その他福岡6(公職選挙法)

その他福岡6(公職選挙法)

福岡高等裁判所/平成18年(う)第116号

主文
原判決を破棄する。
被告人を罰金15万円に処する。
その罰金を完納することができないときは,金5000円を1日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
原審及び当審の訴訟費用はいずれも被告人の負担とする。
被告人に対し,公職選挙法252条1項所定の5年間選挙権及び被選挙権を有しない旨の規定を適用しない。

理由
 
本件控訴の趣意は,主任弁護人河野善一郎,弁護人岡村正淳,同古田邦夫,同中山知康,同吉野高幸,同上地和久,同安部千春,同井下顕,同服部融憲,同宇賀神直,同佐藤真理連名作成の控訴趣意書(同書の字句訂正書により訂正後のもの。),主任弁護人作成の同補充書及び同補充書(2)ないし(4)並びに被告人作成の控訴趣意書記載のとおりであり,これらに対する答弁は,検察官加藤昭提出の答弁書記載のとおりであるから,これらを引用する。
 
原判決によれば,本件は,平成15年4月に行われたd市議会議員選挙に立候補する決意をしていた被告人が,立候補の届出前,その選挙に関し,自己への投票及びその当選を得る目的で選挙人18名方を訪問し,自己への投票を依頼する旨の文言が記載された文書合計18枚を配付するなどしたという,戸別訪問,法定外選挙運動文書頒布及び,事前運動の事案であるところ,論旨は多岐にわたるが,要するに原判決には,〔1〕本件事件捜査の違法性及び妥当性並びに本件公訴提起等の公平性についての事実誤認があり,ひいては,公訴権濫用に関する法令適用の誤りがある,〔2〕公職選挙法(以下「公選法」という。)239条1項3号(138条1項),同法243条1項3号(142条1項),同法239条1項1号(129条)は憲法21条に違反し,また,市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下,「自由権規約」ないし,単に「規約」と略称する。)19条,25条に違反し,ひいては憲法98条2項,39条,31条に違反して無効であるから被告人は無罪であるのに,前記公選法の各法条を適用して被告人を有罪とした原判決には法令適用の誤りがある,〔3〕本件における被告人の各行為は,公選法138条1項,142条1項,129条それぞれの構成要件の立証がないのに,原判示各事実を認定した原判決には,事実誤認がある,さらに,〔4〕仮に公選法の各条項が適法で,各該当事実が認められるとしても,被告人に対する量刑は,被告人の公民権を停止した点において,憲法違反あるいは量刑不当がある,というのである。
 
そこで,以下,所論にかんがみ,記録を調査し,当審における事実取調べの結果を併せて検討する。
第1 本件公訴提起が公訴権を濫用したものであるとの弁護人の主張に対する原判決の判断に誤りがあるとの主張について
 
所論は,明確とは言い難いが,要するに,本件においては,共産党員である被告人をねらい打ちにした違法な捜査及びこれに基づいた公訴提起がなされているのに,違法な捜査の事実を認定せず,かつ,これに基づく公訴提起が公訴権を濫用したものである旨認定しなかった原判決には誤りがある(刑訴法378条2号該当)旨主張するものと解される。

 関係各証拠によれば,本件捜査,公訴提起の経緯等は,原判決が(弁護人らの主張に対する判断)第1の2の(1)ないし(9)で詳細に認定,説示するとおりであって,関係証拠を調査し,本件捜査の経緯等を検討しても,警察官らが,被告人の思想,信条等を理由に,捜査上,被告人を不当に不利益に取り扱ったり,刑訴法や警察官職務執行法等に違反する捜査をした事実は見いだせず,原判決が,(弁護人らの主張に対する判断)第1の4の(1)ないし(3)で説示するところも,おおむね正当として是認できる。以下,補足して説明する。
1 所論は,被告人の戸別訪問状況を現認したというB巡査長の証言は不自然で信用性に欠ける。すなわち,B巡査長がC小児科医院付近交差点で被告人を発見したのは,午後5時ころであり,午後5時10分ではなく,また,そもそもB巡査長は,当時,交通違反取締目的で同所にいたのではなく,被告人が同所付近を戸別訪問している旨の事前情報を得た上で,被告人の動静を監視していた旨主張する。
 
確かに,原判決も指摘しているとおり,同人が被告人を現認していた際,交通違反(一時停止違反)の取締中であったという点につき,同警察官らがいた場所からして,果たして実効的な取締りが行われ得るものか疑問の余地がないではない。しかし,以前,被告人を交通違反で検挙したことにより面識があったというB巡査長が,被告人が各戸を訪問するのを現認したという供述内容は,具体的かつ詳細であるとともに,被訪問者らの供述内容とも,おおむね符合しており,十分信用できる。そして,所論のうち,B巡査長が被告人による戸別訪問を現認した時刻の点は,B巡査長の供述は,被告人がD方を訪問した時刻に関する同人の証言に照らして不合理であり,結局,B巡査長の現認状況に関する供述は全体として信用できない旨主張するものであるが,そもそも,当日の同時刻前後,被告人が各被訪問者方へ訪問した事実に争いはないのであって,所論の指摘する10分の差異によって,判決の事実認定を左右するものか疑問である。また,被訪問者の証言する訪問時刻は,それぞれ幅を持つ内容であり,被告人の各被訪問者方への訪問時刻を分単位で明確に認定することはおよそできないところ(所論の援用するD証言も,被告人が訪問した際に放映されていたというテレビ番組の放映時間等が正しいことを裏付ける証拠も見当たらない。),B巡査長らが,職務の一環として,現認時刻をパトカーの時計で午後5時10分と確認して上司に連絡し,これを裏付ける同人ら作成の当日付け報告書(甲86)が存在するのであるから、同時刻を認定した原判決に所論の事実誤認はない。また,仮に,所論のように,B巡査長らが,被告人が戸別訪問を行っているとの事前情報を得た上で,被告人の動静を監視していたのだとしても,本件で被告人が行ったと同警察官らが認識した戸別訪問禁止違反及び事前運動禁止違反の疑いのある行為に対する捜査は,その人物が,本件選挙において,立候補が予想される現職の市議会議員本人であることからすると,慎重を要するというべきであって,B巡査長が被告人の不審な行動に対して直ちに警告を発しなかったという捜査方法が違法不当なものとは言えない。むしろ,警察官が,公選法違反の嫌疑も未だ十分でないこの段階で警告を行うことは,越権行為との非難を受ける恐れがあるからである。
2 また,所論は,E警部補は,Fクリーニング店に被告人が来るのを待ち構えていたにもかかわらず,上司の指示を受けて被告人を検索中,偶然,Fクリーニング店前にいる被告人を発見したかのような事実を認定した原判決には事実誤認がある旨主張する。 
 
しかし,E警部補が述べる,被告人を発見するに至った経緯や状況に特段不自然,不合理な点があるとはいえず,吉永正男警部の証言その他の関係証拠ともおおむね符合し,十分信用することができる。この点,当審主任弁護人ほか連名による弁論8頁以下によると,E警部補の原審証言内容を,弁護人側が私的に検証した結果,同警部補は,原審で証言した地点よりも前の地点で被告人の姿を発見できたはずであると主張する。しかし,その根拠とする私的検証は,E警部補と被告人との位置関係,E警部補の歩く速さや探索時の行動状況,被告人の移動速度,当時の自動車や歩行者等の交通量その他の基礎的事項につき,何ら具体的な根拠や正確性の担保がなく,信用性の裏付けに乏しいものであって,前記E警部補の証言の信用性を左右するものとは言い難い。
3 さらに,所論は,本件事件捜査は,平成15年に実施されたe市長選挙の際の,候補者の妻による戸別訪問事件や,同年に実施されたf県知事選挙での選挙運動員の戸別訪問事件における捜査と比較して,広範囲で偏った捜査がなされている旨主張する。
 
