殺人福岡17

殺人福岡17

福岡地方裁判所/平成六年(わ)一〇五〇号、一一五七号

主文
被告人を死刑に処する。

理由
(犯罪事実)
 
第一 被告人は、平成四年二月二〇日午前八時三〇分ころから午前八時五〇分ころまでの間、福岡県飯塚市《番地略》付近路上において、甲野小学校に登校中のA子(当時七歳)及びB子(当時七歳)を認め、同女らが未成年であることを知りながら、自己の運転する普通乗用自動車(マツダステーションワゴン・ウエストコースト登録番号《略》)に乗車させ、右小学校への通学路外に連れ出して、未成年者である同女らを略取又は誘拐した。

 第二 被告人は、平成四年二月二〇日午前八時三〇分ころから午前九時ころまでの間、福岡県飯塚市内又はその近郊において、殺意をもって、A子の頸部を手で締め付け圧迫し、
よって、同女を窒息により死亡させて殺害した。
 
第三 被告人は、第二記載の日時、場所において、殺意をもって、B子の頸部を手で締め付け圧迫し、よって、同女を窒息により死亡させて殺害した。
 
第四 被告人は、平成四年二月二〇日午前一一時ころ、福岡県甘木市大字野鳥二一九番地の三から国道三二二号線を嘉穂町方向に約一・四キロメートル進行した地点(通称八丁峠第五カーブ付近)において、その南方山中に
一 A子の死体を投げ捨てて遺棄した。
二 B子の死体を投げ捨てて遺棄した。
(証拠)《略》
一 被告人の公判供述
(補足説明)
 
被告人及び弁護人は、犯人性を争い無罪の主張をしているので、事実認定の理由について以下説明する。
一 事案の概要
 
証拠によると、以下の事実が認められる。
1 被害者A子及び被害者Bは、平成四年二月当時二人とも七歳で、福岡県飯塚市《番地略》所在の飯塚市立甲野小学校一年に在学していた(甲1)。
2 A子は、上に黄色のジャンパーを着て赤色ランドセルを背負い、同月二〇日午前七時四〇分ころ、同級生のC子と一緒に、飯塚市《番地略》所在のB子方までB子を呼びに行き、三人で甲野小学校に向かって歩いて登校し始めたが、ぐずぐずしていて午前八時過ぎころになってもB子方近くから離れず、そうするうちにC子が一人だけ先に行ってしまったので、B子と二人になった(証人D子甲26、29、34)。
 
なお、B子方から甲野小学校までの通学路はだいたい決まっており、別紙1の赤線のとおりであって、距離にして約一四二〇メートル、所要時間は子供の足で二〇分から二五分程度である(甲33)。
3 A子とB子は、同日午前八時一〇分ころ、B子方近くの道端でしゃがみこんでいるところをA子の知人Eに目撃されたほか(甲36)、午前八時二二分ころ、B子方から道学路を約五七五メートル進んだ地点である乙山バス停付近をいかにも学校に行きたくないといった表情でとぼとぼ歩いているところをA子の知人F子に目撃され(甲33、38)、さらに、後記のとおり、午前八時三〇分ころ、B子方から通学路を約九三七メートル進んだ地点であるG方(飯塚市大字《番地略》)前三叉路(以下「G方三叉路」という。)付近において農協職員H子によって目撃されたが(甲33、39)、そのほんの数分後に同所を通った同職員I子(なお、同女はその後結婚してI姓となった。)からは目撃されていない(証人I子)。
 
A子の実母J子は,母親のK子を丙川医院に送るため、同日午前八時四五分ころ、同人方を車で出発し、乙山バス停先のL方(戊田ハウス)まではA子らの通学路と同じ道路を通行し、L方から通学路とは分かれて南下して丙川医院にK子を送った後、同じ道路を通って同日午前八時五五分ころ同人方に戻ったが、その間A子らの姿を見ていない(甲26)
。また、当時甲野小学校図書館司書補助員をしていたM子は、顔見知りのB子が登校していないことを聞き、B子らを探すため、同日午前八時五〇分ころ、車で甲野小学校を出発し、B子らの通学路を逆行してG方三叉路を北上し、乙山バス停の北方にあるL商店付近でUターンして別の経路で甲野小学校に同日午前八時五六分ころ戻ったが、B子らを発見することができなかった(甲3)。
4 翌二一日午前零時一〇分ころ、福岡県甘木市と嘉穂郡嘉穂町とを結ぶ国道三二二号線、通称八丁峠を自動車で通りかかったNが、第五カーブ付近で小用を足すために車を停めて降りた際、道路南方の斜面に小さなマネキンのようなものが捨ててあるのを見つけて不審に思い、警察に通報した結果、それらがA子とB子の死体であることが確認された(甲5)
。 
 
死体遺棄現場は、福岡県甘木市大字野鳥二一九番地の三(旅館「秋月荘」の所在地であった場所)から国道三二二号線を嘉穂町方向に約一・四キロメートル進行した地点(通称八丁峠第五カーブ付近)の南方約九メートルの山中である(甲6、9)。
 
死体は、道路から投げ捨てられたような状態で遺棄されており、A子は、黄色フード付ジャンパー、赤色上衣、長袖シャツ、半袖肌シャツを身につけ、B子は、白色フード付ジャンパー、茶色トレーナー、長袖シャツ、半袖肌シャツ、チェック模様入りベージュ色スカートを身につけていたが、二名共パンツを脱がされて下半身が露出し、少し離れた場所に赤色手袋が棄てられていた(甲6)。
5 そして、死体解剖の結果、
(一)A子及びB子の死因は、頸部圧迫、それも扼頸(手による圧迫)による窒息であり、他殺であること
(二)A子の着ていたジャンパー表面には、両袖及び前面に血痕が多数付着していること(なお、後に鑑定した結果、ジャンパーに付着していた血痕はO型と判明した。)、A子の鼻孔からは血液が漏れ、その一部は右側を帯状に上方に伸び、右眼内裂部に達し、乾燥していること、頬、鼻、口周囲に血液が接着状に付着していること、A子の腟内から血液が漏出し、小陰唇のほぼ全域と、大陰唇下部及び肛門部にかけてほぼ対称的に付着し、乾いていること、処女膜の二か所に新しい裂創と腟前壁に出血があり、指の爪が挿入されたのであろうと推測されること、A子の血液型がO型であること
(三)B子の腟内から血液が漏れ、大陰唇から肛門部にかけて血液がほぼ対称的に付着し、一部は上方に帯状に伸び、乾燥していること、会陰部に小裂創があり、処女膜と腟前壁部が損傷していること、幼児の小陰唇部周囲には表皮剥離を与えず侵入し、内部のみ損傷できるものとして、恐らく指と爪が挿入されたと推測されること、B子の血液型がA型であること
(四)A子の胃の内容物には、米飯とキャベツ片らしい菜片が、わずかに消化されたまま残っており、B子の胃の内容は、淡黄色の溶液を残すのみであったこと
 
などが判明した(甲12、15、21)。
6 更に翌二二日になって、福岡県甘木市大字野鳥八四四番地(八丁苑キャンプ場所在地であった場所)から国道三二二号線を嘉穂町方向に約二〇〇メートル進行した地点の西方約五メートルの山中で、A子の赤色キュロットスカート、二人のランドセルなどの所持品及び下着、フリル付白色靴下、うさぎ柄白色靴下など着衣の一部が、死体と同じように、道路から投げ捨てられたような状態で遺棄されているのが発見された(甲22、23)。

 発見されたもののうち、A子が着用していた熊柄白色パンティー及びB子が着用していた羊柄白色パンティーの各股間部付近には、いずれも淡黄色の尿斑様のものが広く付着しており、鑑定の結果、それらは各被害者の血液型と合致する血液型を持つヒト尿斑であることが判明した(甲27、31、469、471)。
7 甲野小学校から死体遺棄現場までは、経路によって違うが、距離にして二八ないし三六・一キロメートル、自動車で三五ないし五三分かかる(甲504)。また、遺留品発見現場は、甲野小学校から八丁峠を死体遺棄現場に向かう途中にあり、遺留品発見現場から死体遺棄現場までは距離にして三キロメートル、自動車で八分程度かかる(甲105)。なお、死体遺棄現場及び遺留品発見現場は、いずれも通称八丁峠と呼ばれている山道の国道沿いの山中であって、これらの現場に行くためには自動車を使用するしかないような場所である(当裁判所の検証調書)。
8 被害児童の死亡推定時刻
(一)A子について
(1)A子は、平成四年二月一九日午後五時三〇分ころから午後七時三〇分ころまでの間、飯塚市花瀬にあるカラオケボックス「乙山」に家族と一緒に行き、焼きそば一人前の四分の一程度、のり巻きおにぎり一個、フライドポテトを食べて、カルピスを飲んだ。A子は、翌二〇日午前六時三〇分ころ起床し、午前七時ころ、大人の茶碗八分目のご飯に生のめんたいこの皮をはずした中身を混ぜて食べ、お茶を飲み、咳止めシロップ(エスエス製薬の小児用エスエスブロン液エース)を飲んだ後、家を出た(甲26、28職8、10、13)

(2)カラオケボックス「乙山」では、当時焼きそばの具として、豚肉、たまねぎ、キャベツ、もやし、にんじんなどを使っていた(証人O子)。
(3)A子の死体解剖は、九州大学医学部法医学教室において、永田武明教授の執刀により行われた(甲12)。これに立ち会った福岡県警察本部刑事部捜査一課検視係長野田茂樹は、執刀医である永田がA子の胃を切開した際その内容物を網で受け取り、これを他の捜査官が写真撮影した後、胃内容物の一部をスプーンですくい取り、別の網の上に載せて、上から水道水をかけて洗浄したところ、直径一ミリメートル以下の魚卵様の粒状物数個を網の上に認めたので、その旨を永田に報告したが、永田は頷いただけで、特に言葉を発することもなかった(証人野田茂樹)。
(4)永田鑑定書(甲12)には、A子の胃の所見として「ほとんど未消化の米飯粒を主とした粥状物が約一六〇グラム残る。一部に暗褐色の微細物と少数の白い菜片が混じっている。」、胃の所見として「十二指腸部には淡黄色粥状物少量」、死後経過時間として「検屍開始時(二月二一日午後一〇日)までに死後約一日から一日半を経過しているのではなかろうかと推測される。胆汁がほぼ充満状態にあり、胃の米飯粒の多くが未消化であること等の所見から、食後間もない時期の死亡と推定される。」との記載がある。なお、永田は、右鑑定書作成直前、捜査官の質問に対して、「死後一日と一日半では、一日半がより近いと考えられる。」「食後一時間ないし二時間くらいの死亡ではなかろうか。」と述べているが、鑑定書には記載しないと述べていた(甲19)。
(5)前記解剖時に採取されたA子の胃内容について、永田鑑定とは別に、福岡県警察科学捜査研究所(以下「科捜研」という。)技術吏員棚田徳彦及び同林葉康彦も、鑑定を実施した。棚田・林葉鑑定書(甲18)には、A子の胃内容をシャーレに移し、蒸留水を加えてしばらく静置した後上澄液を廃棄する操作を数回行って、固形物様のものを採取し、肉眼及び顕微鏡で検査したところ、ほぼ原形をとどめた米飯多数とキャベツ片(大豆大のもの数片)が識別できたとの記載がある。
(6)当裁判所の鑑定人である帝京大学医学部法医学教室の石山★夫教授が実験したところによれと、以下の結果が得られた(証人石山★夫三六回職15、16)。
ア 成人用ご飯茶わん八分目の米飯の重量は約一〇〇グラムであり、これに生の皮をむいためんたいこを混ぜたものをビーカーに移し、人工胃液二五〇グラムを加えてよく攪拌し、三七度で二時間前後振盪した後、一昼夜にわたって室温に静置したところ、人工胃液のほとんどが米飯に吸収され、米飯の重量は二五〇グラムとなった。また、めんたいこは、着色のものは容易に識別できるが、無着色のものは、水に濡れた状態で白い米飯の上に存在している場合には、識別困難であった。さらに、米飯の一部をシャーレに移し、蒸留水を加え、ガラス棒で攪拌すると、めんたいこは米飯粒から離れて周囲に散在するようになった。
イ 咳止めシロップ(エスエスブロンエース液)と米飯粒を酸性下で混合すると褐色の沈殿が生じた。
(7)以上の事実を前提にA子の死亡推定時刻を検討する。
 
まず、A子の胃内容のうち、ほとんど未消化の米飯粒が約一六〇グラムあったという点と、十二指腸にも淡黄色粥状物が少量あったという点について、石山鑑定人は、胃内容について死後も胃粘膜からの水分の吸収が持続するので水分が減ることをも考慮すると、A子の胃内容が二月二〇日の朝食(大人の茶碗八分目のご飯)であると考えても量的に矛盾しないとしている(職15)。次に、石山鑑定人は、A子の胃内容のうち、暗褐色調の微細物は、前記実験結果に照らし、A子が朝食後に服用した咳止めシロップが胃の中で米飯と反応した可能性があるとしている(職15)。そして、A子は、朝食時ご飯にめんたいこをまぶしたものを食べているが、解剖に立ち会った野田は、A子の胃内容に魚卵様の粒状物が含まれているのを確認し、A子の胃内容を撮影した写真(甲13の(28))にも粒状物らしい物体が写っている。
 
もっとも、永田鑑定書及び棚田・林葉鑑定書には魚卵様の粒状物に関する記載がないが、石山鑑定人はこれらの者が見落とした可能性を指摘しており(職15)、野田からの報告に頷いただけの永田がこれに興味を示していなかったため鑑定書に記載しなかった可能性や、棚田らがA子の胃内容に蒸留水を加えて静置し上澄液を廃棄する操作を数回行った結果、蒸留水より比重の軽いめんたいこをも廃棄してしまった可能性も否定できない。また、A子の胃内容のうち、少数の白い菜片(キャベツ片)は、二月二〇日の朝食時に摂取したものではないが、この点について、石山鑑定人は、前日の夕食の焼きそばの具が胃の中に残留した可能性もあると述べている(職15証人石山三六回)。
 
弁護人は、法医学の通説的見解に従って、野菜は摂取後数時間内で胃を通過することを前提とすべきであると主張するが、石山鑑定書(職15)によると、法医学書に記載された胃からの食後経過時間の推定に関する記載は、胃内容の平均的な動きをみているのであり、未消化物の胃内滞留時間については、これまでの法医学の記述は当てはまらないこと、近年に至り胃の幽門部には未消化物を通過させない作用があることが判明してきており、石山鑑定人の体験としても、早朝に死亡した幼児の胃幽門部にホウレン草の野菜片が付着していた例があること、胃カメラを実施する場合、夕食後絶食させた状態で翌朝の検査で食物残渣が観察されることがあり、小児についても、食物残渣が残るとみても問題ないことが認められるので、弁護人の右主張は採用できない。
 
仮に、A子の胃内容が二月二〇日の朝食ではないとすると、A子は、行方不明になった後、魚卵様のものが入った茶碗一杯程度の米飯と咳止めシロップと矛盾しない暗褐色を呈する物を再度摂取したことになるが、偶然朝食で摂取したと同様のものを摂取する可能性は低く、また、後にみるようにA子と同時に失踪したB子の胃内容からは同様の所見は認められないことからも、そのような可能性は極めて低い。
 
以上からすると、A子の胃内容は二月二〇日の朝食であると認めるのが相当である。そして、石山鑑定人は、A子の胃内容からして、A子が食後一、二時間で死亡したものと判断しているところ(職15 永田鑑定人の結論も同じである。)、この判断は合理的であって首肯することができる。そうすると、A子の死亡推定時刻は、同日午前七時に朝食を食べてから一時間ないし二時間後である午前八時から九時ころまでの間ということになるが、A子の生存は午前八時三〇分の時点で確認されているから、その後午前九時ころまでの間に殺害されたと推定される。
 
永田鑑定書には死後経過時間として検屍開始までに死後約一日から一日半を経過しているとの記載があるが、これは時間単位での推測ではなく、一日半がより近いとすると、右推定時刻と矛盾するものとはいえない。また、死亡時刻を平成四年二月二〇日午後六時から九時ころと記載したA子の死体検案書(甲680)の作成者は永田武明教授であり、同人の死体解剖に基づく死亡推定時刻の判断の方が正確であるのは論を待たない。
(二)B子について
(1)B子は、平成四年二月一九日午後七時三〇分ころ、寿司(納豆巻き、シーチキン巻き、カニサラダ巻き)を食べ、翌二〇日午前七時三〇分ころ起床し、その後朝食としていちごとミルク入りのカステラロール(直径約一〇センチメートル、幅約一センチメートルのもの)を約四分の一食べ、ヤクルトを半分飲んだ後、午前七時四〇分ころ家を出た(甲29、30)。
(2)B子の死体解剖は、A子と同じく九州大学医学部法医学教室において永田教授の執刀により行われた。
 
永田鑑定書(甲15)には、B子の胃の所見として「淡黄色液状物(胆汁と認められる)約一〇ミリリットルを入れるのみ」、死後経過時間として「検屍開始時(二月二一日午後一〇時三〇分)までに死後約一日から一日半を経過しているのではなかろうかと推測される。」との記載がある。なお、永田は、捜査機関の質問に対して、A子同様「死後一日と一日半では一日半により近いと考えられる。」「二月二〇日午前九時ころの殺害であっても矛盾しない。」などと答えている(甲19)。
 
また、このとき撮影された写真(甲16の写真(30))によって、石山鑑定人は、B子の胃内容には、淡黄褐色の粘稠の表面に白色の膜状物が拡散しているように見えるほか、ゼリー状の黄白色の細長い物体が存在し、赤色の薄い皮膜様のものが数個認められる、というのである(職15 証人石山三六回)。しかしながら、石山鑑定人が指摘する白色の膜状物について、右写真の撮影者である田中紘は、写真撮影の際のリングストロボの反射であると述べているのであって(証人田中紘)、写真の専門家として長年の経験を有する同人の右供述は、これを信用することができる。そこで、田中の供述を念頭において右写真を詳細に検討すると、B子の胃内容は、永田鑑定書にあるように淡黄色の溶液のみであると判断するのが相当であって、石山鑑定人が主張する白色の膜状物及びゼリー状の黄白色の細長い物体はリングストロボの反射の影響によってそのように見えるだけであり、また、赤色の薄い皮膜様のものは、胃内容物を入れたビーカーの壁面が赤味を帯びて写っているところからして、写真撮影の際の背景による色調の変化であると認めるのが相当である。
(3)前記解剖時に採取されたB子の胃内容について、棚田・林葉鑑定書(甲18)には、前記A子の胃内容と同様の方法で鑑定を実施したが、固形物様のものは認められなかったとの記載がある。
(4)石山鑑定人の実験によると、アンズ入りのロールカステラをビーカーに入れて人工胃液を加え、三七度で二時間程度振盪した後で、室温で一昼夜にわたって放置すると、カステラは完全に原形を失い、ビーカーの底には澱粉粒が沈殿したが、アンズはそのままゼリー状に残っていた(職15)。
(5)そこで、B子の死亡推定時刻について検討する。
 
B子の胃内容から、その死亡推定時間を食後一時間ないし二時間とした石山鑑定人の判断(職15)は、その前提事実を欠くことになるので、これを採用することができないといわなければならない。
 
しかしながら、A子とB子が同時に行方不明となり、いずれも何者かの手によって首を絞められて殺害され、同じ場所に遺棄されていたことからすると、二人はほぼ同じ機会に殺害されたとみるのが自然であること、前記認定の事実によると、B子が二月二〇日の朝食に摂取したカステラロールに含まれていた「いちごとミルク入り」の具体的内容は明らかでないから、これが石山鑑定人の実験の結果と同じく、そのままゼリー状に残るかどうかは分からないが、カステラ部分については、死後においても胃内に分泌したペプシンが活性を保持し続けるため澱粉粒まで消化されて(職15)固形物として残らなかったものであり、その他B子の胃内容は、B子が摂取した朝食と矛盾しないことからすると、B子についても、朝食摂取後一時間ないし二時間で死亡したものと推定するのが相当である。

 また、永田鑑定人の死亡推定時刻及び同人作成にかかるB子の死体検案書(甲679)については、前記A子の場合と同様であり、右推定と矛盾するものではない。
9 以上1ないし8の事実によると、本件の外形的事実として、何者かが、平成四年二月二〇日午前八時三〇分ころから午前八時五〇分過ぎころまでの間、通学途中のA子とB子をG方三叉路あるいは同所から北側の路上付近で略取又は誘拐し、間もなく自分の手でA子とB子の首を絞めて殺害した上、二人の死体及び所持品を八丁峠の前記各現場に投げ捨てたこと、その際、犯人は自動車を使用していること、犯人が八丁峠で死体及び所持品を投棄することができたのは、同日午前九時過ぎころから翌二一日午後零時過ぎころまでの時間帯に限られることが認められる。
二 被害児童の遺留品発見現場付近で目撃された自動車及び人物について
1 証人Pの供述要旨(証人P甲502)
 
平成四年当時、福岡県甘木市森林組合に勤務し、甘木市内の山林所有者から委託を受けた作業に関する現場監督、写真撮影等の業務に従事していた。同年二月二〇日午前一一時ころ、甘木市大字野鳥字大休の現場から軽四輪貨物自動車を運転して国道三二二号線を通って八丁峠を下りながら組合事務所に戻る途中、八丁苑キャンプ場事務所の手前約二〇〇メートル付近の反対車線の道路上に紺色ワンボックスタイプの自動車が対向して停車しており、その助手席横付近の路肩から車の前の方に中年の男が歩いてくるのをその約六一・三メートル手前で発見した。その瞬間、男は路肩で足を滑らせたように前のめりに倒れて両手を前についた。右自動車の停車していた場所がカーブであったことや、男の様子を見て、「何をしているのだろう、変だな。」という気持ちで、停車している車の方を見ながらその横を通り過ぎ、更に振り返って見たところ、車の前に出ようとしていたはずの男が車の左後ろ付近の路肩で道路側に背を向けて立っているのが見えた。男は、四〇代の中年位で、カッターシャツに茶色のベストを着ており、髪の毛は長めで前の方が禿げているようだった。また、停車していた自動車は、紺色ワンボックスタイプで、後輪は、前輪よりも小さく、ダブルタイヤだった。後輪の車軸部分は、中の方にへこんでおり、車軸の周囲(円周)は黒かった。リアウインドー(バックドアのガラス)及びサイドリアウインドーには色付きのフィルムが貼ってあった。車体の横の部分にカラーのラインはなかったが、サイドモールはあったように思う。型式は古いと思う。ダブルタイヤだったので、マツダの車だと思っていた。
2 P供述の信用性について
 
Pは、本件と無関係の第三者であるから、その意味でPの供述の信用性を疑う理由は全くない。また、Pは、当時、仕事でどこの現場に行ったかということなどを日記帳に記載しており、この日記帳には平成四年二月二〇日午前に大休の現場に行った旨の記載があるのであって、この前後にPが大休の現場に行ったのは、二月一二日、三月四日であるところ、Pは、既に三月二日前後には警察官に対して目撃事実を供述しており、三月四日には警察官を現場に案内しているのであるから(証人P甲641)、目撃したのが平成四年二月二〇日であるというPの公判供述は十分信用できる。
 
次に、Pは、公判で供述するよりも前に、被告人が本件当時使用していた紺色ワンボックスタイプのマツダボンゴ(登録番号《略》、以下「被告人車」という。)を捜査官から見せられていること(証人P)、被告人車にはサイドモールが付いており、後輪がダブルタイヤであること(甲476)が認められるのであるから、目撃車両の特徴に関するPの公判供述は、捜査機関から被告人車を見せられたことによって変容した記憶に基づくものであるという可能性があるので、その信用性を検討する必要がある。しかしながら、Pは、目撃後一九日目である平成四年三月九日の時点で、警察官に対し、「この車の車両番号はわかりませんが、普通の標準タイプのワゴン車で、メーカーはトヨタやニッサンでないやや古い型の車体の色は紺色、車体にはラインが入ってなかったと思いますし、確か後部タイヤがダブルタイヤであった。更にタイヤのホイルキャップの中に黒いラインがあったと思います。このダブルタイヤとは、後部タイヤが左右二本ずつの計四本ついているタイヤのことです。車の窓ガラスは黒く、車内は見えなかったように思いますので、ガラスにフィルムをはっていたのではないかと思います。」(甲724)と、ほぼ公判供述と同様の供述していることが認められる。この時点では、Pが被告人車を見せられていないことは明らかであるから、Pの前記公判供述のうち、右供述と合致する部分については、Pが当初から一貫して供述しているという点からも十分に信用することができる。これに対して、Pの公判供述のうち、「サイドモールはあったように思う。」という部分と、「ダブルタイヤだったので、マツダの車だと思っていた。」という部分については、前記のとおり被告人車を見せられたことによって記憶が変容した可能性を否定し去ることはできない。
 
さらに、Pは、目撃した人物の特徴についても、平成四年三月九日の時点で警察官に対し、「この男の人相は、頭の前の方が禿ていたようで、髪は長めで分けていたと思うし、上衣は毛糸みたいで、胸はボタンで止める式のうす茶色のチョッキで、チョッキの下は白のカッター長袖シャツを着ておりました。その感じから年齢は三〇ないし四〇歳位と思います。」(甲724)と供述しているのであるから、これと同旨の公判供述は十分に信用することができる。
3 本件当時、ワンボックスタイプで後輪がダブルタイヤの自動車を販売していたのは、国内の主要な自動車メーカーではマツダ株式会社、トヨタ自動車株式会社及びいすゞ自動車株式会社であるところ(甲692ないし718)、いすゞ車は白色が基本であって、紺色の設定がないこと(弁92)、トヨタ車の後輪ダブルタイヤの車両は、ライトエースバンとハイエースバンの二種類であり、ハイエースバンには紺色の設定車がなく、また、ライトエースバンにはサイドリアウインドーがないこと(甲726)に照らすと、全塗装して車体の色を紺色に変えていない限り、Pが目撃した紺色車両はマツダ車であると認められる。
4 ところで、Pが目撃した紺色車両の停車位置は、遺留品発見現場の直近であって、犯人が遺留品を投棄するために自動車を停めた場所としてはこの場所以外に考えられない。また、前記のとおり、犯人が八丁峠で死体及び遺留品を投棄することができたのは、平成四年二月二〇日午前九時過ぎころから翌二一日午後零時過ぎころまでの時間帯に限られるところ、Pが右紺色車両を目撃したのは、右時間帯の中の同月二〇日午前一一時ころのことである。
 
