在宅を確認している。それを見た被告人は,X方の自動車に別の自動車をぶつけて事故を装い,Xを呼び出し,B,DがXを射殺し,Cが逃走の援助をするように具体的な指示をし,翌6日B,DはX殺害に及び,CはB及びDの逃走を援助した。
 
その後,X事件の準備行為に関与したYがA組組員であったT(以下,「T」という。)が使用していた自動車のナンバープレートをX事件に使用した車両に取り付けていたことから,警察はX事件についてA組の関与を疑った。これを知った被告人は,X事件について,Yの供述から被告人やA組の関与が発覚することをおそれ,10月12日,入院中のK医院(以下「K医院」という。)の病室において,D,CにYの殺害を指示し,CらはEに協力を求めた上で,翌13日第2の公訴事実記載のとおりYを針金で絞殺し,その遺体を地中に埋めた。
 
したがって,X事件,Y事件いずれも,被告人の指示に基づき敢行されたものであり,被告人はそのいずれについても共同正犯として責任を負う。
3 争点
 
主たる争点は,X事件及びY事件において被告人が共犯者らに犯行を指示したかどうか,すなわち,被告人と共犯者との間の共謀の有無にあるので,以下,この点についての当裁判所の判断を示す。
 
なお,以下,証人,被告人の供述について,それが公判供述なのか公判調書中の供述部分なのか,尋問調書なのかという点については,前記証拠の標目に記載したとおりであるので,以下の説明中で引用する場合は,それを区別せず,「証言」あるいは公判回数のみを記載する。
第2 客観的事実
 
関係各証拠によれば,以下の各事実が認められる。
1 被告人の暴力団組員としての経歴等
 
被告人は,昭和40年ころ,初代Z会甲組組長甲の舎弟となり,その後,昭和48年に甲組長と喧嘩別れしたことから,同じZ会の初代F組組長Fの預かりとなり,初代F組若頭になった。その後服役し平成9年1月23日最終懲役刑の執行を終了した。その間,Z会は2代目,3代目と代替わりし,3代目Z会会長はFになった(被告人の警察官調書(乙1))。その後,被告人は,前刑終了後の平成9年1月には,3代目Z会会長秘書(Z会内の序列では7番目位の地位(被告人12回公判52項))に就任し,同年4月1日,A組を旗揚げし,福岡県××郡××町××の自宅にA組事務所を構えた。同年9月21日には,正式にA組の盃事を行った。当時,組長を被告人,代貸C,若頭B,舎弟としてD外1名,組員としてY,E,T外2名の総勢10名がA組構成員となった(乙1)。盃事後,被告人は,同日から同年10月16日まで,K医院へ入院した。
 
被告人は,Z会から,平成11年2月15日除籍処分を,同年10月20日絶縁処分を受けた。
2 被告人と共犯者の関係
(1)Bとの関係
 
Bは,暴力団山虎会に所属していたが,4月24日,殺人未遂等の前刑執行終了後,山虎会関係者からの勧めもあり,6月ころ若頭としてA組に入った。
 
Bは,A組に入るまで被告人との間に面識はなかったが,被告人と接する中で,尊敬できる人との思いを抱くようになった(Bの検察官調書謄本(不同意部分を除く。甲65))


(2)Cとの関係
 
昭和58年ころ,Cは,被告人に勧められてF組組員となっていたが,平成2年初めころ家業である鮮魚店に専念するためZ会を抜けた。その後,平成9年1月ころ刑務所から帰ってきた被告人からA組を旗揚げするので手伝って欲しいと言われ,家業の魚屋も経営不振であったことから,A組に入ることにし,A組代貸になった(Cの検察官調書謄本(不同意部分を除く。甲130),第5回公判19項以下)。
(3)Dとの関係
 
Dは,昭和53年ころ,福岡刑務所に服役中,被告人と知合いになった。その後,Dは,出所しZ会のR組長の組に入ったが,平成元年ころ組を抜け,四国で働いた後,小倉に戻り,事件を起こすなどして,小倉刑務所に服役中の平成7年ころ,被告人と再会した。その後,被告人に誘われ,A組に入ることになり,2月ころから被告人方に出入りするようになり,4月,被告人がA組を旗揚げしたことから,Dはこれに参加した。当時,Dは,Z会から直接代紋をもらっておらず,被告人の個人的舎弟の立場にあった(Dの検察官調書謄本(不同意部分を除く。甲68),D証言)。Y事件の被害者YはDの舎弟であった(被告人の検察官調書(乙3))。
(4)Eとの関係
 
Eは,平成7年初めころ,小倉刑務所服役中に被告人と知り合った。Eは,覚せい剤などが原因で,親族から見放された状態にあったところ,被告人から,「行くところがなかったら俺の所に来んか。」「従兄弟に建設会社の社長をしよるとがおるから,そこに引受人になってもろうて仕事をせんか。」等と言われた。被告人が1月出所し,6月にEも仮出所した。Eは,被告人から組員になるように勧められ,色々被告人に世話を受けていたことや,被告人のことを父親のように感じたことから,7月中旬ころ,A組組員になり,9月21日には正式に盃を受けてA組組員となった(Eの検察官調書謄本(甲136))。
(5)Yとの関係
 
平成8年ころ,Yは,知合いの伊豆組組員を通じてDと知り合った。その後,Dの個人的舎弟の立場で自動車の運転等をしていたが,DがA組組員となった後,Yも,A組組員になりたいとの気持ちを持っていたことから,Dの取り次ぎにより,YはA組組員となった(Dの検察官調書謄本(甲134。但し,不同意部分を除く),D第8回公判)。
3 Z会内の抗争
 
平成6年5月25日ころ,Z会2代目会長であったRが死亡したことから,3代目会長を巡る争いが当時のZ会若頭FとZ会二代目会長代行乙の間で生じ(被告人の検察官調書(乙3)),その後,Z会F組組長Fが3代目会長を承継することになったが,乙派の3代目丙組組長丁はこれに不満を持ち,平成6年11月24日,丁の配下の丙組組員がFを銃撃するF殺人未遂事件(以下,「F会長襲撃事件」という。)が発生した。そこで,Z会は,初代丙組組長丙,2代目丙組組長Xを除籍処分とし,丁を絶縁処分にするなどして,丙一派をZ会から追放した。その後,丁は,4月,愛知県内において3代目Z会2代目F組組員によって射殺され,5月には丙が自殺し,歴代丙組組長の中で生存しているのはXのみとなった。
4 X事件の発生前後の状況と同事件の発生
 
B,C,D,Y,Eらは,X殺害の準備として,作業着などを購入したり,X方の下見に出かけたり,X方前付近に駐車していた自動車のナンバーを調べるなどの準備をした(Bの検察官調書謄本(不同意部分を除く。甲67))。
 
白色のトヨタクレスタ(普通乗用自動車)が,9月30日午後9時30分ころから10月1日までの間に盗まれ,10月9日に福岡県鞍手郡宮田町大字本城555番地の1JA若宮田農協「四季彩館」駐車場で発見された。
 
ディアマンテが,10月6日午前2時ころ盗まれ,その後本来のナンバープレートが取りはずされて別のナンバープレートが取り付けられ,X事件の犯行現場に遺留されていた。
 
10月6日夕方,被告人方の車庫には,Yが窃取してきたディアマンテが駐車されていたが(Eの検察官調書謄本(甲136)),同車をBが運転し,助手席にDが乗車し,Cが,Y使用の自動車を運転して,犯行現場に赴き,D,BをX殺害の実行犯として,Cを逃走車両の運転手との役割分担の元,福岡県××郡××町××所在のX方付近空き地に駐車されていたJ名義の自動車にディアマンテをぶつけ,交通事故を装って,Xの妻を呼び出し,自動車の傷を見るなどしていたが,妻を心配して自宅から出てきたXに対し,D,Bがけん銃を発射し,これによりXは死亡した。
 
犯行後,C運転の車両により,逃走し,途中,けん銃や当時着ていた衣類を捨てるなどし,午後11時ころには,C,D,Bは,飯塚市内所在のナイトラウンジ「林林」(以下「林林」という。)においてアリバイを作るために飲酒し,YやEを呼び出した。「林林」において,Cは,被告人に対して,電話で,X事件を報告した。被告人は,犯行当日である10月6日午後9時ころK医院から外出し,スナックのママとラブホテルにいたが,Cから電話でX事件の報告を聞いて,A組事務所等に寄った後,10月7日午前4時10分に病院へ戻った(被告人の公判供述,押収してある診療録1冊(平成14年押第30号の1))。
5 Y事件の発生前後の状況と同事件の発生
 
Yは,犯行に使用されたディアマンテに当時A組組員であったTのナンバープレート(筑豊××ま××××)を取り付けていた(甲62,123)。このため,飯塚警察署留置場に勾留されていたTは10月7日午前2時ころ,警察から事情を聞かれ,上記ナンバープレートを持ち出せる人物はYしかいない旨の話をした。Tは,同日午後2時43分ころから午後3時21分までの間自己の弁護人と接見の上,X事件の犯行現場に残された盗難車につけられていたナンバープレートはT名義の物であり,これを持ち出せるのはYしかいないことを警察に話した旨を伝え被告人にも伝えるよう依頼した。同弁護人は被告人にその旨を伝えた(被告人の公判供述)。
 
X事件の翌日である10月7日には,警察によりZ会の関係場所に対する捜索差押えが行われた。この際,Y方から,覚せい剤が発見された。このため,Yは,佐賀県藤津郡嬉野町にあるOが所有し,被告人の前妻のHが以前借用しその後も被告人が借用していたP荘の1室に身を隠した。
 
Cは,10月12日午後9時21分にEに電話をかけて呼び出した上,Yを殺害することを伝え,更に同日午後10時17分にDに電話をかけて同人を迎えに行った(Eの検察官調書謄本(甲136))。その後,C,D,Eは,長崎県佐世保市内でYを殺害するための場所を探した上で,同月13日午前2時35分ころから同日午前9時35分ころまでの間,佐世保市常磐町8番8号富士国際ホテルに宿泊し,同日同市心野町2,112番地28付近においてYの死体を埋めるための穴を掘った上で,CがYを迎えに行き,Yが所持していた被告人の元妻であるHの携帯電話に電話をかけて呼び出して自動車に乗せた上,同日午後3時30分ころ,佐賀県藤津郡嬉野町大字下宿丙2,300番地の2所在のコンビニBig嬉野において,再び,D,Eと合流し,同日午後5時ころ,犯行現場である長崎県佐世保市心野町2,112番地28付近においてYを針金で首を絞めて絞殺し,その遺体を同所付近に掘っていた穴に運んで埋めた。その後,犯行に使用したスコップ,山芋堀,針金,ペンチ,Yが所持していたバック等を長崎県北松浦郡世知原町木浦原免字熊ノ木1,287番地農業用熊ノ木溜池に投棄した。
 
10月13日,Cは,福岡県飯塚市所在のD方でDを下ろした後,同日午後9時51分ころ,K医院の被告人へEが電話で病院を尋ねる旨連絡を入れた上で,同日午後10時ころ,CはEとともに,被告人の入院するK医院へ赴き,Y殺害の報告をした。
6 両事件後の事情
 
被告人は,11月1日,Eを養子にし,その後,平成14年9月24日,Eと協議離縁した(戸籍謄本(弁6))。
 
被告人は,平成10年6月ころZ会の序列では7番目位の地位にあった会長秘書から,F会長,若頭に次ぐナンバー3の地位であるZ会の総本部長の地位に正式に就任した(被告人公判供述第12回公判43ないし53項)ものの,平成11年2月15日付けでZ会を除籍処分となり,同年10月20日絶縁処分となり,A組は事実上消滅した(乙1,被告人公判供述)。
 
Z会傘下の組員であるQは,平成10年4月に除籍処分になり,更に,平成11年1月19日にはZ会○○組組員により殺害された。
 
A組が解散後,C,B,DはA組を除籍され,F組組員になり,Bは,同年五,六月ころ,3代目Z会3代目F組若頭となり(Bの警察官調書写し(弁7)),Cは同組代貸に,Dは同組舎弟になった(C第6回公判459,760項,D第8回公判557,558項,E第10回公判235項)。
第3 共犯者の供述内容及びその信用性
1 X事件
(1)各共犯者の供述内容
〔1〕Bの供述(3回,4回公判)
 
Bが被告人からX殺害の指示を受けた状況,X事件前の準備状況や事件後の状況等についてのBの供述の要旨は以下のとおりである。
 
9月中旬ころ(盃事の前),被告人から被告人方へ呼び出された,被告人方応接間には,被告人,C,Dがいた。そこで,被告人は,私に対し,「Xをや(殺)る,おまえがせい。」と命じ,C及びDには「(B)徹の手伝いをしろ。」と命じた。被告人は,その理由については説明しなかったが,私は,Z会の3代目跡目争いの報復と,3代目会長であるFを襲撃した丙組一派に対して報復を加えることは被告人自身の手柄になることであると思った。私は,組長からの命令であり,断りきれなかったが,時間が経てば被告人の気持ちも変わるかもしれないと思い,「期限を切らないで下さい。」と伝えた。
 
9月末ころ,被告人方の応接間において,X事件に使用するため,被告人からシルバーの回転弾倉式のけん銃と実包を10発位手渡された。その後,同月下旬ころ,Dから,「兄貴(被告人)からけん銃をもらったから,自分も一緒に行くばい。」との連絡を受け,Dも殺害の実行犯になるよう指示されたことを知った。
 
その後X殺害の準備として,CやDらと打合せをしたり,X方付近の下見,自動車の出入り,洋服の都合,X方付近に駐車している車両のナンバーの確認などを行った。準備には,その他にもEやYが加わり,被告人自身が下見に加わったこともあった。私らは,被告人に対して,電話で準備状況等について報告していた。指示から時間が経つにしたがって,被告人はしびれを切らし,「何をしよるんか。」「何をぼうっとしちょるんか。」などと言うようになった。
 
犯行の際には盗難車を使用することを考えていたが,そのために準備された白いクレスタをX方近くの広場で9月末か10月初めに見た。二,三日して,Yの運転で同車を宮田農協の近くの駐車場へ持っていったところ動かなくなった。そこで,被告人方に赴き,自動車が動かなくなったことを被告人に伝えたところ,被告人が合い鍵を作るように指示し,Yが,合い鍵を作りに行った。被告人は,同車を見に行こうと言い,同車を駐車していた駐車場に,B,C,Dと共にBが当時使用していた自動車で様子を見に行った。最終的には,自動車は動かなかったことから別の自動車を用意することになった。合い鍵を作る様子を見たのは,午前中の昼に近いころのことであった。
 
犯行前日である10月5日,夕方近くか暗くなった時間に被告人方に呼び出された。自動車で25分位かかった。このとき,C,Dもいたが,被告人は,「いつまでぐずぐずしよるんか。」と腹を立てている様子であった。怒鳴った後,早い段階で,被告人は「今から試射にいくぞ。」「チャカ撃ち行くぞ。」などと言い,私は,被告人,D,Cと共に,自己の自動車ともう1台の自動車で被告人方近くのロマンスヶ丘に行き,試射をした。このとき,Eがいたかははっきりしないが,おそらくいたのではないかと思う。ロマンスヶ丘において,被告人が,標識のような物に対して試射を行い,私も試射をした。このとき使用したけん銃が被告人から事前に渡されていた物か記憶が定かではないが,渡されていたけん銃を使ったのではないかと思う。試射の際,辺りは暗く,自動車の前照灯をつけていた。ロマンスヶ丘には,5分から10分程度しかいなかった。被告人がX方に行ってみるといったことからそのまま宮田町へ行き,X方裏にある広場において,私はX方の建物内を被告人,D,Cとのぞき込んだ。このとき,屋内の1階に複数の人影を見つけた被告人は,けん銃を取り出して,人の見える方向へけん銃の銃身を向けて撃つ素振りをした。これをみたCは,「兄貴(被告人),チャカやらんですか。」「自分(C)が行きますけ。」などといった。これに対して,被告人は,「しきらんとに言うな。」というようなことをいい,私らをけしかけた。この広場か,帰りの車内か,自動車に乗る前か記憶は定かではないが,X方の下見を終えてから,被告人は,Bらに対して,Xの自動車が分かっているので,「車にぶつけて,事故を装って家からおびき出せ。」「車ができ次第すぐやる。」,Cに対して,「車で自分(B)たちをCが乗せていけ。」との指示をした。 
 
翌10月6日,Cから自動車が調達できたと聞いた。アリバイ作りをするので作業着の下に背広を着とけと指示された。私は,Dを迎えに行き,被告人方へ行った。被告人方には,C,D,Eがいて,被告人も自宅にいた。被告人方には,ワインレッドのディアマンテが駐車されていた。被告人は今から行って来いと指示した。ディアマンテにはB,Dが乗車し,私が被告人方まで向かうのに使っていたYのプレリュードはCが乗車していった。犯行に使用したディアマンテのナンバープレートは,Yが当時A組組員であったTの物と付け替えていた。 
 
X事件が起きた翌日か翌々日に,私は,YがTのナンバープレートをディアマンテにつけたとのことを被告人から聞かされた。被告人は,「Yがへまうっとるき,どうしたらいいか。」と私に相談したことから,私は「フィリピンに逃がした方がいいんじゃないか。」と話した。
 
9月ころ,q組長が,V建設の社長に対する恐喝未遂事件で逮捕されたことは知っているが,被告人から,V建設社長の殺害を指示されたことはなかった。
〔2〕Cの供述(第5回ないし7回公判)
 
Cが被告人からX殺害の指示を受けた状況,X事件前の準備状況や同事件後の状況等についてのCの供述の要旨は以下のとおりである。
 
9月中旬ころ(盃事の前),被告人方居間か,事務所において,被告人は,B,私がいる席において,Bに対して,「Xをやれ。道具はあとで用意する。」旨命じた。Bは,直ぐには返事をしなかったが,ちょっと間をおいて,「分かりました。」と返事をした。Cも承諾した。丙一派がF組長をけん銃で襲撃した事件があったころ,被告人は刑務所に服役しており,丙一派を許せないと言い悔しがっていたので,丙一派に対する報復の意味で被告人がBに前記のような指示をしたと思った。私に対しては,「Bを手伝え。」と言っていた。このとき,Dがいたかははっきりしない。
 
X殺害の準備のために,私は,B,D,Y,Eの5人で作業服を買いに行ったり,盗難車を宮田町に運んだり,X方付近の下見をし,X方付近に駐車していた自動車のナンバープレートを陸運局で照会して調べたりした。被告人が,X方近くにいるとき1度下見に加わったこともあった。下見等をした際には,被告人に,報告もしていた。ただ,襲撃方法等については具体的に決めていなかった。
 
9月末か10月初めころ,Dから,「おれも行くようになった。おれもXをやらんといかんようになった。」等と被告人にDも実行役に指名されたことを聞かされた。
 
犯行に使用するための盗難車は,被告人から事前に用意するとは聞かされていたが,1台目の白色クレスタの準備ができた時点で連絡が入り,「車を止めてあるので,取りに行ってその場所から移動しろ。」と連絡が入った。そこで,組事務所付近に移動した後,宮田町のX方付近へと移動させた。さらに,私,B,D,Yらで,同所から農協近くの四季彩館横の駐車場へと移動させたが,その当日,エンジンが掛からなくなった。このため,組事務所にいた被告人にどうするか報告したところ,被告人から,合い鍵を作るように指示された。Yは,合い鍵を作りに行った。私は,Bの自動車で被告人,B,Dの4人で盗難車が駐車してある駐車場に様子を見に行った。その後,自動車が動かなかったことから,被告人は,「あれが駄目なら,もう1台段取りさせる。」と言っていた。
 
犯行前日の,10月5日夜,被告人から,電話があり,私,B,D,Yが被告人方事務所に呼び出された。集合した私らに,被告人はいらいらしたような態度を取り,いつまでもX殺害を実行しないことに対して,「いつまでぐずぐずしよるんか。」などと言い,「ロマンスヶ丘に試射に行くぞ。」と言った。A組事務所から,1台の自動車で,被告人,C,B,DがYかEの運転でロマンスヶ丘に行き,被告人が防火水槽の看板に向けてけん銃を試射した。このとき自動車の前照灯は点いていた。試射をした時刻は,午後9時前後だったと思う。被告人以外にも誰かが試射をしていたが,誰がしていたかははっきりしない。ロマンスヶ丘での試射が終わった後,被告人がX方へ行くと言い出したことから,一旦組事務所へ戻り,私の自動車(RAV4)も加えた2台の自動車でX方裏の空き地からちょっと下ったところに自動車を駐車した。自動車から降りて,X方へ向かう途中,遠くから,子供が犬を散歩させてきたので,誰かが追い払いに行った。X方裏の空き地において,被告人は,けん銃を取り出し,X方へ近づいた。X方の屋内の居間のような和室が見え,そこに人がいたのに被告人が気が付き,「おるおる。」といい,けん銃をX方方向へ向けた。私は,「道具貸してください。自分が行きますけん。」等と言ったが,被告人から無視された。さらに,今までやってきたことを説明したが,私の説明は無視されたので,私が「自分があれします。」と言うと,被告人は,「できもせんくせ言うな。」と言った。被告人は,「D,頭(B),簡単じゃないか。車をぶつけて交通事故を装っておびき出して,それで出てきたところを撃ち殺しゃいいじゃないか。」と命じてきた。B,Dらは黙っていたので,更に,被告人は,「D,頭(B),出てきたところをお前たち,やれ。」と具体的に指示し,私に向かって「お前,(2人を)現場から逃がせ。」と言った。
 
翌10月6日,被告人から「車の段取りができた。」「車はうちの車庫に入れとるから。」との連絡が電話であった。私は,B,Dに自動車の段取りが付いたことを連絡した。Yの自動車をBが運転し,Dが助手席に乗り,自宅まで迎えに来てもらい,組事務所へ向かった。事務所の車庫には赤色の自動車が用意されていた。被告人方の玄関か事務所かで被告人と会ったが,被告人に「今から行って来ます。」と挨拶すると,被告人は,「おれはママとホテルでアリバイを作ってく。」と言っていた。犯行前に,実行犯のB,Dらと犯行の際に私が乗っていく車両をどうするか,犯行の際,どこで待つか,自動車を放置して逃げるかなどの話合いがあったかについては記憶が定かではない。
 