しかし,本件が,立候補予定者自身による,法定外文書の頒布を伴う戸別訪問で,かつ,事前運動でもあった事案であるのに対して,e市長選の事案は,被疑者が候補者の「妻」であり,捜査により確認できた訪問戸数等を含めた総合判断の結果,また,知事選での戸別訪問の事案も,「選挙運動者」による戸別訪問の事案であって,捜査により確認できた訪問戸数(3軒)等を含めた総合判断の結果,いずれも軽微事案と判断されて警告がなされたというのである(大分県警察本部刑事部捜査第二課長(当時)Gの原審証言)。そうすると,本件捜査が,所論のように共産党の候補者をねらい打ちにした恣意的な捜査であったことをうかがわせるに足りる証拠があるとはいえないし,他の事件の捜査がお座なりのものであったという所論の指摘は,具体的な根拠に欠けるものである。
 
よって,原判決に,本件事件捜査の違法性及び本件公訴提起の公平性について判断の誤りがあるとの所論は採用できない。
 
そうすると,本件被告人に対する公訴提起につき,公訴権濫用を認めなかった原判決には刑訴法378条2号該当の事由は認められず,法令(憲法14条1項,警察法2条,自由権規約26条[憲法98条2項])適用の誤りがある旨の主張も,その前提を欠くというべきであり,したがって,本論旨は理由がない。
第2 公選法の戸別訪問禁止,法定外文書頒布禁止及び事前運動禁止の各規定が,自由権規約19条,25条に違反し,ひいては憲法98条2項,39条,31条に違反し,また,憲法21条に違反して無効であるから被告人は無罪である,との主張について
1 所論は,昭和54年,日本が自由権規約を留保なく批准していて,その規定の体裁が各種の人権について個別具体的に権利の内容と制限を記述しているから,国内法として効力を有し,かつ,国内裁判所における司法判断を可能にする直接適用力及び自動執行力があると解され,また,規約人権委員会の解釈に関し,締約国は,自国の文化,風習,社会進歩などの違いを理由にして,規約の不履行を正当化することはできないところ,規約人権委員会は,選挙活動の自由を制約する公選法の規定の規約適合性については,〔1〕制限を必要とする害悪ないし脅威が存在すること,〔2〕制限は目的達成のために適切なものでなければならず,〔3〕制限を必要とする害悪ないし脅威の程度と制限手段が比例していることを要求する比例原則の適用があるとしており,かかる規約人権委員会の解釈によれば,被告人の行為は規約19条,25条によって保護,許容された行為であるから適法であって,憲法21条による選挙活動の自由に関する累次の最高裁判所の判例解釈による場合よりも広く人権が保障されることになるから,国内法である公選法の規定を適用して処罰,制裁する国家行為は自由権規約に違反し,ひいては憲法98条2項,同39条,同31条に違反するというのである。
 
そこで,検討するに,自由権規約は,昭和54年6月,国会の承認を経て批准されて同年8月4日に公布され,同年9月21日に発効したものであるところ,憲法が,日本国が締結した条約及び確立した国際法規は,これを誠実に遵守することを必要とすると規定し(98条2項),また,自由権規約が条約として国会の承認を含む公布手続を経ていることから,他に特別の立法措置等をまたず,公布によって当然に国内法としての効力を有するとともに,憲法解釈上,条約は法律に優位し,その効力は法律に対して優越すると解される。また,自由権規約は,同規約2条において,各締約国は,この規約において認められる権利を尊重し及び確保すること,右の権利を実現するために必要な立法措置その他の措置をとること,右の権利及び自由を侵害された者が効果的な救済措置を受けることを確保することを約束していること等からも,規定の趣旨が締約国内で適用されることを予定していることが明らかで,また,規約は,市民が等しく享有する固有の権利及び自由を具体的に規定したもので,憲法の自由権規定と同様,規定内容が,国内法として適用できるだけの具体性を有していて,司法的にも適用実現の可能な形式であることからも,各締約国はこの規約を即時に実施する義務を負うものであると解される。
 
したがって,自由権規約は自動執行力を有し,裁判所においてこれを解釈適用できるものと解される(最高裁昭和56年10月22日第一小法廷判決・刑集35巻7号696頁参照)。ただし,自由権規約25条は,国民でなく市民の政治的権利を規定したものであって,自由権と権利の性質を異にするところがあるが,これが国民主権の原則に基づき政治過程に参加することを請求する個人の権利として規定されているところからすれば,一応,自由権と同様に解しても差し支えないものといえる。
 
なお,自由権規約の解釈に当たっては,条約法に関するウィーン条約31条の条約解釈に関する一般的な規則の趣旨に従い,同条約32条の趣旨を尊重し,自由権規約28条によって設置された規約人権委員会が同規約40条4項に基づき採択した一般的意見等も同条約31条の規定の適用によって得られた意味を確認するために補足的手段として尊重すべきものと考える。
2 自由権規約25条と選挙運動の自由の保障の有無について
 
所論は,選挙活動を行う権利が自由権規約25条によっても保障されている旨,すなわち,ウィーン条約31条1項は「条約は,文脈によりかつその趣旨及び目的に照らして与えられる用語の通常の意味に従い,誠実に解釈するものとする」と規定しているところ,ここで「趣旨及び目的に照らして」とは,規約25条について言えば,同条が「自由かつ真正な選挙」を市民の権利として保障している趣旨及び目的に照らして,そのような選挙を実効あらしめるように解釈する法的枠組みを与えているということを意味し,したがって,選挙活動の自由が選挙人の意思の自由な表明に基づいて選挙される権利に「密接に関連し」,「不可欠の条件の一つとして尊重される」ものであれば,そのような活動は規約25条も保障していると解すべきであると主張する。
 
しかしながら,自由権規約25条は,市民の政治的権利として規定されたものであって,公的性質を有する権利を個人に認め,保障するものである。そして,同条のうち,本件で問題となる(a)号及び(b)号について見ると,その文脈と用語の通常の意味からすれば,政治に参与する権利,選挙権,被選挙権を政治的権利として保障しているものと解すのが自然である。所論は,規約人権委員会の一般的意見25において,「表現,集会及び結社の自由は,投票権の実効的な行使のために不可欠の条件であり,完全に保障しなければならない。」と説明されているところから,自由権規約25条自体がこれらの自由を権利として保障しているかのようにいうが,不可欠の「条件」と言っているところからも明らかなように,投票権の実効的な行使のためには,その前提条件として,市民的権利として保障されている表現,集会及び結社の自由の保障が完全でなければならないと言っているに過ぎず,規約25条自体が選挙運動の自由を権利として保障している旨述べているものとは言い難い。
 
このように,選挙運動の自由は,それが,政治的意見の表明の方法で行われる場合には,その方法,形式に従い,表現の自由,集会の自由及び結社の自由に関する権利の行使として,同規約19条,21条及び22条によって保障されるものと解される(広島高裁平成11年4月28日判決。高検速報平成11年136頁参照)。
 
仮に,自由権規約25条が,規約19条と相俟って選挙運動の自由をも権利として保障しているものと解するとしても,規約25条の「不合理な制限なしに」という制限条項は,一般的意見25が「25条により保障されている権利の行使に適用される条件は,客観的でかつ合理的な基準に基づくべきである」「市民によるこれらの権利の行使は,法律により定められた客観的で合理的な場合を除き,停止又は排除することはできない。」「選挙において投票する権利は,合理的な制限のみに服する。」と言っていることに照らしても,下記3のような利益衡量に基づく合理的理由による制限を否定するものとは認められない。原審証人Hらの意見,すなわち,選挙運動規制についても厳格な基準が妥当する旨の選挙運動の自由に関する意見は,選挙制度の在り方に関する一つの見識ではあるものの,これは規約人権委員会の公式の意見と同一視し得るものではないし,少なくとも,同委員会による一般的意見が,事実上,締約国に対し,一定の選挙制度を要求しているかのように解釈すべきではない(一般的意見25の21項参照)。
3 自由権規約19条3項の表現の自由の制限事由と公選法の選挙運動の制限,禁止について
(1)そこで,公選法の戸別訪問の一律禁止,法定外文書等の頒布禁止及び事前運動禁止の各規定が自由権規約19条3項の制限事由を満たすかどうかについて検討する。
 
