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傷害福岡1

傷害福岡1

福岡高等裁判所/平成21年(う)第228号

主文
1審判決を破棄する。
被告人は無罪。

理由
第1 弁護人の控訴理由
1 訴訟手続の法令違反
 
1審裁判所の争点整理手続は不十分で,当事者への求釈明義務を怠った結果,被告人の防御権を侵害する違法を生じさせているから,1審の訴訟手続には,判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反がある。
2 事実誤認及び法令適用の誤り
 
被告人の行為は,正当な看護業務としての行為であり,傷害罪の構成要件に該当しないか,そうでなくとも違法性が阻却され,被告人は無罪であるのに,1審判決は,被告人の捜査段階の供述調書に信用性を認めるなどして,事実を誤認し,その結果,法令適用を誤り,被告人に本件各傷害罪の成立を認めたもので,明らかな事実誤認及び法令適用の誤りがある。
3 量刑不当
 
仮に本件各傷害罪の成立が認められる場合でも,被告人を懲役6月・3年間刑執行猶予に処した1審判決の量刑は重過ぎて不当であり,罰金刑が相当である。
第2 検察官の答弁
1 訴訟手続の法令違反
 
1審判決は,当事者双方によって攻撃防御が尽くされている事実を前提に判断をしており,被告人側に対する不意打ちではないし,釈明権を行使すべきような判断枠組みが用いられているものではない。
2 事実誤認,法令適用の誤り
 
被告人は,逮捕当日から自白し,その後,弁護士から助言を受けながらも,Aに対する傷害で起訴されるまで一貫して自白を維持し,Bに対する傷害についても相当期間自白を維持しており,動機を語る部分は被告人自ら語らなければ録取できない内容で,犯行状況に関する供述は具体的・詳細であり,訂正も被告人の申立てのとおりになされていること,一部客観的事実に反する被告人に有利な記載もあることから,十分に任意性があり,高度の信用性が認められ,弁護人の主張は,その大半が被告人の捜査段階の供述に照らして失当であって,いずれも理由がない。
3 量刑不当
 
本件の犯情の悪質さに照らすと,被告人に有利な事情を考慮しても,被告人を懲役6月・3年間刑執行猶予に処した1審判決の量刑が重過ぎて不当とはいえない。
第3 控訴理由に対する判断
1 1審判決の概要
・本件各公訴事実
 
本件各公訴事実は,「被告人は,北九州市a区b町c丁目d番e号所在の医療法人C病院で看護師として勤務していたものであるが,平成19年6月15日午前7時45分ころ,同病院f階病棟g号室において,クモ膜下出血後遺症等の治療のため入院中のA(当時70年)に対し,その右第1趾及び右第3趾の各爪を爪切り用ニッパーを使用するなどして剥離させ,よって,同人に全治まで約10日間を要する右第1趾及び右第3趾の機械性爪甲剥離の傷害を負わせた(平成19年7月23日付け起訴状記載の公訴事実)」というもの及び,「被告人は,北九州市a区b町c丁目d番e号所在の医療法人C病院で看護師として勤務していたものであるが,平成19年6月11日午前10時15分ころ,同病院f階病棟h号室において,脳梗塞症等の治療のため入院中のB(当時89年)に対し,その右第1趾の爪を爪切り用ニッパーを使用するなどして剥離させ,よって,同人に加療約10日間を要する右第1趾の外的要因による爪切除及び軽度出血の傷害を負わせた(平成19年10月31日付け起訴状記載の公訴事実)」というものである。
・被告人の主張及び1審の争点整理の結果
 
被告人は,B及びAの爪を剥いだことはなく,B及びAの各右足親指は,爪の浮いている部分を爪切りで切除した,Aの右足中指は,絆創膏の貼替え時に爪が取れたに過ぎず,したがって,被告人には,傷害の実行行為も結果もない,また,傷害の故意もない,仮に被告人の行為が傷害罪の構成要件に該当するとしても,正当業務行為として違法性が阻却される旨を主張し,公判前整理手続において,争点は,要旨,〔1〕本件各行為直後の客観的な各爪の状況,〔2〕被告人の行為が「爪床から爪甲を離し,爪床を露出させるもの」と認められるかどうか,〔3〕その行為の結果,〔4〕被告人に傷害の故意があるといえるかどうか,〔5〕被告人の行為が正当業務行為に当たるか否か,と整理された。
・1審判決が認定した犯罪事実及びその理由の概要
 
1審判決は,被告人の捜査段階における供述調書の信用性を肯定し,これらの供述調書(後記1審判示第1の事実につき,1審乙10,14,同第2の事実につき1審乙2ないし7)を含む関係証拠によって,被告人の犯罪事実として,上記各公訴事実記載の日時・場所で,被告人は,〔1〕Bに対し,その右足親指の肥厚した爪を,爪切り用ニッパーを用いて指先よりも深く爪の3分の2ないし4分の3を切除し,爪床部分から軽度出血を生じさせる傷害を負わせた(1審判示第1),〔2〕Aに対し,その右足中指のはがれかかり根元部分のみが生着していた爪を,同爪を覆うように貼られていた絆創膏ごとつまんで取り去り,同指に軽度出血を生じさせるとともに,右足親指の肥厚した爪を,爪切り用ニッパーを用いて指先よりも深く爪の8割方を切除し,同指の爪の根元付近に内出血を,爪床部分に軽度出血を生じさせる傷害を負わせた(同第2)と認定し,各傷害罪の成立を認め,被告人を懲役6月・3年間刑執行猶予に処した。その認定理由は,以下のとおりである。
ア 被告人の行為及び結果
・Bの右足親指の爪について
 