犯行後,Bから弾丸が当たったが,死んだかどうかは分からないと言われた。被告人から,事前に「仕事が終わったら処分しろ。」との指示があったので,飯塚に向かう途中でけん銃を川に捨てるなどし,その後,「林林」へ行き,そこで,私が携帯電話で被告人の携帯電話に「終わりました。」「当たって倒れたけど,死んでいるか,生きているかも分かりません。明日の朝,新聞かテレビを見たらわかると思います。」などと連絡をした。被告人は,「うん,分かった。」「お疲れさん。」,あるいは,「御苦労さん。」などと言っていた。
 
q組の組長が,建設業者に対する恐喝で逮捕された事実があったが,被告人から,その件でXを殺害するとの話は聞いていない。
 
Cは,平成10年5月頃から組に出入りしなくなった。事件後,被告人が日本刀やけん銃でけがをさせるなどしたため,若い者が助けを求めたり,長崎に逃げるなどすることがあり,その後,被告人は除籍になり,絶縁になった。被告人が,絶縁になったのは,覚せい剤が原因と思う。
〔3〕Dの供述(第8回,9回公判)
 
Dが被告人からX殺害の指示を受けた状況,事件前の準備状況や事件後の状況等についてのDの供述の要旨は以下のとおりである。
 
9月21日の盃事の二,三日か四,五日前に,被告人から被告人方応接間に私,C,Bが呼ばれたが,私は用事があったことから,遅れて行くと,被告人が,「組のジギリ(手柄)やから,Xをやるから,腹をくくっとってくれ。」と言っていた。
 
被告人から,話があってから,B,Cとどのように対応するかについては特に話し合ったことはなかったが,X方へ下見に行ったり,X方付近に駐車されている自動車のナンバープレートについて照会したり,犯行の際使用する作業服を買いに行ったりした。
 
それから,1週間くらいして,Cと被告人が,D方に来て,Bを実行犯にする,お前達は応援してくれと言われた。15分から20分くらいしてYが来たが,被告人は,「ああ,Yもつかっていいからね。」と言っていた。
 
犯行前に,白色のクレスタをX方付近で見た。その後,宮田町の農協の広場で見た。この白色クレスタが動かなくなったことがあった。そこで,誰かが被告人に連絡し,被告人が合い鍵を作ればよいと指示したので,Yが合い鍵を作りに行った。被告人がX事件を指示したとの話はCから聞いたと思う。その後,被告人が「一応,様子を見に行こうかな。」と言ったことから,被告人,C,B,Eと共に自動車を止めていた駐車場の所まで様子を見に行った。
 
10月3日ころ,被告人に呼び出されて,Y運転の自動車で,被告人方へ行った。応接間には,被告人だけがおり,「Bを実行犯にするつもりやったけど,D,お前もBと一緒にやってくれ。」と言われ,けん銃と実包の入ったバックをテーブルの上に置いた。私は,Xの顔を知っている,できないなどと断っていたが,被告人に「この重大な話を言った以上は,また,お前も聞いた以上は,言わんでも分かるやろう。」と言われたため,断れば危害を加えられるおそれを感じて,けん銃の入ったバックを受け取り,家に帰った。その日か,翌日には,Bに対して電話で,「組長(被告人)から頭(B)と一緒にXをやるように言われた。」旨言った。Cに話をした記憶がない。
 
10月5日被告人から,「今からすぐ出てこい。」と呼び出され,Yと被告人方へ行った。そこで,被告人から「何しよっと,おまえたちはぐずぐずと。」などと言われて怒られた。それから,被告人が「ロマンスヶ丘に行くぞ。」と言い,ロマンスヶ丘に行った。このときは,私,被告人,C,B,Eが行った。Yが行ったかどうか記憶がはっきりしない。ロマンスヶ丘では,被告人が標識をめがけて二,三発撃った。それから,被告人からけん銃を借りて,藪に向けて二,三発撃った。試射の後,X方近くに行き,同人方の裏手から同人方をうかがった。屋内には,Xと客らしき男性と女性がいた。被告人は,「Xおるじゃねえか。」といい,けん銃を取り出した。そのときCが,「何しよるんですか,兄貴,私が行きますので。」と言ったが,被告人は,「おまえ,しきらんくせに。」などということを言っていた。その場を離れるときに,被告人は,「車をぶつけてXをおびき出せ。」「D,Bと車でき次第行ってくれ。」「C,お前には頼んどくぞ。」などと言ってきた。
 
10月6日Cから「車を用意したから,今日Xをやるから。」「作業服の下によそ行きの服を着とってくれ。」と電話があった。BがYの自動車で迎えにきたので,けん銃と実包を持ち,自動車に乗車した。被告人方に行ったとき,CとEがいたように思うが記憶がはっきりしない。犯行に使用する車両としてワインレッドの自動車が用意されており,Bが運転席に,Dが助手席に,Cが,Yの自動車に乗ってX方に行き,犯行に及んだ。犯行後,逃走の際,ワインレッドの車両に乗り込もうとしたが,Xの妻から左手を捕まれたことから,C運転の車両に乗り込み逃走した。途中,犯行に使用したけん銃2丁とポケットに残っていた弾は,川に捨て,その後,飯塚の「林林」に入った。後から,EとYが「林林」へ来ていた。
(2)X事件についての各共犯者の供述の検討
 
前記のとおり,各共犯者3名はいずれも被告人方に呼び集められて,被告人からX殺害をそれぞれ指示されたことを具体的に供述し,その指示のあった時期や内容,盗難車両の移動の件,犯行前日の行動などの中核的部分について供述がほぼ符合している上,実行犯役がB1人からDを加えた2名となり,被告人からそれぞれけん銃を渡されたことなどの特徴的な事実について具体的に供述している。また,X事件についての各共犯者の供述の信用性を裏付ける事情及び証拠として,以下の事実が認められる。
〔1〕X殺害の背景事情と動機
 
DらはX事件の動機につき,Z会内で手柄を上げ,A組のZ会内での勢力拡大等を図ることにあった旨供述するが,被告人は,平成10年6月会長秘書からZ会のナンバー3である総本部長に正式に昇進しており,その供述が裏付けられている。
 
この点,主任弁護人は,丙組関係者の排除自体は既になされているうえ,3代目組長である丁は既に殺害され,既に丙組組長を辞めていたXを丙組の2代目組長であったことを理由として殺害までするとは考えられない旨主張する。
 
しかし,Z会の3代目会長の地位を巡る争いの中で,丙組は,F会長襲撃事件を起こしていたところ,3代目丙組組長である丁は既に殺害され,初代組長の丙も自殺していたことから,X殺害事件当時,歴代丙組組長の中で生存しているのはXのみという状況にあった。このような状況下で,被告人は,過去F組の若頭の地位にあった上,1月刑務所から出所し,Z会に復帰し,同会の会長秘書となり,4月A組を旗上げし,9月21日,正式にA組の盃事を行ったものであり,Z会内におけるA組,ひいては,その組長である自己の地位を確固たるものにするために,Z会3代目会長であるFの敵であり,丙一派の唯一の生き残りであるXを殺害することがA組の存在を誇示し,F会長襲撃事件の報復を果たしたものと評価され,Z会内での自己の勢力拡大を図る絶好のチャンスだと考えることは合理的であり,A組ひいては被告人にとってXを殺害する利益は大きかったものである。

 被告人は,平成10年6月ころZ会の序列では7番目位の地位にあった会長秘書(3人の会長秘書の中で,被告人は新人であった。)からZ会のナンバー3である総本部長へとその地位を上昇させているが,被告人の前記もくろみは功を奏している。X殺害により最も利益を受けるのはA組組長である被告人であり,C,B,Dが利益を受けるとしても,A組がZ会内での地位を上げたことによる反射的事情に過ぎない。もちろん,C,B,DがXに対し,個人的恨みをもっているような状況は認められない。
〔2〕10月3日の合い鍵作成
 
10月3日のトヨタクレスタの合い鍵の件について,fは,「カギの110番飯塚店で勤務していた同日午前11時ころ,Yがトヨタクレスタのシリンダを持って急いだ様子で合い鍵を作りに来店した。Yは,誰かから急ぐよう指示されていたようで,何度か携帯電話でやり取りし,『今合鍵をつくっているところだ。』などと話していた。」旨供述している(警察官調書謄本(甲60),検察官調書謄本(甲80))。これは,Yが合い鍵を作りに行った旨のC,D,Bの供述と一致する。
〔3〕10月5日夜の試射及びX方の下見
 
C立会による実況見分(実況見分調書謄本(甲74))の際に,Cの指示した「防火すいそう」と表示された金属製板に貫通痕様の穴が認められている。これは,被告人が標識のような物を狙って試射した際,弾が当たっていたというB(第3回公判278項),C(第5回公判490項),D(第8回公判132項)の証言と合致する。
 
犯行前日の10月5日,X方を下見した事実に関して,Gは,同日2台の自動車に分乗した男達を見た旨供述(検察官調書謄本(甲56),警察官調書謄本(甲172),証言)している。確かに,Gの証言は,G自身が移動した経路について,警察官調書,検察官調書の間で,食い違いが認められるが,Gが供述する自動車の停車位置は一定しており信用性が高く,その位置については,D立会の実況見分(実況見分調書謄本(甲78))において同人が指示した位置と一致する。また,Cの供述する,子供を追い払ったとの証言内容とも合致する。
 
Jは検察官調書謄本(甲32)において,犯行前日の10月5日午後9時ころから午後10時ころまでの約1時間,○○○○がX方に来て,裏の空き地に面したX方の居間で,Xとメジロ談義をしていた旨供述しており,X方に来客があっていたというB,C,Dの供述と一致する。
 
さらに,Eは,「犯行前日の10月5日夜,Bに電話をした際,『宮田に集まっている。』と言われ,自分の自動車で宮田町に向かい,途中にも電話をして,X方のある団地の近くにあるパチンコ店の駐車場に行くと,自動車が2台あり,B,C,Dの他,被告人がいた。日付については,Yがディアマンテを持ってきた前日なので10月5日のことであると思う。」旨供述する(第10回公判(74ないし108項),検察官調書謄本(甲139),裁判官面前調書(60ないし65項)(甲163))。これは,犯行前日,被告人が,C,D,Bと共にX方のある宮田町付近にいたことを裏付けるものである。
〔4〕組関係者,関係箇所の利用状況
 
被告人は,犯行当時,A組組長であり,B,C,Dは,同組組員であり,YやEもA組組員であることを考えれば,B,C,Dが,Y,Eを被告人の許可なしに,X事件の準備のため勝手に使うことは考えがたい。また,犯行に使用したディアマンテは,X事件の前日にYが盗み,同人は同車を被告人方車庫に持ち込み,そこでナンバープレートを付け替えている。更に,X事件当日,C,Dらは被告人方から2台の自動車に分乗してX殺害計画の実行のため出発した。被告人が入院中も入浴等のため頻繁に自宅兼事務所に戻っていたことを考えれば,被告人の許可なくして,X事件に使用するための盗難車両を被告人方に駐車することは考えづらく,被告人の関与をうかがわせる一つの事情と言える。
〔5〕10月7日午前零時ころCが被告人にX殺害の報告をしたこと
 
Cが,X殺害の実行直後,「林林」から被告人の携帯電話にXが殺害されたとの連絡をしたことは,被告人も認めるところである。X殺害に被告人が一切関与していないとすると,Cが,X殺害の事実を被告人にあえて報告すべき理由はない。むしろ,被告人の関与があったからこそ被告人に対して報告したと考えるのが自然である。
2 Y事件
(1)各共犯者の供述内容
〔1〕Cの供述(第5回ないし7回公判)
 
被告人からY殺害の指示を受けた状況,犯行前の状況等についてCの供述の要旨は以下のとおりである。
 
10月7日午前9時過ぎから,C方に対して警察の捜索があった。そこにYが来たため,覚せい剤などを使用しているのであればどこかに逃げろと言うと,Yは,その場を去った。YにはCのセルシオを使わせた。午前9時半ころには,Cは,当日Z会の本部当番であったため,自動車(RAV4)に乗り当直に出かけた。捜索が入った旨の連絡を被告人に対してした。
 
その後,犯行の際使用した車両にA組組員のTの廃車した自動車のナンバープレートがつけられていたことが発覚し,10月7日夕方ころ,被告人から「大変なことになっておる。」「Yが間違ってドジ踏んで,襲撃した車にTのナンバープレートをつけとる。U先生からそういうふうに聞いた。」といわれたが,それが電話か直接病院へ行ったときだったか定かではない。その後,被告人にYを病院へ連れてくるよういわれ,Yと落ち合い,Cのセルシオを受け取った上で,K医院の被告人の所へ行った。入院患者用の出入り口から入り,被告人の病室へ行くと,被告人はベットの上に座り,YにむかってX事件について「逮捕されても絶対言うな。」という感じで,何度も言い,覚せい剤で「切符(逮捕状)がでるぞ。」などと言っていた。Cも「最悪でも組長(被告人)の名前だけは絶対に出すな。」と言った。途中からDが病室に来て,Yにむかって「X事件のことは言うな。」と,言っていた。その後,Cは本部へ戻り,本部当番が終わった後,被告人に呼ばれて,同月8日午前10時半ころ,K医院へ行った。すると,被告人は,Cに対して,Yについて「あれはもつかの。」と言い,「おまえ,ちょっと仕事してくれ。」「Yを始末してくれ。」とYの殺害を指示してきた。Cが,「組長までは名前出さんはずやから,万が一,あれが逮捕されてX事件を言っても,自分が責任をとりますので,Yを殺すのだけはせんでください。」,「何でYを呼んでくんどく(警察に口を閉じておけとの意味。)入れたんですか。」「Yは自分たち3人が実行したところを見とらん。」「逮捕されても自分は否認して5年でも6年でも闘います。」「組長まで名前が出ることはありません。」などと被告人を説得すると,被告人は考えながら「ううん,そうかのう,分かった。」といった。被告人は,この日,水枕をし,熱が出て具合が悪そうであった。Cは,Bに対して,相談したが,フィリピンに逃がすというような話を聞いていた。Bとは,X事件について,10月7,8,9日位対策を練っていた。被告人との間で,フィリピンに逃がす話は出ていなかった。時期ははっきりしないが,被告人の発案で,Yが嬉野町へ行ったことを聞いた。

 その後も,被告人は,Yについて,「大丈夫かの。」などと不安げな話をしていた。10月12日夕方ころ被告人から,話があるので,Dを連れてくるように電話で指示され,富士サウナでDと待ち合わせた上で,Dと病院へ行った。被告人は体調が良くなっており,病室において,Cに対して,Yの件について「もう1回考え直せ。」と言い,Dに対して「代貸(C)には言うとったけど,Yの件やけど始末せい。」と言った。Dが,「それは何ですか。」と問いかけると,被告人は,「あれ(Y)がパクられたら持たんぞ,べらべらしゃべったら組が終わる。」と言うようなことをいろいろ強い言葉で言われた。Dは,「自分の舎弟ですから,自分がちゃんと言うて聞かせます,絶対兄貴(被告人)を行かせるようなことはさせません。」などと言って,被告人を説得しようとしたが,被告人は怒ったときの表情になり,納得せず「おまえ,おれの気性を知っとろうが。」「おれが切れたら分かろうが。」「大(被告人。A組)を取るか,小(Y)を取るか。」「俺の目をつぶすんか。」「最終的にはおれに行かせるんか。」などと言った。DとCは土下座して被告人に考え直すよう頼んだが,被告人は,Cらに「いいから座れ。」といい,「最終的には,おれに行かせるんか。」と言い,Cも,Dも「兄貴(被告人)にやらせるようなことはさせられません。」と言い,一瞬考えて,2人とも「分かりました。」と返事をした。返事は,Dが先にした。Dが「二,三日待ってくれ,考えさせてくれ。」と言ったが,被告人は,「すぐ行け,こうしている間にもYが逮捕されたら何もならんやろうが。」と言い,「どうやって殺しますか。」とCに聞かれると,被告人は「道具は使うな。ガラを上げるな。」,Yには足がつかないように「H(被告人の前妻)の電話を持たせている。」「連絡するときは,Hの携帯に公衆から電話して連絡をとれ。」と言われ,Hの携帯電話の番号を書いた紙を出発前に受け取った。病室にいたのは二,三〇分であった。病室を出てから,Dと,仕方ないという話をした。富士サウナに戻った車内において,CとDで,殺害方法として,ひもか何かで絞めて殺すとの打合せをしたが,Dに指がないことから,絞めるにしても力がないので,被告人から電話が掛かってきたとき,被告人に電話でその旨相談すると,Eを使うように言われたと思う。Eが被告人の養子になるとの話は,Y事件の後だったと思うが,被告人の若い者を勝手に使うことはできないので,被告人から指示されていたと思う。
 
Cは,携帯電話から,Eに電話して,C方に来るよう言った。Eには,Eが迎えに来て,D方にむかう途中に,Yを殺害する話をした。その後,Dを拾って,佐世保にむかった。Eを使うことになった経緯については,記憶がはっきりしないが,被告人に使えと言われたので,Eに電話した記憶もある。時期ははっきりしないが,Dと別れた後ではないかと思う。 
 
犯行前,Hの携帯電話に公衆電話から電話をしてYに連絡を取って呼び出した。その後,Yの殺害を終えた後は,帰りにDを飯塚の同人方で降ろし,その後,Eが病院にいる被告人に「今から寄ります。」との連絡を入れたうえで,Eと2人で病院へ行き,病院の外で,被告人にYの殺害を報告した。このとき,被告人は「おおそうか。」「おつかれさん。」と言っていた。報告をした場所は,入院患者用の出入り口で,ナースセンターや重病患者の部屋からも近いことから,被告人が大きな声を出すことはないと思う。Yが行方不明になっていることから,組の金をもって逃げたとの噂を流した。Y殺害が,被告人の指示に基づくものであることをEには言っていないが,自動車の中で,Dとの間で,組長の指示,兄貴(被告人)の指示ということは何度も話していたし,帰りに,Dが,酒を飲んで「兄貴(被告人)も無茶言うな。」等という話を愚痴ったりしていたのをEも聞いていると思うので,Eも,被告人の指示に基づくものだという認識はあったと思う。 
〔2〕Dの供述内容
 
被告人からY殺害の指示を受けた状況,犯行前の状況等についてのDの供述の要旨は以下のとおりである。
 
10月7日,被告人にYのことで呼び出されてK医院の被告人の病室へ行った。このとき,すでに被告人の他に,C,Yが来ており,被告人は,Yに対して「お前はなにかそそうをしたね。」などとTのナンバープレートを犯行に使用した車両につけたことや,「シャブが挙がっておるやないか,今,切符が出とるぞ。」「おれの知合いのところにちょっとおれ。」との話をした。その後,Dは,自宅に帰ったが,午後5時ころ,Yから電話があり,今から嬉野に行って来ます。その前に会いたいと言うので,飯塚の八木山バイパスの近くのラッキーパチンコで,Yと会い,Yがお金を持っていないと言うので,現金5万円を渡した。Yは,S運転の車両に乗って嬉野へむかった。
 
10月12日,Cから電話で富士サウナに呼び出されて,富士サウナに行ったところ,C運転の車両で,被告人の入院するK医院へ連れて行かれた。K医院の裏口から入り,被告人の病室へ行ったところ,被告人は,Cに対して,「あと1回考え直せ。」などと言い,Dに対し「Yは警察にパクられたらべらべら行くぞ。」「やばいぞ。」と言ってきた。Dは,「大丈夫ですよ。」と言ったが,被告人は,「パクられたらみんなもって行かれるぞ。」「A組をつぶすんか。」「おまえ,大を取るか小を取るか。」という趣旨の話をした。Dが黙っていると,「おまえがせんなら,ほかの人間にさせるぞ。」「とにかくやれ。」といった。最終的にDも,Cも土下座して,「こらえてください。」「しきりません。」と言ったが,30分近く,がんがんがんがんいわれ,とにかく,この病室から出たいと思い,最後に分かりましたと言った。Cも,分かりましたと言っていた。Yの殺し方について,被告人は,「ガラを上げるな。」「道具を使うな。」と言っていた。Dが,被告人に「二,三日待ってくれ。」と言ったが,被告人は「今から行け」と言った。
 
病室を出てから,CがDに対して,「後ろから,針金,ひもか何かで絞めてくれ。」と言ってきた。Dは「おれは指がないけん,力ないばい。」というと,Cはあと1人呼ぼうと自分自身に言い聞かせていた。その後,富士サウナまでCの自動車で戻った後,自分の車で家まで帰った。Dは,Yを逃がすために,2度ほど,Yの携帯電話にかけたが,つながらず,DはY殺害の腹を決めた。
 
その後,Eから「今から一,二分で着きます。」との電話があり,外で待っているとCとEが来た。Eが同行することはEから電話を受けたときに知った。車に乗り込むと,Cは,佐世保の方へ行ったが,その際,DはEに対して,「仕方がないのう。」などと言っていた。その後,山の上に,Yの遺体を埋める場所を見つけた後,3人でホテルに宿泊した。Y殺害のために,Yを呼び出す際には,DとEは,スーパーのようなところで待ち,CがYを連れてきた。DはYがどこに隠れているかも知らなかった。
 
Yを殺害して埋めた後,池に道具やスコップを捨て,C,Eの乗った車から降りDは自宅に帰った。
(2)Y事件についてのC,Dの証言の検討
 
C,Dは,X事件に使用した車両にA組組員(T)が使用していたナンバープレートが取り付けられており,Tの供述からYがX事件に関与していることが発覚するようになったこと,被告人が10月12日K医院207号室にC及びDを呼び寄せ,Yの殺害を強く指示し,C及びDから翻意を求められたが,それを退け,Y殺害を指示した状況,その後佐賀県藤津郡嬉野町所在の「P荘」に匿われていたYを呼び出した状況等につき,それぞれ具体的詳細に述べ,その供述内容はほぼ符合しているばかりか,各共犯者の供述を裏付ける証拠及び事情として,以下の事実が認められる。
〔1〕背景事情
 