自由権規約19条1項は,干渉されることなく意見を持つ権利を制限することのできない絶対的権利として保障し,同条2項は,表現の自由を保障しつつも,これが1項の意見を持つ権利の手段的権利であり,具体的な外部的行為を伴う権利である点で異なるため,同条3項において,その制限事由を定めている。
 
ところで,民主主義においては,人が自由に政治的意見を持ち,自由にその意見を表明できることが重要であって,参政権,中でも選挙権,被選挙権は,市民が政治過程に参加する権利として極めて重要であり,自由で公正な選挙の実施は民主主義の下で保護すべき基本的要素と言える。したがって,選挙においては,選挙人が自由かつ公正に政治的意見を形成することができなければならず,そのためには,正確,中立的で,責任ある情報が公平に伝達され,市民がこれを自由に選択し,形成した意思が自由に表明されて行くことが必要であるとともに,最終的には,選挙人の意見は複数の候補者の中から選択することによって行使されるものであるから,その選択の自由を確保するため,立候補の自由が保障されねばならない。さらに,選挙運動は,自由で真正な選挙の手段であって,表現の自由の範疇の中でも,個人の自己実現の価値にその本質ないし核心があるのではなく,また,政治上の主義若しくは施策を推進し,支持し又はこれに反対することを目的して行う単なる政治活動でもなく,特定の候補者に一定期間の公職を得させるという具体的な利害を伴う活動である。
 
したがって,そこには,各種の弊害が伴い易いことから,選挙の公正を確保する方策の整備が必要であるとともに,選挙運動は,選挙活動の一類型として選挙制度の在り方と深い関わりを有することから,別個の観点からの検討が必要と考えられる。したがって,これらの趣旨から自由権規約19条3項の制限事由も解釈されるべきである。
 
そして,国会は,公職の選挙に関し,実施の方法その他の事項を定める権限を有しているところ(憲法47条。なお,規約人権委員会の一般的意見25の21項も,自由権規約は特定の選挙制度を課すものではないとしている。),公選法は,選挙についての各種の事項を定めるとともに,選挙の公正を確保する見地から選挙運動についても種々の規制を行っているところである。選挙運動についての規制の中には,買収,利害誘導の処罰のように,選挙運動として尊重すべき価値を持たず,専ら選挙の公正を損なう行為を対象とし,選挙に対してもたらす直接の弊害を除去する消極的,警察的見地から行っている規制の他,選挙運動の期間,方法の規制のように,選挙運動として尊重すべき価値を内包してはいるが,他方において選挙の公正を損なう弊害を伴うことが予想される行為を対象とし,その行為を規制する方が,全体として選挙の公正を確保する上で望ましいとの判断に基づき,積極的,政策的見地に立って規制を行うことが許される場合もあると考えられる。なぜなら,選挙は,民主政の過程そのものであり,いったん買収・利害誘導等の不正な選挙運動が大規模に行われるなどして重大な瑕疵が生じた場合,その修復を図ることは極めて困難だからである(これらの犯罪は,事実上,事後的な摘発,処罰で対処せざるを得ないが,かかる事後的な対処では,健全な民主政の過程を回復することは日本の選挙犯罪に関する状況にかんがみると,困難であると考えられる。)。後者の規制は,すべての候補者に平等に適用される選挙のルールとしての性格を帯び,かつ,これにより締約国の立法機関が正当な権限に基づいて保護しようとしている選挙の公正維持という利益が実現されるのであるから,その反面において,規制される行為に内包されている価値が幾分失われることになっても,直ちに自由権規約19条に反することになるものではなく,失われる価値が締約国の規制権限を否定すべきほどに重大なものであるとき,つまり,その価値が規制により維持,実現しようとする利益を上回る時に初めてこれが自由権規約19条に違反することになると考えられる。
 
また,自由権規約19条2項における表現の自由の定めは,日本国憲法21条とは文言こそ異なるとはいえ,その内容はさほど異なるとは考えられず,表現の自由に対する規制についても,同規約19条3項は,「2の権利の行使には,特別の義務及び責任を伴う。したがって,この権利行使については,一定の制限を課することができる。ただし,その制限は法律によって定められ,かつ,次の目的のために必要とされるものに限る。」とし,目的としては,(a)他の者の権利又は信用の尊重,(b)国家の安全,公の秩序又は公衆の健康若しくは道徳の保護と定めている。これに対して,憲法12条後段は,「又,国民はこれ(自由及び権利)を濫用してはならないのであって,常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」と定めているが,自由権規約19条2,3項の定めは,上記の憲法の定めに比べて,自由を制約する条件がより厳格であるとは考えられないのであり,所論のように,同規約の規定上,憲法の解釈と別異な解釈をしなければならない根拠となるとは言えない(むしろ,自由権規約の規定上,日本国憲法の解釈と別異の解釈をすべき明確な根拠がないのに,憲法に拘束される我が国の裁判所が憲法と異なる解釈をすることは正しい態度とはいえない。)。したがって,同規約19条2項,3項も,憲法21条のもとで統一的に解釈適用されるべきである。
(2)所論は,選挙運動の自由に対する規制は,表現の自由に関する制約として,いわゆるLRA(Less Restrictive Alternatives,より制限的でない他の選びうる手段)の基準や比例原則(〔1〕制限は法律によって定められること,〔2〕制限は同条3項(a)(b)の目的の一つの為にのみ課されること,〔3〕制限はその目的達成のために必要なものとして正当化されること)等の,厳格な基準を充たす必要がある旨主張し,原審におけるH証人及び当審におけるJ証人らもこれに沿う証言をしている。
 
確かに,自由権規約に規定されている人権を制約する場合,特に,表現の自由等,人権カタログの中でも優越的地位を有する人権を他の人権ないし利益との調整の観点から制約する場合には,その重要性ないし制約による萎縮効果にかんがみると,原則として厳格な基準が,当該制約の正当性の有無を判定する基準として妥当するという考え方も首肯できないではない。
 
しかし,いかなる選挙運動を,どの程度,あるいは,どのような条件で認めるか等については,選挙制度をどのように構築するか,すなわち,当該選挙の性格(国政選挙か地方選挙か),選挙区(の広狭),選挙権者数,選挙期間,他の選挙活動手段の有無及び実効性,制度を認めた場合に得られる利益と損なわれる利益等,多くの要素(当然,その時代における各国の国情によって異なる面がある。)を視野に入れ,選挙制度が全体として円滑に実施,運営され,選挙の公正や,中立性という民主政実施の基盤が損なわれないように配慮するという広い視野ないし観点からの検討が不可欠である。そして,このように,選挙制度全体に目配りをしつつ制度設計をするのは,まさに締約国の立法機関が果たすべき役割であり,近代選挙法における基本諸原則(普通選挙,平等選挙,自由選挙,秘密選挙)に反しない限り(規約25条(b)号参照),また,比例原則の背後にある人権尊重の精神を没却しない限り,立法政策の問題として各国の裁量に委ねられていると解される。
 
そうすると,選挙活動の期間や方法の規制のように,選挙の公正を確保する上で望ましいとの積極的,政策的な見地からする規制の正当性ないし合理性については,人権制約の正当性に関する原則的な判定基準である上記のような厳格な基準は必ずしもそのまま妥当せず,前記のような立法裁量が働く場面であることを前提とした上で,規制手段と規制目的との合理的関連性の有無,特定の選挙運動を制約することによって失われる利益と,規制によって得られる利益の利益衡量及び制約目的達成のため,容易に実行し得る他の実効的な規制手段が存在するか否か,また,逆に,被制約利益を実現し得る他の手段が存在するか否か(言い換えれば,制約が,意見表明の手段に伴う限度での間接的,付随的なものか,意見表明を制約すること自体を目的とする直接的なものか)等を総合考慮して判断すべきである(例えば,各種公職の選挙の被選挙権を「一律に」何歳にするかは,本来,境界線上にある市民にとっては被選挙権が認められるか否かの重大な問題であり,所論によれば,その年齢の妥当性について,また,個々具体的な市民の権利を制約するについて,国家の側が厳密な立証責任を負うことになるはずであるが,事実上,かかる立証は不可能であろうし,そのような要件を要求することが妥当でないことは明らかである。)。
 