被告人は,それが肥厚して黒ずみ,人差し指方向に曲がって伸びていたことから,爪切り用ニッパーを用いて徐々に切り進み,指先よりも深く爪の3分の2ないし4分の3を切り取ったところ,残っている爪付近から血がにじみ出た。
・Aの右足中指の爪について
 
同指には爪を覆うように縦横に絆創膏が貼られてあったが,被告人は,横方向に貼られた絆創膏を剥がした上,縦方向に貼られた絆創膏の粘着部分を剥がし,被告人の右手人差し指と親指で絆創膏ごと爪をつまむようにして,爪を取り去ったところ,爪の根元の両脇部分に,ティッシュペーパー等を当てればこれに付着する程度に点状に出血した。
・Aの右足親指の爪について
 
全体的に白く変色し,中央付近から先側が何層にも重なったように著しく肥厚していたことから,爪切り用ニッパーを用いて徐々に切り進み,指先よりも深く8割方を切除したところ,爪の根元付近に幅約1ないし2ミリメートル,長さ約1センチメートル足らずの線状の内出血が生じたことから,爪切りを終了したが,その際,残っている爪付近から,ティッシュペーパー等を当てればこれに付着する程度に血がにじんだ。
イ 傷害の構成要件該当性について
 
看護師が,事故の危険防止や衛生上の必要から,看護行為として患者の爪を指先より深い箇所まで切って爪床を露出させることのみでは,人の生理的機能を害するような違法行為の定型には当てはまらず,傷害罪の構成要件に直ちに該当するものではない。
 
しかし,Bの右足親指について,出血があること,爪切り用ニッパーではこれ以上切り取れない状態まで爪を切り取っていること,相応の痛みが伴ったと推察されること,被告人がフットケアであったと説明せず,自己の関与を否定したことなどから,フットケア目的の行為とはみられないこと,捜査段階では少々の出血は構わないという思いであったと述べていることから,看護行為として行ったものではなく,傷害行為に該当する。
 
Aの右足中指について、出血があること,爪の取り去り方が粗雑で患者への配慮を欠くことから,看護行為とはいえず,かつ,故意に行ったもので,傷害行為に該当する。 
 
Aの右足親指について,出血があること,右足中指の傷害行為に引き続くものであること,爪切り用ニッパーの刃を差し込むことができない状態まで爪を切除していること,爪切りについての報告書提出を求められた際にケアであったとの説明をしていないこと,捜査段階で患者の苦痛についてあまり考えられなくなっていたと供述していることから,看護行為とはいえず,傷害行為に該当する。
ウ 正当業務行為について
 
看護師が,患者である高齢者等の爪床から浮いている肥厚した爪を指先よりも深い箇所まで切ることは,看護師の業務である療養上の世話に含まれ,仮に,その際に出血等の傷害を生じさせても,看護行為としてしたものであれば,正当業務行為として違法性が阻却され,看護師が職務上行う爪切り行為は,看護行為と推定されるが,特段の事情がある場合には,その推定が働かなくなる。
 
本件では,被告人は,患者のためのケアであることを忘れて爪切り行為に熱中し,自由に身体を動かすことも話すこともできない患者であるのをよいことに,自らが楽しみとする爪切り行為を行い,痛みや出血を避けるなど患者への配慮をせず,無用の痛みと出血を伴う傷害を負わせており,また,爪床を露出させるほど爪を深く切り取る行為は,職場内でもケアとは理解されておらず,患者家族や上司から説明を求められても,フットケアであるとの説明をすることなく,自己の関与を否定し続けたこと,上司からフットケアをしないように告げられた後にAへの行為に及んでいることなどに照らすと,看護行為として行ったものとはいえず,正当業務行為には該当しない。
2 当裁判所の判断
・訴訟手続の法令違反の主張について
 
弁護人は,1審裁判所は,検察官主張の被告人の行為態様である爪の「剥離」を否定しつつ,独自の見解に基づき,被告人の行為が傷害罪の構成要件に該当するとした上,正当業務行為としての違法性阻却事由は成立しないとして,被告人に本件各傷害罪の成立を認めたが,争点整理結果からは,「剥離」行為が否定されれば,正当業務行為といえるか否かを問題にするまでもなく,被告人は無罪になるべきであったし,上記のような構成要件該当性判断枠組みを用いるのであれば,当事者に主張立証の釈明を求めるべきであって,1審裁判所の争点整理手続は不十分で,求釈明義務を怠った結果,被告人の防御権を侵害する違法を生じさせた,と主張する。
 
しかし,検察官は,基本的には,被告人は,爪甲が爪床とくっついている部分と爪床から浮いている部分がある爪を切除したと主張しつつ,爪甲が爪床から浮いている部分を切除しただけでも傷害に該当すると主張していたこと(第4回公判前整理手続),1審弁護人も,検察官主張の爪の剥離行為(爪床から浮いていない爪を剥がした)が認められる場合に正当業務行為に該当する旨を主張するものではない(第5回公判前整理手続),爪甲の爪床から浮いている部分を切除したという検察官主張に該当する場合,〔1〕傷害の実行行為とは評価できない,〔2〕正当業務行為であると主張する(第8回公判前整理手続)と述べていたことからして,当事者間の共通認識としては,被告人の行為態様が,爪床から浮いている爪甲を切除する態様であっても,正当業務行為性が問題になり得るとの理解であったというべきである。したがって,1審弁護人が正当業務行為性についての立証の要否について誤解するような不十分な争点整理であったとはいえない。
 