そして、もともと冬場の八丁峠の交通量は少ない上(現にPは、前記目撃時に紺色車両以外の車には出会わなかった旨供述している。)、右現場付近は何もない場所であるから、本件と無関係に通りかかった自動車が偶然この場所に一時停車する可能性は低く(ただし、同じ八丁峠の死体遺棄現場付近で小用を足すために運転していた自動車を停車させた男性が被害児童の死体を発見していることからも明らかなように、右可能性は皆無とはいえない。)、また、Pが、目撃した男の様子も,その男が犯人であって、Pに気付き驚いて足を滑らせ、Pに見られないよう自動車の陰に身を隠したとすれば自然に説明できることを併せ考えると、Pが目撃した男が犯人であって、Pが目撃した紺色車両が犯行に利用された自動車である可能性が濃厚である。
三 被害児童が最後に目撃された時刻、場所と接着した時刻、場所で目撃された自動車について
1 H子の検察官調書(甲39)の要旨
 
本件当時、飯堵市農協甲田支店に勤務しており、平成四年二月二〇日午前八時三〇分ころ、通勤のため紺色軽四輪乗用自動車(スズキセルボモード)を運転してG方三叉路を通過する際、北方向から歩いてきた二人組の小学校一、二年生の女の子を見かけた。女の子は二人ともランドセルを背負っていて、一人が黄色の雨がっぱかジャンパー様のものを着ており、その子のランドセルは赤色だった。二人は、学校に遅刻しているはずなのに全く急ぐ様子がなく、妙にだらだらと歩いていた。二人の横を通過すると、C′方前に三台の車が駐車していた。このうち、ボンゴ車と乗用車が一台ずつあったのは覚えているが、もう一台がどちらだったかははっきりしない。県道乙野線に出る手前(同調書中のH子作成の図面によると、甲33の写真25の左側ガードレール付近になる。)で、髪がぼさぼさの作業員風に見える四〇歳くらいの男性が運転するボンゴ車と離合し、午前八時三〇分過ぎころ、勤務先の駐車場に車を停め、助手席に置いてあった化粧品を片付けるなどしていたところ、約三分後、職場の同僚であるI′子が白色軽四輪乗用自動車(ホンダトゥディ)を運転して、駐車場に入って来た。 
2 証人I子の供述要旨
 
本件当時、飯塚市農協甲田支店に勤務しており、平成四年二月二〇日は、白色軽四輪乗用自動車(ホンダトゥディ)を運転して、G方三叉路手前付近からH子の通勤路と同じ道を通って、午前八時三三分ころ出勤した。G方三叉路先には自動車が三台並んで停まっており、二台目のボンゴ車の運転席には男が乗っていた。G方三叉路付近から県道乙野線に出るまでの間に、小学校一年生くらいの二人組の女児は見かけなかった。
3 証人Qの供述要旨
 
本件当時、従兄弟のRが経営する建設業の手伝いをしており、平成四年二月二〇日午前八時三〇分ころ、Rと一緒にG方三叉路付近までユニック車を借りに行った。Rが白色スカイラインを運転して先行し、自分は現場を知らないため灰色トヨタタウンエースを運転してGのスカイラインに追従して行った。県道乙野線を右折してG方三叉路の少し手前にあるガードレール付近で、若い女性が運転する軽四輪乗用自動車と離合した後、同三叉路付近に停車したRのスカイラインの後ろに自分の車を停めたが、自分の車の後ろには既に三菱のワゴン車が停車していた。そのとき、別の若い女性が運転する白色軽四輪乗用自動車が右三台の車の横を通過して行った。
 
自分が車を停めた場所は通行のじゃまになると思ったので、車から降りることなく、もう一度車を移動して、Rのスカイラインの少し前に停車した。車から降りて道路を横切り、G方三叉路を南に歩きかけたとき、後方からワゴン車が自分の右横を追い抜いて、甲野小学校の方向に走って行った。ワゴン車は、道幅が狭いのにかなりの速度を出しており、でたらめな運転だと思った。このワゴン車がG方三叉路北方の道路から来たのか、それとも東方の道路から来たのかは分からない。
 
右ワゴン車は、マツダのワンボックスタイプ、通称ボンゴ車で、マツダ独特の青みがかった黒っぽい色だった。リアウインドー(バックドアのガラス)には黒っぽいフィルムが貼ってあった。
4 証人Sの供述要旨
 
本件当時、造園業を営んでおり、平成四年二月二〇日午前八時二〇分ころ、G方三叉路南側のC′方南端の路上に自分が乗ってきた三菱デリカワゴンを停めて付近の民家の造園工事をしていた。車を停めたころ、低学年の女の子が一人半べそをかきながら小走りに立ち去った。そのほか小学校低学年の女の子には会っていない。同年午前八時三〇分ころ、ユニック車を貸す約束をしていた丙川建設のRと、その従兄弟で、後で名前の分かったQに会った。Rがスカイラインを駐車させる前には、C′方前路上で自分の三菱デリカワゴン以外の駐車車両は見ていない。Rはスカイラインを自分の停めた場所より北側のC′方前路上に停め、Qはその後方に乗ってきたワゴン車を停めようとしたが、前方からきた白のホンダトゥデイが通りにくそうにして走行して行ったことから、もっと前方に停車しに行った。ホンダトゥデイが通り過ぎた後、ホンダトゥデイとは反対方向に向けてダイハツミラが通り、ホンドトゥデイと同じ方向に向けてカリーナ、紺色ワゴン、アウディが通った。Qから、G方三叉路付近で車にひかれそうになったと言われたので見ると、ワゴン車が急いで走り去って行くのが見えた。
 
右ワゴン車は、マツダのワンボックスタイプ(ボンゴ)で、色はマツダ独特の濃紺色、サイドモールがあり、後輪ダブルタイヤだった。また、サイドウインドーにはマツダ純正と思われるベージュの色あせたカーテンがついており、リアウインドー(バックドアのガラス)は黒っぽかったのでフィルムが貼ってあると思った。
5 検討
 
前記各供述者は、いずれも本件と全く関係ない第三者である上、比較的早い時期に捜査官から事情を聞かれて記憶が残っていると考えられるから、各供述内容は基本的に信用することができる。もっとも、H子がC′方前路上で三台の車両と離合したという点については、同人方前路上には、まずSが午前八時二〇分ころ三菱デリカワゴンを駐車させ、次いでRが午前八時三〇分ころその前方にスカイラインを駐車させ、最後にQがトヨタタウンエースを、一旦R車の直ぐ後ろに停車させた直後、I子がホンダトゥデイを運転して通りかかり、離合しにくい様子だったため、Qが自車を移動させてRの少し前方に駐車させたことが認められる。そうすると、I子よりも先にC′方前路上を通過したH子が右三台の車両と離合しているはずがなく、H子は、C′方前路上では、Rのスカイライン及びSの三菱デリカワゴンの二台と離合したのみで、車種不明の三台目の車両とは離合しておらず、その点の供述はH子の記憶違いによるものと認められる。
 
ところで、H子は、A子及びB子と面識がないが、H子が二人の女の子を目撃したG方三叉路はA子らの通学路であること、この日A子は黄色ジャンパーを着て赤色ランドセルを背負っていたこと、この直前に同三叉路手前の通学路で目撃されたA子らの様子は前記のとおりであって、H子が目撃した女の子らの様子とよく似ていることからすると、H子が平成四年二月二〇日午前八時三〇分ころ同三叉路付近で目撃した二人の女の子はA子とB子であると認められる。
 
A子とB子がこの後も通学路を学校に向かっていたのであれば、当然、I子やQらにその姿を目撃されたはずであるが、H子が目撃してから後、A子らを見た者はいない。そして、H子がA子とB子を目撃してから約三分後にH子と同じ道を通ったI子がA子とB子の姿を見ていないこと、M子は、同日午前八時五〇分ころ甲野小学校を車で出発し、G方三叉路を北上してA子らの通学路を逆行し、乙山バス停の北側のL商店前付近まで行っているが、A子らの姿を見ていないことからすると、犯人は、H子がG方三叉路付近を通過した後、I子がG方三叉路付近を通過する前からM子がG方三叉路の北側の道路を通過するまでの間に、A子とB子を略取又は誘拐して車でA子とB子を連れ去ったものと認めるのが相当である。
 
弁護人は、県道乙野線に出る手前で、H子が目撃したボンゴ車に乗っていた髪がぼさぼさの作業員風に見える四〇歳くらいの男性が犯人である可能性を指摘する。しかし、前記のとおり、H子はC′方前路上ではRのスカイラインと離合しているのであるから、その後方を追従してきたQのトヨタタウンエースと離合していないはずがないところ、Qが県道乙野線を右折して同三叉路の少し手前にあるガードレール付近で離合した若い女性の運転する軽四輪乗用自動車と、H子運転の軽四輪乗用自動車とが、その離合した時間帯及び場所がほぼ一致していることからして、H子が目撃した作業員風の男性は、Qと認められ、同人が犯人である可能性はない。
 
また、弁護人は、I子車がG方三叉路を通過する前に被害児童が略取または誘拐されたとすると、I子車の通過後に紺色ワゴン車がG方三叉路を通過していることから、紺色ワゴン車が被害児童を略取又は誘拐することはあり得ないと主張するが、H子に被害児童が最後に目撃されてから被害児童がどのような行動をとったかは不明であり、犯人に誘われるなどして登校路を逆に向かった可能性もあるから、弁護人の主張するように紺色ワゴン車が被害児童を略取又は誘拐することはあり得ないということはできない。
 
そうすると、この日Q及びSが目撃した紺色、後輪ダブルタイヤで、リアウインドーに黒っぽいフィルムを貼ったマツダのワンボックスタイプの自動車は、被害児童が略取又は誘拐された時刻、場所と極めて接着した時刻、場所において目撃されていることになる。

 他方、前記のとおり、本件犯行当日である平成四年二月二〇日午前一一時ころ、本件遺留品発見現場の直近でPが目撃した不審な行動を示した男の側に停められていた不審車両は、紺色、後輪ダブルタイヤ、リア及びサイドウインドーに色付きのフィルムが貼ってあるワンボックスタイプの車である。
 
これら二つの目撃事実は、日時及び場所の点でいずれも明らかに本件犯行と深い関わりを有するといえるところ、ほぼ同じ特徴を持つ別の自動車がそれぞれの日時、場所においてたまたま目撃されたという可能性も皆無とはいえないが、むしろこれらの日撃事実に照らしてみると、それぞれの日時、場所で目撃された自動車は同じものであり、これが本件犯人の使用していた自動車であるという疑いが極めて濃厚である。
四 被告人が本件犯人像と矛盾しないことについて
 
被告人は、本件当時、紺色、ワンボックスタイプで後輪がダブルタイヤのマツダボンゴ(被告人車)を使用していたのであるが、被告人の供述(乙4、6)によると、右当時、被告人車のサイドウインドー及びサイドリアウインドーには薄青色のフィルムが貼られ、それらの内側には茶系統の色あせたカーテンと白色のレースカーテンが取り付けられており、また、リアウインドー(バックドアのガラス)には濃い青色のフィルムが貼られていたというのであって、そのことは、被告人車のサイドウインドーに水色のフィルムが残存し、その周囲にフィルムを剥がしたためにできたような擦過痕があったこと(甲476の写真(6)、(7))によっても裏付けられている。そうすると、本件当時の被告人車の特徴は、本件犯人の使用車両である疑いが極めて濃厚な前記車両の特徴と一致していることになる(おな、Pは、目撃車両の運転席側の後輪車軸部分の周囲が黒かったと供述しているところ、被告人車の同部分は検証時には黒くなかったことが認められる(甲476の写真(14))が、もともとダブルタイヤの場合、新車でも二、三年経てばリアアクスル内の潤滑オイルが車軸の回転による熱や振動等により漏れを起こし、ハブ内のグリスと混じったものに泥等が付着して黒くなること(甲510)、後記のとおり被告人が被告人車を手放す直前に丹念に掃除をしていることからすると、運転席側の後輪車軸部分の汚れもその際に取り除かれた可能性が十分にあるから、右の点をもってPの目撃車両と被告人車の同一性が否定されるものではない。)。
 
また、本件犯人が被害児童を略取又は誘拐した現場であると認められるG方三叉路付近は、福岡県の中央部に位置する飯塚市郊外にあって、路線バスの経路である県道から脇道ないし裏道ともいうべき細い道路を入っていった場所である(甲33)。このように付近住民の生活道路ともいえるような場所で、午前八時三〇分ころという比較的早い時間帯に右犯行が行われていること(さらに、八丁峠でPが目撃したのが犯人車であるとすると、犯人は被害児童を略取又は誘拐してから約二時間三〇分後には遺留品発見現場及び死体遺棄現場である八丁峠に到着していることになるが、甲野小学校から八丁峠の死体遺棄現場まで自動車で行くだけで前記のとおり三五分ないし五三分かかること)にかんがみると、犯人は右各現場付近に土地勘があり、しかも、これら現場の近隣に居住する人物であると認めるのが相当である。そして、被告人は、後記のとおり、甲野地区に居住し、右各現場付近に土地勘があることが明らかであるのに対して、捜査の結果(甲526ないし535、728)によると、本件当時、飯塚警察署管内に居住又は所在し、かつ、被害児童が失踪したG方三叉路付近道路を自動車で通行する可能性があって、紺色ワンボックスタイプで後輪がダブルタイヤのマツダ車を使用していた被告人以外の者九名には、いずれも本件当時のアリバイが成立し、かつ、これらの者が使用していたマツダ車の窓ガラスにはいずれも色付きのフィルムが貼られていなかったというのである。
 
弁護人は、Pが目撃した男は、年齢が三〇ないし四〇歳くらいで、茶色のチョッキと白の長袖カッターシャツを着ており、頭の前の方が禿げていたようであるが、被告人は、当時五四歳であり、着ていた着衣が異なる上、頭髪が額の生え際まで密生しており、Pが目撃した男の風体と一致しないと主張する。
 
確かに、Pが供述する男の年齢は、被告人の実際の年齢と開きがあるが、Pが男を目撃したのは自動車で通過する一瞬であるから、人物識別についてのPの供述は特に印象に残った点を供述しているに過ぎず、人物の風体を具体的に断定する供述ではない。その上、人の年頃については、個人差があるため正確な年齢を言い当てることは困難であることからすると、男の年齢についてのPの供述は正確性に乏しいといえる。
 
また、証人T子(二九回二七五項ないし二七九項)によると、被告人は冬でも遅い時期までカッターシャツ一枚で過ごすことが多く、ベージュ系のチョッキを持っていた事実が認められる。
 
さらに、Pは、公判で、男が前のめりに倒れる瞬間頭の前の方が禿げていたように見えた、男の髪の長さは禿げを隠すことができる程度の長さであった(五四五項ないし五五七項)と供述しており、Pのいう頭の前の方の禿げというのは、額の生え際部分のことではなく前頭部を指しているものと認められる。かたや、被告人は、公判で、本件犯行当時円形脱毛症に罹患し頭頂部が脱毛していた(三一回三六五項ないし三七六項)と供述しているのであるから、禿げの部位が前頭部か頭頂部かの違いに過ぎず、Pの目撃が男が前のめりに倒れる一瞬の動きであることからすると、Pが目撃した男の禿げの状態と被告人の円形脱毛症による脱毛とは矛盾するとまではいえない。
 
以上からすると、Pの目撃した男の風体は、被告人と一致しないという弁護人の主張は採用できない。
 
もちろん、Pらが目撃した車両が犯人のものであるとまでは断定できない上、仮にそうであるとしても、被告人車だけが犯人車と同じ特徴を有するわけではなく、また、被告人だけが本件各現場付近に土地勘を持つものでもないことは明らかである。しかし、ここで重要なことは、被告人を本件犯人と仮定するに足りる事実があるということであり、それを超えて被告人が本件犯人であると断定できるかどうかはひとえに以下の情況証拠の検討にかかっているのである。
五 被害児童の着衣等に付着していた繊維片について
1 平成四年二月二一日、A子とB子の死体発見現場において検死と実況見分が行われた後の午後九時ころ、死体は、着衣を着けたままの状態で死体カバーに包まれて警察車両で福岡県甘木警察署に搬送され、同署において、A子とB子の父親がそれぞれ死体の身元確認をした(甲6、10、727)。その後、死体は、同日午後一〇時三五分ころ、同様の状態で九州大学医学部法医学教室に搬送され、同所でA子とB子の着衣(A子については、黄色ジャンパー、赤色上着シャツ、長袖白色シャツ、半袖漫画プリントシャツ各一枚。B子については、白色ジャンパー、茶色トレーナー、横線入りシャツ、絵柄の半袖シャツ、チェック模様入りスカート各一枚。)を福岡県甘木警察署の警察官が実況見分の後、個別にビニール袋に入れて福岡県警察本部刑事部鑑識課の警察官に引き継ぎ、同警察官が同鑑識課写真室に搬送し、翌二一日午前七時三〇分から午前一〇時までの間、A子とB子の被害当時の着衣に付着していた微細物の採取がリタックシート(微物採取用粘着シート)により行われた(甲20、21、727)。
 
また、死体と共に発見された赤色手袋一双は、個別にビニール袋に入れ、甘木警察署証拠品倉庫に保管し、翌二二日遺留品発見現場で発見されたA子とB子の所持品や衣類と共に、同日甘木警察署において、その付着していた微細物の採取がリタックシートにより行われた(甲24、727)。
2 福山鑑定(証人福山晴夫 甲83ないし88、611)
 
捜査機関は、平成四年二月二五日、前記1の各リタックシートに微物が付着しているかどうかなどについて、科捜研に鑑定嘱託した。また、捜査機関は、平成四年一〇月七日、押収していた被告人車のうち、座席シートについては全て同一の材質と認められたことから助手席シートのみから繊維片を採取し、その他運転席フロアマット、間仕切り部フロアマット、後部フロアマット、運転席フロントマットの繊維片を切り取り採取した上、同月一五日、これらの繊維と同じものが被害者の着衣等に付着していないかどうかなどについて、科捜研に鑑定嘱託した。以上の鑑定嘱託に基づき、同月一九日(ただし実際に鑑定を開始したのは平成五年一一月)から平成六年一月二七日の間、科捜研において技術吏員福山晴夫がした鑑定の結果は、次のとおりである。
(一)被告人車の運転席、間仕切り部及び後部の各フロアマット、運転席フロントマットから採取した繊維は、いずれも太く、形態的にも特徴があり、これらと同種の繊維がリタックシートに付着していれば、顕微鏡を用いることによって肉眼でも発見可能であると考えられるが、顕微鏡検査の結果、各リタックシートによって採取された繊維の中に、これらと同種のものは認められなかった。
(二)被告人車の助手席シートから採取した繊維は、直径約〇・〇一五ミリメートルの表面が平滑な化学繊維(ナイロン6)であった。なお、被告人車の助手席シートは、だいだい色、焦げ茶色、薄黄茶色及び黄茶色の四色で構成されている。
(三)各リタックシートに付着している無数のごく短い繊維の中に、直径約〇・〇一五ミリメートルの化学繊維(ナイロン6)で、被告人車の助手席シートの焦げ茶色部分の維繊と色及び表面の形態が類似するものが少なくとも一三本あることが確認された。それらは、B子のチェック模様入りスカート前面(二本)及び後面(一本)、B子の赤色手袋背部(一本)、B子のフリル付白色靴下(二本)、A子のうさぎ柄白色靴下(三本)、A子の赤色キュロットスカート前面(一本)及び後面(三本)に付着していた。
(四)各リタックシートを再度入念に検査し、被告人車の助手席シートの繊維と類似する繊維の発見に努めたところ、焦げ茶色繊維と類似するもの一九本(前記一三本を含む。)、だいだい色繊維と類似するもの一二本、黄茶色繊維と類似するもの四六本、薄黄茶色繊維と類似するもの七本、合計八四本の繊維を発見することができたので(ただし、前記一三本を除き、ナイロン6かどうかの確認はしていない。)、これだけ捜せば鑑定の結論が出るだろうということで検査を打ち切った。
(五)科捜研ではこれらの繊維の色を客観的に鑑定することができなかったので、十分な異同識別を行うため、前記八四本の繊維のうち、できるだけまんべんなく、それぞれの色について鑑定できるように三九本(焦げ茶色九本、だいだい色九本、黄茶色一六本、薄黄茶色五本)を採取し、警察庁科学警察研究所(以下「科警研」という。)に送付することにした。
 
また、科警研以外の民間機関に対する鑑定嘱託に備えて、前記八四本の繊維のうち六本を任意提出資料(1)、一〇本(黄茶色八本、焦げ茶色二本)を任意提出資料(2)として、採取して捜査官に提出した。
3 鈴木らの鑑定(証人鈴木真一 甲89、90)
 
捜査機関は、平成六年一月二四日、前記福山鑑定において、リタックシートから発見、採取し、科警研に送付することにした三九本の繊維の中に、被告人車の助手席シートの繊維と同じものがあるかどうかなどについて、科警研に鑑定嘱託した。これに基づき、同月二七日から同年四月一一日までの間、科警研において技術吏員鈴木真一ほか一名がした鑑定の結果は、次のとおりである。
(一)光学顕微鏡による検査
 
被告人車の助手席シートの繊維(黄茶色、焦げ茶色、薄黄茶色及びだいだい色のもの)は、いずれも円形又はそれに近い断面を有する合成繊維で、直径は一五ないし二〇マイクロメートルであった。このうち、黄茶色繊維には減光剤である二酸化チタンの添加が認められ、焦げ茶色繊維にはそれがわずかに認められたが、薄黄茶色繊維及びだいだい色繊維にはそれが認められなかった。
 
他方、リタックシート付着の三九本の繊維(焦げ茶色九本、だいだい色九本、黄茶色一六本、薄黄茶色五本)のうち、動物毛であると認められた薄黄茶色繊維一本(資料2のウ)
以外は、すべて円形又はそれに近く断面を有する合成繊維で、長さは二ないし一〇ミリメートル、直径は一五ないし二〇マイクロメートルであった。これらのうち、黄茶色繊維一六本中一五本(資料2ないし6、8ないし13、15ないし18)に二酸化チタンの添加が認められ、焦げ茶色繊維九本中八本(資料3、4、7、8、13、15、17、18)に二酸化チタンの添加がわずかに認められ、だいだい色繊維九本中六本(資料4、11ないし14、17)及び薄黄茶色繊維四本中二本(資料10、18)には二酸化チタンの添加が認められなかった。
(二)顕微分光光度計による紫外部・可視部透過プロファイルの測定
 
次に、繊維を透過した光を波長に分光して、どの波長の光が吸収され、あるいはどの波長の光がどの程度透過しているかをグラフ化すること(グラフ化したものを「プロファイル」という。)によって、繊維の色調を客観的に評価した。
 
その結果、被告人車の助手席シートの繊維のうち、薄黄茶色繊維からは特徴的なプロファイルが得られなかったが、そのほかの色の繊維からは特徴的なプロファイルが得られた。
 
他方、リタックシート付着の三九本の繊維のうち、薄黄茶色のもの五本(動物毛一本を含む。)を除く三四本についてもプロファイルを得た上、被告人車の助手席シートの繊維のプロファイルと比較したところ、黄茶色繊維一六本中一五本(資料2ないし6、8ないし13、15ないし18)、焦げ茶色繊維九本中八本(資料3、4、7、8、13、15、17、18)、だいだい色繊維九本中六本(資料4、11ないし14、17)について、それぞれ被告人車の助手席シートの対応する色の繊維と類似していた。
(三)赤外吸収スペクトルの測定
 
さらに、赤外吸収スペクトルを測定して各繊維の材質を調べたところ、被告人車の助手席シートの繊維はナイロン6であり、リタックシート付着の繊維のうち、黄茶色繊維一六本中一五本(資料2ないし6、8ないし13、15ないし18)、焦げ茶色繊維九本中八本(資料3、4、7、8、13、15、17、18)及びだいだい色繊維九本(資料4、6、11ないし14、16ないし18)もすべてナイロン6であった。
(四)これらの検査の結果、B子の白色ジャンパー前面(一本、資料2の黄茶色繊維)、B子のチェック模様入りスカート前面(二本、資料3の黄茶色及び焦げ茶色繊維)及び後面(三本、資料4の黄茶色、焦げ茶色及びだいだい色繊維)、A子の黄色ジャンパー前面(一本、資料5の黄茶色繊維)、B子の赤色手袋(二本,資料6の黄茶色及び資料7の焦茶色繊維)、B子のフリル付白色靴下(五本、資料8の黄茶色及び焦げ茶色繊維並びに資料13の黄茶色、焦げ茶色及びだいだい色繊維)、A子の熊柄入り白色パンティー(二本、資料9及び10の黄茶色繊維)、A子のうさぎ柄白色靴下(七本、資料11、12、15及び16の黄茶色繊維、資料15の焦げ茶色繊維、資料11及び12のだいだい色繊維)、B子の羊柄パンティー(一本、資料14のだいだい色繊維)、A子の赤色キュロットスカート前面(三本、資料17の黄茶色、焦げ茶色及びだいだい色繊維)及び後面(二本、資料18の黄茶色及び焦げ茶色繊維)付着の繊維合計二九本(黄茶色一五本、焦げ茶色八本、だいだい色六本)について、材質(ナイロン6であること)、外観(太さ及び二酸化チタンの処理の程度)及び色調(プロファイル)が被告人車の助手席シートの繊維と一致又は類似していることが判明した。このうち、B子のチェック模様入りスカート後面付着の三本(資料4の黄茶色、焦げ茶色、だいだい色繊維)、B子のフリル付き白色靴下付着の三本(資料13の黄茶色、焦茶色及びだいだい色繊維)及びA子の赤色キュロットスカート前面付着の三本(資料17の黄茶色、焦げ茶色及びだいだい色繊維)について、更に特性X線スペクトルを測定して含有元素分析を行った結果、特徴的な元素として、黄茶色繊維からはチタンが、焦げ茶色繊維からはチタン及びコバルトが検出された。他方、被告人車の助手席シートの繊維について同じ分析をしたところ、同様に黄茶色繊維からはチタンが、焦げ茶色繊維からはチタン及びコバルトが検出された。
4 被告人車と同型車を使うなどした実験の結果(証人福山晴夫甲105ないし110)