ただし,選挙運動は,一面において,前記のとおり,選挙制度という立法裁量が働く分野に深く関わるものの,他方,表現の自由,政治活動の自由の発現形態の一類型であり,選挙権の実質化に一定の役割を果たし得るという側面をも有していることから,その制約の合理性,必要性については慎重な判断が必要と解される。以下,本件の各禁止規定について個別に検討する。
4 戸別訪問の禁止について
(1)個人が,他人の住居を戸別に訪問し,自らの政治的見解等について他人と議論を戦わせ,その過程において,自らの政治的見解への賛同を得たり,また,得られた意見を咀嚼,解析し,これを広く世間に発信,表明することは,自己実現の一方法であるとともに,民主主義国家における自由で闊達な言論の市場形成に資するものである。他方,選挙運動は,代表民主制を採用するわが国において,主権者である多くの国民にとって,その権限を行使するほとんど唯一の機会である選挙に直結するものであって,民主政治の基盤として不可欠の人権と言い得る。そして,戸別訪問行為は,政治活動の自由であるとともに,うまく機能すれば,一般国民,市民の政治に対する期待や要望を国政や地方政治に汲み上げる役割を果たすという意義を有し,現代においても議会制民主主義において一定の重要な役割を果し得るものである(戸別訪問の機能を巡る現代的状況については(2)以下で検討する。)。
 
ところで,前記3の(1)で指摘したような性質を持つ選挙運動としての戸別訪問は,我が国においては,従来から判例において指摘されてきたように(例えば,最高裁第二小法廷昭和56年6月15日判決参照),次のような弊害や問題点が考えられる。
〔1〕まず,戸別訪問が買収,利害誘導等の温床になりやすいという点である。我が国では,遺憾ながら,国政選挙,地方選挙を問わず,選挙の度に買収・利害誘導等の事案がなお後を絶たず,検挙された選挙違反の中の多数を占めているという現状がある。被告人も,平成19年2月に行われた市議会議員選挙や同年4月に行われた県議会議員選挙においても,買収等の不正な選挙運動が多く行われた旨供述する(当審被告人質問48項)。ところで,買収,利害誘導等の選挙犯罪は,もちろん戸別訪問を伴わないものもあるが,戸別訪問の形を伴って行われやすいこと(これらの実質犯が戸別訪問の際に頻繁に行われているという趣旨ではない。)は,その選挙犯罪の性質及び我が国の国民性からかなりの程度推測できることである。すなわち,買収等,中でも,運動員等が直接個々の選挙人に対して投票買収等の不正な働きかけを行う場合は,その性質上,人目のある場所では行いにくく,また投票の依頼をするために選挙人をわざわざ戸外に呼び出すこともしにくいから,選挙人宅を訪問して行うことになりがちだからである。
〔2〕次に,選挙人の生活の平穏を害し,投票も情実に支配されやすくなるという点である。すなわち,自由な戸別訪問が許された状況では,旗幟を鮮明にしていない選挙人らは,多くの候補者や選挙運動員等の訪問を次々と受けて煩に堪えない状況に陥ることが予想される。特に,現代社会では,多忙な人が増えているから,各候補者や運動員は,効果的により多くの選挙人に直接語りかけようとして,在宅する可能性の高い土,日,祭日あるいは夕方以降の時間帯に,集中的に戸別訪問をする可能性があるが,地域社会では,訪問自体を拒否したり,訪問者を選り好みすることは,訪問者との交際関係を悪化させることにもなりかねない。また,我が国の地域社会においては,知人等からの投票依頼には,義理,恩義,取引関係など様々な社会的人間関係やしがらみが伴っていることが少なくない。戸別訪問によって,有権者の居宅で投票依頼がなされる場合には,依頼の強さにもよるが,偶然に出会った機会や電話により依頼がなされる場合に比べて,依頼された側も,これを拒否あるいは返答を回避しにくい状況になることも十分に予想できる。
 
選挙人は、干渉されることなく意見を持つ権利を有するから(自由権規約19条1項),選挙において情実にとらわれない冷静な選択ができるためには,正しい情報が十分に提供されるとともに,自主的な意思決定ができるような制度的な配慮も必要であり,話を聞く候補者,運動員等を選択する有権者の自由も尊重されることが重要である。 
〔3〕戸別訪問が解禁されれば,候補者側も,競って各戸を訪問することになるであろうが,その負担が大きいという点である。経済力の格差のみならず,候補者が政党,後援団体などの大きな組織を後ろ盾として運動員の動員力を持っているか否かが選挙結果に直結することになる可能性もあるし,各候補者間の政見,政策あるいは過去の実績を中心とする戦いという意味での選挙運動の実質的平等を損なうおそれもある。
 
なお,所論は,上記のような弊害が生じるとの立法事実は存在せず,少なくとも検察官はその事実を立証していないから,これを認めるに足る証拠はない旨主張する。確かに,所論指摘のとおり,買収等の悪質な選挙犯罪と戸別訪問の関連性は統計上明らかになっていないが,戸別訪問や買収等が発覚,検挙されるのは,全体のごく一部であることを考えれば,もともと買収等の選挙犯罪と戸別訪問の現実の関連性を統計的に明らかにすること自体が,極めて困難であることは容易に推測される。そして,立法の基礎となるこれらの事実は必ずしも刑訴法に定める厳格な立証手続によって証明される必要はないと考えられるところ(福岡高等裁判所昭和60年2月5日判決,判例タイムズ554号301頁),戸別訪問が許されることになり,各派の候補者や運動員等多数の人たちが競って戸別訪問をするようになれば,前記〔1〕のような理由で,買収等の違法行為を行う機会も増えることは明らかである。買収をしようとする者は,予めそのつもりで訪問するから,一般的に自由な戸別訪問が買収事犯等に結びつきやすいという関係にはないという考え方もある(それ自体は正しいであろう。)が,戸別訪問が自由に行われるようになれば,買収等の実質犯に対する周囲の監視の目も行き届かなくなって,現在以上に違法行為の取締りが困難になることも容易に推測できる。以上のようにみてくると,公選法138条1項の戸別訪問を禁止する規定も,所論の厳格な基準にかなうといえるかはともかく,合理的な理由のない規制であるとは言い難いのである。
 