X事件の犯行現場に遺留された盗難車両(ディアマンテ)にA組組員Tが使用していた車両のナンバープレートが取り付けられていたことから,警察は,Tを取り調べた結果同プレートを持ち出すことができるのはYしかいない旨の供述を得て,YのX事件への関与を疑い,Yの身辺から覚せい剤が発見されたため覚せい剤取締法違反の容疑で逮捕しようとしていることが契機となってY事件が発展しているところ,CやDも係る背景事情に沿う証言をしている。また,Yが覚せい剤取締法違反の嫌疑により逮捕されようとしていることは被告人も認識している。
〔2〕Sの証言との整合性
 
Yを嬉野町まで連れて行った状況についてのCやDの証言は利害関係のないSの証言と符合している。すなわち,証人Sは,「10月ころ,田川の方に仕事に行く予定を組んでいたころ,被告人の見舞いに行った際,病室で被告人またはCからYを嬉野に連れてゆくように頼まれた。Yを川崎町で自動車に乗せたが,そこまではCがSを案内した。嬉野町まで送る途中で,Yから頼まれて,八木山バイパスの入り口付近のパチンコ店駐車場に立ち寄り,そこにDが来て,YとDが話をしていた。その後,嬉野町所在の,以前Hが住んでいたP荘の部屋までYを案内した。YをP荘まで案内したときにはすでに,暗くなっていた。その後,YをP荘に送って行ってから,被告人かCにその旨を報告した。その後,何度かYに食事を運んだが,そのうち,食事をYに運んでいったところ,『お世話になりました。』という書き置きを机の上に残してYが部屋からいなくなっていたので,被告人にその旨連絡した。」旨供述する(第11回公判)が,この証人Sの証言は前記CやDの証言と符合している。
〔3〕Cが被告人にY殺害を報告していること
 
被告人は,Y殺害の報告を受けたことは自認しているところ,Y事件に被告人が関与していない場合,Cが,被告人に対して,Y殺害を報告するべき合理的理由は見出し難い。むしろ,Yは,前述のように被告人が組長を務めるA組組員であることから,被告人に断りなく,自らの都合のみでCらが,Yを殺害したのであれば,Cは,その後,被告人から何らかの処罰を受ける等の事態が十分に予測される。それにもかかわらず,CはYを殺害した帰路に,被告人の入院する病院へ寄った上で,Yの殺害を報告しているのであり,被告人の指示に基づかずにYを殺害したのであれば,このような行動は極めて不自然である。
 
もっとも,Eは,CがY殺害を報告に行った際,被告人がCを怒っていた旨証言している(第10回公判188ないし193,311ないし313項)。そこで,このE証言の信用性を検討するに,同人の平成12年5月18日付け検察官調書謄本(甲136),同年12月12日のC,Dの裁判におけるEの証言(裁判官面前調書(甲163(253項))においては,「親分(被告人)が代貸(C)を怒鳴っていましたが,何を言っていたかについては,離れていたのでよく分かりませんでした。」と供述している。これに対して,Eは,平成12年9月8日付け検察官調書謄本(甲140),同年10月5日に行われたE自身に対する裁判における被告人質問(裁判官面前調書。甲162(152項))においては,K医院の外における被告人とCの会話の際の被告人の反応について,「被告人とCは,病院出入口前の空地の方へ行きかけたので,Eは,病院の正面出入口の方まで行っていた。2人が会話しているときは,かなり離れとったので,どういう反応か分かりませんでした。その後,帰る際に被告人に挨拶したが,普段どおりの感じで,特に変わったところはなかった。」と供述しており,被告人がCを怒っていた旨については供述していない。また,平成12年9月8日付け検察官調書謄本(甲141)においては,Y事件後に被告人がYの殺害を指示したことは頭に浮かばなかったし,被告人に対してY殺しを手伝うようにCに指示したのではないかと聞いたこともない旨供述するのに対し,裁判官面前調書(甲163(530項)),第10回公判(172項)においては,10月,そのことを被告人に尋ねたところ,「ばかたれ,そげなことおれが言うわけないじゃないか,おまえはおれの言うことだけを聞いておけばいい。」と言われた旨供述している。
 
また,Eは,自己の裁判においてY事件に被告人は関与していないと思う旨供述しながら,その「根拠はありません,何も。」と供述している(裁判官面前調書。甲162(139,184,185項))ところ,裁判官面前調書(甲163)において,病院での報告の際の状況について,自己の裁判における供述と証言の内容が食い違っている理由として,Eは,自分の裁判で,なぜ被告人がY事件に関係ないと思うかと聞かれ,そのときに,うまくは答えられなかったけれど,勝手に若い者を殺したから怒られたと,そういうふうに後で考えた旨供述しているが(462項),Eは,平成12年5月18日付け検察官調書謄本(甲136)において,すでに,Cが被告人から怒られていた旨供述しているのであるから,その点について後から考えて分かったという説明は不合理である。このように,Eの供述態度は一貫しておらず,供述変遷の合理的説明もなされていない。その供述内容を検討しても,平成12年9月8日付け検察官調書謄本(甲140)において,Y殺害後のK医院におけるCの報告時に被告人らの声が聞こえなかった理由につき,被告人とCはK医院裏出入口前の空地の方に行きかけたので,二人で話があるのだろうと思い,Eはそこから離れて同医院の正面出入口の方へ行っていたと供述するなどその供述内容は具体的である。これに対して,D,Cの公判におけるEの供述(裁判官面前調書(甲163))は,Cを怒る声が聞こえた,被告人のY事件に対する関与を質問すると否定するなど,被告人をかばうような供述内容が多数見られる。
 
また,前述のように,Eは被告人に恩義があり,少なくとも当公判廷における証言時には,被告人との間に養子縁組関係が継続しており,これを解消することについては,「焦る必要もないし,A(被告人)さんがこういうふうに裁判中でごたごたしている中で,自分のことで煩わせるのは,また,不人情というか。」「養子解消をせんな不利益を被ることもないし。」などと供述しており(10回公判599項),被告人とEの間には深い人間関係があり,被告人をかばう理由がある。従って,被告人をかばうEの供述部分には信用性がない。
〔4〕犯行後の事情
 
犯行後,被告人は,C,D,Eについて,何らかの処分を含む対応措置もとっておらず,むしろ,11月1日には,Eを養子にしている。これらの事実からも,被告人の意向を受けてY殺害が行われたものと考えるのが自然である。
3 Y事件,X事件の捜査の端緒,捜査の経緯等
(1)捜査経緯
 
平成12年2月18日,高松刑務所におけるEに対する事情聴取の中で,P1刑事らに対し,EがY事件を自白して自首し,同年4月16日,E立会のもとで行われた長崎県佐世保市内の死体遺棄現場における検証において,Yの死体が発見され,Y事件の捜査が進展し,同年5月3日Cが,翌4日Eが,同月19日Dが,Y事件で逮捕され,それぞれ各勾留を経て,同月25日E及びCが,同年6月9日Dが起訴された。その後X事件の捜査が進展し,同年7月16日C及びBが,翌17日Dが,翌18日被告人がXに対する殺人罪で逮捕され,各勾留を経て,同年8月7日,B,C,Dが起訴され,翌8日被告人が起訴された。その後,被告人は,同月21日,Y事件で逮捕され,勾留を経て,同年9月12日同事件で起訴された。
 
このように,Y事件,X事件の捜査の流れとしては,各事件の実行者については,Y事件の捜査が先行し,その後X事件の捜査が行われたが,被告人については,X事件の捜査が先行し,その後Y事件の捜査が行われた。Y事件の実行行為者であるC,D,Eをみると,Cの逮捕が先行し(Eが1日遅れ),Dの逮捕は,C逮捕から16日遅れている。
 
なお,Eの自白の時期につき,主任弁護人は,平成12年2月18日付け自首調書写し(弁4)は日付を遡らせて作成された可能性がある旨主張し,Eも公判廷(第10回公判)で「自首調書は,P1刑事らが2度目に高松刑務所に来たときに作成した。」旨供述し,前記P1証言との齟齬が見られるが,Eは,自己の裁判において(裁判官面前調書。甲162),一番最初に刑事が四,五日続けて来て,その最後の日に自首した(198項)旨供述していること,高松刑務所での前記日付けの自首調書が存在し,それは手書で作成されていることからすると,前記Eの自白の時期に関する証言部分は採用できず,P1が証言するように平成12年2月18日であったと認めるのが相当である。
(2)被告人が犯行を指示したとする自白の順序
 
Cは,平成12年7月10日付け警察官調書(写し。弁60)においてY事件につき,同月25日付け警察官調書(写し。弁46)においてX事件につき,被告人から犯行を指示された旨供述した。Bは,X事件につき,同月29日付け警察官調書(写し。弁9)で被告人から犯行を指示された旨自白し,DはY事件につき同月17日付け警察官調書(写し。弁22)において,X事件につき同月29日付け警察官調書(写し。弁24)において,被告人から指示された旨供述した。
 
なお,暴力団3代目Z会q組組長qは,9月5日Vに対する恐喝未遂罪で逮捕(逮捕状謄本。甲177),同月8日勾留(勾留状謄本。甲178)され,同月27日同罪で福岡地方裁判所飯塚支部に起訴され(起訴状謄本。甲179),qはその事実を争った。
4 各共犯者の個別の供述の信用性等
(1)C供述の信用性
 
弁護人は,X事件,Y事件を通じて,被告人から犯行を指示された旨自白したのは,Cが最初であることから,特にC供述の信用性を論難しているので,まず,C供述の信用性から検討する。
〔1〕Cの捜査段階における供述経緯
 
Cの捜査段階における供述経緯は以下のとおりである。
 
Cは,Y事件の逮捕翌日である平成12年5月4日付け警察官調書(写し。弁38)においては,Y殺害事件については,「今は言いたくありません。又,言えない理由についても言えません。」と供述し,同月8日付け警察官調書(写し。弁39)において,Y事件につき,「今回私が起こしたことについては,私以外にEらもおりますが,私としては,他の者のことについては話す気持はありません。・・・・事件の詳しい状況については,もう少し心の整理をしてから話したいと思います。」と述べていたが,その後,同月9日付け警察官調書(写し。弁40)において,Y事件について,Eと,名前を言えないもう一人の男と一緒にYを殺害した,自分の犯した罪については,いかなる処分も受けるが,妻子を守るため,事件について言いたくても言えない部分もある,私ともう一人の男は,別のある男に呼び出されYを殺すよう指示された旨供述しており,指示した人物の名前は挙げていない。また,共同実行者としては,Eの名を挙げているが,もう1人の共同実行者の名前は明らかにせず,Aという表現をしている。
 
平成12年5月14日付け警察官調書(写し。弁54)においても,10月12日ころの昼間,自分(C)とAがある男に呼び出され,Y殺害を指示され,C,A,Eの3人で出発した旨供述している。平成12年5月15日付け警察官調書(写し。弁55)において,C,A,EによるY殺害の準備状況,Y殺害状況等を説明したが,犯行後Eと共にK医院へ行った記憶はない旨供述している。平成12年5月16日付け警察官調書(写し。弁56)において,C,A,EによるY殺害状況について説明している。その後も,Y事件のE以外の共同実行者の氏名については調書上明らかにせず,Aとの表現のまま供述し,Y事件の動機としてはある男への恐怖心から指示に従わざる得なかった(5月20日付け警察官調書。写し。弁57)旨供述し,同月23日付け警察官調書(写し。弁58)においては,Y事件の共同実行者の氏名としてAという表現をしていたのはDであるとして同人と埋めた状況につき供述し,犯行を指示した男の氏名を自白しないまま同月25日Y事件で起訴され,その後の平成12年7月10日付け警察官調書(写し。弁60)においては,自己の汚名を晴らしたいとの思いと,Yに対する供養のためにY殺害を指示した男の氏名を話す,Y殺しを指示したのはAである旨供述している。
 
その後,X事件により平成12年7月16日逮捕,同月19日勾留され,その後の,同月25日付け警察官調書(写し。弁46)において,「X事件について,自分以外の者も関係していることから,黙秘していたが,事件の関係者しか知るはずのない,事件前日のX方の下見について既に警察が知っていることから,被告人が事件の内容を警察にチンコロ(告げ口)していることが分かり,Y事件についても被告人が指示しているのにCらが勝手にやったことと供述しているということを聞かされてYに対する供養,自分たちの汚名を晴らすためにY事件の指示者として,被告人の名前を出した。にもかかわらず,X事件について黙秘していると,Y事件で被告人の名前を出して真実を明らかにしようとしたことが無駄になることに気付いたことからX事件も被告人の指示によるものと話すことに決めた。犯行前夜には被告人から呼び出され,X方を下見した際,被告人から,交通事故を装ってXをおびき出して殺害するよう指示された。その際Cは逃走用車両の運転手をするよう指示された。ただ,他の関係者4名については自分の口からは言えない。」旨供述している。その後,Cは,平成12年7月28日付け警察官調書(写し。弁43)において,X事件の共犯者としてB,D,Yらの名前を明らかにし,その後も,X事件,Y事件のいずれにも関与しており,そのいずれも被告人の指示に基づくものである旨一貫して供述している。
〔2〕Cの捜査段階における供述の経緯についての証言
 
Cの捜査段階における供述の経緯についての証言は以下のとおりである。
 
Cは,Y事件で逮捕された当時,3代目F組代貸であったが,被告人の性格や,被告人の面会には現役の組長が行っているなどと聞いていたので,家族らに対する報復を懸念し,被告人の名前を直ぐには出せなかった(第6回公判)。
 
平成12年5月3日Y事件で逮捕されたが,当初は,二,三日考えさせて欲しい,話せない理由も今は言えないと言っていた。その後,Y事件を認めたが,犯行動機については,「ある男からの指示で実行しました。」「しかし,その原因,動機については,いろいろ聞くなと言われておるから,理由は聞いておりません。」と言っていた。このような供述をしたのは,妻や子供を守るためであった。警察には,その人物について被告人の名をあげていたが,7月ころ調書にした。これは,警察の方が「妻や子供の心配はせんでいい,ちゃんとあれしてやる。」といい,自分としてもこのまま身内殺しという汚名を着たまま生きていきたくないとの気持ちがあったためである。ただ,Y殺しの動機については,共犯者もおり,X事件が明らかになってしまうことから,直ぐには言えず,X事件の逮捕から10日ほど話をしなかった。最終的には,若いものが話している調書等を読み上げられたり,その旨聞かされたりしたことで,逃げられないと思い,警察に,共犯者を説得するよう頼み,最終的に1週間か10日位して話を始めた(第6回公判375項以下)。Yが,「何も言わんです。」「自分を殺したら,X事件も何もかんも分かるようになっとる。」と言ったことを話すと,X事件がA組の犯行であると分かるし,自分たちにくると思い捜査段階では話していなかった。犯行後に被告人に報告に行ったことも,被告人の指示であることが分かるため話していなかった。
 
Y事件による起訴後も,田川警察署で勾留されていたが,ほぼ毎日,Y殺害の動機はX事件の口封じだろうと聞かれていた。X事件による逮捕前に,X事件に絡んでいるとの話はしていたが,調書は作らなかった。その後,X事件で逮捕されたが,当初は,自分の妻子がいるので,Y事件のことや報復等を考えると,ある男に指示されたとしか話していなかった(第5回公判460項以下)。一勾留前に調書を作ったが,そこまで待って貰ったのは,共犯者の説得のためだった。時期ははっきりしないが,取調の刑事から,被告人がA組のしたことに間違いないと言っていることは聞いていた(第6回公判527項以下)。被告人がX事件,Y事件につき,A組がしたことに間違いないと言っている,Cらが勝手にしたとか言っていると取調官から聞き,信じられなかった(6回公判597ないし611項)。
〔3〕Cの供述経緯の評価
 
Cは,供述変遷の理由として前述のごとく供述するが,当初は,共犯者をかばうためその氏名を挙げず,その後は,被告人やその関係者からの報復を恐れて被告人の名前を出せなかったが,Y事件での起訴後,警察からの説得があったことと,身内殺しの汚名を着たまま終わりたくないなどという動機から,被告人の氏名を明らかにしたというのであって,供述経過に格段の不自然さはない。
 
X事件,Y事件の捜査を通じて,実行行為者の中で被告人の指示による旨の供述を最初にしたのはY事件についてのC供述(平成12年7月10日付け警察官調書(写し。弁60))であり,その後CはX事件についても被告人の指示である旨を自白している(同月25日付け警察官調書(写し。弁46))。前述したとおり,CはY事件で起訴されるまでは,被告人をかばって,犯行を指示した人物として被告人の氏名を隠していたのであるから,Cの供述姿勢に,無実の被告人を引き込もうという姿勢は窺えない。更に,後述するとおり,Cよりも先に被告人がX事件について,被告人の指示によりBらが敢行した旨供述し,Y事件についても,Eらが敢行した旨供述したのであるから,Cとしては,自己の刑事責任を軽減するため,自分より先に自白していた被告人を引き込むおそれなどは考えにくい。
〔4〕C供述の評価
 
C(昭和24年8月9日生)は,X事件及びY事件により,平成13年11月1日無期懲役に処せられ,同判決は平成14年3月15日,控訴取り下げにより確定した。X事件及びY事件でCが有罪となれば,相当重い刑が予想され,C自身の年齢(Y事件での逮捕当時50歳)を考えると,刑務所を出所後の暴力団への復帰を考えにくい状況下で,Cが犯行を指示した人物として,無実の被告人を引き込むことは考えにくい。 
 
また,Cの供述内容は,以下のとおり客観的証拠との整合性が認められる。 
 
押収してある診療録(平成14年押第30号の1)中の被告人の看護記録の記載を見ると,10月8日の7時の欄には,「背部痛,(省略)頭痛あり」,11時の欄には,「BP37.2℃ 倦怠感 頭痛(+)」,12時20分の欄には,「頭痛(+)」,14時の欄には,「KT38.0℃」「頭痛(+) 咽頭痛(+)」「全身脱力感あり」,「検温」「アイスノン交換」などの記載がなされており,Cは,Y事件に関する証言の中で,同日午前10時半ころK医院へ行った際被告人の体調が悪かった旨述べていることと一致する。また,10月12日の看護記録を見ると7時の欄には「胃痛及胃部不快(-)」,11時の欄には「特訴なし」との記載がなされ,この日には被告人は体調が良くなっていた旨のC証言と一致する。これらの日の被告人とのやりとりは,Cにとって,被告人からY殺害の話が出たり,指示されたり,出発を促されたという鮮明に記憶に残る事柄である。
 
以上の事情からすれば,Cの供述は信用性が高い。
 
これに対して,主任弁護人は,Cは,逮捕当時F組代貸であるのに対して,被告人はすでにZ会から絶縁処分になっており,被告人やその関係者からの報復を恐れる必要はなく,被告人とCの関係が既に断絶していること,むしろ被告人からCらの犯行を明らかにするような供述をしており,被告人に対して反発心を持っていたことからするとCが,被告人を指示者として供述することが困難であるとの事情はなく,Cの供述は信用できないと主張するが,Cは,「被告人の性格や,被告人との面会に現役の暴力団員が行っているなどと聞いていたので,家族らに対する報復を懸念し被告人の名前を直ぐには出せなかった。」旨供述しており,Cの供述は合理性を有している。したがって,主任弁護人の主張には理由がない。
(2)B供述の信用性
 
Bの置かれていた状況等は以下のとおりである。
 
B(昭和36年3月16日生)は,平成9年4月下旬,前刑の殺人未遂罪による懲役8年の刑の執行を終了し,出所した直後にX事件に手を染め,同事件により,平成13年2月1日,懲役18年の刑に処せられている。Bが本件に関与することにより得る利益は,Z会内でのA組の地位が上昇することによる反射的なものに過ぎず,決して大きくはない。BがA組組員となったのは,山虎会関係者などの後押しによってであり,それまでは被告人との間で特に面識はなかったのであり,自ら,前刑の執行終了後ほどなくX事件に手を染め,それによる不利益を超えてまで被告人に利益を得させるほどの人間関係もない。被告人の指示によらず,Bが積極的にX事件に関与すべき動機は見いだしがたい。
 
Bの供述経過を見ると,X事件による逮捕の翌日である,平成12年7月17日付け警察官調書(写し。弁8)においては,X事件について「一切関係のないこと。」と供述していたが,その後,同月29日付け警察官調書(写し。弁9)で,被告人の指示でB,C,Dが現場に赴き,B,Dが殺害行為に及んだ旨供述するに至っている。
 
Bは,このような供述経緯の説明として以下のとおり証言する。
 
平成12年7月16日X事件により逮捕されたが,当初は,共犯者に迷惑をかけられないこと,内妻に会えなくなることなど色々考えて,否認していたが,1勾留ころには,犯行を認めるようになった。これは,Cが事情を話し出したとの話を聞き,自分自身もしたことに対して償いをしないといけないとの思いから全てを打ち明けるようになった。また,先に罪を認めているC,Dの助けになるのではないかとの思いもあった(第3回公判528ないし545項,第4回公判326ないし331項)。
 
Bの供述内容は,被告人からの指示,犯行前日の被告人の言動,犯行当日の行動など,根幹的部分について一貫している。
 
このような供述経緯を見ると,少なくとも,Y事件については,C,Dの両名は既に被告人の指示による旨を供述し,CはX事件についても被告人から指示があった旨を既に供述しており,Bの供述する供述の経過は客観的状況とも整合性がある。
 
当初の否認から自白へ変遷した理由をみても,Bが自白すれば被告人を支持する者からの報復等,大きな不利益を被ることを覚悟せざるを得ないのであるから,Bが,当初,自白をためらったのも当然であるが,後述するとおり,Bが自白した時点においては,既に被告人がX事件につきBらが実行した旨をP1刑事らに供述していた上,Bは,X事件を認める際には,自己が実行行為を行った旨もあわせて供述しているのであるから(平成12年7月29日付け警察官調書。写し。弁9),被告人に首謀者としての責任を押しつけ,自己の責任を軽減しようとしたものとは考えがたく,Bの自白の信用性は高いものといえる。
 