 捜査機関は、平成六年三月六日、被告人車と同型車(マツダステーションワゴン・ウエストコースト)に八歳の女児を乗車させて飯塚警察署から八丁峠まで同車を走行させた場合、女児の着衣(ジャンパー、スカート、パンツ及び靴下)に同車の座席シートの繊維が付着することがあるかどうかを確認する実験をした。実験には新品の衣類を使用し、事前にリタックシートを使って衣類及び実験車の座席シートの表面に付着している可能性がある微物を除去した上で実験を行った。八丁峠到着直後、女児の着衣を脱がせてビニール袋に収納し、飯塚警察署に持ち帰って、再びリタックシートで表面の微物を採取した。そして、各リタックシートを顕微鏡で見ると、同車の座席シートの繊維(焦げ茶色、だいだい色及び黄茶色のもの)と似た化学繊維を多数発見することができた。その中の一部を検査した結果、いずれも直径約〇・〇一五ミリメートルの表面が平滑な化学繊維(ナイロン6)
で、黄茶色のものについては繊維内部に二酸化チタンの含有を示す斑点があり、座席シートの繊維の特徴と一致した。 
 
また、捜査機関は、同年九月一二日、マツダステーションワゴン・ウエストコーストの座席シートの一部を使用して、その上に新品の衣類(パンツ及靴下)を落下させただけで座席シートの繊維が付着するかどうかを確認する実験をした。その結果、これらの衣類には座席シートの繊維と右同様に特徴の一致する繊維三本及び由来不明の繊維一本が付着していた。さらに、同日、座席シートを捜査用車両の後部座席に敷き、その上に新品の衣類(パンツ及び靴下)を落下させた後、同車を走行させて飯塚警察署と八丁峠を往復した場合、これらの衣類にはそれぞれ座席シートの繊維と右同様に特徴の一致する繊維八ないし九本及び由来不明の繊維二本(羊毛とレーヨン)が付着していた。
5 被告人車の座席シートの布地及びそれを構成する繊維の特徴
 
証拠によると以下の事実が認められる。
(二)被告人車は、マツダ株式会社(当時は東洋工業株式会社)が製造した「マツダステーションワゴンボンゴ」という車種の普通乗用自動車で、中でも最高グレードのウエストコーストである。被告人車の座席シート(助手席を含む全部の座席)に使用されている織布(S―TYR313X、以下「本件織布」という。)は、マツダが、ウエストコーストのマイナーチェンジに際して、ウエストコースト専用に開発したものであって、昭和五七年三月二六日から昭和五八年九月二八日までに製造されたウエストコーストの座席シートにだけ使用されており、他のマツダ車には一切使用されていない(甲120)。
(二)本件織布は、住江織物株式会社(以下「住江織物」という。)製のモケット(地糸の上に立体的にパイル糸を織り込んだもの)で、住江織物は、パイル糸を東レ株式会社(以下「東レ」という。)から購入し、茶久染色株式会社(以下「茶久染色」という。)に染色させていた(証人真島明)。
(三)本件織布のパイル糸の原糸は、東レが自社で製造したナイロンステープル(短繊維のナイロン糸)を紡績加工業者に紡績させたもの(スパンナイロン)で、原糸であるナイロンステープルには以下の特徴がある(甲133)。
(1)材質がナイロン6である。
(2)太さが二・二デニール(直径約一八マイクロメートル、すなわち〇・〇一八ミリメートル)である。
(3)繊維中の二酸化チタンの含有量が、〇・〇二パーセント(ブライト)又は〇・三六ないし〇・三八パーセント(セミダル)である。なお、製造当初は銅化合物未添加であったが、途中から沃化銅が添加されるようになった。
(四)ナイロン6ステープルの国内製造メーカーは東レ及びユニチカ株式会社(以下「ユニチカ」という。)の二社であるが、ユニチカ製のものは繊維中の二酸化チタンの含有率が〇・〇〇パーセント(ブライト)又は〇・二五パーセント(セミダル)で、東レのものとは数値が異なっている。また、ナイロン6の製造メーカーは国外にもあるが、チタン含有量等の詳細は不明である。なお、欧米ではナイロン6ではなくナイロン66が製造されている(証人加藤哲也)。
(五)本件織布のパイル糸の原糸は、いずれもカーシート専用として生産されていたが(ただし、銅化合物未添加のものは、少量ながら一般資材用途(ゴム引き布帛用など)にも使用されていた。)、本件織布のパイル糸専用ではなく、カーシート大手メーカーである川島織物株式会社及び住江織物に大量に供給されていた(甲133)。
(六)茶久染色が本件織布のパイル糸染色加工に使用した染料及びその配合比は、以下のとおりである(単位はいずれもパーミル、すなわち繊維一キログラム当たりのグラム数である。)。
(1)だいだい色部分(色目はオレンジ)
イソランイエローK―RLS200 九・〇(後に八・五五)
イルガランレッドブラウンRL200 一・〇
(2)焦げ茶色部分(色目はブラウン)
イソランイエローK―RLS200 二二・〇(後に二〇・九)
ラナシンブラックBRL200 六・〇
イルガランレッドブラウンRL200 一・五
(3)薄黄茶色部分(色目はノウベージュ及びタンベージュ)
ア ノウベージュ
イソランイエローK―RLS200 一・四(後に一・三三)
イソランイエローK―GL 〇・九
ラナシンブラックBRL200 〇・五
イ タンベージュ
イソランイエローK―RLS200 〇・一二(後に〇・一一四)
イソランイエローK―GL 〇・一
ラナシンブラックBRL200 〇・〇五
(4)黄茶色部分(色目はセピア)
イソランイエローK―RLS200 四・二(後に三・九九)
ラナシンブラックBRL200 〇・九六
イソランイエローK―GL 〇・三六
 
なお、パイル糸はいずれも双糸(二本の糸をよって合わせたもの)であって、(1)、(2)及び(4)は双糸の状態で染色されているが、(3)は、二本の糸をそれぞれノウベージュとタンベージュの色目に染色した後でより合わせたものである(証人服部勤甲126の取調部分)。
(七)前記染料のうち、イソランイエローK―RLS200及びイルガランレッドブラウンRL200にはコバルトが含有されている。コバルト入りの染料は対光堅牢性に優れていることから、カーシート繊維は一般にコバルト入りの染料で染色されている。多数ある染料の種類の内どの染料を使うか、染料をどのように組み合わせるか、どのような配合比にするかは、各染料メーカーが独自に決定する。したがって、ある繊維の染色を分析して配合比についてまで他の染色メーカーのそれと一致することはまずあり得ない。茶久染色では、イソランイエローK―RLS200をカーシート繊維の染色専用に使っている。茶久染色は、種々の自動車メーカー用にカーシート繊維を染色しているが、その場合にもイソランイエローK―RLS200やラナシンブラックBRL200を使うことが多い。ただし、本件織布と同じような染料配合比をほかで使ったことはない。また、本件織布の染色に使った染料の製造メーカーはドイツバイエルン社(イソランイエローK―RLS200及びK―GL)、スイスチバガイギー社(イルガランレッドブラウンRL200)及びスイスサンド社(ラナシンブラックBRL200)の三社にわたっており、このように異なるメーカーの染料を配合して使うことは珍しい。カーシート用の原糸の太さは、電車やバスの座席シートの原糸と比べると明らかに細く、ソファーや衣類に用いられる糸とも異なっている。カーシート用の原糸としてナイロン6が用いられていたのは、昭和六三年ないし平成元年ころまでのことで、以後急速にポリエステルに移行した(証人服部)。
6 東レ鑑定(証人加藤哲也、須志田一義、片桐元 甲88、90、91、98ないし101)
捜査機関は、前記2(五)のとおり、科警研以外の民間機関に対する鑑定嘱託に備えて、被害児童の着衣に付着していた六本の繊維を任意提出資料(1)として保存していたところ、平成六年三月九日、その中に、被告人車の座席のシートの繊維(カーシートパイル)と同じものがあるかどうかなどについて、東レに対して鑑定嘱託した。任意提出資料(1)の六本の内訳は次のとおりである。
 
資料3 B子のチェック模様入りスカートから採取した黄茶色繊維
 
資料12 A子のうさぎ柄白色靴下から採取しただいだい色繊維
 
資料13 B子のフリル付白色靴下から採取した黄茶色繊維
 
資料15 A子のうさぎ柄白色靴下から採取した黄茶色繊維
 
資料17 A子の赤色キュロットスカート前面から採取した焦げ茶色繊維
 
資料18 A子の赤色キュロットスカート後面から採取した焦げ茶色繊維
 
右資料に基づき、東レの加藤哲也並びに株式会社東レリサーチセンターの須志田一義及び片桐元が実施し、一九九四(平成六)年五月二〇日付け書面で報告した鑑定の結果は、次のとおりである。
(一)金属分析
 
被告人車のカーシートパイル(資料A)から各色の繊維部をはさみで刈り取り、溶液化したものについて、ICP発光分光分析法によってチタン及び銅を定量した。その結果、二酸化チタンの含有量(単位はいずれも重量パーセント)は、それぞれ、黄茶色部分が〇・三四、焦げ茶色部分が〇・〇二四、だいだい色部分が〇・〇二三、薄黄茶色部分が〇・〇二〇であった。したがって、黄茶色部分がセミダル、他の部分がブライトであることが判明した。そして、定量した銅化合物の添加量からみて、原糸は銅化合物添加後のものであると推定された。
 
他方、任意提出資料(1)(資料B)の各繊維については、レーザーマイクロプローブ発光分光分析法により二酸化チタンを定量した(極微量のため銅を定量することはできなかった。)。その結果、各繊維の二酸化チタンの含有量(単位はいずれも重量パーセント)
は、黄茶色繊維三本(資料3、13、15)がいずれも〇・三四であって、資料Aの黄茶色部分のそれと一致し、また、焦げ茶色繊維二本(資料17、18)がいずれも〇・〇二であって、資料Aの焦げ茶色部分のそれとほぼ一致したが、だいだい色繊維一本(資料12)は〇・三四であって、資料Aのだいだい色部分のそれと一致しなかった。
 
なお、光学顕微鏡で読み取った結果、資料Bの各繊維の長さは、資料3、13、15が約五ミリメートル、資料12が約六ミリメートル、資料17、18が約三ミリメートルで、
直径は、いずれも約一六マイクロメートルであった。
(二)染料分析
 
レーザーラマン分光法(物質レーザー光を照射したことによって発生する散乱光の強度及び照射光からのシフト(ラマンスペクトル)を測定して、化合物を同定する方法)により、染料分析を行うため、まず、本件織布の染色加工に使用された各染料について、マクロラマン分光器を用いてラマンスペクトルを測定した。次に、被告人車のカーシートパイル(資料A)の各色部分から単糸を抜き出し、顕微ラマン分光器を用いてラマンスペクトルを測定して、染料のラマンスペクトルと比較した。その結果、ラマンスペクトルでは資料Aのいずれの色からも主としてイソランイエローK―RLS200が検出され、だいだい色以外の色からはラナシンブラックBRL200がわずかに検出されることが判明した。また、資料Aのいずれの色についても、ラマンスペクトルの一一二〇カイザー(ラマンシフトの単位)付近に、染料と無関係で、染色時の添加剤などによるものと推定されるラマンバンドが認められた。
 
さらに、任意提出資料(1)(資料B)についても、顕微ラマン分光器を用いてラマンスペクトルを測定した。その結果、だいだい色繊維一本(資料12)のラマンスペクトルはどの染料とも一致せず、資料Aとは無関係であることが判明した。他方、黄茶色繊維三本(資料3、13、15)及び焦げ茶色繊維二本(資料17、18)のラマンスペクトルからは、いずれもイソランイエローK―RLS200とラナシンブラックBRL200が検出された。
 
なお、弁護人は、証人片桐が公判で、「ラナシンブラックが使用されているとは断定できない。ラナシンブラックが使用されているとしても矛盾しないと言えるだけ。」と供述(一四回)したことをもって、染料分析(甲101)の内容を訂正していると主張する。

 しかしながら、弁護人が証人片桐に対し、ラマンスペクトルでラナシンブラックBRL200を示す二本のピークのうち、一三六五カイザー付近に明確なピークが認められないとして追及したのは、Fig.6及び8についてであって、その点については証人片桐も肯定する供述をしているが(一四回一〇項、一五項、一〇六項、一〇七項)、Fig.6は被告人車から採取したBRブラウン(焦げ茶色)の、また、Fig.8は、被告人車から採取したBSセピア(黄茶色)の各単糸であるから、それらには片桐が茶久染色から入手したカーシートパイルの染色レサイプからも明らかなように、確実にラナシンブラックBRL200が含有されているのであって、証人片桐は、「染料レサイプとか、それから、染料のスペクトルを考えると、まさに、それが同一物だとして全く矛盾のない結果がえられている」と供述しているに過ぎないのである。他方、資料3、13、15、17、18のラマンスペクトルは、順にFig8.9、11、12、13、14であって、いずれもラナシンブラックBRL200の含有を示す一三一〇カイザーと一三六五カイザー付近に明確にピークが認められる(甲101)のであり、東レ鑑定の最終的な取りまとめを行った証人加藤も「(ラナシンブラックについては)検出自体はしていると。鑑定書にも僅かに存在するという表現を使ってますが、検出されているということでございます。」(一四回一八七項)と供述しているところである。
 
さらに、これらの繊維が、資料Aのだいだい色以外のどの色の繊維と同種であるかを推定するため、各ラマンスペクトルからイソランイエローK―RLS200の最も強いバンドである一四一〇カイザーにおけるラマンバンド(R)とバックグラウンド(B)の強度比(R/B)を求めたところ、次のとおりであった。
 
資料A 焦げ茶色(五・九三)、黄茶色(二・一二)、薄黄茶色(〇・六五)
 
資料B 資料3(〇・七〇)、同13(〇・三四)、同15(一・九六)、同17(八・四)、同18(六・七)
 
なお、右の強度比を比較するに際しては、プラスマイナス五〇パーセントくらいの誤差があることが経験的に分かっているので、これを考慮に入れて同一性を判断する必要があり、他方、繊維の劣化や汚染などによりバックグラウンドが高くなる可能性もあるため、右結果の断定は困難である(証人片桐)。これらを念頭に置いて判断すると、資料Bの資料3(黄茶色繊維)は資料Aの黄茶色部分か薄黄茶色部分、同13(黄茶色繊維)は資料Aの薄黄茶色部分、同15(黄茶色繊維)は資料Aの黄茶色部分、同17及び18(焦げ茶色繊維)は資料Aの焦げ茶色部分と同種の繊維であると推定された。
(三)結論
(1)資料Bは東レ製であるか
 
資料Bの各繊維がナイロン6ステープルであるならば、だいだい色繊維一本(資料12)
を除き、二酸化チタンの含有量などから東レ製とほぼ断定できる。なお、東レでは資料Bの各繊維がナイロン6ステープルであることの確認はしていない。ただし、フイラメント糸使い布帛の場合は、数十ミリメートル前後の長さのそろった繊維片として切断、脱落することはほとんどないから、これらがステープルであることはほぼ間違いない。
(2)資料Aの原糸と資料Bの原糸との異同
 
資料Bについて、銅の定量分析ができなかったが、その原因が極微量のため検知限度以下であったことによる(証人須志田)とすると、レーザーラマン分光分析から資料Aに使用されていた主要染料二種類が検出されたこと、酸化チタン分析の結果、資料Aと対応する同一量の二酸化チタンが検出されたことから、資料Bのうち黄茶色繊維二本(資料3、15)及び焦げ茶色繊維二本(資料17、18)は、それぞれ資料Aの黄茶色部分及び焦げ茶色部分と同一の繊維で、資料Aから脱落したものと考えられる。資料Bの黄茶色繊維一本(資料13)は、染料分析の結果では資料Aの薄黄茶色部分と同種の繊維であると推定されたが、染料含有量は染色のばらつき等により変動するが、二酸化チタンは変動しないことからすると、金属分析の結果(二酸化チタンの含有量)から資料Aの薄黄茶色部分と同種の繊維であることは考えられず、黄茶色部分と同種の繊維である可能性が高いが断定できない。だいだい色繊維(同12)は、資料Aから脱落した繊維ではない。
7 ユニチカ鑑定(職28)
 
当裁判所は、東レが分析を終え、捜査機関に返還していた任意提出資料(1)(資料B)の各繊維(それぞれプレパラートに固定されたもの、平成七年押第一四〇号の2ないし7)を証拠物として取り調べ、これらがナイロン6であるかどうかについて、株式会社ユニチカリサーチラボの松尾隆明に対して鑑定を命じた結果、資料12のだいだい色繊維一本がアクリルであったが、それ以外の五本の繊維はいずれもナイロン6であった。
8 検討
 
本件被害当日B子が身に着けていたチェック模様入りスカートは、母親が犯行日の前日飯塚市内の店舗で新品を購入し、被害当日の朝包装を開いて初めて着用した(甲30証人U子)ものであること、B子はチェック模様入りスカート等を身に着けたまま死体カバーに包まれて警察車両で福岡県甘木警察署に搬送された後、九州大学医学部法医学教室に搬送され、同所で警察官が同スカートをビニール袋に入れていること、前記のとおり犯人が自動車を使用していること、リタックシートによる微物採取の結果によると、同スカートには少なくとも七本のスカート生地とは異なる繊維片が付着していることのほか、捜査機関が行った座席シート繊維の着衣に対する付着実験の結果からすると、同スカートに付着していた繊維片(科警研送付の資料3の(1)黄茶色、(2)薄黄茶色及び(3)焦げ茶色繊維並びに資料4の(4)黄茶色、(5)焦げ茶色及び(6)だいだい色繊維、東レ送付の任意提出資料(1)の資料3の(7)黄茶色繊維)は、B子が登校中に犯人から車両に乗せられて殺害され遺棄されるまでの間に、犯人車内の何らかの繊維あるいは犯人と関係のある何らかの物(例えば、犯人の着ていた衣服の繊維や犯行の用に供した物)の繊維が付着したものと認められ、その他の機会に付着した可能性はない。
 
そこで、これら七本の繊維のうち、東レ及びユニチカ鑑定によって最も詳細な分析が行われている(7)の黄茶色繊維について検討するに、右繊維は、素材がナイロン6であること、光学顕微鏡によると、長さが約五ミリメートル、直径が約一六マイクロメートルであること、減光剤としてチタン(二酸化チタン)が添加されており、その含有量が〇・三四重量パーセントであること、銅化合物の添加の有無については、資料が極微量であったために検知限度以下であり、定量分析ができなかったこと、ラマンスペクトルでの分析によると、塗料として、主としてイソランイエローK―RLS200が含まれ、ラナシンブラックBRL200がわずかに検出され、イソランイエローK―RLS200のラマンスペクトルで最も強いバンドのピークである一四一〇カイザーにおけるバックグラウンドの強度比が〇・七〇であること、ラマンスペクトルで一一二〇カイザー付近に染色時の添加剤によるものと推定されるラマンバンドのピークが存在することが認められる。
 
ところで、証拠(証人加藤甲133)によると、ナイロン6には端がない繊維であるフィラメント(長繊維)と長さ数十ミリメートル程度のステープル(短繊維)があること、ナイロン6の製造メーカーは国内に六社あり、二酸化チタンの含有量によって製造メーカーを特定できるところ、その含有量が〇・三四重量パーセントと〇・〇二重量パーセントのものは、国内では東レのカーシート用ナイロンステープルであること、欧米で製造されるナイロンはナイロン66が主体であり、その他の国で製造されるナイロン6の二酸化チタンの含有量については不明であること、東レのカーシート用ナイロン6ステープルは、昭和五七年に生産を開始したものについては、沃化銅を添加しており、カーシート専用として、それ以前に生産していたものについては、沃化銅を添加しておらず、主としてカーシート用であるが、その他にも少量ではあるが一般資材用として製造されていたこと、東レのカーシート用ナイロン6ステープルの太さは、二〇マイクロメートルであるが、繊維の太さは測定方法によってばらつきがあり、一五から二〇マイクロメートルくらいの幅がある上、紡績糸の場合には捲縮といって変形があること、フィラメントのナイロン6は、使用中に擦り切れることはないので、カッターナイフ等で意図的に切断しない限り、数ミリメートル程度の長さで存在することはないが、ナイロン6ステープルの紡績糸は、撚った糸であるため数ミリメートル程度の長さで脱落しやすいことが認められる。
(7)の黄茶色繊維は、太さが一六マイクロメートルで、二酸化チタンの含有量が〇・三四重量パーセントであるから、これが国内で製造されたものであれば、東レのナイロン6ステープルであると認められる。もっとも、欧米以外の外国製のナイロン6の二酸化チタンの含有量が不明であるため、(7)の黄茶色繊維が東レのものであるとまでは断定することはできないが(東レ鑑定によっても、東レのナイロンステープルであるとまでは断定していない。)、後に述べるように被害児童の着衣からは、(7)の黄茶色繊維以外にも、被告人車、すなわち、マツダステーションワゴン・ウエストコーストの座席シートの繊維と特徴を同じくする合計三二本のナイロン6の繊維が、いずれも二ないし一〇ミリメートル程度の長さで発見されているのであって、このように多数の、しかも、長さの異なるナイロン6の短い繊維が存在するということからして、これらがカッター等で切り取られたものであるとは到底考えられず、自然に抜け落ちたものが被害児童の着衣に接触して付着したものと認められることからすると,(7)の黄茶色繊維がステープルであることは間違いのない事実であるということができる。
 
そして、被告人車の助手席シートの黄茶色繊維(セピア)は、素材が東レのナイロン6ステープルで、二酸化チタンの含有量が〇・三四重量パーセントであること、科警研の光学顕微鏡によると、直径が約一五マイクロメートルであることが認められ、これらは(7)の黄茶色繊維の特徴と合致している。さらに、被告人車の助手席シートの黄茶色部分には、染料として、ドイツバイエルン社のイソランイエローK―RLS200が三・九九ないし四・二パーミル、スイスサンド社のラナシンブラックBRL200が〇・九六パーミル使用されているのであり、証人服部によると、このような染料の組み合わせや配合比がマツダステーションワゴン・ウエストコースト以外の車両のそれと一致することは通常ありえないというのであり、現実にも、平成二年二月二〇日以前に製造されたマツダワンボックスカーの座席シートについて、本件織布と同じ色調のもので、かつ、その使用染料がイソランイエローK―RLS200とラナシンブラックBRL200の組み合わせのものは、判明している限りでは存在しない(弁118)のである。また、証人片桐の公判供述によると、ラマンスペクトルのラマンバンドのピークの位置と強度は特定の物質の存在とその量を示すというのであるところ(一三回六八項以下)、被告人車の助手席シートの黄茶色繊維のラマンスペクトルの一三一〇カイザー及び一三六五カイザー(ラナシンブラックBRL200)、一四一〇カイザー(イソランイエローK―RLS200)のラマンバンドのピークの形状(検甲101添付のFig.8)は、(7)の黄茶色繊維のラマンスペクトルのそれの形状(検甲101添付のFig.9)と極めて類似していることからすると、
両者は、イソランイエローK―RLS200とラナシンブラックBRL200の存在のみならず、その配合比についても極めて類似していると認められる。さらに、被告人車の助手席シートの黄茶色繊維のラマンスペクトルの一一二〇カイザー付近にも染色時の添加剤によるものと考えられるラマンバンドの特異なピークが認められるほか、他のピークについても(7)の黄茶色繊維のラマンスペクトルと同様の反応を示していることからして、同一物質が同量存在しているものと推認される。 
 
そうすると、(7)の黄茶色繊維は、ナイロン6ステープルであって、その特徴が、被告人車の助手席シートの黄茶色繊維の特徴と合致しており、特に、個別識定の有力な指標となる使用染料(証人加藤一三回七五項以下)のほか、ラマンスペクトルの一一二〇カイザー付近における特異なピークの存在の点においても一致しているところからして、マツダステーションワゴン・ウエストコーストの座席シートの繊維片に由来する可能性が極めて濃厚である。そして、真島及び服部証言によると、マツダステーションワゴン・ウエストコーストの座席シートは、東レの長さ五一ミリメートルのナイロン6ステープルを撚り合わせたパイル糸を地糸で留めたモケット織りが使用されているため、あそび毛が出やすく、使用中に数ミリメートル程度の長さで脱落することがあるというのであるから、(7)の黄茶色繊維は、B子がマツダステーションワゴン・ウエストコーストに乗せられた機会に、その座席シートの繊維片が付着したものである可能性が高いということができる(なお、東レ鑑定は、異同識別の結論部分において、(7)の黄茶色繊維が被告人車の座席シートの繊維と同一であるとしているが、二酸化チタンの含有量が〇・三四重量パーセントのナイロン6ステープルが東レのものであるとまでは断定できない上、後記のとおりイソランイエローK―RLS200とラナシンブラックBRL200の組み合わせによって染色されたナイロン6ステープルがマツダステーションワゴン・ウエストコースト以外に使用されていない事実が確定できない以上、右のように断定することはできないといわざるを得ない。)。
 