もっとも,上記の弊害に対する考え方も,我が国の有権者の政治的成熟度をどう見るかという問題と関係しているように思われる。上記〔1〕ないし〔3〕の各点を弊害と見て,有権者が,不当な干渉をされることなく意見を持ち,正しい候補者選択ができるように法的な保護をするのか,それとも各有権者の判断,対処にまかせれば足りると考えるかによって,積極,消極の考え方に分かれる(後者に属すると思われる当審証人Jの考え方は,欧米の政治史の流れを当然の前提としており,歴史と風土の異なる我が国の有権者独特の思考は考慮する必要がないとしているように思われる。同証人は,買収等の実質犯は,戸別訪問禁止以外の手段で取り締まればよいと割り切るが,我が国では,買収の働きかけを受けた当事者に,選挙違反の届出を期待することは難しいのが実情であると思われる。)。もとより,戸別訪問禁止の是非を含め,どのような選挙運動のあり方が選挙人にとって望ましく,選挙人の意思が正しく選挙に反映されるかについては,裁判は,その是非を決することには必ずしも適しておらず,むしろ,我が国有権者の総意をもって決すべきものであり,その意味で,基本的には,立法裁量に委ね,裁量権の逸脱があるか否かの限度で裁判所が判断することには合理性があると思われる(もとより,国会議員は,選良であるとはいえ,候補者側に立つ者であり,その立場からくる限界もあるから,上記の意味での選挙制度の改善のためには,国民的な運動の後押しや世論調査を含むマスコミの報道が重要であることはいうまでもない。)。
(2)加えて,戸別訪問の一律禁止は,確かに表現の自由ないし政治活動の自由を制限するものではあるものの,それは表現の内容それ自体を制限するものではなく,場所や方法という,その形式を制限するに過ぎない。そして,現在の日本においては,候補者の経歴,政治上の主義,政策(公約)等を訴え,伝達する手段としては,選挙公報紙や各種新聞上の広告,電話勧誘のほか,個人演説会,街頭演説(最近,国政選挙では,政党のマニフェストを配布することが認められた。)ないし後援会による各種集会などにより,容易にこれらの情報を提供し,有権者もこれを入手することができる。このように,戸別訪問に代る情報伝達手段も十分に存在するのである。また,我が国では,直接に選挙目的であるとは言えない政治活動は,戸別訪問も含めて自由である。ちなみに,被告人の場合は,長年にわたり,自らの議会活動の報告や政治的意見等を掲載した「みんなの○○」と題する定期刊行物を毎週発行して支持者等に配付してきたように,候補者それぞれの日頃の政治的活動その他の活動の積み重ねの上に,選挙が行われるという実情も考慮すべきである。
(3)所論は,戸別訪問が.簡易かつ特段の経費を要さない点,あるいは,候補者側と選挙人側との直接の対話により,判断材料を提供する機会を与えるもので,見解の一方的伝達に終わりがちな現在の選挙運動にはみられない面を有する点を利点として強調する。
 
確かに,戸別訪問は,マスメディアや公共の選挙公報,電話などの選挙情報伝達手段が未成熟であり,自動車,音響設備の整った公共施設なども未発達ないし未整備で,その利用が限られていた近代選挙発祥の折りには,候補者の政治的立場や政見(選挙公約)及びその人柄,経歴や識見を選挙人に知らせ,各候補者による戸別訪問の結果を収集し比較検討することにより選挙人の正しい選択に資するとともに,意見交換の場を提供するという点において,大きな役割を果たしてきたとの主張も十分理解できるのであり,その意味で戸別訪問は古典的選挙運動の重要な一部であるとは言い得る。しかし,時代が推移し,情報伝達手段が驚異的な発達を遂げ,国民生活の実態が変化し,多忙化したことに伴って,効果的な選挙運動の方法(独り候補者側からのみならず,選挙人にとって,より望ましい選挙運動という観点も重視すべきである。)が変化することは避けられない。
 
また,現行公選法における選挙期間が比較的短期間であること(公選法31条ないし33条),概して我が国の選挙区はかなり広く,候補者自身が働きかけるべき選挙人の数が多すぎることなどにかんがみると,戸別訪問は,候補者自身と選挙人との意見交換の手段としては効率性を欠き,現実的な選挙運動の手段と言えるかどうかは疑問なしとしない。現に,被告人は,選挙期間の前であったのに,本件各訪問先において,投票の依頼及び同趣旨の文書の配付以外は,ほぼ挨拶程度で比較的短時間に各戸の訪問を終えており,有権者と話し込むようなゆとりがあったとは窺えない。そして,戸別訪問が,主として運動員によって行われるとすれば,選挙人が,直接,候補者の生の声を聞き,人柄を知り,直接意見を交換するというメリットはかなり減殺される。この点,我が国では,選挙のための後援会活動が普及しているから,候補者と選挙人との意見交換をするという観点からは,後援会が主催する集会はもとより後援会員が設定する各地域での小集会に候補者が参加して選挙人と対話することは容易に考えられる。
 
さらに,戸別訪問が制限されないイギリスやフランスでも,その原因や実情はつまびらかではないが,戸別訪問は,選挙運動として余り活用されなくなっているという事情も窺われる(原審証人K70項,当審証人J56項以下)。
 
また,違反行為に対する刑罰は1年以下の禁錮又は30万円以下の罰金であり,保護法益の重要性及び回復困難性にかんがみて罪刑の均衡を明らかに失したものとは言い難いし,行為の違法性の程度及び事案に応じて量刑を選択でき(さらに,公民権停止期間を短縮し,場合によっては停止に関する規定を適用しないことも可能である。この点は,以下の5,6についても同様である。),具体的事案に応じた量刑の均衡も十分図り得る。
(4)以上の諸点を考慮すると,〔1〕公選法138条は,前記(1)の弊害等を防止し,もって選挙の自由と公正を確保することを目的として戸別訪問を一律に禁止するものであり,〔2〕戸別訪問を自由にした場合の弊害等を全体として見ると,その目的と戸別訪問を一律に禁止することとの間には合理的な関連性が認められる。そして,〔3〕戸別訪問の禁止によって得られる利益と失われる利益とを比較しても,得られる利益は上記のようなものであるのに対し,失われる利益は,戸別訪問という直接的な意見表明,意見交換の一つの手段が制限されることであって,これには代替手段も考えられるから,得られる利益の方がより大きいと言い得る(最高裁昭和44年4月23日大法廷判決・刑集23巻4号235頁,昭和56年6月15日第二小法廷判決・刑集35巻4号205頁,昭和56年7月21日第三小法廷判決・刑集35巻5号568頁,昭和59年2月21日第三小法廷判決・刑集38巻3号387頁等参照)。
 
そして,公選法138条の規定は,自由権規約19条の表現の自由を制限しうる条件のうち,(a)他の者の権利の尊重,(b)公の秩序の保護の目的のために必要であるから,国会の立法裁量の範囲内での制約であって,これが合理的で必要やむを得ない限度を超えるものとは認められず,したがって,自由権規約19条に反するものではないと解するのが相当であり,同25条に反しないことは前記2のとおりである(最高裁第一小法廷平成14年9月9日裁判集刑事282号5頁,同第三小法廷平成14年9月10日裁判集刑事282号251頁参照)。
(5)なお,付言するに,戸別訪問を全面的に解禁し,あるいは,その時間帯,同一世帯への訪問回数や訪問人数を制限し,あるいは,戸別訪問が可能な団体や運動員の登録などの方法を定めて戸別訪問を一部解禁することは,立法政策として,検討に値するものである。
 
しかし,戸別訪間を全面的に解禁する場合であれ,一部解禁する場合であれ,買収等の選挙違反にどのように対処するのかという問題があるし,解禁を認めた場合に,選挙に備えて確認団体や戸別訪問運動員の登録等の準備が必要になると思われるが,あらゆる選挙において常にこれを整えることが実際上可能なのかどうかという疑問も残る。結局,これらの諸施策が選挙の公正,中立性等を確保しつつ表現の自由ないし政治活動の自由を全うする実効性を持った施策と言えるかは,その具体的な内容を前提に選挙制度全体を視野に入れた上での総合判断が必要であり,戸別訪問を解禁する条件として,上記のような要件を定めることが,理論上可能だとしても,そこから直ちに戸別訪問を一律に禁止した公選法の規定が,国会の合理的な裁量を逸脱したものであるとは言い難い。
5 法定外文書の頒布について
(1)文書の頒布は,演説などと並んで思想表現の基本的手段であり,特に議会制民主主義において,文書図画を利用した選挙運動は,候補者がその政策を選挙人に伝え,選挙人も候補者の識見等を知り得る手段として有効適切な選挙運動方法の一つであると評価できる。したがって,そのような選挙運動を全面的に禁止するものではないとしても,それを厳しく制限することは,形式の制限に名を借りて言論の内容それ自体を制限するもので,自由権規約の保障する表現の自由(19条)等の人権を侵すものではないかとの疑いも生じないではない。したがって,かかる観点からすれば,文書頒布行為に対する制約は,原則的には,必要最小限のものであることが要求され,当該制約の憲法適合性については,厳格な審査基準が妥当するとも考えられる。
 