以上によれば,X事件に関するBの公判供述の信用性は高い。
(3)D供述の信用性
 
D(昭和25年2月22日生)は,平成13年11月1日,X事件及びY事件により無期懲役に処せられた。
 
Dの供述は以下のとおり客観証拠との整合性が認められる。
 
Y事件について,10月7日,Yが佐賀県嬉野町に向かう途中,パチンコ店の駐車場まで会いに行ったとの供述は,Sの証言により裏付けられている。
 
Dの逮捕に至る経緯は,平成12年4月か3月に,Cから,Yを埋めた山が写ったので,身を隠した方が良いと言われ,Yを殺した容疑で警察に追われているとの認識を持ち,大阪,東京などへ逃げて身を隠していたが,疲れたので,名古屋駅まで行き,岡崎警察署に電話をかけて警察に逮捕された(第8回公判480ないし487項)というもので,いわば自発的に逮捕されている。
 
また,Dの捜査段階における供述の変遷をみるに,Y事件により平成12年5月19日逮捕され,その翌日である同月20日付け警察官調書(写し。弁15)においては,「(Y事件は)身に覚えのないこと。」と供述していた。その後,平成12年5月30日付け警察官調書(写し。弁16)において,C,EがY事件で起訴され,自分の名前を出して供述していることから,自分も話をしようと決心した旨供述し,Y事件について供述を始めている。もっとも,Y殺害の動機,原因等については言いたくない旨供述する。Y事件については,その動機について供述しないまま平成12年6月9日起訴され,同年7月17日,X事件により逮捕されたが同日付け警察官調書(写し。弁21)において,「Xが射殺されたことは,知っていますが,私は関係しておりません。」と供述する。しかし,同日付け警察官調書(写し。弁22)において,Y事件の原因,動機について,「今まで被告人をかばって説明していなかったので,被告人が話さない限り発覚しないはずだった。被告人が話したということが分かったので,もはや被告人をかばう必要もない。Y殺害は,被告人の指示によるものである。」旨供述する。同日付け警察官調書(写し。弁23)において,Y事件について被告人に指示された状況を供述する。その後,平成12年7月19日,X事件により勾留された。平成12年7月29日付け警察官調書(写し。弁24)において,X事件について,共犯者であるBのことも考えこれまで否認してきたが,組長(被告人)命令とはいえ,自分たちの犯した罪の重さ,事件の重大性,人の命の尊さ等を色々考え,真実を話すことで,罪の清算をしようと決意した旨供述し,同月31日付け警察官調書(写し。弁25)において,X事件について供述し,その後,X事件,Y事件,いずれも自己の関与を認めると共に,被告人の指示に基づくものである旨一貫して供述している。
 
Dの供述の経緯についての公判供述は以下のとおりである。
「Y事件については,逮捕当初から,Cが認めているとの話を取調官から言われており,最初は否認していたが,Cが既に話していたため,Y事件については認めたが,被告人の指示であることは話さなかった。その後,X事件で逮捕され,当初は,Bのことを話さなければならなくなるのと,Y事件を認めた上にX事件を認めれば,刑が重くなることを考え否認していたが,途中で,取調担当の内田検事から,このまま否認していると2人が浮かばれんぞ,言った方がいいと説得され,そのときにじいんとくるような言葉を言われた。また,Cが既に被告人の名前を暴露しているということも聞いていた。そこで,二,三日待って欲しい,調べ官に一応話すと話をして,その後,2人のため罪の償いをしないといけないと思い,全てを話した。」
 
供述の経緯についてみると,当初,否認していたが,Cがすでに自白していることを知り,Y事件について供述を始めたのは,自然かつ合理的である。次に,指示者として被告人の名前を出した経緯をみるに,Cが被告人の名前を出している旨説得されたとの供述は,Cが指示者として被告人の名前を調書にした平成12年7月10日であり,その後,Dが被告人の名前を出しており,Cの供述の経過と整合性がある。
 
以上の事情からすると,Dの供述の信用性は高い。
 
これに対して,主任弁護人は,「Dは8月ころ被告人からけん銃を交付されYに預けていたというのであるから,X事件の際,被告人が8月ころ渡したけん銃の所在を確認せず,あえて新たにけん銃を交付する必要はない。Dは,8月に受け取ったけん銃は警察の捜査を懸念して自宅においていなかったが,X事件の際渡されたけん銃は自宅においていたと述べ,Yに預けていたけん銃の所在については曖昧な供述をしている。このようなDの供述は不自然であり,X事件の際,被告人からけん銃の交付を受けたとのDの供述に信用性はない。」旨主張する。しかし,暴力団員として事が起こった際に備えてけん銃を手元に置いておくことは不自然なことではなく,犯行に使用したけん銃を手元に置いたままにすることができないことからすれば,犯行に使用するためのけん銃を別途調達することは合理性がある。また,Dは,X事件の際被告人から渡されたけん銃は,別の人間のところに預けていると供述しており(第9回公判180項),以前に渡されたけん銃の取扱いとの間に整合性は認められる。以前に預かったけん銃のその後の行方が不明である点については主任弁護人指摘のとおりであるが,Yの死亡により,その行方が明らかでなくなることは十分あり得ることであり,それほどの不自然さは認められない。主任弁護人の主張には理由がない。
5 共犯者の引き込みの危険性
 
主任弁護人は,「Cら共犯者とされる者は,自己の刑事責任の軽減をはかって指示者として被告人を挙げている。本件は,殺人等の重大事件であり,有罪の場合極めて重い刑罰に処せられることが予想される。しかも,C及びDは,X事件,Y事件の両方に関与し,主導的立場を果たしていたとすれば,死刑に処せられる可能性が認められる事案である。かかる事態を回避しようとすれば,首謀者ないし指示者が存在したことを具体的に述べる必要がある。」と主張する。被告人も「B及びCがF会長に対して被告人についての誹謗中傷を直訴し,被告人をZ会から追い出した上,X事件あるいはY事件が警察に追及されることになったら,被告人に責任を押し付けるとの事前の話ができていた。」旨供述する。
 
重大な事件を敢行した者が指示者を作出して自己の責任の軽減をはかろうとする面があるので,共犯者の供述の信用性の判断には慎重な検討がなされなければならないことは主任弁護人が指摘するとおりである。
 
しかし,B及びCはいずれも,F会長が被告人を除籍処分にしたのは,被告人が覚せい剤の影響で配下の組員に対し,理不尽な暴力を加えるなどしたことなどが契機となっている旨供述しているところ,被告人は覚せい剤を常習的に使用していた上,被告人はF会長の勧めで行橋更生病院の精神科に数か月間入院していることが認められる。更に,被告人は当時Z会の総本部長の地位に在り,F会長子飼いの組員であり,F会長とはいえかかる地位や経歴のある被告人を除籍処分にするにはそれ相当の理由が必要であり,被告人が公判廷で述べるような単なる被告人に対する誹謗中傷のみで除籍処分がなされることなどは考えにくい。共犯者Cらの供述の経緯や状況に照らしても,Cらが被告人にX事件やY事件の責任を被らせようとして事前に相談した形跡は窺えない。B,CやDは,それぞれ指示を受けた者の報復を恐れるなどしたため逮捕当初被告人から指示されたことなどを供述しておらず,その後,BにおいてはX事件を,C及びDにおいてはX事件・Y事件を自供し,それらの事件の指示者が被告人であると供述するに至った経緯に不自然,不合理なところはなく,その自供の経緯に被告人を引き込む危険性は認められない。
 
主任弁護人は,各共犯者の供述がなされた経緯を見ると,Cの供述を基に,他の共犯者の供述は形成されていったもので,捜査官による誘導等も考えられるところであること,被告人がアリバイ作りのためにX事件の犯行当夜愛人とラブホテルに行ったことはアリバイ作りとして合理的とは言い難いこと,X事件の前日のけん銃の試射は,被告人自身が試射しており無意味であること,試射の際けん銃を所持したかどうかの点について,B,Dの供述には捜査段階と法廷における証言の間に変遷が見られ,供述の経緯が不自然であることなどを指摘する。
 
確かに,各共犯者の供述の経緯を検討すると,Cによる自白がなされ,その後D,Bが自白を始めていること,Dは,Cの供述に合わせた部分もある旨証言していることが認められる。しかしながら,B,Dが供述を始めるに至ったのは,Cが供述していることから自己の罪責を免れることができないと考えた点にもあること,供述を開始した時点では,既に犯行から2年余の年月の経過があり,記憶の不鮮明な部分があることはやむを得ず,そのような部分について,先行して供述しているCの供述を基に記憶の喚起を行うことはあながち不合理とは言えない。また,その供述内容を見ると,X事件について,Cは,平成12年7月28日付け警察官調書(写し。弁43)において,犯行前日の10月5日のロマンスヶ丘での試射,X方の下見について,組事務所からロマンスヶ丘へ1台の自動車で行き,X方へ行く前に一旦組事務所へ戻り,Cが当時使用していた自動車に乗って,被告人らが乗った自動車についてX方付近へ行った旨供述するのに対して,Dは,平成12年7月31日付け警察官調書(写し。弁25)において,「ロマンスヶ丘での試射に行く際,2台の自動車に分乗して行った。その後,一旦事務所に戻ったような記憶もあり,とにかく同じメンバーでX方付近に下見に行った。」旨供述する。Bは,平成12年7月31日付け警察官調書(弁10)において,「ロマンスヶ丘へ行く際には2台の自動車に分乗して行った。その後,再び自動車に分乗してX方付近へ行った。」旨供述する。Y事件に関しても,Cは平成12年7月11日付け警察官調書(写し。弁61)において,10月12日Y殺害を被告人から指示された際のC,Dの言動について「兄貴考え直してください。」と言って被告人を説得しようとしたと供述しているのに対し,Dは,平成12年7月17日付け警察官調書(写し。弁23)において,同様の場面について,被告人に考え直して貰うため,Cと2人してその場に土下座して,「兄貴(被告人),これだけは,できんですよ,勘弁してください。」と何度となく,頭を床にこすりつける様にして被告人に頼んだ旨供述している。このように,Cの供述とB,Dの供述内容は,食い違いも認められ,各人の記憶の食い違いから生じる供述内容のずれにつき,主任弁護人の指摘するように,捜査官がCの供述調書に合わせる形での誘導を行ったものとは考えにくい。むしろ,被告人が指示した際の状況,盗難車が動かなくなった際の被告人の言動,X事件前日の下見など中核的部分についての供述はほぼ符合しており,各共犯者の供述の信用性を相互に補完して高めているものというべきである。
 
また,被告人の試射の際に被告人自身が試射をしたことは,共犯者を鼓舞する行為として捉えることは可能であるし,X事件当夜,被告人がK医院を抜け出しスナックのママとラブホテルにいたことについては,これによりアリバイを作ることも十分可能であることから,直ちに,Cらの供述の信用性を失わせるとは言い難い。試射の際使用したけん銃についてのB,Dの供述経緯を見ても,Bは,当初被告人から渡されていたけん銃を持ってきて試射したのか,被告人からけん銃を借りて試射したのかはっきりしない旨供述し(平成12年7月31日付け警察官調書。写し。弁10),その後の公判においても,事前に受け取っていたけん銃を持ってきたような記憶もあるが,定かではない旨証言する(第3回公判288ないし297項)。Dも,捜査段階においては,被告人から渡されていたけん銃を使用して試射を行った旨供述する(平成12年8月2日付け警察官調書。写し。弁28)が,公判においては,被告人からけん銃を借りて試射した旨供述し(第8回公判139ないし145項),捜査段階においてけん銃を持って行ったと供述したのは取調官から,試射したのだからけん銃を持っていったのだろうと言われ,殺したことに間違いないのでこのように供述したのであり,公判の時点では持っていってない記憶の方が強いと供述する(第9回公判81項以下)。確かに,主任弁護人指摘のように供述に変遷は見られるが,いずれも,自己の直接行った犯行や被告人の指示に関する本質部分ではなく,時の経過と共にこれらの記憶が減退することはむしろ通常であり,共犯者らの供述の信用性を減退させるものとは言い難い。
 
更に,C,D,Bは自己が行った行為を認めながら,それぞれ被告人から指示されたものであると供述している上,暴力団の構成員特に,その幹部が当時の組長に濡れ衣を着せる虚偽の供述をすれば関係者の怒りを買うことが容易に予想されることに照らしても,共犯者Cらの各公判供述等には引き込みの危険性は認められないものというべきである。
6 小括
 
各共犯者の供述内容が客観状況に符合するとともに,各共犯者間の供述内容はほぼ符合し,相互にその信用性を補完しており,B,C,Dの各公判供述は信用性が高い。
第4 各共犯者の証言の信用性についての主任弁護人の主張に対する判断
1 10月5日夜の試射及びX方の下見についての主任弁護人の主張に対する判断
(1)主任弁護人の主張
 
主任弁護人は,次のとおり主張し,被告人もこれと同旨の供述をしている。
 
即ち,被告人は10月5日夜K医院におり,当日は体調不良であったから,C,D,Bと共にロマンスヶ丘にけん銃の試射に行ったり,X方へX殺害のための下見に行けるはずはない。そもそも,被告人が夜間無断でK医院を抜け出すことは極めて困難であるし,病院のドアには中から鍵がかけられており,看護婦に気付かれることなく病院へ戻ることは不可能である。K医院では午後9時の消灯時に見回りがなされ,午前零時には巡視がなされるから,仮に,被告人が夜間,K医院を抜け出して前記のようなけん銃試射及びX方の下見をしたとすれば,10月5日午後9時ころから翌6日午前零時ころまでの間になされたということになる。すると,Bらの供述によれば,被告人は,K医院から被告人方に行き,その後ロマンスヶ丘,X方,K医院と行動したことになる(Cの供述によれば,ロマンスヶ丘へ行った後,一旦被告人方に戻ったことになる)。この経路は,約53.9キロメートルで,ただひたすらこの経路を辿っただけで車両での所用時間は約1時間25分(K医院から被告人方に行き,その後ロマンスヶ丘,X方に行くには,自動車で移動するだけでも約47分を要する。)とされている(裏付捜査報告書(甲171))。他方,X方付近に居住するGは,10月5日午後10時過ぎころ,暴力団員風の男達を見かけており,その者たちはCらと考えられ,したがって,CらはX方付近に午後10時過ぎころ到着していることになる。K医院から被告人方に行き,その後ロマンスヶ丘,X方へと自動車で行く際の所要時間(約47分間)や,被告人方からCらを呼び出したり,ロマンスヶ丘での試射の所要時間等をみれば,10月5日午後9時過ぎにK医院を出発してX方付近に午後10時過ぎころ到着するのは不可能である。したがって,被告人が10月5日夜,けん銃を試射し,X方の下見にも同行したとする証人C,同B,同Dの各公判供述はいずれも信用し得ない。仮にCらが供述するように下見の際犯行を促す者がいたとしても,それは被告人以外の真の指示者である。
(2)客観的証拠により認定できる事実
〔1〕距離関係,所要時間
 
裏付捜査報告書(甲171)によれば,K医院は,福岡県××郡××町××に位置し,被告人が当時自宅兼A組事務所として使用していた場所は福岡県××郡××町××に位置し,けん銃を試射をしたとされるロマンスヶ丘は同町大字伊方1,541番地1付近路上に位置し,下見をしたX方は福岡県××郡××町××に位置する。捜査用車両で一般道路を走行し,その車両の速度は制限速度を保って,距離・所要時間が計測された。これによると,K医院から被告人方までは約9.9キロメートル,所要時間約15分,被告人方からロマンスヶ丘までは約3キロメートル,所要時間約6分,ロマンスヶ丘からX方までは約16.5キロメートル,所要時間約26分,X方からK医院までは約24.5キロメートル,所要時間約38分であった。その結果K医院~被告人方~ロマンスヶ丘~X方までの総距離は約29.4キロメートル,総所要時間約47分で,K医院~被告人方~ロマンスヶ丘~X方~K医院までの全行程の総距離は約53.9キロメートル,総所要時間は約1時間25分であった。
〔2〕被告人の入院状況
 
被告人は,9月21日K医院に入院,10月16日退院した。被告人は入院当初2人部屋である202号室(2階)に入ったが,10月6日1人部屋である207号室(2階)に移った(病棟日誌(抄本。甲175))。当初被告人と202号室で同室であったZ会のWは,被告人の入院から四,五日ないし約1週間後退院したので,その後207号室へ移るまでの間被告人は202号室に1人でいた(被告人の18回公判供述74ないし79項)。Cらがロマンスヶ丘でけん銃を試射をしたとされる10月5日夜の被告人についての診療録(平成14年押第30号の1)中の看護記録(以下,単に「看護記録」という。)をみると,同日午後6時には,「吐気,嘔吐(-),腹部不快(-),背部痛(+),シップ貼用中,両眼瞼下部発赤(+),発疹軽度,掻痒感幾分消失す,本日kot(-),腹部膨隆(±),ソフト腹鳴可」との記載がなされ,翌6日午前零時には「巡視,入眠中」との記載がなされている。その看護記録に記載されている事項は業務の過程で記載されたものであり,記載された事項については信用性が高いものである(記載のない事項についての評価は後述のとおりである。)。当時K医院の当直看護婦であったLの平成12年8月2日付けの検察官調書謄本(不同意部分を除く。甲81)によれば,被告人が,10月5日午後6時と翌6日午前零時にはK医院にいた事実が認められる。
〔3〕Gの供述
 
Gの証言や捜査段階における供述(検察官調書謄本(甲56),警察官調書謄本(甲172))によれば,Cらは,10月5日午後10時20分ころ福岡県××郡××町××北側路上のX方付近にいたことが認められる(なお,主任弁護人はGが暴力団員風の男を見た時刻は午後10時過ぎころであった旨主張し,Gの前記検察官調書謄本(甲56)には,犬の散歩中午後10時過ぎころヤクザみたいな男の人5,6人を見かけたことがある旨の記載があるが,GはX事件が発生した4日後の10月10日警察で取調べられた時の方が記憶が鮮明であると証言している上,警察官調書謄本(甲172)では犬の散歩の時間を考慮してヤクザみたいな男の人達に追い掛けられたのは午後10時20分ころだと思う旨具体的に供述しているのに,検察官調書の冒頭で唐突に午後10時過ぎころと変更されていることなどに照らし,Gがヤクザ風の男と会った時間はその記憶が新しい警察官の取調の際に述べた10月5日午後10時20分ころと認められる。)。 
〔4〕10月ころのK医院における看護婦の勤務体制,入院患者の数,同医院の繁忙度,出入口の状況等
 
10月ころの看護婦の勤務体制は日勤が午前8時30分から午後5時30分まで,居残り当番は午後5時30分から午後8時まで,夜勤(当直)は午後5時30分から翌日の午前8時30分までとなっており,午後5時30分からは居残り勤務の看護婦と当直勤務の看護婦が入院患者の看護等にあたり,午後8時以降翌日の午前8時30分までは当直勤務の看護婦1人が入院患者の看護等にあたることになっていた(Lの検察官調書謄本(不同意部分を除く。甲81),Mの検察官調書謄本(甲82))。K医院の1階と2階には合計19床のベッドがあるが,10月5日も定床数19床のところに19名の入院患者がいた(病棟日誌(抄本。甲175))。病棟日誌(抄本。甲175)には,10月5日ナースセンターに隣接する観察室に患者がいたかどうか記載がないが,同日は,被告人のいた202号室(2人部屋)のベッドが1個空いていた上,10月1日の頁には,201号室から観察室へ1名の患者が移動していて,その後同月5日まで記載を見ても,観察室から一般病室への移動の記載がない(10月6日の欄には,観察室から当直室へ,観察室から202号室への患者の移動が記載されている。)ことを併せ考えると,10月5日の時点で,観察室には少なくとも1名の患者が入っていたのではないかと思われる。 
 
K医院の繁忙度につき,同医院の事務長を務める証人Nは,「K医院は平成8年4月開院された。同医院は新規の診療所であり,他の病院と同じことをするのではやっていけないから,院長も夜遅くまで診察し,診療所ではあるが,重傷患者や夜悪くなった患者も引受けた。院長は,開業前,田川地区で患者を診察していたが,K医院開設後も,従前診察した患者の中でも,特に循環器に関しては,かなりの患者が院長を頼ってきた。循環器の患者の診察は,昼,夜,日曜,祭日もない。それを開業から最初の3年間やった。平成8年4月のK医院開設から同11年3月ころまでは,病院としても昼夜を問わず非常に忙しかった。常に観察室に重症患者を抱えており,患者の身内の方等が昼夜を問わず出入りし,時には重病の患者がいれば,身内の方の出入りが午後11時,翌日午前零時ころまであり,平成9年当時は毎日が,ばたばた遅くまでやっていた時期で午後9時の消灯後も1階ナースセンターの外側の夜間の出入り口ドアの鍵が開けられたままの日も結構あった。当時はいつも観察室に3人位の重症患者がいた。」旨証言している(平成14年6月14日の期日外尋問調書)。
 
入院患者がK医院から外出する際の出口の状況をみるに,同医院の2階北側には片開き戸が設置してあり,この片開き戸を出ると外階段を使って外へ出ることができる。この片開き戸にはシリンダー錠があり,内側からの開閉はこのつまみを回すことでできる構造になっている(写真撮影報告書(甲174。不同意部分を除く。))。被告人はこの2階出入口から外階段を使って外へ出る方法につき,看護婦専用と考えていたのでこれを使って外出したことはないというが(20回公判104項),被告人の公判供述を前提としても,被告人はこの階段の存在自体は理解していたものである。1階ナースセンター前の廊下には,外へ出る突き当たりに東側出入口があって(両開き戸),ノブにシリンダー錠が設置してあるが,このつまみを回せば内側から開閉が可能である。更に,このドアのすぐ内側にも,もう1か所の両開き戸があって,ノブにシリンダー錠が設置してあるが,つまみを回せば内側から開閉が可能である(写真撮影報告書(甲174。不同意部分を除く。))。1階ナースセンタードアには上半分にのみガラスが入っているが,磨りガラスであるため,廊下を通る人物の有無,状況を確認しにくい。午後8時以降は看護婦1人となり,1階ナースセンターのドアはすりガラス付きのドアであるから(写真撮影報告書(甲174,写真〔14〕)),ナースセンターにいる看護婦に気づかれないで,入院患者が病院に出入りできる構造になっているし,前述したとおり,2階北側には片開き戸が設置してあり,この片開き戸を出れば,ナースセンターにいる看護婦に気付かれることなく外階段を使って外へ出ることができる。
(3)被告人が10月5日午後9時ころK医院にいたかどうか
 