以上の事実は、被害児童の着衣から(7)の黄茶色繊維以外にも次のような被告人車の助手席シートの繊維と特徴を同じくする繊維が採取されていることによっても裏付けられている。
 
すなわち、(7)の黄茶色繊維と採取場所を同じくするB子のチェック模様入りスカート付着繊維のうち、(2)の薄黄茶色繊維は、科警研の鈴木鑑定での光学顕微鏡による肉眼での検査によると、二酸化チタンの添加が認められるため、二酸化チタンの添加が認められない被告人車の助手席シートの薄黄茶色繊維の特徴と一致していない(もっとも、東レ鑑定によると、被告人車の座席シートの繊維のうち、黄茶色部分は、二酸化チタンの含有量が〇・三四重量パーセントのセミダルであるが、その他の部分は、二酸化チタンの含有量が〇・〇二〇ないし〇・〇二四重量パーセントのブライトであることが認められる上、鈴木鑑定によっても、ブライトであることが明らかな被告人車の座席シートの繊維の焦げ茶色部分については二酸化チタンが微細に添加されていることが認められるというのであるから、薄黄茶色部分のみならず、だいだい色部分についても、鈴木鑑定が肉眼での検査では二酸化チタンの含有を示す黒色の斑点が見えなかったというのは納得できないが、これが肉眼による検査であって、被告人車の座席シートの薄黄茶色、焦げ茶色、だいだい色部分の各繊維の顕微鏡写真である甲90添付の写真9ないし11からもうかがわれるように、二酸化チタンの含有を示すという黒い斑点の存在は微妙であって、その判定に主観が入っていることを考慮すると、鈴木鑑定のその他の部分の信用性に影響を及ぼすものではないということができる。)。しかし、その余の(1)(4)の黄茶色、(3)(5)の焦げ茶色及び(6)のだいだい色繊維は、いずれも素材がナイロン6であって、繊維の直径が一五マイクロメートルないし二〇マイクロメートルであること、そのうち、(1)(4)の黄茶色の繊維には二酸化チタンが添加されていること、(3)(5)の焦げ茶色の繊維にも二酸化チタンがわずかに添加されているほか、特性X線スペクトルの測定によると、(5)の焦げ茶色繊維にはチタンとコバルトが含まれている(マツダステーションワゴン・ウエストコーストの座席シートの染料のうち、イソランイエローK―RLS200及びイルガランレッドブラウンRL200にはコバルトが含有されており、焦げ茶色部分には、イソランイエローK―RLS200が二二・〇パーミルから二〇・九パーミルと他の色に比べて倍以上配合されている。なお、特性X線スペクトルの測定によると、(4)の黄茶色と(6)のだいだい色繊維からはチタンが検出されていないが、同じ測定を行った被告人車の座席シートの黄茶色及びだいだい色部分からも含有されているはずのチタンが検出されていないのであるから、検出精度の問題であると考えられる。)こと、(1)(4)の黄茶色、(3)(5)の焦げ茶色及び(6)のだいだい色の繊維からは特徴的なプロファイルが得られていることが認められ、これらの特徴は、被告人車の助手席シートの繊維の特徴と一致又は類似しているのである。
 
そして、B子の赤色手袋、フリル付白色靴下やA子のうさぎ柄靴下、赤色キュロットスカート等にも、B子のスカートに付着していた繊維と同様のだいだい色、焦げ茶色、黄茶色の繊維が付着していたのであるから、それらの繊維の中には、犯人車に乗せられた同一の機会に付着した繊維片があるものとみることができる。そうであるところ、科警研送付資料のうち、B子の白色ジャンパー前面から採取した黄茶色繊維一本(資料2)、A子の黄色ジャンパー前面から採取した黄茶色繊維一本(資料5)、B子の赤色手袋から採取した黄茶色(資料6)及び焦げ茶色繊維(資料7)各一本、B子のフリル付白色靴下から採取した黄茶色繊維二本(資料8、13)、焦げ茶色繊維二本(資料8、13)及びだいだい色繊維一本(資料13)、A子の熊柄入り白色パンティーから採取した黄茶色繊維二本(資料9、10)、A子のうさぎ柄白色靴下から採取した黄茶色繊維四本(資料11、12、15、16)、焦げ茶色繊維一本(資料15)及びだいだい色繊維二本(資料11、12)、B子の羊柄パンティーから採取しただいだい色繊維一本(資料14)、A子の赤色キュロットスカート前面から採取した黄茶色、焦げ茶色及びだいだい色繊維各一本(資料17)並びに後面から採取した黄茶色及び焦げ茶色繊維各一本(資料18)の合計二四本については、材質(ナイロン6であること)、外観(太さ及び二酸化チタンの処理の程度)及び色調(プロファイル)が被告人車の助手席シートの繊維のそれと一致又は類似している。このうち、B子のフリル付き白色靴下付着の三本(資料13の黄茶色、焦げ茶色及びだいだい色繊維)及びA子の赤色キュロットスカート前面付着の三本(資料17の黄茶色、焦げ茶色及びだいだい色繊維)からは、特徴的な元素として、黄茶色繊維については二酸化チタンが、焦げ茶色繊維については二酸化チタン及びコバルトが検出されており、この点でも被告人車の助手席シートの繊維と一致しているのである。
 
また、東レ送付の任意提出資料(1)のうち、B子のフリル付白色靴下から採取した黄茶色繊維一本(資料15)及びA子の赤色キュロットスカートから採取した焦げ茶色繊維二本(資料17、18)は、いずれもナイロン6であって、二酸化チタンの含有量が東レのナイロン6と一致しており、さらに、染料分析の結果も被告人車の助手席シートの繊維の特徴と一致しているのである。
 
もっとも、マツダワンボックスカーの座席シートを独占製造しているデルタ工業株式会社の調査(弁118)によると、平成四年二月二〇日までに製造された座席シートのうち、原糸材質が東レのナイロン6で、イソランイエローK―RLS200とラナシンブラックBRL200(これと同じ構造のイルガランブラックRBL200を含む。)が塗料として使用されているのは、本件織布(布番号S―TYR313X)のほかにも、(1)布番号S―W001XとS―W002Xがあり、さらに、(2)原糸材質が東レのナイロンで染料の不明なものが四種類、(3)原糸材質も染料も不明なものが二種類あることが認められる。そして、(1)については、色調がダークグレーと異なっており、また、(3)については、そのうちの一種類は、色調が異なるグレーでアメリカ製のものであるところ、欧米のナイロンはナイロン66が主体であること(証人加藤)、残りの一種類は、調査時から二一年前に開発されたものであることからして、これらの繊維片が被害児童の着衣に付着した可能性はないということができる。しかし、(2)については、そのうちの二種類は色調がライトブラウン及びグレーで異なっているが、残りの二種類は色調が「タン」となっていて、しかも布番号S―TYR8182Xのものは、色を示すTYRの部分がマツダステーションワゴン・ウエストコーストの色調と同一である。これに加えて、マツダ以外の自動車メーカーが製造した自動車の中に、その座席シートの原糸材質が東レのナイロン6で、イソランイエローK―RLS200とラナシンブラックBRL200(これと同じ構造のイルガランブラックRBL200を含む。)が塗料として、マツダステーションワゴン・ウエストコーストと同じような配合比で使用されている可能性は、証人服部の供述によって、ほとんどないということはできても、そのような現実的な可能性が全くないとまで認定することのできる証拠は存せず、これらの点については、弁護人が指摘するとおりである。したがって、右の点からしても、被害児童の着衣に付着していた繊維片がマツダステーションワゴン・ウエストコーストから脱落した繊維片であるとまで断定することはできないといわざるを得ないのである。
六 被告人車内から検出された血痕及び尿痕について
1 被告人車内に血痕及び尿痕が存在することについて
 
証拠によると、以下の事実が認められる。
(一)被告人車は、いわゆるワンボックスタイプの車両であり、乗車定員は九名で、車内には、運転席及び二人掛けの助手席が横一列に設置されているほか、その後方に、三人掛けの座席シートが前後二列設置されており(以下、三人掛けの座席シートのうち、前方のものを「中央部座席」、後方のものを「後部座席」という。)、床面には薄い茶色の繊維製のフロアマットが敷かれている(甲476)。
(二)科警研技術吏員林葉康彦ほか一名は、福岡県飯塚警察署から、被告人車の座席等へのヒト血痕付着の有無等についての鑑定嘱託を受け、平成四年九月二八日及び同月三〇日から一〇月五日までの間、鑑定を実施した。その結果、別紙2のとおり、後部座席及びその付近のフロアマットから尿反応及び血液反応が認められたが(なお、別紙2記載のAないしCの部分はいずれも後部座席の一部であり、Dの部分はフロアマットの一部である。Cの部分のシートの色は、黄茶色である。)、被告人車のそれ以外の部分(運転席、助手席、中央部座席、シートベルト)からは尿反応も血液反応も認められなかった。
 
林葉らは、右尿反応を示した各部分について血液型検査を行ったが、血液型を判定することはできず、また、右血液反応を示した各部分については、科警研に対して以後の鑑定(人血検査、血液型検査及びDNA型検査)を依頼した。(甲478、480、483)

(三)科警研技官坂井活子は、平成四年一〇月六日から平成五年三月一七日までの間、前記血液反応を示した各部分について、その血液型及びDNA型等について鑑定した。その結果、別紙2記載のCの部分(後部座席)については、座席シートの生地だけでなくその下のスポンジにもA子の血液型と同じO型の人血痕が付着していること、別紙2記載のDの部分(フロアマット)にもO型の人血痕が付着していることが判明したが、これらのDNA型(MCT118型及びHLADQα型)は検出できなかった。また、Cの部分のシート生地の裏側及びその下のスポンジに付着している血痕がいずれも水で希釈浸透したような形状を示しているのに対して、同部分の座席シートの表面には肉眼では血痕が認められないことから、表面に付着した人血痕が水で拭き取られたのではないかと考えられた。そして、一般に、水で希釈された血痕ではDNAが分解されやすいので、これらの血痕についてDNA型が検出できなかった理由も右のような事情にあるものと考えられた。さらに、Dの部分の血痕も、繊維の比較的下層にやや多く散在していたことから、フロアマット表面に付着した人血痕が拭き取られたものと考えられた(甲482)。
(四)ところで、捜査機関は、被害児童の着衣に付着していた繊維片と被告人車の座席シートに使われていた生地の原糸との異同識別について、東レに鑑定を嘱託するため、被告人車の後部座席のシート生地を約一〇センチメートル角の大きさに切り取っていた(切り取ったのは別紙2記載のEの部分である。)が、平成六年四月二五日に至って、同部分においてむき出しになっていたスポンジ部分に血痕様のものが付着しているのを発見した(証人戸田博美甲484)。また、捜査機関は、翌二六日、東レ応接室において、右鑑定を行った株式会社東レリサーチセンター無機分析化学第二研究室の室長である須志田一義立会いの下に、切り取ったシート生地の裏側にも血痕様のものが付着しているのを発見した(証人戸田、須志田、甲485)。さらに、捜査機関は、同月二八日、被告人車の後部座席の一部について、実況見分を実施した結果、シート生地の裏側及びその下のスポンジ部分に血痕様の斑痕があるのを発見した(甲487)。そこで、捜査機関は、同年五月九日、科警研に対して、東レ応接室で発見したシート生地裏側の血痕様のもの及び同年四月二八日の実況見分の結果発見されたシート生地裏側の血痕様のものについて、血液型及びDNA型等の鑑定を嘱託した(甲489)。
(五)坂井ほか一名は、平成六年五月二三日から同年一二月八日までの間、前記嘱託に基づいて鑑定をした(甲490)。その結果、東レ応接室で発見したシート生地裏側の二か所((ア)約一・五センチメートル角の茶褐色の斑痕、(イ)約二センチメートル掛ける二・五センチメートル大の淡褐色の斑痕)から人血痕が検出され、そのうち(ア)については、血液型がA子と同じO型、DNA型のうちGc型もA子と同じC型であることが判明した。また、(イ)については、血液型が恐らくO型であることが判明したが、DNA型を検出することはできなかった。他方、同年四月二八日の実況見分の結果発見されたシート生地裏側の血痕様のものについては、ヒト血痕であるかどうかを明らかにすることができなかった。
2 被告人車内に血痕及び尿痕が付着した時期について
(一)証拠(証人V、甲78、80、508、509乙4)によると、以下の事実が認められる。
(1)被告人車は、昭和五八年七月、北九州マツダから新車として販売され、北九州市在住のVが購入した。Vは、約六年間、被告人車を使用した後、平成元年七月ころ、買換えのため、北九州三菱自動車に下取りさせた。
(2)飯塚市内においてカースーパー「丁原屋」の商号で中古車販売業を営んでいたWは、同月ころ、北九州三菱自動車から被告人車を中古車として購入した。このとき、被告人車のボディーには多少の傷があったので、Wは、被告人車を板金塗装修理に出した後、販売のため展示していた。
(3)被告人は、同年九月末ころ、「丁原屋」を訪れ、展示してあった中古の被告人車を妻の所有名義で購入することにした。Wは、被告人車を洗車してワックスを掛け、車内に掃除機をかけてきれいに清掃した後、被告人に引渡した。被告人は、約三年間、被告人車を自家用に使用した後、平成四年九月二六日、新たに購入した自動車が自宅に納車された際、新車の購入先であるオートラマ大栄に対し、被告人車を下取りのため引き取らせた。
(4)捜査機関は、同日、被告人車を押収した。
(二)検討
 
被告人車の最初の使用者であるVは、公判で、次のような供述をしている。
 
昭和五八年七月に被告人車を新車で購入した。大工の仕事をしていたので被告人車を足代わりに使用し、休日には家族(妻及び子供三人)を乗せたりもしていた。被告人車を購入した直後ころ、中央部座席及び後部座席にシートカバーを取り付け、これらの座席の足下にはフロアマットの上に玄関マットのような足ふきマットを置いた。子供には土足で車内に上がらせないようにしていた。被告人車を使用している間に、家族などが車内で出血したり、尿をもらしたりしたことはない。被告人車内の血痕及び尿痕には全く心当たりはない。座席シートを水洗いしたことはない。家族には血液型がO型の者はいない。
 
また、Vの妻X子も、公判で、夫と同様の供述をしているほか、被告人車を購入した当時、一番下の子供はまだ二歳になっていなかったが、既に昼間はおむつをはずしており、夜間念のためおむつをつけていたような状態だったので、子供たちが被告人車内で尿をもらしたということはない、他人に被告人車を貸したこともないなどと供述している。
 
右各供述の信用性に疑いを差し挟むような事情は何ら存せず、これらの供述によると、被告人車内の血痕及び尿痕はVが被告人車を使用している間に付着したものではないと認めることができる。
 
次に、Vが被告人車を下取りに出してから被告人がこれを購入するまでの経路は前記認定のとおりであって、この間に被告人車に血痕及び尿痕が付着したことをうかがわせるような証拠はない(なお、Wは、被告人車を被告人に引き渡す前に車内をきれいにしているが、このとき怪我をした記憶はないと供述(509)している。)。さらに、捜査機関は、被告人が被告人車を下取りに出したその日にこれを押収している。
 
これらのことからすると、被告人車内の血痕及び尿痕は、被告人が被告人車を使用していたときに何らかの事情で付着したと認めるのが相当である。
3 被告人車内の血痕及び尿痕について被告人がその原因を知り得たかどうかという点について
(一)被告人車の使用状況
 
被告人は、捜査段階で検察官に対し、被告人車を購入してから下取りに出すまでずっと自分が運転していたと供述しており(乙9)、また、被告人の事T子も、公判で、被告人車の使用状況について、運転していたのは被告人で、その用途は、平日の日課として妻を職場に送り迎えしたり、被告人の実母方を訪ねたりするなど、ほとんど家の用件だったと供述している(二八回二〇項以下)。このほか、被告人ないし妻T子は、子供会の行事で被告人車を出したことがある(乙4)、被告人車で家族旅行に行った際、親類が同乗したこともある(T子二九回一九一項以下)などと供述しているが、いずれにしても、被告人以外の者が被告人車を運転していた形跡はない。
 
また、被告人は、公判で、週に二回程度、被告人車内に掃除機をかけるなどして車内を清掃していたと供述しているほか(三二回一六二項以下)、取り外せる後部座席については取り外してホースで水をかけて洗ったことがある。取り外せない座席も水拭きしたことがあると供述しており(三三回五七五項以下)、被告人は被告人車内を相当頻繁に清掃していたといえる。
 
これらのことからすると、被告人は、被告人車のほとんど唯一の運転者であり、被告人車は専ら被告人が管理していたと認めるのが相当である。
(二)検討
 
前記のとおり、被告人車の後部座席及びフロアマットにおける血液反応部分は、別紙2記載のC及びDの各部分並びにEのシート生地の裏側の一部分であり、これらの部分からはいずれもO型の人血痕が検出されている。このうち、Cの部分の大きさは一三センチメートル掛ける四センチメートル、Dの部分の大きさは二二センチメートル掛ける八センチメートル、Eの部分の大きさは、一カ所が一・五センチメートル掛ける一・五センチメートル、もう一カ所が二センチメートル掛ける二・五センチメートルであるから、これらが同じ機会に付着した血痕であるかどうかは別として(Dの部分がCの部分の直下であることからすると、CとDの部分については、同一の機会に付着した血痕である可能性が高い。
)、被告人車内において少なくとも一回はO型の人間が出血をしたことが明らかである。もっとも、Cの部分については、水で希釈された形跡があることから、出血の量については定かでないが、シート生地の裏側のみならず、その下のスポンジ部分にもO型の人血痕が浸透していることが明瞭に見て取れる(甲482)ところからすると、水で拭き取られていることを考慮しても、その血痕の量は、極微量ではなく、ある程度の量であったということができる。また、被告人車の後部座席における尿反応部分は別紙2記載のA及びBの各部分であって、それぞれ、一五センチメートル掛ける八センチメートル、一二センチメートル掛ける五センチメートルの大きさであるから、これらが同じ機会に付着した尿であるかどうかは別として、被告人車内において少なくとも一回は誰かがかなりの量の尿をもらしたことが認められる。
 
走行中の車内でこのようなことが起きたのであれば、被告人車のほとんど唯一の運転者であった被告人としては、出血し、あるいは尿をもらした本人から直ちにその旨申告を受けるか、乳幼児が尿をもらしたときのように本人が申告できない場合であっても、傍らに付き添っていた者からその旨申告を受けることによって、血痕及び尿痕付着の原因について当然知り得たはずである。このことは、停車中の車内で子供が遊んでいて出血し、あるいは尿をもらしたときのように、その場に被告人が居合わせない場合であっても、被告人車の管理者が専ら被告人である以上、基本的には同様であるといえる。特に、出血をした本人が、自己の身体の変調に加えて被告人車の座席シートやフロアマットを血で汚してしまったことを被告人に黙ったままにしておくとは到底考えられない。
 
そして,自分が使用、管理する自動車内で誰かが出血をしたということ自体、まれにしか経験しないような事柄である上、特に、血液が付着していた後部座席のうち、別紙2記載のCの部分は黄茶色の、また、Eの部分は黄茶色と薄黄茶色(甲490)のモケット織りであって、立体構造をなしている長さ三センチメートルのパイル糸(地糸で留められているので、起毛部分の長さは半分の一・五センチメートル、甲125)に赤色の血痕が付着すると目立つと考えられるので、被告人がこれに気付かないはずがない。さらに、前記認定の鑑定結果によると、後部座席シート及びフロアマットに付着した血痕は何者かによって拭き取られたと認めるのが相当であり、このような作業をしたのは、日頃から被告人車内を相当頻繁に清掃していた被告人自身であるか、被告人の指示を受けた者であるとしか考えられないのであるから、右出血の事実及びその後始末をした事実について被告人の記憶に残らないはずはない。 
 
これに対して、尿痕については、血痕と比較するとその痕跡が目立たないと考えられる上、尿をもらした本人が恥ずかしさから内密にする可能性も皆無ではないので、血痕の場合のように断定的なことはいえないが、それにしても、そのような可能性は極めて低いうえ、少なくとも被告人の実母及び長男に関しては、後記のとおり、そのような事実があったとは認められないのである。
 
これらのことからすると、被告人は、被告人車内に血痕が付着した原因を当然に説明することができるというべきであるし、尿痕が付着した原因についても通常であれば説明できてしかるべきである。
4 被告人車内の血痕及び尿痕の原因に関する被告人の供述について
(一)この点に関する被告人の捜査段階(平成六年一〇月ないし一一月当時)における供述は概ね、以下のとおりである(乙4、9、11)。
 
被告人車に乗った者の誰かがおしっこをもらしたという記憶は全くない。自分自身はもちろん、妻、長男、実母、長男の友達についても、そのほかの者についても、誰かが車内でおしっこをもらしたという記憶は残っていない。被告人車を買ったとき、長男は既に幼稚園の年長組で、おむつがとれて何年もたっていたので、おしっこをもらすような年齢ではなかった。また、自分以外の者が被告人車内にいたとき血が出たとか血が車内のどこかに付いたという記憶もない。妻、長男、実母その他の者が被告人車に乗っていた場面で出血したという記憶はない。長男が被告人車の中で鼻血を出したことはなかったと記憶している。義弟の家族と一緒に被告人車で旅行したことが三回あるが、その際、自分達家族や義弟の家族の中で誰かが車中でおしっこをもらしたり血を出したことはなかったと記憶している。被告人車を買う前か後か覚えていないが、実母が足にけがをしてなかなか血が止まらないことがあった。このときけがが治っていない実母を車に乗せたことがある。これは昭和六三年四月ころに自宅を新築したころの話かもしれないが、時期は思い出せない。実母が最近けがをして出血したのはこのときだけである。妻に関しては、被告人車に乗っていたころを含めて、最近家の内外を問わず出血したのを見た記憶はない。長男については、足をすりむいて血が出たことはあるが、血が出ている状態で被告人車に乗ったとか、長男の血が車内のどこかについたという記憶まではない。
(二)次に、この点に関する被告人の公判供述は、次のとおりである(三一回四五三項以下、三三回五一一項以下)。
 
被告人車内の血痕及び尿痕について心当たりは全くない。ただし、血痕について、妻の証言(平成二年二月ころに流産をしたが、その直前に被告人車から降りた後に下着を血で汚しているのに気付いたという後記(1)の供述を指す。)を聞いて、血痕が付着した原因はそれだったのかなと思った。しかし、このときには座席シートに血が付いていることには気が付かなかった。このほかに、一センチメートル程度の血痕であれば、長男が暴れて付けた可能性はあると思う。次に、尿痕付着の原因として、妻の証言(妻の実母を被告人車に乗せてドライブしたときに、車内でおかわを使って排尿の世話をしたことがあるという後記(2)の供述を指す。)を聞いて、その可能性もあると思ったが、中にはかわやを忘れたこともあったし、ほかにも長男や実母の可能性もある。また、平成四年九月ころ、実母を被告人車に乗せてナワタ医院に連れて行き、表で待っていると、(浣腸されたために大便をもらして)下着などを汚したと言って、汚れた下着を手に持って出てきたことがあり、その際、実母を被告人車に乗せて連れて帰ったが、このときに座席シートに汚物が付いたという記億はない。なお、私は、平成二年ころ、被告人車に野犬捕獲器を積み込む際、かすり傷を負って、中央部座席にごくわずかに血を付けたことがある。また、平成四年ころ、後部座席を取り外して倉庫にしまおうとした際、小指を擦って、後部座席に少し血を付けたことがある。
(三)前記のとおり、被告人は、被告人車内に血痕が付着した原因を当然に説明することができるというべきであるし、尿痕が付着した原因についても通常であれば説明できてしかるべきである。ところが、被告人は、捜査段階では一貫して、被告人車内の血痕についても尿痕についても全く心当たりがない旨明確に供述し、公判では、いくつかの可能性について捜査段階では供述していなかったことを供述するに至ったものの、基本的には捜査段階同様、被告人車内の血痕及び尿痕の付着原因について具体的に説明することができないのである。これは、極めて不自然なことといわざるを得ない。
5 被告人車内の血痕及び尿痕の原因に関する被告人の妻の供述について
(一)この点に関する被告人の妻T子の公判供述は、以下のとおりである(二八回一二〇項以下、二八二項以下、三一〇項以下、二九回二二四項以下、四二〇項以下、六四二項以下、八一五項以下)。
 