しかし,戸別訪問において検討したと同様,文書の頒布行為が,選挙との関連で行われる場合には,選挙活動の一類型として選挙制度の在り方と深い関わりを有し,一般の表現の自由とは別個の考慮が必要というべきである。すなわち,特定の選挙に際し,特定の候補者を当選させるため,投票を得又は得させる目的で文書を頒布する行為は,個人の単なる表現行為や政治活動とは性格を異にし,個々の選挙人の投票行動に大きな影響を与え得る性質のものであるところ,かかる文書図画の無制限な頒布等を認めると,他の候補者を誹謗,中傷したり,虚偽の内容を含む文書が頒布され,文書内容の真偽など政策等に関しないところで,候補者同士の対立を激化させる要素ともなる危険があるとともに,それに要する費用と労力は甚大なものになることは明らかで,経済的に富める候補者,あるいは,強大な組織的背景を有している候補者が選挙運動において著しく優位を占める結果となるおそれがあり,選挙の公正な執行を期し難い。これを何らかの方法で規制することは,その目的において正当性があり,これらの弊害との関係において,法定外文書の頒布を禁止することと禁止目的との間には合理的な関連性が認められる。
 
かれこれ考えると,文書図画の頒布行為を無制限なものにするのか,それとも一定の枚数制限等をするのか,枚数制限等をする場合,これをどの程度のものにするのかについては,戸別訪問について検討したのと同様,他の制約手段の有無及び実効性,規制を撤廃した場合に得られる利益と損なわれる利益の均衡等,多くの要素を視野に入れ,その時代における国情を考慮した上で,選挙制度が全体として円滑に実施,運営され,選挙の公正や,中立性という民主政実施の基盤が損なわれないように配慮するという観点からの検討が不可欠であり,近代選挙法における基本諸原則に反しない限り,立法政策の問題として締約国の立法機関の裁量に委ねられていると解される。
 
この点,所論は,費用の多額化や虚偽情報の氾濫については,法定外文書の頒布制限という方策を採らずとも,法定選挙費用の厳格な運用,文書発行者の明記ないし検印の方法によっても目的を達成できるなどと主張する。
 
確かに,これらの方法も一つの立法政策として十分検討に値するものと言える。しかし,法定選挙費用の上限額を低廉なものとすれば,実質上,選挙運動全般に対する極めて強力な規制となるし,文書に記名ないし検印を求めることで誹謗中傷合戦が抑制できるものかどうか必ずしも明らかでなく,虚偽情報についても頒布前に取り締まることは事実上困難であることを考えると,結局,違法不当な文書の氾濫は避けられないおそれが残るというべきである。選挙の性格や規模ごとに頒布可能な文書の枚数や形式を定めることと,法定選挙費用の規制をすることのいずれが優れた規制方法であるかは一概に言えず,結局,立法攻策上の問題に帰することになる。
 
ただし,文書の頒布行為は,表現の自由,政治活動の自由の発現形態であり,選挙権の実質化にも一定の役割を果たし得るという側面を有していることから,その制約の合理性,必要性については慎重な判断が必要と解される。
(2)すると,法定外文書の頒布規制は,文書図画による選挙運動が有効であることから,候補者がこれに多額の費用を投ずることになり,金の力に頼る選挙を生むおそれがあることや,他の候補者を誹謗,中傷したり,虚偽の内容を含む文書が頒布され,選挙の自由と公正ないし中立性が損なわれるおそれが大きいため,これを一部規制するものであって,その目的において正当であり,これらの弊害との関係において,法定外文書の頒布を禁止することと禁止目的との間には合理的な関連性が認められる。そして,法定外文書の頒布禁止によって失われる利益と得られる利益とを衡量しても,禁止によって得られる利益は,法定外文書の氾濫のもたらす前記(1)の弊害を防止することによる選挙の自由と公正の確保であるのに対し,禁止によって失われる利益は,一定数以上の,また,一定形式以外の選挙運動のために使用する文書の頒布ができなくなるというものであるから,概括的に言えば,得られる利益は失われる利益に比較して遥かに大きいと言い得るし,その規制の仕方も,選挙の性質や選挙区の広狭,地方選挙においては,首長選挙か地方議会選挙か等により,細かく枚数や頒布し得る文書の種類を定めているのである(もちろん,これらの規制内容が,選挙の実情や社会状況に照らして適切なものとなっているのか,厳し過ぎる規制となっているのではないかということは,立法政策の問題として議論となる余地はある。)。さらに,違反行為に対する刑罰は2年以下の禁錮又は50万円以下の罰金であり,保護法益の重要性及び回復困難性にかんがみて罪刑の均衡を明らかに失したものとは言い難く,具体的事案における行為の違法性の程度及び事案に応じた量刑を選択し得ること等を考慮すると,その規制は国会の立法裁量の範囲内での制約にとどまるものと考えられ,これが合理的で必要やむを得ない限度を超えるものとは認められないのであって(最高裁昭和30年4月6日大法廷判決・刑集9巻4号819頁,昭和39年11月18日大法廷判決・刑集18巻9号561頁,前記昭和44年4月23日大法廷判決,昭和57年3月23日第三小法廷判決・刑集36巻3号339頁等参照),公選法142条1項が,自由権規約19条,25条に違反するものとは考えられない。
6 事前運動の禁止について
(1)選挙運動が表現の自由の一類型であり,代表民主制を採用する我が国において民主政の過程の重要な一翼を担うという重要な意義を有すること,他方,選挙運動が選挙制度に深い関わりを持ち,前記のような民主政の過程において有する重要性からも,公明正大な選挙運動がなされることが極めて重要であること,したがって,選挙運動に対する制約は,制限的で慎重であるべきであるが,選挙制度全体を視野に入れて制度を構築すべきものであり,基本的には立法政策に関わることから,規制立法の合憲性を判断するに際しては,合理的関連性の有無,侵害利益と被侵害利益を慎重に衡量する等すべきであることは前記のとおりである。
 
ところで,事前運動の禁止は,選挙運動期間を限定しないことによる選挙費用の膨大化ひいては経済力という要因が及ぼす過大な影響力を抑え,もって,公正な選挙を実現しようとする正当なものであり,目的と規制対象行為との間に十分な合理的関連性も認められる。そして,その禁止が選挙運動期間を限定しないことによる弊害の防止を目的としている点で,表現の自由に対する規制の効果は間接的であり,かつ,許容される選挙運動期間も不合理なまで短期間ではなく,しかも,具体的な選挙運動にわたらない限り選挙期間前においても政治的な意見の表明を含む活動を自由に行うことはできるのであるから,その規制も,これにより得られる利益と失われる利益との衡量において均衡を失したものとは言えず,その処罰規定を見ても違反行為に対する刑罰は1年以下の禁錮又は30万円以下の罰金であり,保護法益の重要性及び回復困難性にかんがみて罪刑の均衡を明らかに失したものとは言い難く,具体的事案における行為の違法性の程度及び事案に応じて量刑を選択し得ること等を考慮すると,その規制は国会の立法裁量の範囲内での制約にとどまるものと考えられ,これが合理的で必要やむを得ない限度を超えるものとは認められない(最高裁判所昭和44年4月23日大法廷判決・刑集23巻4号235頁,前記昭和56年7月21日第三小法廷判決,前記昭和59年2月3日第二小法廷判決等参照)。
(2)所論は,禁止される事前運動と自由な政治活動とは明確には区別できず,明確性に欠け,また,優越的地位を占める選挙活動の自由に対する広範な制限を定めるものであるから,事前運動を禁止し,これに罰則を適用している公選法129条は,人権規約19条,25条に違反して無効であると主張する。
 