Lは,前記検察官調書において,看護記録を見ながら以下のような説明をしている。すなわち,「K医院においては,当直看護婦は午後9時には入院患者のいる病室の照明を消しながら,入院患者がベッドにいるかどうかも見て回る。その際,入院患者がベッドにいなければ,病院内を確認して回り,それでも見付からない場合,看護記録に記入するようになっている。10月5日午後6時から翌6日午前零時までの間の記載がないので,午後9時の消灯時刻には被告人がベッドにいたと思われます。」と供述している(なお,Lについては,平成14年1月28日証人採用決定をして2回にわたり召喚したが,出廷しなかった。)。
 
主任弁護人も,異常な事態があれば,看護記録には記載されると考えられるので,何らの記載がないことは,特段の異常がないものと認められ,被告人は,外出する際概ね看護婦にその旨伝えていることを併せ考慮すると,被告人は,10月5日午後9時ころはK医院の病室に在室していたと考えるのが自然である旨主張する。
 
しかしながら,当直看護婦が午後9時ころ行う消灯確認自体は,入院患者の身体の状態を確認する目的で行われるものではなく,Lの前記供述は,X事件から2年10か月近くを経た時点でのものであり,X事件当時の記憶は相当薄れていたものと思われ,その供述内容は,看護記録の記載を元に供述しているに過ぎず,自己の具体的な記憶に基づいて10月5日午後9時に入院患者のいる病室の全室の照明を消しながら,入院患者がベッドにいるかどうかも見て回ったと供述しているわけではない。被告人が入院していた当時のK医院看護婦であるMは,検察官に対し,「午前零時の巡視の際は『入眠及び所在確認』で,午後9時はおむつ交換等である。」旨供述(検察官調書謄本。甲82)し,L看護婦が供述するような病院の照明を消しながら,入院患者の所在の確認をしていた状況を供述していない。そもそも10月5日の看護記録に被告人の外出の記入がないことをもって,同日午後9時ころ病院にいたことを意味しない上,看護記録を詳細に検討するに,被告人は,K医院入院期間中の行動として,「2日に一度位は自宅に風呂に入りに帰りよりました(第12回公判163項)。3日連続入浴することもあった(28回公判42項)」,その際には,「5時半から6時ぐらいから1時間か1時間半で帰ってくる。」「消灯までには確実に帰ってくる。」(第16回公判53項以下),「入浴のための外出は看護婦に断っていた(16回公判195,406項)」旨供述するところ,看護記録には,入浴のための外出に関する記載はX事件が発生した日である10月6日午後9時の記載しかなく(Mが記載した。),外出の度に記載がなされているか疑問がある上,不在時の記載を検討しても,9月23日19時の欄に「外泊される」,翌24日午前零時の欄に「外泊中」との記載がなされ,被告人は午後9時には外泊のため不在であったものと認められるにもかかわらず,23日午後9時に看護婦による入院患者の在室の有無の確認がなされていれば,当然不在である旨記載されるべきであるのに,「外泊中」等との記載がない。
 
更に,看護記録の9月27日の記載においても,19時の欄に「外泊中」,翌28日午前零時の欄に「外泊中」との記載がなされ,被告人は27日午後9時には外泊のため不在であったものと認められるにもかかわらず,同日午後9時に看護婦による入院患者の在室の有無の確認がなされていれば,当然不在である旨記載されるべきであるのに,「外泊中」等との記載がない。更に,9月29日は19時の欄に「外出」,翌30日の午前零時欄に「外出中」との記載がなされ,被告人は同月29日午後9時には外出しているものと認められるが,午後9時に看護婦による入院患者の在室の有無の確認がなされていれば,当然記載されるはずの「外出中」等との記載がない。
 
21時の欄に記載がなされているものを見ても,9月26日「不在 同室のW氏の話では散歩に行っているという」,9月28日「(9/29裁判のため外泊との由 Drホウコクす」,10月1日「頭痛軽減」,10月3日「センノサイド2丁服用」,10月6日午後9時「外出 お風呂入りに帰るとの由 1hぐらいで帰ってくるとの由で許可する。」,10月8日「KT再検 KT37.1↓体熱感軽減」,10月13日「KT36.7頭 痛(+)」との記載しかなされおらず,午後9時の消灯の際の不在が記載されているのは9月26日のみである。更に,10月13日,CらがYの殺害を報告に来て,その際,被告人が病院の外に出てその報告を聞いたことは被告人自身も認めるところであり,その時間は,通話記録により午後9時51分の数分後ころのことであることが認められる(E検察官調書謄本(甲136)末尾添付添付料金明細内訳表)が,同日の看護記録の記載を見ても,特段外出の記載がなされていない。K医院看護婦Mは,検察官に対し,「通常の場合,患者さんが外出するには外出願を看護婦らに伝え,院長の許可を受けた上で実際に外出することなるが,いわゆる自由時間については,看護婦達も逐一患者を見張っているわけではないので,その患者が外出したかどうかについて正直なところ把握していない。看護記録に書かれていないとしても,患者が看護婦の隙をうかがって無断で外出することは十分にあり得る。実際に外出との記載がなされていないからといって,必ずしもA(被告人)がずっと病室にいたとは限らない。」旨供述(甲82)している。これらの点からすると,午後9時に看護婦による入院患者の所在確認まで毎日行われていたのか,行われていたとしても看護婦によりどの程度の注意が払われていたか疑問がある上,看護記録には被告人がK医院から外出した場合の全ての記載がなされているわけではないことはもちろんのこと,看護婦による被告人の外出の有無に関する所在の確認は極めて不十分なもので,看護記録に被告人が外出した,あるいは外出中である旨の記載がなされていないからといって,被告人がK医院にいたことを意味しないものというべきである。
 
加えて,Lは,前記検察官調書で,「10月5日ころの当直の状況につき,当直は午後5時30分から翌日の午前8時30分までが勤務時間で,午後8時に居残り当番の看護婦がいなくなった後は,1人の当直看護婦が入院患者の看護に当たり,いつ患者さんからナースコールがかかるかわからないので,トイレに行くとき以外はナースセンターに待機していた。当直看護婦の主な仕事は,入院中の患者さんが異常を訴えたときにこれに対処すること,看護婦で判断がつかない場合に院長先生を呼ぶこと,入院患者がちゃんとベッドで寝ているか夜中に巡視することである。巡視は午前零時ころ各病室を回ってちゃんとベッドに横になっているかの確認をすることで,この巡視は午前零時ころに1回行われるだけである。」旨供述している。被告人の供述によれば,午後9時ころ病室のドアを締めて,それ以前に部屋の電気を消している日もあったこと,病室に電気が仮に点いていれば,ドアの上半分には磨りガラスが入っているのでそのガラスを通して,廊下から病室の明かりが見えて病室の電気が点いているか分かる旨述べている。そうすると,ナースセンターに待機し,1人しかいないLが,巡視(入院患者がベッドで就寝しているか否かの確認)として行う必要がある午前零時以外の午後9時の消灯時間に10月5日の日も入院患者のいる病室の照明を消しながら入院患者がベッドにいるかどうかの確認行為まで行ったのかどうか疑問があり,病室の照明が消えていればその病室には入らずにそのまま通り過ぎて入院患者がベッドにいるかどうかの確認行為をしなかった可能性も認められる。消灯の確認という行為の性質上,廊下から病室内の灯りが消えているのが確認できていれば,敢えて病室内を覗いて患者の有無を見る必要性は認められないからである。
 
病院からの出入りについても,証人Nは,「平成8年4月から同11年3月ころまでは,病院としても非常に忙しく,常に観察室に重症患者を抱えており,患者の身内の方等が昼夜を問わず出入りし,時には重病の患者がいれば,身内の方が夜間11時,12時までの出入りがあり,平成9年当時は毎日が,ばたばた遅くまでやっていた時期で午後9時の消灯が終わった後も1階ナースセンターの外側の夜間の出入り口ドアの鍵が開けられたままの日も結構あった。当時は観察室に重症の患者がいなかったことはない。」旨証言しているところである。仮に同ドアの鍵がかけられていても,摘み型の鍵で(写真撮影報告書(甲174。不同意部分を除く。))看護婦以外でも容易に内側から鍵を開けられる構造になっている。看護婦に気づかれないで,病院に出入りできるかどうかという点についても午後8時以降は看護婦1人となり,1階ナースセンターのドアはすりガラス付きのドアである上(写真撮影報告書(甲174。不同意部分を除く。)),被告人自身も上記1階の夜間出入口ドアは「こそっと,しゃがんでガラスの下を通ってじわっと出れば分からんかもしれない。夜何回か出たことがあるが,そのときは1階ナースセンターナースセンターのドアは閉まっていた」旨(第20回公判)供述するようにナースセンターにいる看護婦に気づかれないで,病院に出入りできる構造になっている。
 
更に,看護記録をみると,外出した被告人の「帰院」の記載はあるものの,それに対応すべき外出の記載がないものもある。
 
これらによると,10月5日午後9時ころの看護記録に外出している旨の記載がないからと言って,被告人が外出していないとはいえず,外出している可能性が十分に認められる。そうすると,「被告人は,10月5日午後6時以降10月6日午前零時までの間の記載がないので,午後9時の消灯時刻には被告人がベッドにいたと思われます。」とのLの前記検察官調書の供述部分は採用し得ず,この供述を持って被告人が,午後9時ころK医院にいたと認めることはできない。
 
以上の検討結果を総合すると,まず,K医院における夜間の繁忙度,当直勤務の看護婦が1名であること,同医院の出入口の状況・構造,ナースセンターと夜間出入口との位置関係,同センターのドアの状況,看護記録の分析結果等などからすると,午後9時の消灯時刻における看護婦による見回り時に入院患者の各部屋での在室や,夜間の入院患者の外出,帰院を正確には把握ないし確認できなかったこともかなりあったのではないかと思われる。したがって,看護記録に記載のある事項については,記載通りのことが認められるにしても,被告人が外出中である旨の記載がないことから直ちに当時被告人がK医院にいた事実を認めることはできない。
 
結局,被告人が10月5日午後9時ころK医院にいたどうかは他の証拠と総合考慮して決することになるが,前記のとおり,10月5日夜の被告人と共にロマンスヶ丘,X方と移動し,その間に,試射やX方をうかがうなどの行動をしたとするC,B,Dらの供述は信用できるのであるから,被告人は同日午後9時ころK医院にいなかったと認められる。

 なお,主任弁護人は,被告人は当日体調不良であったにもかかわらず,Cらの供述からはその旨の状況がうかがえない,被告人は,K医院を抜け出し,その後,自宅,ロマンスヶ丘,X方と移動し,その間に,試射やX方をうかがうなどの行動をとれる状態でなかった旨主張している。確かに,看護記録(弁2)には,10月5日午前2時の欄には,「背部痛(+)」,午前7時の欄には「背部痛軽度(+)」との記載がなされ,同日午後2時には,「背部痛軽度,心力部痛(-),倦怠感(+)」「毎日注射うっているのに熱が下がらん・・など不満をいっている。」との記載がなされ,同日午後6時には,前記のとおりの記載がなされていることが認められる。しかしながら,看護記録には発疹軽度との記載(午後6時)もなされていること,シップ貼用は背部痛のためのものであり,背部に貼用されているものと理解できること,発熱も37度(午後2時)であり,それほどの高熱ではないことからすると,その旨に言及した共犯者らの供述がなくともそれほど不自然とは言い難い。
 
以上によれば,被告人は,病院での所在が確認されている10月5日午後6時及び10月6日午前零時ころ以外の時間帯,すなわち,10月5日午後6時ころから翌6日午前零時ころまでの間はK医院を看護婦らに気付かれることなく外出することが可能であったわけであるから,その間に被告人は,病院を抜け出して自宅へ行き,その後Cらと共にロマンスヶ丘,X方と移動し,その間に,試射やX方をうかがうなどの行動をした後,10月6日午前零時以前にK医院に帰ることもできたもので,被告人のこれらの行動は看護日誌等の客観的証拠と矛盾しない。
(4)被告人が午後9時にK医院にいた場合の評価
 
ところで,前記のように被告人は10月5日午後9時にK医院にいたとは認定し得ないが,前記看護記録には,午後9時に被告人が不在であった旨の記載はなされていないことなどに照らして,被告人が,午後9時にK医院にいたと仮定した場合についてのロマンスヶ丘での試射やX方付近での下見の時間的な可能性の有無につき検討するに,昼間の時間帯に指定速度内でK医院,被告人方,ロマンスヶ丘,X方,K医院までの経路において行われた距離並びに所要時間の計測結果(裏付捜査報告書。甲171)において,K医院からX方までは総距離約29.4キロメートル,総所要時間47分であり,その内訳として,同医院からA組事務所までは,約9.9キロメートル,所要時間約15分,同事務所からロマンスヶ丘までは,約3キロメートル,所要時間約6分,ロマンスヶ丘からX方までは,約16.5キロメートル,所要時間約26分,X方からK医院までは,24.5キロメートル,約38分の全総所要時間約1時間25分であり,被告人が午後9時過ぎにK医院を出て,午後10時20分ころまでにX方に赴き,午前零時の巡回までの間に病院へ戻ることは物理的には可能であり,看護記録の記載とは必ずしも矛盾するとは言えない。また,Cら共犯者とされる者が呼び出され,被告人方へ行くまでの時間的関係に付いてみても,Bは,被告人から呼び出されて事務所へ行った,呼び出された時間は分からないが,「夕方近くか暗かったのは確かです。」(第3回公判644項),Cは,被告人から呼び出されて被告人方へ行った(第5回公判266項),Dは,自宅にいたとき,被告人から電話があり,呼び出された(第8回公判118項)旨供述しているところ,共犯者は,いずれも呼び出された時間について,明確な記憶を有していない。また,被告人が,いずれの時点で呼び出しの電話をしたのか明らかでなく,これにより直ちに,時間的説明がつかなくなるという事情もない。B(第3回公判244項),C(第5回公判270項),D(第8回公判122項)は当日,被告人は,怒っていた,イライラしていた旨証言する。Bは,ロマンスヶ丘へ行くことになったのは割と早い段階であった(第3回公判672項),ロマンスヶ丘での試射は「そんなに長くじゃない。」「5分から10分くらい」であった旨供述している。また,X方付近にいた時間についても,Gの警察官調書謄本(甲172)によると,男達と会って10分から15分後に男達とあった場所には既に男達も車もなかった旨供述しており,Cらが移動以外の行動に費やした時間はそれほど長時間ではなかったことが認められる。確かに主任弁護人が指摘するように被告人らが急いで行動していた状況は記録上うかがえないが,被告人が当日体調不良であったが故に,各場所において,ゆっくりとした行動をとらなかったと考え得る。さらに,被告人方からロマンスヶ丘の道は山道であり,夜間それほど速度を出せるものではないことは認められるものの,全行程における山道の割合は,それほどの割合ではなく,その余の行程を指定速度以上の速度で走る事も可能である。そうすると,10月5日午後9時過ぎころK医院を出発して被告人方へ行き,ロマンスヶ丘で試射を行い,X方の下見へ行くことは十分可能であり,看護記録との矛盾は認められない。
(5)被告人から,各共犯者への呼び出しの電話連絡
 
弁護人は,「被告人は,電話番号が010―08―×××××の携帯電話(以下,「本件携帯電話」という。)を使用していた可能性が高いが,同電話の通話状況を見ると,Cに対して電話をかけた可能性は否定できないものの,B及びDに対して電話した状況は認めることはできない。被告人が本件携帯電話以外の電話で連絡した可能性は客観的には存在するが,被告人からのBやDへの電話の内容は特に秘匿を要する内容ではない上,K医院の公衆電話が設置されている病院待合室は午後6時あるいは午後7時以降は施錠されており,同待合室には通常出入りできず,被告人は解錠する方法を知らなかったもので,被告人が,CやBらへの連絡に関して公衆電話を使用していた状況は認められない。X事件の共犯者であるYが使用していた携帯電話の通話状況を見ると,YがDに対し,頻繁に連絡している状況は認められるものの,被告人に対する電話は一切ない。かかる被告人ら関係者の通話状況に照らすと,被告人から電話で呼び出しを受けたとするB,Dらの供述は信用し得ず,被告人のCらに対する指示等を裏付けるような状況を認めることはできない。」旨主張する。
 
確かに,10月5日夜の状況につき,Bは,自宅にいたところ,夕方近くか,暗くなってから被告人から「まあ来いという感じで」(当時の被告人方に)「呼び出しを受けました。」と供述し(第3回公判239,643,644,647,648項以下)(Bの平成12年8月3日付け警察官調書(弁11)参照),Dも自宅に居たとき被告人から電話で被告人宅に今からすぐ出てこい。」と言われた旨供述しているところ(第8回公判113ないし120項等)(Dの平成12年7月31日付け(弁25),同年8月10日付け(弁32)警察官調書参照),本件携帯電話の通話記録(A使用の携帯電話の架電状況一覧表作成に関する報告書(甲184))をみると,10月5日午前9時21分,午後7時2分,7時22分本件携帯電話を使ってCの携帯電話機に電話した可能性,同日午前10時31分にD又はBの携帯電話へ1度電話した可能性が認められるに過ぎず,被告人が,本件携帯電話を利用して10月5日夜D又はBに電話していることは認められない。
 
この点,検察官は,被告人はCに連絡を取り,それを受けてCがBやDを呼びだした可能性が高いと主張するが,B,Dは,Cなどから電話を受けた旨は証言しておらず,C自身もB,Dを呼び出したことを証言していない。 
 
そこで,被告人が,10月5日,電話で,BとDを呼び出すことが可能なのかを検討するに,関係各証拠によれば,K医院には待合室に公衆電話が設置されており,午後六,七時以降には待合室に通じる扉はすべて施錠されるが,待合室横の階段に通じるドアの鍵はシリンダー錠で階段側からはノブについている突起部分をひねると鍵が開放される仕組みになっているため,2階の入院患者が階段を下りて鍵をあけ待合室に入ることは可能な状態であった(電話聴取書。甲191)こと,当時の被告人宅と同じ敷地にあるA組の事務所にも公衆電話が設置されていること(被告人第29回公判),K医院から歩いて3分程度しかかからない距離に3代目Z会会長のF会長宅と事務所があり,その事務所にも当番用の公衆電話が設置されていること(被告人第29回公判)が認められる。そうすると,前記認定のように被告人は10月5日午後9時より前にK医院を抜け出していることからすると,被告人が,自己の携帯電話以外にも自宅の電話又は各組事務所の公衆電話などを利用して電話することも可能となる。また,被告人は,当時は1台の携帯電話しか使っていなかったと供述するものの(第29回公判),Cは,公判廷で,被告人との連絡にはいつも自分たちの携帯(電話)を使ったりしていたかとの質問に対し,「いいえ。ちょっとやばい話は公衆電話で,公衆から病院の公衆電話に架けたりとか,使い捨てと言って,組長は2台か3台持たれておったんですよ。違う人の名義とか。その電話にかけたりしていました。」と証言している(第6回公判325項)。その証言は,具体的なものであり,あえて虚偽の証言をする必要性のない場面での証言であることからするとその信用性が認められる。そうすると,被告人が,前記報告書記載の携帯電話以外の携帯電話を使用していた可能性は否定できない。その上,共犯者らについて,被告人は,「時期ははっきりしないが,使い捨て電話がはやったことがあった。Cも使い捨て携帯電話を使っていたこともあったし,BやDも皆使い捨ての携帯電話を持っていたかもしれない(第29回公判146ないし156項)。」旨供述している。 
 
Cは,X殺害後,その日の夜「林林」から携帯電話を使って被告人の携帯電話に電話をかけてX殺害計画を実行したことを報告しているが(Cの5回公判448項),Cが当時使用していたことが特定されている携帯電話機(電話番号020―58―×××××)の通話記録には,これに該当するものが残っていない(C使用の携帯電話の架電状況一覧表作成に関する報告書謄本(甲187))。したがって,Cも複数の携帯電話機を使っていたのではないかと思われる。
 
更に,Cは,X事件の翌日である10月7日朝,警察による捜索差押えが自宅に入ったことについても被告人に連絡をしたと証言し(C6回公判30項),被告人も同旨を述べているが(被告人の平成12年9月11日付け検察官調書(乙21)),この点についても,Cの前記携帯電話機(電話番号020―58―×××××)の通話記録には,これに該当するものが残っていない(C使用の携帯電話の架電状況一覧表作成に関する報告書謄本(甲187))。この点も同様に評価できる。
 
加えて,Cは,10月7日,被告人からYをK医院へ連れて来るように言われてその日のうちにYと再び会って同医院へ連れて行ったと証言し,Yとの連絡につき携帯電話機を使ったといい,その状況については,一旦帰宅して妻にRAV4を運転させて川崎町へ行き,そこで携帯電話機を使ってYを呼び出し(YにCのセルシオを使わせていた。),2人でK医院へ行ったと証言している(6回公判56項)ところ,Cの携帯電話機の通話記録には午前9時21分にYの携帯電話機に電話をかけた可能性しかなく,証言内容からして電話をかけた時刻はかなり遅いものと思われるが,それに該当する通話記録は残っていない。この点も同様に評価できる。
 
被告人は,Bらの携帯電話の番号につき被告人使用の1台の携帯電話にしか登録していなかったのであるから,とばしの電話などに電話した可能性はないと思うと供述するが,そもそも,被告人の携帯電話に登録されていたCらの携帯電話の番号が,本件証拠上現れている共犯者らの番号であるかすら定かではない。そうすると,C,B,Dらが本件証拠上現れていない番号の携帯電話を使用していた可能性も否定できない。これらの点を総合すると,結局,被告人の携帯電話の使用状況から,直ちにB,Dの証言が,これと矛盾しているとは言えず,被告人が10月5日夜本件携帯電話でBやDに連絡をしていないとしても,被告人には前記のように他の電話でBやDに連絡する方法が存在し,その使用の可能性も認められるのであるから,本件携帯電話でBやDに連絡をしていないことをもって被告人から呼び出しの電話を受けたとするBやDの各証言,ひいてはCの証言の信用性は減殺されない。
 