被告人車内で血を流した人がいるかどうかはっきり覚えていない。私が被告人車内で意識して血を出したことはなかったと思うが、はっきり分からない。長男が被告人車内で血を流したことがあるかどうかはっきり覚えていない。長男が被告人車内でおしっこをもらしたことがあるかどうかは分からない。しかし、(1)私は、平成二年二月ころ、流産をする直前に、被告人車に乗って外出先(筑後川温泉)から自宅に帰った後で、出血して下着を汚しているのに気付いたことがある。このとき車中では助手席を倒して寝ていたか、中央部座席及び後部座席を倒してベッドのような状態にしてそこに寝ていたかは覚えていない。このときストッキングやスカートが汚れているかどうかについて確認した記憶はない。その後、自宅から病院(有松病院)に行くときも被告人車に乗っている。このときも病院で下着が汚れているのに気付いたが、スカートなどが汚れていたかどうかは分からない。また、このとき被告人車の座席に血が付いたので拭き取ったという記憶もない。(2)実母を被告人車に乗せてドライブしたときに、車内でおかわを使って同女の排尿の世話をしたことがある。このときは、中央部座席を反転させることなく、そのまま背もたれ部を倒し、後部座席の背もたれ部も倒してベッドのような状態にして、その上に実母を寝かせたまま、自分は中央部座席の前の空間に身を入れて排尿の世話をした。尿をこぼさないように気をつけていたが、少しはこぼれたかもしれない。尿を取ったときは、お尻の下付近のシートを軽く拭くようにしていた。お尻の位置は中央部座席付近だと思うが、はっきり分からない。(3)平成四年九月ころ、義母から、ナワタ医院で浣腸をされて下着を汚した、大便と一緒に小便も出たかもしれない、家に帰ってから上に着ていた服も洗ったなどと聞いたことがある。なお、私、長男、実母及び義母(更に実弟の家族四人全員)の血液型はいずれもO型である。
(二)他方、妻T子は、捜査段階では、検察官に対し、この点について次のような供述(甲493、六項)をしていた。
「私もY(長男)も、車内で出血したことなどありません。私もYも鼻血などを車内で出したことも記憶にありません。この車は、Yが五才とかなり大きくなってから買ったものであり、Yが車内でおしっこをもらしたりしたことはないと記憶しています。車内で出血したり、おしっこをもらしたりすれば、後始末が必要になったりするはずですが、そういうことをした記憶もありません。」
 
右供述内容は、自分と長男が被告人車内で出血したかどうか、長男が被告人車内でおしっこをもらしたことがあるかどうか、どちらもはっきりしないという公判供述と実質的に相反しているだけでなく、流産したときに被告人車内で出血したという趣旨の前記(1)の公判供述及び被告人車内で実母の排尿の後始末をしたという趣旨の前記(2)の公判供述とも実質的に相反するものである(被告人の妻T子は、前記(1)ないし(3)が被告人車内の血痕又は尿痕の原因であると明確に述べているわけではないが、その可能性があるという意味でなければこれらの供述は全く意味がない。)。
(三)そこで、妻T子の公判供述と検察官の面前での供述とのどちらを信用すべきかが問題となるが、この点を考える上で最も重要なのは、前記のように実質的に相反する供述をするに至った理由について、妻T子が、公判で、(自分が被告人車内で出血したかどうかについて)「(検事に話したことは)よく覚えていません。」「(検事に対し正直にしゃべったかと聞かれ)意味が分かりません。」「(検事に対して)嘘は言っていないと思いますけど。」、(長男が被告人車内で出血したかどうかについて)「(検事に話したことは)覚えていません。」「(検事に対し正直にしゃべったか)分かりません。」「(検事に対し嘘を言ったことがあるかと聞かれ)分かりません。」「(検事の取調べを受けたときの記憶と現在の記憶では)今の方が正しいと思います。」「もう、あのときの状態がどういう状態だったのか、お分かりいただけないと思いますから。」(二八回一七九項以下)、(長男が被告人車内でおしっこをもらしたことがあるかどうかについて)「(検事に話したことは)よく分かりません。」「(検事には理由もはっきり述げているのではないかと聞かれ)いや、そこのところはそういうふうには言ってないと思いますけど、分かりません。」(二九回四三一項以下)、(前記(1)の事実を捜査段階で供述しなかった理由について)「そのことは思い出してないんです。」(二九回八六三項以下)などと、極めてあいまいな、又は不自然かつ不合理な供述に終始していることである。特に、自分も長男も車内で出血したことはない、長男が車内でおしっこをもらしたことはないという捜査段階における断定的な供述が、二年以上経過した公判段階で、よく分からないというあいまいなものに変遷することは、通常十分に考えられるにもかかわらず、ことさらに捜査段階の供述が間違っているかのような供述をするのは極めて不自然である。このような供述に照らしてみると、妻T子が公判では事実をありのまま供述していないのではないかとの疑問を禁じ得ない。たしかに、妻T子が検察官から事情を聞かれたのは、被告人が本件で逮捕され、被疑者として勾留されていた時期であって、当時は頭の中が混乱していたという趣旨の同女の供述にも一理あるようにみえる。しかし、検察官に対し、「車内で出血したりおしっこをもらしたりすれば、後始末が必要になったりするはずですが、そういうことをした記憶もありません。」とまで言いながら、実母の排尿の後始末をしたという前記(2)の点について供述した形跡がないというのは明らかに不自然である。また、同時期に作成された妻T子の警察官調書(甲720)によると、同女が、警察官に対し、「私は、以前の車の時、旅行中気分が悪くなり車外で吐いた事はありますが、この車(被告人車)を買ってから車内で吐いたり血を出したりした事はありません。」などと供述していることが認められるにもかかわらず、このころ、前記(1)の流産の件については忘れていたというのもやはり不自然といわざるを得ない。
 
さらに、(1)の点については、妻T子の供述によっても、被告人車内では出血に気付いておらず、被告人車を降りてから下着を汚しているのに気付いたが、ストッキングやスカートまで汚れていたかどうかは分からないというのであるから、この程度の出血で同女が座るか寝るかしていた座席シート(それが後部座席なのかどうかすらはっきりしない。)にまで血が付くこと自体考え難く、被告人車内の血痕付着の原因とはなり得ないものである。
 
これらのことからすると、被告人車内の血痕及び尿痕の付着原因に関する妻T子の公判供述をたやすく信用することはできない。そして、この点に関する妻T子の検察官に対する供述によれば、同女が、被告人車内の血痕及び尿痕の付着原因について、全く心当たりがないことが明らかである。
6 被告人の実母及び長男の供述について
 
被告人の実母Z子及び長男Yは、検察官に対し、それぞれ被告人車内で血や鼻血を出したことや、おしっこをもらしたことはない旨供述し(甲494、496)、期日外尋問においても、それぞれ被告人車内で鼻血を出したことや、血を流したことはないと思う(Z子八八、八九項)、被告人車内でおしっこをもらしたことがあるかどうかは覚えていない(Z子七五、八五項。ただし、もらしたことはないとする部分もある。一〇八項参照)、被告人車内でおしっこをもらしたことがあるかどうかよく覚えていないし、被告人車内で鼻血を出したり、ほかに血を流したかどうかもよく覚えていない(Y五〇項以下)などと供述しており、いずれも被告人車内の血痕及び尿痕の付着原因について心当たりがないことが明らかである。なお、Z子は、「便秘を解消するためにナワタ医院に行き、病院内で治療を受けた際、大便を漏らして下着を汚したことがあるが、このとき小便は漏らしていない。汚れたパンツは包んで捨てて、シミーズとか上着は帰って息子に洗ってもらった。車の中に寝た状態で連れて帰ってもらったような気がする。」旨(Z子六二項以下)部分的には被告人及び妻T子の供述に沿う供述をしているが、このときZ子は小便を漏らしたわけではなく、大便と一緒に小便を漏らすことも考えられるものの、漏らした場所は病院内であって、一応の後始末をした上で被告人車に乗車しているのみならず、被告人自身、公判で、このときに被告人車の座席シートに汚物が付いたかどうかは覚えていないと供述(三三回五八九項)しているのだから、これが被告人車内の尿痕付着の原因であるとは考えられない。
7 小括
 
客観的事実として、被告人が被告人車の使用を開始した後、警察が被告人車を押収するまでの間、被告人車内において、少なくとも一回はO型の人間が出血をしたこと、誰かがかなりの量の尿をもらしたことが認められる。
 
これについて、被告人は公判で前記のような弁解を積極的にしているが、これは納得のいく合理的な説明とは到底いえない上、O型の血液型を有する被告人の妻ら家族も、その血液や尿を被告人車に付着させたという心当たりのないことが認められる。そうすると、残るところは、被告人が犯人である可能性と被告人以外の何者かが被告人の知らないうちにO型の血液と人尿を被告人車の後部座席シートに付着させた後、これらを水で拭き取ったという可能性のいずれかということになる。しかしながら、後者の可能性は、あくまでも抽象的な可能性に過ぎず、現実的な可能性をうかがわせる状況はないのである。他方、前者の可能性については、被害児童二名とも出血と失禁があり、特に、A子の血液型はO型である上、A子の死体の状況からみて、鼻血がかなりの量出たものと認められること、被害児童二名の着衣が犯人車の座席と生前あるいは死亡後に直接接触し、被害児童二名の血液や尿が犯人車に付着している可能性があることに徴すると、被告人が犯人であるとすれば、被告人車内で被害児童二名を殺害あるいは殺害後に死体を運搬するなどした過程において、A子の血液や被害児童の尿が被告人車に付着したものとして合理的に説明することができる。したがって、右の血痕と尿痕の存在は、犯行と被告人との結び付きを強く推認させる極めて重要な情況証拠といえる。
 
弁護人は、被告人車からB子の血液と同型のA型の血液反応が一切検出されていないことから、被害児童二名を被告人車に乗せたことはありえないと主張する。
 
しかしながら、被害児童の死体の状況からも明らかなように、A子は鼻孔からかなりの量の出血をしており、ジャンパーの両袖及び前面の表面全域にわたって多数の血痕が付着していたが、B子については、膣内からの血液が陰部に付着していた程度の出血であったことからすると、被告人車からB子の血液と同型のA型の血液反応が検出されなかったとしても、被告人車に被害児童二名を乗せたことと矛盾するものではない。
七 被害児童の身体等に付着していた血液の血液型及びDNA型について
1 林葉鑑定(証人林葉康彦甲45、53、58、62)
 
捜査機関は、A子とB子の死体が発見された当日である平成四年二月二一日から同月二二日の間に、死体遺棄現場において、A子の死体の左胸腹部付近の木の皮に付着の血痕様のもの一点、A子の死体の左腹部付近の木の皮に付着の血痕様のもの一点、B子の死体の腹部付近の木の枝に付着の血痕様のもの一点、B子の口唇部直下の木の枝に付着の唾液様のもの一点、A子の死体の臀部付近の木の皮に付着の血痕様のもの一点及びA子の死体の左鼠径部付近の檜の葉に付着の血痕様のもの一点の合計六点を採取し、また、九州大学医学部法医学教室解剖室に運び込まれたA子とB子の死体からそれぞれ膣内容物等数点を採取し、これらが血痕であるかどうか、血痕であるとした場合の血液型などについて、科捜研に対して鑑定嘱託をした。この嘱託に基づき、科捜研技官林葉康彦が、同日から同年三月五日までの間に実施した鑑定の結果は以下のとおりである。
(一)死体遺葉現場付近で採取された木の枝等に付着の血痕及び唾液様のもの六点について(甲53)
 
六点のうち四点(A子の死体の臀部及び左鼠径部付近から採取された血痕様のもの各一点以外のもの)はいずれもヒト血痕と認められ、その血液型はそれぞれO型に判定された。一点(木の枝に付着の唾液様のもの)はヒト血痕と唾液の混合と考えられ、その血液型はA型に判定された。一点(木の枝に付着の血痕様のもの)は、ヒト血痕と認められ、その血液型はAB型に判定された。最後のものについては、AB型の血痕又はA型の血痕及びB型血痕の混合の二通りが考えられる。
(二)A子の膣内容物等について(甲58)
 
A子の(1)膣内容物、(2)膣周辺の付着物、(3)口腔内容物及び(4)肛門内容物に精液の付着は認められなかった。(5)A子の右手親指に付着の血痕様のものはヒト血痕と認められ、その血液型はO型に判定された。(1)ないし(4)にはいずれにもヒト血痕の付着が認められた。(3)には当然のことながら唾液の付着が認められた。(1)ないし(4)の血液型は、(1)及び(2)については、H型抗原のほかに、微量なA型抗原と微量なB型抗原が検出されたためAB型と判定された。(3)及び(4)についてはO型に判定された。なお、(1)及び(2)については、A子がO型であることから、O型の血痕にAB型の血痕又はA型の血痕とB型の血痕の混合血痕が存在することが考えられた。
(三)B子の膣内容物等について(甲62)
 
B子の(1)膣内容物、(2)膣周辺の付着物、(3)口腔内容物及び〔4〕肛門内容物に精液の付着は認められなかった。(1)、(2)及び(4)にはいずれにもヒト血痕の付着が認められた。(3)には血痕の付着が認められなかったが、当然のことながら唾液の付着が認められた。(1)ないし(4)の血液型は、(1)及び(2)については、A型抗原とB型抗原が検出されたことから、AB型と判定された。(3)及び(4)についてはA型に判定された。なお、(1)及び(2)については、B子がA型であることから、A型の血痕にAB型の血痕又はB型の衆痕の混合血痕が存在することが考えられた。

 そして、林葉は、右鑑定残量のうち、木の枝に付着の血痕様のもの一点、A子の膣内容物及び膣周辺付着物各一点並びにB子の膣内容物及び膣周辺付着物各一点の合計五点(科捜研のマイナス八〇度の低温槽に保管しておいたもの)を氷を入れた発砲スチロールの箱に収納した状態で科警研に送付した。
2 坂井・笠井鑑定(証人坂井活子、同笠井賢太郎甲67、68)
 
捜査機関は、前記のとおり林葉が送付した五点の鑑定資料に、死体解剖を実施した永田武明医師から任意提出を受けて領置していたA子とB子の各心臓血を対照資料として加えた合計七点について、科警研に対して、それらのDNA型等の鑑定を嘱託した。この嘱託に基づき、科警研警察庁技官坂井活子及び笠井賢太郎が、平成四年三月二三日から同年六月一五日までの間に実施した鑑定の経過及び結果は以下のとおりである。
(一)外観検査
 
資料(1)(木の枝に付着の血痕様のもの)は、幅約四・五センチメートル、長さ約五センチメートルの枯れた木の枝に付着している直径約二ミリメートル大の暗赤褐色の血痕様のものである。実体顕微鏡で観察すると、その周辺に粘液性物質が付着した跡と思われる光沢のある付着物がわずかに観察された。資料(2)(A子の膣内容物)及び資料(3)
(A子の膣周辺付着物)は、いずれも、約一センチメートル掛ける約一・五センチメートル大の脱脂綿に採取された淡赤色の液体である。資料(4)(B子の膣内容物)は、約〇・六センチメートル掛ける約一・二センチメートル大の脱脂綿に採取された淡褐色の液体である。資料(5)(B子の膣周辺付着物)は、約一・八センチメートル掛ける約二・四センチメートル大の脱脂綿に採取された赤褐色の液体である。資料(6)(A子の心臓血)及び資料(7)(B子の心臓血)は、いずれも、マイクロチューブに入れられ凍結している血液である。
(二)資料(1)ないし(5)の血痕検査
 
資料(1)は蒸留水で湿したろ紙で血痕様のものの一部を拭きとり、資料(2)ないし(5)はその一部を取り、ロイコマラカイトグリーン試薬を滴下して血痕予備検査を行った結果、いずれも陽性の反応を示したので、これらには血液が混在していることが示唆された。
 
次に、資料(1)は血痕様のものの周囲の枝をできるだけ取り除きその全量を、また、資料(2)ないし(5)はその一部を取り、PBS(リン酸緩衝食塩水)で浸出液を作製し、その遠心上清について抗ヒトヘモグロビン沈降素及び抗ヒト血清蛋白質沈降素を用いて、沈降電気泳動法により人血検査を行った結果、いずれも陽性の反応を示し、これらが人血であることが証明された。
(三)資料(1)ないし(5)の体液検査
 
資料(1)には血痕以外の物質の付着が考えられ、資料(2)ないし(5)は膣内容物あるいは膣周辺付着物であるので、精液が混在しているかどうかについて、これらの資料及び資料のPBS抽出液の一部を取りSMテスト試薬を滴下して酸性ホスファターゼ検査を行った結果、反応を示さなかったので、これらの資料に精液の混在は否定された。
 
資料(1)に付着の物質が唾液であるか、資料(2)ないし(5)に唾液が混在しているかどうかについて、これらの資料及び資料のPBS抽出液の一部を取りブルースターチアガロース平板を用いた唾液アミラーゼ検査を行った結果、反応を示さなかったので、これらの資料に唾液の混在は否定された。
 
資料(2)ないし(5)は膣内容物あるいは膣周辺付着物であり、資料(1)にも膣液の混入が考えられたので、血痕検査において作製したPBS浸出液と抗ヒト膣液沈降素を用いて沈降電気泳動法によりヒト膣液検査を行った結果,資料(1)は擬陽性の反応を示し、ヒト膣液がわずかに混在しているものと思われた。資料(2)ないし(5)は陽性の反応を示し、ヒト膣液が混在していた。
(四)資料(1)ないし(7)の血液型検査
 
血液と膣液の混合付着が認められた資料(1)ないし(5)のうち、資料(1)はPBSで浸出し遠心する前に木綿糸に付着乾燥させ、資料(2)ないし(5)はその一部を切り取り、乾燥させ、解離試験法にてABO式血液型検査を行った。また、資料(6)及び(7)の血液は凍結溶解していたので、これらの一部を木綿糸に付着乾燥させ、解離試験法にてABO式血液型検査を行った。 
 
資料(1)は、抗B抗体に強い反応、抗A及び抗H抗体に弱い反応を示したので、このABO式血液型はB型とA型の混合あるいはB型もAB型の混合したものと考えられた。資料(2)及び(3)はいずれも抗H抗体に強い反応、抗A及び抗B抗体に弱い反応を示したので、これらのABO式血液型はO型とAB型の混合あるいはO型とA型及びB型の混合したものと考えられた。資料(4)及び(5)はいずれも抗A及び抗B抗体に強い反応、抗H抗体に弱い反応を示したので、これらのABO式血液型はAB型あるいはA型とB型の混合したものと考えられた。資料(6)は抗H抗体のみに強い反応を示したので、このABO式血液型はO型、資料(7)は抗A抗体に強い反応、抗H抗体に弱い反応を示したので、このABO式血液型はA型であった。
 
血液の混合付着が認められた資料(1)ないし(5)について、膣液部分ではなく血痕のみの血液型を調べるため、これらをクロロホルム―メタノール法により処理し、血痕に由来する血液型抗原を抽出した後、解離試験法によりABO式血液型検査を行った。
 
資料(1)、(4)及び(5)は、いずれも抗B抗体に強い反応、抗A抗体に弱い反応を示したので、これらの資料に混在する血液のABO式血液型はB型とA型の混合血痕又はB型とAB型の混合血痕と考えられた。資料(2)及び(3)は、いずれも抗B及び抗H抗体に強い反応、抗A抗体に弱い反応を示したので、これらの資料に混在する血液のABO式血液型はO型とB型の混合にA型がわずかに混合したものと考えられた。
(五)資料(1)ないし(7)のDNA型検査
 
資料(1)ないし(5)のPBS浸出液の遠心沈渣並びに資料(6)及び(7)の一部を、プロテイネースK及びSDSを含むTNE緩衝液を用いて蛋白質分解処理を行った後、有機溶媒抽出による除蛋白質処理、エタノール沈澱によりDNAを精製し、以下のDNA型検査を行った。また、資料(1)については、PBS浸出液を作製した後の血痕がわずかに残存している枝の部分についても、念のため、蛋白質分解処理を行い、DNAを精製した。
(1)MCT118型検査
 
資料(1)ないし(7)から精製したDNAを試料として、PCR増幅後、ポリアクリルアミドゲル電気泳動法により、MCT118型検査を行った。
 
資料(1)のPBS浸出液の遠心沈渣及び資料(5)のMCT118型は、一六及び一八型の濃いバンドと二五及び二六型の薄いバンドが、資料(1)の枝に残存していたもの及び資料(4)は一八型の濃いバンドと、一六、二五及び二六型の薄いバンドが観察された。資料(2)は二三及び二七型の濃いバンドと一六型の薄いバンドが、資料(3)は一六型の濃いバンドと二三、二六及び二七型の薄いバンドが観察された。資料(1)ないし(5)のDNAはMCT118型において三種類以上のバンドが検出されたので、これらはいずれも二種類以上のDNAが混合しているものと考えられた。
 
なお、資料(6)のMCT118型は二三―二七型、資料(7)のMCT118型は一八―二五型であった。
(2)HLADQα型検査
 
資料(1)ないし(7)から精製したDNAを試料として、PCR増幅後、ドット・ハイブリダイゼーション法により、HLADQα型検査を行った。
 
資料(1)(PBS浸出液の遠心沈渣及び枝に残存していたもの双方)、(4)、(5)及び(7)のHLADQα型は、いずれも一・三―三型であった。また、資料(2)、(3)及び(6)のHLADQα型は、いずれも一・一―三型であった。
(六)鑑定結果(ABO式血液型、MCT118型、HLADQα型は、それぞれ型名で区別可能であるから、以下ではいちいち断らないこともある。)
 
資料(1)(木の枝に付着の血痕様のもの)は人血であり、この人血痕は恐らく、B型、一六―二六型、一・三―三型である血痕と、B子に由来するA型、一八―二五型、一・三―三型である血痕とが混合していると考えられる。資料(2)(A子の膣内容物)には、人血液が混入し、この血液は恐らく、A子に由来するO型、二三―二七型、一・一―三型である血液と、B型で一六型を持っている血液及び微量のA型又はAB型である血液とが混合していると考えられる。資料(3)(A子の膣周辺付着物)には、人血液が混入し、この血液は恐らく、A子に由来するO型、二三―二七型、一・一―三型である血液と、B型、一六―二六型である血液及び微量のA型又はAB型である血液が混合していると考えられる。資料(4)(B子の膣内容物)には、人血液が混入し、この血液は恐らく、B子に由来するA型、一八―二五型、一・三―三型である血液と、B型、一六―二六型であり、一・三―一・三型、三―三型又は一・三―三型である血液とが混合していると考えられる。資料(5)(B子の膣周辺付着物)には、人血液が混入し、この血液は恐らく、B子に由来するA型、一八―二五型、一・三―三型である血液と、B型、一六―二六型、一・三―三型である血液とが混合していると考えられる。資料(6)(A子の心臓血)はO型、二三―二七型、一・一―三型であり、資料(7)(B子の心臓血)はA型、一八―二五型、一・三―三型である。
(七)鑑定資料の措置
 
資料(1)は全量消費した。資料(2)ないし(7)の鑑定残量は(捜査機関である福岡県警察に)返送した。なお、右鑑定の間、科警研では、DNA型鑑定の運用に関する指針に基づき、各資料を個別にマイナス八〇度の低温槽で冷凍保存し、また、検査の実施に際しては、二重扉で隔離された空調装置のある部屋で白衣、ゴム手袋を着用し、滅菌済みの検査器具を用いるなどして、資料が汚染されたり、劣化したりしないように注意を払っていた。
3 坂井ほか二名による鑑定(証人坂井甲75、76)
 
他方、捜査機関は、被告人から平成四年三月二〇日に任意提出を受けて領置していた頭毛髪五本を科警研に送付し、被告人の血液型及びDNA型並びに前記資料(1)ないし(5)の血液型及びDNA型との異同識別に関する鑑定を嘱託した。この嘱託に基づき、坂井ほか二名が同年四月二二日から同年六月一九日までの間に実施した鑑定の経過及び結果は以下のとおりである。なお、鑑定残量は捜査機関に返送された。
(一)資料の血液型検査
 
資料のうち比較的長い三本の毛幹部を用いて、解離試験法にてABO式血液型検査を行ったところ、いずれもB型であった。
(二)資料のDNA型検査
 
資料の五本の毛根部のうち、毛根細胞が多量に付着していた一本についてはその一本を、また、毛根細胞が少なかった四本についてはその四本をまとめて、DTTを加えたプロテイネースK及びSDSを含むTNE緩衝液を用いて蛋白質分解処理を行った後、有機溶媒抽出による除蛋白質処理、エタノール沈澱によりDNAを精製し、以下のDNA型検査を行った。
(1)MCT118型検査
 
各資料から精製したDNAを試料として、PCR増幅後、ポリアクリルアミドゲル電気泳動法により、MCT118型検査を行った結果、どちらも一六―二六型であった。
(2)HLADQα型検査
 
各資料から精製したDNAを試料として、PCR増幅後、ドット・ハイブリダイゼーション法により、HLADQα型検査を行った結果、どちらも一・三―三型であった。
(三)考察及び鑑定結果
 
被告人は、ABO式血液型がB型、DNA型のうちMCT118型が一六―二六型、HLADQα型が一・三―三型である。
 
前記資料(1)(B子の死体の腹部付近の木の枝に付着の人血痕)に混合するものの一方はB子に由来するA型、一八―二五型、一・三―三型であると思われるので、これを除いたもう一方の血痕は、B型、一六―二六型、一・三―三型の血痕ではないかと考えられた。したがって、資料(1)に混合する被害者に由来しないものは、被告人と、ABO式血液型、MCT118型及びHLADQα型において同型である。前記資料(2)(A子の膣内容物)には、A子に由来するO型、二三―二七型、一・一―三型の血液及び膣液と、恐らくB子のA型に由来すると考えられる微量のA型(又はAB型)の血液が混合していると思われる。したがって、これら以外にはB型で一六型を持っている血液が混合していると考えられ、資料(2)に混合する被害者に由来しないものは、被告人と、ABO式血液型において同型であり、MCT118型のうち一六型を持っているという類似点が認められた。前記資料(3)(A子の膣周辺付着物)には、A子に由来するO型、二三―二七型、一・一―三型の血液及び膣液と、恐らくB子のA型に由来すると考えられる微量のA型(又はAB型)の血液が混合していると思われる。したがって、これら以外にはB型、一六―二六型の血液が混合しているのではないかと考えられ、資料(3)に混合する被害者に由来しないものは、被告人と、ABO式血液型及びMCT118型において同型である。前記資料(4)(B子の膣内容物)には、B子に由来するA型、一八―二五型、一・三―三型である血液及び膣液以外に、B型、一六―二六型で、一・三―一・三型、三―三型又は一・三―三型である血液とが混合しているのではないかと考えられた。したがって、資料(4)に混合する被害者に由来しないものは、被告人と、ABO式血液型及びMCT118型において同型であり、HLADQα型において同型の可能性がある。前記資料(5)(B子の膣周辺付着物)には、B子に由来するA型、一八―二五型、一・三―三型である血液及び膣液以外に、B型、一六―二六型、一・三―三型の血液とが混合しているのではないかと考えられた。したがって、資料(5)に混合する被害者に由来しないものは、被告人と、ABO式血液型及びMCT118型及びHLADQα型において同型である。