また,1審判決の傷害罪の構成要件該当性に関する判断枠組みは,看護師が看護行為として患者の爪を切って爪床を露出させる行為は,直ちに傷害罪の構成要件に該当するとはいえないが,本件では看護行為とはいえないとの理由で,構成要件に該当するとしたものであるところ,そのような判断枠組みは,必ずしも当事者間の共通認識になっていなかったことは,弁護人が主張するとおりであるといえる。
 
しかし,1審裁判所が示した上記判断枠組みは,看護師が看護行為として患者の爪を切り,爪床を露出させる行為について,原則として傷害罪の構成要件に該当しないとして,構成要件該当性の判断において一定の絞りをかける考え方を採用しつつ,看護行為といえるか否かを判断するに当たり,その行為態様や,主観的意図等を判断要素としているところ,その判断枠組みの適否はともかく,そこで問題とされる事実関係は,争点として設定された被告人の行為態様や,傷害の故意,正当業務行為性の判断の前提となる事実関係と重なり合っており,当事者双方が攻撃防御の対象とした事実であることは明らかであり,実質上,被告人に不意打ちであったとはいえない。
 
そうすると,1審裁判所の訴訟手続に,判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反があるとはいえない。
・事実誤認及び法令適用の誤りの主張について
 
当裁判所は,被告人に本件各傷害罪の成立を認めた1審判決には事実誤認がある旨の弁護人の主張には理由があり,1審判決は是認できないものと判断した。すなわち,被告人の捜査段階の供述調書を信用することはできず,本件各公訴事実中,Aの右足中指の爪を剥離させたという点は,被告人が,経過観察のために,浮いていた爪を覆うように縦横に貼られていた絆創膏を剥がした際,爪が取れてしまったものであり,爪床と若干生着ないし接着していた爪甲が取れて爪床を露出させている以上,傷害行為には当たるが,被告人には傷害(又は暴行)の故意が認められないから,傷害罪の構成要件に該当しない。また,B及びAの各右足親指の爪を剥離させたという点は,被告人が,爪切り用ニッパーで指先よりも深く爪を切除し,本来,爪によって保護されている爪床部分を露出させて皮膚の一部である爪床を無防備な状態にさらしたものであるから,傷害行為に当たり,傷害の故意もあるので,傷害罪の構成要件には該当するが,看護目的でなされ,看護行為として必要性があり,手段,方法も相当といえる範囲を逸脱するものとはいえないから,いずれも正当業務行為として違法性が阻却される。したがって,本件各傷害罪の成立を認定した1審判決には,明らかな事実誤認があるというべきである。
ア 傷害罪の構成要件該当性について
・傷害行為について
 
まず,被告人の行為態様が問題になるが,被告人の行為後のB及びAの右足の爪の状況として提出されている写真(1審甲39ないし41)は,平成19年6月16日に撮影されたもので,Bに関する1枚(同41の写真3枚目)を除き,ピントが合っておらず,これらの写真から得られる被告人の行為態様を認定するための情報は極めて限られており,また,証人D医師は同月22日及び27日にB及びAの,同E医師は同月25日にAの診察に当たっているが,被告人の行為から数日以上が経過していることから,同医師らの診断書や供述によっても,被告人の行為態様が十分に明確になるものではない。証人F医師の鑑定書や供述によっても同様に被告人の行為態様が十分に明確になるものではない。また,証人G看護師らは,被告人の行為後の各爪の状況を見てはいるが,後記のとおり,その供述する出血の状況は,同看護師らが取った行動等とは必ずしも整合せず,誇張がうかがわれ,同看護師らの述べる出血の状況をもとにして,被告人の行為態様を認定することも困難である。したがって,被告人の行為態様を認定するに当たっては,相当程度,被告人の供述に頼る必要がある。しかし,以下に述べるとおり,被告人の捜査段階の供述調書は信用することができないことから,これを除く関係証拠によって,被告人の行為態様を認定せざるを得ない。
 
1審判決は,被告人の捜査段階の供述調書の信用性については,他の関係証拠から認定できる客観的な爪の状況や行為態様に相容れない「剥離」,「剥いだ」などの文言が殊更に使用され,被告人の内心についても誇張がうかがわれる箇所があり,捜査官が,上記表現を強いた疑いがあるとしつつも,被告人に有利な状況も録取され,被告人の申立てに沿った訂正も録取されていることから,信用性は否定されない旨説示する。
 
被告人は,平成19年6月15日にAの右足親指及び中指の爪を手段不明の方法により剥がし,全治まで約10日間を要する機械性爪甲剥離の傷害を負わせた旨の被疑事実により,同年7月2日午前9時10分,通常逮捕され,その直後の警察官に対する弁解録取書(1審乙15)では,Aの足の爪を見ただけで触っていない旨を述べて否認したが,同日に作成された警察官調書(1審乙16)では,「私が(中略)Aの右足親指と右足中指の爪を剥がしたのは事実です」として,被疑事実を認める供述が録取され,以後,同様に爪を剥がした旨の自白を維持し,勾留中の7月19日ないし23日にかけて,検察官調書(1審乙2ないし7)が作成され,この事実により起訴され,その後の身柄拘束中に,Bに対する傷害についての取調べが行われ,同月27日から翌8月3日にかけて,いずれも爪剥ぎ行為を認めた警察官調書(1審乙10ないし13)が,同月20日,爪剥ぎ行為を認めた検察官調書(1審乙14)が録取されている。
 