この点,主任弁護人は,Bらを呼び出すとしたら,「自宅に来てくれ」といった内容を伝えれば足りるのであるから,被告人からのBやDへの電話の内容は特に秘匿を要する内容ではない旨主張するが,被告人は,公判廷で,「平成9年10月6日深夜,CからXが撃たれたとの連絡を受け,A組事務所に設置されていた公衆電話を使用してZ会本部のF会長にその旨の報告をした。それは,当時,「盗聴問題がものすごく言われていた。携帯でなるべく大事な話はするなと言われていたからである。」旨(第29回,30回公判),

(X事件当日)被告人はラブホテルにいたところでCから電話連絡を受けA組事務所に戻り,公衆電話を使ってZ会本部に電話をかけて「Xさんが撃たれたらしいから,ガサ入れがあるか分からんけん,みんなに連絡せいよ。」と連絡したことにつき,「大事な話は携帯ではせんというのが私たちの常日頃思っている気持なんですね。・・・常に盗聴とか,何とかそういう頭があるもんやから,たしかその電話(A組事務所の公衆電話)で電話したと思います。」旨(12回公判188項)供述している。
 
また,被告人は,10月7日K医院に戻って寝ていたところ,同日朝早くU弁護士から電話が入り,同日午前,Cに電話をかけてU弁護士を迎えに行かせたというが(12回公判197ないし205項)このときの電話連絡に相当する通話記録は本件携帯電話のそれに残っていないから,このことは,被告人が複数の携帯電話機を使っていたか,K医院の公衆電話を使ったことを窺わせる。
 
更に,被告人自身も,10月7日,K医院の公衆電話で,誰がX事件を実行したかにつき,誰かと話した旨供述している(12回公判214項)から,被告人は,必要がある場合には,K医院の公衆電話を使っていたことも認められる。
 
これによれば,被告人は,盗聴の危険を日頃から意識し,X事件当時,Z会全体に対して捜査の手が及ぶことを恐れていた状況がうかがわれ,10月5日の呼び出しの際も,C,B,Dらを同行してロマンスヶ丘で試射をし,X方付近で下見までし,それらを予定していたと思われる被告人が,盗聴や事件後の携帯電話の履歴調査等による警察の捜査によりX事件への関与が明らかになることを恐れ,上記被告人が所持していた携帯電話以外の方法によりBやDらに連絡をとったとして何ら不自然なところはないのであるから,前記主任弁護人の主張は採用し得ない。
 
なお,主任弁護人は,Yの携帯電話につき,被告人に対する通話記録は残されておらず,仮に被告人が積極的にX事件直前に犯行に関与していたのであれば,Yの携帯電話から被告人に対する通話記録が残されてしかるべきであり,このことからも被告人の関与はうかがえない旨主張する。
 
確かに,Yが当時使用していたと思われる携帯電話の通話記録(Y使用の携帯電話の架電状況一覧表作成に関する報告書謄本(甲185))を見ると,被告人に対する通話の記録は全く残されていない。しかし,Yとしては,盗んだ自動車を被告人方車庫へ持ち込んでそこでナンバープレートを付け替えており,盗んだ時刻がK医院に入院している被告人の就寝時間帯でもあることから,10月6日直接同医院へ行って被告人に報告することも十分考えられるし,公衆電話の使用も考えられる。Cは,被告人とは電話でやり取りをしていたが,「ちょっとやばい話は使い捨ての電話にかけたりしていました。」と供述し(第6回公判325項),組員全体が携帯電話が盗聴されることや,後の通話記録が問題になることを意識している状況が認められる(なお,被告人はZ会の総会でも盗聴に気を付けるようにとの話があったと供述している。)。被告人は,前述のように使い捨て携帯電話は皆持っていたかもしれないと述べていることなどに照らすと,Yが記録上明らかになっている携帯電話以外の携帯電話を使用している可能性も否定できない。更に,被告人は,X事件後,Yに対して,元妻のHの携帯電話を渡してこれを使用させているところ,この点も,被告人が捜査機関に対する発覚を気にしていたことの現れと理解できる。事件後の捜査により本件に被告人が関与していることが明らかになることを避けるため,被告人に対する直接の電話を避けていた可能性もあり,Yが所持していた携帯電話に被告人に対する通話記録が残されていないことと,被告人がX事件に関与していることとは矛盾するものではない。
2 Y事件の発覚の経緯等に関する主任弁護人の主張に対する判断
(1)主任弁護人の主張
 
主任弁護人は,「X事件,Y事件の犯人発覚の経緯は,被告人が,別件捜査中に警察官に対し,Y事件の実行者の名前を述べ,これによって,警察官がEからY事件の自白を得たことから同事件が解明されることになったものであり,かかる経緯に照らすと,被告人が,X事件,Y事件を指示したとは到底考えられない。すなわち,被告人は,Y事件の解明について,自己の知っている知識をP1警察官に提供し,Eの自白やDの自白を促そうとし,現にかかる被告人の行為があったことによって,Y事件の解決,その後のX事件の解決に至っている。このような行為は,自らが犯行を指示した者の行為とは到底考えられない。」旨主張する。被告人も,公判廷で「Eの自首によってY事件及びX事件は解決した。私が共謀したり,指示しておればEに自首を勧めるでしようか。自分はP1刑事のノートにEにあてて,タケシ(Y)の遺体を出して成仏させてやってくれ等と書いてまでしてEの自白を促そうとした。」旨供述している。
(2)判断
 
確かに,覚せい剤取締法違反,dに対する殺人未遂事件などで被告人を取り調べた警察官であるP1(以下,「P1」という。)は,公判廷(第14回公判)において,「Y事件について,被告人は,関与を全面的に否定したが,Y事件に関してはEから話を聞くように言っており,Eに対して,Y事件に関与しているのであれば,全部話してしまうように,それが殺されておるYの供養にもなるんじゃないかと言っていることを伝えて欲しいと言っていた。そこで,平成12年2月14日から同月18日までの5日間,高松刑務所で服役していたEを取調ベ,同月18日にはEが自白した。その後平成12年2月24日,同月25日再度高松刑務所へ行き,Y事件について実行犯の特定等に関する供述調書を作成した。Dは,別件で勾留中の被告人につき,結局面会には来なかったものの,被告人はDの面会を受けてDに自首を促そうとしていた。Yの死体が埋められているのではないかと大阪山まで被告人と見に行ったこともある。私(P1)としては,Y事件については被告人が果たして本当にY殺害を指示したのかという思いがある。」旨供述している。
 
Eも,Y事件を供述するに至った経緯について,公判廷(第10回公判)で「高松刑務所で服役中,福岡県警の警察官が,X事件等について知っているのではないかとのことで話を聞きに来た。これについては知らないと供述していた。その後,Y事件について,P2刑事とP1刑事が2度に分けて話を聞きに来た。まず,Yを殺したのはEではないかと追及され,当初は全然知らないと供述していた。しかし,私も良心の呵責があり,P1刑事の話の中で,被告人が『Yの死体を上げてやって成仏させてやれ。』というようなことを言っていると聞かされて,それで決心して話をするようになった。その際被告人が作成したメモ等は見せられていない。」旨供述している。更に被告人の前記供述を併せて考えると,被告人がY事件の実行行為者の名を供述し,これによりP1警察官らが高松刑務所で受刑中のEと面談し,被告人からの,Yの供養にもなるのでY事件に関与しているのであれば,話すようにとの伝言を聞いて,EがY事件を自白し,その後Eの指示説明に基づきYの死体が発見されたことが認められる。したがって,被告人はY事件の解明につながる結果となるYの死体発見に協力する動きをしており,Yの死体が発見されたことがY事件の解明につながり,ひいてはX事件の解明にもつながっている。
 
しかしながら,被告人がYの死体発見に協力的であったことと,被告人が,Y事件及びX事件に関与していることとは矛盾するものではない。即ちP1は公判廷で,警察は,X事件についてA組の関与を強く疑っており,平成11年9月末から同年12月中旬ころにかけて,被告人に対してもその点を追及していたところ,X事件の原因について,被告人は,「一つは,Xが当時のZ会3代目会長の敵であること,もう一つは,自分の兄弟分qをXが警察にちんころ(密告)したことであり,A組が関与したことに間違いはない。」旨供述していたと証言している。
 
dに対する殺人未遂事件の起訴(平成11年12月15日)後,P1は主にX事件について被告人の取調を行った。被告人は,当初,X事件について,実行犯の名前を明らかにすることはできないと言っていたが,「下(実行犯)から上がってくれば最終的には最高責任者である自分が責任をとる。」と言い,X殺害については,「自分がCに対してX殺害を指示したところ,Cは,任せてくれ,期限は切らんでくださいと被告人に進言してきた。指示の内容としては,Xの家族を巻き込まないように,事故か何かに見せかければXが出てくるだろうから,そこを狙うよう指示した。犯行の前日,配下の組員を連れてX方に下見に行った。事件後は,Cから電話で事後報告があった。このとき,被告人はホテルにいた。」と供述し,関係者としてはCの他に,D,B,Y,Eの名前を挙げていたが,調書にすることについては拒否していたので,最終的に,X事件の原因,動機についての供述調書が1通のみ作成された(P1証言)。
 
更に,被告人の捜査段階における供述経緯を見ても,被告人は,X事件により,平成12年7月18日逮捕され,同月20日勾留,同年8月8日起訴され,Y事件により同月21日逮捕,同月24日勾留,同年9月12日起訴されているところ,同年8月3日付け警察官調書(乙2)において,被告人は,「X事件の逮捕前別件での勾留中である同年6月23日の取調において,X事件はA組が計画したものであり,その動機は,Xが被告人の親分である3代目Z会会長Fを殺害しようとした丙組一派の元組長であること(被告人からみると親の敵),また,XがV社長に働きかけて被告人の兄弟分であるqを警察に密告させて逮捕させたことが原因と話していたが間違いない。しかし,被告人は,X殺害をC,B,Dらに指示したことはない。被告人に対して,X殺害後,B達が報告をしてきたのは,被告人が当時Z会の本部長であったからだと思う。」旨供述する。平成12年8月7日付け検察官調書(乙3)においても,「X殺しを指示したことはない。逮捕直後は,下の者たちが往生したら責任をとると供述し,その後,取調が進むに連れ,共犯者とされるC,B,Dが事件のことを認めだしていると聞き,取調官にも説得され,否認して罪を免れようとすることなく,すべて私が命令したとの内容の調書を作りかけていました。しかし,自分でもいろいろX殺しを振り返るうち,どうしても自分の気持ちを納得することができず,やはり,当初話していたとおり,否認したままで裁判を受け,法廷で決着をつけようと決めました。一時,今回の事件を認めながらも,再び否認しようと決めた最も大きな理由は,今回のX殺しの実行犯であるB,D,Cの言い分はCたちに都合のいいことしか言っておらず,全て当時のA組組長であった私に責任をなすり付けようとしているところが見受けられ,そのことについて,私自身の中でどうしても我慢ならなかったからである。実際,X殺しでCらが捕まる前,ある人を交えて,X殺しについては絶対自白しないと口裏合わせを行っており,被告人もある人から,X殺しを絶対認めないよう言われていた。ところが,Cたちが実際に警察に逮捕されてみると,当初の約束など一人も守ることなく,今回の事件をすべて認めだしたと知り,私も一人のヤクザとして親分の名前を簡単に出してしまうCたちの態度に腹が立った。自分としてもX殺しが行われた当時A組組長であったし,また,C,B,DらがXをけん銃で撃ち殺したことも間違いないので,責任を取ろうと考えていたが,やはり,Cたちの態度にどうしても我慢ならなくなった。否認に転じた理由には,Y殺害で私が再逮捕されるらしいと知った後はどうしても気持ちの整理ができなくなって,X殺しについても認めるわけにはいかなくなったのです。Y事件について逮捕される以上,X事件,Y事件は一つの流れであり,X事件だけを認めることはできない。もっとも,X事件,Y事件についてはZ会総本部長として報告を受けているので,事件について,知っている事は話す。」旨供述し,X事件の動機やCらから報告を受けた内容などについて供述している。更に,同検察官調書(乙3)において,殺人未遂等の事件で,行橋警察署に勾留されているとき,「昨年(平成11年)の暮れから正月(平成12年)にかけて,任意の取調べで警察官に,『X殺しはA組が計画して実行した。』などと話していた。その際被告人は,『自分がX殺しを指示した。』などと言ったのは私の見栄からである。BやDに対し,けん銃や散弾銃を渡していることは間違いありません。ただ,X事件の数日前にはけん銃や弾を渡した覚えはない。10月5日自宅近くにあるロマンスヶ丘へ行ってけん銃の試し撃ちをしたことはない。」と供述していた。
 
かようにP1の証言や被告人の捜査段階における供述経緯を見ると,被告人は,平成11年9月末から同年12月中旬ころにかけて警察で取調を受けた際,Y事件について一貫して関与を否定していたものの,警察官P1らに対し,X事件については,その原因として,一つは当時のZ会3代目会長の敵であること,もう一つは,自分の兄弟分qをXが警察にちんころしたことであり,A組が関与したことに間違いはない旨供述していた上,dに対する殺人未遂事件による起訴(同年12月15日)後はX事件につき実行犯から被告人の名前が出れば最終的には最高責任者である自分が責任をとる,自分がX事件を指示した旨供述し,X事件については自己が最高責任者として責任を負うつもりで一度は自白する決意をしかけた状況がうかがわれる。X事件は,被告人にとって,Z会のためにも敢行したと説明のできる,いわばZ会の中で手柄となるものと考えられるものであり,X殺害の指示を出したA組組長として,責任をとると言いやすい事件であった。しかも,被告人は,形の上では,Z会から,平成11年2月15日除籍処分を,同年10月20日絶縁処分を受けていた上,Cらとの間の信頼関係もなくしており,特にCに対する強い怒りを抱き,かばう気持も薄れてきたのであるから,かつて,A組組長であった被告人自身から,X事件の実行行為者であるCらの名前を出すことには,現役のA組組長であった当時と比較すれば,相対的には,ためらいの感じ方が低くなっていたものと思われ,被告人がX事件につき,警察官P1らに供述する心境になったことは理解できるものである。一方,Y事件については,被告人がY殺害を指示したことを認めれば,親が身内の組員を殺害したものとして暴力団の世界でも外道がする所業として許されない行為を認めてしまうことになり,ひいては,暴力団の中での信頼を失ってしまうことになる。ましてや,Y事件につき,被告人自身が真っ先にY事件の解明につながることを供述することにも強い抵抗を感じたものと思われる。しかし,Y事件については,被告人が公判廷でも「Y(Y)の死体を出して成仏させてやりたい気持ちがあり,Eの自供に協力してきた。」旨供述(27回公判最終陳述)していることなどに照らすと,自己の子分を自己保身のために殺害してしまった上,長期間Yの死体を人知れぬ山中に埋めてしまっているという自責の念にかられて,Yの遺体を出して成仏させてやりたいという思いも抱いていたものと思われる。更に,P1は,被告人は,Cに対する強い恨みを抱いており,Yの死体を警察に発見させることで,Cに対する恨みを晴らしたいという考えももっていた旨証言しているところ(P1証言113,195,243項),被告人としては,Yの死体が発見されてY事件が解明されれば,C逮捕につながってCに対する恨みを晴らすことにもつながると考えたことも理解できる。しかも,Y事件について,被告人は,CらからY殺害後に報告を受けていたとはいえ,Yの死体が埋められている正確な場所を知らなかったものと思われるから,Yを成仏させるために警察官に死体を発掘させようと思えば,Y殺害を実行した者に自白させるしかなく,そのためには,被告人の養子であったE,被告人としてはまだ信頼関係がある程度は保たれていると考えていたDに自白させようとしたことは,それほど不自然ではない。被告人は,A組組長であった上,被告人自身がCら組員にY殺害を指示したものであるから,被告人としては暴力団の世界で強く非難される子分殺しを認めるわけにはいかないのであり,被告人自身が自分の責任を認めないまま,Eに自白させることで,Yの死体を発掘させて成仏させようとしたことも,それなりに理解できる。
 
被告人は,警察がX事件,Y事件を一つの流れとしてとらえていることを理解していたから,X事件だけを認めることはできないと供述している心理状態は了解できるものである。被告人は,自己の子分を自己保身のために殺害してしまったという自責の念にかられて,Yの遺体を出して成仏させたいという思いからY事件の実行者で,死体の場所を知っているEらに自白を促すような行為をしたもので,被告人がそのことをすれば重罪の責任を問われかねないことをも考慮しても,最終的には最高責任者としての責任をとることへの躊躇と自責の念との狭間にあって最終的な決断を決めかねていたものと理解できる。被告人が行橋警察署に勾留されていた際,被告人と面会した被告人の長年の友人であるOが,被告人がまともな精神状態ではないという感じを受けた旨証言している(第11回公判)ことも,当時の被告人の心理状態が揺れ動いていたことを窺わせる。被告人がYの死体が発見されるようにP1刑事を通じてEに働きかけた心理状態はそれなりに首肯し得るものであり,主任弁護人が指摘するほどの不合理性は認められない。
3 まとめ
 
以上によれば,主任弁護人の主張はいずれも採用し得ず,共犯者の供述の信用性が失われる事情とは認められかい。
第5 被告人の公判供述等の信用性
1 被告人の公判供述の概要
(1)X事件についての被告人の公判供述の要旨
 
X事件について被告人の公判供述の要旨は以下のとおりである。
 
X事件当時ころ,筑豊地区で建設業者などに対する連続発砲事件が起こっており,それに絡んでZ会の3代目会長であるFに対して,V建設社長であるV(以下,「V社長」という。)が1000万円を渡そうとしていた。このとき,qの舎弟分でrなる人物に対してV社長は話を持ってきた。9月5日被告人は,会長付で会長と一緒に本家にいたが,同日午後4時ころ,qが会長宅に来て,会長に対して今から金を受け取りに行く旨話して出ていった。その後,qから,恐喝未遂で逮捕されたとの電話が入り,ヤマが悪い(気分が悪い,面白くない)け,会長に後のことをよろしく頼むと伝えるよう伝言をもらった。会長にその旨報告すると,会長は激怒し,被告人にVをどうかせいと激怒していた。被告人は,これを聞いて,殺せという意味と理解した。そこで,本家の当直部屋にいたBと共に本家を出て,近くの鎮西公園で,Bに対して,V社長をどうかせないかん,A組のP3とEにやらせようと話すと,Bは是非自分に行かせて欲しいと言ったので,被告人は「お前一人でやれ。できんやったら自分と一緒に二人でやろうと言った。被告人は事務所へ行き,Bに対してV社長殺害用に使う自動車の代金として50万円渡した。すぐに,Bが自動車の手配をし,Bはかねてから所持していたけん銃を持って添田へ行った。その後,夜8時ころBがV社長方前に,パトカーがいてできないというので,被告人も添田へ行き,V社長方近くまで行くと,同人方の前にパトカーが止まり,V社長殺害の実行が難しいことが分かった。翌朝の8時ころ,再度V社長方へ行ったが,パトカーが停まっており,V社長の妻が運転し,V社長が助手席に,後ろに警察官が2人が乗っているのをみて,V社長を襲うチャンスがなく,引上げた。その旨を,会長宅まで行き報告した。会長は,V社長はおまえに任せるからちゃんとしろと言っていた。その後も,被告人は,V社長方へ定期的に行っていた。qは9月27日V社長に対する恐喝未遂罪により起訴された。被告人は,Wを迎えに福岡県警察本部まで行っていたが,qが起訴されたことを聞いた(第22回公判)。被告人は,帰りにBに対して,明日から当直に入らずにq殺害にかかりきりになるように指示した。XがV社長に対して,告訴を勧めたとの話は,X事件が起こるまでは全く知らなかった(第22回公判)。 
 
X事件当日の夜,私は,病院から外出して,ホテルで女性と一緒にいたが,X殺害の一報はCから,電話で,「今,Xさんが撃たれたらしいですよ。」「家の近くらしいですよ。」と聞かされた。私は,自宅兼事務所に戻り,事務所の公衆電話から,F会長に報告の電話をしたが,会長は既に「連絡が入っちょるばい。」と言い,明日出てくるよう言われたので,私は,一旦病院へ戻った。翌朝,私が,会長宅へ行くと,会長から初めて,A組のC,D,Bが実行した事を聞かされた。このときに,XがV社長に対してqを警察に言うように密告させたと聞かされた。私は,なぜ自分に言ってくれなかったのか聞いたが,会長は,「お前,入院しちょるし,おまえはVがおるやないか。」「QとCがちゃんとそう言ってきたけん,あれたちに任した。」と言われた(22回公判104項)。その後,Qに病院に来るよう言うと,Qは本部で会おうというのでその日の内に本部で会った。私が,「人の若いもん使うなら使うと一言あいさつくらいせんかい。」と言ったが,Qは「文句があるなら会長に言えばいいやないな。」「A(被告人)のとこ使えと会長が言うたんやから。」と言われた(22回公判120項)。 
(2)Y事件についての被告人の公判供述の要旨
 
Y事件について被告人の公判供述の要旨は以下のとおりである。
 
X事件の翌日である10月7日,朝早くA組組員Tの弁護人であるU弁護士からTから面会の要請があった旨連絡があり,Cに迎えに行かせた。昼頃病院にU弁護士が来たが,このときYがTのナンバープレートを犯行使用車両につけたためX事件の重要参考人になっていることを聞かされた。夕方になって,C,D,Bが来た。このとき,事件の詳細についてBらから聞いた。Dからは,Yは身を隠していることを聞かされた(第12回公判197項以下)。Bに対して「何でおれの言うたことを無視して勝手なことをするか。」と言うと,Bは,「q組長の敵でしょうが。」「敵討ちは同じじゃないですか。」と言った。そこで,私は,一応納得して3人の労をねぎらった。(第12回公判231項以下,第22回公判124項)。
 
10月7日夜,消灯時刻である午後9時以降,Yが1人でK医院の病室に来た。Yは,フィリピンに逃がして欲しいと言ってきた。そこで,私は,フィリピンへ出国するための偽造パスポートを作るなどの準備をする間,Yをかくまうために嬉野のOに連絡を取り,P荘の部屋が空いていることを確認すると,同日午後10時ころ出発して,被告人の運転でYを佐賀県藤津郡嬉野町にあるP荘まで連れていった。Yは,このとき大きなバックは持っていなかった。嬉野町に着くと,YにOに挨拶させたうえで,Oか,HからかP荘の鍵を受け取った。P荘へ行き,倉庫から,こたつ台,テレビ,ビデオ,布団など必要な物を持ってきた。さらに,Hの携帯電話を持たせ,Hに食事を運ぶように頼んで,翌8日朝の検温前にはK医院へ戻った(第12回公判250項以下)。
 