4 石山鑑定(証人石山★夫二六回甲623ないし630)
 
捜査機関は、平成四年七月三日、帝京大学医学部法医学教室教授石山★夫に対して、前記2の鑑定終了後に科警研から返送された鑑定資料(2)ないし(7)及び前記3の鑑定終了後に科警研から返送された被告人の頭毛髪のミトコンドリアDNA分析等の鑑定を嘱託した。この嘱託に基づく石山鑑定の結果は、次のとおりである。なお、石山鑑定では、B子の膣内容物を資料1、B子の膣周辺付着物を資料2、A子の膣内容物を資料3、A子の膣周辺付着物を資料4、B子の心臓血を資料5、A子の心臓血を資料6、被告人の頭毛髪を資料7としている。
(一)ミトコンドリアDNA分析の概略
 
資料5ないし7は対照資料であるため、各資料からミトコンドリアDNAの多型領域(mt333DNA)をPCR法で増幅し、常法に従いその塩基配列を分析して、得られた三名の塩基配列を比較し、この三名を識別し得る制限酵素を選択した。資料1ないし4からPCR増幅したmt333DNAをクローン分離し、各クローンについて制限酵素分解とSSCP分析を行い、被害者自身のものと判断されるクローンとそれ以外のものとを分別した。被害者のものとは思われない不審なクローンについては塩基配列を分析した。
(二)検査結果
(1)制限酵素分解パターン
 
対照資料5ないし7のmt333DNAの塩基配列を分析した結果、B子、A子及び被告人のmt333DNAは、次のとおり制限酵素KpnI及びRsaIによる切断の有(+)無(-)で識別可能である。
 
資料5(B子の心臓血)KpnI-/RsaI+
 
資料6(A子の心臓血)KpnI+/RsaI-
 
資料7(被告人の頭毛髪)KpnI+/RsaI+
 
そこで、資料1(B子の膣内容)から得た四三個のクローンについてKpnI分解を行ったところ、四二個がB子タイプのKpnI-であり、一個がKpnI+であった。資料2(B子の膣周辺)から得た四六個のクローンについてKpnI分解を行ったところ、全クローンがB子タイプのKpnI-であり、KpnI+のものは認められなかった。資料3(A子の膣内容)から得た四五個のクローンについてKpnI分解及びRsaI分解を行ったところ、全クローンがA子タイプのKpnI+/RsaI-であった。資料4(A子の膣周辺)から得た四九個のクローンについてKpnI分解及びRsaI分解を行ったところ、A子タイプのKpnI+/RsaI-が二八個、B子タイプのKpnI-/RsaI+が一九個、KpnI-/RsaI-のクローンが一個、KpnI(±判定不能)/RsaI-のクローンが一個認められたが、被告人タイプのKpnI+/RsaI+のクローンは認められなかった。
(2)SSCP分析
 
資料1(B子の膣内容)から得た四三個のクローンについてSSCP分析を行ったところ、二八個のクローンはB子のものと完全に一致したが、残る一五個のクローンは完全には一致しなかった。資料2(B子の膣周辺)から得た四六個のクローンについてSSCP分析を行ったところ、二二個のクローンはB子のものと完全に一致したが、残る二四個のクローンは完全には一致しなかった。資料3(A子の膣内容)から得た四五個のクローンについてSSCP分析を行ったところ、三三個のクローンはA子のものと完全に一致したが、残る一二個のクローンは完全には一致しなかった。資料4(A子の膣周辺)から得た四九個のクローンのうち、第一回目に採取した二五個のクローンについてSSCP分析を行ったところ、八個のクローンはA子のものと完全に一致したが、残る一七個のクローンは完全には一致しなかった。
(3)塩基配列分析
 
SSCP分析で不審と判断した資料1(B子の膣内容)からの一五個のクローンのうち、KpnI+のクローン一個を含む七個(六個はKpn-でB子タイプ)について塩基配列分析を行ったところ、KpnI+のクローンはRsaI+で被告人タイプではあるが被告人と一塩基違いだった。B子タイプの六個のクローンの内訳は、B子と一塩基違いのものが二個(各独立)、二塩基違いのものが三個(同一配列のものが二個、他の一個は独立)、四塩基違いのものが一個だった。SSCP分析で不審と判断した資料2(B子の膣周辺)からの二四個のクローンは、制限酵素分解でみるとすべてB子タイプ(KpnI-)であったため、塩基配列分析は行わなかった。SSCP分析で不審と判断した資料3(A子の膣内容)からの一二個のクローンは、制限酵素分解でみるとすべてA子タイプ(KpnI+/RsaI-)であったため、塩基配列分析は行わなかった。SSCP分析で不審と判断した資料4(A子の膣周辺)からの一七個のクローンは、制限酵素分解でみると四個がA子タイプ(KpnI+/RsaI-)、一一個がB子タイプ(KpnI-/RsaI+)、一個がKpnI-/RsaI-、一個がKpnI(±判定不能)/RsaI-であった。そこで塩基配列分析は、A子タイプのクローンから一個、B子タイプのクローンについては一一個すべて、そしてKpnI-/RsaI-のクローン一個を選び行った。その結果、A子タイプのクローンはA子と-塩基違いであり、B子タイプのクローン一一個のうちB子と一致するものが三個、B子と一塩基違いのものが七個(同一配列のものが四個、他の三個は各独立)、B子と四塩基違いのものが一個であり、KpnI-/RsaI-のクローンはB子と三塩基違い、A子と四塩基違いであった。
(三)鑑定結果
 
資料5(B子の心臓血)、資料6(A子の心臓血)及び資料7(被告人の頭毛髪)のミトコンドリアDNAの多型領域(mt333DNA)の塩基配列を分析した結果、この三名のmt333DNAは制限酵素による分解パターンに違いが生じることが判明した。資料1ないし4からそれぞれ四三個ないし四九個のクローン化mt333DNAを調製し、制限酵素分解パターンを調べ、また、SSCP分析、塩基配列分析を併用し、クローン全体(一八三個)の中に資料7(被告人)に一致するmt333DNAが検出されるかを検査した結果、該当するクローンは検出されなかった。
 
資料1及び2からはB子に一致するmt333DNAが、資料3からはA子に一致するmt333DNAが、資料4からはA子とB子に一致するmt333DNAが検出された。
(四)追加分析とその結果
 
資料1ないし7から抽出したDNAについて前記のとおりミトコンドリアDNAの分析を行ったが、その分析に用いたDNA量は、資料1ないし4及び7については抽出DNA量の半分、資料5と6については二〇〇分の一であったため、残りのDNAを用いて、HLA―DQB遺伝子について追加分析を行った。その結果によると、資料1(B子の膣内容)及び資料2(B子の膣周辺)は、資料5(B子の心臓血)と同一の遺伝子型を示すことから、B子由来のものと判断されるが、被告人由来のDNAの混合を示唆する所見は認められない。資料3(A子の膣内容)は、資料6(A子の心臓血)と同一の遺伝子型を示すことから、A子由来のものと判断されるが、被告人由来のDNAの混合を示唆する所見は認められない。資料4(A子の膣周辺)から検出される対立遺伝子は、A子とB子の混合で矛盾なく説明されるが、被告人由来のDNAの混合を示唆する所見は認められない。以上の結果は、ミトコンドリアDNA分析の鑑定結果とよく一致するものである。
5 検討
 
林葉鑑定及び坂井・笠井鑑定によれば、B子の死体の腹部付近の木の枝に付着していた血痕並びにA子及びB子の膣内容及び膣周辺から採取した血液の中に、A子にもB子にも由来しない血痕ないし血液が混在していたことが認められる。これは本件犯人のものであるとしか考えられない。前記のとおり、A子とB子の陰部には犯人がいたずらをした形跡があるから、その際、何らかの理由で犯人の血液が被害者の陰部周辺に付着したと認めるのが相当である。そこで、以下、犯人の血液型及びDNA型について検討する。
(一)犯人の血液型について
 
林葉鑑定及び坂井・笠井鑑定が採用している解離試験法による血液型検査とは、A型の血液が抗A抗体(血清)と反応して凝集し、B型の血液が抗B抗体と反応して凝集し、O型の血液が抗H抗体と反応して凝集し、AB型の血液が抗A抗体及び抗B抗体と反応して凝集するという性質を利用して、ABO式の血液型を判別する検査方法である。
 
坂井・笠井鑑定によると、B子の膣内容物及び膣周辺付着物は、血液と膣液が混合したものであったことから、クロロホルム―メタノール法による処理をして膣液部分をできるだけ除去し、血液部分の検査をした結果、抗B抗体に強い反応を示し、抗A抗体に弱い反応を示したことが認められる。解離試験法による血液型検査は、基本的には反応の有無を調べる定性検査であるが、証人坂井は、生来的なAB型であれば一般にこのような反応の違いが出ることはないので、右検査結果の解釈として、この血液はB型の血液とA型ないしAB型の血液の混合したものであると考えられる旨供述(五回九九項以下)している。坂井は科警研において長年血液型判別に関する研究及び実務に携わっている者である上、このような考え方は解離試験法による血液型検査の原理に照らしても合理的であるといえる。そして、B子は陰部から出血しており、この血液の中にはB子由来のA型の血液が当然含まれていると考えられること、坂井・笠井鑑定のMCT118型検査によると、B子の膣内容物及び膣周辺物のいずれからも四本のバンドが検出され、その内二本のバンドはB子のものと一致していることからすると、出血した犯人が一人だけで、資料にはB子と犯人の二人分の血液が混合していると仮定した場合には、この血液はB子由来のA型の血液と犯人由来のB型の血液の混合したものであると認めるのが相当である。なお、同鑑定によると、木の枝に付着の血痕の検査結果も同様であって、B型の血痕とA型ないしAB型の血痕の混合であると考えられるところ(証人林葉も、B型の反応がA型と比べてかなり強かったと述べている(三一〇項)。)、この血痕は、捜査機関がB子の死体の腹部付近の木の枝に付着していたものを死体発見当日に採取したものであるから、前同様に認めることができる。
 
なお、弁護人は、林葉鑑定(甲53)によると、木の枝付着の血痕はAB型と判定されていることを理由に犯人の血液型はAB型と認定すべきであると主張する。しかしながら、坂井・笠井鑑定のMCT118型検査によると、木の枝付着の血痕からは、四本のバンドが検出されているのであるから、右血痕が二人以上の人間の混合血であることは疑問の余地がない。したがって、弁護人が主張するようにAB型単独の血痕ではあり得ない。
 
次に、坂井・笠井鑑定によると、A子の膣内容物及び膣周辺付着物も血液と膣液が混合したものであったことから、B子の場合と同様、クロロホルム―メタノール法による処理をして血液部分の検査をした結果、抗B抗体及び抗H抗体に強い反応を示し、抗A抗体に弱い反応を示したことが認められる。A子も陰部から出血しており、この血液の中にはA子由来のO型の血液(抗H抗体に反応する。)が当然含まれていると考えられる。そして、A子に由来しない血液については、抗B抗体と抗A抗体の反応の違いからみて、B子の場合と同様、B型の血液とA型ないしAB型の血液の混合したものであると考えられる。したがって、ここでも被害者に由来しないB型の血液の存在が認められ、これは犯人由来のものとしか考えられない。そして、A子の膣周辺付着物からB子に一致するmt333DNA及びHLA―DQB遺伝子が検出されたという石山鑑定の結果を併せ考慮すると、残るA型ないしAB型の血液については、B子由来のA型の血液であると認めるのが相当である。これは、B子にいたずらをした犯人が、その後でA子にもいたずらをした結果、B子の血液をA子の陰部に付着させたことによるものと推認される。しかし、右検査結果から犯人が一人であることまでは認められない。
(二)犯人のMCT118型について(証人坂井弁36、37、39、40、43、46、
66)
 
ヒトの第一染色体にあるMCT118部位には一六塩基を基本単位とする繰り返し配列(ミニサテライト、VNTR)があり、その繰り返し回数によって二九種類に分類することができる。一対の染色体の片方を父親から、もう片方を母親から受け継ぐことから、その組み合わせは理論上四三五通りとなる。MCT118型検査とは、この繰り返し回数の組み合わせを分析することによって個人を識別する分析方法である。ただし、本件鑑定当時は、同検査には一二三塩基ラダーマーカーという標準マーカーが使用されており、それによると、右繰り返し数は一二回から三七回までの二六通りが経験的に知られており、その組み合わせは理論上三五一通りであった。同検査の手順は、まず、鑑定資料からDNAを抽出して精製し、PCR増幅後、電気泳動装置によりDNAバンドを検出し、DNA型解析装置により型判定するというものである。電気泳動装置は、DNAをポリアクリルアミドゲルという人工的に作られた寒天状の板の中で電気の力により移動させた場合、分子量の小さいDNAは早く、分子量の大きいDNAは遅く移動することを利用し、DNAをその分子量の繰り返し回数に応じて分離する装置である。その際、標準マーカーを同時に泳動させて型判定の指標とする。また,DNA型解析装置は、電気泳動装置により検出したDNAバンドを写真撮影したネガフィルムを画像として取り込み、各バンドの相対位置を自動的に計算し、標準マーカーを指標としてその繰り返し回数、すなわち型番号を数値として算出するものである。なお、この方法では、型番号の大きいDNAは型番号の小さいものと比較して、PCR増幅の効率が悪く、検出されるDNAバンドも薄くなる傾向がある。
 
MCT118型検査は、科警研のスタッフによって開発された検査で、平成二年から科警研において異同識別鑑定に用いるようになったが、DNA資料が微量の場合でも、PCR増幅により比較的短時間で型の検出ができること、増幅するミニサテライトのDNA分子量が小さいため正確に増幅でき、異型率が高く、したがって異同識別能力が高いこと、DNA型分析結果の再現性が高いことなどの特徴があるため、犯罪捜査に有用な方法とされている。そして、MCT118型検査による型判定の検査試薬キットが市販されており、大学などの専門機関が右キットを購入し、一定の修学を受けた者がマニュアルにしたがって作業をすれば、同検査による型判定ができるようになっていることからすると、MCT118型検査によるDNA型鑑定は、一定の信頼性があるとして、専門家に受容された手法であると認められる。 
 
弁護人は、MCT118型で、同一の型と判定されても塩基配列まで調べると違うサブタイプに別れ、全く別人ということもあることを問題視しているが、笠井・坂井鑑定において、犯人及び被告人のMCT118型の塩基配列は調査されていない上、右鑑定でMCT118型が同一の型と判定されたということは、一定の型判定において犯人と被告人とが同じ型を有しているということを意味するに過ぎず、これによって犯人と識別できるというわけではないから、弁護人の右問題視は的を得ていない。
 
そして、弁護人は、一二三塩基ラダーマーカーで測った場合の特定の型が、アレリックラダーマーカーで測った場合の複数の型に対応しているものがあることから、一二三塩基ラダーマーカーで測った場合犯人と同じ型を持つ人が、アレリックラダーマーカーで測った場合異なる型となることがあり、犯人でないことになるから、一二三塩基ラダーマーカーによる測定には意味がないと主張するが、これも前記同様、一二三塩基ラダーマーカーで測定した場合、犯人と同一の型を有しているということは、右マーカーによる測定上は、犯人と同一の型を示したということであり、意味がないことにはならない。
 
また、弁護人は、坂井・笠井鑑定の当時標準マーカーとして使われていた一二三塩基ラダーマーカーでは正確な繰り返し数を測定することができなかったから、このマーカーを使ったMCT118型検査には信用性がないと主張する。なるほど、坂井及び笠井が証言でも認めているとおり、一二三塩基ラダーマーカーが正確な繰り返し数を測定していなかった事実は否定できないところである。しかしながら、一二三塩基ラダーマーカー及び資料のDNAがゲルの中で泳動する速さについては、右マーカー及び資料のDNAの長さに応じて一定であることが確認されており(証人坂井六回二九九項以下、七回八〇項以下)、そうであれば資料のDNAをその長さ、すなわち繰り返し回数の違いに応じて分類することは可能であって、DNA型解析装置が算出した数値が同じであればそれらは同じ繰り返し回数のDNAであるといえるのである(算出した数値が実際の繰り返し回数と一致しないだけのことである)から、弁護人の右主張は採用できない。
 
さらに、弁護人は、本件鑑定当時の科警研の技術的未熟さを指摘し、特に「鬼の面」(バンドパターンの上端が尾を引いている状態)が見られることは、誤判定につながると指摘している。しかしながら、もともと我が国においてMCT118型検査は科警研により開発されたものであり、坂井はそのスタッフである上、「鬼の面」が生じた原因については、ゲルに重しのために入れるシュークロース(ショ糖)濃度が五〇パーセントと濃すぎたためであるが、画像解析装置での測定では、両端の部分を除きバンドの中央の位置の移動度で測定する(証人笠井三八項以下)ため、判定には影響しないことが認められるので、弁護人の右指摘も当を得ないものである。
 
なお、弁護人は、本件鑑定がドーバート判決における科学的証拠の許容基準である「信頼性の基準」に合致しないと主張しているが、独自の見解であり採用できない。
 
以上から本件MCT118型検査による鑑定は、その基本的原理が科学的に妥当なものであり、かつ、鑑定の方法及び分析の手段も定型的な妥当性を有するものと認められるので、証拠能力を肯定することができるというべきである。
 
坂井・笠井鑑定によると、B子の膣内容物及び膣周辺付着物並びにB子の腹部付近の木の枝に付着の血痕からは、いずれも一六型、一八型、二五型及び二六型のバンドが検出されたこと、B子は一八―二五型であることが認められる。前記のとおり、これらの資料にはいずれもB子由来の血液(血痕)と犯人由来の血液(血痕)が存在するのであるから、検出された四本のバンドのうち、B子に由来しない一六型及び二六型は犯人由来のものとしか考えられない。また、同鑑定によると、A子の膣周辺付着物からは、一六型、二三型、二六型及び二七型のバンドが検出されたこと、A子は二三―二七型であることが認められる。前記のとおり、この資料にはA子、B子、犯人の血液が存在するのであるから、検出された四本のバンドのうち、A子及びB子に由来しない一六型及び二六型は犯人由来のものとしか考えられない。さらに、同鑑定によるとA子の膣内容物からは、一六型、二三型及び二七型のバンドが検出されたことが認められるところ、この資料にはA子、B子、犯人の血液が存在するのであるから、検出された三本のバンドのうち、A子及びB子に由来しない一六型は犯人由来のものとしか考えられない。
 
これらのことからすると、出血した犯人が一人しかいないのであれば、その犯人のMCT118型は一六―二六型であると認めるのが相当である。なぜなら、二人分のDNAから四本のバンドが検出された場合、いわゆるホモタイプ(例えば一六―一六型のように父母から同じ型を受け継いだものをいう。)の可能性はなく、いずれもいわゆるヘテロタイプ(ホモタイプではないものをいう。)であると認められるからである。なお、A子の膣内容物からは、一六型、二三型及び二七型の三本のバンドしか検出されず、二六型が検出されていないが、それは、もともと犯人のDNA量が少なかった上に、分子量の大きい二六型が一六型よりも分解され、あるいはPCR増幅の効率が悪かったために検出できなかったと考えれば、合理的に説明することができる(MCT118型検査において型番号の大きいDNAの方が型番号の小さいものよりも増幅効率が悪いことは、資料(6)(A子の心臓血)の検査結果で二七型のバンドの方が二三型のバンドよりも明らかに薄かったことによっても裏付けられている。)。
 
しかし、犯人がホモタイプである可能性(例えば、犯人が二人いて、それぞれ一六―一六型及び二六―二六型である場合など)や、犯人のバンドが全部検出できていない可能性を考えると、右検査結果から犯人が一人であることまでは認められない。
(三)犯人のHLADQα型について(弁43、46、57、66)
 
ヒトの第六染色体にあるHLADQα部位には六種類の配列がみられ、その組み合わせ(父母からそれぞれに由来する一つずつの染色体を受け継いでいる点はMCT118型の場合と同じである。)は理論上二一通りとなる。HLADQα型検査とは、この部位の塩基配列の違い(配列多型)を型分類して個人を識別する分析方法である。坂井・笠井鑑定では、HLADQα型検査に市販の型判定キットを使用している。このキットによるHLADQα型の検出は、特殊な検出紙を用いて行う。検出紙にはHLADQαの各型に反応する試薬(プローブ)が点状に添付されていて、対応する型のDNAが存在すると特異的に結合し、後で加える発色剤により青い点として検出される。この方法は、検査キットによる色変化の確認により判定するものであるから、専門家以外にも分かりやすく、比較的容易な手法であるといえる。しかし、MCT118型検査と比べるとやや多くのDNA量を必要とすることから、場合によっては検査が行えないことがある。また、このキットは元来単独資料の型判定用に開発されたものである。したがって、混合したDNAでは積極的な型判定ができない場合がある。
 
坂井・笠井鑑定は、混合血痕であることが明らかな資料についてもHLADQα型検査を実施し、犯人のDNA型を推定しているが、右に照らし、疑問である。すなわち、同鑑定は、B子の腹部付近の木の枝に付着の血痕(PBS浸出液の遠心沈渣及び枝に残存していたものの二つがある。)の検査結果がB子と犯人の二人分の型を検出しているという前提で、犯人は恐らくB子と同じ一・三―三型であるとしている。しかし、検査結果が二人分の型を検出しているということは証明されていない。同鑑定は、MCT118型の検査結果から資料中のB子のDNAと犯人のDNAの混合割合を推定し、それを手掛りに犯人の型を考えているが、HLADQα型検査によってある型が検出できるかどうかは、その型の検出限界を超えるDNAがあるかどうかによるのであって、相対的にみてB子のDNAが多いとか、二人のDNAが同程度であるということでは、それぞれの型が検出されたかどうかを(ある程度推論することはできても)断定することはできないといわざるを得ない。次に、証人坂井(七回三四二項)は、検査結果から考えられる犯人の型の可能性を一・三―一・三型、・三―三型ないし三―三型の三通りに限定した上で、一・三型と三型とで検出紙の発色の程度が同じであったことなどを根拠に犯人の型はB子と同じ一・三―三型であると推定したと供述している。しかし、検査結果をみても一・二型の存否は不明であるから(証人笠井三九四項)、検査結果から直ちに犯人が一・三―一・三型、一・三―三型ないし三―三型のいずれかであるということはできない。さらに、HLADQα型の検査キットは元来単独資料の型判定用に開発されたものであって、その判定方法も検出紙上のC(コントロール)の発色以上の発色があるかないかという二者沢一のものであるから、発色の程度を考慮するということ自体想定されていないのであって、このような市販の検査キットを使いながら、発色の程度を考慮することに十分な合理性があるとは認められない。例えば、証人笠井(四四三項以下)は、A子の膣周辺付着物から一・三型が検出されなかった理由について、一・三型は検出感度が悪いという説明をしているが、それが事実であれば、木の枝に付着の血痕について、一・三型と三型の発色が同程度であるということから、一・三型と三型のDNA量が同程度だという推測はできないはずである。このほか、証人坂井(五回三二五項以下)は、犯人の型を一・三―三型と推定した理由について色々と説明しているが、それによっても、犯人の型が一・三―三型であると認めるに足りない。そして、木の枝に付着の血痕について述べたこれらのことは、同じくB子の血液と犯人の血液の混合であって一・三型及び三型が検出されたB子の膣内容物及び膣周辺付着物についても当てはまる。なお、同鑑定は、A子の膣内容物及び膣周辺付着物については、犯人の型を特定していない。
 
以上のとおりであるから、坂井・笠井鑑定によって犯人のHLADQα型を特定することはできない。
(四)小括
 
幼女の陰部にいたずらをして、殺害した死体を山中に投棄するという本件事案の陰湿さに照らしてみると、一般的な経験則からいって犯人は一人(それも男)である可能性が高い。その場合、犯人の血液型はB型で、MCT118型は一六―二六型であると認められる。しかし、右のような一般的な経験則だけで犯人が一人であると断定することには無理がある。また、血液型検査及びDNA型検査の結果によっても犯人が一人であると認められないことは既に述べたとおりである。そして、出血した犯人が複数いるとした場合、それらの者の血液型とMCT118型の組み合わせについては様々な可能性があるのであって、特定することが困難であるといわざるを得ない。したがって、犯人が一人であるならその犯人の血液型はB型で、MCT118型は一六―二六型であるという事実(これが証拠上認定できる事実である。)は、犯行と被告人との結び付きを推認させる積極的間接事実には違いないが、犯人が一人であるという前提事実が証明されていない以上、それが証明されている場合と比較すると、やや証明力が弱いといわざるを得ない。
 
なお、検察官は、被告人の血液型B型の出現頻度が〇・二二一、MCT118型の一六―二六型が〇・〇一七〇、HLADQα型の一・三―三型が〇・一七一であることからすると、その出現頻度は〇・〇〇〇六四二となって、一五〇〇人に一人の割合となると主張する。
 