しかし,本件で問題となっている選挙運動とは(なお,公選法全体を通じて統一的に理解されるものではなく,各規定の趣旨ないし目的により,その意義ないし範囲は異なってくると解される。),一定の選挙に関し,一定の議員候補者を当選させるべく投票を得もしくは得させるにつき,直接又は間接に必要かつ有利な周旋勧誘もしくは誘導その他諸般の行為をなすこと(大審院昭和3年1月24日判決刑集7巻6号参照)を指すと解され,立候補予定者が立候補の決意をするにつき必要とする立候補準備行為,一定の選挙区を地盤とする者が,平素から選挙民に接触し自己の政見その他を選挙民に周知させる等のいわゆる選挙区培養行為や後援会活動は,禁止された選挙運動には該当しないと解されるところ,禁止される事前運動とこれらの行為とは,これらの行為が特定候補者の当選を図るため選挙人に働きかける行為であるか否か,あるいは,平常的な選挙区に対する働きかけか,特定の選挙につき投票を依頼する趣旨であるかという観点から判別することは可能と考えられ,犯罪構成要件として要求される明確性は十分有していると解されるし,事前運動禁止に対する刑罰が優越的地位を占める選挙活動の自由に対する制限として国会の立法裁量の範囲内での制約として許容されることについては,前記(1)のとおりである。したがって,事前運動禁止規定が自由権規約19条,25条に違反する旨主張する所論は採用できない。
7 所論は,表現の自由は人権カタログにおいて優越的地位にあるところ,特に,選挙活動の自由は,政治的表現活動として表現の自由に包含され,しかも国民主権原理に立脚しつつ,代表民主制を採用する日本国憲法の下では,選挙は主権を行使するほとんど唯一の機会であること,かかる国民主権を実現するためには,国民が政治問題に関する情報を十分に享受し,発信できる権利・自由の保障が不可欠であること,したがって,選挙活動という政治的表現の自由の制約に対する司法審査は,二重の基準の理論を基礎に,厳格に規制目的の正当性及び規制手段の必要性,必要最小限度性を審査する,いわゆるLRAの基準を採用し,目的達成のためにより制限的でない他の選び得る手段がないか否かを具体的・実質的に審査すべきである。そして,戸別訪問の一律全面禁止等の本件制約規定につき,上記のような厳格な審査基準を当てはめた場合,いずれの規定も立法目的を支える立法事実が立証されておらず,また,到底,必要最小限度の制約とは言い難いから,本件公選法の各規定は違憲,無効であり,したがって,被告人は無罪であると主張する。
 
そこで検討するに,選挙運動は表現の自由の発現形態の一つと位置付けられ,中でも民主主義の下では,民主政の過程を構成するものとして重要な意義と役割を果たしていると考えられ,表現の自由の人権カタログにおける優越的地位にかんがみ,これを制約する立法の合憲性については,いわゆる二重の基準の理論により,原則として,より厳格な基準の適用が検討されるべきこと,選挙運動は,自由で真正な選挙の手段であって,表現の自由の範疇の中でも,個人の自己実現の価値にその本質ないし核心があるのではなく,また,政治上の主義若しくは施策を推進し,支持し又はこれに反対することを目的して行う単なる政治活動でもなく,特定の侯補者に一定期間の公職を得させるという具体的な利害を伴う活動であって,それだけに金銭や社会的圧力が介在するなど各種の弊害が伴い易いこと,また,選挙運動は,選挙制度という,民主政の過程の中核をなすものの,制度設計にあたっては,その時々の社会情勢のみならず国土国民の将来の姿までも視野に入れた総合判断が要請される制度と深い関わりを有するため,その公正,中立性の確保という政策的観点からの制約を受けざるを得ず,したがって,公選法の合憲性については,立法裁量が働く場面であることを前提とした上で,選挙運動の自由の重要性を考慮しながら,規制することと規制目的との合理的関連性の有無,特定の選挙運動を制約することによって失われる利益と,規制によって得られる利益との利益衡量及び制約目的達成のため,容易に代替し得る他の実効的な規制手段が存在するか否か,また,逆に,被制約利益を実現し得る他の手段が存在するか否か等を総合考慮して判断すべきであること,並びにこのような前提に立てば,戸別訪問の禁止,法定外文書頒布の禁止及び事前運動の禁止の各規定の正当性,必要性,したがって,憲法21条適合性が肯定されることについては,公選法の自由権規約適合性について検討したこと(前記1ないし6)が,ほぼ,そのまま妥当する。
8 以上のとおりであるから,本件公選法の各規定が自由権規約19条,25条に反し,また憲法21条に違反して無効であり,したがって,被告人は無罪である旨いう所論はいずれも採用できない。また,本件公選法の各規定は自由権規約にも反しないから,憲法98条2項に反するとの主張はその前提を欠くことになる。 
 
したがって,論旨は理由がない。
3 構成要件不該当論について
1 所論は,〔1〕本件における被告人の訪問行為には,戸別訪問罪における「投票を得る目的」がない,〔2〕被告人が被訪問者方に頒布した本件後援会ニュースは公選法142条1項にいう「選挙運動のために使用する文書」に該当しない,〔3〕日本が自由権規約を締結したことから,公選法は,規約19条により,刑事罰による規制を必要とする弊害があること及びその弊害の程度と規制手段が比例していることが構成要件となっているところ,これらの事実についての立証はないから,事前運動罪は成立しない旨主張している。
 
そこで,所論にかんがみ,記録を調査し,当審における事実取調べの結果を併せて検討するに,まず,〔3〕の主張が理由がないことについては,前記第2の3の(1)において検討したとおりであるから,再論はしない。
2〔1〕の主張について
 
公選法138条1項が選挙に関し投票を得させる目的をもって戸別訪問をすることを禁止しているのは,戸別訪問の手段方法によって特定の候補者のための選挙運動を行うことを禁止する趣旨であるから,その目的には,特定の候補者のために投票を得させるための投票勧誘行為をする目的のほか,投票を得させるために直接,間接に必要,有利なことをする目的を含むと解され,このような目的を有するか否かは,訪問者の言動,訪問の時期,訪問者と被訪問者との関係等諸般の状況を考慮して判断すべきであると考えられる。
 
関係証拠によれば,被告人による本件戸別訪問の態様等は,おおむね原判決が(弁護人らの主張に対する判断)第3の2の(1)ないし(18)及び同3の項で認定説示するとおりである。そして,被告人の訪問時期や訪問件数,被告人が配付した「後援会ニュース」と題する文書の記載内容(本件法定外文書は,「あなたのご家族,お知合い、友人に今すぐ大石の票を頼んで下さい」,「お知り合いの方に『大石』の支持を頼んでください」などと記載されていている。)等を総合考慮すれば,被告人が各被訪問者方を訪れた際,各被訪問者を含む居住者又は在宅者らから投票を得る目的があったことは優に認められ,戸別訪問罪が成立することは明らかである。
 
この点,所論は,本件各訪問行為は「投票を得る目的」の訪問ではなく,単に文書配付のための訪問であり,戸別訪問罪は成立しないと主張する。
 
しかし,そもそも,本件戸別訪問は,前記のとおり,その外形,内容自体から選挙運動のために使用されることが推知できるような法定外文書を配付しながら行われており,このような態様によって各戸を訪問する行為は,投票依頼の趣旨を含むものと考えられる。すなわち,法定外文書の配付が郵送等の方法によって行われる場合と異なり,各戸を訪問して置いてくるという態様で行われる場合には,前述したような買収等に結びつく危険や私生活の平穏の侵害を防止し,選挙の公正を図るという戸別訪問罪の立法趣旨に触れることは明らかである。特に,本件において被告人は,各訪問先の郵便受け等に本件法定外文書を差し込み配付したというのではなく,訪問先にいた選挙人らと会話し,あるいは,握手するなどしているのであって,単なる文書配付のための訪問と異なることも明らかである。被告人による本件各行為が戸別訪問罪にあたることは明白であり,原判決に所論の事実誤認は認められない。
3〔2〕の主張について
 