Yの殺害を指示したことは一切ない。事件の日(10月13日)の昼ころ,Sから,弁当を持って行ったらYがいない,書き置きがあると電話が入った。その後,Eから今から行くとの電話があり,病院の外で待っていたところ,CとEが来た。Cは,私に「すみません,勝手なことをして,Yを埋めてきました。」と言ったので,私は,興奮して「きさん(きさま)が勝手なことをして。」と言った。Eは,そのまますぐ自動車の方へ行ったが,Cと一緒に私は,駐車場の横に行き,Cが帽子を脱いで,座ったので,私は,「おまえがそげんされたらどげんあるか。」「今度はおれがそうしちゃるたい。」と言ったが,Cがじっと下を向いていたことから,私が足を乗せて,押したらCが尻もちを付いて「すいません。」と言った。このとき,具体的にどういう経緯でという話は聞いておらず,私が「帰れ。」と言うと,Cはすぐ帰った(第12回公判368項以下)。
 
私は,Cらが帰ってから,病室へ戻らず,会長方へ行き,Cらを処分する話をしたところ,会長は,残った者をとらないと仕方がないと言い,処分しないように言われた。このため,私は不服ではあったが,それに従わざる得なかった(第22回公判137ないし145項)。
 
その日か明くる日に,Bと,本家の前でY殺害の事件について聞いたところ,Bは,「自分は関与していない,実行したのはC,D,E。」と言っていた(第12回公判395ないし406項)。また,Eは,私の病院まで尋ねてきて自分を使うようCに言ったのですかなどと不服を言ったので,私は,「俺がそんなこと言うわけないやないか。」「これからは人の言うことを聞かんで,俺の言うことだけ聞いとけ。」と言った。Dは,「もう済んだことでしょうが,もう知らん顔しとってくれんですか。」と言っていた(第12回公判413項以下)。
 
その後,平成11年1月私がC,S,gらを破門にしたところ(12回公判419項),この3人と,h,i,Bは,私が平成11年1月覚せい剤の中毒症状を起こしたと会長に直訴し,これにより,私は除籍にされこれでA組は消滅した(12回公判417項)。私は,会長宅に行ったが,会長はX事件をCが話せば,自分が懲役に行かなければならなくなると言い,私に,入院するように言った。私はその言葉に従い,行橋更生病院へ入院した。その後,刑事事件がきっかけで私は平成11年10月20日絶縁処分を受けた(このとき被告人は逮捕されて行橋警察署にいた。)。
 
Qは,平成10年4月1日,会費の滞納によりZ会を除籍処分になり,平成11年1月に口封じのため殺害され,F会長は平成13年6月3日に交通事故で死亡した(第22回公判175項)。
 
なお,被告人は,当初,X事件をF会長が指示したことについて,供述していなかったが,第22回公判において,F会長が,Q,Cに指示した旨の供述を始めた。その理由として被告人は,平成14年4月末,拘置所でのレントゲン検査の際Cと鉢合わせた。このとき,Cは,確定服を着ているのを見た。自分がなぜここにいるのかという気持ちになり悩んでいたところ,妻が面会に来て,「本家のねえさんが,会長のことを真実を話しなさい。」「うちの人の供養になるから真実を話すように。」と言った。会長の1周忌も過ぎたことから,真実を話そうと思った旨供述する(第22回公判174項以下)。
2 検討
(1)X事件についての被告人の供述の検討
〔1〕動機の検討(その1)
 
X殺害につき,被告人が弁解するような動機,指示系統については,B,C,Dのいずれもがこれを否定している。
 
X事件についての被告人の法廷での供述内容を見るに,被告人の主張するとおり,Qが関与しているのであれば,共犯者であるC,D,BがQの関与を供述してしかるべきなのに,上記CらはQの関与を何ら供述しておらず,不自然である。すなわちQが既に平成11年1月死亡していることを考えれば,Qをかばうべき利益はC,D,Bらにはなく,X事件を指示した人物として被告人の名前を出せば,むしろ,被告人やその関係者からの報復があり得ることを考えれば,指示者としてQの名を出す方がC,D,Bらにとり安心であり,自然である。Qの名を出しても同人は既に死亡しているので,Qからの突き上げ捜査は困難を極めることが予想され,Cらにとり必然的にFの指示を供述せざる得ない事態になることもないのであるから,Qの名を出すのを妨げるべき事情といえるものは特段ない。指示者として被告人の名を出す必要性はなく,むしろ実際指示を受けていないのに,自己の元親分であった被告人の名を出すことは被告人やその関係者からの報復や忘恩行為として誹りを受けることもあり,C,D,Bにとって相当抵抗があることで,Cらが名を挙げることに支障もないQの関与を一切供述していないのは不自然というほかない。
 
なお,この点については,被告人は,平成11年暮れから平成12年にかけて,P1刑事らの取調べを受ける中で,X事件につき,C,Dらに指示して実行させたと供述していたが,その際,被告人自身もQのことを全く触れていなかった(被告人の14回公判111項)。被告人にとっても,当時既にQは死亡していたのであるから,F会長の名前を出すことがはばかられるにしても,死亡しているQの名前を出すことをはばかられる事情はないのである。この点も,F会長に指示されたQの指示という被告人の公判供述の信用性を失わせる事情となる。
〔2〕動機の検討(その2)
 
被告人は,「Xの助言によりqが逮捕され,F会長が,それを恨んでCとQにX殺害を指示し,それに基づきC,B及びDが実行した。Y殺害は,C及びDが,Yの口からX殺害事件の真相が発覚するのをおそれ,被告人に何らの事前の相談もなく,口封じのためにやったものであると思う。」旨供述する。
 
しかし,Bも証言するとおり(3回公判519項),V社長に対する報復をするのであれば,q組のqの配下の者が行うのが筋であろうから,F会長が,報復を指示するにしても,qの配下ではない者に指示すること自体不自然である。しかも,X事件以前の9月21日に盃事をしてA組の結束を固めたばかりの時期に,組幹部の代貸や若頭であったCやBにおいて,組長である被告人の意思を無視して殺人という重大な行為を組長である被告人に無断で行うことも通常は考えられない。
 
また,Dは,X事件当時,被告人の舎弟でA組組員ではあったが,Z会の代紋をもらっておらず,Z会組員ではなかったのであるから(B3回公判633項,被告人13回公判233,246項),そのようなDが被告人の指示なしにX殺害に関与することは考えにくい。
〔3〕被告人の言う約束
 
被告人は,捜査段階において,「X事件で逮捕される前の飯塚拘置所に勾留中,社会にいるある人物から『実行犯のCたちが,X殺しについて,警察に逮捕されても絶対に自供しないと決めていることから,被告人も事件について認めないでくれ。』などと頼まれ,承諾した。しかし,CらがX事件で逮捕されると,その約束を誰も守らず,被告人の名前を出して簡単に自供した。Cらの裏切りを許すことはできない。Bは逮捕されて20日間は事件のことを何も言わないと約束したにもかかわらず,簡単に自白し,しかも,被告人の名前を出してCの肩をもつ方向に走った。Bのこのような行動は理解できない。」旨供述した(被告人の平成12年9月10日付け警察官調書(乙20))。
 
しかし,被告人は,既に,Cらとの間で信頼関係を失っていたのであるから,被告人が逮捕された後に被告人が述べるような約束ができていたとは考えにくい。しかも,X事件の関与者を先に供述しだしたのは,Cらではなく,被告人の方であるから(P1証言),この点でも被告人の供述は前提を欠いている。
〔4〕Cによる報告等
 
さらに,X事件直後に被告人はCから電話によりX事件の報告を受けたこと自体は自認しているところ,Cらが被告人の指示に基づいてXを殺害したからこそ,犯行直後に被告人に電話をしてその旨の報告をしたものとみるのが自然である。Y事件においても,被告人も認めているように,Cは,Yを殺害して死体を山中に埋めた後,その足で共犯者のEと共に被告人の入院先であるK医院を訪れ,被告人にY殺害の事実を報告しているところ,CやDが被告人に断りもなくYを殺害していたのであれば,わざわざYを殺害したその足で被告人にY殺害の報告をすることは不自然であり,むしろ,Cは,被告人の指示に基づいてY殺害を実行したからこそ,殺害後直ちに被告人にその旨の報告をしたとみるのが自然である。しかも,被告人が供述するように,B,C及びDらが組長の存在を無視した形で,殺人事件を起こし,とりわけ,C及びDは自己の保身をはかるために被告人の子分であるYを殺害し,それを知った被告人が激しい怒りを示したというのであれば,その後被告人によって何らかの処分がなされてもおかしくないところ,C,D,Eらにそのような処分がなされた形跡は一切なく(第10回公判のE証言)不自然である。被告人はY事件の実行者であるEとその事件後の11月1日養子縁組を結んでいるのであり,Y殺害に激高していた者がとる行動とは整合せず,不自然である。この点主任弁護人は,内部的に処分等がなかったのは最高位の者(F会長)の了解があったことを推認させる旨主張するが,被告人の供述によってもF会長の指示があったのはX事件についてであり,Y事件はCやDが自己保身のために敢行されたというのであるから,主任弁護人の前記主張は採用できない。
 
被告人は,Bに対し,V社長の殺害を指示したと供述するが,Bは9月ころ,qが,V社長に対する恐喝未遂事件で逮捕されたことは知っているが,被告人から,V社長の殺害を指示されたことはなかったと明確に否定している(第3回公判514ないし519項)。
(2)Y事件についての被告人の供述の信用性の検討
〔1〕YをP荘へ送って行った人物
 
被告人は,自らYを嬉野町へ送って行った旨供述するが,そうではないとする前記Sの証言と矛盾し,また,YをP荘へ送ってK医院へ帰った時刻,H方に宿泊したかについては捜査段階,公判段階に供述の変遷が見られ,その合理的説明はなされていない。また,診療録(弁2)の記載を見ても,10月8日の午前零時の欄には「睡眠中」との記載がなされており,朝の検温前には病院へ戻ったとする被告人の公判供述は看護日誌の記載と明らかに矛盾する。
 
この点,主任弁護人は,OがYを見たかもしれないと供述することをもって,被告人がOのところへYを送っていったことの現れである旨主張するが,Oは,Yと会ったかは半信半疑である(第11回公判197項),「その当時は若いもん,しょっちゅう入れ替わり立ち替わりきていた(第11回公判192項)。」などと供述しており,にわかには採用できない。
 
これらの事情からすると,被告人がYをP荘まで送っていったとの供述は到底信用することはできない。
 
また,被告人は捜査段階において,X事件後,DからYのことを聴かれた際,同人に対して「俺が逃がしとる。もう(Yを)探すな。」と話し(被告人の平成12年8月25日付け警察官調書(乙18),同年9月11日付け検察官調書(乙21)),Cに対して,別の機会に同趣旨の内容を話した(同検察官調書)というのであるから,D,Cが組長である被告人のこのような指示を無視してまでYを殺害するというのも不自然かつ不合理である。
〔2〕Hの携帯電話
 
被告人は,X事件後,Yに対して元妻のHの携帯電話をもたせているところ,捜査段階においてCに対してこの携帯電話の番号を教えたことはないと供述する(平成12年9月11日付け検察官調書(乙21))。しかし,Cがこの携帯電話に電話をかけているのであるから,このことは,被告人がYにHの携帯電話を持たせたこと,Cにこの携帯電話の電話番号を教えたことを意味するものと考えざるを得ず,したがって,被告人がCらに対して,Yの隠れ場所を教示したものと認めるのが相当である。この携帯電話の番号を教えていないという被告人の供述は信用できない。
〔3〕A組組員のK医院への出入り
 
被告人は捜査段階において,K医院へは,組員の出入りを禁止していたので,YをP荘に匿った10月8日の夜から,同月13日,C,EがYの殺害を報告に来るまでの間,組員が病院へ来たことはなかったなどと供述する(平成12年8月25日付け(乙18),同月29日付け(乙19)警察官調書)。
 
しかし,Bは,公判廷で,「被告人は,9月21日K医院に入院したが,毎日に近いくらいの頻度で見舞いに行ったり,被告人が帰宅しているときには,被告人方へ行ったりしていた。被告人から,病院への出入りをするなという指示は特になされていなかった(第3回公判446ないし450項)。」旨供述している。Cも被告人から,K医院への出入りを控えるように言われたことはなく,2日に1回,3日に1回くらいの割合で病院へ行っていた(第5回公判153項)旨供述していることなどからみると,被告人の前記供述も信用し得ない。
(3)被告人の供述経過(その1)
 
被告人の供述経過を見るに,被告人は捜査段階で,当初,P1に対して,X事件について,動機や,被告人がCに対してXの殺害を指示した,犯行前日にはX方へ下見に行った旨供述する(14回公判P1証言)など,一旦は,X事件への関与を認めるような供述をしており,その後,X事件への関与を否定する供述へと供述を変遷させ(乙2等),その後,法廷においては,X事件,Y事件いずれについても関与を否定し,更に,その供述内容を,F会長が直接にC,Qに指示した旨供述を変遷させているところである。
 
その変遷の動機については,被告人は,実行犯である,B,D,Cが被告人に責任をなすりつけようとしていることに我慢がならないためであることや,X事件への関与を認めれば,Y事件も一連の事件であることから,同事件についても認めざる得なくなるためである旨供述し(乙3),公判においても,「qの敵であるV社長の殺害をBに指示したのは確かであり,qの敵を討ったことに代わりはないので,一旦は,X事件への関与を認め,Bの調書に合わせた調書を作ってもらおうと思ったが,弁護人から事実と異なるのであればその旨の供述をするよう諭され,Bの供述調書の内容を確認したところ,事実と全く異なっていたことから,認めるわけにはいかなくなった。公判においてF会長の関与を供述したのはF会長の一周忌が終わり,同人の妻からも真実を話すように言われたからである。」旨供述している。
 
そこで,その変遷の合理性を検討するに,被告人は,当初,自らがXの殺害を指示したと供述していたことについて検察官から追及されると,CらがXを殺したことで手柄を立てていたので,見栄を張って指示したと言ってしまった(乙3)などと供述するのみで,V社長の殺害をBに指示した経緯等については一切供述していない。仮に,被告人が,法廷で供述するように,V社長殺害を指示され,一旦はX事件への関与を認めたのであれば,その旨供述してしかるべきであるのにその旨の供述をしていないのは不自然である。
(4)被告人の供述経過(その2)
 
被告人は,X事件について,下の者が往生したら責任を取ると供述し,Y事件については,Yを少しでも早く成仏させたかったので,警察に協力し,P1刑事を通して被告人からEに対してY事件を自供するように働きかけた旨供述する。EがY事件を自供すれば,Eの供述から必然的にC,Dが逮捕されることになるところ,被告人の理解としても,Y事件は,X事件の口封じのために敢行されたものであって,X事件とは一連の事件として位置づけられるものと考えていたというのであるから,Y事件を被疑事実としてE,C,Dが逮捕されれば,C,Dの口から,被告人が何としても名前を秘したいF会長の名前が出る可能性が出てくる。しかも,EがY事件を自供した当時は,被告人とCらとの信頼関係は失われていたのであるから,なおさらである。更に,被告人は,平成11年暮れから平成12年1月にかけての取調べの中で,X事件につき,C,D,Bの名前を出してA組がX事件を敢行した旨供述していたところ(被告人の平成12年8月7日付け検察官調書(乙3)),この点も,被告人がX事件の犯人としてC,D,Bの名前を出せば,Cらの供述から,被告人が何としても名前を秘したいF会長の名前が出る可能性が出てくるのであるから,X事件の指示がF会長から出たという被告人の弁解とは矛盾することになる。

3 まとめ
 
これらによれば,被告人の公判供述は信用できない。
第6 結論
 
以上述べたとおりであり,共犯者Cらの供述は信用性が高く,これに対して,被告人の供述は信用できない。これらによれば,被告人の指示の下,X事件,Y事件は敢行されたものと認められ,両事件につき,各共犯者との間に共謀が成立する。被告人は,X事件,Y事件いずれについても,共同正犯としての責任を負う。主任弁護人の主張には理由がない。
第2部 判示第3,第5の各事実についての補足説明
第1 判示第3の2の事実
1 弁護人は,被告人が,bに対し,ゴルフクラブシャフトで加療約14日間を要する左胸部刺創の傷害を負わせた事実は争わないが,ゴルフクラブシャフトでbの左胸部を狙ったために生じたものではなく,ゴルフクラブシャフトがたまたま自転車と絡み合った際,偶然その先が左胸部に至ったためにできた傷害にすぎない旨主張し,被告人も「ゴルフクラブシャフトで応戦して自転車を叩いたりしているうちに,自転車のハンドルにゴルフクラブシャフトが挟まり,根本から折れて,飛んでしまった。たまたま,それがbの左胸に刺さってしまった。」旨供述するので,以下検討する。

2 判断
 
被告人が使用したゴルフクラブシャフトの先端は,本来のシャフトの下方を斜めに切断して槍状に加工されているため,切断加工された部分が鋭利な形状をしており(被告人は,ゴミ焼用と述べている。),刺突行為に使うと威力を発揮する。また,bの治療に当たったP4の警察官調書(検6)によれば,bの左胸部刺創の傷害は,深さ約10センチメートルに達する刺創であり,強い力が加わっているものと認められ,折れたはずみで人体に刺さって生じた可能性は考えがたいものと認められる。
 
更に,bは,被告人がこのゴルフクラブシャフトを使ってbの身体を狙って刺突したため刺さった旨明確に供述していて(bの検察官調書(検14)),供述内容は具体的かつ合理的である。しかも,b供述は,犯行当時,現場付近において犯行を目撃した,利害関係のない者らの供述により裏付けられているので,信用性が高い。更に,bらの前記供述によれば,自転車による応戦は,bがゴルフクラブシャフトにより刺突された後,被告人がナイフを持ち出してきた際,aが行ったものであることが明白である。
 
これに対し,被告人の供述(検察官調書(検131)等)は,信用性の高いP4の警察官調書(検6)と矛盾し,bのみならず前記目撃者らの供述とも矛盾しており,信用できない。 
 
以上のとおりであり,弁護人の主張は採用できない。 
第2 判示第5の1の事実
 
被告人は,d(以下「d」という。)を散弾銃で撃ったことは認めるものの,その際の故意として,dを半身不随にして半殺しのめに遭わせようと思い,散弾を撃ち込めばdが当たりどころによっては,死んでしまうおそれが大きいということは,承知しており,dが死んでもかまわないつもりで散弾銃を撃ち込んだが確定的殺意はなかった旨供述している。
 
しかしながら,dは,本件散弾銃の発砲により,左背部,右腰部,左大腿部を被弾し(鑑定書(検50)),両腎損傷,脾損傷,銃創による背部外傷,左大腿部外傷,上行結腸損傷,左肘部外傷等の傷害を負っている(病状照会について(検31))。医師jの供述(警察官調書(検28))によれば,dの背部の脊柱を通っている大動脈に散弾銃の鉛玉があたり,これが損傷すれば,動脈が破裂して大出血を起こし,死亡に至る危険が高かったことが認められる。被告人が犯行に使用した凶器と同種の散弾銃を使用した実験によると,厚さ5ミリメートルのベニア板を12メートルの位置から射撃実験した結果,ベニア板に長径・短径がそれぞれ5センチメートル前後ほどの概ね楕円形状の穴を開けて貫通するほどの威力があり,その殺傷能力には十分なものが認められる(写真撮影報告書(検55))ところ,被告人は,凶器として殺傷能力が十分な散弾銃を準備し,犯行の際には約11.9メートルの距離からdの腰部という生命に危険を与えるに足る部位を狙って,狙撃したばかりか,その後も,dが転倒しながらも,声を発したため,さらに3発続けて散弾銃を発射している(被告人の検察官調書(検139))ことが認められる。このように被告人は,dの腰部という生命に危険を与えるに足る部位を狙って,散弾銃を4発も発射しているのであり,その攻撃は極めて執拗で,強固な加害意図が認められる。dの負った傷害は,当たった場所しだいでは死亡するほどの傷害であったことが認められる。これらの事情に加えて,被告人は,dが被告人に対する賭博による借金を返さないことや,被告人の名前で賭博の借財をしたことに立腹して犯行に及んでいるのであり被告人がdに対する殺意を抱くに足りる十分な動機が認められる。犯行前の被告人の行動を見ても,dをおびき出すためにd方のガラスを配下の者に割らせ,散弾銃を撃ち込むためにdの乗車した自動車を追跡し,同車両を見失うと,d方においてdを待ち伏せして,犯行に及んでいる。
 
以上述べた凶器の種類,創傷の部位,程度,犯行前の行動,犯行態様,犯行の動機等からすれば,被告人には,dに対する強固な殺意があり,確定的殺意が認められる。したがって,確定的殺意を否定する被告人の供述は信用できない。
(累犯前科)
 