しかし,後述するとおり,被告人の自白を除く関係証拠によると,被告人は,B及びAの右足親指の爪を,いずれも爪切り用ニッパーを用いて,爪が爪床から浮いている隙間の部分にニッパーの刃を差し込んで,爪を切り進み,爪床を露出させたと認められるのに,被告人の上記自白調書は,本件の核心部分である行為態様について,一般的には爪床と生着している爪甲を無理に取り去ったという意味と理解される「剥離」ないし「剥いだ」という表現が用いられている(しかも,繰り返し多用されている)点で,上記自白調書を除く関係証拠により認定できる被告人の行為態様にそぐわない内容になっている。
 
すなわち,例えば,Aの右足親指について述べた検察官調書(1審乙3)では,冒頭に「爪を剥離させたときの状況についてお話しします」とした上,被告人が「爪床から先に伸びた部分だけじゃなく,とれるところまで全部切ったりして剥がしてしまおうと思って」いたこと,「剥がせるだけ爪を切って剥がすつもり」であったこと,爪床がある部分まで切り進んだ後,「Aさんの爪は肥厚して爪床から少し浮いていたので,爪床と爪の間にニッパーの片側の刃を差し込んで,そして同じようにハの字に切って爪を剥がしていった」こと,こうした爪の剥離行為をする際の被告人の心理として「患者の苦痛についてはあまり考えられなくなってい」たこと,「無用な爪を剥がしていくということに集中して,ある意味のおもしろさを感じて」いたことなどが録取されている。また,Bの右足親指について述べる警察官調書(1審乙10)も,その爪を「爪切り専用ニッパーを使って,切るなどして剥いだ事件について話します」とした上,被告人が,従前から爪等を切ったり剥いだりしてしまいたいという思いをずっと持っていたが,業務等に追われて爪剥ぎ行為ができずにいたこと,Bの右足親指の爪について,「ニッパーを使って切り,剥ぎ取ってしまいたいという思いしか無く,看護師の業務等という考えは,頭から吹き飛んでい」たこと,「認知症を患い,物を言う事も,体を動かす事も,殆ど出来ない老人の爪を,自分の欲するままに剥ぐ,という残酷な事をすることには,全く躊躇はなかった」こと,「肥厚した爪を剥ぎ取ってしまう事での,自己満足を得たいがため,それでもかまわないという思いばかりが勝り,このように出血を見るまで,爪を切り続け剥ぎ取った」ことが録取されている。
 
このような供述調書が作成された事情について,被告人は,いくらケアだと言っても刑事は理解してくれず,これは爪を剥いだとしかいえないなどと言われ,その表現を受入れ,供述調書の署名も,これをしなければ自分はどうなるか分からず,自分の運命は刑事が握っていると思いサインをした,また,看護師としてではなく,人としてどうなんだ,人として話をしなさい,などと言われ,被告人の行為が爪の剥離行為であると決め付けられ,看護師としての爪ケアであることの説明を封じられた旨を公判で供述している。そして,証人H(被告人の上司である看護部長)は,被告人が爪を剥がしたという認識はなかったが,検察側から自然脱落以外は,すべて人為的に剥がすということであるなどと告げられ,剥がしたと認めざるを得なかったなどと述べ,被告人が上記公判供述で述べたところと同様の取調べの状況を述べている。
 
そうすると,被告人の上記公判供述の信用性を一概に否定することはできず,被告人が爪ケアとしての爪切り行為であると説明しても,警察官から,爪の剥離行為であると決め付けられ,その旨の供述を押し付けられ,これを認める供述をしたという疑いを容れざるを得ず,その後の被告人の検察官に対する供述も,前の爪の剥離行為を認める供述に沿って誘導されたものと疑わざるを得ない。
 
そして,被告人の行為態様が,爪を剥いだ行為なのか,爪床から浮いている爪甲を切った行為なのかは,まさに本件の核心部分であるが,「剥離」ないし「剥いだ」という供述が,供述調書全般に繰り返し多用されていること,また,そのような剥離行為であるとなれば,およそこれを正当化することは困難であることは被告人も十分認識していたことは明らかで,剥離行為を認めることは,不当な動機・目的による行為であることを認めるに等しく,剥離行為を認める供述が,その動機ないし目的についての供述とも密接に関わることになることからすると,上記の疑いは,剥離行為を認める供述のみならず,動機,目的を含めたその余の供述部分の信用性にも重大な影響を及ぼすものというべきである。
 
そうすると,被告人の捜査段階の供述は,爪の剥離行為を認める供述部分はもとより,その動機・目的等を含むその余の部分も含め,被告人の真意を反映せず,捜査官の意図する内容になるよう押し付けられ,あるいは誘導されたものとの疑いが残り,その疑念を払拭できるだけの特段の事情も見当たらない。なお,検察官は,自白の一貫性や被告人が弁護士の助言を受けていることを指摘するが,被告人は捜査段階で一貫して自白していたわけではないし(1審乙15),また,弁護士との接見を通じて助言を得ていたことも捜査段階の供述調書の信用性を考える上で,決定的な事情とまではいえない。
 