所論は,法定外文書頒布罪にいう選挙運動用文書とは,誰が見ても文書の外形上明らかに選挙運動に使用することを目的として作成された文書を指し,かつ,その用法においても,内部行為の範囲を超えて無差別に配付したことが明らかな場合に初めて「選挙運動用文書」に該当すると解釈すべきであり,本件後援会ニュースは,外形上,後援会員ないし支持者に配付することを目的として作成されたものであることが明らかであるし,本件後援会ニュースは,限定的に配付され,配付先も被告人と知己の間柄であったことに照らすと,用法上の選挙運動文書であることにも大きな疑問があると主張する。
 
しかし,まず,前記2のとおり,本件法定外文書は,その外形及び内容それ自体から,選挙運動のために使用する意図を推知できる。また,確かに,文書配付の相手方が支持者や支持団体所属員の限度にとどまり,それが,いわゆる立候補準備行為等として把握できる場合には,外形及び内容自体から選挙運動のために使用すると推知し得るような文書の配付であっても,当該配付行為は,内部行為として位置付けられ,選挙運動として行われたと言い難い場合もあり得よう。しかし,本件における被告人の配付行為は,所論によれば,被告人がその購読者を後援者と見做していたという日本共産党の機関紙「赤旗」の読者も含まれているが,むしろ,被訪問者中にたまたま機関紙の購読者も含まれていたに過ぎないと評価できるし(弁護人によれば,当日,被告人は約5時間をかけて約200戸を訪問して「みんなの○○」「○○民報号外」を配付し,その約半数に対し,それらと同時に本件「後援会ニュース」を配付するなどしたのであり,本件18名はその一部であるという。),その配付の相手方は,被告人の選挙活動を運営して行く幹部,積極的な運動員ないし明確に後援会に加入した者でもないのであって,当該文書の配付行為は,到底,立候補準備行為等の内部行為とは言い難い。被告人による本件各行為が法定外文書頒布罪にあたることは明らかである。所論は採用できない。
 
したがって,本件が公選法の各構成要件に該当しないとの論旨は理由がない。
第4 量刑不当等の主張について
 
論旨は要するに,〔1〕公選法の公民権停止条項,少なくとも,戸別訪問罪や法定外文書頒布罪等の形式犯にまで公民権停止を科し得ると規定している公選法252条は,憲法14条,15条,44条,31条に違反し,また,〔2〕少なくとも,被告人に対して公民権停止を科したことは重過ぎて不当である(憲法に違反する),というのである。
1〔1〕の主張について
 
戸別訪問,法定外文書頒布及び事前運動行為に対して公民権停止を伴う刑罰を科すことが憲法に違反しないことは,前記検討のとおりであり(第2の3ないし7),特に,公選法252条が定める公民権停止の制度は,同条所定の選挙犯罪が,実質犯,形式犯を問わず,いずれも選挙の公正を害する犯罪であって,これらの犯罪により刑に処せられた者は,現に選挙の公正を害し,選挙において遵守すべき基本的な事項を無視するおそれが認められる点で選挙に関与させるに足る資質に欠けるところから,これを一定期間,公職の選挙から排除することとし,併せて、選挙犯罪を防止するための制裁とする趣旨で設けられたものと解され,それ自体,選挙の公正を確保するための合理的な制度であると認められ,また,事案の悪質性に応じて公民権停止期間を短縮し,あるいは公民権停止の規定を適用しないことも可能となっていることをも考慮すると,憲法14条,15条,44条,31条に違反するものとは考え難い(最高裁昭和30年2月9日大法廷判決・刑集9巻2号217頁参照)。
2〔2〕の主張について
 
論旨にかんがみ記録を調査し,当審における事実取調べの結果を併せて検討するに,本件は,平成15年4月に行われたd市議会議員選挙に際し,被告人が,立候補届出前に自己への投票及び当選を得る目的で,選挙人18名方を戸別訪問して法定外文書合計18枚を配付し,一面,事前運動をした,という事案である。
 
被告人は,本件犯行当時,市議会議員選挙に立候補することを決意していた者で,かつ,現役の市議会議員という立場にあったのであるから,いやしくも選挙のルールに反し,その公正を害する行為をしないよう,慎重に行動することが求められていた。しかも,被告人は,本件まで多数回にわたって選挙を経てきていたのであるから,公選法の規制についても,当然,熟知してしかるべきであったものである。ところが,被告人は,本件選挙の立候補予定者が定数よりも2人多い見込みだった上,選挙の告示日が迫り,他の立候補予定者が既に本件選挙に向けて立候補準備活動を始めていたことから,自己の当選を確実にしようと,本件各犯行に及んだものであって,犯行動機に酌量の余地はない。犯行態様も,立候補届出前という時期に戸別訪問を繰り返し,その際,法定外文書を配付していて,訪問戸数及び頒布文書数も少なくないから,被告人の刑責を軽く見ることはできない。
 
そうすると,被告人には,業務上過失傷害による罰金前科以外には前科がないこと,長期間にわたってd市議会議員を務め,その活動を通じるなどして地域社会に貢献してきたことがうかがえることなど,被告人のために酌むべき諸事情を併せ考慮しても,被告人を罰金15万円に処した原判決の量刑は相当である。
 
しかし,他方,被告人が本件各犯行に及んだのは,その経歴にもかかわらず,選挙制度に対する認識が甘かった点にその大きな原因があると考えられ,本件各犯行の際に,買収や利害誘導あるいは執拗な勧誘等がなされたものでないのはもちろん,本件は,立候補準備活動等が遅れていた被告人が,「あなたのご家族、お知り合い、友人に今すぐ大石の票を頼んで下さい」,「お知り合いの方に『大石』の支持を頼んでください」などの投票及び選挙運動依頼文言を記載した後援会ニュースを,従来の関係から,選挙での支持を期待できると思われる知人方に配付したというものであり,立候補者自らの違法行為ではあるものの,実質的に選挙の公正を害するところの大きい組織的犯行とまでは言い難いこと,前記のとおり,三十数年間の長きにわたってd市議会議員としての活動を通じて,地域社会に貢献していること(本件違反により原審で罰金刑に処せられ,さらに当選した場合であっても議員資格が剥奪される可能性すらあったにもかかわらず,平成19年2月の市議会議員選挙においても高位当選を果たしたことからは,従来の被告人の議員活動が市民の高い評価を受けていることが窺われる。)などの事情に加え,自由権規約19条,25条に関する規約人権委員会の見解である比例原則を考慮すると,被告人に対しては,罰金刑を科して,公選法遵守の必要,選挙の公正に対する認識を深めさせることで足りると考えられるのであって,その上に公民権を停止をすることは(その議員資格をも剥奪する結果となる。),本件事案に関する被告人に対する処分としては重過ぎて相当でない。むしろ,被告人に対しては,今後とも市議会議員として,地域社会に貢献させることの方が有権者の意向に沿うものと考えられる。その意味で,被告人に対し,3年間公民権を停止した原判決の量刑は重過ぎる結果となっている。したがって,その限度で論旨は理由がある。
第5 よって,刑訴法397条1項,381条により原判決を破棄し,同法400条ただし書により,更に次のとおり判決する。
 
原判決が認定した事実にその掲げる罰条を適用し(科刑上一罪の処理及び刑種の選択を含む。),その所定刑期の範囲内で被告人を罰金15万円に処し,その罰金を完納することができないときは,刑法18条により金5000円を1日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし,刑訴法181条1項本文を適用して,原審及び当審における訴訟費用は被告人の負担とし,情状により,公選法252条4項を適用して,同条1項所定の5年間選挙権及び被選挙権を有しない旨の規定を適用しないこととして,主文のとおり判決する。
平成19年9月27日
福岡高等裁判所第一刑事部
裁判長裁判官 虎井寧夫 裁判官 松尾嘉倫 裁判官 中牟田博章

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