被告人は,
1 平成4年6月22日,福岡地方裁判所小倉支部において,銃砲刀剣類所持等取締法違反の罪等により懲役4年に処せられ,平成8年5月23日刑の執行を終了した
2 平成4年12月10日,飯塚簡易裁判所において,賭博開張等図利罪により懲役8か月に処せられ,平成9年1月23日刑の執行を終了した
ものであって,この事実は,前科調書(乙5)により認められる。
(法令の適用)
罰条
判示第1の1の行為
殺人の点につき刑法60条,199条
けん銃発射の点につき刑法60条,平成11年法律第160号(中央省庁等改革関係法施行法)1303条により同法による改正前の銃砲刀剣類所持等取締法31条,3条の13
判示第1の2の行為 刑法60条,銃砲刀剣類所持等取締法(以下「銃刀法」という。)31条の3第2項,1項,3条1項
判示第2の1の行為 刑法60条,199条
判示第2の2の行為 刑法60条,190条
判示第3の各行為 いずれも刑法204条
判示第4の行為 覚せい剤取締法41条の3第1項1号,19条
判示第5の1の行為 刑法203条,199条
判示第5の2の所為のうち
散弾銃所持の点につき銃刀法31条の11第1項1号,平成11年法律第160号による改正前の同法3条1項
散弾実包所持の点につき平成11年法律第121号による改正前の火薬類取締法59条2号,平成12年法律第91号による改正前の同法21条
判示第6の行為 刑法204条
科刑上一罪の処理
判示第1の1につき刑法54条1項前段,10条(1個の行為が2個の罪名に触れる場合であるから,一罪として重い殺人罪の刑で処断)
判示第5の2につき刑法54条1項前段,10条(1個の行為が2個の罪名に触れる場合であるから,一罪として重い散弾銃所持罪の刑で処断)
刑種の選択
判示第1の1及び第2の1の各罪の所定刑中いずれも死刑を選択
判示第3の1,2,第5の2,第6の各罪につき懲役刑を選択
判示第5の1につき有期懲役刑を選択
累犯加重 判示第1の2,第2の2,第3ないし第6につき刑法56条1項,57条(判示第1の2,第5の1の罪につき更に同法14条)
併合罪の処理
刑法45条前段,46条1項本文,10条(刑及び犯情の最も重い判示第1の1の罪につき死刑に処し,他の刑を科さない。)
没収
刑法19条1項2号,2項本文(ゴルフクラブシャフト(平成12年押第232号の1),ゴルフクラブグリップ(同号の2)は判示第3の1の犯行に供した物
刑法19条1項1号,2項本文(散弾実包1個(同号の3)は判示第5の2の犯罪組成物件)
訴訟費用の不負担 刑事訴訟法181条1項ただし書
(量刑の理由)
第1 事案の概要
 
判示第1及び第2の各犯行は,暴力団組長であった被告人が,自己の配下の組員であった共犯者らと共に元暴力団組長Xを射殺し,その際に,適合実包約11発と共に,けん銃2丁を所持したという事案(判示第1,X事件)と,判示第1の犯行の共犯者であるYから判示第1の犯行が発覚することをおそれ,共犯者Cらと共にYを殺害し,その遺体を山中に埋めた事案(判示第2,Y事件)である。判示第3の1,2の各犯行は,些細なことから喧嘩になった被害者a及びこれを止めに入ったbに対して,ゴルフクラブシャフトでそれぞれ突き刺し,それぞれ傷害を負わせた事案,判示第4の犯行は覚せい剤を自己使用した事案,判示第5の犯行は,被告人が,dが賭博の借金を返さないことなどに激怒し,dの腰部等を散弾銃で撃って殺害しようとしたが,未遂に終わった殺人未遂,銃刀法違反,火薬類取締法違反の事案,判示第6の犯行は判示第4の事件で勾留中,被害者eの態度に立腹し,同人の顔面を右足のつま先で蹴りつけて傷害を負わせた事案である。
第2 2件の殺人既遂事件
1 量刑上中核となる判示第1及び第2の各犯行において,被告人は,自己の配下の組員であった共犯者らに命じて,理不尽にも被害者2名の尊い生命を次々と奪ったもので,その結果は誠に重大かつ悲惨である。かような被告人の生命軽視の態度には極めて厳しい態度で臨む必要があることなどに照らすと,被告人の刑事責任には極めて重大なものがあるが,以下,各事件ごとに犯行の動機,態様,結果,犯行後の事情等を順次検討する。
2 X事件
(1)背景事情と動機
 
平成6年3代目Z会会長襲名を巡る争いが生じ,結局Z会F組組長Fが3代目会長を承継することになったが,それに反対した丙組組員がF会長を銃撃する殺人未遂事件を起こしたことから,Z会は,初代丙組組長丙,2代目丙組組長Xを除籍処分とし,3代目丙組組長丁を絶縁処分にするなどして,丙一派をZ会から追放した。その後,丁は平成9年4月愛知県内において3代目Z会2代目F組組員によって射殺され,同年5月には初代丙組組長丙が自殺し,歴代丙組組長の中で生存しているのはXのみとなっていた。かかる状況の中被告人は,平成9年1月,前刑の服役を終えてZ会に復帰し,当時のF会長秘書になり,同年4月にはA組を立ち上げていたが,歴代丙組組長の中で生存しているXを殺害して手柄を立てれば,暴力団組織内での地位が向上し,自己が組長を務めるA組の勢力拡大にもつながるものと考えて,A組の代貸C,若頭B,舎弟DらにX殺害を指示したものである。かように目的のためには手段を選ばない,暴力団特有の極めて利己的かつ理不尽な犯行動機に酌量の余地はない。被告人は犯行を否認しており,反省の態度は見られない。

(2)態様,結果,被害者の遺族の処罰感情等
 
犯行態様は,極めて組織的かつ計画的で,執拗かつ残虐である。すなわち,被告人は,平成9年9月中旬ころ,A組の幹部であるC,B,Dを被告人方に呼び寄せ,X殺害計画を打ち明け,その後実行役としてBとDを選定し,両名に凶器のけん銃をそれぞれ手渡し,Cには実行役の手助けをするように指示し,なかなかX殺害計画を実行に移さないBらにしびれをきらし,犯行前日には,Cら共犯者らを引き連れて事前にX方の下見を行い,その際にX方の車両に車を故意にぶつけて物損事故を装い,Xを家の外におびき出し出てきたところをけん銃で射殺するとの段取りを指示して,犯行に使用する車両等を準備するなどしており,まさにX事件はA組の組織を挙げて敢行された犯行で,極めて組織的かつ計画的犯行である。犯行当日,現場へ出発する際,Bは付け髭をし,Dは帽子を被るなどして変装して,X方に赴き,逃走用の自動車を配置した上で,計画どおりB運転の車両をX方に駐車している普通乗用自動車に軽く衝突させて交通事故を装い,応対に出てきたXの妻に自動車の傷の確認をさせるなどして犯行の機会を窺い,家を出たまま戻って来ない妻を心配して自宅から外に出てきたXを見るや,Bらの意図を察知し,とっさに,自宅へと逃げようとするX目がけて,七,八メートルの至近距離からB,Dが所携のけん銃で約11発もの実包を次々と発射し,そのうち8発を被害者の背部等に命中させて被害者を殺害しているのであり,犯行態様は,執拗かつ残虐で,極めて凶悪である。その結果,Xの死亡という極めて重大な結果が生じている。何発もの銃弾を背部等に撃ち込まれたXが被った肉体的苦痛には筆舌を尽くし難いものがあることはもちろんのこと,妻の様子を見るために自宅玄関から外に出て,自分に銃口が向けられているのを見たときのXの驚愕や死への恐怖感には想像を超えるものがあり,年老いた母親や妻子を残して54歳という働き盛りの年齢で突如として生命を奪われ,しかも自宅前の路上で射殺されたXの無念さには察するに余りあるものがある。もとより,Xは,暴力団に身を置いていたものの,Z会から平成6年11月除籍処分を受けて以降暴力団との関係を絶ち,一般市民として平穏に生活を送っていたのであり,被告人らから命を狙われなければならない事情は認められない。このようにXは暴力団との関係を絶ち,家族にとって良き夫,父親,息子(母親との関係)として,家族の支えとなっていたのであり,妻は,被告人に対する処罰感情につき,検察官に対し,「できるものなら撃ち殺して主人がされたと同じような目にあわせてやりたい気持ちですが,それは現実にはできませんので,犯人については死刑にしてもらいたいと思います。」旨述べ(甲29),娘や母親もいずれも極刑をもって臨んで欲しいとの厳しい感情を露わにしている。自己の目前で夫がけん銃で撃たれるのを目の当たりにした妻は,公判廷でも「事件から4年余り経った時点においても事件を1日も忘れたことはない。被告人が指示したのであれば,極刑にしてもらいたい。」旨供述するなど,その処罰感情は現在でも峻厳を極め,かけがえのない夫を殺害された妻らの悲しみや無念さは筆舌に尽くし難いものがある。Xの遺族に対する被害弁償等の慰謝の措置はなされていない。
(3)被告人がX事件で果たした役割
 
A組の組長であった被告人は,X殺害を決意するや,その配下の組員である若頭B,代貸CらにX殺害を指示し,その後,殺害計画を実行に移さなければならないという重大な事態にとまどい共犯者らがなかなか犯行に及ばないことに業を煮やすや,犯行前目には,Cらを呼びつけて叱責して,同人らを従えて山中に赴き,自ら,けん銃の試射等をなし,X方へ下見に赴き,その際に,具体的な殺害方法まで指示してX殺害の早期実行を迫るなどしている。このように被告人の犯意は極めて強固で,X殺害計画を企図したばかりか,殺害計画の遂行過程において終始共犯者らを主導していたのであり,X事件で被告人が果たした役割は他の共犯者CやDらとは比較にならないほど大きく,X事件のまさに首謀者で,被告人には最も強い非難が加えられなければならない。また,被告人は主導的,積極的に犯行に関与する一方,実行行為に加担することを巧妙に避け,共犯者らを犯行に巻き込んでいる点においても,被告人には強い非難が加えられ,被告人が最も重い刑事責任を負うべきである。
(4)社会的影響
 
X事件は,平穏な住宅街において,夜間突如として暴力団組員の発射した凶弾によりその住民であるXが殺害されたものであり,その際,多くの住民が銃声を聞き強い恐怖感を抱いている上,犯行現場は住民が普段使用する路上で,時間帯も午後10時15分ころという通行人も予想される時間帯で,合計約11発もの実包が次々と発射され,隣家へもけん銃の弾が飛びこんでいることなどに照らすと,一歩間違えば付近住民が巻き込まれる危険性もあった犯行で,付近住民に与えた恐怖感や不安感には大きいものがあり,地域社会ひいては社会一般に与えた影響は重大である。
3 Y事件
(1)動機と被告人がY事件で果たした役割
 
被告人は,Yが,X事件の犯行現場に遺留された犯行使用車両にA組組員Tが使用していた車両のナンバープレートを取り付けてしまったという失態を演じ,Yが警察から負われる羽目に陥るや,一旦は嬉野町内のアパートにYを匿うことなどを考えてはいるものの,Yが警察に捕まれば,早晩,同人からX事件が被告人やA組が関与した犯行であることが発覚するのを恐れ,その口封じのために,CやDを呼び出してY殺害を指示したもので,その動機や経緯は目的のためには手段を選ばない極めて反社会的,冷酷かつ自己中心的なもので,酌量の余地はない。被告人は,Cから,Y殺害を指示する際には身内殺しは外道のする所業として犯行を思いとどまるように説得された後も,Y殺害しか自分の身の安全を確保する方法はないものと考え,Yをフィリピンへ逃がす方法を提案するなどしてY殺害を強く避けようとしているCやDに対し,「おまえ,おれの気性を知つとろうが。」「おれが切れたら分かろうが。」「大(被告人やA組)を取るか,小(Y)を取るか」「俺の目をつぶすんか。」などと迫り,さらに土下座して被告人に考え直すよう頼むCやDに対し,「最終的には,おれに行かせるんか。」などと迫ってY殺害を強引に承諾させている。更に被告人は,Cらに対し,「道具を使わないこと。遺体が発見されないようにすること。」など具体的殺害方法を指示しており,被告人のY殺害に向けた犯意は極めて強固で,被告人がYの殺害とその死体遺棄を断固指示したことによりY事件は敢行されたものである。このようにY事件も組長の命令は絶対であるとの暴力団特有の論理を盾に被告人が主導的に敢行した事件で,X事件と同様,CやDらに比し,被告人がY事件で果たした役割は誠に大きいものがあり,被告人が最も重い刑事責任を負うべきである。
(2)態様,結果等
 
被告人の指示の下,C及びD,更にA組の組員であるEを加えてY事件が敢行されているが,Cらは,被告人の指示に従い,X事件と異なりけん銃を使わず,返り血を浴びるおそれのある刃物を使わず,Yを絞殺して山中に遺棄して埋めることを決意し,ホームセンターに行き,絞殺するための道具として針金,これを切断するペンチ等を購入するとともに,Y殺害後,速やかに死体を埋めることができるように予め山中に穴を掘るためのスコップ,鍬,着替え用のジャージ等を購入して,長崎県佐世保市内の山中に向かい,同所において,再度金物店で購入してきた山芋堀りをも用いて死体を埋めるための穴を掘り,死体を遺棄する準備を整えている。その上でCは嬉野町内のアパートに身を隠していたYを迎えに行き,隠れ家を移動するので来てくれなどと嘘を言って安心させて誘い出してYを自動車に乗せた上,前記穴を掘った殺害現場に連れて行っている。このようにY事件も相応の準備の下で敢行された計画的組織的犯行である。犯行現場の車内において,YがCらの意図に気付き,「何も言いません。」とX事件にA組が関与していることについては絶対に口外しない旨命乞いし,必死になって車外に逃げ出すや,Cらはその後を追いかけて3人がかりでYを押さえ付け,同人の首に針金を巻き付けた。それでもなおYが必死に抵抗したため一旦は針金が切れたにもかかわらず,Cらは再び針金をYの首に巻き付けて左右から力一杯絞め上げて殺害しており,その犯行態様は,極めて冷酷かつ執拗であり,残虐かつ非道である。被害者YはCら自己の所属する組の組員により殺害されるなど露知らず,Cから隠れ家を移動する旨告げられ,その言葉を信頼じて何の疑いもなくC運転の自動車の助手席に乗り込み,本件殺害現場まで連れて来られて,突然同じ組員のCやD,Eが自分を殺害しようとしているとの身内の裏切りに直面したもので,Yの驚愕や死への恐怖感には甚大なものがあるばかりか,必死の命乞いを黙殺され,抵抗もむなしく針金で絞殺されたYの肉体的苦痛や絶望感には想像を絶するものがあり,40歳と,人生半ばを過ぎたばかりの若さでこの世を去らなければならなかったYの無念さには察するに余りあるものがある。Yは,X事件に関与し,いわば,被告人らのために活動してきたにもかかわらず,Yの口から事件が発覚しそうになると考えられるや,理不尽にも一方的に殺害されたのであり,Yには,殺害されるべき理由は何らない。その後Yの遺体は,共犯者らが事前に掘っていた穴に無惨にも投棄され,EがY事件の犯行を自供するまでの間,発見されることなく,約2年5か月もの間,山中に埋められていたのであり,発見時の遺体の状態は,既に完全に白骨化しており,DNA鑑定等により身元が確定されたことなど,あまりにも哀れである。当然の事ながら遺族である被害者の親族の被害感情は厳しい。遺族に対する被害弁償等の慰謝の措置はなされていない。
4 被告人の供述態度
 
被告人は,X事件,Y事件について,犯行を指示していないなどと不合理な弁解に終始し,到底反省の情は見られない。
 
他方,X事件,Y事件が犯人検挙につながったのは,被告人が捜査段階において,Yを成仏させてやりたいなどという思いから,当時高松刑務所で服役していたEに対して,警察官を通じてYを成仏させてやるように仕向けた結果,EがY事件を自白してYの死体遺棄現場へ警察官を案内し,そこを掘り下げたところYの死体が発見されたという経過をたどったのであるから,そのことは,被告人に有利に考慮されてよい。
第3 判示第5の犯行
 
判示第5の犯行についてみるに,被告人はdの殺害を決意するや,配下の者にガラス戸を割らせて,被害者をおびき出そうとし,それに失敗すると,被害者の行く先を配下の者に探らせ,被害者を追尾した上で,殺害の機会をうかがい,途中で被害者を見失ったことから,自宅でdを待ち伏せして,被害者が自宅に戻ったところを塀越しに背後約11.9メートルの距離を置いて,連続して4発の散弾を発射し,被害者を殺害しようとしたというものであり,その犯行は,計画的かつ危険なもので,悪質である。その結果,dは,両腎損傷,脾損傷等の傷害を負い,生命に対する重大な危険にさらされ,その後も53日間の入院とその後の通院を余儀なくされ,犯行から1年半経過した,平成12年5月の時点においても,体内に,約400発の鉛の玉が残り,危険なので体内から取り出すことは出来ず,鉛が体内で溶けだしたことによる後遺症に苦しんでおり,肉体的苦痛が極めて大きいのは勿論のこと,犯行時は,自宅において背後から散弾銃により打たれ生命の危機に直面すると共に,犯行後も後遺症による死へのおそれにより,精神的に追いつめられた状態にあり,犯行により被った精神的苦痛にも甚大なものがある。このように,犯行による結果は重大であり,被害者の被害感情が厳しいのも当然である。犯行動機は,被害者が賭博による借財を返済しないことや被告人名義で賭博の借金を重ねたことに対して激怒したというもので,かかる賭博金に対する返還請求権は保護に値しないものであるばかりか,暴力により解決しようとする被告人の安易かつ自己中心的な動機に酌量の余地はない。 
 
他方,判示第5の1の犯行は,幸いにも被害者が一命を取り留めたため未遂に終わったこと,被告人が反省の態度を示していることなどの事情がある。 
第4 判示第3,第4,第6の各犯行
 
判示第3の各犯行について検討するに,犯行の動機は,被害者aの言動を同人から因縁を付けられたものと受け取ったことをきっかけに,売られた喧嘩は買うとの暴力団特有の理論により,aに対して,ゴルフクラブシャフトという凶器を持ち出し,これで,被害者aの大腿部を数回突き刺しているのであり,その安易な犯行動機に酌量の余地はなく,犯行態様も危険である。その後,仲裁に入ったbに対しても,被害者aに加勢しに来たと考え,同人の左胸部を前記ゴルフクラブシャフトで突き刺しているのであり,動機は安易かつ自己中心的であり,犯行態様は,胸部という身体の枢要部を狙っているのであるから非常に危険性の高い行為である。被害者aには大きな落ち度はなく,bは,単に被告人と,被害者aの喧嘩の仲裁に入ったに過ぎず,何ら落ち度もないのであるから,被害者らの処罰感情が強かったのは当然である。
 
判示第4の犯行についてみると,被告人には,覚せい剤取締法違反による前科が2犯あり,覚せい剤の害悪については十分な教育を受けているにもかかわらず,いらだちを紛らわせるため,敢えて,覚せい剤の使用をしているのであり,安易な動機に酌量の余地はなく,覚せい剤に対する親和性や常習性には顕著なものがあり,再犯に及ぶおそれが認められる。
 
判示第6の犯行についてみるに,覚せい剤による不自然な言動を行っていた被害者eに対して怒りをつのらせ,暴行を加えたものであり,その安易かつ自己中心的な動機に酌量の余地はなく,顔面を狙って蹴りつけ,これにより,被害者は全治約1週間を要する傷害を負っているのであり,その態様は危険で,結果も軽視し得ない。被害者の処罰感情にも強いものがある。
 
他方,判示第3の1の被害者aと被告人との間で,6万円で示談が成立し,判示第3の2の被害者bと被告人との間で10万円で示談が成立し,この被害者両名共被告人を宥恕していること,被告人が反省の態度を示していることなど,被告人に有利な事情もある。
第5 被告人の過去の行状等について
 
被告人は,昭和40年ころ,初代Z会甲組組員となり暴力団の世界に足を踏み入れ,昭和43年12月には強姦致傷事件で懲役3年の実刑判決を受けて服役をした後暴力団に戻り,昭和48年にZ会初代F組Fの預かりとなり,初代F組若頭になり,その後も詐欺,傷害等で2度服役し,昭和53年5月には賭博の際に客ともめたことから,同人をけん銃により殺害しようとしたという殺人未遂,銃砲刀剣類所持等取締法違反,火薬類取締法違反,賭博開帳等図利の罪により懲役5年の刑を受け,その後も,日本刀の所持による銃砲刀剣類所持等取締法違反,恐喝,覚せい剤取締法違反等により懲役3年2月の刑を受けた上,覚せい剤取締法違反及びけん銃の所持により懲役3年2月,更にけん銃3丁及び実包16発の所持による銃砲刀剣類所持等取締法違反,火薬類取締法違反の罪により懲役4年に,賭博開帳等図利の罪により懲役8月の刑を受けるなど,次々に犯罪を犯し,この間懲役前科9犯を重ね,通算約21年もの長期間刑務所で服役している。にもかかわらず,被告人は,平成9年1月23日前刑を満期出所した後も,再び暴力団員としての活動を再開し,1年を経ずしてX事件,Y事件を起こし,その後も,判示第5のdに対する殺人未遂事件等の各犯行に及んでいるのであり,銃器の所持,使用に対する規範意識は著しく鈍麻しており,被告人の人命軽視の姿勢は甚だしく,刑務所出所後においても,被告人の犯罪傾向は改まるどころかますます常態化している。このように度重なる服役にもかかわらずその矯正がなされていないことや被告人には暴力的犯罪傾向が顕著に認められる上,目的のためには手段を選ばない極めて自己中心的性格に照らすと,被告人の犯罪性向は固着しているというほかない。かように思慮分別をわきまえるべき50歳を過ぎても,このよう犯罪性向及び反社会的性格は改まっておらず,かえって深まっている被告人に対しては,もはや,現下の矯正方法による改善は極めて困難と認めざるを得ない。
第6 結論
 
以上のとおり,被告人の刑事責任は極めて重大であり,X事件・Y事件の解決にあたっては,被告人がEに対して自白するように仕向けたことが糸口となったこと,判示第3ないし第6の各犯行で述べた被告人に有利な事情,被告人がZ会から除籍処分,絶縁処分を受けたこと,扶養すべき妻子がいることなど,これらの被告人のために酌むべき事情を最大限に考慮し,また,死刑が人間の生存する権利を剥奪するものであるが故に,その適用にあたっては特に慎重を期すべきことを十分に考慮しても,本件各犯行の罪質,動機,態様,とりわけ,X,Y両名に対する殺害方法の残虐性,2名の生命を奪ったという結果の重大性,被告人の犯罪傾向の根深さ,遺族の極めて厳しい被害感情,社会に与えた衝撃等諸般の情状に照らすと,被告人の罪責は真に重大であり,罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも,死刑制度を定めた現行法の下においては,極刑を科すことはやむを得ないと判断せざるを得ず,殺人罪につき所定刑中死刑を選択して主文のとおり量定した次第である。
 
よって,主文のとおり判決する。
(求刑 死刑,没収)

福岡地方裁判所第2刑事部
裁判長裁判官 林秀文 裁判官 一木泰造
裁判官永井美奈は,転補のため署名押印できない。
裁判長裁判官 林秀文

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