1審判決は,上記特段の事情として,被告人の捜査段階の供述調書には,〔1〕爪切り行為後の各指の出血の状況について,自分が見たときには出血はなかったなどの被告人に有利な状況も録取されていること,〔2〕被告人の訂正申立てに沿った訂正が録取されていることを指摘し,被告人の捜査段階の供述調書の信用性を肯定している。
 
しかし,捜査官が,事件の核心ではない部分については,その重要性の程度を考慮し,捜査機関側に不都合がない限度で被告人に有利な状況であっても録取したり,訂正申立てに応じたりしたとも考えられるところ,確かに,Aの右足中指の爪剥ぎ後の出血状況について,「問 右第3趾の爪床はどのような状態だったのか 答 出血は私が見たときはありませんでした」(1審乙2)という問答が録取されているものの,本件の核心として最も重要であることは,絆創膏を剥がしたときの爪の脱落なのか爪剥ぎ行為なのかということであり,捜査官としては,被告人が爪剥ぎ行為を認めれば,出血の有無を自白させる重要性は低くなるから,この点が被告人の供述どおり録取されているからといって,上記の疑念を払拭できるだけの理由とはいえない。そして,訂正申立てとして録取されている被告人の供述内容は,〔1〕Aの右足親指の爪を剥離させた後の被告人の認識について,その爪を「ケアをすればきれいになるんじゃないかと思っていました」という部分を「ケアをすればきれいになると思っていました」に,〔2〕「痴呆」という表現について「認知症」という表現が適切であるというもので(1審乙3),その他,被告人は,Bの右足親指の爪を切った時間帯についての供述(1審乙10)を後に訂正する供述をしているが(1審乙11),これらは,いずれも表現のわずかな違いや正確性などに関するものであって供述の根幹にかかわる重要部分ではないのであるから,被告人の捜査段階の供述調書全般の信用性を肯定する根拠として十分ではないというべきである。
 
そこで,被告人の捜査段階の供述調書を除く関係証拠によって,被告人の行為及び結果について検討する。
 
まず,B及びAの各右足親指の爪については,概ね1審判決が認定したところと同様と認められ(ただし,Aの右足親指の爪床部分に軽度出血を生じさせたとする点は除く),補足すると,Bの右足親指は鉤彎爪で人差し指方向へ爪が曲がって伸びていたことから,被告人が爪切り用ニッパーで指先よりも深く,爪床から浮いていると思われる部分を切り進み,指先よりも深く爪の3分の2ないし4分の3を切除したところ,間もなく爪床ににじむ程度の出血があったこと,また,Aの右足親指は肥厚爪で全体的に白く変色し,中央付近から先側が何層にも重なったように著しく肥厚していたことから,爪切り用ニッパーを用いて徐々に切り進み,指先よりも深く爪の8割方を切除したところ,間もなく,爪の根元付近に幅約1ないし2ミリメートル,長さ約1センチメートル足らずの線状の内出血ようの状況が生じたことが認められる。
 
もっとも,被告人の行為後の出血の有無や程度について,Bの右足親指に関して,Gは,平成19年6月12日午後6時半ころ,同指に綿花が巻かれていて,その綿花が赤黒く凝固して張り付いた状態であったなどと述べ,相当量の出血があったことをうかがわせる供述をしているが,被告人が,Bの右足親指の爪切り後に,アルコールを含んだ綿花を当てておいたことは明らかであるところ,Bも痛みを訴えることは可能な状態にあり,Gが述べるような相当量の出血があるほどの大きな傷であれば,直ちに痛みを訴えてしかるべきであったと考えられることからして,アルコールを含んだ綿花を当てても苦痛を感じない程度の微小な出血があったとみるのが自然である。Aの右足親指については,被告人の行為後間もなくその状況を見た3名の看護師のうち,Gは,爪床部分から点々と出血していた,と供述しているが,証人I及び同Jは,浸出液と出血がみられ,ガーゼを当てれば滲む程度,と供述しており,同看護師ら3名が直ちには何らかの措置を取らず,Gが,しばらくしてガーゼを当てる措置を取っていること,被告人は,爪の根元付近に生じた内出血ようの状況があったと公判で供述しており,これについては鑑定書を作成したF医師も,爪母の部分に出血痕があるが爪床部分の出血は確認できていない,と述べていることからすると,Aの右足親指からの出血は,爪の根元側からのものとみられ,被告人の爪切りによって爪床が傷付けられたことによる出血であるとまでは認定できず,爪床部分に軽度出血を生じさせたとする1審判決の認定は相当ではない。
 
次に,Aの右足中指の爪については,K医師は,平成19年6月11日に診察した際,浮いたようになっていたことから,自然落下を待った方がよいと判断したこと,その後,爪を覆うように縦横に絆創膏が貼られてあったこと,同月15日,被告人が縦に貼られていた絆創膏を剥がした際に爪が(故意によるものか否かは別として)取れたと認められる。もっとも,これによる爪床やその周囲からの出血については,E医師が,写真(1審甲2の・)には血痂(かさぶた)を示す黒い点がぽつぽつとあり,その辺りは爪床と生着していたのではないかと思われる,と供述していること,上記3名の看護師がいずれも何らの措置も取っていないことから,絆創膏を剥がした直後には被告人も気付かない程度の,せいぜい極めて微小な出血であったにとどまるとみるべきである。
 