しかしながら、出現頻度は、そのデーターベースとなった資料からの統計学による確率に過ぎないのであって、データーベースが変動するにつれて出現頻度もある程度変わるのであるから、犯人絞り込みの程度の参考になるに過ぎない(証人坂井七回四六項以下)。のみならず、本件においては、前記のとおり犯人のHLADQα型を特定することができないのであるから、犯人が一人であると仮定した場合の犯人の血液型とDNA型を併せた出現頻度は約二六六人に一人の割合という程度であるに過ぎず、血液型とDNA型の出現頻度のみでは、犯人と被告人とを結びつける決定的な積極的間接事実とはなりえない。
 
さらに、検察官は、繊維鑑定の結果からすると、犯人車は昭和五七年三月二六日から同五八年九月二八日までに製造販売されたマツダステーションワゴン・ウエストコーストに限定されるところ、平成三年末における全国の該当車両は二八五四台であり、犯人の血液型及びDNA型の出現頻度からみると、該当人物は全国でみても約二人となる上、犯行当時、福岡県内で運行されていた一二七台の該当車両の使用者合計一三〇名について、血液型を捜査したところ、血液型がB型で、MCT118型が一六―二六型に該当する者は被告人を除いて存在しないと主張する。
 
しかしながら、繊維鑑定の結果をもってしてもなお、犯人車がマツダステーションワゴン・ウエストコーストであると断定できないことは前記のとおりである。そして、仮に犯人車がマツダステーションワゴン・ウエストコーストであるとしても、その使用者以外にも、使用者から車両を借り受けた者も犯人である可能性もあるのであるから、マツダステーションワゴン・ウエストコーストの使用者のみが犯人であるとする検察官の仮定は相当ではないといわなければならない。
6 被告人以外の者が犯人である可能性について
(一)犯人がHLADQα型の一・三型を持たない可能性について
 
坂井・笠井鑑定のHLADQα型検査の結果がたやすく採用できないものであることは前記のとおりであるが、A子の膣内容物及び膣周辺付着物(坂井・笠井鑑定の時点でこれらに犯人の血液が存在していたことは、同鑑定のMCT118型検査結果等に照らし明らかである。)から一・三型が検出されなかったという同検査結果によれば、犯人は一・三型を持たない者である可能性があり、一・三型を持つ被告人が犯人であることに合理的疑いが生じているようにもみえる。
 
しかし、MCT118型検査と比べるとHLADQα型検査はやや多くのDNA量を必要とするのであるから、前者が検出できたからといって常に後者も検出できるとは限らない。したがって、右各資料のHLADQα型検査ではA子の型だけが検出され、犯人の型は検出されなかった可能性も十分にある。また、MCT118型の検査結果から資料中のB子のDNAと犯人のDNAの混合割合を推定するという坂井・笠井鑑定の考え方を援用すれば、A子の膣周辺付着物には犯人のDNAとA子のDNAとがほぼ同量存在していたことになって、右の可能性が十分にあるとまではいえなくなるが、その場合であっても、一六型のバンドに対応する二六型のバンドが薄いことからすると犯人のDNAが壊れている可能性があるし、一・一型と一・三型との検出感度の違いにより一・一型のA子のHLADQα型だけが検出されたことも考えられる(証人笠井四四二項)。したがって、前記事実は、被告人が犯人であることと完全に矛盾するものであるとまではいえないから、それだけで直ちに被告人が犯人であることに合理的疑いが生じるものではない。
(二)犯人のmt333DNA型及びHLA―DQB型が被告人の型と違う可能性について
 
次に、(1)石山鑑定のmt333DNA型検査の結果、A子の膣周辺付着物からはB子と同じDNA型が検出されたが、被告人と同じ型は検出されず、これとは別のDNA型が検出されたこと、また、(2)同鑑定の追加分析の結果、B子及びA子の膣内容物及び膣周辺付着物からは被告人由来のDNA(HLA―DQB遺伝子)の混合を示唆する所見が認められなかったことからすると、犯人のmt333DNA型及びHLA―DQB型は被告人のそれらとは違っており、被告人が犯人であることに合理的疑いが生じているようにもみえ、弁護人もその点を指摘しているので、以下検討する。
 
まず、(1)の点について、A子の膣周辺付着物にはA子の血液、犯人の血液及びB子の血液が混在していたと認められることは前記のとおりであり、しかも、坂井・笠井鑑定のMCT118型検査の結果、この資料から(A子の型及び)犯人の型が検出されながらB子の型が検出されなかったことからすると、この資料にはB子の血液よりも犯人の血液の方が多く存在していた可能性がある。そうであるとすると、石山鑑定のmt333DNA検査においても、B子と同じDNA型(これはB子由来のものと考えるのが合理的である。)が検出されている以上、犯人のDNAも検出されるはずであるが、前記のとおり被告人と同じDNA型は検出されていない。しかも、塩基配列分析結果をみると、この資料からは同一塩基配列のクローン化mt333DNA(B子と一塩基違いのもの)が四個検出されている。犯人のDNA型が検出されているという仮定が正しいとすると、これが犯人のものである可能性について検討しなければならない。
 
しかしながら、他方、石山鑑定によっても、B子の膣内容物からは右の四個のクローンと同じ塩基配列のものが全く検出されていない。前記のとおり、B子の膣内容物には犯人の血液が存在していたことが認められるのであるから、右の四個のクローンが犯人由来のものであるとしたら、これと同じものがB子の膣内容物からも検出されるはずである。また、右の四個のクローンは、制限酵素分解パターンではB子タイプであるが、A子の膣内容物から得た四五個のクローンはすべてA子タイプであって、B子タイプのものは全く検出されていない。前記のとおり、A子の膣内容物には犯人の血液が存在していたことが認められるのであるから、犯人のmt333DNAがB子タイプであるとしたら、A子の膣内容物からB子タイプのクローン化mt333DNAが検出されるはずである。
 
そもそも、石山鑑定のmt333DNA型検査の結果によると、B子及びA子の各膣内容物及び膣周辺付着物という四つの資料に共通するmt333DNA型は存在しない。本来、これらの資料にはいずれも犯人の血液が存在していたのであるから、共通するmt333DNA型が検出されるはずである。そして、石山鑑定がこのような結果になった原因について、証拠(証人石山二六回甲68、626ないし628)によると、これらの鑑定資料は、坂井・笠井鑑定の段階では、大きいもので約一・八センチメートル掛ける約二・四センチメートル大、小さいもので約〇・六センチメートル掛ける約一・二センチメートル大の脱脂綿に採取された液体で、濃淡の差はあるがいずれも脱脂綿の表面全体が赤く染まっていたものが、科警研においてこれ以上鑑定できないという程度にまで資料を費消した結果、石山鑑定の段階では、ごく少量の綿をつまみ取ってよったようなものに、かすかに色がついているかどうかという状態になっていたことが認められ(この違いは、法廷でそれを知った証人石山が驚くほどのものであった。)、また、混合血痕の場合、血液型が違えば凝集が起こることなどから、必ずしも資料各部で均一に混合していないことも考えられる(甲630二頁の石山見解)というのであるから、石山鑑定の段階では既にこれらの資料には犯人のDNAが存在しなかった可能性も十分に考えられる。さらに、細胞一個にmt333DNAゲノムが数千個もある(証人石山二六回一一項)ということからも分かるように、ミトコンドリアDNA分析法は非常に鋭敏で、少し触って手あかが付いただけでも手あかからDNAが検出される可能性がある。この点、科警研では資料が汚染されないよう細心の注意を払っており(証人坂井五回三九八項以下弁36)、科警研の前にこれらの資料を扱った科捜研でも同様であると考えられるが、ミトコンドリア分析法のように極めて感度が高い鑑定をすることを念頭に置いているかどうかは疑問があるし、採取した物の製造過程で人のDNAが混人した可能性や資料採取時に採取者等のDNAが混入した可能性も否定できない。これらのことからすると、A子の膣周辺付着物から検出された同一配列の四個のクローンが犯人由来のものである可能性は必ずしも高いものではないと考えられ、また、そもそも石山鑑定のミトコンドリアDNA分析及び追加分析の結果が犯人のDNAを全く検出していない可能性も十分に考えられる。
 
なお、石山鑑定のミトコンドリアDNA分析では、被害者のmt333DNAと完全には一致しないクローン化mt333DNA(異型クローン)が複数検出されているが、この分析法では、PCR増幅及び大腸菌による培養の過程でDNAのミスリーディング(完全に同一の複製を作らず、塩基配列の一部が違う複製を作ること)が発生する場合のあることが知られており、また、mt333DNAは突然変異を起こしやすい(七ないし八個に一個の割合で、あるいは一割程度の割合で変異を起こしている)ともいわれているのである(甲629、630)から、被害児童と完全に一致しないからといって、それらがすべて別人のものであるとはいえない。
 
これらのことからすると、(1)の点は、被告人が犯人であることと完全に矛盾するものであるとまではいえない。また、石山鑑定の追加分析の結果が犯人のDNAを全く検出していない可能性も十分に考えられる以上、(2)の点も被告人が犯人であることと矛盾するものではない。
 
したがって、これらのことから直ちに被告人が犯人であることに合理的疑いが生じるものではない。
八 本件前に被告人が亀頭包皮炎を発症していたことについて
1 被告人は、平成三年一一月八日、飯塚市内にある泌尿器科の丙山病院を受診し、「一か月前から包皮炎を繰り返す。体重が約六キログラム減った。のどが渇く。」と訴えた。そこで、H′医師が被告人の陰茎を診察したところ、被告人は仮性包茎で、包皮内板(亀頭と接触している包皮内側の部分)及び亀頭が炎症を起こしており、亀頭包皮炎であると認められた。被告人の血糖値検査結果が五〇二と異常に高く、重度の糖尿病であると考えたH′医師は、同月一一日、二度目の診察を受けに来た被告人に対して、糖尿病を治療するように言って他の病院を紹介した(証人H′甲548、549、667)。
 
弁護人は、被告人は仮性包茎ではないとして、右H′供述等の信用性を争い、平成一〇年七月三日付けの医師J′作成にかかる真性ならびに仮性包茎は認めなかった旨の記載のある診断書(弁74)を提出しているが,ここでは被告人が亀頭包皮炎に罹患していたか否かが重要な事実であり、仮性包茎か否かはその一原因として考えられる事実に過ぎず、治癒の時期について争いがあるものの、被告人が亀頭包皮炎に罹患していたこと自体は被告人も自認しているとおり客観的な事実であるから、何れであったにせよ結論に影響しない。
2 亀頭包皮炎に関する被告人の供述について
(一)被告人は、捜査段階で警察官に対し、自分の病気のことに関して次のような供述をしている(乙3、8、乙13の三丁以下)。 
 
平成三年一〇月ころ、急に、(1)歯茎がはれる、(2)太股の裏側の筋肉が吊る、(3)光が目にはいると目が痛い、(4)陰茎の亀頭の粘膜が痛むという症状がはじまった。その前にはのどが渇いて仕方がなかった。(1)(3)については、それぞれ病院で治療を受けたが、(4)については病院に行くことに抵抗があったので、一か月ぐらいは辛抱していたが、ひどく痛むので、炎症を起こしている部分にオキシドールをかけてみたら、激痛が走り、赤くはれたので心配になり、一一月八日に丙山病院に行った。先生に、のどが渇く、陰茎が痛いと説明して診察を受けた。先生は、尿検査をした後、「糖尿病だろう。亀頭の症状は糖尿病から来ているので内科的治療をしないとよくならない。」と言って、血液採取をして塗り薬を出してくれた。同月一一日、血液検査の結果を聞きに行くと、先生は、「血糖値が五三〇あり、入院治療した方がいい。」と言って飯塚労災病院か嘉穂病院あての紹介状を書いてくれたが、自宅で食事療法をすることにした。このような病状について、平成四年三月二一日に、福田係長と井上刑事に、「糖尿病で血糖値が五三〇あり、入院を勧められた。しかし、息子の面倒をみるので入院できなかった。両足が痛いし歩けない。目もくもって悪くなる一方だった。シンボル(陰茎)の皮がやぶけてパンツ等にくっついて歩けないほど血がにじんでしまう。オキシドールをかけたら飛び上がるほど痛かった。シンボルが赤く腫れ上がった。事件当時ごろも挿入できない状態で、食事療法のため体力的にもセックスに対する興味もなかった。」と話しているし、同年八月に佐賀県鳥栖市のA′子方に従弟達が集まったときにも同じ趣旨の話をしている。このときは、毎日新聞のB′記者も同席して話を聞いており、その内容はテープに銀音してB′記者に預けてある。
(二)被告人の右供述が信用できるものであるならば、被告人の亀頭包皮炎は、一時期出血を伴うものであった上、本件当時も、性交の際陰茎を女性器に挿入できない状態で、治癒していなかったことが明らかである。
 
この点、被告人は、公判で、「調書は手に取って自分で読み、納得できなければ署名しない。」「私はいつもプライドを持って闘ってきた。見苦しい調書などいっさい作らない。問答式調書は一枚も記憶がない。(裁判に提出されている)調書はでたらめで、中身がごっそり替えられている。」「警察官調書の署名の際、余白の後ろに署名するよう言われたが、署名した後でその余白部分に陰茎から血が出てなどと書き込まれている。」などと述べて、供述調書の証拠能力を争い(三三回三七九項以下)、亀頭包皮炎については、自宅で絶食などの食事療法をした結果、平成三年一一月末ころには完全によくなったと供述している(三一回三三八項)。
 
しかし、被告人の検察官調書の中には、被告人が署名、指印した紙に亀頭包皮炎に関する問答体の記載がなされているものがある(乙13)。また、亀頭包皮炎に関する記載がある警察官調書二通(乙3、8)をみると、いずれも、被告人が署名、指印した紙に「陰茎から血が出て」などという記載はされていない。しかも、納得できなければ署名しないという強い態度を取っていたと言いながら、他方で余白の後ろに署名したと言うのは明らかに矛盾している。そもそも、調書の内容がすり替えられているというのであれば、そのことを法廷で強く主張しないはずはないのに、被告人は、このことを第三三回公判になるまで、しかも検察官から聞かれるまで明らかにせず、その理由についても「弁護人には説明しなかった。弁護人には言わないで法廷で言うつもりだった。弁護人からは聞かれなかったから言わなかった。」などと述べるだけで(四六〇項以下)、納得のいく説明をしないのである。これらのことからすると、供述調書の証拠能力を争う被告人の右公判供述は到底信用できない。なお、被告人は、取調べの際、警察官から激しい暴行を受けた旨供述しているが、そのために納得のいかない調書に署名をさせられたということではないのだから、この点も被告人の供述調書の証拠能力に影響を及ぼすものではない。
 
そして、被告人の捜査段階の供述は、内容的にみても、前記(1)ないし(3)の点については公判でも被告人が認めていることであるし、丙山病院における診療の経過については客観的事実と合致しているのであるから、基本的に信用できるといえる。また、亀頭包皮炎の状態等について親族らに話してその内容をテープに銀音したという部分は、極めて具体的であって、迫真性に富んでいる。
 
これに対して、平成三年一一月末ころには亀頭包皮炎が完全によくなったという被告人の公判供述は、捜査段階では供述していなかったことを突如として公判で述べるものであって、その信用性には疑問がある。この点、被告人の妻T子は、公判で、「被告人の亀頭包皮炎は丙山病院に行ってから二〇日ないし一か月ほどで治ったと思う。そのころ、被告人がもう必要ないと言うので丙山病院からもらった紹介状を処分したのを記憶している。」旨、被告人の公判供述に沿う供述をしている(二八回一七三項以下、三三二項以下、二九回八六八項以下など)。しかし、妻T子は、捜査段階では、検察官に対し、被告人の亀頭包皮炎がいつごろからよくなったかについては全く覚えていない、平成四年二月当時の被告人の性器の状態も全く分からないなどと、右公判供述と実質的に相反する供述をしていたものである(甲555)。妻T子は、公判供述の記憶の方が正しいと言うが、四年以上も前の事柄について具体的な記憶が残っているのであれば、当然、捜査段階でも同じ供述ができたはずであって、納得のいく説明もしないで捜査段階の供述をことさらに否定する同女の公判供述の信用性は極めて低い。よって、妻T子の公判供述は被告人の公判供述を裏付けるものとはいえない。
 
これらのことからすると、亀頭包皮炎の状態に関する被告人の捜査段階の供述は十分に信用できる。
3 フルコートFについて
 
被告人は、平成三年七月ころから一二月ころにかけて、福岡県嘉穂郡穂波町にある薬局「ドラッブストア丁川」で、フルコートFという薬を頻繁に購入していたが、この薬は、かゆみを伴う湿疹等の皮膚病に効く薬で、効き目は強いが、ステロイド剤が含まれているので、長期間使用すると皮膚の抵抗力がなくなり、副作用として黒皮や皮膚の過敏等の症状が出たり、使用をやめると以前の症状が悪化することもあるというものであった(甲553、554)。
 
なお、被告人は、捜査公判を通じて一貫して「ドラッグストア丁川」でフルコートFを購入した事実は全くないと供述し、妻T子も公判で同様の供述をしているが、同店の経営者は、「被告人は一か月に二、三回は店に来る得意客で、そのうち一回はフルコートFを買っていた、フルコートFは副作用が強いので、自分からは勧めず、客が名指しした場合にのみ販売していたので、これを名指しで買っていた被告人は強く印象に残っている。」と供述しており、また、同店の元店員も、「被告人は常連客であり、フルコートFを買っていたことを覚えている。」と供述しているのであって、同店経営者及び元店員の各供述の信用性には疑問の余地がない。したがって、フルコートFを購入した事実は全くないという被告人及び妻T子の各供述は、いずれも明らかに虚偽であるといわざるを得ない。
4 小括
 
被告人は、本件当時、糖尿病による亀頭包皮炎にかかっており、亀頭の粘膜に無数の裂傷ができている可能性があるため、膿や汁のほか、外部からの刺激により容易に出血することがあったと認められる(甲548、549証人H′)。
 
ところで、前記七のとおり、B子の死体の腹部付近の木の枝に付着していた血痕並びにA子及びB子の膣内容及び膣周辺から採取した血液の中に犯人に由来すると認められる血痕ないし血液が混在していたのである。これらの犯人に由来する血痕等からは、犯人が一人とも複数とも断定できないことについては、前記のとおりであるが、仮に犯人が一人であるとした場合には、その犯人の血液型及びDNA型のMCT118型は被告人のそれらと一致しているのである。そして、犯人に由来する血痕等は、それらが採取された場所がいずれもA子とB子の膣及びその周辺であることからすると、犯人がA子とB子にいたずらをした際に何らかの理由により出血して付着したものであると認めるのが相当である。

 そうすると、犯人に由来する血痕等の出血場所としては、犯人の手指ないしは陰茎である可能性が高いということができる。そして、A子とB子の処女膜等の損傷の状況からして犯人の指と爪が挿入されていることが明らかであるから、犯人の手指からの出血の可能性を否定することはできない。しかしながら、A子とB子がいたずらをされたのは、犯人がA子とB子の死体を投棄する前であるから、犯人の手指から出血していたのであれば、その出血の時期は、いたずらの部位からしてもその最中ではなく、いたずらよりも前であると考えられるので、血痕等がいたずらをする前に脱がせたと考えられるA子及びB子の下着等にも付着しているはずであるところ、そのような痕跡は存在しないのである。してみると、犯人に由来する血痕等の出血場所としては、犯人の陰茎である可能性が高いということができる。そして、被告人の亀頭は外部からの刺激により容易に出血することがあったのであるから、被告人が犯人であった場合には、犯人に由来する血痕等の存在理由を合理的に説明することが可能である。
九 被告人に犯行の機会があったこと(アリバイが成立しないこと)について
1 被告人は、本件当時の生活状況について、次のような供述をしている(乙5被告人三一回等)。
 
平成四年二月当時、福岡県飯塚市《番地略》所在の自宅で、妻T子及び甲野小学校二年に在学していた長男Yとの三人暮らしをしており、自分は就職せずに家事を分担し、消防署職員である妻の収入や自己の年金で生活していた。平日は、毎朝被告人車を運転して妻を職場まで送り届けていた。午前八時前後ころ自宅を出ていた。その際、時には、長男も一緒に被告人車に乗せて甲野小学校前まで送り届け、続いて妻を送ることもあった。その場合の経路は、いくつか決まったものがあった。その後は自宅に戻り、寄り道したり、外出したりしても、午後一時ころまでには必ず家にいるようにしていた。長男は、だいたい午後三時ころに学校から帰ってきた。そして、夕方五時前になると、被告人車を運転して、妻を職場まで迎えに行くことにしていた。
2 ところで、捜査官が被告人の供述に基づいて、被告人が長男を甲野小学校で降ろして妻を職場まで送るのに主に通っていた二通りのコースを平日に走行してみたところ、その経路は被害児童の通学路と一部重なっており、妻の職場に午前八時一八分過ぎに到着し、その帰路に被害児童が最後に目撃されたG方三叉路付近を通過する時間を測定すると、午前八時二八分ころとなった(甲566、567)。したがって、被告人が妻を職場に送り届けて帰宅する途中、G方三叉路付近を通過する時間は、被害児童が同所付近で略取又は誘拐された時間とほぼ一致する。さらに、被告人は、妻を送り届けた後、長男が学校から帰ってくる午後三時ころまでの間は、一人で自由に行動することができるところ、甲野小学校から死体遺棄現場まで自動車で往復しても二時間まではかからない。そうすると、被告人には、家族らに気付かれることなく本件犯行をする機会が十分にあったことが認められる。
3 これに対して、被告人は、本件犯行当日である平成四年二月二〇日の行動について、公判で、「この日は、午前七時五五分過ぎころ、被告人車に妻を乗せて被告人方を出発し、午前八時一〇分ころ、妻を職場まで送り届け、その足で福岡県山田市内の実母方に米を届けに行き、午前一〇時〇五分ころまでの間、実母方で実母と話をするなどして過ごし、実母方から自宅に戻る途中、午前一〇時二〇分ころから午後零時三〇分ころまでの間、パチンコ店でパチンコをして遊んだ後、午後一時ころ、被告人方に戻った。その後、長男が学校から帰ってきた。午後五時前ころ、被告人車を運転して、息子と一緒に妻を職場まで迎えに行き、そのまま家族三人で外食をして、午後七時過ぎころ、被告人方に帰り着ついた。」などと供述している(三一回)。この供述のうち、妻T子を職場まで送った後、まっすぐ実母方まで米を届けに行き、その後パチンコをして、午後一時ころ自宅に戻ったという点については、本件のアリバイとなり得るものであるから(以下、同部分を「アリバイ」という。)、その信用性について検討する。
 
まず、被告人のアリバイを直接に裏付ける証拠は全くない。被告人の実母Z子は、期日外尋問において、「山田に住んでいたころ、月に一度の割合で被告人が米を持ってきていた。被告人は妻子を送ったその足で来ていた。」旨、一部被告人の右供述に沿う供述をしているが(一二五項以下)、平成四年二月二〇日に被告人が米を持って来たかどうかという点については全く記憶がないことが明らかであるから(二八九項)、同女の供述は被告人のアリバイを直接に裏付けるものではない。
 
次に、被告人のアリバイを間接的に裏付ける証拠として、被告人の妻T子は、公判で、「本件当時、毎月一九日に知人から米を買い、翌日に被告人がその一部を実母方に届けていた。自分も一緒に行きたいと話していた。平成四年二月二〇日の朝、被告人が車に米を積んでいるのを見て、この日の仕事帰りに一緒に実母方に行くものと思っていた。それで、夕方、職場まで迎えに来た被告人に対して、「果物を買っておばあちゃんの家に行こう」と言ったところ、被告人が、「米はもう持って行った」と言った。冗談かと思ったが車内に米はなかった。」などと供述している(二八回四二一項以下、二九回五三六項以下)。

 しかし、妻T子は、捜査段階では、警察官に対して、「一九日ころ米を買ってすぐに被告人の実母方に届けていたので、事件当日の前後ころだったと思うが、夜、果物でも買って一緒に米を届けに行こうという話を被告人にして、それから何日経ったとかは覚えていないが、帰宅途中の車内で「今から果物でも買って行こう」などと言うと、被告人が「もう持って行った」と言ったことを思い出した。」と供述しており(甲720)、仕事帰りに被告人の実母方に行こうとしたのが二月二〇日であると特定して供述していない。妻T子は、公判で、一九日に米を買ってその翌日ということで二〇日と思い出したというのであるが(二九回七五八項以下)、それが事実であれば、既に捜査段階でも一九日ころに米を買っていたという供述をしているのだから、捜査段階で二〇日と特定できたはずである。
しかも、毎月一九日に買っていたというのは被告人からそのように聞いていたというだけで、前後にずれることがあるかどうかは分からないというのである(二九回八八二項以下)。これらのことからすると、妻T子が、捜査段階では思い出せなかった二〇日という日付を公判で特定できた理由は不明といわざるを得ないから、この点に関する同女の公判供述はたやすく信用できない。
 
さらに、被告人のアリバイに関する供述には、以下のとおり捜査段階と公判段階とで変遷が認められる。
 
すなわち、被告人は、公判で、妻を職場に送った後、まっすぐ実母方に向かった経路について詳細に供述している(三一回九六項以下)。しかし、被告人は、捜査段階では、警察官に対して、妻を送った後、午前八時三〇分ころ帰宅し、それから実母に米を届けに行ったと供述しており(乙2)、いったん帰宅したという点で明らかに異なる供述をしていたものである。また、被告人は、事件当日の行動を思い出した時期について、公判では、「二月二五日ころ、森永刑事が自宅に来た後で考えて思い出した。三月一八日に福田係長(警察官)が自宅に来たとき、実母方に米を届けたというアリバイがあることを言って、福田係長の前で実母に電話もかけたが、親族の証言ではだめだから、ポリグラフ検査を受けるように言われた。三月二〇日にポリグラフ検査を受けたところ、翌二一日、福田係長が自宅に来て、「アリバイは要らない、一二〇パーセント白だ。」と断言した。」などと供述している(三三回一〇八項以下、二七三項以下)。しかし、被告人は、捜査段階では、検察官に対して、「三月一八日に福田係長と一緒に来た井上刑事から、「アリバイがあればポリグラフ検査は不要です。ただ、家族の証言ではだめです。」と言われたが、事件当日の行動をすぐには思い付かなかったため、アリバイの代わりにポリグラフ検査を受けることにした。三月二〇日にポリグラフ検査を受けた後、アリバイについてじっくり考えてみた結果、当日の行動を思い出した。」と供述していた(乙12二項)ものであって、事件当日の行動を思い出した時期についても、公判供述とは異なる供述をしている。さらに、事件当日の行動を思い出したきっかけについても、公判では、「森永刑事が帰った後で、あの日は何をしていたのかなあと思って思い出した。妻とは事件の話をしていないので、妻と話し合っているうちに思い出したということはない。」と供述している(三三回二九二項以下)のに対して、捜査段階では、「妻から事件当日のことではないかということでいくつか聞いた中の一つに、夕方、妻を迎えに行き、妻が車に乗り込むときに「米持って行った(か)」と聞いたら、「持って行った」と答えたということがあって、その話を聞いて思い出した。」旨異なる供述をしているのである(乙12二項)。
 
このように、被告人のアリバイに関する供述は、その内容、アリバイを思い出した時期とその契機について、いずれも捜査段階と公判段階とで変遷しており、アリバイを裏付ける証拠もないのであるから、信用できない。
 
よって、被告人にアリバイは成立しない。
一〇 被告人の性格鑑定について
 
弁護人は、猥褻目的で登校途中の二名の女子児童を車で拉致して、扼殺し陰部にいたずらしたうえ山中にその死体を遺棄したという本件犯行態様の残忍性冷酷性からみて、犯人は情性欠如型の性格異常者と想定されるが、被告人は、妻子を有しこれまで性格異常を示すような前科もなく、通常の社会生活を営んできたという生活歴からみて、性格異常者とは認め難いから、被告人が本件犯行を犯すようなことはあり得ず、本件のような犯罪を犯すはずがないと主張し、被告人の性格鑑定を申請し、当裁判所は、右鑑定申請を採用して、福岡大学医学部精神医学教室助教授医学博士堤啓に鑑定を依頼した。
2 堤鑑定人の鑑定書(弁73)及び同鑑定人の証人尋問によると、堤鑑定の経過及び結果は以下のとおりである。
(一)堤は、精神科医として約三〇年の経歴を有し、臨床心理士として同程度の経験を有する福岡大学病院精神神経科医療技術職員皿田洋子を助手として、どのような検査法を組み合せるか(テストバッテリーの決定)を検討した上、最初は本人の意図的な考えが反映しやすい質問形式を採用し、段々投影法を用いて最後には対人関係の中で非常に葛藤的な場面も想定されるようなTAT(絵画統覚テスト)を用いることとした。
(二)テストの実施は、平成一〇年四月一〇日、同月一三日及び同年七月六日の三回に分けて行われ、その検査の結果は次のようになった。
(1)MMPI(ミネソタ多面人格テスト)の検査結果によると、質問項目三八三項のうち無解答が一四八項目あったため総合的評価はできなかったが、無解答の項目はいずれも本件事件に関する被告人の心理状態やその後の心理反応に関するものであり、不当に判断されては困るという警戒心が強く認められた。また、答え間違いをして後で言い直しをした質問項目に、「性的なことで問題を起こしたことはない」という項目に対し、「ないですね。」と言いながら「ちがう」の方に印を付け、検査者から指摘を受けて印を付け直したり、「後悔するようなことをよくやる」という項目に対し、初め「そうです。」と言って印を付けるが、慌てて「これ違いますね。」と言って「ちがう」の方に印を付けた。また、血に関する項目については、素直に答えられなかった。
(2)ロールシャッハ・テストに対して、被告人は警戒的であり、一一カード中、六つのカードについて判断できないとしており、自由に想像力を働かせて連想しなかった。反応の仕方から被告人の性格を分析すると、人との協調性や共感性、対人関係を円滑に運ぶ技能が不足しており、感情も冷淡で相手の気持ちや立場を思いやって行動するといった成熟度が乏しく、願望や欲動をすぐに満たしたいとする傾向が強く、特に、刺激が強まる状況では、現実的に対処していくことが出来ずにいると判断された。
(3)P―Fスタディ(絵画欲求不満テスト)によると、CGR(欲求不満に対する常識的、一般的な反応の程度)が異常に高かったことから何らかの意味で欲求不満場面における反応が異常であること、また、欲求不満に無関心であったり又は抑圧してしまって、欲求不満を感じてそれをどう能動的に処理していけばよいか解決していくことが出来にくい人であるとの判断がされた。
(4)バウム・テストの結果、被告人の自信のなさ、不安定さ、まわりと自分との関係への無関心さ、感情の冷却、警戒心の強さなどが推測され、人物画(自己像)からも、自信のなさ、警戒心の強さ、感情など衝動性のコントロールの弱さ、対人関係の保持の不安定さが推測された。
(5)TAT(絵画統覚テスト)によると、内容的には標準的なもので、特に奇妙な受け止め方をしていないが、被告人にとって非葛藤的内容(友人関係、恋愛関係)の時は、短いながらもまとまった話を作ることができるが、葛藤的な場面(攻撃性、性的、危機的)では「想像できない」と言って、非常に警戒的になったこと、夫婦関係の場面では、いずれも妻から小言を言われる場面を連想しており、不満が高まっていることが伺われること、自分さえよければよいといった自己中心的なところがみられたこと、空白カードでは、何か場面を描いて下さいという指示は無視して、自分の言いたいことをまくし立て、自分がいかに性的対人関係等にひどい仕打ちにあったか(前妻の浮気)を話していたことから、性的な場面への反応を意識的には拒否してきたが、無意識にその葛藤を示した結果となった。
(三)被告人の行動観察、問診、心理テストにより得られた所見を総合すると、被告人は意識は清明であり認知の障害は表立ってなく意識的範囲力で持論をあやつる判断力と感情表現の能力を有し思考の障害もみられないが、自己中心的で、自己に不利益をもたらす問いかけや刺激に警戒的で、それらに対する反応を拒否する場合が多かったこと、独断的で自己の欲求を満たすためなら相手と場を選ばないという心理特性を有していること、欲求不満に対する処理と解決の仕方の成熟度が乏しい人格傾向が認められた。
(四)被告人の情性について検討するに、「情性」とは、他人とともに喜びまた悲しみ、誠実に相手の立場と心情に気を配って交際し、信頼関係を結ぶ人格特性である。情性の基礎が作られる幼年期からそれが発達していく青年期にかけて、被告人は父親との死別、母親の行商の手伝いなど不利な生育環境で育ったためと考えられる情性の欠如がかなりの程度みられること,被告人は、五六歳のときに警察官に樹木用の鋏で怪我をさせた傷害罪を起こしているところからも明らかなように、本件当時まで犯罪的能動性を喪失することなく、犯行に結びつく情性の欠如を引きずっていたと考えられること、被告人は、本件の発生から約六年経った現在でも、まわりと自分との関係への無関心さ、対人関係における感情の冷却と警戒心の強さなど、心理テストで際立った反応を示したこと、被告人は、MMPIの検査の際、「付き合いはいいです。」という質問に、しばらく考えて、「答えられません。」と反応したことに表われているように、情性に関する質問にどう答えるかで、それが判決に影響することを見越したような作為が読み取れることからすると、被告人には情性の欠如が現在もみられるが、それを明らかにされまいとする自己中心的な意思が働いている。このことは、被告人の暦年齢にもかかわらず、情性の欠如は活動的で、何らかの欲求不満の発散を求めようとする意思と結びつけば、犯罪を犯す恐れを示唆するものと推測される。
(五)被告人の性的抑制について検討するに、被告人は、MMPIの検査の際、「性的なことで問題を起こしたことはない。」という質問に対し、険しい口調で「ないですね。」と言いながら、「ちがう」の方に丸印を付ける間違いをし、検査者の指摘で「そうですの方ですね。」と平静を装って、丸印を付け直したこと、TATの検査の際、空白カードに対して、自分がいかに性的対人関係でひどい仕打ちにあったかを話していることからして、それまで性的な場面への反応を意識的に拒否してきたが、無意識的にその葛藤を示していることからして、被告人は性への関心が高く、葛藤的に受け止められているが、それを見抜かれまいとする自己防衛を意識的に行っていることが明らかである。 
 
さらに、被告人は、平成三年一〇月ころから、糖尿病による亀頭包皮炎のため、妻との性交渉が思い通りに行えない欲求不満を持っていた可能性が高く、そのような状況で、情性の欠如した被告人が性倒錯的行動をとる可能性は十分考えられる。
(六)以上から、鑑定主文では、被告人は情性欠如型の性格異常者と判断され、その偏りの内容は、人との協調性や共感性、対人関係を円滑に運ぶ技能が不足しており、感情も冷淡で相手の気持や立場を思いやって行動するといった成熟度が乏しく、願望や欲動をすぐに満たしたいとする傾向が強く、特に、刺激が強まる状況では、現実的に対処していくことが出来ずにいる、もっとも、葛藤がない平常時には、標準的な物事の受け止め方ができ、性格の偏りの程度は、中程度のものと認められるが、状況によっては重度のものに揺れ動くと考えられ、ストレス状況では、犯罪を犯す本来的な傾向を十分もっていると判断された。
3 弁護人は、堤鑑定の手法及びその判断は誤りであるとし、その理由として、(1)堤鑑定の採った手法は、心理テストが中心であり、問診や行動観察が十分でないこと、(2)検査者と被告人との間には性格鑑定で必要となる信頼関係がないこと、(3)被告人は、無罪であるにもかかわらず本件事件を犯したとされ、拘置所に長期間身柄を拘束されており、自己に不利益な判定が下されないようにことさら警戒的・防衛的な回答したため、そのような態度がテストに影響を与えていることなどからして、鑑定結果が被告人の本来の性格と異なるものと判断されたと主張する。
 
しかしながら、(1)について、確かに本件性格鑑定が拘置所において限られた時間で行われたことから、問診や行動観察に十分な時間をかけて行われたものではないが、堤鑑定人は、その専門家としての立場から、各種心理テストを実施する前や実施中の被告人の受け答えや行動について観察をしており、これをもって、独自の問診や行動観察に代えているのであるから、問診や行動観察が不十分であるとは言い難い。(2)については、本件鑑定の申請は、弁護人側から行われたもので被告人が被験者として検査に応じたことから鑑定ができたのであるから、性格鑑定に必要となる基本的な信頼関係はあったということができる。(3)については、心理テストをすると、前記のように被告人が警戒的・防衛的な態度を示したかどうかが分かるのであり、それを理解した上でそのような態度を示したものが何かを分析して性格鑑定を行うものであることからすると、警戒的・防衛的な回答をしたこと自体から、性格鑑定の結論を異にすることにはならないと考えられ、弁護人の主張はいずれも採用できない。
 
もっとも、MMPI検査では、質問項目に対し被検者が意図的作為的に答えると事実と異なる像を示すことが指摘されており、被告人が意図して防衛的、抑圧的にしか答えていないことからすると、右検査法の正確性が問題となるが、堤鑑定は、右検査内容による被告人の人格の総合的評価はしておらず、右検査の際の被告人の答え方や態度などをみて被告人の心理テストに対する態度を評価しているに過ぎないのである。
 
なお、弁護人は、MMPI検査において、堤鑑定が、特定の質問項目に被告人が答え間違いをして後で言い直しをした事実を、「内心の気持ちを口をすべらせて、後で言い直しをした」とか「本心をぽろっと出した後、慌ててそれを取り消す失態を行った」と評価している点について、堤鑑定人が被告人を犯人視する片寄った見方をしているためであると主張する。
 
なるほど、堤鑑定が、「性的なことで問題を起こしたことはない。」の項目に対し、すぐに「ないですね。」と強調しながら、「ちがう。」の方に丸印を付け、検査官から、言ったことと印を付けた箇所が異なることの指摘を受けて、被告人が「そうですの方ですね。」と平静を装って印を付け直したという点については、被告人が単に答え間違いをした可能性もあり、堤鑑定のような評価は一面的すぎるようにも思われる。しかし、「後悔するようなことをよくやる。」の項目には、初め「そうです。」と言って印を付けるが、慌てて後に「これ違いますね。」と言い、「ちがう。」の方に印を付け直したという点については、被告人の質問に対する答えと印を付けた箇所が異なっていたわけではなく、被告人が答えを訂正したときの態度からの判断であるから、堤鑑定の評価に誤りはないと考えられる。
 
各種投影法については、被検者の置かれた環境によって多少の影響を受けることがあるとしても、被検者に根ざした本来の性格は環境にそれ程影響を受けないと考えられることからすると、被告人の性格鑑定にも採用でき、投影法は、被検者の深層にある心的傾向や葛藤の内容等を見い出すのに適しており、被検者が解答を意図的に調整することはできないから、被告人が警戒的、防衛的態度をとったとしても、この検査法に基づき判定された被告人の性格鑑定は基本的には信頼性のあるものと考えられる。
4 堤鑑定は、被告人に情性が欠如していると判断した根拠として、(1)被告人が母子家庭で生育したこと、(2)被告人の傷害前科からして、被告人が犯罪的能動性を喪失することなく、犯行に結びつく情性の欠如を引きずっていたと考えられること、(3)被告人は、まわりと自分との関係への無関心さ、対人関係における感情の冷却と警戒心の強さなど、心理テストで際立った反応を示したこと、(4)MMPI検査の際、情性に関する質問にどう答えるかで、それが判決に影響することを見越したような作為が読み取れることを挙げている。
 
しかしながら、(1)については、被告人の生育環境のみから情性が欠如していると判断するのはあまりにも短絡的であるといわなければならない。そして、(2)については、犯罪者がすべて情性欠如者であるといえないのは自明の理であるから、被告人に犯罪的能動性があったとする理由とすることはできても、それをもって情性が欠如していることの根拠とすることはできない。また、(4)については、被告人が情性に関する質問に対して警戒的、拒否的であったからといって、そのことをもって直ちに被告人に情性が欠如していることの根拠とすることはできない。そうすると、残るところは(3)であるが、心理テストの結果からみられる被告人の自己中心的、欲求不満に対する処理と解決の仕方の成熟度が乏しいなどの人格傾向は、なるほど情性欠如者にもみられるところではあるが、クルト・シュナイダーが、情性を同情心とほぼ同義語に解し、同情心の少ない人から冷淡な人、冷淡な人から冷酷な人、すなわち情性欠如型の人への漸進的な移行を考えている、とされている(現代精神医学大系8、一〇九頁参照)ところからすると、被告人の右人格傾向をもって、情性欠如型精神病質と評価できるほどの異常性を示しているかどうかについては疑問の余地がある。
 
また、堤鑑定は、被告人が、糖尿病による亀頭包皮炎にかかっていたため妻との性交渉が思い通りに行えない欲求不満を持っていた可能性が高い状況下において、情性欠如から性倒錯的行動をとる可能性が十分考えられるとしているが、被告人が情性欠如型精神病質者であるとする堤鑑定に疑問を入れる余地のあることは前記のとおりであるから、この点の堤鑑定の結論は採用することができない。
5 小括
 
堤鑑定の心理テストの結果から見られる被告人の性格傾向からすると、弁護人の主張するように被告人が本件のような犯行を犯すはずのない人物であるとまではいうことができない。したがって、被告人の性格鑑定の結果は、被告人と本件犯行の犯人性との結びつきに疑いを入れるような証拠ではない。
二 結論
 
以上要するに、本件において被告人と犯行との結び付きを証明する直接証拠は存在せず、情況証拠によって証明することのできる個々の情況事実は、そのどれを検討してみても、単独では被告人を犯人と断定することができないのである。
 
しかしながら、情況証拠によって証明された個々の情況事実は、これらをすべて照合して総合評価する必要がある。そこで、この観点から検討すると、本件犯行に犯人が使用したのではないかと疑われる自動車は、マツダ製の後輪ダブルタイヤの紺色のワゴンタイプの車で、リアウインドーにフィルムが貼ってあるなどといった特徴を有していたこと、犯人について、被害児童であるA子及びB子の失踪場所の状況や時間帯並びに右場所と被害児童の死体及び遺留品の発見現場との位置関係や遺留品の発見現場で目撃された不審車両の発見時間からして、失踪場所等についての土地勘を有するものであると推測されること、しかるに、被告人は、右容疑車両と特徴を同じくする被告人車を所有し、かつ、土地勘を有することからすると、被告人が犯人ではないかという疑いが生じるのは当然である。これに加えて、被害児童の着衣から、被害児童が犯人車に乗せられた機会に付着したと認められる繊維片が発見されているところ、これらの繊維片は被告人車と同型のマツダステーションワゴン・ウエストコーストに使用されている座席シートの繊維片である可能性が高いのであるから、被告人が犯人ではないかという疑いはますます濃厚となる。このような状況下において、被告人車の後部座席シートから血痕と尿痕が検出され、血痕については、被害児童のうちのA子と血液型を同じくするO型であること、尿痕については人尿であることが判明した。これらの血痕や尿痕については、被告人が被告人車を入手して自己の管理下に置く前に付着した可能性はないと認められる上、被告人車は被告人のみが使用し、かなり頻繁に後部座席シートの水洗い等の手入れをしていたのであるから、少なくとも右のうち血痕については、それが付着していたことに被告人が気付かなかったはずがなく、車内で誰かが相当量の出血をしたという特異な出来事についても被告人が忘れてしまったとも考えられないし、尿痕についても同様であるというべきである。しかるに、被告人は、右付着の原因について納得のいく合理的な説明をすることができない。他方、被害児童二名とも失禁と出血があり、これらは犯人が被害児童を殺害した際に生じたものであると認められるところ、被害児童の体は生前あるいは死亡後に犯人車と接触していることが明らかであるから、犯人車には被害児童の右尿や血痕が付着している可能性があるということができる。そうすると、右の血痕等が被告人車に付着していた原因については、被告人が犯人であるとすれば、被害児童であるA子らを被告人車内で殺害するか、あるいは、その後、A子らの死体を死体発見現場まで被告人車で運んだときに右の血痕等が付着したものとして、合理的に説明することができるのであって、それ以外の現実的な可能性は考えられないのである。また、B子の死体の腹部付近の木の枝に付着していた血痕並びにA子及びB子の膣内容及び膣周辺から採取した血液の中に被害児童以外の犯人に由来すると認められる血痕ないし血液が混在していたのであり、仮に犯人が一人であるとした場合には、その犯人の血液型はB型、DNA型はMCT118型が一六―二六型であって、被告人のそれと一致しているのである。さらに、右のように被害児童二名の膣内容等に犯人に由来すると認められる血液等が混在していた理由として、被告人が犯人であるとするならば、被告人が本件当時糖尿病による亀頭包皮炎に罹患していたため、被告人の亀頭が被害児童の膣等に接触した際の刺激によって出血したものであるとして、合理的に説明できるのである。また、被告人の捜査段階での供述によれば、被害児童の失踪現場は、被告人が妻を現場に送迎するために被告人車で通ることがあり、妻の職場から失踪現場を通って被告人方に戻る場合、丁度、被害児童が失踪した時間である午前八時三〇分ころに失踪現場を通過することになり、被害児童が失踪した時間帯及び失踪現場は、被告人が妻を勤務先に被告人車で送った後、被告人方に帰る途中の時間帯と通路にあたっていた可能性があるところ、被告人にはアリバイが成立しないのであるから、被告人に犯行の機会のあったことが明らかである。
 
以上のような諸情況を総合すれば、本件において被告人が犯人であることについては、合理的な疑いを超えて認定することができるのであって、そこから翻って見ると、被害児童が最後に目撃された現場及び遺留品発見現場において目撃された紺色ボンゴ車は犯人車である被告人車であり、それを運転していたのは被告人であると認定することができる。

(法令の適用)
罰条
第一(被害児童二名につき)
平成七年法律第九一号附則第二条一項による同法による改正前(以下「改正前」という。)の刑法二二四条
第二及び第三
いずれも改正前の刑法一九九条
第四の一、二
いずれも改正前の刑法一九〇条
科刑上一罪の処理(第一)
改正前の刑法五四条一項前段、一〇条(犯情の重いA子に対する未成年者拐取罪の刑で処断)
刑種の選択(第二及び第三)
いずれも死刑
併合罪の処理
改正前の刑法四五条前段、四六条一項本文、一〇条(刑及び犯情の最も重い第二の罪につき死刑に処し、他の刑は科さない。)
訴訟費用の不負担
刑事訴訟法一八一条一項ただし書
(量刑の理由)
 
本件は、被告人が車で妻を勤務先に送って自宅に帰る途中、登校時刻に遅れて登校中の小学一年生の被害児童二名を認め、車に乗せて拐取した上、同女らの頸部をそれぞれ手で締め付けて殺害し、その前後に、同女らの陰部に指先を挿入するなどして弄び、その後人通りの余りない国道沿いの山中にそれぞれの死体を投げ捨て遺棄した事案である。
 
本件犯行態様は、帰宅途中に偶然居合わせた被害児童二名を拐取するや、年端のいかない抵抗する力の弱い同女らの頸部をあたかも鶏の首を絞めるがごとく手で締め付けて次々に窒息死させ、何らの落ち度もない二名ものかけがえのない無垢な命を奪ったものであり、人情のかけらすら認められない鬼畜同様の行為である。その結果が何にも増して重いのはもとより、車で拉致され殺害されるまでの間に被害児童がそれぞれ被った恐怖感や精神的・肉体的苦痛には想像を絶するものがある。その上、被告人は、犯行の発覚を防ぐため、被害児童の死体を下半身裸のまま、まるでごみと一緒に不要になった人形を捨てるかのごとく山中に投げ捨てて死体を冒涜したものであり、極めて冷酷残忍な犯行態様である。
 
本件犯行の内、被害児童を略取または誘拐して殺害に及んだ直接の動機は、被告人が否認し犯行の具体的態様が明らかでないことから不明といわざるを得ないが、被告人が被害児童やその家族に対して恨みを持っていたような事情はうかがわれず、他方、被告人が亀頭包皮炎に罹患していたこと、死体の陰部には手指を挿入した痕跡があることからすると、本件当時、被告人が、少なくとも自己の性欲を満たさんがために、汚れを知らない少女を陵辱し、自己の獣欲を満足させようとした事実は否定できないところであって、そこからは被告人の抑制力の欠如と性倒錯的傾向がうかがわれるのみならず、再犯の可能性も否定できない。
 
さらに、本件犯行後、被告人は、警察が有している情報を探り、自己が町内会長をしていたことから団地の住民全員から毛髪を提供させようなどと言って警察の捜査に協力するように見せかけており、捜査の攬乱を意図したものと認められ、犯行後の行動も狡猾である。
 
未だ幼くして愛情に満ちた家庭から隔離され、突如命を奪われ、無限の可能性を秘めたこれからの人生を無惨にも断ち切られた被害児童二名の無念さは計り知れない。また、遺族らの感情について、公判において、A子の母親は、「事件後、二、三年は夜眠れない状態が続いた。今でもA子が夢に出てくることがあり、夢の中のA子が泣いていると、起きてから涙が止まらなくなる。」と今でも深い悲しみの中におり、被告人に対し「Aちゃんを返して欲しい。苦しめて死刑にして欲しい。」と悲痛な思いを訴えている。また、B子の父親は、事件当時のことを振り返り、「寒い夜だったので、一刻も早く助けてやりたくて、少ない情報の中を一時も寝ずに夜通し走り回った。遺体に対面したとき、すべて周りの出来事が夢のように思われ、目の前の現実を受け止めるゆとりもなかった。」と本件の衝撃の強さを語り、被告人の行為に対し「罪のない幼い子供を二人も殺した行為は、到底人間の行為とは思えない。許せない。極刑を希望する。」と峻烈な処罰感情を露わにしている。B子の母親は、「小学校教諭という職業柄、生徒とB子の姿がダブり、何度か仕事を辞めようかと思った。」「六年以上経った今も、悲しみ、苦しみ、悔しさといったいろんな感情が織り混ざる。」と、やはり癒しがたい被害感情を有したままでおり、極刑を希望している。このような最愛の娘の命を理不尽な犯行によって奪われてしまった両遺族の悲嘆の深さ、被告人に対する遣り場のない憤りの激しさは、十分に理解でき、被告人に対し極刑を望むのも当然である。
 
また、本件は、小学一年生の女児が二人連れで登校中に通学路で突如行方不明となり、山中で変わり果てた姿で発見されたという衝撃的な事件であり、被害児童が通学していた小学校はもとより、飯塚市内はおろかその近辺の小学生児童や教育現場にまで不安感、恐怖感を与えたものであって、その社会的影響には大きいものがある。
 
被告人は、本件当時、自らも被害児童と同じ甲野小学校に通学していた一学年上の子供があり、年齢も五四歳と分別盛りで、被害児童の遺族らの心痛の程が当然分かるはずであるにもかかわらず、捜査、公判を通じて一貫して平然と犯人性を争っており、被害児童やその遺族らを意にも介せず、反省するどころか、自己やその家族がいかに警察から迫害を受けたかを訴えるばかりで、良心の呵責や改悛の情が全くみられない。
 
以上から、被告人には極刑を与える他なく、主文のとおり死刑に処することとした。
(求刑 死刑)
(裁判長裁判官 陶山博生 裁判官 重富朗 柴田寿宏)

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