ところで,傷害の意義について,学説としては,概ね〔1〕生理機能障害説,〔2〕身体の完全性侵害説,〔3〕折衷説(生理機能の障害又は身体の外貌への著しい変化)に分類できるところ,その違いは,皮膚等を損傷することのない,毛髪,爪等の切除といった外貌の変更を傷害と認めるか否かにあるといえる。
 
本件では,B及びAの各右足親指の爪について,本来,爪によって保護されている爪床部分を露出させて皮膚の一部である爪床を無防備な状態にさらすのであるから,上記〔1〕ないし〔3〕の見解のいずれによっても傷害行為といえる。
 
また,Aの右足中指についても,被告人が絆創膏を剥いだ当時,その行為によって,爪床と若干生着ないし接着していた爪甲が取れて爪床が露出させられたとみられ,上記同様に,一応,傷害行為であるといえる。
 
なお,上記1審の判断枠組みは,看護師が看護行為として,患者の爪を切って爪床を露出させる行為は直ちに傷害罪の構成要件に該当しないというもので,一見すると類型的判断が可能とも考えられるが,1審判決がその「看護行為」性を検討するに当たり,被告人の主観的意図を考慮し,その他種々の非類型的な判断要素を考慮していることからも明らかなとおり,形式的,類型的判断が重視されるべき構成要件該当性の判断として相当とはいえない。
 
弁護人は,学説上,人体への侵襲を伴う治療行為であっても,医学的適応性を有し,かつ,医療技術上正当な行為であれば,構成要件該当性が阻却されるとの見解があり,看護行為の場合,その判断基準は一層緩やかに解されるべきであるし,看護師の看護行為を萎縮させるなどとして,本件のごとき,看護師が看護行為として爪切りを行い,爪床を露出させる場合については,傷害罪の構成要件該当性を否定すべきである旨を主張する。
 
しかし,爪床は傷付きやすく,爪を切って爪床を露出させる過程で出血を生じさせてしまったり疼痛を与えたりするなどの危険性もあること,そして,このような行為は,看護師が,その有する専門的知識・技量を踏まえて,また,個々の患者の状態,爪の状態に応じて行われる行為でもあることから,その手段,方法の相当性は,個別具体的な事情を踏まえなければ判断が困難であり,類型的判断になじまないことからも,傷害罪の構成要件にすら該当しない行為とはいえない。
 
そうすると,被告人の行為は,いずれも客観的には傷害罪の構成要件にいう傷害行為といえる。
・傷害の故意について
 
次に,傷害の故意について,B及びAの各右足親指の肥厚した爪を切って爪床を露出させたことは,被告人がその行為を認識して行わなければなし得ないものであるから,当然に自己の行為を認識しつつ行ったものであり,傷害の故意があると認められる。
 
しかしながら,Aの右足中指の爪については,その指に貼られていた絆創膏を剥がした態様は,被告人の公判供述によるしかないところ,被告人は,公判で,医師が落下を待つとしていたが、その経過観察をしようと思った,絆創膏の貼替えが必要ではないかとも思った,そして,まず最初に横向きに巻かれている絆創膏を取って,その後,縦向きに貼られている絆創膏を足の付け根の方から爪の方に向かってゆっくりと剥いだ,その際に,特に抵抗もなくスムーズに絆創膏を剥ぐことができた,その際に爪が取れたと思う,出血は認識しなかった,と供述しているのであって,その供述から,Aの右足中指の爪甲について,その下の組織と若干生着ないし接着している部分があるにもかかわらず,取ってしまうことを被告人が認識していたとは認定できない。被告人の捜査段階の供述調書の信用性が認められない本件では,Aの右足中指の爪を剥がしたとされる行為について,被告人に傷害の故意があったと認定することはできない。
 
検察官は,主治医はこの爪について自然落下を待つとしており,被告人はそのことを了知していたこと,また,Hからフットケアはしないように指示されていたことからすると,考え難い異常な行為であるなどと主張するが,主治医の指示は,特に積極的な治療行為はしないということに過ぎず,観察したり,絆創膏を貼り替えることを禁止する意味であったとは解されない。また,Hからフットケアはしないように指示されていたこととの関係では,被告人が自らこの爪の観察等をしようとしたことは,フットケアではなく,診療の補助行為の範疇に属するものであって,そのことから被告人があえて爪を取り去ったという故意(その前提としての行為も含め)を認定することは困難である。 
イ そこで,次に,傷害罪の構成要件に該当するB及びAの各右足親指の爪を切って爪床を露出させた行為について,弁護人が主張するように正当業務行為として違法性が阻却されるか否か検討する。なお,弁護人は,正当業務行為であることを理由に,構成要件該当性がないとも主張するが,上記のとおり,非類型的判断を要するものであるから,この主張は採用できない。
 
正当業務行為性の判断枠組みとしては,一般に,行為の目的だけでなく,手段・方法の相当性を含む行為の態様も考慮しつつ,全体的な見地から,当該行為の社会的相当性を決定すべきと解されるところ,これを本件のような看護師が患者の爪を切り,爪床を露出させる行為について具体化すると,当該行為が,〔1〕看護の目的でなされ,〔2〕看護行為として必要であり,手段,方法においても相当な行為であれば,正当業務行為として違法性が阻却されるというべきである(〔2〕の要件を満たす場合,特段の事情がない限り〔1〕の要件も満たすと考えられる)。なお,患者本人又はその保護者の承諾又は推定的承諾も必要であり,本件でもトラブル回避のためには個別的に爪ケアの必要性等を説明して承諾を得ることが望ましかったといえるが,一般に入院患者の場合は,入院時に示される入院診療計画を患者本人又は患者家族が承認することによって,爪ケアも含めて包括的に承諾しているものとみることができ,本件でもその承諾があるから(控訴審弁17,18),本件行為についての個別的な承諾がないことをもって正当業務行為性は否定されない。
 
まず,正当業務行為に該当しないとした1審判決の判断は,「爪を剥ぐこと自体を楽しみとし,目的としていた」などという信用できない被告人の捜査段階の供述を前提としている上,被告人の行為は職場内で爪ケアと理解されていなかったことを指摘する点は,正当業務行為性の判断は一般的な見地から行われるべきであること,患者家族やHに虚偽の説明をしたことや,Hの指示に従っていないことを指摘する点は,行為の客観的な相当性を左右する事情ではなく,看護目的の有無に影響する事情であるところ,Bの右足親指の爪について,事後の観察,確認をせず中途半端なケアをしてしまったとの思いや,患者家族が怒っている様子であったことなどから,咄嗟に自分が行ったものではないと虚偽を述べてしまい,その結果,Hにも同様に虚偽を述べたなどという被告人の説明もあり得る事態として理解できること,Hの指示に従わず,Aの足の爪ケアをしたという点は,理解に苦しむ行動ではあるが,看護以外の目的が明確とまではいえず,看護行為として,必要性があり,手段,方法が相当であれば,特段の事情がない限り,看護の目的があるといえることからすると,看護の目的を否定するに十分な根拠とはいえない。したがって,1審判決の正当業務行為性に関する判断は,是認できない。
 
以下,1審及び控訴審において取り調べた専門家の鑑定書や証言等を踏まえ,更に検討する。
 
D医師は,Aの右足親指の爪について,爪白癬の罹患が強く疑われるとし,皮膚科学的には,その治療としては抗真菌剤の内服や外用が主流であり,爪切除は,出血,疼痛,2次感染の危険があることから,爪白癬の治療としても,また,爪ケアとしても,被告人の行為は妥当ではないなどと述べる(Bの右足親指の爪についても同様に妥当ではない旨を述べる)。また,E医師は,衛生上の危険があることから,本件のごとき爪切除は医師が行うべき行為であるなどと述べる。他方,証人L医師は,Aの右足親指は爪白癬が疑われることを前提にしつつも,爪がもろくなり,また,爪と爪床が不完全な結合になっていたと考えられ,また,Bの右足親指の爪も,爪床基部に肥厚した爪甲が残存しているところ,これらの肥厚した爪に,衣類等が引っかかったりするようであれば,削ったり,切ったりすることを看護師が実施してもケアの範囲である旨を述べる。証人M教授(看護師)も,被告人の行為は,爪ケアとして適切な行為であると述べる。
 
そして,証人N医師は,各種のフットケアに関する文献を検討した上,フットケアは,爪を含む足の変化に目配りをして行うものである,日本ではフットケアに特化した専門資格の創設はなされておらず,多くの病院では,一般の看護師による療養上の世話として担われており,十分なフットケアの質が担保されにくい状況にある,爪切りについては,医師が病変爪やその周囲に外科的処置や薬物処方をする治療行為は,医師の独占業務であるが,看護師は,医師の指示下で診療の補助業務をするほか,療養上の世話として爪切りをする,爪切りはフットケアの一環であり,病変等により肥厚,変形している爪は,布団に引っかけて剥がれ出血したりするなどリスクがあることから,切ったり削ったりしてそのリスクを減じる目的で行われる,肥厚爪や鉤彎爪は,そのリスク回避のため,容易に切り取れる部分まで切り取ることは,療養上の世話としての看護行為として許容できる標準的な手法である,本件でも,Aの右足親指の爪は,白癬菌性の肥厚爪(厚硬爪甲)で爪甲下の角質層も白癬菌感染によって肥厚していたとみられるところ,爪床と爪甲が遊離ないし緩やかな接着があるにとどまり,ニッパーなどで切り進めば,比較的容易に切り崩れ,切り取られて行ったと考えられること,また,Bの右足親指の爪は,爪甲鉤彎症による鉤彎爪であったとみられるところ,隣の指への当たり具合によってその皮膚の損傷を生じる危険性があることから,爪切りの必要と適応があり,黒く変色して強く彎曲しており,爪床からは浮いて組織的には空隙があったと思われ,ニッパーが入りさえすれば容易に切り取られて行ったと考えられる,したがって,これらの爪はケアの必要性が高く,被告人の爪切り態様は一般的に妥当で,個別的にも適切で,微小な出血は医学的には問題がなく,標準的な手法の範囲内である旨を述べる。これに対し,証人O医師は,〔1〕Bの右足親指の爪について,その厚みから,切るときには力が必要であり,患者に痛みを与える可能性があり,疼痛や出血のケアが必要であり,麻酔をかけて爪を抜くなどの医師による治療行為を施すべきであった可能性があるし,Bの右足親指の爪の処置後,アルコールを含んだ綿花を当て,そのままにしていることは不適切な処置である,〔2〕Aの右足親指の爪について爪白癬の治療として医師との連携が必要である,〔3〕その他,患者側の事前の同意を得るべきであるし,そうでなくとも事後に患者側に説明がなされるべきところ,これがなされていないことは不適切であるなどと述べる。
 
まず,Aの右足親指の爪が爪白癬であった可能性については,D医師のみならず,他の医師らも指摘しており,また,Bの右足親指の爪も黒色化して曲がっていたことから,これらの爪について,医師による治療行為の要否について,被告人は,医師と相談し,医師の判断を踏まえ,爪切りの可否ないしその程度を検討することがより適切な対応であったと考えられる。しかし,これらの爪の状態は以前から継続していたとみられるところ,BもAも本件当時既に長期間入院していたが,主治医らが爪についての治療を行うような行動に出ていないことからすると,爪の治療行為が優先して行われるべき状況であったとみるのは困難であるし,今後爪の治療行為が実施される可能性が想定できたにせよ,爪を切って爪床を露出させても,治療の妨げになるとはいえず,かえって爪白癬の治療においては外用薬の効果が得られやすくなるとの指摘もあることからすると,被告人が医師に相談せずに行ったことを取上げ,あるいは,爪白癬等の治療行為が行われるべきとの前提に立って,被告人の行為が医療上の禁忌に該当する,あるいは,不必要または不相当であったとするのは適切とはいえない。
 
次に,D医師は,爪ケアの観点でも妥当でない行為であった旨を述べるが,同医師は,Bの右足親指について,爪床から出血した血液が,爪甲の概ね全層にわたって染み込んだような出血痕があると述べ,被告人が行った行為が,爪床から浮いている爪甲の爪を切り進んだのではなく,爪床と爪甲が生着している状態の爪をあえて切り取ったという誤った前提に立っていることは明らかであるから,採用することはできない。また,E医師は,ドット状に爪甲と爪床が生着していた状況を前提にしても,出血や感染のおそれなどの衛生上の危険から,医師が行うべき行為であった旨を述べるが,同医師は,元々,爪床と爪甲がしっかり生着している爪が剥がされた場合に,爪床が上皮化するのに10日間かかるという前提で,Aの右足親指及び中指について,全治約10日間の機械性爪甲剥離と診断しており,基本的には被告人が行った行為をD医師と同様にとらえており,E医師が指摘するような衛生上の危険性も,前提としている事実が,被告人の行為態様に合致するか疑問というべきである。
 
これに対し,N医師は,高齢の入院患者等の爪ケアの必要性が比較的高い患者の医療に携わってきた経験や,これまでの爪ケアに関する文献等の一般的知見も踏まえて鑑定書を作成しており,N医師の鑑定書及び供述は,本件関係証拠上,最も信用性が高い(L医師の意見も,概ねN医師と同旨といえる)。
 
もっとも,O医師は,上記のとおり,N医師の意見に疑問を示していることから検討するに,O医師も,出血が生じたことはともかく,被告人が爪を切って爪床を露出させた行為も爪ケアとして適切である旨を認めている。そして,出血は先に認定したとおり,BとAの各右足親指ともに,被告人が出血を無視して強引に爪を切り進めたり,あえて出血させたりしたというものではなく,爪切りを終えた後で,それらの爪切りの結果として,被告人の想定外で生じた微小なものであり,N医師やL医師も医学的に問題はない旨の見解を述べているところである。爪ケアにおいては,本件程度の微小な出血といえども,避けるべきものではあるが,上記のように爪ケアの結果として,しかも,想定外に生じたものについては,看護師による爪ケアの必要性や手段,方法の相当性を否定しなければならないような事情とまではいえない。また,Bの右足親指の爪を医師の治療行為として抜爪する方法は,O医師も考えられる対処法の一つとして指摘しているにとどまるし,被告人が,Bの右足親指の爪を切って爪床を露出させた後に,微小な出血を認めてアルコールを含んだ綿花を当てたことも,応急処置としてはやむを得なかったといえる(これにより特にBに疼痛を与えたとみられないことは,上記のとおりである)。また,患者本人又は患者家族からの個別的な事前同意が不要であることや,患者家族や上司に対する虚偽の説明等の事情によっても,被告人の看護の目的を否定できないことは上記のとおりである。
 
そうすると,被告人がB及びAの各右足親指の爪切りを行ってその爪床を露出させた行為は,医師との連携が十分とはいえなかったこと,結果的に微小ながら出血が生じていること,Bの右足親指についてはアルコールを含んだ綿花を応急処置として当てたままにして事後の観察もせず放置してしまっていたこと,事後的に患者家族に虚偽の説明をしたことなど,多少なりとも不適切さを指摘されてもやむを得ない側面もあるが,これらの事情を踏まえても,被告人の行為は,看護目的でなされ,看護行為として,必要性があり,手段,方法も相当といえる範囲を逸脱するものとはいえず,正当業務行為として,違法性が阻却されるというべきである。
第4 破棄自判
 
以上のとおり,1審判決が本件各公訴事実について,傷害罪が成立すると認めた点は,いずれも事実の誤認があり,その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである。
 
そこで,刑訴法397条1項,382条により,1審判決を破棄し,同法400条ただし書を適用して,当裁判所において更に判決する。
 
本件各公訴事実のうち,Aの右足中指の爪についての傷害は,被告人に傷害の故意が認められず,B及びAの各右足親指の爪についての傷害は,法律上犯罪の成立を妨げる理由があることから,結局,いずれも犯罪の証明がなく,刑訴法336条により,被告人に対して,本件各公訴事実について無罪の言渡しをする。
 
よって,主文のとおり判決する。
平成22年9月16日
福岡高等裁判所第3刑事部
裁判長裁判官 陶山博生 裁判官 溝國禎久 裁判官 岩田光生

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